テーブルの上には、ラッピング済みのチョコレートが載っていた。中身は、昨日の夜中まで掛かって作ったトリュフチョコだ。
ここは横浜のとあるレストランである。
神奈川と他愛もない話をしながらバレンタインを過ごすのは、神戸にとっては既に恒例の事となっていた。
何せ美男美女の組み合わせである。一緒に歩いているだけでも、周りの羨望のため息と賞賛の声には事欠かない。それが気持ちよくて、恋人イベントの時は大体神奈川と一緒に過ごしている。尤も、別に自分だけの都合というわけではない。相手をしている神奈川にしたって、大して変わらない事を考えているのは明白なのだ。
二人でイベントの空気と賞賛を浴びて、楽しく過ごす。それがこのデートの目的だった。
「このスープ、めっちゃ美味しいわ。」
運ばれてくる料理を品良く平らげながら、神戸は微笑む。
料理も美味しいし、今年のチョコレートも美味しく出来たところで、神戸の機嫌はすこぶる良かった。
一昨年はバッグ、去年は指輪……これは今日着けて来ている。今年は何が来るのだろう。そろそろお菓子が来そうな気もする。もしかしたら指輪と対のネックレスとか期待してもいいかもしれない。取らぬ狸の、とはよく言ったものだが、毎年のプレゼントの豪華さを考えればどうしても期待が膨らんでしまう。
「そうか?それはよかった。」
対する神奈川も営業スマイルで微笑んだ。そして自分も黙々と食事を摂る。
会話は、なぜか続かない。元来神奈川は話上手なはずなのだが、今日は出会ってからずっとそんな感じだった。
表面はとてもにこやかに爽やかに理想的な恋人のような顔をしているのだが、心は裏腹なのは間違いない。見たところは多分、とても不機嫌だ。
理由はわからないが、不機嫌なのにこういう場には出てくる辺り、見栄っ張りというかなんと言うか、である。まあ、自分が同じ立場に居たならば、恐らく同じように笑顔でデートに出向いていたとは思うのだが。
「ねえ、神奈川?」
「何だよ神戸?」
微笑みも優しげに神奈川はこちらを見やる。
「何でそんなに機嫌悪いん?何かあったん?」
神奈川の笑顔が凍りついた。
「別に、何もねえよ?」
営業スマイルが上塗りされて、表情はさらに厚化粧になる。
「そうだ、お返し。今年は何がいい?」
仮面のような笑顔は正直なところ見るに耐えなかった。
「ケーキで十分や。」
嘆息して切捨てる。
「そんな笑ってても全然ごまかせてへんで?何、彼女さんからチョコ貰い損ねでもした?」
そう言いながらワインのグラスを揺らすと、神奈川の表情がまた固くなった。
「何、図星なん?」
「ちげぇよ。今年は気合入ってたっての。当たり前だろ?」
軽く笑いながら言うべき言葉は、固まった表情のままで出てくる。
「じゃあ何が不服なん?」
「……別に?どうでもいいじゃん。」
そして、ぶすくれた顔でワインを口にした。まだ気品らしきものは残っているものの、手つきが少し粗っぽい。これは重症やなあ、などと思っていると、神奈川ははあとため息をつく。
「……ったくよ。俺、今からでもお前に乗り換えたいぜ。」
その言葉に耳を疑った。
「……何言っとおの。」
これは重症ではない、重態だ。一体どんなダメージを与えたのだろうか、彼の想い人は。
「気合の入ったチョコが来たんやろ?その気持ち差し置いて何言っとぉの。」
「どんなに豪華なチョコだって、気持ち入ってねぇのが解れば冷めるだろ。」
一言ごとに剥がれ落ちる笑顔の仮面。その下は、投げやりと落ち込みと怒りと自嘲に悲しみ、あらゆるマイナス感情で塗りたくられていた。
ここまで解りやすい表情をされると、流石に驚く。社交的な笑顔の下がこうだなどと、知っている者はどれだけ居るのだろう。
でも、言っていることに全面賛同は出来なかった。
「この時期の高級チョコは高いで?気持ち無かったら贈れへんわ。」
そんなもんか?と眉が動く。誰よりも女心がわかる男の顔をして、やっぱりそう言うところはわかっていないらしい。神戸はワインを一口飲んで、テーブルに置いた。
「何拗ねてるか知らへんけど、そんなに気にしてるなら一度話してみればええのに。」
「できるかよ!」
飛んできた即答に、流石に目を見開く。
しかし、悲しいかな、その反応には覚えがありすぎた。
「……意外と素直やないんやねえ。」
まるで播磨みたいや。
口を滑らせそうになるのをぐっとこらえる。
きらびやかなネオン、お洒落なレストランでのディナー。周りも羨むベストカップル。
そんな夢から、すっと現実に引き戻されたような気がした。
神奈川相手でなければ日常茶飯事だ。それに、そんなやり取り自体は嫌いではない。同居も長いし、ある程度楽しむ心の余裕もある。
……でも、神奈川には断じてそれを求めてはいなかった。
「なんか気が削がれたわ。今日は早めに帰るな。」
言いながらフォークを料理に突き刺す。
「え、ちょっと待てよ。おい。」
「うちは、素直でカッコ良くて隣におると自慢できる神奈川が好きやからここに来とぉのや。
拗ねてばっかりで素直やない神奈川とは一緒にいる理由あらへんで。」
言い分を見れば随分身勝手だ。どうやら神奈川もそう思ったらしい。
「随分勝手じゃねぇか。」
「アンタも十分勝手やろ?うちら似た者やん。」
そして料理を口に運ぶ。
大体これに関してはお互い様だった。神奈川の方だって、別に本来の『神戸』を求めているわけではない。お洒落で美人で一緒に歩いていると様になるから一緒にいるだけなのだ。
素のままで一緒にいたいとは思っていない。そんな相手はお互い別に居る。……多分、日常の匂いがする場所に。
でも、心のギアはキラキラモードから日常モードに戻ってしまった。
「とにかく、彼女さんと一度話してみいや。女の子の本命チョコは重いんやで。うちからはそれくらいしか言えへん。」
フォーク片手に息をつく。
「……けっ。」
ふいっと顔を背ける神奈川に、傷つくより怒りより呆れより、先に感じるのはデジャヴである。件の同居人の拗ね方にそっくりなのだ。同居人相手ならば大体自分も怒っている事が多いのだが、神奈川相手には怒る気にならない。
それに、今日のように感情を露にしているのは、神奈川にしては本当に珍しかった。
「神奈川がそんな顔するなんてなあ。その人の事、よっぽど好きなんやね。」
言った途端、クールなはずの神奈川の表情に朱が散る。
「べ、別にっ……!」
小学生並の反応に、思わず吹き出した。さっきからやたらにデジャヴを感じていたが、同居人でもここまで可愛い反応は絶対してくれないだろう。
「おい、何笑ってんだよ!」
「いや、もう。神奈川って本当は可愛い奴やったんやなあ。」
「なんだよそれ!」
反応がいちいち微笑ましい。微笑ましいついでに、聞いてみる。
「いつか彼女さん紹介してな?」
「お断りだ!」
即答がまたしても可愛くて、もう笑いが止まらない。
「じゃあ、誰なん?」
「言えるか!」
本来のデートの目的とはかなり逸れてしまったが、これはこれで面白い。
今日は本格的に拗ねない程度につつき倒してやろうと、神戸は心中で呟いたのだった。