チョコの理由、クッキーの理由 5 〜2/15 神奈川〜

『一度話してみいや。』
そんな神戸の言葉は、一日過ぎても頭の中に残っていた。
暗い部屋で、神奈川は本日何回目かのため息をつく。
二月十五日。時刻は既に夜になっていた。

高級そうなチョコレートは、テーブルの上に放置してある。
山梨に選んでもらって買ってきた、とその一点が引っかかりすぎて食べる気になれなかった。よっぽどゴミ箱に捨ててやろうかと思ったのだが、静岡からの初のまともなチョコレートを捨てるのも気が引けて捨てられないでいる。
しかし、あの時静岡は何と言った。

……仲間かよ。

去年のあの日、非常にカッコ悪く感情に任せて酷い手段に訴えてしまいはしたものの、その甲斐あってか、あのニブい静岡にやっと近づけたような気がしていたのだ。
嫌いになどならないと言ったその言葉が嬉しくて、照れながらもくっ付かせてくれるあの態度にすっかり恋人気分で、ここ一年それはそれは幸せだった。
チョコレートだって、今年は初めてのまともなチョコレートだ。本気で嬉しかった。
しかし、そうやって浮かれていたのは自分だけだったらしい。
何かあったら、静岡はこの通り山梨を頼る。結局どちらもお隣さんで、どちらも仲間だ、という。
はしゃいでいた自分が馬鹿みたいだ。

『女の子の本命チョコは重いんやで。』

神戸はそうも言っていた。
チョコバットの百倍は進化したチョコレートは、確かに高級品だ。
本命か否かは今となっては解らない。ただ、少し扱いが変わったのかと思わないわけではなかった。
でも、静岡の真意はどこにあるのか、これだけ長い付き合いなのにさっぱりわからない。女心がどうとか言うのとは、多分もっと別のベクトルである。
携帯を取り上げる。
本日何度目だろう。その後何を話せばいいのか解らなくて、また机に置くのも何度目だかわからない。
しかし、携帯から手を離した瞬間、呼び止めるように着信音が鳴った。
この音は電話……静岡からの電話だ。
「……もしもし?」
何と言えばいいのか解らなくて、最初の言葉は果てなく間抜けなものになった。
「あ、……えと、カナちゃん?」
おどおどしたような静岡の声が受話器の向こうから聞えてくる。
「そうだけど。なんだよ?」
「あー……ええっと。」
普段能天気な態度ではなく、もごもごと口ごもる声。なんだよ、と言おうと口を開くと、受話器の向こうからまた声が聞えてきた。
「……その、今年は来ないの?」
「へ?」
意外すぎる言葉に、間の抜けた声が漏れる。
「あの……ええと、毎年バレンタインの次の日、うちに来てたじゃん?だからその、お菓子とか買って待ってたんだけど……。」
「なっ……。」
絶句するしかなかった。
いつからそんなことになっていたのだろう。
でも、そういえば確かにバレンタインの翌日は、毎度なぜか静岡の家にいたような気がする。
理由は定かでは無い。定かでは無いが、……まず驚くのは静岡が自分を待っていたという事実だ。
「あ、あの、えっとやっぱり忙しい?……ていうか、何か怒ってる……?」
「い、忙しいに決まってんだろ!」
口から飛び出た言葉に静岡が黙り込む。それに慌てて次の言葉を引っ張り出した。
「あ、明日!明日行くから!逃げるなよ!」
「え、……あ、うん。わかった。」
ホッとしたような声に、こちらも内心胸をなでおろす。
「ねえ、カナちゃん。」
おずおずと受話器の向こうの言葉は続く。
「何だよ?」
「……やっぱりチョコバットが良かった?」
思考が一時停止した。
「……なんでそうなるんだ。」
「だって、昨日も機嫌悪くなっちゃったし、今日も来なかったし、やっぱりチョコバットの方が」
「違ぇよ!」
派手な勘違いに思わず声のトーンが上がった。
「そうじゃねえ!何で俺のチョコ買うのによりによって山梨の奴を頼ったんだって!俺はお前にとって……」
そこまで怒鳴りかけて、我に返った。この内容で怒鳴るなど、果てしなくカッコ悪い以外の何物でもない。
「……カナちゃん?」
言葉が見つからなくて、沈黙が落ちる。すると、受話器の向こうで、静岡がもごもごと口を開いた。
「……あのね、チョコバット以外でカナちゃんが喜んでくれそうなのが思いつかなかったんだ。皆と同じ普通のって言うのも考えたけど、ほら、カナちゃんチョコ貰い慣れてるら?お菓子作んの上手だし……それでね、カナちゃんとうちの事両方知ってる山梨に相談してみたんだけんど。」
……訥々と語られる言葉に、少しずつ頭が冷えてくる。聞いてみればなんということは無い。同列扱いには変わりないが、静岡はそれなりに考えて選んでくれていたのだ。なぜ山梨という気持ちは残るが、なんとなくそれを言ったら『じゃあ次は長野に』等と言われそうな予感もする。
「でも、やっぱり今度からは無理せずチョコバットにするね。」
受話器の向こうのそんな結論にがくりと力が抜ける。
「だから何でそれなんだ。」
「だって、……あのね、カナちゃん来るかなって待ってた時に、チョコバットの方がよかったなって思ったの。」
「だからなんで」
「だってさ、チョコにくじ付いてたら、うちに来る理由になるじゃん?」
言い難そうに言葉は続く。
「……うちね、思ってたよりずっとカナちゃんが来るの楽しみにしてたみたいで。カナちゃんが怒ってたら悲しいし、今日だって、来るかどうか解らないのに待っちゃって……ちょっとね、寂しくってね。
 ああもう、……なんだろうね、うち、すごい自分勝手なこと言ってるね。あははは、どうしちゃったんだろ。……ごめんね。」
「!」
訥々と落ちた声の、ストレート極まりない言葉に虚をつかれた。
基本的に静岡は素直である。でも、こんな言い方をする事は滅多にないどころか多分初だ。
「バカしず!待ってるって解ってりゃ行ってたっつーの!何で言わねえんだよ!」
困った。責めるつもりの言葉から、嬉しさが抜けない。上がった声に反論するためか、受話器の向こうも声が大きくなる。
「バカって言うけど!毎年みたいに来てたもんでそんなもんかって思ってたの!」
「お前って奴はああああ……!」
驚きと呆れと、どうしようもない嬉しさで次が続かない。
結局、静岡はなんだかんだで少しずつ自分の事を特別扱いしていたわけである。
「もういい、明日そっちに行くからな!18時!首洗って待っとけよ!」
「あ……うん!わかった、待ってるね。……じゃあ」
「待てしず。」
切れそうな電話を引き止める。今なら、怒鳴らずに聞ける気がしていた。
「……何だら?」
息を吸って、吐いて。落ち着いたつもりでいい、先を続ける。
「しずにとって俺は何なんだ?」
「カナちゃんはカナちゃんだよ?」
疑問符交じりの声が返って来る。やっぱり鈍い。
「ただ隣に住んでるだけの仲間なのか?」
「そのはずだけど、……良くわからないけど、ちょっと違うみたいだねぁ。うーんと……」
言葉を捜している声を聞いているだけで、なぜか妙に緊張する。
「手の掛かる弟かなあって思うけんど、それもちょっと違うみたいでー……ごめんね、うまく言えないんだ。
 でもね、カナちゃんが来てくれるの、誰が来るより嬉しいみたい。なんでだろうね、全くね。」
受話器の向こうで静岡は、あはは、と照れ笑いしている。その反応に、心がふっと温かくなった。
「なあしず。」
「ん、なあに?」
「俺さ、しずの事が好きだ。」
その言葉は、息を吐くように自然に出てきた。
電話口で言う台詞ではないが、静岡だって既知の事だし、今に始まった事でもない。
それなのに、静岡は受話器の向こうで絶句しているらしい。
「しずもそんな風に思っていてくれたら嬉しい。」
「あ……の、ええっと。」
ようやく聞えてきた声には派手に動揺が窺えて、なんだか可笑しかった。
「……意味わかるよな?」
「ば、ばばば……・ばかっ!何はずいこと言ってるんだに!もう!全く!何言って」
動揺しすぎてさっぱり言葉になっていない。でも、それだけ動揺するという事は、そこそこ意識はしてくれてたと言う事だろう。
「明日行くから答え聞かせろよ。じゃな。」
「か、カナちゃんのバカぁ!!」
電話を切る寸前に聞えてきたどなり声に肩をすくめる。そして、携帯を机に放り出した。
「ククッ……ハハハハハッ……!」
言った。言ってしまった。こんな直球で好意を口にした事は無い。
そのせいか、この期に及んで妙な爽快感があった。本当に、この期に及んで、である。今更という説もある。それがまた、何か無性に可笑しい。
全く見えなかった静岡の真意も少しだけ見えたような気がした。
そして、自分はたったそれだけでここまで幸せになれるのだ。



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