みかんを口に入れながら、こたつに入ったままの猫で遊ぶ。触った感じからすると、どうやらぐでっとコタツの中で伸びているようだ。力の抜けるだけ抜けた毛皮の感触が気持ちいい。試しにコタツの入り口を開けてみると、伸びた姿勢のままでびくりと身を震わせて、少し恨めしそうな目でこちらを見上げた。
寒いじゃねーか、と。なんとなく声は神奈川の声で再生される。
「はいはい、ごめんごめんってー。」
ぱたん、とコタツ布団を下ろすと、どうやらまた弛緩したのか、ぐでりと足元に毛皮が触れた。規則正しく膨らんだり縮んだり・・・どうやら寝るつもりらしい。ひたすらにマイペースである。
「えれえれ、だで。」
ふう、と息をつく。ついでにみかんをもうひとつ。
「おーい、しずー!」
手に取ったところで、玄関先から声がした。
「はいはいー。」
返事をしてコタツから出る。中の猫が不服そうににゃあと鳴くが、これはどうしようもない。
ばたばたという足音は、あちらからも聞えてきていた。案の定玄関に出る前に、籠と箱を下げた神奈川と行き会う。
「よくきたねぁー。」
「おう、きてやったぞ。」
こっち、土産だ。そう言って渡された箱からは少し甘い匂いが漂っていた。この重さからすればケーキだろうか。
「ありがとー。じゃあ、お茶入れるねえ。こないだ作ってみた紅茶試してみよー。」
自然、頬が緩んだ。
もう片方の籠からは、ごそごそと音がする。
「で、そっちが・・・駿州?」
自分の名を言うのが妙に照れくさい。が、神奈川はぶすくれた顔で、静岡の額を弾いた。
「だから違うっつーの。明らかに他人の猫なのに名前なんてつけねーよ。」
おらいくぞ。
勝手知ったるなんとやら。神奈川はずかずかと茶の間の方に歩いていく。静岡も肩をすくめてその後を追った。
「おい、出てきていいぞ。」
神奈川が籠をあけると、よたりと出てきたのはまだ小さな仔猫だった。写真で見たとおり、白基調の三毛。出てくると、見ている前でフルフルと身を震わせて思い切り伸びをする。そして、こちらを不思議そうに見上げた。可愛い。
「可愛いねぇ。女の子だったっけ?」
「ああ、そうみたいだな。」
おいでおいで、と抱き上げる。しかし、小さいその身体はくねりとくねって、そのままコタツの中に飛び込んでしまった。
「ありゃ。恥ずかしがりやさん?」
「俺はこんなに人懐っこくてずうずうしい猫見たことねーんだが。」
コタツの布団をめくってみると、中の先客と見詰め合っているのが目に入った。
「そいつがお前のとこに来てる奴か?」
「うん、そうだら。
ほーら、喧嘩は駄目だよ。」
声を掛けてみる。しかし、猫たちは喧嘩になるでもなく、すぐ二匹で丸くなった。
「・・・あったかいトコがいいんだねえ。」
「猫だからな。」
言いながら神奈川もコタツにもぐりこむ。その仕草が、なんとなくコタツの中の猫を思わせた。
お茶入れてくる、と座を立つ。ケーキ皿やポットを手に戻ってきてみると、猫二匹がこたつの外に出てきていた。神奈川はそんな猫を転がして遊んでいる。
「あら、出てきちゃった?」
カップを並べながら聞くと、ああ、と返事が返ってきた。
「この猫マジ毛並み綺麗だよなー。血統書ついてんじゃねえの?」
「なんだかわからないけど、そんな気はするねえ。」
お茶を注ぐ。綺麗な紅茶色がカップに満たされた。
「わからない、って・・・まあ仕方ないのか。こんなのどこで拾ってきたんだよ?」
「んー。家に帰ったらお出迎えされちゃったんだあ。」
はいどうぞ。そう言ってカップを渡す。
しかし、渡された先の神奈川は、呆れと驚きの混じった表情でこちらを見るだけだった。
「カナちゃん、どうした?」
「あ、ああ?・・・や、なんでもねえ。どっから入ってきたんだろうな。」
「わかんないねー。」
そうとしか言えない。コタツに足を伸ばして、神奈川がつれてきた仔猫を抱き上げる。
「ほい、よっこらしょっとー。んー、可愛いねえ。」
「なぁ。」
仔猫は、かし、と静岡の胸元にしがみ付いた。
「この子は何処で拾ってきたんだに?」
「・・・あー。」
それから、すこし間があった。
「・・・家帰ったら居たんだよ。」
「にゃあ。」
かしかし、と子猫は静岡に上ろうとする。
「ありゃ、うちと一緒だねぁ。・・・猫さん、どっから入ったんだに?」
肩に上りかけの子猫に話しかけても、ふるりとシッポを揺らすだけだ。
「そうかあ、知らないかあ。」
応じてその背中を撫でていると、神奈川がぎょっとしたように顔を上げた。
「わかんのか!?」
「ううんー、別に。そんな気がしただけだで、あんま気にしないで。」
ほれ、降りといで。
肩の上に立とうとする子猫を持って、膝の上におろす。子猫はまたくねりとくねって、今度は神奈川のところで転がっている猫のほうに行った。グレーの毛並みをつやつやとさせて、猫が起き上がる。そして、くんくんと匂いを嗅いで、こつんと子猫を鼻でつついた。子猫は首をかしげてつつき返す。
見た目にとても可愛らしい。
「・・・仲良くなったのかね。」
「・・・そうかもな。迷子だってのに気楽な奴。」
「んだねえ。・・・わぁ、美味しそうー!」
ケーキ箱を開けると、洒落たケーキが二つ並んでいた。ひょいひょいと取り分ける手は軽い。
「ありがとーねぇ、カナちゃん」
「別に、他人の家に行く時は土産の一つも持ってくもんだからな。」
ぷい、とそっぽを向く姿がおかしくて、なんだか楽しかった。
「そうだねぇ、こうやってケーキ買ってきてくれたの、何年ぶりだっけー。」
「あのな!」
噛み付いてくるのだって、もう何年も何百年も変わっていない。
「あははは、ごめんごめん。いただきまーす。」
ケーキのせいか猫のせいか、心がふわふわと軽かった。
「おいしいねえ。」
「当たり前だ。元町で買ってきたんだからな。」
「わ、豪勢だぁ・・・よかったの?」
「いいんだよ。数年ぶりなんだろ?」
「まぁた根に持ってー。」
まあ、神奈川らしいといえば神奈川らしい。
一切れ、また一切れと口に運んでいると、でん、とひざに重みが乗った。灰色の猫がこちらを見上げる。
「なあに、ケーキ食べたいのかに?でも駄目だで。」
ほいほい、と空いた手で猫の背を撫でると、猫はぐでりとしがみ付いてきた。くっつかせろと言っている、らしい。
「まーったく、仕方ない甘えん坊だあ。」
思い切り抱きしめると、ざらりと舌が首筋に当たった。
「・・・しず、すっげーデレデレしてる。」
「だって、こうやって甘えてくるとことか可愛くって。」
ねえ。そう言って顔を寄せる。ぺろり、と舌が顔を舐めた。また、ぎゅうと抱きしめる。滑らかな毛皮が気持ちよい。
「それにしたって・・・っと。なんだ、お前もくっつきに来たのか?」
猫を抱いたまま神奈川の方を見ると、子猫が神奈川をよじ登っていた。神奈川は子猫をひょいと抱き上げて胸に抱く。その表情は、驚くほど柔らかい。
そこから伸び上がった子猫がぺろ、と神奈川の頬を舐めた。
「・・・カナちゃんもばっかデレデレしてるだに。」
可笑しい様な、微笑ましいような・・・それでも何かこう引っかかるような。
「そうか?」
神奈川は怪訝そうに聞き返す。
「うんー。すっかり懐いちゃったんだねぁ。」
「しずんとこも、相当懐いてるじゃねぇか。」
「最初っからこんな感じだに。ばっか人懐こくって。」
ねえ。そう猫にいうと、にゃぁと応えられた。自覚があるのかもしれない、とふと思う。
「迷子なのにいいのかよ。」
「お互い様だで。それに、せめてうちに居る間はもてなしてやろーって思ったんだー。」
猫がお行儀よく膝の上にうずくまる。
「離れられなくなるんじゃねぇか?」
「うん、そうかも。でも、お互い様だに?」
にゃぁ、と少し高い声が鳴いた。
「・・・まあな。」
返ってきた言葉は一言だけだった。
ケーキを食べて、お茶を飲んで、少しお菓子をつまんだり。テレビをつけてみたり、コタツでぬくぬくとお互いの近況を話したり。忙しかったね、と笑うと、今も忙しいけどな、と肩を竦められてしまった。ただ、その態度になぜだか知らないがホッとする。
それは、ぐだぐだ・・・のんびりした、よくある二人の時間だった。ただ、一ヶ月ぶりだったりする事と、お互い片手に猫を抱えている事が、いつもと違う。
二匹の猫は、お互いの境遇に共感したのか、何も考えていないのか、たまたま近くにいたからなのか、すっかり仲良くなっていた。二匹でごろごろしている姿はなんともほっとする。その二匹にじゃれついて、ごろごろしているのが二匹と一人になり、二匹と二人になった。
「お行儀悪いよー。」
「お前に言われたくねーよ。」
引っ張りあって、笑いあう。
転がってしまうと時間がたつのは早い。ふと気がついて外を見れば、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
「早いねー。」
「・・・帰らねぇとな。」
潜りかかっていた神奈川が、もぞもぞとコタツから這い出す。
「そうだねえ。またおいでー。」
「おう。・・・ほら、帰るぞ。」
神奈川が子猫に手を伸ばす。子猫は眠たげに鳴いて、また丸くなった。
「コタツがいいんだねぇ。うちと一緒だー。」
「・・・俺だってコタツのほうがいい。」
「カナちゃんまで猫さんみたいだら。よっこいせ、と。」
眠たげな灰色猫を抱く。神奈川もため息をついて子猫を抱き上げた。
冷えた廊下が、時間の終わりを感じさせる。
「じゃ、またな。」
「ん、またねー。」
玄関先で手を振る。少し見送って、そして背を向ける。
・・・はずだった。
「おわ!?」
胸に抱いた猫たちが暴れる。
「わわ、どしたの!?」
驚いて力が緩んだ。その瞬間。
猫が、空を駆けた。
灰色の猫は神奈川の方へ。三毛の子猫はこちらへ飛ぶ。
「!?」
そして、何がなんだかわからないうちに、ぽす、と子猫が胸に収まった。
「何、どうした。」
びっくりして子猫を抱きとめる。見ている前で猫が薄く光に包まれた。目の錯覚かと瞬きする。
「おいおい、何だってんだよ。お前しずんとこに居るんだろ。」
そう言ってこちらを見た神奈川も固まった。あちらを見てみると、やはり灰色の猫が燐光に包まれている。
「カナちゃん、その猫」
「しずの猫、」
声が同時に発せられて、二人で固まった。この光景は間違っていない。
「ええ!?」
「何だ!?」
光っているのだ、猫が。
「ど、どどどどうしよう!?」
「何でこうなったんだよ!?」
あわあわしている自分たちにお構いなく、猫はふわりと光る。
そして、やがて自分たちに溶けるように、消えた。
腕の上の暖かさも重さも、気がつけば何もない。冷たい空気だけがそこにある。
「・・・え、嘘だに・・・」
消えた。
「・・・おい、マジかよ・・・」
消えてしまったのだ。
「・・・いねえな。」
「・・・いないね・・・なんで・・・。」
唖然は呆然に代わり、満ちてくるのは喪失感。
付き合いは一週間だけだった。別れるのもわかっていた。それでも、こんな別れは流石に想像できなかった。
ぼろ、と涙がこぼれて、視界が曇った。慌てて眼鏡を外す。
「しず、大丈夫か?」
目をこすっていると、上から声が降ってきた。
「ん、びっくりしただけだに。」
見上げた神奈川の表情も、崩れかけだった。自分よりよっぽど寂しがりやなのだ、きっと自分より堪えている。
「大丈夫だよ、カナちゃん。」
少し背伸びして肩を叩いた。もっと背が高ければ、頭を撫でてやる事だって出来るのだが。こういう時は自分の低身長が恨めしい。
「大丈夫。猫さんもきっと幸せだったから。」
「・・・ああ。そうだな。」
なんで消えてしまったのかはわからない。それでも、記憶は残る。
鈴の玩具にじゃれ付いたり。起きない神奈川を起こしてみたり。高いところに上って降りられなくなったり。
そこまで思い出して、気がついた。これは自分の記憶ではない。
「・・・菓子入れてる棚に、一緒に猫缶置いてたのか?」
「え!?」
唐突な質問にぎょっとした。
「何で知ってるんだに?うち、今日見せてないよね?」
「あ、あぁ。そうなんだけどよ。」
神奈川は曖昧に頷くだけだ。
記憶に引っかかることをついでに聞いてみる。
「あのさ、カナちゃん、鈴の玩具なんて持ってたっけ?」
こぶし大に丸まった輪に、ちりりと音のする毛玉。見たことがないのにはっきりとわかる。
「なんで知ってんだよ!?」
つい最近、それで遊んだ。その記憶は幸せで暖かかった。でも、どうやったって自分の記憶ではない。
「・・・なんか、そんな記憶があるんだに。全然覚えはないんだけんど。」
他の記憶も。なぜか、大体神奈川と一緒で、くっついていて。やたら安心したような、そんな記憶。
「猫ちゃんの記憶が混じったのかな。」
直感が示した結論は、荒唐無稽だった。
「そんなわけねぇだろ、何言ってんだ。」
そんなことあるわけねえじゃん。
全くである。
「でも。猫缶のことはうちじゃなかったらあの灰色猫さんしか知らないよ。」
「・・・でも、ありえねぇじゃん。」
声が弱い。正論を言っているはずの神奈川も、どうやら自信はないらしい。
「鈴の玩具だって、子猫さんとカナちゃんしか知らないんじゃないかに?」
沈黙が落ちた。
荒唐無稽な結論だ。しかしこれが、どうやら正しいようだった。
「・・・でもよ、わかんねぇよ。なんか、あとはしずにくっついてる記憶しかねぇし。」
「そりゃぁ・・・。あの猫さん、始終うちにくっついてたもんでー・・・」
にゃぁ、と。傍若無人に構えとくっついてくるあの猫は、もう居ない。
死んだとかそういうわけではない。想像が正しいならば、きっと神奈川に記憶だって残っているだろう。もしかしたら、神奈川の一部分だったのかもしれないとさえ思える。
それでも。・・・また、眼鏡が曇ってしまった。
眼鏡を外して目をこする。頭の上にどんと手が載った。神奈川だ。
「寒ぃし、家入ろうぜ。寂しいなら一緒に居てやるよ。」
思わずその胸にしがみ付いた。いつもなら殴る台詞なのに、涙があふれた。
暖かな部屋で暖かいお茶を一杯。それでやっと、少しだけ落ち着いた。
「なんかカナちゃんに遊んでもらったみたいな記憶があるよー。」
あとは、くっついていた記憶。思い切り抱きしめられたような記憶。この一週間、本当に近くにいたらしい。そして、びっくりするほど可愛がられていたらしい。
「猫さん、幸せだったんだ。」
少しだけ、子猫がうらやましかった。
「もしこの記憶があの猫のもんなら、俺はあいつがうらやましいぜ。」
考えていた事が別の口から出てきて、顔を上げる。
「しずは俺にはもっと冷たいじゃん。」
「そーかに?」
「そーだよ。」
大体お前な、と始まる文句を素直に頷きながら聞き流す。それはとても日常茶飯事な事で、なんだか現実に戻ってきたようだ。
もうあの不思議な居候は居ない。暖かな毛皮の猫ははどこかに消えてしまった。
「あいつはなー・・・おい、しず、聞いてんのか?」
それでも、幸せな記憶は残る。子猫が持ってきた記憶は安心感に満ちていたし、なんだかんだで優しい隣県も傍にいる。
「聞いてる聞いてる。」
夜は、こんなに暖かい。
あの二人の「年相応」ってわからないです。毎度カナちゃんが愚痴言いに行くだけかと思えば、たまにしずちゃんがカナちゃんに泣きついてたりして。でも、そういう一方的じゃないあたりが可愛いです。