そのせいだろうか、森は色彩を失っていた。黒い森を冷たい風が吹き抜け、思わず身を震わせる。
と、数歩先を歩いていた彼女がくるりと振り返った。
「大丈夫?」
「あ、・・・ああ。向かい風だから。」
大丈夫だと頷くと、彼女はくすくすと笑う。
「その格好も大変ね。」
そう言って、彼女は身に着けていた上着を外そうとした。
「あ、いや、いいから!」
慌ててその手を止める。触れた手は少し暖かかった。
「手、冷えてるよ。」
言われて、慌てて手を離す。と、彼女の手が追いかけてきて、こちらの手を握った。
「な・・・」
「こうやってれば少しは暖かいかな?」
にっこり笑ってこちらを見る。
「あ、・・・え・・・・。」
言葉にならない。ただ、顔に血が上るのは判った。
為されるがまま手を引かれ、共に歩く。暖かい手の中で、凍えた手が溶けていく。
「もう少しで着くよ。」
前を見据えるその声は、周りの風景とは逆に明るい。久しぶりの故郷は、彼女にとって嬉しいもののようだった。帰る事に喜びを見出せる故郷という感覚は、正直良くわからない。だが・・・ただ、ここに一度戻ると決めたときから、彼女はいつもよりは確実に楽しそうだった。
きょろきょろと見回し、一つ頷くと彼女は一点を目指す。引っ張られるように、同じ場所を目指す。
そこは、ただでさえ暗い森の暗さが集まったような場所だった。
「見てて。」
彼女はそう言うと、歌うような節回しで呪を口にする。聞きこぼれたそれは、えらく古風な呪文だった。
やがて、雲が開け光が差す。道しるべのように、森の奥まで光が降る。
「綺麗でしょ。」
「・・・ああ、うん。」
きらきらと零れるようなその光は、触れる事も中に入ることも気後れしてしまうほどに明るかった。
「この先よ。」
彼女の声も、笑顔も、その光と同じくらいに明るい。・・・触れる事も、傍にいることも気後れしてしまうくらいに。
「・・・ああ・・・うん。」
曖昧に頷くものの、足は動かなかった。
「どうしたの?」
「いや、・・・
・・・・・・。」
零れ落ちる光の中は、彼女にはとても似合っていた。この先の彼女の故郷もきっと、光に満ち溢れている、そんな気がする。
そして、それは自分にはあまりに不似合いだった。不似合い、というよりも、そこに入る資格がないといった方が正しい。
「・・・僕は、・・・本当に君と一緒に行っていいのか・・・?」
彼女は、光そのものだ。
だが、光の中で光と共にある事は、自分にとって許される事ではないような、そんな気もする。顔をうつむけると、のんびりした声が返ってきた。
「私は、エルファスと一緒にいきたいんだけど?」
取られていた手が、少し強く握られる。恐る恐る顔をあげると、彼女は小さく笑った。
「今更なのよ。私はあなたと生きるって決めたし、貴方は私について来いっていったでしょ。」
「それは・・・。」
沈黙が落ちる。
それは確かに、償いの旅に出ると決めたときに言った事だった。
旅に着いてきて欲しい、と。そう言ったら、拍子抜けするくらいあっさりと了解がもらえて、彼女はそれからずっと、旅に同道してくれている。
それなら、なぜ今自分たちがここにいるのかと言えば、・・・ミイス近くを通る予定があるなら、村の様子を見て来たいと彼女が言い出したからだった。
村が焼けてから一度も戻っていないという、彼女の故郷。神器を護る隠れ里はノトゥーン教会の分派が治める村で、・・・過去に告死天使が襲撃をかけている。
・・・これは償いの旅なのだ。
顔を上げる。こちらを見た彼女から、ふ、と一つ息が落ちた。それと同時に握られていた手が離れる。
「・・・私との旅は、どう?楽しい?」
唐突な質問だった。首を傾げるその仕草が、こちらを促す。
「うん、・・・楽しい。・・・幸せだと・・・思ってる。」
そこまで言ってしまって、はっとした。
償いの旅を、自分は結局楽しんでしまっている。幸せすら感じている。・・・それは、やはり申し訳ないことなのだ。世界中を巻き込み滅ぼそうとした自分には、そのような資格などない。
「・・・・・・。」
止まった自分に彼女はまた一つ息をつくと、光の中にすたすたと入っていった。
「あのね、償いの旅だからって、いつも俯いてなきゃいけないわけじゃないと思うよ。」
そう言ってこちらを振り返る。
「楽しければ楽しいでいいし、エルファスがこれで幸せなら私も嬉しい。
償うって、謝るとか反省するとか、それだけじゃないよ。
誰かを不幸にしてしまったのなら、その分誰かを幸せにする。そういうのだって私はアリだと思う。」
そうやって、みんなに幸せを配るのよ、と彼女は笑う。
「だからさ、とりあえず顔を上げて、前を見てみようよ。」
こんな綺麗なところなんだから、うつむいてたらもったいないよ。
そう言って、ぱっと両手を広げた。
身体いっぱいに光を浴びたその姿は、自分からは遠い。・・・それなのに、いや、だからこそ、どうしようもなく惹かれた。
「私は、私の故郷でまであなたに俯いていて欲しくないの。」
そう、言われても・・・本当にいいのだろうか、とまた疑問が持ち上がる。
頭は自然と下がって、また地面を見つめる。足は、動かない。
「エルファス。」
名を呼ばれて顔を上げる。
「こっちにおいでよ。」
優しい笑み。・・・ただそれがとても、辛そうにも映った。
・・・いいのか、と自問する。
彼女は、待っていてくれている。
そして、心は決した。
一歩踏み出す。また一歩。光の中に足を踏み入れて彼女の手を取ると、彼女は今度こそ一杯の笑顔で迎えてくれた。
「・・・すまない。僕は、・・・」
まとまらずに散っていく言葉を、かき集める。
「僕は、・・・やっぱり幸せになってはいけないんだと思う。償いの旅はまだ途中だ。
だけど、君と共にいることを捨てる事は出来ない。」
あげたはずの顔は、どうしても地を向いてしまう。それにも構わず、言葉を捜す。
「決めたはずなのに中途半端だ。でも、・・・」
続きを言うのには、少しばかり決心が必要だった。
息を吸って、目を合わせる。
「でも、僕も前を向くようにする。いつかは、君と同じものを見たいから。」
見られるかどうかはわからない。だが、近づきたかった。出来る事なら、未来も共に。
あわせていた瞳が、揺らぐ。そして、・・・ばふ、と軽い衝撃。
気がついたら、自分は彼女の腕の中に納まっていた。
「・・・嬉しい。とっても。」
彼女は笑う。
その声と暖かさに、自分が紅くなるのが判った。
「あ・・・・・の、・・・その・・・。」
触れるべきか離すべきか、行き場を失った手が宙に浮き、そして落ちた。
固まっていたのはどれくらいだろうか。気がつくと彼女の顔が目の前にある。その顔をついまじまじと見ていると、彼女は照れたように笑った。
「あ、・・・えと、行こっか。」
その顔は紅く染まっていた。くるりと背を向け、明るい森の方へ歩き出す。
「その、兄さんに会うのも久々だし、みんなも紹介するね。義姉さんも今居るみたいだし、もしかしたら」
言葉も早口だし、歩くのも早足だ。その足に追いついて、手を取る。
「・・・一緒に、行くんだろう。」
彼女は驚いたように振り返って、・・・また、照れたように笑った。
「そうだったね。」
きゅ、と手が握られる。
しっかり手を繋いだまま、歩を進める。先は、明るい森になっていた。
軽く目を閉じてもまぶたの裏に感じる光が、くすぐったい。
そして、手に触れる温度が心地よい。
目を開けて、明るい世界を真っ直ぐに見る。
彼女の故郷だろう。隠れ里はもうすぐそこに見えていた。
書いてるうちにイメージと若干ズレたのは認めます、が、修正難しくて出来ませんでした。もっかい研究して出直す。
でもまあ、おおむねこんなイメージだったりします。エルファスがもうちょい強い気はするが。