二人乗りのオートバイ 1.

「ただいまー!」
いつになく陽気な声が家に響く。
「おかえりー、えらい上機嫌やん。」
神戸が雑誌から顔を上げると、播磨が一抱えくらいの大きさの箱を抱えて居間に入ってくるところだった。
「メンテに出してたバイクが戻って来たんや。ついでにメットも新調したしな。」
なるほど、箱の中身はヘルメットらしい。
「メンテ?あんたいつも自分でしよるやん。」
「たまには店も使うわ。俺、自分の整備技能そこまで過信しとらへんで。」
そういいながら居間の一角を陣取り、ひょいひょいと箱を開けていく。出てきたのはピカピカで真っ黒なフルフェイスのヘルメットだった。コンビニにつけたままで入ったら確実に不審者扱いされそうな代物である。
「よいせっと。」
散らかした箱もそのままに、播磨はヘルメットを被った。どうやら紐の具合を見ているらしい。
「不審者やなあ。」
「オートバイ乗り回すならこんなもんやろ。」
返答の声もくぐもっている。
「こんなもんか。」
不審者はヘルメットを脱ぐと、水に濡れた犬のようにふるふると頭を振った。そして、ひょいとヘルメットを脇に置くと、箱を手早く纏め始める。
「どんなもんなん?」
置かれたヘルメットを取り上げ、ためしに被ってみる。視界が若干狭くなった。……しかし、見た目よりは軽いし、フィット感も悪くない。ついでに、意外と息が出来る。
「こら、何やっとんのや。」
外からの声は、薄まって聞えた。
「何って、試着?これ、意外に軽いんやなあ。」
「重かったら首痛うてかなわんやろ。」
纏めた箱を古紙置き場に放り込むと、播磨はヘルメットに手を掛けた。紐を掛けていないヘルメットは、すぽんとあっさり脱げてしまう。
それを無造作にテーブルに置くと、播磨はうきうきと部屋を出て行ってしまった。
テーブルの上のヘルメットを見つめて、……もう一度被ってみる。
視界がまた狭くなった。少し色が入って、先ほどの雑誌も違って見える。
いつも不審者で暑苦しそうなものを被ってるものだと感心と呆れで見ていたのだが、軽さと通気性がそれなりにあるところを見ると、不審者ライフもさほど悪くは無いらしい。
そのままの格好で雑誌をめくっていると、また唐突に視界が広く明るくなった。
「だから。何やっとるんや。お前は小学生か。」
振り返ると、すぽん、と脱げた……もとい脱がしたヘルメットを抱えて、呆れ顔の播磨が立っていた。
「だって、新品のヘルメットってものめずらしくて……あれ?どっか行くん?」
よく見なくても、先ほどと格好が違う。黒い厚手のジーンズに、これまた黒のライダージャケット。黒いグローブを片手に持って腕には先ほど自分から取り上げたヘルメット。肩に担いだリュックにはいくばくかの荷物が入っているらしいが、……どう見てもお出かけの格好である。
「ああ、せっかくやからちょっと走ってくる。」
答えも予想の範囲内だった。
「どこまで?」
「まだ決めとらへんけど。ああ、帰りは有馬寄って帰るつもりや。夕飯までには帰ってくるけえ。」
とってつけたような答えをして、ほな、皆に伝えててや、と踵を返す。うきうきとした仕草は、軽い拒絶すら感じさせて、なんだか面白くない。
「待って。」
だから、その裾をぐいっとひっぱった。
「何どい。」
振り返った顔に、にっこりと微笑みかける。
「うちも行く。」
播磨の表情が、迷惑そうに歪んだ。
「なんでやねん。」
「だって面白そうやもん。」
バイクでのお出かけには連れて行ってもらったことがない。どんな感じなのだろうという好奇心はあった。……あと、一人でうきうきしているのを少し邪魔してみたかったという天邪鬼も、あるにはある。今の気持ちの大体半分くらい。
「……俺の楽しみ邪魔すんなや。」
そんな内心がばれていたか、べり、と手が剥がされた。しかし、これくらいの抵抗は予想の範囲内だ。
「二人の方が楽しいで。」
「気苦労の方が多いわ。」
一人が気楽だの、面倒だの。ぶつぶつ言う文句は聞えないフリで、もう一度言ってみる。
「ね、連れてって?」
「……帰りは温泉やで?」
来るな、の意味を存分に含んだその言葉は、残念ながら全く意味を成さなかった。
「有馬に行くんやったら、うち案内したるで?地元やし。」
播磨が、ぐっと止まった。
それを見て、心の中でにっこり微笑む。きっと後一押し。
「ね、お願い。」
「俺の運転やで?」
最終通告だ、と言わんばかりの言葉は、裏を返せば折れる寸前という事を表していた。播磨は言葉は荒いし文句は一端に言う……が、基本的にお人よしで、押しに滅法弱いのだ。
「かまわへん。」
即答は、確実に効果を与えたようだった。
「うちがおる時くらい、安全運転してくれるんやろ?」
「……。」
図星を突かれた、とか、言い返せない、とか、悔しい、とか。それらが全て表情に出る。
ややあって、播磨は深々とため息をついた。
「……わかった。着替えて来い。待たへんからな。」
言いながら、やれやれ、とそこに腰を下ろす。
「了解!」
気の変わらぬうちに、返事をして部屋に取って返した。
表情が緩む。ちょろい、と思いつつも自分の言い分が聞き届けてもらえるのは嬉しいものなのだ。


そして20分後。
神戸は通りすがりのコンビニで荒く息をついていた。
「べっちょないけ?」
ヘルメットをひょいと脱がせて、播磨がこちらを覗き込む。
「だ、い、じょうぶや。」
呼吸を整えて、深く一息。
「意外と疲れるんやな。」
「お前が緊張しすぎなんや。」
ちょっと飲み物買うて来るけぇ待っとれ。そういい残して、播磨は店内に行ってしまう。
止めたバイクに腰掛け、ヘルメットを抱いて、はあとため息。
後ろに乗るだけなのに、なんでこうも疲れるのか。
出掛けに播磨とした約束を思い返す。
運転の邪魔をしない。走っている時は手を離さない。体勢をあわせる。エトセトラ。
やないと、事故っても文句言えへんで。と。脅しでもなんでもないという態度が逆に怖くて、それで緊張していたのかもしれない。
あるいは、20分一杯、無言の播磨にしがみ付くようにしていたおかげで調子が狂ったとか。ありえない話ではない。
しかし、しがみ付くしかなかった。運転が若干どころでなく荒いので、景色だの見る前に心臓がとまりそうになるのだ。
……なんとなく、これが最大要因な気がしてきた。
コンビニの扉の方を見れば、丁度その姿が見えて、思わず目線も険しくなる。
「ただいま。……どうした?」
戻ってきた播磨は、その視線に気づいたのか、半歩ほど引いた。
「なんでこんな疲れるのか考えてたんや。播磨、運転荒い。もっと加減して。」
面倒、と歪んだ表情にもう一つ。
「後ろに乗ってるの、初心者やで。」
「へいへい。」
播磨は嘆息して、バイクに寄りかかった。
「少しは反省してや。」
「ほれ。」
ぺたん、と頬に冷たい感触。くっついた紅茶のボトルは素直に受け取っておくことにする。キャップをあけていると、隣は聞いているやら聞いていないやら、マイペースに緑茶のボトルをごくごくやっていた。ならう気はないが、確かに喉は渇いていて、結局同じようにボトルに口をつける。
「……ま、気をつけてみるわ。」
キャップをつけたボトルをリュックに放り込みながら、ぼそっと播磨が言った。
「そうしてや。」
ボトルを播磨に預けてバイクを降りる。そしてヘルメットを被りなおしているうちにエンジンがかかった。
「ちゃんとつかまっとくんやで。」
「わかっとう。」
命に関わる事は最初の5分で骨身にしみた。思い切りホールドすると、播磨がヘルメットを脱いで振り返る。
「アホ、そこまで抱きつかんでええわ!腹から千切れたらどうしてくれる。」
「そんなことありえへんやん。」
ヘルメットを脱いで応戦すると、播磨は、あのなあ、とため息をついた。
「ジェットコースターにでも乗るくらいのノリでええんやで?」
「こんな命がけのジェットコースターあらへんわ。」
即答に播磨はがしがしと頭をかく。
「あのなあ、これでも運転暦結構あるんやで?ちったぁ信用せんかい。」
「……曲がるときとか追い越すときとか怖いんやもん。」
ぶうっと文句を言うと、わかったわかった、と答えが返ってきた。
「速度落としたる。だからそんな力いれんな。俺が千切れる。」
「……わかった。」
「うし、いくか。」
ヘルメットを被りなおして、今度こそ再出発。
……こりゃコース変更やなあ、と、播磨がぼそっと呟いた。



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