「兄さん呼ばわりは、もうこれきりにせえや。」
冷たい声が居間に響いた。
兄達相手に新しい貿易相手の話をしているところだった。良い値で生糸を買ってくれるのだと、つい少し前まで自分は機嫌よく話していた、のだが。
丹波の態度は常日頃から冷静だ。しかし、こんなに声が冷ややかな事はそうそうない。例えて言うならそれは、氷の壁のよう。
間違いないのは、丹波が本気だということだ。
「なんでや?うち、東京さんに、丹波兄さんたちが兄さんやって」
足元が崩れた気がして、必死に言い募る。しかし、丹波は冷たく息をついた。
「それは別にわてらが望んだ事やあらへん。」
「せやけど、今は同じ兵庫や。一緒に暮らしとうし、うちは兄さんたちに一杯」
「……これ以上言うなや。」
そばで聞いていた但馬が、口を挟む。
いつになく静かな、厳とした言葉に背筋がぞくりとした。
「で、でも、兄さんは兄さんで」
「お前みたいな物分りの悪い奴が代表とか、反吐が出るわ。」
播磨の言葉もいつも以上に辛辣だ。喉の奥から感情がこみ上げてきて、それはやがて眼からあふれ出す。
「泣くな。それでも兵庫代表け。」
しかし、丹波は厳しかった。いつもなら間に入ってくれる但馬も黙ったままだ。普段なら緩衝役になってくれる淡路はそもそも今日明日は留守である。
「とにかく、そう言うことや。わかったな。」
丹波がそう言うだけ言って、会話は一方的に終了した。
「けど兄さん!」
幾ら兄たちを呼んでも、誰も振り返らない。
しかし、だからと言って名前で呼ぶのは躊躇われた。なにより繋がりが消えそうで嫌だ。
部屋には4人もいるのに、自分は一人ぼっちだ。拒絶の重たい空気が纏わりついて、気持ちも奈落に持っていかれるような気がする。
「あ、……ぅっ……。」
言葉は言葉にならなかった。
あふれる涙をどうする事もできず、逃げるように自室に駆け込む。
ようやく慣れてきた部屋。しかしそこからあふれそうな舶来物の存在が、兵庫の兄たちとの間に壁として立ちはだかっているような気さえした。
……ただ、洋風の大きなクッションは抱きしめて泣くには丁度だ。
クッションに顔を押し付けて、涙を染ませる。声を殺す事と感情の処理に必死で、神戸は、いつのまにか眠りの世界にいざなわれた事にも気づかなかったのだった。