「結局今年は高うついたな。」
丹波が、はあ、と息をついた。
「ケーキがああじゃったしけぇ、しかたあらへんじゃろ。」
小さな包みを弄んでいた但馬が肩をすくめる。
「播磨が考えるの面倒くさがったからちゃうんか?」
ここに居ないもう一人の名前が出た。但馬も、せやな、と頷く。
「通販のカタログパラ見して放り投げたもんなあ。」
但馬がボヤく程度には適当だった。ソファで転がってカタログを数ページめくったかと思うと、『もうこれでええやないけ、俺考えるの面倒になってきたわ』と来たものである。
値段やら何やらあまり考えず、目に付いたものに印しただけと、誰の目にも映った。
丹波が肩をすくめる。
「まあ、適当にしちゃそれなりのデザインやと思うたけど。」
「あ、それは思うたわ。神戸に似合いそうじゃって。淡路の分もなかなかええデザインやったんとちゃう?」
但馬は言いながら、持っていた包みを示した。中身は淡路へのホワイトデーのプレゼントが入っている。
そうなのである。……播磨が選んだものにしては、デザインは悪くなかったのだ。
「せやな。」
だから、丹波も頷いた。
……結局それに落ち着いたのは、自分達だって若干面倒だと思ったのもあったりするので仕方ない。
「……まあ、ええんやないけ?」
但馬が言った。丹波も、再びため息をつく。
「……わてら、貢ぐことに慣れてしもうたんかなあ。」
なんでこんな高いものをお返しに選択してしまうのか。選んだ播磨が悪いわけではないと思う。何せ自分たちも否を言わなかったのだから。
同じ事を思ったか、但馬もふう、と息をついた。
「そりゃなあ。百年以上貢いどるしけえ……。」
と。
ぱたん、と扉が開く。
「ただいまー。」
幼い声が入ってきた。
「おお、淡路。お帰りー」
「お帰り、淡路。」
出迎えると、淡路はこちらをきょとんと見上げる。
「何ため息ついとんのや?」
丹波と但馬は思わず顔を見合わせた。
「なんやあ、見とったんかいな。」
聞くと、淡路は頭を横に振る。
「別に見とらん。でもわかるー。」
「やれやれ、適わんなー。」
丹波は笑いながら、淡路に目線を合わせた。
「わてら、貢ぎ癖でもついたんちゃうかって話しとったんや。」
淡路は、丹波を見、ついで但馬を見て肩をすくめる。
「せやなあ、貢ぎ続けて百年越すもんなあ。そろそろつくんやない?」
どうやら認識はあまり変わらないようだった。三人で一息。
「せや、淡路先渡しとこうか」
但馬が丹波に声を掛ける。丹波もせやなあと頷いた。首をかしげる淡路の手元に、但馬は弄んでいた小さな包みを渡す。
「ほい、俺らからホワイトデーのプレゼントや。」
ぽややんとした淡路の瞳が、少し見開かれる。
「おおー。ありがとうなあ、但馬、丹波。」
但馬が微笑んだ。
「どういたしまして。ほら、開けてみい。」
「ええん?ほんなら開けるー」
包みを丁寧に開いた淡路はまた眼を見開いた。それを眺める丹波と但馬の口元が緩む。
「一応わてら三人からや。だから後で播磨にも言っといてや。」
丹波が言うと、淡路がふわりと微笑んだ。
「こんな佳い帯留め……おおきに、えらい奮発したなあ。播磨にも礼言っとくわ。
そういえば、播磨は?神戸も、まだ帰っとらんの?」
辺りを見回す淡路に、丹波が頷く。
「神戸はまだや。播磨な、ちっと神戸の分のプレゼント取りに行っとんのや。直に戻ってくるやろけど。」
「へえ、そうなん。またえらいもん贈るん?」
丹波と但馬は、また顔を見合わせる。そして、一つけほんと咳払いした。
「……ケーキに見合った分、てことにしといてや。」
「まあ、奮発した部類じゃあるしけ、なんとも言えんけどなあ。」
淡路はそんな二人を見上げて、首をかしげるのだった。
「やれやれや。」
播磨は、ふうと息をついて、手に持った包みを放り投げた。手のひらに収まるくらいの大きさの紙袋は、眼の高さまで飛んで、また手のひらに戻る。
注文の品を取りに行った帰りだった。なんとかホワイトデーには間に合ったところで、神戸がぎゃあぎゃあ言う事もないだろう、と肩をすくめる。
「ほんま面倒くさいこっちゃなー。」
もう一度放り投げて、受け止める。そのまま、野球投手のように放り投げようとして、腕を止める。投げはしない。何せ中身は結構な高級品である。
似合うかもしれない、などと考えたのは一瞬だった。結論から言えば適当に選んだようなもので、皆それに否を言わなかった。だからこれはここにある。
包みの中身と神戸を重ねてみた。まあ、……まあ、似合わなくもない気がしなくもない。
吹いてきた少し冷たい風に身をすくめ、家路を急ぐ。
ひとまず、神戸より先に帰りたかった。どうせ今年もホワイトデーは遊びに行くに決まっているのだ。だからその前になんとか渡せたら、くらいの気持ちだった。
駆け出そうとして、握りつぶしかけた包みに気づく。あかん、と立ち止まったところで、声が掛かった。
「播磨、どないしたん?」
神戸だ。まさに考えていた相手の声に、ぎょっとして声の方を振り向くと、神戸は長いスカートを翻してぱたぱたとこちらに駆けて来た。
「……帰るトコやったんや。神戸は?」
「うちも今から帰るトコやで。七時なったら神奈川が来るし、それまでに身支度してしまお思てなー。」
大急ぎで戻ってきたんや、と神戸は多少浮かれた顔で笑う。少々もやっとしなくはないが、行動予定は大方予想通りだった。
「なら夕食は要らへんな。」
確認して歩き出すと、神戸も右に並ぶ。
「うん、要らへん。丹波には伝えとるで。」
心はどうやらすっかり夜遊びらしい。こんなに浮ついて大丈夫なのかと少し心配になるレベルだった。
「へいへい、楽しんで来いや。くれぐれも粗相ないようにな。」
「はいはい、わかっとるって。うちを誰やと思うとるん。神戸やで?」
「その態度が心配なんや。」
はあ、と息をついて、手元の包みを思い出す。
「ああ、そうや。これやる。」
言って、ぽい、と神戸の方に放り投げた。
「へぁ?!……っ……!」
間抜けな声と、ぼこっと当たった音。足を止めて見れば、神戸は片手に包みをもち、もう片方の手で額を押さえている。
「ったぁ……!何すんのや!」
「悪い、コントロール間違うたわ。」
額に当たったのだろう。力加減はうっかりしていたらしいが、……まあ、気にするほどの事ではない。そう結論した。
「……で?これは何なん?」
額を押さえたままで、神戸はこちらを睨む。
「俺と丹波と但馬からホワイトデーのお返しや。ありがたくいただけ。」
また歩き出す。後ろから神戸の声が追いかけてきた。
「つまらん物やったら承知せえへんで。乙女の柔肌に傷つけてー。」
振り返っても、別に傷がある風には見えない。角でも当たったか、少し赤くなってはいるようだが。
「何が乙女や、傷もついとらんのに。大体乙女のつもりあるなら、まずはありがとうの一言くらい言わんかい。」
また歩き出す。神戸はうぐ、と詰まって、また追いかけてきた。
「……ありがとう。」
心持ちぶすっとした声は、それでも誠意という点ではなんとか許容範囲内に収まっていた。
「それでええ。開けてみ、つまらん物ってわけでもないで。今年のケーキは豪華やったからな。」
言うと、神戸はごそごそと包みを開き始める。
見なくとも中身はわかっていた。小さな紙袋の下には、多分少し潰れた小さな箱。開けるとさらに、布張りの小箱。
神戸が歓声を上げた。
「すごい!かわいいやん!ありがと、播磨!」
布張りの箱が開くと、中に入っているのは小粒の真珠をあしらった白銀色の指輪。
「どういたしまして。但馬と丹波にも言っとき。」
そう言って、ひょい、と袋ごと指輪を取り上げた。
「ほら、手ぇ出せ。」
足を止め、神戸の手を取ると、取った手がびくっと震える。
どうかしたのかと思って顔を見れば、神戸の顔が赤くなっていた。
「播磨、ちょお待って。」
声まで少し震えている。
「何や?」
「左手って、どういうこと。」
言われて取った手を見れば、……そういえば確かに左手だった。
単純に自分に近いほうを取っただけなのだが、左手。といえば薬指。といえばお定まりのプロポーズ……と、それくらいの常識は流石にある。
柄にもなく、恥ずかしくなってきた。
「別にどっちでもええと思うけど?」
からかい半分を装って手を離す。すっと息を呑む気配がして、……冷静を装うつもりであからさま失敗した言葉が戻ってきた。
「な、何言うとんのや。」
動揺は丸見えだ。これくらいで動揺するあたり、可愛げも残っているもんやなあと妙なところで感心する。
「はいはい、冗談やって。ほら、手ぇ出せ。」
「……もう。」
ほら、と。一瞬躊躇って出てきたのは、右手だった。
指輪の行き先は薬指。目分量のサイズはどうやら当たりだったらしい。ぴったりはまった指輪に、なぜか緊張気味だった神戸の頬が緩んだ。
「本当可愛いわ。ありがと。後で丹波に爪やってもらわなな。」
これにあわせて。心底嬉しそうな言葉と表情に、こちらの気分も浮く。
「そうしとき。」
なんとなく、空いた手で神戸の頭を撫でた。手入れを怠っていないつやつやの髪は、手に優しく通る。
「ちょっと。髪ぐしゃぐしゃなるやん。やめてや。」
その手は、ぐい、と止められた。
「どうせ帰ってから直すんやろ。」
「帰るまでぐしゃぐしゃや。」
だからやめてや、と手は頭の上から下ろされる。
「すぐやんけ。」
「少しの間でも綺麗でいたいんや。」
よくわからない、としか思えなかった。でも、反応がなんだか面白そうな気がして、もう一度頭に手を伸ばす。今度は、頭に届く前につかまった。
「もう、やめてって言うとるやん。」
ぐい、と下に下ろされた手は、そのまま神戸にホールドされる。
そして神戸は、行くで、とそのまま歩き出した。
「あでで!何すんのや!」
当然ながら、腕が妙な方向に引っ張られる。
「ああ、ごめん、勢いあまってー。」
言葉とは裏腹に、ぐいぐいと力は増した。痛い。
「嘘つくなやわえ、わざとじゃろ!」
ああもう、と、思い切り腕を振り回してなんとか神戸から逃れる。
「全く。」
なんとか普通に歩き出すと、また神戸の腕が絡んできた。
「何や。」
「また悪させえへんかなあって。」
「せえへんわボケ。」
それでも腕を組む形にはなっている。自分の腕に感じるのは、柔らかい胸の感触。……ただし若干人工的な。思わずため息が漏れた。
「何やの、そんなため息ついて。」
「いや、抱きつかれんのはともかく、パットの感触がなんとも言えへ」
後頭部からの衝撃で、思わず前に倒れかける。
「全く!デリカシーのかけらもないんやから!」
怒り声も一緒に降ってきた。
顔を上げれば、怒ってずかずかと歩いていく後姿。
肩をすくめるしかない。
「やれやれやなあ。」
ふう、と息をついて神戸に追いつく。
帰るべき家はもう、すぐそこに見えていた。