そして数日後。
「ほい、播磨、生きとる?」
部屋の外から丹波の声がして、蒲団の上で播磨はげんなりとため息をついた。
「あー、もうよお解らんわ。」
「まあ口は動くみたいやな。」
言いながら、丹波が部屋に入ってくる。手に持ったお盆には、食べ物と薬が無造作に置かれていた。本日のメニューはごはんに味噌汁に煮物とシラスという、まあ通常営業の質素なものである。
「俺、この作りやから治りはそこそこ早いと思うねんけど、いつまでこうなんやろ。」
「まあ、名誉の負傷やろ?諦めや、今は休むしかあらへん。」
起こすでー、と丹波は若干手荒に身体を起こしに来る。
「痛いって!」
怒鳴った瞬間痛みが走った。慌てて声を落とす。
「ちったぁ丁寧にせえや……!名誉の負傷やろ!?」
「自分で言ってりゃ世話ないわ。
ちゅうか、名誉の負傷にしちゃどう考えたって酷すぎやで。
肩から脚から何箇所骨折ったと思っとんねん、全治3ヶ月は堅いで?」
丹波の言葉は、怪我人に向けるにしては非常に冷たかった。
「怪我の仕方くらいもうちっと考えや、このダボ。手と内臓が無事なんがほとんど奇跡とか、その時点でおかしいやろ。」
そんな言葉と共に、起こした上体に手際よくクッションが添えられる。
「神戸がほとんど無傷なのも奇跡やったけどな。」
そこは褒めたる。丹波はそう言って食事の準備にかかった。
「これで神戸が大怪我しとったら、俺怪我した甲斐無いやんけ。」
動かせない方の手には椀、何とか動く方の手に箸が渡される。
「痛み止めは?」
「今はええ。」
色々やりにくいが仕方ない。いただきます、とさっさと食事に掛かることにした。傍に置いた煮物は椎茸に里芋ににんじんに山菜まで添えて、さすが丹波作の美味しさと美しさだ。飯と交互に口に運んでいると、丹波は、そうそう、と口を開く。
「淡路が車椅子持って来るって言ってたで。徳島のとこから融通してもらうって。」
「ほーか。」
「神戸も仕事終わったら見に来るって。
あんまり無理させるな、って主治医からのお達しや。」
「無理しようにも無理できへんわ。」
そう言って息をついた。播磨の治療に当たっているのは神戸だ。整形外科なら任せろと言うから任せていたのだが、テーピング他若干過保護気味な上、一々申し訳ないという気持ちが前面に現れていてやりにくくて仕方ない。
「……神戸の奴、まーだうじうじしとるんか?」
「仕事行く時はそこそこ普通の顔しとるけど、まだまだやなー。 まあ、治ったらきっと神戸も元に戻るで。さっさと治せ。」
「へいへい。」
言いながら、ずずっと味噌汁を啜る。具がほとんど入っていないのは、片手で食べる為の気遣いだろうか。とても物寂しいのだが。
「そういえば但馬は?」
飲みかけの味噌汁を渡すと、シラスが返って来る。
「蔵の片付けや。派手に崩れとったさかい、しばらく掛かるで。あてもこれ終わったら行くで、さっさと食え。」
「注文の多いやっちゃなあ。」
もそもそと口に運びながら言うと、丹波は当然やと息をついた。しかしその表情はすぐに、によりと嫌な微笑みに変わる。
「まあ、今回播磨は偉かったと思うで?神戸ちゃぁんと庇って、怪我しても怒りもせんと。成長したなあ、あんちゃん?」
「やっかましいわ!」
からかうような声に怒鳴った瞬間、またぞろ痛みが走った。身体を折るにも折れず、思わず身を抱える。
「無理したらあかん、て神戸が言ってたで?」
くすくすと笑いながら、丹波が空の皿を引き取った。
「誰のせいや誰の……!!」
「まあ、そんなカリカリすんなや。偉かったって褒めとるんやさかい。」
残りの味噌汁が前に出てくる。
「ほんま、おおきにな。」
神戸を守ってくれて。そう、言外の言葉も聞えたような気がした。
声がそこそこ本気だったので、大人しく味噌汁を受け取る事にする。
百年以上をそうして過ごしてきて、気付けば心にある基本事項だ。
「どういたしまして、なんけ?この場合。」
自分だけではない。丹波や但馬だってそんなものだろう。成長と言うべきか、退化と言うのか、変化と言うか。それは、多分誰にもわからない。
「せやろなあ。けど、播磨に言われてもなあ。」
「いっちいち引っかかる奴じゃな。」
ずず、と味噌汁を飲み干す。
「ごちそうさん。」
「はいはい。」
ほい、と椀を渡すと、丹波はよいせ、とお盆の上に重ねた。
空になった手に目を落とす。
神戸を守る。それは多分三人の共通事項だ。普段はバラバラで行動しているが、なんとなく立ててしまうのも百年越しの同居生活がさせる事だろう。
けれど。
あの時握った手の感触を覚えている。無事を伝える、暖かくて柔らかい手。そして、自分は多分何かを感じたのだ。
守れた事への満足感や達成感、誇らしさ……そんな解りやすいものではない。不自由ながらも日常に戻れば薄れてわからなくなる類の何か。
「何ぼーっとしとんのや。薬飲む?」
丹波の声で我に返った。
「あー、うん。もらう。」
解らない事を考えても仕方ない。
差し出された錠剤を口の中に放り込む。
そして、水と一緒に考え事も腹の中に飲み下したのだった。
夕方になると、片付けに行っていた但馬たちや仕事に出ていた神戸も戻り、家はにぎやかになってくる。
ただ、動けない播磨に気を遣ってか、ここ最近は皆で播磨の部屋で夕飯を取るような事も増えていた。ちょっとした広さのある部屋は、気がつけばこちらの意思を他所に茶の間の代わりを果たしているらしい。
「せや、これ、今日の収穫やで。」
よっこいせ、と但馬が運んできていたのは、見覚えのある箱と派手な着物だった。思わず目を見開く。
「あ……」
神戸の声がかすれた。
それは、箪笥が倒れてきた時、神戸が持っていた着物。
そして、倒れてきた時に放り出した、あの煙草の箱だった。
「……なんや、よお発掘してきたなあ。」
……どうせまた、責任だのなんだの面倒な事を考えているのだろう。その声は放って但馬の方に顔を向ける。
「播磨らが閉じ込められてた辺に放り出してあったんや。何か用事あったんかと思ったけど。」
「ああ、ありがとな。その煙草道具は出しとこ思うてなー。中身無事かえ?」
「うん、多分な。」
ほら、と渡された煙草の箱の中身を確認する。あの時盛大に放り出した割に、中身は無事なようでほっと息をつく。
「よかったわ。なくしたもんと思ってたから。」
ぱかん、と箱を閉めて顔を上げると、派手な着物も目に入った。
そういえば、これを持っていた神戸が前の持ち主とダブったのを思い出す。表の顔と裏の顔のギャップというのか、派手な格好に反した聡明さと、見た目の裏側で地味に頑張っているところなど、そういえば似ていなくもない気がした。
ただ、あの女にとってこの服はいわば戦闘服で、こんなに無邪気にはしゃいだりはできなかっただろうが。
「神戸、その着物が気になってたんか?」
しゅん、と落ちた沈黙。そして少しして、申し訳なさそうな声が返って来た。
「うん。……うち、それ見てはしゃいでしもうて……」
「はいはい、そりゃもうどうでもええって。はしゃぐのも解らんでもないわ。」
えらい豪勢やもんな、とだけ言うと、ほんまになあ、と丹波も淡路も頷く。
「播磨のなんかえ?」
「アホ、俺がこんなん着るかいな。」
あれから長い事経ったし、自分も放置していたし、なくなったのだと思っていた。
まさか自分の私物の中に紛れ込んでいたとは。世の中何があるかわからないもので、なんだか感慨深い。
「悪いけど、虫干しでもしてわかるところに仕舞っててくれへん?折角出てきたし。」
ついでに、心当たりに連絡もしておこう。そんな事を考えていると、丹波がほいほいと頷いた。
「ほんならあっちの部屋に少し飾っとこか。後で衣文掛け持って来るわ。」
「……ああ。悪いなあ。」
「かまへんで。こういういい仕事してるのは、ちゃんと綺麗にしとかなあかん。」
せやな、と満場が一致する。
しかし、その中で神戸だけが、複雑そうな表情で曖昧に頷いていたのだった。