暗い中で、うつろに目を覚ました。
腫れぼったくなったのが見なくてもわかる顔。自分は泣いたまま眠ってしまったらしい。
「……」
暗い部屋を見回す。今は何時くらいだろう。明りをつければわかるのだろうが、そんな気力は見つからない。
ぱたん、ともう一度布団に倒れこんだところで、戸の向こうから声がした。
「神戸、起きや。夕飯できとるで。」
丹波だ。
重たい気持ちと体を引きずり起こして、なんとか立ちあがる。戸の前の気配は消えない。
「神戸。起きてるなら返事くらいせえや。」
「……はい。」
返事をすると、戸の外がホッとしたように息をついた。
「早よ来いや。お前が来へんといつまでたっても夕飯にならへん。」
丹波はそう言いながら、戸の前で待っているらしい。
……昼はあんなに冷たかったのに。もしかしてあれは一時の夢だったのか。
そう思って戸を開けると、いつもどおり穏やかな丹波が居た。
「ごめんなさい。」
「……酷い顔やなあ。」
丹波の手が頭に触れる。見た目に似合わずゴツゴツした大きな手。
農夫の手。職人の手だ。手と体を使って働く者の手。
「ひとまず顔洗ってから来や。あっちで待っとるけえ。」
苦笑いで優しく撫でられて、胸が苦しくなった。
「あの、丹波兄さ」
「兄さんはやめえ言うたで。」
昼の事は、やはり夢ではない。
「……丹波で、ええ。」
「……けど。」
言い募ろうとすると、丹波は穏やかに言った。
「神戸。そこに鏡あるな。」
「え。」
「見てみい。」
振り返った先には、確かに鏡を置いていた。外からの明りで、薄暗く自分と丹波が写っているのが見える。
「……わてら、いくつくらいに見えとる?」
丹波の姿は、出会ったときと変わらない。十七、八の姿のままだ。
ただ、自分は。兵庫に来てから、成長してしまった自分は。
鏡の中の自分は、正直に表情を崩す。鏡の中の丹波が苦く笑った。
「そういうことや。」
自分の姿は、並べて見ると丹波と同じか少し上にすら見えた。でも、気持ちはいつだって丹波の、兵庫の妹のはずなのだ。
「けど、やけど、うちらにそんなこと関係あらへ」
「神戸。お前は日本の窓口なんや。」
ぴしりとした声に、言葉が止まる。
「兵庫だけやない。日本の代表でもある。
だから、どこの誰よりも面子を大事にせなあかん。お前の恥は兵庫の恥、日本の恥や。
だのに、何時までも兄さん兄さん言うて甘えとったら話にならへん。違うか?」
それは、いつだって言われていたことだった。
強くあれ、賢くあれ。一歩間違ったら日本は外国の植民地だ。そう、ずっと重圧を掛けられ続けてきた。
「……兄さんたちがいてくれて、よかったって、いつも……思っとおのに。」
声が詰まる。
困難な交渉だって、行って来い、と見送ってくれる兄が居たから救われていたのだ。
それなのに。
「神戸。」
見た目に反して大きく荒れた手が、頭にかぶさった。丹波の方を向くと、苦笑いが出迎える。
「年下の兄さんはおらへんのや。もう少し物分り良うなってや。」
滅多に見えない丹波の静謐な瞳の奥の感情が、今ははっきりと見えていた。
寂しさと、幾許かの悔しさ、諦観。……そして、一欠けらの喜び。
やっと、わかった。
別に、兄達は自分を嫌いになったわけでも、見放したわけでもない。
ただ、自分たちの気持ちは置いても『神戸』にはそうすることが必要だと判断した。それだけだ。
呼び方を変えろと言っても、自分の姿かたちが変わっても、流れる想いは変わらない。
「丹波兄さん……!」
背の近くなった兄に抱きつき、しがみ付く。
抱きしめた丹波は、雅な仕草と風体とは裏腹に、安定感があって逞しかった。ややあって自分の身体に回った腕も、頭を撫でてくれる手も、がっしりとしていて筋張っていて・・・それでいて、優しい。
「その呼び方は今日限りやで。」
自分は、驚くくらい大事にされていたのだ。やっとわかったその事実に、涙が溢れた。
「ほら、泣くなや。貿易港がみっともない。」
諌める声も、今は優しい。
結局丹波は、自分が泣き止むまで、抱きしめていてくれた。
それからしばし。
「もうええか?」
「……うん。」
嗚咽がようやく止まって、神戸はのろのろと顔を上げた。
「……ごめんなさい、ごはん冷めてしもうたね、丹波兄さ……丹波さん。」
「今日はわてら二人だけやし、ええやろ。」
あと、敬称なんていらへんで。わてらと同じに呼べばええ。」
呼べるやろ、と。そう言われて、ごくりとつばを飲んだ。
「たん、ば。」
恐る恐る声に出した名前は、酷い違和感と申し訳なさで、どうも心地が悪い。
しかし、丹波はふっと微笑んだ。
「せや。それでええ。」
「けど」
先は、頭におかれた手にさえぎられる。
横に並ぶ顔を見ると、此方を見つめる静謐な瞳が微笑んだ。
「だんない、すぐ慣れるで。わてらは同胞なんやからな。」
そう言って笑う丹波に、神戸はもう一度抱きついたのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございました&お疲れ様でした。
twitterでリクエストいただきました、丹神です。丹神なんです。……丹神のはずが どう見てもホームコメディなんですが(……)そして淡路さんをログアウトさせてしまって自分でがっかり(苦笑)
以前に、神戸さんは元々上3人を『兄さん』って呼んでたらいいなあ、なんて話をしてて、丹波が実は男らしかったらいいよね、なんて話もしてて、そこからきた話です。
でも、「兄と呼ぶな」とか「しっかりしろ兵庫代表」とか、厳しく言えば言うほど、本人より兄ちゃんたちの方がダメージ受けてそうな気がしてなりません。
色々と方言がおかしかったりどこか別人だったりしておりますが、楽しんでいただければ幸いです。