ディナーを済ませ、笑顔で神戸と別れたのが一時間くらい前だった。
部屋に戻って、テーブルに積み上げた貰いもののチョコレートを眺める。これだけあれば、しばらく甘いものには困らないだろう。
そんな事を考えながら紅茶の準備をして、先ほど貰った神戸のチョコレートを開けた。
例年、一番美味しいのである。実は楽しみにしていた、というのが正直なところだった。
こじんまりとした上品なチョコを雑に齧って、紅茶で薄めて。口に広がるのは最高級の味。掛け値なしに美味いと思う。
「……ここまでしろとは言わねーんだけどな。」
しかし、ぼやきはため息とともに消えた。
神戸から貰ったチョコが美味しければ美味しいほど、ため息は深くなる。
神戸に対してではない。
想うのは、テーブルの片隅に置いた別のチョコレートの贈り主。
チョコレートとは言っても、別にハート型ではない。
高級なチョコレートというわけでもない。
お土産品というわけでもない。
チョコバットが、とん、と転がっていた。
例年……例年、静岡から貰うチョコレートだ。夕方出ようとしたところに駆けて来て、「あ、カナちゃん居た居たー」などとのほほんと笑って、そして、包装もしてないそれを渡すのだ。「はい、今年の分ー。」と。
声まで頭の中で再生されて、余計に悲しい気持ちになった。
別にチョコバットが悪いと言っているわけではない。気持ちの伝え方がチョコレートの値段と関係があるとは別に思っていない。いや、正直三十円はどうかと思うが。三十円ってどういうことだとは思ってはいるが。
それはさておき、あの誠意のなさはなんなのだ。
買い物ついでに買ってきてみたおやつを分けてもらったようなノリである。
そういえばバレンタインだったねえ、程度にしか考えられていないのである。チョコレートならなんでもいいんだろうと、そう思っている節もある。
貰いものの美味なチョコレートは、ため息と同じくほろ苦かった。小さなそのチョコレートは、心のため息と一緒に溶けて行く。
口の中が無くなってから、もう一度チョコバットに目をやる。
いかにも駄菓子然としたチープな包装。
中身だって、先ほどのチョコと比べたら悪いような、日常の味だ。
乱雑に掴んで袋を破ると、おなじみチョココーティングの駄菓子が出てきた。がぶりと齧ると、先ほどのチョコよりはるかに甘い味が口に広がる。
懐かしの味というか。お馴染みの味というか。庶民の味覚というか。
……やっぱりどう考えたって、バレンタイン用のチョコではない。
ヤケのように紅茶で流し込んで、残りを平らげる。
ぽい、と捨てる前に中のくじに目が行った。
認められた文字は、『ホームラン』。
「おー?!」
書かれた文字はレア以外の何物でもない。二度見して三度見してみたが間違いなくホームランだ。
「へぇ、ホームランとか実在したのか。」
もう一度確認。確かにホームランだと確認し、袋をぴしっと伸ばしてテーブルに置く。
これは静岡にも見せてやらねばなるまい。
当然のようにそう思った。