鉄の国の方まで戻ると、月までは飛行船でひとっ飛びだ。
前回は何かよくわからない灰色男たちに連れていかれて外を見るどころではなかったが、今回はそれなりに余裕があった。
花火が至近距離で上がり、狐塚やDr.チキンヘッドと一緒にいた月が近くに見えてくると、このまま狐塚とわいわいやっていた月でのひと時に戻れる気がして感慨深い。
「月、結構高いよね」
「月だからなあ」
月から太く長く降りる鎖を見ながらマナみたちがそんなことを言っている。
そういえば、自分は月で倒れて気が付いたら月の国に降りていた。チキンヘッドの謎の飛行物体か何かで送り届けてもらえていたのだろうか。
ただ、うすぼんやりとかすかな記憶にはチキンヘッドの印象はほとんどない。
「宇佐見ちゃん、しっかりして、宇佐見ちゃん!」
「宇佐見ちゃん」
「宇佐見ちゃん、ごめんね」
月の国に運んだのは狐塚だと聞いているし、覚えているのは狐塚の声だけだ。
「こづかくん どこにいるのかしら」
月はどんどん近づき、ドンとあいた穴に入っていく。
中に入って飛行船を下りると、なんだか懐かしさすら感じる月の中だ。月の中は、機械のようなものが見えて、人口の何かが見えて、天然のものが特にない。冷たい印象もあるが、宇佐見にとってはここが一番楽しかった場所だった。
「はー着いた着いた。」
テツローは思い切り伸びをすると、勝手知ったる足取りで奥の方へ歩いていく。
「まずはトリ頭博士のとこだね。」
マナみも、ぐっと背を伸ばして歩き出す。
「ぴーこがいるといいわね」
「違いねえ」
月の内部は自分も慣れている。月の内部はモンスターらしいモンスターもいなくて安全なのだ。
歩いていくと、狐塚と月の中を一緒に探検したな、とか、変な機械はまだあるな、とか思い起こせることも多かった。ちょっと前のことなのに懐かしくて楽しい。
一番景色のいい真ん中のフロアからは、花火が絶えず上がっているのが見えていて、そこだけは少し違う所だ。
「ここは はなびのとくとうせきね」
「用事がない時にここに来て花火見物するの、確かに良さそう。」
「月には用事がないと行かないからなあ」
窓の外の花火を眺めながら、動力炉へ向かう。
変な機械と人工的な壁、缶詰が一生分あった倉庫を横目に見ながら先へ進むと、動力炉までは一本道だ。
「おーい鳥のおっさんいるかあ」
テツローが、がちゃ、と動力炉のドアを開けると、がずっと何か鈍い音がした。
「いったああああ!!」
続く悲鳴に、テツローがぎょっとして下を見る。
床に転がっている、見覚えのあるピンクの髪とはかま姿。ドアにあたったのはイツキだったらしい。
「もう!!ドア開ける時はノックしてよ!マナーでしょ!!……て、テッちゃん!?」
「おうよピー子、遅いから心配したぞ。つかやっぱこっちにいたのか。」
「ゴメンゴメン、月に届け物があったから……って、なんでぼくがこっちにいるの知ってたの?!」
イツキは目を見開いて体を起こした。
「月に届け物頼んだ本人から聞いた。」
「え、誰それ!?ぼくも依頼者知らないのに!」
「ほおう、依頼者に関しては私も興味があるが……」
イツキが騒いでいる間に、その後ろに鶏頭の博士が立っている。Dr.チキンヘッド。なんかよくわからないマッドサイエンティスト。ここに宇佐見たちを連れてきた張本人だ。
「後ろにも居るようだな」
Dr.チキンヘッドはイツキとテツローの頭越しにこちらをのぞき込んできた。
「うっす鳥頭博士」
「とりのおやじ おひさだわ」
手を挙げて挨拶すると、イツキの顔がぱああっと明るくなる。
「あー、マナみちゃんと宇佐見ちゃんも一緒だったんだ!
でも宇佐見ちゃん、なんで?」
「こづかくんをさがしているの」
言うと、コケ、とチキンヘッドは首を傾げた。
「あの狐の少年ならこちらには来ていないが。」
それに、そりゃそうだよな、とテツローも頷く。
「正確には、狐塚を探すためにピー子が持ってるマンホールの蓋が欲しくてな。
そう言えばピー子は何してたんだ?」
「え、ぼく?」
きょとん、とイツキは自分を指さす。
「ええっと、届け物終わったんだけど、ミルキーウェイまでちょっと距離あるからさ、休憩してたとこ。
今から缶詰でごはんにしようかなって……。」
「かんづめ……」
缶詰のワードが出た途端、何だかおなかがすいてきた。
「缶詰いいな。話は缶詰食べながらでいい?」
マナみも同意見らしい。
「じゃあ、みんなで缶詰取りに行こ。ぼく、魚の缶詰は結構好きだったんだよねー。」
「こだいのかんづめ なんだかなつかしいわ
おくのほうにあるのは あじがちがっておもしろいの」
狐塚と色々食べ比べて遊んでいたのが遠い日のようだ。
「えええ、初耳!じゃあそれも頂いていかなきゃ!」
「君達、私と花火職人のリンさんの分も持ってきてくれたまえ!
私は魚を希望だ!リンさんも魚!」
Dr.チキンヘッドの声が飛んでくる。
「了解でーす!」
イツキはぱたぱたと駆け出す。その後をテツローとマナみがついていく。それがいつもの光景だったようになじんでいる。
一緒になって駆け出しながら、宇佐見はちょっとうらやましいなと思ったのだった。
「それで、狐塚くんを探すために旅に出てたの。健気だね……!」
缶詰を食べながら涙目のイツキに、そんなでもないわ、と宇佐見は缶詰をすする。気に入っていた奥の方の肉の缶詰はまだまだしっかり在庫があって、宇佐見はちょっと機嫌がよかった。
「ピー子は月の国と冬の国の配達のあと、道草食ってたんだろ。
せめて一度帰って来い、全く。」
テツローが肉の缶詰をつまみながら言うと、イツキはしおしおと小さくなる。
「うぐ。ごめんなさい。」
「幼き記憶の家にちょくちょく行ってたって、本当?」
間髪入れずにいマナみが聞くと、イツキは目を丸くした。
「な、なななんでそれを!?」
「マジか……それでも会わなかったんだな……」
テツローは額を抑えてため息をつく。
「ど、どういうこと!?」
「まんほーるのいりぐちに さしだしにんのわからないてがみが おいてあって
『つきにいる とりのおっさんに とどけてほしい』 とか かいてあったのね」
「宇佐見ちゃんエスパーなの!?」
「宇佐見君にはそんな能力があるのか!?」
Dr.チキンヘッドまで身を乗り出してくる。
「違うよ。差出人にたまたま会ったんだ。」
「そうだ、その差出人だよ!あんなところに手紙置いてるなんて誰なの?!」
イツキとチキンヘッドはぐぐっと身を乗り出してくる。
「イトマキさん。」
あとアマシロさんも。
テツローが言うと、イツキは目を丸くして声を上げた。
「なんで!?居たなら会ってくれてよかったのに!ボク、結構ちょくちょく行ってたのに……」
「経緯が経緯だからな、人前に出たくなかったんだと。」
その言葉で、イツキはしゅん、と小さくなる。
「それにしたってさあ……水臭いよ。」
「まあな……。
で、トリのおっさん、その手紙にはなんて?」
テツローが尋ねると、チキンヘッドは、ずるずると魚の缶詰を啜りながら言う。
「『その高い高い月からは何が見えますか?広く見渡してみてください』 だと。」
「月から何が見えるか?」
マナみは首をかしげる。
「たしかに ここは みはらしがよかったわ
つきのくにやてつのくに かいがんもみえて うみがまあるくみえて おくのほうにたまにちいさなかげがみえて」
うーん、と宇佐見も首をかしげる。しかし、Dr.チキンヘッドはそれに身を乗り出してきた。
「小さな影だって!?それはどこだ、海の向こうなのか!?あの先にはまだ知らない陸地があるということだぞそれは!!」
あまりの剣幕に宇佐見は少し後ずさる。
「とりのおっさんは そうこにあった とおくをみるどうぐを しっているはずだわ
あれでみたら たまにみえてたわ たしか ひがしのほう ぐんじょうのおひさまがすこしあかるいとき」
「ムム!太陽をアレで見てはいけないぞ!目を火傷するからな!!
しかしそれはいい情報だ!閉ざされたと思っていたこの世界がもっと広い可能性が出て来たんだからな!!
よし!私は早速それを確認できる装置を作るぞ!なあに私の手に掛かればこんなものは朝飯前!!新世界は私のものだ!コケーコッコッコッコ!!」
Dr.チキンヘッドは高笑いをしながら動力炉の方へ戻っていく。
「新しい世界だって!」
わくわくを隠さずにイツキが言う。
「結構ロマンだな。海の向こうか。」
「観測塔からは見えたことなかったけど、ここは塔よりずっと高いからね」
三人とも、いや、四人とも目がキラキラしているが、小さな影が太陽のほうにちょこっとだけ見えたからと言って、それがどうかは分からない。大体いつも見えていたわけではないのだ。
「りくちかどうかはわからないわ どうぶつかもしれない」
「それを確認する道具をあのおっさんが作るんだろう?」
テツローも何のかんの気分が上がっているらしい。
「新しい世界が見つかったら冒険に行きたいな、またみんなでさ。もしかしたら」
「あいつらに会えるかもしれないしな」
「そだね。また会いたい。」
楽しそうな三人は、何か違う人のこと想っているらしい。
「あいつ?」
「宇佐見ちゃんは……会ったことないか。
ボクたちね、遺産の国の世界壁の向こう側で友達を見つけたんだ。」
世界壁の、向こう。それはつまり、世界の果ての先ということだろうか。
「だけど、色々あって今は居ない。」
「ただ、いつか、きっと会えるはずなんだ。」
「また会おうって約束したもんね。」
あいつ、のことを話す三人はとても楽しそうで、その人のことが多分とてもかけがえのないものだった事が伺えた。
それに、なんとなく察する。素っ気ないマナみが人探しに協力してくれた理由。テツローが探偵稼業抜きにしても積極的な理由。
「あんたたちも だいじなひとをさがしていたのね」
自分と一緒だったのだ。
「そうだ、イトマキさんに連絡するか。」
テツローがカバンから声をつなぐ遺産を取り出すと、イツキが目を丸くする。
「え、テッちゃんそれ壊れたとか言ってなかった?」
「聞いて驚け、なんと壊れてなかった。
だが、相手が返事しなかったら壊れたのと一緒なんだよな、これ。」
困ったような顔で遺産を掲げるテツローは、それでも何だか柔らかい表情をしている。
「あと、なんで相手がイトマキさんなの。それアマシロさんあてじゃなかったの」
「代理だってさ」
マナみは小さく肩をすくめる。
「どっちみち たんていもいっしょにいるはずよ」
「なら素直にアマシロさんが出ればいいのに。」
「こないだ見た限りだと、イトマキさんのほうがしっかりした返事してくれそうな気はするぞ」
言いながらテツローは遺産の通話ボタンを押した。
相手の声を聴こうと、イツキとマナみがテツローにくっつく。もちろん自分も。
『はい、こちらイトマキです』
「おおお、本当にイトマキさんだあ!」
声を上げるイツキに、しーっと人差し指を口に当てて、テツローが話を続ける。
「テツローです。今月に居ます。Dr.チキンヘッドには伝言が行ってました」
『イツキさんもそちらにいるんですね。』
「あ、声聞こえました?」
遺産は、はい、とにこやかな声を届ける。
『私たちは今遺産の国に居ます。今のところ狐塚さんの情報は古い物ばかりで、めぼしい物はないようですね』
「そうですか」
「いさんのくにじゃなかったのね」
じゃあどこにいるのだろう。あとの候補は冬の国くらいではないだろうか。
『この後、世界壁の様子を確認してから移動するつもりです。』
「わかりました。
Dr,チキンヘッドは、新しい大陸を探すための道具を作るそうです。宇佐見ちゃんが月にいた時に、東の方に何か影をみていたとかで……
イトマキさん、これ狙ってました?」
遺産の向こうで、イトマキはふふ、と笑う。
『アマシロさんはああ見えて、冒険となると気が張るみたいなので。新しい場所が見つかったら気が晴れるかなーとは思ってました。
あたらしく陸地が見つかったらぜひご連絡ください。』
「Dr.チキンヘッドに相談します。また連絡しますね。」
『お待ちしています』
通信はほどなくして切れる。
「イトマキさん、相変わらずなんだね」
ほはー、とイツキが息をつく。
「相変わらずだったね」
「むしろパワーアップしてた気がするな。
さて、おっさんに聞くか。話聞いてくれるかな。」
缶詰を片付けつつテツローが立ち上がる。
「とりのおっさんは へんだけど いいやつよ」
「確かに」
はたして。
Dr.チキンヘッドは陸地が見つかったら知らせることを快諾した。
「お前たちだけではもったいないからな、全世界にわかるように私の偉業を宣伝してやる!コケーコッコッコッコ!」
派手な高笑いに見送られ、四人は月を後にしたのだった。
「あと宇佐見ちゃんたちが行ってないのは冬の国だけなのか。
数日前にぼくが行ったときは会ってないけど、特に聞いて回ってもいないからなあ」
月の鎖を下りながら、イツキはうーんと首をかしげる。
「あえて言うなら死者の国には行ってねえな。ただ、狐塚がそっちに行くか?」
「確かに、あっちは完全アウェイだ」
マナみはふよふよと箒で降りながらうんうんとうなづく。
「あとはトーレル遺跡、常闇樹海、焦原、ブリッジマン公国、劇場」
「アマシロさんたちは焦原から遺産の国に行ったから、トーレル遺跡と焦原はないと思う。」
二段飛ばしで鎖を下りながらテツロー。
「森と劇場、ブリッジマン公国は分からないね。でもあいつ暗号知ってるかな。」
「ぼくだったらそんな大変そうなところには一人で近づきたくないなー。」
「こづかくんは けっこう ききかんちが つよいきがするわ」
よいしょ、よいしょ、と降りながら、思考を巡らせる。
「さすがに あんまりあぶないところには いないとおもうわ」
「だよなあ」
「別に誰かから逃げてるわけでもないしね」
イツキもそうだよねえと降りていく。だが、それはなんだか少し引っかかった。
「……わたしから にげてるかのうせいは ぜろじゃないかもしれないけど」
「探偵から言われたこと、気にしてたの?」
ふよん、とマナみが降りてくる。
「狐塚くんが?宇佐見ちゃんから逃げる?
ないない、あんなに大事にしてたのに。」
イツキはカラっと笑って否定する。
「狐塚くん、月から降りる時も、魔法使って宇佐見ちゃん抱いて飛び降りてたんだよ?
遺産の国の薬も一人で取りに行こうとしてたくらいなのに、宇佐見ちゃんから逃げる理由なくない?」
「そういえば、月の国までずっと抱いて運んでたね。」
確かに、とマナみも言う。
「ずっと だいて はこんでた」
別にチキンヘッドの謎の飛行物体で運ばれたわけではなかったのだ。
意識のもうろうとする中、記憶にある声が狐塚の声だけだった理由はきっとこれだろう。
「なんだか はずかしいかも うへへへ」
でも、幸せな気持ちも同時に感じる。
「宇佐見ちゃんあの時病人だったしなあ。」
「あ、にやけてる?」
「にやけてるね。」
ふよんふよんとマナみはこちらをのぞき込むと、ニヤッと笑って下の方に降りてしまった。
地上まではあと少し。
よいせ、よいせ、と降りて、何とか地面に着地する。ちょっと腕が痛い。
下で息をついていると、イツキとテツローも降りてきた。
「さあて、あとちょっとだよー。」
「次はミルキーウェイだな。」
「途中までね。」
ぐーっと背を伸ばすと、三人は元気に歩き出す。
よいしょ、と起き上がるが、少しふらつく。まだあまり体力が戻っていなかったのだろうか。
だが、狐塚を見つけるまでは倒れられない。歩き出すと、ひょいっとイツキが振り返った。
「宇佐見ちゃん、少し休む?」
「ううん」
「じゃあ少しゆっくり行こうね。まだ病み上がりでしょ?」
イツキは立ち止まってこちらを待っている。先の方にいるテツロー達も足を止める。
「あるけるようになってから けっこうたつから だいじょうぶだわ
ただ あんたたちほど たびなれてないの それだけ」
「よし、少しゆっくり行こうな」
「ミルキーウェイは景色がきれいだし。」
三人は宇佐見が来るのを待つと、その速さに合わせて歩き出した。
「でーえりゃあ!!」
イツキの居合一閃で犬のような魔物が地面に転がる。
「……イメツム」
マナみの魔法が幽霊のような魔物を焼き尽くした。
ミルキーウェイはモンスターも棲んでいる。ゆっくり行けば、当然襲い掛かられることは増える。
しかし、イツキは元気にすべての攻撃を受け流しては蹴散らしていくし、マナみの魔法はドン引きするぐらいの火力であたりを焼き払っていた。テツローと宇佐見の出番はほぼ回ってこない。いや、テツローは何か軍師役みたいなのをしている気がしなくもないが、それでもイツキとマナみの火力が強すぎるのだ。
「次のは、属性精霊だけど物理に弱いな!あのわんころは光の壁持ってるから気を付けろ!」
「アイサー!」
ずんばらりんと蹴散らされる魔物の横で、魔法に焼かれた魔物はまたしても消し飛ばされていく。ちょっと残った分はテツローが狙撃でトドメをさすこともあるが。
「わたしのでばん ないわ」
「休んどけってことじゃねえの」
くるくる、と狙撃用の銃を背中にかけると、テツローは気楽に笑う。
「ここは景色もいいし。」
「きらきらしてるとはおもうけど」
光り輝く砂が流れ落ち、白く幻想的な世界を作るミルキーウェイ。紺色の空と白い世界が神秘的だ。たまに不似合いな魔物も出てきたりするのが玉に瑕だが、さらさら落ちる銀の砂は確かに美しいと宇佐見も思う。
「それに、マンホールまではあんまり遠くないんだよね。だから結構余裕なんだ」
「全力出してもすぐ回復できるってわかってると気楽だね」
イツキとマナみはそういいながら先に進んでいく。
さらさらの砂をしゃっしゃと踏みしめながらいくと、やがていまいち不似合いなマンホールが見えた。
「宇佐見ちゃん、ぼくの手を握っててね。れっつわーぷ!」
イツキは宇佐見の手を取ると、そのままマンホールに飛び込んでいく。
「ひゃわわわわわ」
何か不思議空間を通り抜けたような気がするが、気が付くと、広場と見覚えのある夕空が見えていた。
「あいまいな みやこ……
なんだか なつかしいわ」
常に夕暮れで紫とオレンジのグラデーションの空、白っぽい建物。長いことここにいた気がしたのに、ずっとずっと前のことのようだ。
「そう!ここは曖昧な都なんだ。そしてここはなぜかマンホールで世界のいろんなところにワープできる便利なとこなんだよ。」
イツキは得意げに胸を張る。確かに広場にはいくつもマンホールが並んでおり、自分はそこの一つから飛び出してきたらしい。謎システムだ。
「はつみみね でもべんりだわ」
「というわけでまずは診療所!温泉浸かってから先に行こう。」
「おー!」
三人は勝手知ったる足取りで診療所へ向かっていく。
「しんりょうじょ……」
たぶん自分が一番居たところだ。ことあるごとにあそこで入院していた。
「せんせい しんぱいしてるかしら」
そういえば、月の国にいるサカキには特に何も言わずに出て来ていた。一度戻ったほうがいいかな、と一瞬考える。
しかし、一度戻ったらまたベッドに逆戻りさせられる気がした。それではもとのもくあみというやつだ。
「こづかくんがさきだわ」
宇佐見は三人の後をかけていく。
見覚えのありすぎる診療所の近くには、確かに回復の温泉があった。
全員でばっしゃんと飛び込むと、なぜだか体力ががっつり回復する。
「なぜかいきかえるわ うひょー」
「理由は謎だけどいいよね」
どーんと足を延ばすと、体中の血液が入れ替わるような気持のよさだ。
「便利だよなーこれ」
「ずぶ濡れになると思いきや、出るときれいに乾いてるの本当謎。何か魔法がかかってるのかな。」
「そうなんじゃない?都合よすぎるもん。」
ぎゅうっと体を伸ばして息をつく。お湯から上がれば服も体もきれいさっぱり乾いて、心なしか体も軽くて汗臭さも飛んでいる。
これなら狐塚に会ってもはずかしくないな、とちょっと思った。少し荒れた髪を梳きなおして後ろにやる。結構可愛くできたのではないだろうか。
「つぎは ふゆのくにね」
今度こそ狐塚が居るといい。そう思いながら宇佐見は元気にマンホールの広場に向かったのだった。
「よっこいせっと!あ、ごめんなさい!」
イツキと一緒に飛び出した先はなぜかスープ鍋で、近くで火の番をしていた人がひっくり返る。
「ピー子、邪魔だぞー」
火の番をしていた人を助け起こすイツキのすぐ後ろにテツローが着地し、その後ろからマナみが落ちてくる。
次々に鍋から飛び出すと、四人はふうっと一息ついた。
「ここ、なんで鍋なんだろうねえ」
「火傷しないのが謎過ぎるね」
「とにもかくにも 冬の国だ。大したスポットはないはずだが、とにかく広いから手分けするぞ。」
テツローはなんだか探偵のように指揮を執る。
「人がいるところを中心に聞きまわればいいよね」
「そうだ。
あと宇佐見ちゃん、ここは広いが外は魔物が出る。くれぐれも町から出るなよ。」
「りょうかいよ」
集合時間は街灯が点灯するくらいの時間。
場所はこの不思議空間鍋のところ。買い食いは自由。
イツキはがんばるぞー、と言いながらハニーティをしっかり確保して北の方に向かっていく。
宇佐見も野菜のスープを確保すると、とりあえず街灯の並ぶ東側に足を向けた。
「きものできつねのおめんのおとこのこ みなかったかしら」
『着物?お嬢ちゃんみたいな服の子は見ていないね。』
『狐面の山賊なら樹海の方によくいるらしいが、探しているのは山賊か何かか?』
はかばかしい答えはなかなか返ってこない。
「あかいきもので せはすこしたかくて きつねのおめんをつけているの」
『赤い服ねえ。目立つからわかる気がするけど知らないな』
『お祭りの迷子かしら?」
やがて宇佐見は、街はずれのレンガ造りの道とベンチが並ぶ場所に出た。
ぽてぽて歩きながら、街灯の下のベンチにぽてんと腰かける。
景色自体はなんとなくあいまいな都を思い出させる感じなのに、冬の国は寒くて、少し薄暗くてさみしい気持ちになってしまう場所だ。ため息をついて暗い空を見上げると、雪がふわふわと落ちてきた。頬に落ちる雪は、そのまま涙のように流れていく。
「こづかくん どこにいるの」
そろそろ暗くなるだろうか。それでももう少し捜したい。ここに居なかったら、あとはどこにいるのかあても何もなくなってしまうのだ。
だが、気持ちとは逆に一つ、一つ、街灯が灯りだす。やがてベンチがスポットライトのように照らされた。タイムアップだ。
重い気持ちを抱えて立ちあがる。一つ一つの街灯の下にはベンチがあって、ライトアップされているようにも見えるのに、今は全然浮かれた気持ちにならない。
宇佐見はライトアップされたベンチを横目に、集合場所に戻ろうと踵を返す。
だがその時、ベンチの向こう側に人影が見えたような気がした。もっと町のはずれの方だ。絶対に誰かがいた気配。
「だれかいるの?」
速足でそちらへ向かう。なんとなく、なんとなく狐塚と背格好が似ているような気がした。
人影は、ベンチの裏から次のベンチへと移動していく。
「まって ねえ どこにいくの」
街灯をつなぐように宇佐見も走る。人影は、一番先の街灯の先で止まる。
「こづかくんなの?」
暗がりに向かって話しかけると、それは、街灯で明るいベンチの前に姿を現した。
「……おばけだったわ」
みればわかる、雪国のモンスターの一種だ。背格好は確かに近いが、おばけなのである。なぜならば、すこし背中が透けてベンチが見えているからだ。
「あなたは はなしがつうじる?」
赤い瞳のお化けは、すうぅっと近づくと、おもむろに手を振りかぶり、襲い掛かってきた。
「ひゃああ!!」
ぎゅ、と防御して、攻撃を何とか耐える。引っかかれた部分は痛いが、そんなことは言っていられない。
「ぬかよろこびさせて ゆるさないわ うおー!!」
半分透けたおばけに、宇佐見は渾身の飛び蹴りをぶち込む。だが、半分透けたお化けには攻撃は通らなかった。透けた体の向こう側で、宇佐見は勢いあまってコロコロ転がる。
「なんであんたのこうげきはいたいのに わたしのこうげきは いたくないの ふこうへいよ!」
少しすり切れた手をぎゅっと抑えて文句を言うが、お化けは多分獲物か何かとおもったのだろう。ふらりとこちらを向くと真っ赤な口を開けて突進してくる。
「あんたなんかにまけないわ」
本当はとてもこわい。灯りに照らされた赤い口を避ける方法なんて思いつかない。それでも宇佐見はその口に蹴りを入れる覚悟で地面を蹴る。攻撃は最大の防御なのだ。
真っ赤な口に思い切り蹴りを入れる。ジャリッと嫌な感触がして、脚に何本もの切り傷が入る。
今度は着地できたものの、ダメージはさっきの数倍だ。血のにじむ脚を抱えて、お化けを睨む。白い着物が所々赤く染まっていた。様子を見て、なんとかしないと、このままでは逃げられなくなってしまう。
お化けはまた腕を振り上げた。宇佐見はぎゅっと防御をして、力をためる。背中を襲う爪は氷のような寒さと冷たさで、体中が引き裂かれそうだ。
「まけないわ まけないもん」
ぎゅうっと防御をしたまま、宇佐見はもう一度力をためる。
痛みなんて知らない。ここで負けるわけにはいかない。
顔を上げ、座ったままでお化けと対峙する。しかし、その向こうに、何かもう一つ影が見えた。
宇佐見は目を見開く。奥に見えるのは白いきもの、赤い口。ゆるく透ける向こうの光景。
おばけだ。
おばけの仲間がきたのだ。
もうだめかもしれない。そんな言葉が頭をよぎる。
だが、宇佐見はそれを振り払った。自分にはまだ奥の手が残っている。もちろんどれだけ効くかはわからない。だが、こんなところで倒れたくない。狐塚に会うまでは死ねないのだ。絶対に。
宇佐見はいっぱいの決意と夢と、あるべき世界を願った。体は元気で、月がきれいで、花が咲いていて、狐塚くんが傍にいて、三人組もついでにいて、みんなで楽しく笑ってて、ちょっと冒険したりするのかもしれない。とりのおっさんもきっとげんきで。
その想像に、おばけは邪魔なのだ。
「じゃまするんじゃないわ!
みらくる……イヤ……ボーン!!」
想像の力が走り出す。宇佐見が願う理想の世界の欠片は、街灯に照らされて光を増幅する。そしてキラキラときらめいて目の前のお化けに突き刺さった。
酷い声がして、お化けが退く。荒い息をつきながら消えていくお化けを見る。なんとかできたという安堵感に力が抜ける。
だが、消えたお化けの向こうには、まだ消えていないお化けの姿が残っていた。
手負いなのだろう、ふらりふらりとこちらに近寄ってくる。だが、相手が手負いならこちらだって手負いだ。もう魔法を撃つ余力なんてない。だが死ぬわけにはいかない。痛む脚を引き寄せ、ぎゅうっと膝を抱えて防御姿勢をとる。
その時、身体の横を鋭い風が駆け抜けた。
ばたばたと身体のある足音が近づく。
そして。
「宇佐見ちゃん!!」
この世で、一番、誰よりも聞きたかった人の声がした。
「こづかくん!?」
顔を上げると、赤い着物の後姿が見えた。前に見えるお化けはゆらゆらゆれて狐塚に牙をむく。狐塚は、ぐっと構えて魔法を唱える。
「消し飛べ!」
ぶわ、と風が吹いてきて、赤い着物の裾がひらめいた。冷えた空気に似合いの木枯らしが、お化けを吹き飛ばす。力に引き裂かれたお化けは、そのまま街灯の中で消えていく。
「宇佐見ちゃん、大丈夫!?」
振り向いた狐塚は息をつく間もなく駆け寄ってくる。
「こづかくん……」
「酷いな。
ごめん、もう少し早く来てあげられたらよかったのに……僕はいつもうまく行かない」
ぎゅうっと抱きしめられて、それだけで胸がいっぱいになる。
「いいの こづかくんは また わたしをたすけてくれたわ」
癒しの雫が身体を包む。傷は痛むが、もう死ぬ気はしなかった。
「つきのくにでも わたしがたおれたときも いまも」
大好きな人に、ぎゅっとくっつくと、心も体も力が抜けて、ぼろ、と涙が出て来た。
「宇佐見ちゃん?!やっぱり痛む?ごめんね、もうすこし我慢して」
「ううん そんなんじゃないわ」
なんだかわからないが、涙がずっと止まらない。
「ずっとずっと ありがとう こづかくん
やっぱりこづかくんは わたしの ないとさまだわ」
ずっとあいたかった。
涙で途切れ途切れになる声で、ようやくそう伝える。涙でかすんだ狐塚の表情は、くしゃっと歪む。そして、狐塚は宇佐見をもういちどぎゅっと抱きしめた。
「僕も宇佐見ちゃんを忘れたことなかった。……会いたかった」
きゅ、と胸が高鳴る。狐塚は自分から逃げていたわけではなかったのだ。ぎゅ、と涙を拭いて狐塚を見上げる。
「いっしょね」
「一緒だ」
こつん、と額が触れると、ぽろ、とまた涙がこぼれた。幸せな感触、そして暖かさ。溶けるような安心感に、宇佐見はそっと目を閉じたのだった。
集合場所から暖かいスープの匂いが流れてくる。
宇佐見は狐塚に抱きかかえられて冬の国の街中まで戻ってきていた。脚は、酷い傷でまだうまく動かない。狐塚は回復魔法はあまり得意ではないらしく、どうしても半分しか回復できないと言っていた。
ごめんね、と狐塚は言うが、抱きかかえられるのはなんだか特別感があってうれしいのも確かだ。それで、きゅっと抱き着いてここまで来たのだった。
鍋の近くまで来ると、とても目立つピンクの髪と赤いベレー帽が見える。隣にはマナみも一緒だ。困ったような、難し気な顔で相談をしていた三人は、こちらに目をやるなり駆け寄ってきた。
「宇佐見ちゃん!え、え、どうしちゃったの!?怪我!?」
「狐塚!お前なんでここに!?」
わあっと囲まれた狐塚は、ぎょっとして後ずさる。
「よかったよ、帰ってきて。戻ってこないからどこまで行ったのかと思った。」
マナみはそう言って、ぽて、と宇佐見を撫でた。
「ただいま ちょっといろいろあったのよ」
「そうみたいだね。
ベンチの方に行こう。けがの手当てが先だ。」
「狐塚くんも。」
イツキは狐塚の背中を押すようにベンチへと向かう。
「おっさん、野菜のスープ2つとハニーティー3つね」
「あいよ」
後ろからはテツローの声が聞こえてきていた。
冬の国はそこここにベンチがあり、テーブルも同じようにいろいろなところに設置されている。
その中の一つ、テーブルつきのベンチで手当てすることになった。降ろされたのはいいが、足を延ばすと、まだひきつるように痛い。
「あーあー白い着物が真っ赤だ。魔物にやられたの?」
傷を診ながらマナみが言う。
「がいとうのしたに おばけがいたのよ」
「少し外れまで行っちゃったのかー!ごめんね、気を付けとけばよかった。」
イツキは、ちょっと泣きそうな顔で、無事でよかったよ、という。
「こづかくんが たすけてくれたわ」
「そうみたいだね。これで一件落着だ。」
イツキはそう言って、表情を緩める。
「残念ながらそうじゃねえぞー」
その向こうから聞こえたのはテツローの声。
スープをテイクアウトしてきたらしく、カップを両手いっぱいに持っている。テツローはそれを全員に分けると、ベンチに腰を下ろして宇佐見の方を見た。
「宇佐見ちゃん。君はサカキ先生に何も言わずに出て来たね?」
意外な言葉に、手に持ったハニーティーを吹きそうになる。
「……な、なぜそれを」
「狐の子じゃなくて、ウサギの子を探しているって話をきいた、と町の人に聞きました。
お家を出る時はちゃんと行先を言って出てきましょうね。」
うぐぐ、となっていると、狐塚も頷く。
「僕もここに来る途中で、宇佐見ちゃんが行方不明って聞いた。だから探してたんだ。
まさかここにいるなんて思わなかったけど。」
つ、と目をそらすと、マナみがばちんと叩きつけるように絆創膏を貼る。
「うきゃあ!?」
痛くて悲鳴を上げると、マナみはため息をついてこちらを見た。目がとても怒っている。
「何も言わずに出て来たなんて一言も言ってなかったよね?知ってたら塔からそのまま送り返したのに。」
「こういうのはいきおいよ ぱっしょんよ そりゃ すこしはその……ふゃゃゃ」
マナみにむにいと頬を引っ張られて変な声が出る。
「そんなわけで次の目的地は月の国です。」
テツローが断じる。
「異議なし。」
「そうだね、サカキ先生が首を長くして待ってるんじゃないかな。」
「カンカンだろうけどな。」
ケケ、とテツローは笑う。それを見て狐塚はそっと目をそらしてそそくさと立ち上がった。
「あー宇佐見ちゃん、またね。僕はこれで」
「だめよ!」
宇佐見は狐塚の着物を思わず引っ張った。
「ダメにきまってる。」
マナみもぐい、と赤い着物を引っ張る。
「狐塚、お前なんで宇佐見ちゃんが行方不明になったかわかってないな?」
テツローがため息をついた。
「え?」
狐塚はテツローと宇佐見を交互に見る。
「わたし こづかくんに あいたかったの」
狐塚の目が見開かれる。その耳元ででマナみの怒鳴り声がさく裂した。
「宇佐見はあんたを探すために月の国を出て来たんだよ。今までどこほっつき歩いてたんだ!」
大声に思わず身体を縮める。それは狐塚も同じだったらしい。
「宇佐見ちゃん、それ、マジ?」
「まじよ。」
こくりと頷くと、狐塚は身を屈めて、宇佐見と目を合わせた。
「大けがしてたのも、こんなところにいたのも、僕を探してたから?」
声が少し震えている。
「そうよ。」
「愛だねえ」
イツキが感慨深そうに言う中、狐塚は崩れ落ちるように宇佐見と額を合わせた。
こつ、とまた暖かい感触がする。狐塚の赤い髪が宇佐見の顔にかかる。
「こづかくん?」
「ごめんね、宇佐見ちゃん……ごめん、無理させて。」
近い息も少しくすぐったい。
「僕、宇佐見ちゃんは気になってたけど、あの先生怖くて……
薬も結局持ってこれなかったし……
……ごめん、自分の都合ばっかりで」
まさかこんなことになるなんて。
「こづかくん……」
近すぎる表情はよくわからない。ただ、狐塚の声は後悔の色が滲んでいる。
「わたし こづかくんに おれいがいいたかっただけなの
でも かおをみたら はなれたくなくなったわ」
きゅ、と抱き着くと、柔らかく頭を撫でられる。
「僕、もう宇佐見ちゃんには顔向けできないなって思ってた……先生も怖かったし。
探させてごめん。でもありがとう。おかげで踏ん切りがついたよ。……一緒に戻ろう。月の国に。」
「うん。」
素直に頷くと、外野の声がとても楽しそうに入ってきた。
「ヒューヒュー」
「二人そろってこってり絞られろー」
「お帰りはこちらになっておりまーす」
顔を上げると、イツキが元気にマンホールの蓋を掲げている。
「今から月の国に行くのか?」
狐塚が怪訝な顔で聞くと、テツローは空とマンホールを見比べた。
「確かにまあマンホールの蓋あるとはいえ遅いっちゃ遅いな。今日はこっちに泊まってくか。」
「確かにそうかも。ぼくここ好きだよ。ハニーティーおいしいからね。」
「ベッドだ。ベッドに寝れるー」
宿へ一直線に向かう三人を眺め、隣にいる狐塚を見上げる。
「いこう」
「うん」
空を見上げると、相変わらず雪が舞っている。さみしい気分になる冬の国の空が、今はなんだか暖かいな、と宇佐見はちょっと思ったのだった。
「今までどこほっつき歩いてたんだ!!」
月の国が壊れそうな大声に、宇佐見は身をすくませて、ぎゅっと狐塚の手を握った。
「宇佐見、君はまだ病み上がりだ。体力はまだ回復しきっていない。自覚はあるね?」
常夜の月の国の、一軒家。宇佐見が世話になっていた家で、サカキは仁王立ちで宇佐見を出迎えた。
マナみたちはサカキの前に二人を置くと、あとは頑張れ、とそそくさと集落の奥の方に行ってしまい、残されたのは狐塚と宇佐見、それと怒りのサカキ先生だけである。
「でも ちゃんとうごけたし ここまでかえって」
「でもじゃない。治ったかどうか判断するのは医者の役目だ!
まったくこんな怪我までして……すぐに治療するからさっさと中に入りなさい」
未だに血の跡の残る着物を見ると、サカキははあ、と息をつく。
「いきなりいなくなるから心配したんだぞ。」
「ごめんなさい」
しお、としおれて謝ると、サカキは全く、と頷いた。
「もう少しなんだから、ちゃんと治しなさい。いいね?」
ぽん、と宇佐見の頭を撫でる。そして、ぎり、と狐塚の方を睨んだ。ぎゅ、と宇佐見の手が握られる。
「おい少年。君だな?私の宇佐見を連れまわしたのは?」
「ちがうわ こづかくんは わたしをたすけてくれただけなの
つれまわしてたのは まつりやと はいいろおとこたちだわ」
一歩前に出てそう言うが、狐塚はいいよ、と首を振った。
「僕は、宇佐見ちゃんを連れ出したわけでも、連れまわしてたわけでもない。
だけど、一緒にいたのにあんな肺炎になるまで気づけなかったのは僕だ。」
ぎゅ、とまた宇佐見の手が握られる。
「宇佐見ちゃんを死にそうな目に合わせてしまった事は悪かったと思ってる。すみませんでした。」
頭を下げる狐塚を睨み、サカキは低く声を出す。
「正直、もう宇佐見には近づくなと言いたい。」
項垂れる狐塚の前に、宇佐見は慌てて飛び出した。
「そんなのは だめよ!」
「宇佐見」
「こづかくんがいなくなるなら わたしはまた さがしにいくわ
なんかいだって さがすわ ぜったいに いっしょにいるわ
せんせいだって とめられないんだわ!」
感情があふれて、ぼろ、と涙がこぼれそうになる。
「宇佐見ちゃん……」
「宇佐見、君はこの少年を探しに行ってたのか。」
「そうよ!!」
胸を張ると、サカキは忌々し気にため息をついた。
「少年、君完全に諸悪の根源だな。」
沈黙する狐塚に、サカキは厳然として言い渡す。
「来い、雑用係。宇佐見がよくなるまで、せいぜいこき使ってやる。」
狐塚は目を見開き、顔を上げた。
「サカキ……先生」
「君がいないと宇佐見はまた飛び出していくかもしれない。ならそばに置いておくのが合理的だろう?」
私の感情はともかく。
サカキはおそらく不本意なのだろう。表情はかなり不機嫌だ。
だが、それはつまり、お墨付きをもらったということだ。
「いっしょにいていいの」
サカキは無言で頷く。そしてどすどすと民家の中に入っていった。
「やったわ」
宇佐見はその場で狐塚に抱き着いた。バランスを崩しかけた狐塚が、それでもたたらをふんで踏みとどまる。
「こづかくん こづかくんはわたしといっしょにいるのよ」
「宇佐見ちゃん、あの」
「わたしには こづかくんがひつようなの」
ぎゅ、と抱きしめて、狐塚の顔をじっと見つめる。赤っぽい瞳は、困ったようで、嬉しそうで、やっぱり戸惑っている。
だが、それに映る自分の顔には迷いは一切なかった。
「わたしのないとさまは わたしのそばにいなくちゃいけないのよ」
少しの勇気と勢いで、頬に小さく口づける。狐塚がぱああっと赤くなった。
「あの、ね、宇佐見ちゃん、……その」
耳元で切れ切れに囁かれた言葉に、宇佐見は顔を赤くする。
頬に触れた柔らかい感触。ぎゅっと抱きしめられる温かさ。のぼせそうに幸せでそのまま倒れてしまいそうだ。
近い距離で赤い顔と赤い顔が顔を合わせた。
「よろしくね」
「うん」
こつん、と額を合わせたその時。
空が割れるような轟音とともに、常夜の空が昼のように光輝いた。そろって上を見上げると、キラキラした炎の花が夜空に大輪の花を咲かせている。
超特大の花火が上がったのだ。
「すごい」
「きれい」
空いっぱいに流れ落ちる光は、二人の言葉を奪う。ただ、この美しい光景の中で、狐塚とくっついていられるのは幸せだな、と、宇佐見はぼんやり思った。
流れる光はやがて軌跡を描いて消えていく。
あたりがまた暗くなれば、夢を歩くような心地も少しずつ落ち着いてきた。
「これはトリ博士かな」
ほはあ、と狐塚がため息をつく。宇佐見はピンと耳を跳ね上げた。
博士、という言葉で思い出したのは、花火の意味。
「たぶんそうね
とりのおっさん しごとはやいわ」
「何があったのか知ってるの?」
少し驚いたような狐塚に、宇佐見はうん、と頷いた。
「きっと うみのむこうに あたらしいせかいが みつかったんだわ」
*******
常夜の月の国に、まばゆい花火が打ちあがる。
集落中の人が空を見上げている。言葉を失うほどの美しい……荘厳ですらある光景。
その光景の中には、マナみたちも居た。
きらきらした光が舞い降り、新しい世界の発見を知らせる。だがそれは自分たちだけがなんとなく察した符牒だ。
光跡を描いて消えていく花火を最後まで見届けて、町中が歓声に包まれる。
「ひゃあああわあああすごかったねえ!」
「こんなの初めて見たぜ」
興奮気味なのは、マナみも変わらない。
「月の国なのに昼みたい」
「一生ものの景色だよこれ。いやーほんっとすごかったなー」
感動でテンションが高くなっているイツキは、そうだ!とこちらを振り返る。
「もしかしなくてもこれ、かしわ博士のやつだよね?
海の向こうの世界、見つかったのかな」
「だとしたら仕事早いね、あのおっさん」
「まだ少ししかたってないんだけどな。
……そうだ、イトマキさんに知らせないと。」
テツローは、カバンをかき回して遺産を引っ張り出す。イツキとマナみもその傍にくっついた。
「もしもしイトマキさん?テツローです。今大丈夫ですか?」
『はい、こちらイトマキです。テツロー君ですね。』
すぐに返事が聞こえてきた。
「今、超特大の花火が上がったんですよ。」
『はい、すごかったですねー!鉄の国からも見えました。テツロー君たちはどこですか?』
「月の国です。
そうだ、狐塚が見つかりました。今、宇佐見ちゃんと一緒に先生の所に送り届けた所です。」
『まあ、それはよかった!』
遺産からはほっとしたような声が返ってくる。
「宇佐見ちゃん、家出みたいにして狐塚を探してたみたいで」
『あらあら、情熱的。』
楽しそうな声だ。イトマキもあれで少し思う所があったのだろうか。
「それでですね。Dr.チキンヘッドは、新しい場所を見つけたら、誰にでもわかるように宣伝するといっていました。
きっとこれがそうだと思います。きっと、海の向こうに新しい世界が見つかったんじゃないでしょうか。」
『なるほど。博士は随分仕事が早かったんですね。」
「ただ、発見まで随分あっさりだったのはちょっと不思議だね。」
マナみが口をはさむ。テツローもそうだよな、と頷いた。
「確かに、今までそんな話も昔話も遺産のことも聞いたことなかったのに、そんなに簡単に見つかるもんですかね。」
『どうでしょうか。
まあ、それは確かめに行けばいい話です。拗ねっぱなしのあの人も冒険が見つかれば少し元気が……あら』
これ以上私のことを子ども扱いするのはやめてくれないか、とぶつぶつ声が聞こえて、声が変わる。
『やあ。イトマキ君が色々とやってくれてたようだね。話は聞かせてもらったよ。』
「アマシロさん!!」
テツローが声を上げる。
『ああ、私だ。それで本題だが、今になって新しく大陸が見つかりそうなのは多分理由がある。」
「月が浮上して、遠くが見えるようになったから、じゃないの?」
マナみが言うと、アマシロは、その程度では世界は変わらないよ、と返す。
『さっきテツロー君が言っていたように、今までそんな話も、遺産も、昔話すらなかった。私も聞いたことはない。』
「アマシロさんが聞いたことないってことは、そんなものはないってこと?」
イツキも身を乗り出してくる。
『言い切れるわけではない。ただ、この唐突さは覚えがある。
経験上、あちらの世界で動きがあれば、こちらの世界にも影響する。逆も然り。
今唐突に変化したということは、つまり、あちら側に動きがあった可能性がある。
宇佐見君が陸地の影を見たという時期も、かなりこちらとあちらが不安定な時期だったからね。』
「あちらって……世界壁の向こう!?もしかして」
イツキの興奮した声を受け取って、アマシロは応える。
『そうだ。あの子たちはあちらの世界に帰った。その上で世界に動きができた可能性はある。
だからこそ、いい知らせだと……信じたいね。』
「また会えるのか!?」
『それはわからない。ただ、あちらの世界の者が願えば、どこかに扉が開く可能性はある。』
アマシロは落ち着いた声で続ける。
『私は今からDr.チキンヘッドに確認してくるよ。きっと東の海岸の先だろうが、足があるに越したことはないからね。』
「アマシロさん、行っちゃうの!?」
『もちろん。冒険は探偵のたしなみだからね。』
いたずらっぽい笑いが返ってきた。
『そして冒険の旅は続くんだ。世界の謎全てを解き明かすまで。
それでは諸君、また会おう。新しい世界で待っているよ。』
通話が切れる。
「アマシロさん……マジか」
呆然、といった顔でテツローは遺産を見つめる。
「イトマキさんが言ってたのは正しかったんだね。アマシロさん、心なしかイキイキしてたし。」
ほはあ、とイツキも息をつく。
「でも、あちらの世界って話、気になるね。」
「それそれ、ぼくも気になってた!
ねえ、ぼくたちも、その新しい世界にいこうよ。アマシロさんが言う通りなら、もしかしたらまた会えるかもしれないし!」
もしかしたら、また会えるかもしれない。その言葉はマナみの心にも波紋となって落ちてくる。
冒険と旅で出会った大事な仲間。世界という壁で分かたれた仲間にまた会えるとしたら。
「いいね」
言葉が勝手に滑り落ちていた。
ずっと探していたのだ。どうにかしてあの人たちにもう一度会う方法を。それはきっと、皆同じだろう。
テツローも、ぎゅっと遺産を握りしめると頷いた。
「よし。じゃあ早速鉄の国に戻ろう。ただ、俺たちは月に行く前にやることがあるぞ。」
「それは何」
「残った依頼の片付けだ!俺は依頼は残さねえ!お前らにも手伝ってもらうからな!」
超高速で片付ける!そんでアマシロさんに追いつくぞ!とテツローは高らかに宣言する。
「おー!」
「おー」
月を映すテツローの瞳には、まだ見ぬ新しい冒険と友たちとの再会が既に描かれている。
それはイツキも、きっとマナみも同じなのだった。
『そして、旅は続く』
ページの最後に挟まれた紙に、彼女は眉をしかめた。
「あのね、物語っていうのは、余白があるからいいんだ。それを勝手に曲げるなんて。」
だが、書いた方は曲げた気もなければ、譲る気もなかった。
「また会いたい?そりゃ……私だって会いたいよ。でも、世界を曲げてまで願っていいことなのか?」
彼ら、彼女らの幸せを願うことは、悪いことではない。
そして、一度登場人物になった以上、自分たちの想いだって願っていいはずだ。
言い募ると、彼女は深々とため息をついた。
「そういう思い上がりが、あの世界を壊すかもしれないんだ。私はもうあんな思いはしたくない。」
彼女が願うのは、あの世界の幸せと存続だ。友の幸せと友との再会なんてミクロな事項はその中には含まれない。
だが、個人的な願いこそが一番強いのだ。大事な誰かのための願いはいつだって強くて色褪せない。
「君は強情だね。だからこそうまく行ったんだろうが……」
挟まれた紙を眺めて、彼女は困ったように書き手を眺める。
書いてあるのはたった一言。
『そして、旅は続く』
旅の続きを一番願っているのは君だろう、と彼女は言う。だから素直に頷いた。
「君はあの世界を愛しているかい?」
また頷く。だからこそ、彼らに、彼女たちに会いたいのだ。いつかの再会を約束したのだから。
彼女はうーんとうなると、仕方ないね、と紙を挟みなおした。
「わかった。私の負けだ。
それなら一緒に願おう、あの世界のことを。」
小さな紙の挟まれた赤い表紙の本は、古びていて一度引き裂かれた痕跡がある。だが、それは持ち主の想いを映すように、丁寧に修復してあった。
ぱたんと閉じたその本の上に、二つの手が重なる。
彼女が願うのは、あの世界の幸せと存続。
自分が願うのは友の幸せといつかの再会。
想いは世界の壁を飛び越えて、やがて彼らの所に届くだろう。
そして、願いは叶うのだ。
続いた旅の先で、いつか、きっと……絶対に。
狐塚くんと宇佐見ちゃん、宇佐見ちゃんが助かった後狐塚くんはゲーム内から姿を消してしまうのですが、EDまでにどうなったかな、何が何でも再会してもらわねば!って思ってこんなド長編が生まれました。過去最長4万字…。