チョコ事情、クッキー事情 6 〜3/13 静岡〜

ちゃぶ台の上には、ミニカーが数台。それと資料が散乱していた。
設計図だ。精緻な図面の一つ一つに、細かな指示が書いてある。
試作車のためのものだった。
「んー……」
素材、作り、メーカーをチェックしつつ、小さくうなる。
「うちの好みはこっちなんだけんど……。」
ぶつぶつ呟きながら、指示に対案をくっつけていく。指示は愛知の字。もの作り仲間の、いわば技術交流という奴である。
「……でもこういうトコ気が回るのは愛知らしいかねぁ」
ぺしぺし、と可否をつけていく。それと同時にもう片方で自分の設計図も直したり付け足したり。頭の中でシミュレートしてはそれをメモして直して付け足して。
「へえ、愛知もなかなか良いトコつくじゃんかあ」
「おいってば!」
耳元でいきなり怒鳴られた。
「うきゃああ!?」
流石に驚いて身を引く。目の前には不機嫌全開の神奈川の顔があった。
「なんだ、カナちゃんかあ。もう、びっくりしたにー」
「何がびっくりした、だよ。お前俺が何回呼んでも返事すらしなかったじゃねえか。」
ぶっすー、とむくれた声に苦笑いで笑いかける。
「本当ごめんだに。設計図とか見てると没頭しちゃってー。
 ほら、見てよ。」
ひら、と設計図を取り上げる。
「愛知と技術交流なんだあ。今度一緒に設計してみよーかって話になってさあ。」
愛知の持分と自分の分。見ている場所がそれぞれに違うのがまた楽しい。
「愛知って、まず居心地がいいように作ってみるんだって。うち、どんだけ走れるかまず考えるからその辺新鮮で。きっと一緒に作ったら良いもの作れると思うんだあ。」
「へえ。」
「うん。愛知の設計には夢があるよ。うちとしてはちょっとロマンが足りてない気がするけど。やっぱり車は走ってこそだら。」
「ふーん……。随分愛知贔屓なんだな。」
「そりゃあ!だってお隣さんだし、中部仲間で東海仲間でもの作り仲間だもの。共同開発とかよくやるよー。同志にしてライバルってとこだら。まあ、技術で愛知には負けんけど!」
「へー。」
返事の気のなさに、一方的にまくしたてていたことに気づく。あわてて口を閉じると、なんとも居心地の悪い沈黙が落ちてきた。
……なんとなく、色々空振りしたのはわかる。さすがに。
「……で、今日はどうしたんだら?」
けほん、と咳払いをして尋ねた。しかし、神奈川の返事は素っ気無い。
「何もないのに来ちゃ悪いか。」
「いや、そんな事はないけんども。」
機嫌はどうやら未だよろしくないらしい。
「それなら、お茶入れるからゆっくりしていけば良いよー。お菓子も食べまい。そしたら、うち、もうちょっとこれ見てるから、適当に」
「んじゃあ適当にさせてもらうぜ。」
言葉は軽い。ただし、機嫌はさらに急降下しているのがわかった。
ずかずかとこちらに近づいてくる神奈川に、地雷でも踏んだかと思ってももう遅い。不機嫌全開の神奈川は、すぐ隣に腰を下ろすと、そのままごろりと寝転がった。静岡の大腿を枕にして。
「えーと、カナちゃん?お茶淹れられんのだけんど。」
「いい。枕は黙ってろ。」
退くつもりは無いらしい。参ったなあ、と、ひとまず脚を崩す事にする。
「どうしちゃったんだに。」
返事は無かった。ますます扱いにくい。
手持ち無沙汰な手で、なんとなく神奈川の頭を撫でてみる。わしゃっとした髪はきっちり手入れがされていて肌触りがよい……と思っていたら、その手を掴まれた。
「カナちゃん?」
返事なしだ。掴んだ手をくすぐったり上下に揺らしたり。くすぐったくて、たまにぞくっとするような感覚が背中まで来る。
いつものさびしんぼのような気もしなくもない。
……ただ、ここまで不機嫌な原因はどうにもわからない。普段は最初に謝った時点で大方機嫌は直るのに。
なんとなく、もう片方の手で、頭を抱きかかえてみた。
「ねえ、カナちゃん。黙ってちゃわかんないに。」
ぶう、とふてくされ全開な顔に、自分の顔を近づけてみる。
「何か悲しい事でもあったの?」
ふてくされ顔に、さらに不機嫌が混じった。目つきに思い切り険が入る。
原因はわからないが、間違いなく地雷を踏んだらしい。
神奈川がむくり、と起き上がった。
「お前な。いい加減俺をガキ扱いすんのやめろよな。」
「え。うち、いつもと同じに」
「おう、いつもと同じだな。例年バレンタインがチョコバットなのも、すぐ菓子で釣ろうとするのも、俺がせっかく来てやったってのに構おうともしないのも、愛知愛知ってうるさいのも全部いつもと同じだろうよ。」
この怒り方は面倒になりそうだ、と直感が告げる。せめて山梨が居てくれたら、と思ったところで、ずい、と顔が近づいてきた。
「なにかあるとすぐ山梨の方頼ろうとするのだっていつもと同じだよなあ?」
完全に読まれていた。
「いつもならそんな事で怒ったりしないに。」
不機嫌顔は至近距離だ。これほど扱いに困るものもないが、仕方ない。宥めるように額をくっつける。
「今日は本当にご機嫌斜めなんだねぁ。」
ついでに手を伸ばして頭を撫でる。
その一瞬、神奈川から表情が消えた。
顎に大きな手が掛かる。唇にざわりと柔らかい感触がして、身動きが取れなくなっていた。
もしかしてキスという奴なのだろうか……などと悠長に思う暇はなかった。舌が口に割り込んできて思考が吹き飛ぶ。自分では無いものに口中が蹂躙される感覚。息もしたいのにやり方も忘れたらしく、ただただ苦しくて、篭る音が漏れるだけ。
一時して、ようやく唇が離れた。顎をつかまれたまま、ぜえはあと喘ぐすぐ前に、相手の顔がある。
「ガキ扱いすんなっつってんだろが。」
ぼんやりとその声を聞いた。据わってしまった眼。少し赤みを帯びた頬。そして、てらてらと濡れた唇。
それを見た瞬間、顔に一気に血が上るのがわかった。
何をやった。何をされた。誰だった。全てを理解はできない。ただ、力の限り神奈川を突き飛ばした。
「!?」
どん、と尻餅をつく音。
「……っ……!」
何をするんだ、と言いたいのに、言葉が出てこなかった。
自分でも判るくらい熱を持った顔は、きっと今真っ赤になっているのだろう。両手を顔に当てて気持ちだけでも熱を冷ます。しかし、眼を見開いた神奈川の顔を見た瞬間、また顔に血が上った。
顔を見れなくて、ふい、とそっぽを向く。
「……しず?」
恐る恐るな声にすら、顔が熱くなる。
「カナちゃんのばか。びっくりしたじゃんか。」
ようやく引っ張り出した声は、ものの見事に震えていた。
「……怒ってんのか?」
近づく気配に、身体が勝手に震える。
「そんなのわかんないよ、カナちゃんのばか。」
大きな手が肩に触れた。同時に、ぼろ、と意味不明の涙がこぼれる。
「……悪い。泣いてんのか?」
「知らない!」
覗き込もうとする神奈川からまた顔を背ける。
「カナちゃんの馬鹿!」
「……悪い、やりすぎた。」
「……カナちゃんの馬鹿!そういうとこが子どもなんだらあ!」
出てきた声は完全に涙声だ。
「……ごめんな。マジ悪かった。」
声が聞えても、嗚咽が止められない。ぐしぐしと眼をこする間、言葉はどちらからも出てこなかった。
やがて。
「……本当にごめん。……俺、今日は帰るから。」
落ちた声が辞去を告げ、立ち上がる気配がする。
ぐい、とその裾を捕まえた。
混乱はしている。それでも、帰れなんてこれっぽちも思ってはいなかった。
「帰れなんて言ってないに。」
「でもよ。」
それに、ここまで沈んでいる神奈川を放っては置けない。この期に及んだってそう思う。
「居ていい。用件もきいてないし。」
立ち上がった気配は、またこちらを覗き込んだ。かあっと顔に血が上る。
「俺の顔見ようとしねーじゃん。嫌なんじゃねえのか?」
「そんなんじゃないに。カナちゃんのばか。」
真っ赤になった顔を見せたくなかった。そしてひたすらに恥ずかしい。それが主因だった。
「じゃあなんで」
それに、神奈川の顔を見れば、無駄に再生されるのはさっきの感触。
「恥ずくて!……顔見れないだけで!……カナちゃんの馬鹿!」
それが背筋を駆け上って、目の前の頭を張り倒した。
馬鹿、馬鹿。
感情のままに言葉と涙が零れる。
と。
頭に、手がかぶさった。身体も一緒に引き寄せられて、自分よりは広い胸にくっつく。
「悪かった。」
ぎゅう、と抱きしめられる格好になって、また涙があふれてきた。邪魔っけな眼鏡を外して、神奈川の胸にしがみ付く。
「ばか。ばか。……もういいよ、ばか……!」
「……脅かしてごめんな。俺の事、嫌いになったか?」
心持ち弱い声に頭を振った。
そんなのありえない。そう答えた。



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