そしてその一度ごとに悲喜こもごもの声がそこかしこで聞える。
喧騒にかき消されそうな店内音楽、バニーガールの色っぽいお姉ちゃんたち。カジノバー・バルカは本日も通常営業中だ。
そこの一角、二階に設けられたバーカウンターでは、いつものように強面気味のオーナーが応対をしていた。
もっとも、今の客は一人・・・いや、それと大きなぬいぐるみが一体だけ。
「で、ランディ・・・なんだそのぬいぐるみは。」
常連・・・それも非常にどうでもいい常連相手の表情で、オーナーが顔をしかめた。
「ここの景品だよ、知ってんだろ。あ、いつもの頼むぜ。」
適当に酒を注文しながら胸を張る。オーナーは、あいよ、と返事をして肩をすくめた。
「まさかお前がメダル五千もつぎ込んで取るとは思ってなかったが。どういう風の吹き回しだ?」
「なあに、持って帰ったら喜びそうなのが二人もいるからな。メダル五千くらいなんてことねえよ。」
グラスを取り出す背中にそう答える。
「それに、取ったのはそれだけじゃねえし。」
「なんだ、マペットでも取ったのか?」
背中越しに飛んできたからかうような言葉は、しかしながら大当たりだった。
「いい勘してんなあオーナー。正解だぜ、ほら。」
コートのポケットから、同じく景品でゲットしたみっしぃのマペットを取り出す。手にはめてひょいひょいと動かすと、なんとなくティオやキーアの喜ぶ顔が想像されて、頬が緩んだ。
「きっと喜ぶぜ。」
な、と手にくっついたマペットに話しかける。オーナーが息をついた。
「ランディ・・・おめえ、どういう風の吹き回しだ?」
マペットをポケットに突っ込み、おまち、と差し出された水割りに口をつける。
「うちに帰れば可愛い娘が居るもんでね。マイホームパパって奴をやりたくなったんだよ。」
オーナーは鼻でわらう。
「はっ、カジノ通いして昼間っから酒飲んでるマイホームパパなんていねえよ。」
「それとこれとは話が別だ。たまのオフなんだ、遊ばねえと勿体ねえだろ。」
くい、とあおると、味が喉にまでしみた。焼ける感覚が心地いい。
「オフでなくても入り浸ってんだろが。あんまり他の連中に迷惑かけんなよ。」
「大丈夫だっての。」
オーナーがはん、と肩をすくめた。
「どうだか。
おい、今日はそれくらいにしとけよ。マイホームパパって奴は、昼から酒の匂いなんてさせねえもんだ。」
「おいおい、商売する気あんのかよ?」
「お前相手にやる商売はねぇよ。さっさと飲んで行った行った。」
しっし、と手が振られる。
「もう一杯くらい」
「ああ、勘定か。」
とりつくしまもない。
「ちぇっ、冷てぇぞオーナー。」
しれっとグラスを磨くオーナーには、こちらのささやかなブーイングも既にどこ吹く風のようだった。
少々薄暗いカジノから外に出て、昼間の明るさに思わず目を細める。
オフなんだぜ、とごねて粘って、なんとか飲めたのは結局2杯だった。思い切り長居する気はなかったが、これはこれで物足りない。はあ、と息をついて、抱いたぬいぐるみを抱えなおす。
メダル五千もする大きなみっしぃは、かさばるわ重いわ目立つわでなかなかの大物だった。しかし、あまり苦はない。もとより力仕事は得意分野だし、相手の喜ぶ顔が見られるかも、と思えばむしろ少し軽く感じる。
きっとキーアは、歓声をあげて盛大な笑顔で飛びついてくれるだろう。この大きさなら抱きつくのに丁度だろうし、その様子は絶対可愛い。想像しただけでも頬が緩む。
ティオのほうだって、あれでみっしぃに関してはマニア級の好きっぷりだ。それなりに喜んでくれそうな気はしていた。・・・まあ・・・多分に表情は変わらないのだろうが。なにせティオの笑顔なんて数えるほども見た記憶がなく、おかげで正直あまり想像も付かない。
歩き出した帰り道は、いつもの通り裏通り経由予定である。空いていればガランテに寄るのもいいだろうし・・・などと考えていると、見知った顔を見つけた。
アルカンシェル前のアイス屋の方からこちらに歩いてくる水色の髪。肩から小さな鞄を掛けて、食べ終わり間近のアイスを片手に幸せオーラをまとって歩いているのは、件のティオである。
「おーい、ティオすけー。今帰りかー?」
ぬいぐるみの手を振って声を掛けると、気づいたのだろう、ぱたぱたと駆けて来た。その様子は、なんとなく耳をピンと立てたコッペを思い出させる。ねこまんまを持って屋上に行ったときが丁度あんな感じなのだ。
「ええ。あのランディさん、それは・・・!?」
食べ終わりのアイスのからをぐしゃっと握りつぶし、興奮気味にこちらを見上げる。
「お土産だ。ティオすけとキー坊にな。」
ほれ、とティオの方にぬいぐるみを向けると、ティオが磁石のようにくっついてきた。
「どういう風の吹き回しですか?」
うっとりと目を閉じて、白いみっしぃの腹にほお擦りしている。
「言ってることとやってることがかみ合ってねえぞティオすけ。」
「それはその、・・・このフカフカしたお腹には抗えないというか、その。・・・ありがとうございます。」
なんというか結構新鮮だ。丁度いいところにある頭を撫でると、ティオが顔を上げた。
きょとんと見上げる表情すらコッペと重なる。コッペを撫でた時も大体こんな反応を返されるせいだろうか。
「ランディさん、撫で癖でもあるんですか。」
「なんじゃそら。」
「だってランディさん、よく他の人を撫でてます。」
ティオの顔はまたみっしぃの腹に埋められた。まあ、撫でても別に構わないのだろうということにして、ジャストな位置にある頭を撫でる。
「このみっしぃ、なんだかお酒の匂いがしますね。・・・あと、ちょっとタバコの匂い。」
「さっきまでカジノだったからな。」
「なるほど、景品ですか。」
言いながら、もふもふとティオはぬいぐるみを抱きしめている。
「交換にみっしぃを選ぶとは、なかなか見る目があります。・・・でも、ランディさんにしては珍しいですね。」
「なに、気分って奴だ。キー坊来てからマイホームパパって奴に目覚めたっつーかなあ。ほら、もう一つあるんだぜ。」
コートのポケットに撫でていた手を突っ込み、ひょいっとマペットを手にはめる。
「みししっ、みっしぃダヨ☆」
手はティオの目線の高さに。あの独特の声を真似てそれっぽく人形を動かすと、ティオの目がまん丸に見開かれた。
そして一秒。
「おお、凄い偶然です。」
ティオは、自分の鞄に手を入れた。もしや、と思ったところで、ピンク色のマペットがこちらを向く。
「みししっ、みーしぇダヨ☆」
みっしぃの妹キャラクター、みーしぇのマペットがティオの手にはまっていた。
「おおお。確かにすげえ偶然だなおい。」
「百貨店でラストワンを入手してきました。」
ふふふ、と少々誇らしげにティオはマペットを動かす。
「キーアが喜ぶかなって思ったノ。」
「みっしぃもキー坊たちに会いに来たんダヨ。」
つられてマペットで話すと、ティオはまた目をぱちりと見開いた。
「ランディさん、本当にどういう風の吹き回しなんですか。」
「言っただろ、マイホームパパに目覚めてみたい気分だったんだよ。」
ほれ行くか、と歩き出すと、そうですね、とティオも歩き出した。
「・・・でも、まいほーむぱぱ、ですか。」
眉を寄せ、その言葉を繰り返す。
「・・・ナンパが趣味のちゃらんぽらんなマイホームパパっていうのもどうなんでしょう。」
ねえ、と手に持ったマペットに話しかけると、みーしぇのマペットがこっくりと頷いた。
「カジノ通いで昼間からお酒の匂いさせてるマイホームパパっていうのも、ありえませんよね。」
またみーしぇがこくこくと頷く。
そのどこかで聞いた言い草に、がくりと力が抜けた。
「・・・ティオすけ・・・オーナーと同じ事言わねぇでくれよな・・・。」
「誰に聞いたって同じ事言われるんじゃないでしょうか。
マイホームパパというのは、ハロルドさんみたいな方をさす言葉です。ランディさんには真面目さ的にも性格的にも遠すぎるのでは?」
言葉は現実を語るように淡々と続き、みーしぇがこっくりと頷いた。先ほどからこのパターンだが、どうにも二人からツッコまれているようで地味に切ない。みーしぇが困ったような笑っているような謎の表情を浮かべているのがさらに効果を増している、気がする。
「ちぇー、冷てぇなあ。俺はただキー坊に喜んでもらえっかなーと思っただけなのによ。」
なあ、とティオに習ってみっしぃのマペットに話しかけると、みっしぃはこくりと頷いた。
「こう、このでっかい奴を前面に押し出してだな、こっちの小さいのが『ただいまー☆』とかってなー。キー坊きっと目を丸くすんぜ。」
なあ、とまたみっしぃに言うと、みっしぃは無論頷いた。ティオが目を一つ瞬きをする。
「それは・・・」
しかし、そこまでいって言葉が途切れた。ティオは小さく肩を震わせて、顔をうつむける。
「誰だって目を丸くするでしょう。」
声に笑いが混じった。そのまま、くすくすと笑いながら顔を上げる。
「でも、そんなことを考えるようになった辺りは、確かにマイホームパパに染まってるかもしれませんね。」
目を見開くのはこちらの番だった。言われた事より何より、目の前の光景の希少価値のほうが先に来る。クールな印象しかないティオの表情は、笑った瞬間年齢相応に幼くなって・・・平たく言えば、やたらに可愛くなるのだ。普段とのギャップ効果も計り知れない。
元は良いもんな、などと思いながらまじまじと見ていると、ティオが怪訝そうに眉を寄せた。
「・・・どうしました?」
「いや、ティオすけの笑った顔ってレアだよなーっと。」
一瞬で、ティオの顔に赤みが差す。
「可愛い可愛い。笑ってれば年齢相応に見えるんだな。」
マペットのままの手でわさわさと撫で、そのままぎゅうと抱きしめる。
「うりゃぁ。」
「あぅ。」
固まって数秒。中身がもぞもぞと地味に抵抗を始めた。
「・・・どういうつもりですか。」
「あんまり可愛かったんでな?まあ良いではないか良いではないか。」
構わずもふもふと良い感触の髪を撫でると、ティオの声がすうっと冷たくなる。
「ダイアモンドダストとか、いかがですか。」
その片手がエニグマを探し出したところで、仕方なく手を離した。
「ちぇ、冷たいぜ、ティオすけ。」
「ランディさんは暑苦しいです。」
ふう、と息をついてこちらを見上げるティオの顔はまだ少し赤い。
「全くもう。」
「ティオすけ、顔赤いヨ?」
みっしぃで頬をつつくと、キッと睨まれた。
「みっしぃはそんなこと言わないです。」
「怒るな怒るな。」
不機嫌顔に『ごめんネ。』とみっしぃで謝ると、ふっとティオの表情から力が抜けた。
・・・みっしぃの威力は偉大である。
「全く。」
『まだまだダネ、お兄チャン。』と、片手のみーしぇがピコピコと動いた。
マペット片手に猫のように見上げる様子は、その気がなくても無駄に可愛い。言えばティオは嫌がるだろうが。
みっしぃの威力に感服していると、ティオがこほんと咳払いをする。
「ときに、キーアを喜ばせる作戦なのですが、私も一枚かませてください。」
『いいかナァ?』とみーしぇが動く。
「おうよ。一緒にやれば、キー坊きっと大喜びすんぜ。」
な、とみっしぃに話しかけると、やっぱりみっしぃは頷いた。
「ありがとうございます。力をあわせて、みっしぃとみーしぇの名に恥じない出来にしましょう。」
並々ならぬ気合と熱が言葉に篭る。
「やるからには全力です。」
「・・・お手柔らかに頼むぜ。」
内心若干怯む自分を他所に、みっしぃとみーしぇは固く抱き合ったのだった。
支援課の戸口の影に気配を潜め、中の様子を探る。
ターゲットはソファの上。ロイドもエリィもまだ帰って来ていないらしい。課長も不在。とりあえず作戦決行には最適のシチュエーションだ。ぬいぐるみとマペットを少し端に置いて、準備完了である。
『行くぞ、ティオすけ。』
『合点承知です。』
アイコンタクトもばっちりだ。まずは自分がエニグマを駆動した。一回、二回。見る見るうちにお互いの体が見えなくなる。やがて、ぬいぐるみの上のマペットが浮き上がった。自分ももう一つのマペットを装備して、ぬいぐるみを抱え上げる。
息を潜め、みっしぃの陰に二人で隠れるようにして、戸口に立った。
『いくヨー?』
『了解ー。』
みーしぇが頷いた。とんとん、と自分がドアを叩くと同時に、今度はティオがエニグマを駆動する。
「はーいっ、どなたさまですかー?」
中からキーアの可愛い声と、ぱたぱたと戸口に歩いてくる音が聞えてきた。
『せえの☆』
みーしぇの合図で扉を開ける。
光が降った。
自分たちとキーアの周りを舞う光が辺りをにわかに明るくする。
その向こう側に目を丸くしたキーアの顔が見えた。
「キーア、コンニチハー☆」
「キーアに会いに来たノ☆」
マペットをみっしぃの横から出すと、支援課にキーアの歓声が響いた。大喜びでぬいぐるみに抱きつき、マペットに手を伸ばす。
派手なタックルといつにもましてまぶしすぎる笑顔は、カジノで思い描いていた事など比較にならないほどの光景だった。浮き立つと同時、マイホームパパの幸せは自分にはどうも分不相応らしいと、苦笑いが漏れる。
「何辛気臭い笑い方してるんですか。」
べしっと背中を叩かれた。振り向くと、透明化の解けかけた姿のティオがジト目でこちらを見ている。笑え、とその表情は如実に語っていて、はたと気を取り直した。
「あ、ティオ、ランディ!やっぱりだ!おかえりーっ!」
ぬいぐるみの上からキーアがこちらに手を伸ばす。それをひょいっと抱き上げた。
「おう、ただいまー!」
高い高いと上に上げると、ティオもそちらを見上げる。
「ただいま、キーア。ふふ、ばれてましたか。」
「声でわかったよー。」
「そうかそうか、やるなあキー坊。」
得意顔のキーアをぎゅうっと抱きしめて、ぬいぐるみの上に下ろす。
「こっちは、お土産な。でっかいのはティオすけと一緒に思い切りモフるんだぞー。」
マペットを渡すと、キーアの顔がさらに輝いた。
「ありがとうランディっ!」
「これもお土産です。シズクちゃんと一緒に遊んでください。」
二つ目のマペットもキーアの手に渡る。
「わああ、ありがとう、ティオ!」
器用に両手にはめてぴこぴこと動かしている様はやっぱり可愛かった。
「一緒にアソボウ?」
「おう、そうだなー。」
「いいですね。」
ティオは言いながらぬいぐるみに抱きつく。反対側からキーアもぬいぐるみに抱きついて、ちょっとした塊になった。
なんとも和む光景に、表情は自然に緩んでいく。
「デレッデレですね。」
見上げる瞳に、当たり前だと頷く。
「うちの愛娘がこんなに可愛いんだから仕方ねえだろ?」
「そうですね、仕方ないです。」
ぬいぐるみ越しにキーアを撫でながら、ティオはくすりと笑う。
「ランディさんも、それくらいデレデレで笑ってる方が似合ってますよ。」
辛気臭い笑い方してるより、よっぽど素敵です。
褒められているのか褒められていないのか微妙な言葉だが、ティオの笑顔が足されたのなら褒め言葉だ。
「そりゃどういう意味だよ。」
うりゃあっとぬいぐるみごと二人を抱きしめる。きゃあああ、と双方から歓声が上がった。
分不相応な幸せに身を浸している。それは間違いない事だ。
だが、それを享受することが仲間にとって是なのなら。
・・・今は、夢を見てもいいのかもしれない。