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ホリデイ・コーヒー 2.

 「あの馬鹿!!」
 遠くで何か聞こえる。
 「チィッ……早くしなきゃ!もう行ける?」
 「無論だ!行くぞっ!」
 何か焦っているようだがよくわからない。
 「マキアスかえせ!!」
 「消えてなくなれ!!」 
 ドンッと、衝撃が来た、気がした。はじき出されるような感覚。衝撃でまた意識が暗転した。

 「マキアス!!おいこら起きろ!!」
 耳元でなんだか微妙に腹立たしい声がする。
 「マキアス、起きて。」
 ぺちんぺちんと頬をはたく感触。
 「起きてってば」
 ぶに、と両側の頬を引っ張られる。
 目を開くと、ユーシスとフィーが両側からこちらをのぞき込んでいた。
 「よかった、起きた。お疲れマキアス。敵は倒せたよ。」
 「全く、間抜けめが。」
 確か、大物とやりあっていて、影に包まれて、……そこからの記憶がない。
 戦闘不能になっていたのだろうか。起き上がって辺りを見回すが、敵は欠片も残っていなかった。
 「すまない。迷惑を掛けたようだな。」
 言いながら立ち上がる。フィーとユーシスが顔を見合わせる。やがて、フィーの視線に負けたようにユーシスがこちらを向いた。
 「……かばってくれた事については一応礼は言おう。」
 今度はこちらが驚く番だった。ユーシスが礼を言うなど、ここ数年で5回も聞いていないはずだ。
 「だが、全く持って余計な世話だ!おまけにお前が巻き込まれて二度手間だった!二度とやるな!!」
 驚いているうちにまくしたてられて、そのままふいっとそっぽを向いてしまう。
 「えーと」
 そんなユーシスとフィーを見比べていると、フィーは小さく肩をすくめた。
 「感謝はしてるんじゃない?ユーシス結構焦ってたし。」
 「フィー!」
 「そうか。」
 居心地悪そうにそっぽを向いているのがなんだかおかしい。
 「もう戻るのだろう?」
 せかす様な言葉も居心地の悪さから来るのだろう。
 「そうだった。一応ギルドに連絡するね、ちょっと待ってて。」
 フィーはオーブメントを引っ張り出すと、手早く操作する。すぐにギルドにつながったらしい。
 「お疲れ様。東地区の大物は倒せた。場所は送る。友達が手伝ってくれて……うん、うん。中の敵もだいたい掃討済……うん。まだなの?うん……了解。」
 ぱたんと閉じると、こちらを振り向く。
 「今日のお仕事はひとまず一旦区切りみたい。西地区次第だけど多分大丈夫だし、戻ろっか。」
 「了解だ。」
 「やれやれだな。」
 くーっと背を伸ばして歩きはじめる。
 「それにしても多かったな。上位属性が働いてた理由が知りたいところだが。」
 「黄昏の影響で荒れてたからその余波じゃないかなってさ。エマならもっとはっきりわかるかもしれないけど。」
 「エマか……今はどこにいるんだろうな。」
 「数日前に聞いたらオレドの方にいるって言ってた。」
 雑談の声が地下通路に響くが、敵の気配はほぼない。敵のいない地下通路は静かなもので、敵をなぎ倒しながら来たここまでの道のりは長かったというのに、帰りはあっという間に地上についてしまった。
 ドアを開けて地上に出ると、昼の太陽が目に突き刺さる。
 出て来た先はマーテル公園。昼の公園は今日ものどかで、地下での出来事が嘘のようだ。
 「うぅ、眩しい」
 フィーは目を抑えて一時停止している。
 「今何時だ?」
 ユーシスが目を細めながら太陽から顔を背ける。腕時計の表示を確認すると時刻は昼を大幅に過ぎていた。
 「ん……十四時十分だな。」
 かれこれ四時間は地下でバタバタしていたことになる。
 「あー……時間聞いたらおなかすいてきた。」
 「それは同感だ。」
 安全な外に出たら安心したのもあって、途端に空腹が襲ってきた。
 猫のように体を伸ばしながらフィーが言う。
 「何か食べに行こっか。よかったらおごるよ。手伝ってくれたお礼。」
 唐突に耳から入ってきた情報が処理できなかった。驚いてフィーを見るが、首をかしげてきょとんとしているだけである。だが、ユーシスも驚いた表情でフィーを見ているし、こちらと目が合ってもやはり驚きが先に来ている。
 「あー……今、おごるって言ったか?」
 聞き違いではないか一応聞いてみる。声が震えるのはなぜだろうか。
 「ん。」
 フィーはこっくりと頷いた。
 世の中に奇跡やまぐれや感動というものがあるのならまさしく今だろう。
 知り合って早数年、顔を合わせてはパンをちょろまかされそっとジュースを頼まれ口止め料を請求され横からつまみ食いされてきた自分にはとても信じられない言葉だった。
 「エマ君……信じられないが……フィーがおごると言い出した……」
 オレドのある北東の空に語り掛けてしまったのは自分だけではない。
 「エマ……フィーが、フィーが成長している……」
 ユーシスも顔を覆って感動を抑えているようだった。心の底からとてもよくわかる。
 「二人していないエマに語り掛けてるし。」
 なんなの?とフィーは少し不服そうだ。
 「いや、つい。正直とても嬉しいぞ、フィー。」
 「そう?」
 ならいいけど、と釈然としない顔がこちらを見上げる。
 「ああ、この気概には応えるのが礼儀というものだろう。」
 「そうだな。記念すべき日だし、やはりここはガルニエ地区の高級レストランで」
 「待て、サンクト地区のホテルビュッフェも捨てがたいのではないか?」
 真顔で乗ってくるユーシスも、口の端の笑いが消せていない。
 フィーはこちらを見比べるとぶうっと膨れた。
 「二人して無茶ばっかり言う。」
 その様子がおかしくて、ユーシスと一緒に吹き出した。
 「心配せずとも冗談だ。」
 「だがおごると言ったからにはおごってもらうぞ。」
 安くておいしくて気兼ねなく過ごせる場所にはいくらか心当たりもある。
 「ギャムジーさんのところでいいか?」
 「まあ妥当なところだな。」
 それに、休憩所にも近い、とユーシスは笑う。いつから我が家は休憩所扱いになったのだろうか。
 「ん、まかせて。食後のコーヒーも確保できるし。」
 ね、という視線がこちらを見上げる。いつから我が家は喫茶室扱いになったのだろうか。
 まあ、今日は休みだし、二人が来たところで特に問題はない。構わない、と頷く。
 「じゃあれっつごー。」
 フィーは足取りも軽くトラムへ向かう。
 「しかし、フィーがおごると言い出すとは……急なことで録音し損ねたのが痛恨だったな。」
 「せめて記念写真でも撮っておくか?」
 半ば本気で話していると、先に行ったはずのフィーが振り返った。
 「ユーシス、マキアス、聞こえてる。」


 もはやおなじみのギャムジーさんの店で、お疲れ様、とフィッシュフライを頬張ると、途端に休日に戻った気がした。いや、そもそも今日は休日なのだが。
 財布の用意は一応したものの、本当におごってくれたフィーの姿を目に焼き付けて店を出る。なおフィッシュフライは心なしか得意げなフィーと共にしっかり記念写真を撮っておいた。少し行儀はわるいが、ギャムジーさんのところならギリギリ許されるだろう、多分。
 「フィー、ご馳走様だ。」
 「ありがとうな、フィー。」
 心からの礼を言うと、フィーはふふん、と得意げにどういたしまして、と微笑んだ。
 「しかし本当にどういう風の吹き回しだ?」
 聞くと、お礼って言ったじゃん、とフィーは肩をすくめた。
 「ま、四時間も地下に付き合ってもらっちゃったし、マキアス戦闘不能になっちゃうし」
 「それは単にこいつが間抜けだからだろう」
 「危ないと言っているのに敵に接近しすぎた君も相応に間抜けだと思うぞ」
 間髪入れずに言われてむっとして言い返す。
 「なんだと」
 「事実だろう」
 「またゴツンってされたい?」
 肩にぽん、と小さな手が乗って動きを止める。
 「行先はマキアスの家。いいよね?」
 「ああ、元々そのつもりだったんだろう。」
 ふん、と鼻を鳴らすユーシスも別に否定はしないようだった。
 ギャムジーさんの店から家までは割とすぐだ。
 鍵をあけようとすると、あれ、とフィーが首を傾げた。
 「マキアス、開いてる。」
 「え!?」
 鍵を閉め損ねたのだろうか。不用心だったな、と思いながらドアを開ける。
 「ただいま」
 誰もいない家へもなんとなく挨拶してしまうのは習い性だ。
 「つかれたーコーヒー飲みたーい。ミルクいれたやつ」
 「やれやれだな。俺は熱いのがいい」
 「おや、お帰り。」
 ダイニングの奥から返事がして、思わず動きを止める。奥から出て来たのは父、カール・レーグニッツその人だった。
 実は家で会うのは久々だ。普段のジャケットとネクタイはおそらく部屋だろう。少し楽な格好で、片手には愛用しているマグを持っている。どうやら今からコーヒーブレイクだったらしい。
 「父さん、帰ってたのか。お帰り。」
 ドアが開いていたのも父が帰っていたからだろう。鍵を閉め忘れたわけではなかったことに内心ほっとする。
 「ああ、ただいま。少しだけ時間を空けたからコーヒーを飲みにね。
  こんな格好で申し訳ないが、ユーシス公子とクラウゼル君も、久しぶりだね。元気そうで何よりだ。それに、マキアスと仲良くしてくれてありがとう。」
 「父さん……」
 その言い方は若干気恥ずかしい。
 ユーシスが一歩前に出て並んだ。
 「ご無沙汰しております、閣下。急な訪問になりまして申し訳ありません。」
 礼儀正しい一礼は、物腰が穏やか過ぎて正直怖いし心なしかキラキラしていてやっぱり怖い。
 「何、気にしないでくれたまえ。この家の使用状況を考えたら私の方がイレギュラーだからね。
  あまり堅苦しくなくていいんだが……まあ立場上そうも言っていられないか。」
 父は困ったように微笑んでいる。
 フィーも一歩前に出て反対側に並んだ。
 「……お久しぶりです、閣下」
 フィーの丁寧語に思わずぎょっとしてふりかえる。
 「ええと、マキアスにはさっきまで魔獣の掃討を手伝ってもらってたところ……でした。とても助かっ……たです。」
 若干つっかえてはいるが、丁寧な言葉が使えるようになったのは曲がりなりにも遊撃士として仕事を始めたからだろうか。なんだかとてもとても感慨深い。
 「それでさっきお礼にご馳走になっていたんだ。」
 補足すると、父は少し目を見開いて、おやおや、と微笑んだ。
 「それはありがとう。うちのマキアスが役に立ったようで良かったよ。いつでも使ってやってくれ。」
 「ん……はい。」
 父は機嫌よく笑って頷く。
 「君たちも今からコーヒーブレイクなんだろう?よかったら一杯振舞わせてくれないか?」
 ユーシスの、あ、という表情が一瞬見えた。そういえばここに入る時に熱いのがいいとかコーヒー飲みたいとか言っていたが、しっかり聞かれていたのだろう。
 「……ありがとうございます。恐縮です。」
 「閣下もコーヒー淹れるの?」
 こそっとフィーがこちらを見上げる。
 「ああ。父さんもコーヒーは好きだし」
 頷くと、父は楽しそうに笑う。
 「そもそもマキアスに教えたのは私だからね。」
 「ということは……師匠?」
 「まあ、そうなるね。」
 さあて、と踵を返す父に声をかける。
 「手伝うよ。」
 「いや、構わないから座っていてくれ。」
 ちょっと待っていたまえ、と父は機嫌よく台所に行ってしまう。と思ったら、豆を片手に戻ってきた。
 「マキアス。ここにある豆は使っていいのかい?」
 持っているのは、今朝ユーシスが持ってきたコーヒーだ。
 「ああ、大丈夫だよ。今朝ユーシスから貰ったんだ。」
 「どうぞご賞味ください。お口に合えば幸いです。」
 キラキラしたままでユーシスが微笑む。今朝がた「淹れろ」と突き出されたのが嘘のようだ。
 「それはそれは。とても良いものをありがとう。大事に飲ませていただくよ。
  マキアス、お礼はちゃんとしておくんだぞ」
 「わかってるよ」
 子供じゃないんだから、と言いながらリビングの椅子に腰かける。ユーシスとフィーもそれに習った。
 キッチンの方では父はお湯を沸かしながらガタガタと何かを引っ張り出している音がする。ついでバシャバシャと何か洗う音。客用のコーヒーセットだろうか。
 「閣下、気さくだよね」
 「うん。それに父さん、ここに居る時は多分肩書とかあんまり考えないようにしてる……と思う」
 ただ、オストの住人のカールとして。そして、多分マキアスの父親として過ごしたいからここに居るのだろう。
 こそこそ、と説明すると、なるほど、と息が漏れた。
 「つまり今の閣下はマキアスのパパ。」
 「いつだってそうだけど、まあ。」
 職場は父と対立することもある。あまり持ち込みたくないのは自分も同じだ。
 「まあ、そう思ってくれると助かるな。」
 いつの間にか、サイフォンを持った父がすぐ傍まで来ていた。
 「今の私はただのカールで、マキアスの父親で、それだけだ。」
 言いながら、持ってきた大きめのサイフォンをテーブルに置く。棚にあるのは分かっていても、使われているのは何年ぶりだろうか。
 「これ何?」
 「サイフォンだ。コーヒーを入れる道具の一種。……うちでも久しぶりだけど。」
 フィーの質問に答えていると、サイフォンにフィルターペーパーをセットしていた父はそうだな、と笑った。
 「ドリップで淹れるのとはまた違う味が楽しめて良いんだよ。せっかくマキアスが友達を連れてきたから、こちらで淹れようと思ってね。」
 家のサイフォンは少し大きな四人用である。姉が……トリシャ姉さんが生きていたころは、よく使っていたけれど。
 しまい込んでもう何年もたつし、ネルのフィルターだってとっくにダメになっている。
 「紙のフィルターなんてあったんだ。」
 「あったとも。食器棚の引き出しに入れていたのが残っていたからね。」
 言いながらテキパキと準備をして、またキッチンに戻ってしまう。
 「何か違いがあるのか?」
 「細かくは分からないが、ネルドリップとペーパードリップだと味が少し違うから、その程度には違うかもしれないな。」
 正直に言うと、フィーがこちらを見る。
 「マキアスでもわからない事あるんだ?」
 「このサイフォン、姉さんが居た頃はよく使ってたんだけど、その後はずっとしまい込んでたからな。
  淹れるのも手入れも手がかかるし、これで作る余裕もなかったし、僕もこれはあんまり扱ったことがないんだ。」
 余裕がなかったのは時間も、心もだ。
 ただ、サイフォンのコーヒーは嫌いではなかった。子供の頃はむしろこちらが好きだった記憶がある。
 「でも、これで淹れたコーヒーは、多分君たち向けだと思う。」
 「どういう意味だ?」
 「飲めばわかるさ。」
 やがて朝貰ったコーヒーを挽くいい香りがこちらまで伝わってきた。すぐに、父はコーヒーミルの引き出しとコーヒーポットを持ってやってくる。指には木のヘラも挟んで、……姉さんが居た頃みたいだ、となんとなく思った。
 「さてさて、それじゃあ淹れようか。」
 上の漏斗に粉を入れ、下のフラスコにはお湯。ポットを脇に置くと、今度はアルコールランプに火をつける。
 じきに小さな泡がお湯の温度を伝えてきた。現在の温度は多分80くらいだろうか。それと同時に、お湯が上に上がりだす。
 「お湯上にいっちゃうんだ」
 「サイフォン効果は学校で習っただろうが。」
 「……忘れたし。」
 ランプを少し横にずらして、父はゆっくりヘラで上の漏斗をかき回し始めた。
 次第に上に上がったお湯は落ち着き、やがて泡とコーヒーとコーヒー粉の三層に分かれていく。そしてアルコールランプが消されると、ゆっくりとコーヒーが下に落ちていった。
 落ちていくのを眺めながら、一人キッチンに立つ。台の上には客用のコーヒーカップが四客しっかり温めてあった。お湯を捨てて、ついでにミルクピッチャーと共にお盆で持って戻ると、ありがとう、と父が笑う。
 全てコーヒーが落ちれば完成だ。漏斗を抜くといい香りが辺りにふわっと広がった。
 「いい匂い。」
 朝よりもやっぱり香りが高い気がする。父はコーヒーを注ぎ分けると自分もテーブルに着いた。
 「さあ、召し上がれ。少し熱いから気を付けてくれ。」
 「ありがとうございます。」
 いただきます、と口を付けたユーシスが目を見開く。
 「……とても美味しいです。香りが高いですね。それに雑味がない……。」
 自分も飲んでみるが、朝のものより香りは高い。それに、味が軽やかで丸っこい。懐かしいサイフォンのコーヒーの味だ。
 「フィー、よかったら最初はミルクを入れずに飲んでみてくれ。」
 いただきますと同時にミルクピッチャーに手を伸ばしたフィーに声をかけると、フィーは小さく首をかしげる。
 「ブラック?……飲めるかな。」
 「多分これくらいならいけると思うぞ」
 フィーは恐る恐るコーヒーに口を付けた。ちょっと啜って、それから一口飲んでいる、らしい。
 「……飲める。本当だね。」
 とっても軽い味がする。そう言ってもう一口。
 「うん、おいしい。」
 「口に合ったようでよかったよ。
  サイフォンのコーヒーは昔はマキアスも好きだったんだがね。」
 父は機嫌よく微笑んでいる。
 「今でも嫌いじゃないよ。
  ただ、フィルターが使えるのは知らなかったし、普段は淹れる時間もないし、そもそも淹れ方もおぼつかないし。」
 それに四人用のサイフォンは一人で使うには大きすぎる。家族3人とたまのお客向けの4人用は、ほぼ一人住まいの今だとオーバーサイズだ。
 「飲ませる相手もいないし。」
 「これ飲めるなら、練習相手やるけど。」
 はい、と小さく手を挙げた現金な立候補に、がくっと力が抜ける。
 「そんなに気に入ったのか?」
 「ん、今までで一番好きかも。お店のより絶対おいしい。」
 こんなに味って変わるんだね、といいながら、ミルクにも手を付けずに飲んでいる。
 「サイフォンで淹れると、高温で淹れるから香りは高くなるし、短時間で落とすから苦みや渋みが軽減される。飲みやすいのは確かだね。」
 味も均一になる、と父は続けた。
 「ドリップコーヒーに慣れていると物足りないかもしれないが、休日に味わうならこちらも良いものだよ。」
 年季の入ったサイフォンを眺める父の目は少し眩しそうで、とても優しい。
 「なるほど。」
 関心したように頷いているユーシスのカップの中身もそろそろ少なくなっていた。どうやらこちらもかなり気に入ったらしい。
 「サイフォン、か。そういえば父さん、これ昔からあるけど、何年使ってるの?」
 「ああ、結婚した時に買ったんだよ。母さんには大きすぎると笑われたがね。」
 二人住まいでも大きいのは確かだ。ただ、父はきっと自分と母と誰かお客が来た時に、と考えたのだろう。ゆくゆくは子供達も、と。そしてそれは、母が亡くなってから現実になって……姉が居なくなって、途絶えた。
 「二十年以上ここに在るのですね。」
 「代々伝わっているものほどではないが、長持ちしているとは思うよ。
 「大事にされてたんだ。」
 かなり年季の見えるハンドルを眺めながらフィーが言う。
 大事にしていたのは知っていた。しっかりハンドルを磨いていた父の姿は自分だって覚えている。思い出の品と聞けば、手入れに手を抜きたくなかったのも理解できた。手入れに手間がかかるからこそ、二人になって余裕が消えてから使っていなかった面は否めない。
 だけど。
 「サイフォンの方も練習してみようかな。父さん、これ使ってもいいよね?」
 今余裕があるかといわれると微妙だ。それでも、姉を殺した貴族という存在を見返すためにがむしゃらにやっていたころよりは、きっと余裕がある。時間はともかく、心には。
 「そうしてくれ。これもたまには使ってやらないとな。」
 「やった。」
 「練習の成果に期待している。」
 差しはさまれた言葉にはっきり歓迎が見えて、小さく肩をすくめる。二人して随分正直だ。
 「姉さんもこっちが好きだったんだよな。」
 「ああ、そうだったな。」
 父の声は、昔を思い出すようにゆっくり響く。
 サイフォンで淹れたコーヒーは、優しくて楽しかった思い出の味だった。
 だからこそ自分は……多分父も、遠ざけていたのかもしれない。手入れに手間がかかるとか、いろんな理由を並べれば使わない言い訳なんていくらだってできたから、そっちが本当だと思っていた。
 でも父は、再びサイフォンのコーヒーを淹れてくれた。
 もう遠ざける理由はないのだ。


 「計算して動くタイプなのは間違いないが、その分予定が崩れると些細なことで動揺するんだ。そこをつけば簡単な伏兵でも引っかかる。今ならもう少し手ごわくなっていてほしいものだが。」 
 サイフォンを扱うときのコツを聞き出していたら、話はコロコロ転がって、学校にいた頃の話や黄昏を止めに行った時の話まで及んでいた。
 「なるほど、参考になります。」
 「なんかわかるかも」
 ユーシスとフィーの視線をとても感じる。マキアスにとってろくでもない話題も遠慮なしだ。
 「父さん、余計な情報を出さないでくれないか?」
 「おや、これくらいでお前に影響があるのかい?」
 小さな抗議は鷹揚な笑顔で消し飛ばされた。
 三人の話を聞いている父は、時に笑顔を見せ、時に困ったような顔で会話を楽しんでいる。メンバーは全然違うが、なんだか昔に戻ったようで少しこそばゆい。
 ただ、そんな時間は本当に束の間で、しばらくすると父の端末が呼び出し音を鳴らしだした。失礼するよ、と部屋に戻って、……短い通話の後、身支度を整えてきたのを見れば、まあ何があったのかはお察しだ。
 「呼び出しみたいだね?」
 「ああ。済まないが片付けは頼む。迎えがもう来るらしい。」
 小さく、とても残念そうに息をついたのは、間違いなく本音だろう。
 「君たちもありがとう。とてもいい時間を過ごさせてもらったよ。」
 「こちらこそ、コーヒーまで振舞っていただいて、ありがとうございました。素晴らしい時間を過ごさせていただきました。」
 「閣下のコーヒー、とても美味しかった。です。」
 口々に礼を言うのを聞いて、父は嬉しそうに笑った。
 「また話せる機会を楽しみにしているよ。」
 外から車の音が聞こえてくる。近くに来ていた車両を向かわせたのだろうか。
 「マキアスもな。」
 「うん。」
 やがてエンジン音が家の前に来て、父はあわただしく出て行ってしまった。
 「……閣下、忙しいね。」
 「間違いなく今一番忙しい御仁だろうからな。」
 父が出て行ったドアを眺めながら、ユーシスは息をつく。さっきまでのキラキラは父が居なくなると同時に消えたらしい。
 「あれ、ユーシスからキラキラが消えてる。」
 「何だそれは」
 ユーシスは怪訝そうな顔をしているが、自分にはその感想がよくわかった。
 「フィーもそう思ってたのか。」
 「ん。シャイニングポムみたいだなって。ほら、光沢を誇ってて殴るとセピスいっぱい落とす奴。」
 「ああ、確かに。帝国ではあまり見かけないが。」
 レアなところもそれらしい。
 「だからなんだそれは。」
 いや、理性はなんとなく察している。多分ユーシスは普段がシャイニングポム状態なのだ。自分たちにそんな状態を見せたことはついぞないが。
 「珍しいの見たなって話?」
 「いつもお疲れ様ってことさ。」
 まあ、これ以上この話をするときっとユーシスの機嫌は地に落ちる。ここは話題を変えるが吉だ。
 「ま、父さんも気分転換できたみたいだし。いきなりですまなかったな。ありがとう。」
 よいしょ、とサイフォンを手に取ると、フィーとユーシスも各々カップを持ってきた。
 「構わん、色々話も聞けたからな。」
 「美味しいコーヒーも確保できたし。」
 まんぞく、というのなら、まあいいのだろう。
 カップを洗い、漏斗にフラスコといった口が狭くて洗いにくいのをポット用のブラシで何とかしていると、カップを拭いていたユーシスがひょいとこちらをのぞき込んだ。
 「なるほど手入れに手がかかるわけだ。」
 「時間に余裕がないと難しいのは確かだな。
  だが、それだけの価値はあるよ。ユーシスもこっちが好きなんだろう?」
 わしゃわしゃと流して伏せると、ユーシスはまあそうだな、と肩をすくめた。
 「お前がいつも淹れているのも嫌いではないがな。」
 「君、お世辞なんて言えたんだな。」
 間髪入れずに脛を蹴り飛ばされて思わず声を上げる。
 「ったあ!何するんだ?!」
 「両手が塞がっていたからな。
  別に世辞ではない。お前のコーヒーは素材の良さも悪さも全部出ていて目が覚める。」
 性格だろうが、と言いながら棚の方で片付けしているフィーにカップを渡している。褒めているのか貶しているのかさっぱりわからない。
 「また喧嘩してたの?」
 「いや。」
 ハンドルを磨く後ろからそんな声が聞こえる。
 「マキアス、こっち終わった。」
 「ありがとう。こっちも終了だ。」
 手を拭いて向き直ると、何か二人並んでこちらを見ていた。
 「ね、マキアス。閣下がさっき言ってた、マキアスに絶対勝つ方法を試したい。」
 「ああ、それは俺も興味があるな。」
 父は楽し気な会話の中で、この二人にはあまり渡したくない情報もとても楽しそうにしっかり公表して去っていった。チェスの運び方の癖や小さい頃の失敗談、本当に小さなこと。……しばらく会っていないのによくよくわかっているのは、さすが親だというべきなのだろうか。
 「チェスか?」
 「VMがいい。チェスはマキアスに勝てる気しないし。」
 フィー相手なら、確かにそっちがフェアだろう。構わん、とユーシスも頷く。
 「了解だ。
  ちなみにユーシスは追いつめられると攻撃に走る。もともと薄めの防御にスキができるからそこを突ければ勝てるぞ。」
 「なるほど参考になる。」
 フィーの見上げる視線から目をそらしながら、ユーシスは鼻で笑う。
 「勝率は五分のくせに偉そうに。」
 「チェスは僕が勝ち越してる。……VMはまあ、運も絡むからな。」
 「その辺もフェアだよね。」
 まあよくできたゲームではあるだろう。
 「カードを取ってくるから待っててくれ」
 「ん、わかった」
 デッキは机にあったはずだ。二人がリビングの方に戻っていくのを眺めながら、マキアスは自室に足を向けた。
 普段の家はほぼ一人住まいなのは確かで、こんなに賑やかなのも随分久しぶりだった。父もそれでサイフォンなんて引っ張り出してきたのかもしれない、となんとなく思う。
 「たまにはいいな、こういうのも。」
 カードを片手に部屋を出ると、リビングからは何かゆるい戦術論みたいな話が聞こえてきていた。あちらはあちらで楽しそうだ。

 家の中に差し込む光も少し穏やかに感じる。
 休日は昼下がりを過ぎて、そろそろ遅い午後に差し掛かっていた。




   
長くなり過ぎた
閃3の時、ユーシスに好きにパン作らせたらコーヒー豆ぶち込んだパン焼いたもんだから大笑いしてしまいまして。あげくに「あとで休憩かねてレーグニッツ家に行こう」とか何とか言ってたし。そうかそんなに好きか。
閃4でも美味しいコーヒー飲んだ時に「レーグニッツにも教えてやろう」とか言ってたし。
そんなわけで、ある日マキアスの家にユーシスがコーヒー豆持って現れて「淹れろ」て突き出してくるのがずっと脳内回ってたので消化しました。
マキアスパパも息子に劣らず凝り性だと思っています。
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