お兄ちゃん禁止令 4.

暗い中で、うつろに目を覚ました。
腫れぼったくなったのが見なくてもわかる顔。自分は泣いたまま眠ってしまったらしい。
「……」
暗い部屋を見回す。今は何時くらいだろう。明りをつければわかるのだろうが、そんな気力は見つからない。
ぱたん、ともう一度布団に倒れこんだところで、戸の向こうから声がした。
「神戸、起きや。夕飯できとるで。」
丹波だ。
重たい気持ちと体を引きずり起こして、なんとか立ちあがる。戸の前の気配は消えない。
「神戸。起きてるなら返事くらいせえや。」
「……はい。」
返事をすると、戸の外がホッとしたように息をついた。
「早よ来いや。お前が来へんといつまでたっても夕飯にならへん。」
丹波はそう言いながら、戸の前で待っているらしい。
……昼はあんなに冷たかったのに。もしかしてあれは一時の夢だったのか。
そう思って戸を開けると、いつもどおり穏やかな丹波が居た。
「ごめんなさい。」
「……酷い顔やなあ。」
丹波の手が頭に触れる。見た目に似合わずゴツゴツした大きな手。
農夫の手。職人の手だ。手と体を使って働く者の手。
「ひとまず顔洗ってから来や。あっちで待っとるけえ。」
苦笑いで優しく撫でられて、胸が苦しくなった。
「あの、丹波兄さ」
「兄さんはやめえ言うたで。」
昼の事は、やはり夢ではない。
「……丹波で、ええ。」
「……けど。」
言い募ろうとすると、丹波は穏やかに言った。
「神戸。そこに鏡あるな。」
「え。」
「見てみい。」
振り返った先には、確かに鏡を置いていた。外からの明りで、薄暗く自分と丹波が写っているのが見える。
「……わてら、いくつくらいに見えとる?」
丹波の姿は、出会ったときと変わらない。十七、八の姿のままだ。
ただ、自分は。兵庫に来てから、成長してしまった自分は。
鏡の中の自分は、正直に表情を崩す。鏡の中の丹波が苦く笑った。
「そういうことや。」
自分の姿は、並べて見ると丹波と同じか少し上にすら見えた。でも、気持ちはいつだって丹波の、兵庫の妹のはずなのだ。
「けど、やけど、うちらにそんなこと関係あらへ」
「神戸。お前は日本の窓口なんや。」
ぴしりとした声に、言葉が止まる。
「兵庫だけやない。日本の代表でもある。
 だから、どこの誰よりも面子を大事にせなあかん。お前の恥は兵庫の恥、日本の恥や。
 だのに、何時までも兄さん兄さん言うて甘えとったら話にならへん。違うか?」
それは、いつだって言われていたことだった。
強くあれ、賢くあれ。一歩間違ったら日本は外国の植民地だ。そう、ずっと重圧を掛けられ続けてきた。
「……兄さんたちがいてくれて、よかったって、いつも……思っとおのに。」
声が詰まる。
困難な交渉だって、行って来い、と見送ってくれる兄が居たから救われていたのだ。
それなのに。
「神戸。」
見た目に反して大きく荒れた手が、頭にかぶさった。丹波の方を向くと、苦笑いが出迎える。
「年下の兄さんはおらへんのや。もう少し物分り良うなってや。」
滅多に見えない丹波の静謐な瞳の奥の感情が、今ははっきりと見えていた。
寂しさと、幾許かの悔しさ、諦観。……そして、一欠けらの喜び。
やっと、わかった。
別に、兄達は自分を嫌いになったわけでも、見放したわけでもない。
ただ、自分たちの気持ちは置いても『神戸』にはそうすることが必要だと判断した。それだけだ。
呼び方を変えろと言っても、自分の姿かたちが変わっても、流れる想いは変わらない。
「丹波兄さん……!」
背の近くなった兄に抱きつき、しがみ付く。
抱きしめた丹波は、雅な仕草と風体とは裏腹に、安定感があって逞しかった。ややあって自分の身体に回った腕も、頭を撫でてくれる手も、がっしりとしていて筋張っていて・・・それでいて、優しい。
「その呼び方は今日限りやで。」
自分は、驚くくらい大事にされていたのだ。やっとわかったその事実に、涙が溢れた。
「ほら、泣くなや。貿易港がみっともない。」
諌める声も、今は優しい。
結局丹波は、自分が泣き止むまで、抱きしめていてくれた。

それからしばし。
「もうええか?」
「……うん。」
嗚咽がようやく止まって、神戸はのろのろと顔を上げた。
「……ごめんなさい、ごはん冷めてしもうたね、丹波兄さ……丹波さん。」
「今日はわてら二人だけやし、ええやろ。」
 あと、敬称なんていらへんで。わてらと同じに呼べばええ。」
呼べるやろ、と。そう言われて、ごくりとつばを飲んだ。
「たん、ば。」
恐る恐る声に出した名前は、酷い違和感と申し訳なさで、どうも心地が悪い。
しかし、丹波はふっと微笑んだ。
「せや。それでええ。」
「けど」
先は、頭におかれた手にさえぎられる。
横に並ぶ顔を見ると、此方を見つめる静謐な瞳が微笑んだ。
「だんない、すぐ慣れるで。わてらは同胞なんやからな。」
そう言って笑う丹波に、神戸はもう一度抱きついたのだった。



『同胞』と書いて『かぞく』と読む勢い。
ここまで読んでいただきありがとうございました&お疲れ様でした。
twitterでリクエストいただきました、丹神です。丹神なんです。……丹神のはずが どう見てもホームコメディなんですが(……)そして淡路さんをログアウトさせてしまって自分でがっかり(苦笑)
以前に、神戸さんは元々上3人を『兄さん』って呼んでたらいいなあ、なんて話をしてて、丹波が実は男らしかったらいいよね、なんて話もしてて、そこからきた話です。
でも、「兄と呼ぶな」とか「しっかりしろ兵庫代表」とか、厳しく言えば言うほど、本人より兄ちゃんたちの方がダメージ受けてそうな気がしてなりません。
色々と方言がおかしかったりどこか別人だったりしておりますが、楽しんでいただければ幸いです。
前へ 戻る