Memory cat 1.

「うー、寒ぃっ!雪でも降んじゃねーのか?・・・ったくよー。」
その日も、神奈川が自宅に辿り着いたのは夜も遅くなってからだった。
殺人的な仕事量をなんとかこなす東京を助け、自分のところもあれやこれやとにぎやかで忙しい。年末は隣ほどではなくてもなんだかんだで忙しいのだ。
それに、他人が忙しい時は自分も忙しい方がいい。

三週間ほど前の日曜日の事だ。
「しずー?いるかー?」
「あー、カナちゃん?ごめーん、適当に上がっててー。」
息抜きに、と静岡の家を訪れてみれば、静岡はコタツで仕事中だった。
「よぉ来たねー。」
出てきたお茶はヤカンの番茶。それ自体はよくあることなのだが。
「ごめんね、ちーっと忙しくってさあ。」
コタツの上に広がっているのは書類の山。静岡はちらっと顔を上げたかと思うと、すぐに仕事に戻ってしまう。
「日曜までやる事か?」
「明日までなんでー。でも、家だとコタツで出来るから少し楽だねぁ。」
まあ、ゆっくりしていくとええよー、構ってあげられんくてごめんー・・・と。顔も上げない。
・・・まあ、それくらいの間柄ではある。過去にこういう事も何度かあったとは思う。
しかし、息抜きに来たのに放置はやはり嬉しくない。別に、悲しいだのそう言うことはない。どうだっていい。ただ面白くないというか。もやっとするというか。
「どうしたのかに?コタツ入らない?寒いよ?」
促されるままに腰を下ろそうとして、また立ち上がる。
「どれくらいで終わるんだ?」
「んー・・・今日は頑張らないといけないねえ。・・・えーとこの数値がこーで・・・」
ごめんねー、と。顔も上げない。集中しているのか、独り言まで間に挟まる。
いら、ときた。
「・・・ならいい。じゃぁな。」
踵を返す。
「あれ、かえるの?」
「邪魔したな。」
辞去の挨拶だけすると型どおりに声が返ってきた。
「そんな事ないにー。じゃあ、またねえ。」
未練も何もないその態度に、さらにいらっときた。

・・それから、静岡とは連絡も取ってない。あちらも忙しいのだろうし、こっちだって忙しいのだ。大人の対応という奴である。
かくして、腹いせのように仕事を入れた結果がこの遅い帰宅である。別に構わない、やるべき事は大量にある。
ただ、三週間経って少し気になっていた。あの小さい身体にアレだけの仕事を背負って、静岡はどうしているのだろうか。
私用のメールも電話もない。仕事で会うことはあったが、なんとなく避けていた。そして、見る静岡はいつだって忙しそうにしていた。
別に心配などしていない。ただ、気になるだけなのだ。メールも電話もないからこそ、余計に。
不機嫌をあらわに部屋に入る。
ちりりん、と音が聞えた気がした。
「にゃぁ」
同時に、よくわからない毛玉が足元に触れる。
「うわああああ?!」
予想外すぎる、ふなり、とした感触に思わず声が上がる。
「ふにゃああ!?」
同じように毛玉も声を上げて飛び離れた。
心臓が早鐘を打っている。おっかなびっくり部屋の電気をつけると、そこには仔猫が一匹うずくまっていた。
「なんだよお前、どっから入ってきたんだ?」
鍵は閉めて出てきたはずなのだが。仔猫は首を傾げるだけである。
首には鈴の付いた黄色のリボン。白地に薄茶と黒の斑のついた典型的な三毛猫だ。
「迷子か?」
「にゃぁん?」
つぶらな瞳がこちらを見上げる。だめだ、わかってはいたが話にならない。
「ほら、飼い主のところに戻れ。」
ひょいと抱き上げて、ひとまず玄関に戻る。外に出そうとすると、冷たいものが頬に触れた。
上空から舞い落ちる、雪。雪。
・・・寒いはずである。
腕の中で、仔猫がふるりと震えた。
「・・・ったく、仕方ねーな・・・。」
猫を抱えて、神奈川は結局室内に戻る。
最初に猫がいたあたりを見てみれば、足跡も抜けた毛も見当たらなかった。仔猫の手を触ってみても、滑らかな肉球には砂一粒付いていない。
「・・・お前、マジでどこから入ってきたんだ・・・?」
ふにふに、となんとなく肉球を押してみる。仔猫は困ったようにこちらを見上げるだけだった。

猫の寝床は、とりあえずそのあたりのブランケットとバスタオルで作ってみた。しかし猫は猫らしく、一番暖かいところを求めて、気づけばベッドの中にもぐりこんでいる。
「にゃー。」
ぷに。ぷに。顔を肉球で叩かれて目を覚ます事約一週間が経過した。
飼い主のところに戻そうと努力はした。朝方家を出るときに外に出しておいたりもしたのだが、なぜか猫は神奈川が家に帰ると、ちりりと鈴の音をさせて部屋の方から玄関口に出迎えに来る。そして、こちらを見上げてにゃぁと鳴くのだ。寒さも厳しいので、二日で諦めて家の中に入れることにした。それからは、仕事の合間を縫ってあたりの人に聞いたり、拾い猫の情報を流したりしている。しかし、芳しい結果は出ないままだ。
そんな事など知らないように、猫は朝になるとマイペースにぷにぷにと神奈川の頬を叩く。寝ぼけ眼を開くと、仔猫がこちらをじっと見つめているのだ。にゃぁと鳴く声は、「起きて、あさだよー。」などと言っているようにすら感じる。なぜか声が隣県の声で再生されるのは、たまたまこの猫が仔猫でどうやら雌だからということにしておいた。
そして、結局渋々起き出して一人と一匹分の朝食を用意することになるのだ。
ベッドに入ってくるので、一応一度洗ってみたりはした。とても嫌がられた。そのくせ、人が風呂に入っていると、風呂のふたの上に陣取って暖を取っている。わからない。
ただ、出迎えに出てくる姿は仔猫だけあって可愛らしい。好奇心旺盛なのか、なんでも不思議そうに眺めておっかなびっくり触ろうとする仕草も、やっぱり可愛らしい。ついでに、適当に投げた遊び道具をころころ転がしてためつすがめつしているのもなんだか可笑しい。玩具を前にした猫は、とても真剣な表情と驚くほどの集中力でそれを観察して遊んでいたりするのだ。そんなときは、どんなに声を掛けても気づきもしない。
かと思えば、のんびりと転がって寛いでいたりもする。声を掛けると、振り返りもせず・・・ぱたん、とシッポのみで返事をする。
「お前、本当可愛いよなー。」
そう言って抱き上げると、猫パンチが飛んできた。
構いに来ないわけではない。しかし、基本的にどうでもいいらしい。ただ、どうやら一応こちらを気にかけては居る様な気がしなくもない。
そんな猫は、何かよく知った奴を思い出させた。


「ただいまー。戻ったぞー。」
寒い夜。戸を開けると、そこにいつも居るはずの猫の姿はなかった。
「おーい、どこ行った?」
家へ上がる。ちりり、と、鈴の音が鳴った。ただしそれは、自分が持っている鈴だ。本日たまたま貰ったものを、猫の遊び道具になるかと持って帰ってきたのだが・・・肝心の猫は出てこない。
「おーい、居ないのか?」
明かりをつけながら先に進む。少し寒い予感が背を這った。
「おい!居るんだろ!」
焦った声はむなしく部屋に響く。
「出て来い!出て来いってば!」
先に進む足音が自分でもうるさい。それ以上にうるさいのは、不安に押しつぶされそうな自分の心臓の音。
「駿州っ!!」
勢い任せに怒鳴った先。か細く何かが聞えた。
明かりをつけ、視線をさまよわせる。その先に、それは居た。
「・・・にゃぁ・・・ん。」
どこから上ったのか、カーテンレールの上で震えている仔猫。その姿が見えた瞬間、全身から力が抜けた。
「・・・よかった・・・」
脱力しているこちらを見下ろして、猫はまた震える。
「・・・にゃぁあ・・・。」
様子からすると、どうやら降りれない、ようだった。
猫とは思えないどんくささに、思わず息をつく。
「何やってんだよお前はよ!くっそ、無駄に心配しちまったじゃねーか!」
こちらの声はわかるようなのだが、仔猫は困ったようにこちらを見下ろすだけだ。
ため息一つ。
窓枠に足を掛け、少し伸び上がって仔猫に手を伸ばす。片手で柔らかな猫を確保すると、猫は胸にかじりついてきた。その額を指二本でべし、と叩く。
「また変なトコ上ったりすんなよ。ほんっと、何やってんだよ全く・・・。」
うりゃ、と抱きしめると、首筋にざらりと舌が当たる。少し暖かくて、少しくすぐったかった。
よっぽど怖かったのか心細かったのか、珍しいくらい仔猫が絡み付いてくる。こちらの肩の上に首を載せて、べたりとくっついて、顔をこすり付けるようにしがみ付いて。
やれやれ、となでさすってやると、猫はさらにこちらにしがみ付いた。
わかりやすい奴だなどと思っていると、携帯が鳴る。この曲は静岡だ。そう認識した瞬間、携帯に勢いよく手が伸びた。バランスを崩した仔猫がずり、と腹の方に落ちる。しかし、気にしている余裕はなかった。
発光している携帯を操作し、メールを確認する。

Sub:猫飼ってる?
うちに猫来てるんだけど、もしかしてカナちゃんちの子?

珍しく写メ付きのメールには、灰色の毛並みのいい猫がこちらを見上げて写っていた。一見したところはロシアンブルーのようだ。血統書つきだろうか、とても高級感あふれている。
しかし、自分に覚えは全くなかった。というより、むしろこちらが聞きたい。すぐに返信画面を開く。・・・ついでに、ぱしゃりと仔猫を取ってみた。まあまあの出来だろうか、それをくっつけて返信メールを打つ。

Sub:飼ってねーよ。
俺のじゃねえ。そもそも飼ってねぇし。しずこそ猫飼ってたんじゃねーのか?うちに来てるぞ。

ぺし、と送信したところで、視線に気づいた。下の方から興味津々で見上げるその瞳は、手にある携帯を狙っていた。ゆれるストラップ・・・それと、さきほど明るく光ったフラッシュ。
「駄目だぞ。」
ストラップを手の中に隠し、猫から離して持つ。
「・・・にゃぁ・・・?」
つぶらな瞳で見上げられても、これは譲れない。片手で転がして白い腹をぐしゃぐしゃと撫でる。仔猫はくねくねと身をよじって、べたりと伸びた。首元にやった手を、仔猫の手が掴む。構わず撫でてやると、興味はそちらに移ったようだった。無力化完了。
しかし、メールへの返信は、なかなか返ってこない。
携帯を見ても、うんともすんとも言わない。特に受信し損なったという訳ではないらしいのだが。
首をかしげてアドレス帳を呼び出した。お馴染みの番号を呼び出して、携帯を耳に当てる。
「はいはいー?」
すぐに聞きなれた声の返答が返ってきた。



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