「しずー、皮剥いだぞ、受け取れー!」
空いた手を振り回して神奈川はそう合図する。
「はいよー!」
だから自分も元気一杯手を伸ばした。
上から大きな皮が投げられる。それはふわりと宙に開き、そして、自分の方にはたはたと舞い降りてくる。
空と視界はあっというまに毛皮で覆われた。
迫ってくる皮をどう受けたものか考えながら手を広げるが、明らかにサイズに難ありだ。
広げた手もむなしく、皮はどどん、と自分を包むように落っこちてきた。
暑い。なんとか脱出しようとするが皮は容赦なく纏わり付いてくる。じたばたと暴れれば暴れるほどに強くきつく。
そのうち息までできなくなってきた。Zの文字が頭をよぎるが、戦闘後というのはいただけないにも程がある。
もごもごと暴れて暴れて……
目が覚めた。
息が出来ないのも道理で、自分の頭は神奈川の浴衣の胸に押し付けられている。まあ、一緒の部屋で眠ったりすると大体こうなるのが常だった。朧な意識のまま、ひとまずは脱出を試みる。そおっとそおっと下にずれて、頭を腕から離してしまえばこっちのものだ。よいしょ、とひと転がりすれば、ようやく新鮮な空気を吸うことができた。深々と息を吸って、吐いてやっと人心地つく。寝ぼけ眼で見回す室内は少し薄明かりが射していた。太陽はそろそろ起き出す時間だが、自分たちが起きるには少々早い、といったところだろうか。
自分を抱き枕にしていた神奈川は、例によって二つの布団の間に落ち込んでいる。
「カナちゃーん、自分トコに戻りなよぉ……。」
ぺちぺち、と肩を叩いたところで無論起きたりはしなかった。
「まったくもう、仕方ないねえ。」
やれやれ、と体勢を整え、神奈川の身体に手を掛けた。やる事は一つ、掛布団ごと隣の布団に転がしてやるのみ。
「よいしょ、っと……」
かすかな声はするものの、それでも起きないのだからしっかり熟睡しているのだろう。なんとか隣の布団に追いやって息をつくと、平和かつあどけない寝顔が見えた。
「全く……こーんなおっきくなったのに、子どもみたいだねぁ。」
出会った頃と変わりはしない。何度名前が変わっても、どれだけ大きくなっても、どれだけ環境が変わっても、ここにいるのは素のままの神奈川だ。少し甘ったれで、少し荒っぽくて、……今でもただ一人、昔のままの小さな姿の自分に甘えてくる仕方ない幼馴染。
これで他に居る時はカッコよくて出来る男で通しているのだから、人は本当に見た目によらない。
大きな街になったから、格好つけなきゃいけないから、一杯一杯虚勢を張って、それが板についてきて……そんな事もちろんわかっている。だから、もう神奈川のこんな表情を見れるのは自分だけだろう。そうやって甘えてくるなら、外で頑張っている分くらいは大目に見てやりたい気持ちだってないわけではない。
でも、零れるのは小さな笑いだった。
「なんでよりによってうちに甘えてくるんだか。」
嬉しいような、呆れたような、安心の中に諦めも入っているけれど、良く解らない可笑しさもある。
跳ねた柔らかい髪を撫でると、神奈川は小さく唸って、ぐいとこちらの身体を引きよせた。
「!?」
バランスを崩して布団に逆戻りする。倒れこんだ衝撃はそこそこあったのだが、神奈川からは特に反応は無い。
「……カナちゃん?」
そおっと窺うが、相変わらずの平和な寝顔が見えただけだった。寝相が酷いにも程がある。
ため息をついて再度脱出を試みる。しかし、敵は寝ているくせにしっかりホールドして全く離す気配が無かった。そもそも腕力的な意味で力が段違いなのだ。こんなところだけ無駄に大人なおかげで小学生の自分には勝ち目なんて最初からない。
どうしようもないとわかれば、諦めてもいいかという気にもなる。布団を少し手繰り寄せ、息だけできるようにして、ふうっと力を抜いた。抱きついている神奈川の体温はまだ暖かく、力を抜くと同時に眠くなってくる。
「……まあ、……いっか。」
神奈川が解放してくれるまでは寝ているしかなさそうではあるし。そう結論付けて、静岡は再び目を閉じた。
「……しず……」
もう一度目が覚めたのは、自分の名を呼ばれたからだった。
「……うぅん……なぁに……?」
寝ぼけた目蓋を持ち上げる。……が、自分を抱き枕にしている神奈川は、別に起きている様子は無い。
「カナちゃん?」
「…………。」
呼んでみても、普通に寝こけているだけだ。多分、空耳だったのだろう。
上手く動けない体のまま辺りに目をやると、既に部屋は明るくなっているようだった。時間は何時くらいだろう。ここからでは確認できないだが、そろそろ起きてもいい頃合のような気もする。
腕の力は最初よりは抜けているようだった。何とか動かせなくも無い腕から、もぞもぞと脱出を試みる。重たい腕を少し上にあげて、隙間からそっと抜けて、脱出完了だ。そのままごろごろと時計を見れば、案の定既に7時を大幅に回っていた。
布団エリアから脱出し、少し重たい頭をよいしょともちあげて身体を起こす。欠伸と一緒に伸びをすれば、少しは目が冴えた、ような気もする。朝食はいつだったかなあ、8時過ぎだったっけ……などと考えると、そろそろ神奈川も起こした方がよさそうだった。
「カナちゃんー朝だよー。おきてー。」
ぺちぺちと肩を叩くが、神奈川はコロっと転がっただけだ。
「カーナーちゃーんー。朝だよー。ご飯食べ損ねるよー。」
転がってしまった肩をもう一度、今度は少し強めに叩く。
すると今度は、うぅぅ、なんていう、良く解らない声が返ってきた。・・・目が覚めかけているのだろうか。それならばあと一押し。
「おーきーてーーーー!!!」
肩とおなかのあたりをぐいっと掴んで、思いっきり揺さぶる。
「うぅぁ……なんだよもう……。」
身体は布団にもぐりこもうとするが、静岡はその布団を思いっきりひっぺがした。
「朝だよ!朝ごはん!もうすぐだから支度しないと。」
ぼんやりした瞳がこちらを向き、まぶしそうに細まって、そしてやっとちゃんと目蓋が開いた。
「……うぅ……今何時だ?」
もぞもぞと起き上がりながら、眠そうな声が言う。
「7時半近いよー。朝風呂でも入って目ぇさましといで?」
「……そうだな……ふわぁぁあ……」
大あくびと共に微妙にはだけた浴衣がこちらに向き直った。
「あー、良く寝た……。」
ぼんやりはしているが、まあ目は覚めたらしい。
「うちもお風呂入ってくるから。」
「……うーい。」
ぼんやりした返事に、やれやれ、と息をつきながら着替えを引っ張り出す。着てきた服と一瞬迷って、昨日少しだけ着ていた桜の浴衣を手に取った。朝なら涼しいし、少し遊びに行くにもいいかもしれないし。
「じゃああとでねー」
部屋の入り口でタオルと浴衣片手に振り返ると、神奈川は相変わらずのぼんやり顔でこちらを見た。
「浴衣にするのか?」
「うんー。折角だし。」
「じゃ、俺も浴衣にすっかなあ。」
「うんー、いいんじゃない?」
言いながら、ああそうだ、と思いだす。
「後で竹林散歩いこ。きっと朝なら涼しいよ。」
「ああ、そうだなー。 じゃあ、飯食ったらいくか。」
ふわぁ、と伸びをしながら、神奈川もどうやら立ち上がったようだった。
「うんー。じゃあまた後でー。」
言いながらぱたんと戸をしめる。戸越しに聞えた物音は、神奈川もどうやら支度を始めたらしいという事を知らせてくれていた。
散歩道の音が聞える。
さわさわと竹葉のこすれる音。小さな渓流を流れる水の音。
そして、からりからりと連れ立って石畳を歩く音。

実を言うと別件で「ちょっと背伸びするしず、で、カナシズ」てリクエストを頂いてたのですが、ネタに困った末にという事情があったりなかったり。
普段は子どもみたいな顔するくせに、神奈川さんの前でだけちょっと背伸び気味の静岡さんは我が家の通常運営ですが、静岡さんの前ではかっこつけようとしつつどうも子どもみたいな神奈川さんも我が家の通常運営でした。相手の若干だらしない顔を見れるのは、身内の特権だと思います。