蔵の中には所狭しと物が詰みあがっていた。
意外に整頓されてはいるものの、密度は高い。脚立片手にすたすたと歩いていく後ろで、神戸が辺りを見回す。
「結構あるんやね。」
「そりゃな。……で、大体あの辺にあるはずや。」
衣装箱やら箪笥やらが詰みあがった区画。その真ん中辺りを指差して、息をつく。
「へえ。結構な発掘調査になりそうやね。」
「ほんまにやる気け?」
聞きはするものの、神戸に撤回する気はないらしい。
「うちに二言は無いって。ほら、やるで。うちも手伝うから。」
「へいへい。」
仕方ない。そうさっくり諦めて、播磨は脚立を持ち直した。
蔵の中には古くからの名品が埋まっている。そんな話になったのは他愛もない事からだった。確か、昼のテレビの再放送を見ながら、ああ、これ俺持ってたわーとか何とか自分が言ったのがそもそもの始まりである。
嘘だ本当だに始まり、もしもあるのなら見せてみろだのなんだの小学生レベルの言い合いの末、……二人はここに居た。
他の三人はといえば、当然ながら、物好きな奴らやな、と家からどころか部屋からすら出てきていない。
とはいえ、蔵に入ってなんとなく感じた懐かしさと、ここまで来てしまったのだからという半端な諦めのせいか、播磨としてももう逃げる気はなかった。久々のお宝との対面を楽しむか、と腹をくくったところである。
「一応刀や、気ぃつけなあかんで。」
言いながら脚立をどんと置く。
「わかっとう。」
神戸もそう言って頷いた。
脚立を上った先には、衣装箱が積み重なっていた。
目当てのものは刀だ。流石に上には置いていない。衣装箱と箪笥の上を渡り、刀の入りそうな箪笥を探す。ぱっと見で刀箪笥が判るような能力は、流石に百年余りで薄れきっていたので、ほとんど勘だ。
ひとまずここぞという箪笥に目をつけ、着地できそうな場所を探して飛び降りる。
「播磨ー、どこー?」
遅れて上ってきた神戸の声が上から降ってきた。
「こっちやー。気ぃつけて降りて来ー。」
声を掛けると、神戸が此方によたよたと歩いてくる。箱と箪笥が揺らいで危なっかしいことこの上ない。
「アホ!危ないやろ、そーっと来んかい、そーっと!」
慌てて声を掛けると、神戸はひょいっと肩をすくめた。
「はーい。
播磨、この辺の箱、何が入っとうか知っとう?」
言いながら、神戸は無造作に積み重なった衣装箱を開けに掛かる。
「んー……開けんとわからへんけど、何か着物やないけ?」
「え、着物なん?」
神戸の声が俄然明るくなって、おや、と思った。お洒落好きは知っていたが、着物にまでこの反応をするのは予想外である。
「着物好きやったんけ?」
着物を着ていた時代の神戸はあまり知らないが、まあ貧相だった事は確かで、さして頓着するようにも見えなかったのだ。
「当たり前やろ。綺麗な着物ってだけで十分憧れるやん。
……そりゃ洋服ほど詳しくはわからへんし、京都達ほど拘ってもおらへんけど。」
「へえ、そんなもんけえ……」
口と同時に手も動いていたらしい。ガタン、と衣装箱の蓋が開いた。
「ああ、ほんまに着物みたいやなー。へえ、綺麗。」
箱の中の包みをとっかえひっかえしながら、神戸は着物の物色を始める。
「あんまり散らかすなや。片付けるのめんどい。」
上に声だけ掛けて、自分も探し物を再開することにした。わかっとう、などと上の空の声が降っては来たが、まあ長くなるのは目に見えている。
がたん、と手近な箪笥に手を掛けた。まずは上からだ。刀は多分一番下に入れたとは思うが、何が入っているのか確かめたくなったのだ。上ではしゃいでいる神戸の影響かもしれない。
出てきたのは細々した細帯、根付などの小物類だった。覚えはあるし、以前身につけていたものもある。今では用事がないものだが、こうやって見ると懐かしい。
二段目、三段目と開ければ、薬入れやら目貫やらと一緒に、とうの昔に失くしたと思っていた煙草のセットまで出てきた。煙草と言っても紙巻ではなく、昔なつかしの煙管である。
「……こんなとこにあったんやなあ。」
吸わなくなって結構立つ。もう味も覚えていないが、郷愁を誘う一品だ。煙草入れを開けてみれば、まだ少し煙草は残っている。
ふむ、と頷いて、セットごと確保した。
四段目、五段目、六段目は布物が続き、一番下は昔作った金物の類が箱に詰まっている。どうやらこの箪笥は外れらしい。
ガタガタと音のなる引き出しをなんとか押し込もうとしたときだった。
「……わあ、これ凄い!」
上からひときわ大きく歓声が上がった。
「何があったんや?」
声を掛けると、別の箪笥の上に居た神戸がこちらを振り向く。
「播磨、なんでこんな豪華な着物持っとうのー!?」
しかし下からのこと、流石によく見えない。
「どんなんや。」
「これやこれ!」
ほら、と着物を取り上げ、此方に向かってくる。ようやく見えた着物は、赤の地に所狭しと色とりどりの刺繍が施された女物だった。古いものなのに、絢爛な金糸の色は少々離れた此方に居ても艶やかに映える。
見た瞬間思い出したのは、色街の香。長い煙管と艶やかな紅の色。豪奢に飾ったその姿は、なぜか着物を持つ神戸と重なって見えた。
『……ここに、昔のわっちを置いていきましょう。』
抜けきれなかった……いや、抜かなかった、郭の言葉。
そうだ。自分はその着物を……着ていた女を、覚えていた。
気高く、その実聡明で貞淑で。あの殿の行状はともかく趣味は間違ってないと内心感心してしまった、そんな女性。
「……こんなところにあったんか……。」
思わず口をついてでた言葉はどうやら上には聞き取れなかったらしい。
「え、何。何か知っとうの?」
着物を片手に神戸が此方に身を乗り出す。
その瞬間、みしり、という音と共に箪笥がこちらに向かって傾いだ。
時間が遅回しになったようだった。不安定になった足場で神戸の目が見開かれたのも、上にあった衣装箱が雪崩のようにこちらに向かってきたのも、全部見えたのだから。
「神戸!!!」
足元を蹴飛ばし、声と共に手を伸ばす。神戸が上から落ちてくる。受け止めた、と思った瞬間、背後からの衝撃で世界が暗転した。
「……播磨!!播磨ぁっ!」
闇の中で声がする。眠たいのに、その声はこちらの意識を引き寄せて離そうとしない。眠いこの身には果て無く迷惑だ。
「ねえ、播磨ってば!!」
「やっ……かましい……」
寝言のように呟いて、意識を放り出しにかかる。
「返事してやっ……!お願いやから!ねえ、播磨!播磨っ!」
しかし、ヒステリックな声には覚えがあった。
神戸だ。声に涙が混じっている、と気付いた瞬間、睡眠欲はどこかに消えうせた。
「……何で泣くんや。」
目蓋を無理やり開く。
暗い視界で、今までの記憶もなんとなく戻ってきた。
「うっ……くぁっ……!」
同時に身体全体を激痛が襲う。
思わず抱えていた何かに思い切りしがみ付いた。それだけでさらに痛みが走って気が遠くなる。
「播磨!?気がついたん!?」
声は腕の中から聞えた。目を向けると、暗く神戸の顔が見える。
「ごめんな、本当に、ごめん……!」
どうやら無事らしい。
「神戸……か?無事やったか。」
「アホ、うちの心配の前に自分の心配せえや!」
泣きそうな声にいよいよ意識がはっきりしてきた。状況もなんとなく見えてくる。
どうやら身体は勝手に動いていたらしい。神戸を半ば覆いかぶさるような格好で抱えて箪笥の下敷きになっている、というのが現在の状況である。自分が潰れるほどの重みではないのが幸いだったが、身体の痛みはこのせいだろう。首が上手く動かないが、上から落ちてきていた衣装箱のせいか、あたりは目を開いても暗かった。そして、とりあえず全身痛くて気が遠くなりそうだ。
「俺は、大丈夫や。悪い、重かったやろ。怪我は?」
下敷きにしていると言うほどでもないのだが、ひとまず神戸を避難させようと、悲鳴を上げる身体をずらす。
「そんなん、どうでもええん!!」
しかし、返ってきたのは、ヒステリックかつ全身に響く声だった。
「いっくら呼んでも返事せえへんし!……死んだかって……っ……!!」
声は本格的に泣き声に変わる。こんな事で泣くような育て方はしなかったはずなのだが。
ひとまず宥めなくてはと、まずそちらに意識が向いた。
「あほ、そんなんで泣くな。大体俺がこんなんでくたばるかい。」
せやろ、と、手の届く範囲にあった神戸の頭を撫でる。
「間抜けにもほどがあるやんけ。」
「せやけどっ……返事、せえへんし……暗いしっ……重いし、……怖いし……!」
嗚咽は止まらない。細い手が着ていた服を掴み、声と涙を染ませた。服から伝わってくる震えからすると、半ばパニックになっているらしい。
……無理もないか、と心中で息をつく。
「泣くな。大丈夫やって。」
神戸の身体に回していた腕に力を入れると、またぞろ激痛が顔を出した。それを堪えて、もう一度頭を撫でる。
「俺もお前も生きとるやんけ。ほら、今から脱出せなあかんやろ、泣き止み。」
ゆっくりと頭を撫でているうちに、しゃくりあげる声が弱まって、腕の中でこくりと頷く感触がした。
「よし、それでええ。」
そこまで確認して、抱きしめていた腕を緩める。
「とりあえずここから出れるか?」
言うと神戸は、やってみる、と前の方に向かって進み始めた。
しかし、それは半身も進まぬうちに止まる。
「あかん、前の方箱だらけや。」
前方から聞えてきた報告はあまり芳しいものではない。
「……片手でなんとかならへんか?」
声を掛けるが、神戸は手を伸ばしたり上げようとしたりした後、結局首を振った。
「無理や。」
「ほうけ……。」
「播磨、出てこられへん?」
うち、少しなら支えてられるで、と神戸は身体を横にする。
「やってみるけど……」
多分無理だ、とは直観的に思った。身体がまともに動く気がしないし、足の上に何か載っている気がしてならない。しかし、やってみなくては解らないという言葉もある。
「くっ……ぅ……。」
前に進もうとすると、痛みに思わず声が出た。認識できる範囲は片側の肩と足、背と胸。どんな怪我をしたのか今ひとつ見当がつかないが、多分に打ち身だけではないのは確かだ。
何とか動く腕のみで前に進もうとすると、案の定足の上に乗った何かが邪魔をした。ひやりとした感触は、何か金属のものだろう。蹴飛ばしてやりたかったが、痛みも相まって上手く動かない。
「……あかん、ダメや。」
「ひっぱったるから。」
前に出していた腕をぐいとつかまれる。
「うぐぁっ!!!」
引っ張られた瞬間、今度こ頭が真っ白になりそうなほどの激痛が襲った。無我夢中で手を振り払う。
「ごめん!」
すぐ手は離れてくれた。
「べっちょない?」
「…………死ぬかと思うたわ……。」
ぐったりと力を抜くと、上に載った箪笥が潰しに掛かってくる。神戸が少し支えてくれているようだが、これはもう、自力で何とかするより助けを呼んだほうが早い。
しかし、自分の携帯はポケットの中だ。この体勢から引っ張り出すのは厳しかった。
「神戸、携帯あるけ?」
「あ……!うん!」
幸いだった。これでなんとかなるだろう。
少しすると神戸が携帯を引っ張り出したらしい。開いた携帯のバックライトが明るく見えた。
「とりあえず家に掛けてみるな。」
「ああ。」
ぴぴ、と神戸が携帯を操作する。しかし、そこそこ待ったはずなのに返事はないらしい。
「あかん、誰も出えへん……」
焦ったように携帯が揺れる。
「丹波か但馬の携帯とかどうや?」
「うん。今やっとう。」
プルルルル、と素っ気無い呼び出し音は、聞えるはずがないのにこちらまで聞えてくるような心地だ。
しかし。
やがてかすかに声が返って来たらしい。神戸が携帯を慌てて耳に当てる。
「丹波!?よかった繋がった……!」
思わず胸をなでおろした。
「蔵ん中で閉じ込められてん!播磨が箪笥の下敷きなっとって……うん、多分。喋れるけど……いや、それは無理や。
……うん、ありがとう、はよお願い。」
ぷち、と携帯を切り、神戸が息をつく。
「但馬も一緒やって。こっち来てたとこやったから、すぐ着くって。」
「そうか。……やれやれやな。」
一気に力が抜けた。
「うん、よかった。」
声を聞きながら、また息をつく。
そして辺りは静かになった……と思ったとたんに神戸が口を開いた。
「ごめんな、播磨。本当にごめん……うちのせいで。」
同居したての頃を思い出す出来の、心細げな声。
「何今更しおらしい事言っとんのや。起こった事はしゃぁないで。」
この声には、正直言って昔からなんとなく弱かった。どうやっても強く出れなくなるのだ。……それに今回は別に強く出る必要もない。
「別に全部神戸のせいってわけやない。蔵に入るのも嫌やったわけやあらへんし。」
今感じる痛みの原因は、二割は不注意かもしれない。しかし残り八割は単なる不運だ。
「けど。」
「もうええって。
それより神戸は?さっきから俺の心配ばっかりしよるけど、怪我は無いんけ?」
神戸はまだ何か言いかけたようだったが、結局素直に返事をした。
「うん、大丈夫。身体、ちゃんと動くし。」
「ほんまかいな。」
無理しているのではないかと思ったのだが、神戸は、きっぱり否定する。
「ほんまや。……ほら。」
声と共に、暗い空間に白い手が伸びてきた。その手は握ったり開いたり、狐までつくって見せる。どこまでやせ我慢しているのかはわからないが、元気と余裕はあるらしい。
「……そうか。」
手の届く範囲までのびてきた手に、なんとなく自分の手を重ねる。手は少しだけ暖かくて、柔らかかった。その感触は、確かに神戸の無事を伝えている。
「ほんならよかった。」
ぎゅ、と握る。
「……うん。」
手は一度驚いたように固まって、おずおずと握り返してくる。
「播磨が庇ってくれたからやで。……ありがとうな。」
神戸から向けられるにしてはあまりに素直な礼が、果て無く照れくさかった。
「あほ、そんなん当たり前のことや。」
慌てて返した言葉も何か口を滑らせたようで居心地が悪い。
「神戸からそんな素直に礼いわれるなんて、槍が降りそうやな。」
「……あほ。こないな時までそんなん言わんでええわ……!」
言葉とは裏腹に、手を握る力は強くなる。
「おーい!!神戸、播磨、どこや?!」
「居ったら返事せえやあ!」
静かな蔵に、丹波たちの声が響いたのはその時だった。