Memory cat 2.

「うー、寒くなったねぁー。」
その日、静岡が家に辿り着いたのは、夜も遅くなってからだった。

忙しい時期というのはあるもので、ここ一週間はずっとこの調子だ。
今は不景気で、仕事がない・・・と思えばそうではない。不景気対策だの折衝だの開発事業だの。その全てに人々の生活が掛かっているのだ。纏めるべき立場の彼女は、むしろ忙しい。
「ただいまー。」
家に入り、ふああああ、と息を吐く。やっとついた我が家。
お茶で元気を出して。お風呂にいって。そして寝て。
明日はまた通常営業。
家に居る時間より仕事場に居る時間の方が長い・・・そんな日が続いていた。流石に疲れも溜まっている。
しかし、ここでめげる訳には行かない。掛かっているのは自分の生活だけではないのだ。
「がんばってこー。」
きっとあと少しで楽になるさと、そう自分に言ってみた。
それに今は十二月。誰だって忙しくて当たり前だ。
ここ最近、珍しいくらい顔を見せない神奈川も、きっと今頃仕事中である。間違いない。何せ自分がゆっくりできる時期でも、なんだかんだ忙しそうにしているし。
・・・自分より忙しい、のだ。多分。
ふと、心配になった。大体のことはスマートに片付ける子だが、無理したりしていないだろうか、というのはどうにも気になる。
東京が激務なのはいつもの事のようだけど、神奈川もきっとそれに付き合っているのだろうし、それならやはり、きついのではないだろうか。あの甘えん坊の神奈川がこちらに顔を見せないくらい、となるとよっぽどだ。
あんなに小さいのに。
・・・と、そこまで考えて頭を振った。脳裏に浮かんでいる神奈川の姿は、気がつけば子どもの姿だ。ざっと千年は前である。
「うちもかんだりぃのかね。」
ぽつりとつぶやいた言葉が、静かな屋内に消えていく。
と。
「にゃぁん。」
予想外な事に、家の中から声が聞えた。
「・・・誰か居るのかに?」
戸締りはして出て行ったはずなのだが。よっこらせ、と家に上がると、ぱちんとつけた電灯のところに一匹の猫が居た。どうやって引っ張ってきたのか、お客用の座布団の上に転がっている。色は綺麗なグレー。短い毛だがえらく毛並みがいい。首輪が付いているということは、どこかの飼い猫だろうか。しかし、その首輪も妙な高級感を感じる。
「猫さん、どっからきたんだに?」
「なぉん。」
猫は一声鳴いてしっぽをぱたんと振った。
ここは自分の場所だと宣言された、ような気がした。最初から人に慣れきっている。おまけに態度まででかい。
「・・・まぁ、よいけど・・・。おうちの人、心配するら?」
知らない、と。またぱたりと尻尾を振る。
「仕方ない子だねぁ・・・。どーれ、コタツつけまい。」
コタツという言葉がわかったのかなんなのか、猫はお客用の座布団から大儀そうに起き上がると、勝手知ったる足取りで茶の間に歩いていった。
やれやれ、と座布団を拾い上げる。泥も砂も付いていない。毛の一本すら。足跡らしい足跡は何一つ付いていなかった。
「・・・本当、どっからきたんだに・・?」
首をかしげながらコタツをつけると、猫は喜んでコタツの中に飛び込んだ。
・・・今度、飼い主を探しに行かないとねえ。
のんきにそんなことを考える。お茶でも入れるかと台所に向かおうとすると、暖かな毛皮が足に巻きついてきた。
「・・・コタツに入ってたんじゃなかったっけ。」
「にゃぁ。にゃぁーあ。」
くるくる、すりすり。挙句、猫は靴下に噛み付いて引っ張ろうとした。
「お茶入れるだけだで、コタツにはいってるとよいよ。」
ほら、行った行った、と。猫を撫でてあちらへ促す。しかし猫は引き下がらない。
「仕方ない子だねぁ。ほら。」
持ち上げて抱える。猫は顔を摺り寄せて静岡にしがみ付いた。そのまま片手で猫を抱えてお茶の準備をする。茶葉を適当に入れて、急須とポットで一往復。湯のみをもってもう一往復。
えれえれ、と猫を放してコタツに入る。温まったコタツの中は気持ちがいい。冷え切った足を伸ばすと、足の先についていた冷たいものが溶けていくようだった。
ふう、とお茶を入れようとすると、猫が膝の上に顔を出す。
「あれ。あっついから気ぃつけんといけんよー。」
動いちゃダメだで。そう言ってお茶を入れる。湯のみを手に取り、まずは一口。
「ふう・・・。生き返るねえ。」
それで、大分落ち着いた。
かたん、と湯飲みを置くと、猫はもぞもぞと膝の上に乗っかってくる。そして、膝の上にどん、と丸まってにゃあと鳴いた。
・・・なぜか意味はわかった。
コタツ布団を一緒にかけてやると、満足そうに喉を鳴らす。そして、ここに居場所を定めたか、さらに丸まった。
やはり、人馴れしているにもほどがある。
「本当にもう、どっから来たんだに・・・?」
本日三回目のその言葉が、口を付いて出てきた。そんな言葉は気にもしていないように、丸まっていた猫がすりすりと顔をこすり付ける。
その意味も、・・・なぜかわかってしまった。
「・・・はーいはい。」
ゆっくり撫でてやる。案の定大人しくなった。ごろごろと喉を鳴らして、猫はとてもご満悦である。
「仕方ない子だねえ。」
膝の上はいつもより数段、暖かかった。


しかし、一週間。
職場で話を聞いてみたり、警察に相談しに行ってみたりしたものの、猫の飼い主はさっぱりわからない。
そして、猫は元の飼い主のことなど忘れたように、静岡の家にすっかり馴染んでしまっていた。
夜中に布団に入ろうとしてくるので手始めに風呂に入れてみたところ、意外なほどに大人しく洗われてくれた。やはり経験有りである。水もあまり怖くないのか、風呂に入っていればふたの上に乗っていたりもする。濡れた毛皮をタオルで拭いてやると、ふるふると身体を震わせて水を払ったりして、そんな仕草がなんだか可愛らしい。ついでに観察したところによれば、どうもこの猫は雄のようだった。
朝は、飯食わせ、とやいやい騒いで起こす。・・・ただし、静岡の布団の中で。自分はぬくいところから出たくないというのが明らかなあたりが、わかりやすくもありおかしくも有りで、毎朝ついつい笑ってしまう。
また、少しでも近くに居ないと気になるのか、家の中では大体くっついてくる。猫は孤独を好むものではなかったのかと思ったのだが、台所にもひょこひょこ付いてくるし、少し腰を下ろせば構え構えとばたばたとくっついてくる。気が済んだら離れるかと思いきや、大方膝枕で寝てしまう。よっぽどの甘えん坊か寂しがりやである。
かと思えば、仕事に出かけるときは意外と物分りよく送り出すのだ。
玄関までやってきて、怒ったようにこちらを見上げて、・・・そして、長いしっぽでぺし、っと静岡の脛を叩いて踵を返す。
出かけるんならしかたねーけど!・・・と。頭の中で猫の態度を言葉に変えると、なんだか覚えのある声が頭をよぎった。・・・そしてそれはあながち間違っては居ないような気もする。
「猫さん猫さん、もしかして相・・・カナちゃんのとこの子かい?」
自然と昔の呼び名が出てきた。慌てて言い直す。しかし、猫はわかったやらわかっていないやらで、ふい、と家の中に戻っていった。
「えれえれ、だで。」
肩をすくめて家を出る。今夜あたり、神奈川にメールでもしてみようか。そう思った。もしかしたら、もしかするかもしれない。

果たして。
「ほーら、写真取るよー。いい子いい子、・・・はい、チーズ!」
携帯のカメラを向けると、わかっていたのかなんなのか、猫は綺麗にポーズをつけて見せた。少し丸くなって寛いで、ふ、と虚空を見つめたようにカッコをつけていて。
・・・やっぱりこれは神奈川の家の子かもしれない。
おかげで綺麗な写真が取れたわけだが。さっそくメールを作成する。

Sub:猫飼ってる?
うちに猫来てるんだけど、もしかしてカナちゃんちの子?

メールを打つ間中構え構えとうるさい猫の相手をしていたおかげで、この短文ですら打つのに時間が掛かってしまった。写真をつけたのをもう一度確認し、なんとかメールを送る。
すぐに返事が返ってきた。

Sub:飼ってねーよ。
俺のじゃねえ。そもそも飼ってねぇし。しずこそ猫飼ってたんじゃねーのか?うちに来てるぞ。

メールに添えられた写真には、小柄な三毛猫がひざの上で丸まってこちらを見上げる姿が写っていた。まだ仔猫なのだろうか。・・・もちろん覚えはない。

Sub:うちの子じゃないよー。
そこまで打った所でにゃぁにゃぁと猫が騒いだ。
仕方がないのでごろごろとあやしていると、携帯が鳴る。メールではない、電話だ。
「はいはいー?」
「しずか?」
「あれ、カナちゃん。どーした」
猫がぴょんと携帯に飛びついた。
「こーら、邪魔しちゃダメだで。・・・ごめんねカナちゃん、どうしたんだに?」
ぎゅうと猫を抱きしめる。ばったんばったん暴れてはいるが、とりあえず会話はできるだろう。
「メールの返事が遅せーから、気になったんだよ。」
「ごめんね、ちょっと猫が暴れててー」
柔らかな猫は腕の間を器用にすり抜けて、携帯電話を叩き落としに掛かった。
「こら、相州!!」
思わず声を上げる。猫はそれに驚いたのか動きを止める。
・・・そこまでしてから気がついた。違う、名前をつけてどうするんだ。
「ごめんごめ」
「相州ってお前なあ・・・」
呆れと不機嫌が混じった声が受話器から返ってきた。
「あらら、聞えてたんだ?・・・恥ずいねぁもう。よっこらせっと。」
猫を抱えあげてまた抱きしめる。先ほどの一喝が効いたのか、今度は猫も大人しい。
「本当、カナちゃんみたいな子なんだよー。毛並みつやつやだし、絶対に血統書とか付いてそうだし。さっきも写真取ろうとしたら綺麗にポーズつけてたし、ばっかさみしんぼの甘えん坊でー」
「・・・お前俺を一体なんだと思ってんだよ。」
声がさらに低くなる。
「嫌だねぁー、カナちゃんはカナちゃんだで。ただ、ちょっとこの子見てるとカナちゃん思い出すんだあ。」
ねえ、と猫に声を掛けると、ふい、と顔を背けられてしまった。さっき怒鳴った事を根に持っているのかもしれない。・・・やっぱり神奈川を思わせる。
「俺のとこに来てる猫も、見てるとしずっぽいぞ。異様に集中して遊んでると思ったら、すぐ飽きて寝てたりするしなー。」
な、と受話器の向こうで声がして、にゃぁんと猫の声が応えている。どうやら向こうもこちらと似た状況のようだった。
「猫は飼い主に似るっていうじゃん?こいつしずのじゃねえの?」
「ううん、全然覚えないよー。うち、猫飼ってなかったし。」
それもそうだよな、飼ってたら俺知ってるはずだし。そう、神奈川は息をつく。
「全くどこの猫だ?うちに来た時には首輪つけてたんだよな。」
「さあ?でも、可愛い子ぉだねえ。撫でてみたいー。」
「結構やんちゃ・・・」
そこでいきなり声が途切れた。がつんと衝撃音。どうも神奈川が電話を落としたらしい。
「おい、こら何すんだよ!」
ただ、通話は切れていなかったらしく、がたがたという音と一緒に、待てだの、やめろだのと神奈川の慌てた声が聞えてきた。
「駄目だっつってんのがわからねーのか、駿州!!」
「・・・駿州・・・って・・・」
以前の呼び名である。静岡の。
ぽかんとしている間に、がたがたとした音は収まった。
「悪い。しず?」
ようやく電話から聞えてきた声に、問うてみる。
「・・・猫ちゃんの名前、うちの名前つけた?」
「そんなわけねーだろ!お前じゃあるめーしよ。」
声に明かな焦りが見て取れた。
「さっき駿州って聞えたよー?」
「そ、それは!・・・その、なんだ、・・・呼びやすかったんだよ!」
それに、色々としずに似てるし、・・・と、決まり悪そうな強い声が続く。それが何だかおかしくて、うっかり笑い声が漏れた。
「何笑ってんだよ!」
間髪居れずに焦った声が聞えてくる。
「ごめんごめん。・・・でも、駿州?だっけ。会ってみたいねぁ。」
「だから違うっつってんだろが。大体会うって、んな暇あんのか?」
夜遅くに戻る日々は続いてはいる。
「んー、大丈夫ー。多分。」
それでも一時期よりはしんどさは減っていた。もしかしたら猫のせいかもしれないのだが。次の週末は予定も入れなかったことでもある。
「次の土曜。カナちゃん空いてる?」
「土曜か?・・・んー・・・。」
声が途切れる。そして、にゃぁと声がした。少し高くて可愛らしい声。多分その、駿州・・・?なのだろう。
「いいぜ、あけとく。」
「あけとく、って・・・大丈夫?」
聞くと、少々むくれた声が「ああ」と返した。
「俺がいいっつってんだから、良いんだ。猫居っし、俺がそっちに行くからな。」
どうやら決めたらしい。
「わかったよー。じゃぁ、待ってるね。」
「おう。」
じゃあ、と声を掛ける。そのまま電話を切ろうとしたところで、電話から声が聞えてきた。
「・・・そういえばしずんち行くのも久々だよな。」
「そういえば会うのも久しぶりだねえ。」
電話で声を聞くのだって、そういえば結構久々である。
「あははは、なんか楽しみになってきたあ。」
笑いながら視線を落とすと、猫とばちりと目が合った。
首をかしげる猫は少し高級に見えて、うちの子というには少しだけ遠い。
「・・・もし、猫さんの飼い主見つかってても、カナちゃん遊びに来てくれる?」
電話の向こうが少し止まる。
ややあって返ってきた声は、きっちりいつもどおりを装っていた。
「そうだな。考えとく。」
じゃぁな、と電話は切れる。
「・・・情が移ってきてるのかねえ」
そしらぬ顔の猫に向けてそう呟いた。・・・人のことは言えない。
猫はごろりと丸くなる。



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