チョコ事情、クッキー事情 8 〜3/14 神戸〜

「乾杯♪」
カチン、と軽くグラスが鳴った。

「相変わらず美人だな。」
「何ゆうとんのー、もう。」
きらっきらの顔で褒められて、照れはするものの悪い気はしない。
今日は寒い中にも少しは春を感じさせる装いで。
合わせて綺麗にセットしなおした髪。キューティクルもばっちり。
そして若干気合を入れたメイク。なかなか今日は化粧ノリがよろしい。
今日の自分は綺麗なのだ。そう思うだけで心が浮き立つ。
だが、多分目の前の相手もそんなものだろう。
「神奈川も、今日は調子よさそうやん?」
光沢五割増し、といったところだろうか。神奈川も明らかに上機嫌だった。
「そうか?」
聞き返す声も明るい。笑顔がまた無駄にキラキラしている。
「うん。何かいいことでもあったん?」
「んー?まあな。」
余裕ぶった微笑みが、にへらっと崩れた。中から覗いたのは、子どものように心底嬉しそうな表情。神奈川がここまで無防備な顔をさらすのも珍しい。
「へえ?何があったん?」
「ま、色々な。」
少し気がついたのだろうか、幸せそうに崩れかけていた表情は、すっと通常営業に戻っていく。
「神戸も、今日は偉くご機嫌じゃん?何かいいことでもあったのか?」
さらっと話題を変えるのは、聞かれたくないのか此方に気を使ったのか。きっと前者だ。
「んー?まあね。」
しれっと同じ答えを返して、グラスを手に取った。一口、一口。今日のワインもまた美味しい。
「ふーん?リング綺麗じゃん。彼氏にでも貰ったのか?」
不意に言われて、口に含んだワインでおぼれそうになった。全くもう。さらっと爽やかに何を言い出すのか。
「そ、そんなんやないで。何言うとんの自分。」
そして自分もなぜこのタイミングで躓くのか。
『別にどっちでもええと思うけどな?』
よみがえる声。掴まれた左手の感触。貰った時の播磨の顔まで思い出して、顔が熱くなってきた。照れていたのだ、彼は。だからつられて、自分まで照れるハメになったわけで、別に他意なんて、どっちでもいいとはどういう意味なのかと思うけれど、大体これはホワイトデーのお返しで、兵庫の皆からの物で、他意なんてあるわけないのに、恋人とかそんなのありえないのに。
「顔赤いぜ。可愛い。」
「ダボッ!ワインのせいや!」
……なぜだろう。あの時確かに一瞬期待した。
たった一人からの好意を。
そんな事実を首を振って振り払う。
「神奈川かて!……さっきからえっらい幸せそうやん。」
「そうか?」
しれっと余裕の表情が微妙に腹立たしい。此方はこんなに混乱しているというのに。
「そうや。誰がアンタをそんな笑わせとぉの?うちやないことだけは確かやで。彼女さん?」
さあ、答えてみろ。とん、とグラスを置いてそう迫ってみる。
「もしも俺に彼女が居たんなら、こういう日はそいつと一緒に居ると思うぜ?」
余裕の笑顔ではぐらかしに掛かっても、そんなものは通用しない。
「いいや。その相手次第やろ。」
くすりと笑って首を振る。
「例えば、彼女との今日のメニューがおでんなんかだったら、自分絶対こっち来るやん。」
神奈川が眼を見開いた。
虚を突かれたと思しき顔に大書してあるのは、なんでわかった、という言葉。
「やっぱりなあ。」
形勢逆転。くすくす笑ってそう言うと、神奈川はふいっとそっぽを向いた。
「うるせえ。」
照れている。なんだ、この男もそんな顔する事があったのかと妙に新鮮だ。
「ごまかさんでもええって。大体わかる気ぃするわー。」
しかし、そう言うところ、自分と神奈川は本当によく似ていた。
イベント事はムードに乗りたい、そんな気持ちが結構あるのだ。
「わかって欲しい相手に限って、こういうイベントお構いなしだったりしてなあ。」
……とまあ、相手はそんな気持ち、ほぼ判ってくれないわけなのだが。
神奈川が諦めたように息をついた。
「そうなんだよなあ。おでんっての、悔しいくらいビンゴだぜ。」
ほぼ投げやりなその言葉は間違いない本音。どうやら境遇まで似ていたらしい。
「あははは、神奈川も?うちもやで。」
出掛けに漂ってきたのは、兵庫の家もありあわせのおでんの匂いだった。
そして沈黙2秒。
「ねーよなあ。」
「あらへんわ……。」
嗚呼、通常営業。ため息がハモる。
「せめてちょっとくらいムードあったってええやん?なんでホワイトデーにコタツでおでんなんやろ。」
「そうなんだよなー。否応なく生活感あふれてて力抜けるっつーか。」
「普段だって外食って言ったら、高確率で焼肉やし。」
「行けるだけマシだろ。俺んとこなんて、勿体無いだの落ち着かないだので断られっぱなしだぜ。」
好いた腫れただなんて、自分たちにはごっこ遊びみたいなものだ。けど、それでも期待してしまうのだ。
ちょっとした甘いひと時。イベント事ではしゃいだりした高揚感。そういうものがあればいいなあ、と。
「……まあ、落ち着くんだけどな。」
「……まあ、それは認めるわ。」
たとえあんなデリカシー無しでも。
結論はそんなところに落ち着いてしまうのだが。
息をついて、食事を続行する。
「でも、そんな上機嫌ってことは、神奈川の方も何か進展あったんやろ?」
むぐ、と一瞬詰まるものの、今更と思ったのかなんなのか、神奈川の応対は表面涼しいものだった。
「……まあな。そういう神戸の上機嫌はその指輪か?」
口の中のサラダが一瞬つまり掛ける。が、もうごまかしても仕方ない。
「そんなとこや。で、何があったん?相手誰?」
さらっと頷いて問うと、面白いくらい神奈川の顔が赤くなった。今日は面白い物をよく見るなあ、と思っていると、半眼で問い返される。
「……神戸こそ相手誰なんだよ。」
頭をさっとよぎったのはたった一人。耳まで熱くなったのはワインのせいだけではない。
「……わかったごめん、聞かへん。」
口の中の物を飲み込んで、素直に敗北を宣言した。
「……おう、これ以上はナシな。精精イベントを楽しもうぜ。」
減ったワインがまた増える。これ以上この話題を続けるのは双方にダメージがいく、と、無言の諒解があった。
「せやね。」
頷いて、軽くグラスを掲げる。
「んじゃ、も一回乾杯。ムード解してくれへん本命さんに。」
神奈川も頷いてグラスを掲げた。
「おう。お前も頑張れよ。」
「自分もな。」
笑いあってグラスを近づける。

更け行く夜の街で、カチン、とまた音が鳴った。



ここまで読んでくださってありがとうございました&お疲れ様でした。

ちょっと連作短編風味。これなら長い話書けるかなあという挑戦。
しかしそうやって趣味に走った結果一ヶ月これに掛かりきる事になりました。
今何月だよ5月だよ!ってことで、盛大に季節外れです。おまけに長々しいです。長々しすぎて途中で方言調べるの放り出したので、間違いだらけの予感です、済みません。甲州弁は九州っ子には異国語でした。
でも、趣味に走っただけあって書いてて楽しかったです。
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