チョコの理由、クッキーの理由 6 〜3/14 兵庫〜

外は暗さを増していた。そろそろ時も夜に片足を突っ込もうとしている。
神奈川との待ち合わせの時間を確認しつつ、神戸は出かける準備をすすめていた。着替えも済んだし髪もばっちり整えている。化粧もぴしっと決まっていたし、バッグもチョコも準備できていて、後は行くだけだ。
時間にはまだ間があると確認し、居間で雑誌をめくる事にした。ひらひらとめくっていると、ただいまの声と共に、玄関から足音が近づいてくる。
「ただいまー。なんや神戸まだおったんかいな。」
何見とおのや?などと言いながら、播磨は神戸のそばにわさっと座る。
「おかえりー。もうそろそろ行くけどな。」
めくっていた雑誌を半分渡してそう応えた。ついでに用件も思い出す。
「せや、播磨。うちまだお返しもらってへんのやけど?」
播磨の表情が怪訝そうに歪む。
「は?俺ら今年は和菓子やったやん。」
「うん、あれとっても美味しかったわ、丹波作やろ?ほんまおおきに。
 でもな、その分やなくてその前のトリュフ分。」
播磨は一つ瞬きすると、数秒の硬直のうちにぽん、と手を叩いた。
「ああ、あれけえ。……って、なんであの分まで返さなあかんのや!」
見事なノリツッコミだが、後半部は声の荒げ方からすると割に本気の抗議らしい。
「ええやろちょっとくらい。」
「アホか、あんだけ用意してまだ必要ってどんだけ強欲やねん。」
呆れたように身体を離そうとする播磨の腕を、ぐいっと掴む。
「それはそれこれはこれやろ。大体これは気持ちの問題やで。」
「んな気持ちどこ探したってあらへんわ。」
播磨はそう言いながら、うるさそうに腕を振る。しかし、そこは聞き捨てられない所だった。
「なんやて?もっかい言ってみ?」
気持ちなどないとはどういうことだ。腕を掴んだ手にも力が入る。しかし、その手はすぐに振り切られた。 
「何度でも言うたるわ、どこ探したってそんな気持ちあらへんって!
 毎度チョコが豪華やからそこそこ返しとおけど、それだけや、それだけ!」
振り切った手で頭を掻きながら、まったく、と播磨はため息をつく。
「ちゅうか、なんであんな毎度豪華なんや、わけわからへん。」
吐き捨てるようなその一言は心の何かを砕き、一瞬にして頭に血を上らせた。立ち上がると床が勢い良く鳴る。ぎょっとした顔が見えたが、構わず播磨の頬を引っ叩いた。
あとはもう振り返る気もしなかった。バッグを掴み、玄関へ向かう。戸に手を掛けた瞬間、涙が溢れてきた。
……人の気も知らんで……!!!
勢い良く戸を開け、そのまま駆け出す。
すぐに目先が曇ってきた。頬を伝った涙を拭き、目にハンカチを当てる。
なぜだか涙が止まらない。
気持ちがない、とか、お礼を要求したのにはねつけられた、とか。そんな事はまだ普段のやり取りの範囲内だ。
ただ、わけがわからない、と……その言葉がきつかった。
今までの事は、一体何だったのか。
豪華なチョコレートはただのお礼目当てだと、そんな顔をして時が過ぎてしまったのは事実だ。でも、それだけのためにあんなに手間隙をかけられるわけはない。
特別なのだ。
『美味いやん』と、昔、自分の前では仏頂面しかしなかった播磨が、洋菓子を渡した時だけは表情が和らいでいたのを覚えている。
『大したもんやないか』と、料理上手の丹波が褒めてくれたのだって、洋菓子だ。
『すごいで神戸、自慢してええ出来や。』と、但馬が撫でてくれたのも、『うち、神戸のが一番好きや』と、淡路が笑ってくれたのも、全てお菓子があったから。
お菓子は、自分と他の兵庫をつなげてくれた。だから、一番ストレートに感謝できる日に、一番気合を入れて作っていたのだ。それはいつしか豪華なプレゼント交換のようになっていたが、お返しの豪華さだってあちらの気持ちだと、豪華な菓子を喜んでいてくれるのだろうと、自分の気持ちは通じていると、……そう思っていた。

『わけわからへん。』

精一杯お菓子に込めた想いは伝わっていなかった。一番伝えたい相手に至っては欠片ほども。そう言うことだ。
ちらりと横を見ると、ガラス戸に自分の涙顔が映っていた。神戸にあるまじき酷い顔は恨めしそうにこちらを見ている。
情けなさで更に泣けてきた。
……でも、自分は神戸なのだ。
化粧を直さねば、と直観的に思った。約束の時間にはまだあるから、デパートのパウダールームに飛び込めば何とでもなるだろう。
泣きたくても喚きたくても、自分は外に居る時はきちんとしていなくてはならない。余裕ある態度で居なくてはならないし、外で弱みを見せてはならない。
それは、兵庫に来てから徹底的に叩き込まれた精神だった。



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