窓をたたく音に、書類から顔を上げる。
「おーい、生きてるー?」
ここ最近月例と化したその声は、間違いなくその娘のものだった。
窓を開けようと椅子から立ち上がって、ふと止まる。
・・・今夜は新月だっただろうか?
ここの所月が細いのは知っている。そろそろだと言うのも判っている。
・・・が、あの厄介な衝動は今夜はない。
頭の中で暦を数える。どう数えても新月は明日だ。
「おーい、大丈夫かい?」
心配そうな声が外から聞こえてきて、なんとなく判った。
・・・どうやら、相手は一日間違えているらしい。
のどの奥でくつりと笑う。
今までの仕返しをするには、絶好の機会。そうとしか思えなかった。
窓を開けると、予想通り娘が飛び込んできた。
「ごめん、大丈夫かい?」
心配そうに見上げる娘に、盛大に調子の悪そうな表情をしてみせる。
「・・・すまんな。」
「いや、謝るような事じゃないだろ?」
ぱたん、と窓を後ろ手にしめて、娘はこちらに向き直った。
「今夜は、一緒にいるからさ。」
「・・・ああ。すまな・・・!」
苦しむフリをして抱きつく。と、娘は慣れた様子で抱きとめた。
「・・・取り合えず、座る?」
「・・・そうだ、な。」
笑いたくなるのを必死にこらえる。それでも身体が震える。笑いで。
表情が見えないように肩口に顔を乗せると、髪から少しだけ石鹸の匂いがした。いつもなら必死で全く気づかないのだが、少し新鮮さを感じる。
「少し、落ち着いたかい?」
落ち着かせるように背中を撫でる手は、常と変わらない。
「・・・いや、・・・っ!」
ぎ、と抱きしめると、おっと、などといいながら、抱き留め返してくれる。
「相変わらず大変だねえ。ま、いざとなったら血くらいあげるから。」
「・・・ああ・・・。」
力なく返事をしてみせて、首筋に目をやる。健康的に弾力のありそうな肌は襟のところで隠れてしまっていた。日焼けの跡がちらりと見えているのがなんとも言えない。ふらふらと唇をつけると肩の部分がびくりと跳ねた。
「・・・ちょっと待ってね。」
襟元のボタンがはずされて、少し肩口が開く。どうぞ、の意味だろうか。・・・その意味なのだろう。
なんとなくだが、嬉しくはない。母親が赤子に乳をやるような感覚でボタンをはずしたのだと、それくらいは感じる。新月の夜の自分たちの様子からすれば、それは当然の帰着ではあるのだが。その事実がまた嬉しくない。
首筋と肩の間に唇を這わせ、苛立った感情のままに吸い上げる。
「っ・・・!」
また、肩が小さく跳ねる。それなのに、相変わらず背中に回っている手は、あやすように自分を軽くたたいていた。それにまた苛立つ。苦しいとき、それがあると確かに落ち着く、それも事実だ。しかし、・・・それは、それだけでしかない。
胸元のボタンに手を掛け、外す。一つ。また一つ外そうとしたところで、その手を止められた。
「レムオン。もしかしなくても今日、かなり余裕あるんじゃないかい?」
気づかれたか。
「・・・そう見えるか?」
「・・・しれっと他人の服脱がしにくるとは思ってなかったよ。」
ぐい、と身体が離される。紅潮した怒り顔が見えた。はだけた胸元を取り合えずかきあわせているその仕草が、珍しく色っぽい。
「なんでこうなる?」
「夜更けに一人で男の部屋を訪れる時点で、当然の話ではないのか?」
「こんな余裕あるなら、わざわざ様子見にはこない。」
今まで騙していたのか、と視線はきつく問いかける。
「ああ。気づいていないようだが、新月は明日だ。」
そこまで言って、虚を突かれた様に開いた唇を奪った。
「!?」
暴れようとする両腕を驚きの間に封じ込め、ボタンを外す。いい大きさの胸をぐいと掴む。慣れない感触に呆然としたのか、反撃もできずに居る娘から唇を離してやる。
「・・・新月の夜だけ会いに来るなど、全くとんだ嫌がらせだ。」
目の前の身体にも、苦しみの中では縋り付くしかできない。そもそも苦しむ姿を見られたくなかった。それなのに余裕の態度で新月の夜だけ訪れる娘が、どれだけ歯痒かったことか。
唇に、そこから首筋に、肩口へ。片手は乳房の形を変えていた。もう片方の腕で動けないほどにきつく抱きしめて、唇を這わせる。
「・・・まって・・・!」
耳元で苦しげな声がした。
「却下だ。」
残った服に手を掛けると、力が緩んだ隙に手足が暴れた。
「話聞いてよ!逃げないから!」
暴れる力は常の半分以下だ。おまけに逃げない、という。・・・娘の言う事に嘘は基本的にない。
「・・・何だ。」
身体を離すと、赤い顔がほっとしたようにこちらを見上げた。それから、思い出したようにはだけたままの服をかき合わせる。顔はうつむけたまま戻ってこない。
「・・・あの。さ・・・。
・・・・・・いつから私のことそんな目で見てたんだい?」
「・・・さあな。忘れた。」
実際のところ、最初から妹としては見ていなかったのかもしれないと思わなくも無い。
さっさと肩口に手を掛けると、裏返った声がまた制止する。
「い・・・今、『お兄ちゃん』って呼んだら止めてくれる?」
手が止まった。
今までこの娘から兄に類する扱いを受けた記憶は皆無だ。かつて呼ばれてみたいと思わなかったと言えば嘘になる。・・・しかしそれは、今だけは言われたくない言葉だった。
「・・・そんなに嫌か。」
言葉は苦い。多分自分は、そんな呼び方をされたらそこで止まってしまう。
「・・・・・・ごめん、そう・・・じゃ、ない。・・・ごめん。」
と、腕が、こちらの身体に回った。
「・・・レムオンのこと、初めて会ったときからずっと好きだったんだ。
だから、その、あのええと、・・・嬉しいのはそうなんだけど、・・・あの、だから、いきなり、無理やりは止めてほしくって、・・・その、ごめん。・・・あと、その、・・・怖くて。」
虚を突かれた。心中にじわりと何か、暖かなものが広がる。
表情は見えない。ただ、小さく震えるその身体に腕を回して抱きしめた。
「・・・いいんだな。」
「・・・うん。」
腕の中の諒解を取り、その身体を抱き上げる。
横抱きに驚いたのか、慌ててしがみついてくるのが妙に可愛らしく愛おしい。あの荒々しい竜殺しも、自分の腕の中では一人の娘に過ぎない、という事を今更ながらに思う。
「・・・愛している。」
口をついて出た言葉に返って来たのは驚き顔だった。それがまた可笑しい。
目を見開いた娘に軽く口付けてベッドに横たえると、レムオンは部屋の明かりを消したのだった。
蛇の生殺しを何度も繰り返されればいつかはあの義兄上だってキレるんじゃないかと。
色気あったのと短かったから、こっちに持って来ました。
まあ、あの義兄上にここまでの行動力あるかどうかといわれると、どうもなさそうな気もするので。