ぱちり、と石が置かれた。しかし、手にはいつものキレがない。
「今日は、調子悪ぃだか?」
鳥取は、そういいながら但馬を見上げた。縁側の碁盤に、白の石が一つ増える。
「せやなあ、気が散っとるかもしれへん。」
ぱちり。黒の石も一つ増えた。
「また、兵庫で何かあっただかいや?」
「そうなんや。同居もなかなか大変でなあ。」
白い石と黒い石は交互に一つずつ増えていく。
「僕と同居しよっても、同じやっただらぁか。」
「いや、もっと平和やったと思う。……うち、神戸が居るしけぇなあ。」
言いながら、但馬はぱちりと石を置く。
「あいつを成長させなあかんけえ。」
「でも、但馬さん、いつもは楽しそうにしとる。」
盤面に白石を置く。
「せやなあ、楽しいちゅうたらそうかもしれへんな。」
ぱち、ぱち。定石どおりの盤面は進みも速い。
「なんせ、俺と播磨と丹波と、ちいっと前までいがみあってたんやで?だのに、今はああやって一緒に暮らしとる。多少揉めてもなんとかなっとる。」
ぱち、と石を置き、但馬は息をついた。
「不思議なもんだが。」
「せやなあ。」
少し考えて、鳥取も石を置く。ぱちり、と置いた石を見つめ、但馬がかすかに唸った。
やがて、ふ、と息をついて、新しく石を置く。
「神戸が居るからやろな。あいつの成長見とるのが楽しいんや。多分播磨も丹波もな。」
神戸に対する想いは、良い方にも悪い方にも他二人と共通するものがあるのだと、但馬は微笑む。
「だから、一緒に暮らしとってもなんとかうまくやってけてるんやろ。」
「なるほど。」
応じてぱちりと石を置いた。
「但馬さんらは、神戸さんをえらい好いとるんだなあ。」
「せやな。……妹ってのも悪ないなって最近思い始めたとこだで。」
ぱちり。但馬も石を置く。
「……あ。」
しかし、石は、想いの外に置かれていた。
「待った、するかや?」
石を見、但馬を見上げる。
「……いや、ええわ。巻き返し狙ってみるで。」
「そうかえ。」
ぱちり。また石を置く。
ぱちり、ぱちり。風の音と石を置く音が続き、やがて、但馬がぼんやりと口を開いた。
「神戸な、……きっともっともっと大きくなるんやで。」
「……だらあなあ。神戸さん、急速に発展しとんなるけえ。」
「せや。……俺ら追い越すのも近い。」
但馬が言っているのは単純な街の規模、ではない。
街の規模や雰囲気、風土に左右される、自分達の見た目の事である。商売上の理由や、あえてその姿を選んでいるという事情のある者も居るが、大方は時期によって変動はあるとはいえ、素の自分に一番近い姿をしていた。
たとえば、自分の姿は幼い少年の姿だ。永い時を生き、街も精神もある程度の発展は遂げたが、それでもまだ近隣国の昔を思い出させるほどに引っ込み思案な性格が、どうやら自分の姿をそう留めているらしい。
但馬の姿は体格のいい青年の姿。同じ兵庫の播磨も同じくらいの青年の姿だ。昔は色々やっていたので、生来の性格と合わせて納得の姿ではある。また、兵庫の中でも京都に近い丹波は、京都本人に近い、少し若い青年の姿をしていた。
神戸は、明治の初めに見たときは、まだ少女の格好をしていたが、一番最近見たときには娘程度に大きくなっていたはずだ。
そこまで思い出して、ふと気づいた。
「……神戸さん、今は、丹波さんと同じくれぇかえ。」
言うと、但馬は苦く笑った。
「いんや。実は神戸のがとちいっと上に見えるで。」
声が落ちている。今日、但馬の調子が悪い理由の一片はそこにあるらしい。
「……成長、早えんだなあ。」
「本当になあ。」
言葉は、少し満足そうで、残念そうにも聞えた。
「……人間の妹なら、こんなことありえへんだら。」
続く言葉も、嬉しそうで、どこか苦い。
「追い抜かれんのは嫌かや?」
「せやなあ、悔しくないって言うたら嘘になるけど。
それより、この短期間であんな成長するくらい逞しくならんとあかんかったのかと思うとなあ。」
ちょっと不憫でな。そう言って但馬は小さく笑った。
「但馬さんは優しいだなあ。」
「いいや、そうでもないで。
その不憫な妹に、兵庫代表なら自覚を持てやなんや、偉そうな事言って出てきたんやからな。」
口答え出来ないくらい突き放したと言う。また、負担を増やしてしまった、と、自嘲交じりの搾り出すような言い方は、但馬にしては珍しかった。
「……ま、一番キツいのは神戸やなかったら、直接言った丹波や。
俺が落ち込んでも何にもならへん。」
言葉に反して、ため息は深い。
「……けど、但馬さんがそがいにやったっちゅうことは、必要やったって事でないかえ?」
「……せや。……せやな。」
顔を上げた但馬は、いつものように穏やかに笑っていた。
「愚痴やったな、すまん。」
「いんや……。その、それで気が晴れるんなら。」
「晴れた晴れた。ありがとうな。」
陽だまりのように微笑んで、次は俺やったか、と盤面を見つめる。
「但馬さん、ほんまに兵庫の家を好いとるんだなあ。」
声を掛けると、但馬はふっと顔を上げた。
「……せやなあ。」
しばし考えたように首をかしげ、そして笑む。
「同居は大変やけど、家族が居るってのは悪いもんやないで。」
神戸たちもそう思ってくれたらええんだがなあ。
微笑みと同時に、ぱちん、と石が置かれた。