Zill O'll TOP

ただいまを言う方法

世界が混乱しているような気がしていた。
世界がどこで道を誤ったのかは誰にも分からない。もしかしたら、世界は別に道を間違っていたわけではないかもしれない。
ただ、ロストールとディンガルの二度目の戦争から後、事件はシェナの周りで起き続け、突発的に頼まれる仕事もまた増えている。これは、少なくともシェナにとってはやはり道を誤ったとしか思えないことだった。『ただの冒険者なのになんでこんなことになったんだろうね』とは彼女の弁だ。
ネメアが次元の狭間に落とされ、戦争が落ち着いたと思ったらクーデターが起き、それを片付けたらコーンスの反乱、エンシャントのソウルリープ。すべて身内が関わっているとなると、首を突っ込まないわけには行かなかった。合間に人探しだの手紙の配達だの護衛だのなんだのかんだの片付けているうち、気がつけばかなりの日数が過ぎている。少なくとも、戦争からは……ネメアが失踪してからは軽く半年以上だ。ネメアは頑丈だから、とオルファウスは言うが、急がなければならないのには違いない。
そんなわけで、一行は急ぎロストール方面に向かっていた。

街道の高台から街が見え始める。あと少し歩けば到着するその景色は、記憶とは少しだけ違っていた。
半年前に町を出たあの時は戦で荒れてボロボロだったのに、今は少しずつ再生しているのがわかるロストールの町。
「半年で変わるもんだねえ。姫さまが頑張ってるのかな。」
シェナは、ふぅ、と息をつく。アトレイア王女が復興を頑張っているというのは、風のうわさに聞こえていた。
「……そうだな。」
同じように息をついていても、隣に居たレムオンの声はかなり複雑な色を滲ませていた。反省は反省としてしてもらうことにして、シェナは明るく振り返る。
「ロストールも半年振りだねえ。あ…………。」
明るくしていた声は、記憶にひっかかって途中でしぼんだ。
「………………・どうした?」
「いや、……・半年だなぁって……。うん、……レムオン、リューガ邸に顔出したりしたかい?」
「そんな暇がどこにあったんだ。お前が一番よく知っているだろう。」
思ったとおりの即答が返ってきて、シェナは深々とため息をつく。
「……だよねぇ。」
「それに、俺はもう……あそこには戻れない。」
レムオンは軽く頭を振って、そう言う。その気持ちも痛いほどに分かった。自分も少し前までそうだったのだから。
しかし、だからこそ、それではいけないと思う。
今、リューガ邸にはセバスチャンがいるはずだ。そして、リューガ家を継いだエストも。
二人とも、帰らないレムオンを間違いなく心配しているだろう。
だから、一度は戻らせたかった。最初の一度がなんとかなれば、後は続くかもしれない、という思いもある。なぜなら、自分もそうだったから。
一番最初に、リューガ邸に戻った時の事、エストに言われたことを思い出しながら、シェナは慎重に口を開いた。

「……レムオン、実は私……その、今まで黙ってたんだけどさ、お屋敷にちょっと封印してる魔人がいるんだ。」

ぴしり、と空気の凍る音がした、ような気がした。こくり、とつばを飲み込んで先を続ける。
「……最後に封印見て半年なんだけど、私もああいうの苦手だから、もしかしたら封印解けちゃっ」
最後まで言わぬうち、レムオンの顔色が変わった。
「なぜ俺に言わなかった!」
血相を変えて詰め寄ってこられるのは、半ば予想内、半ば予想外。
「その、……すっかり忘れてて」
「忘れるな馬鹿!!屋敷の者に害は!?」
殴られない分マシ、くらいの剣幕。ぞっとするほどの迫力に、一瞬ひるむ。
「多分……まだ大丈夫……だと」
「多分とは何だ!?お前が封印したのだろう、危険性くらい知っておけ!」
掴まれた肩が痛い。レムオンは確実に本気だ。本気で怒っている。
「とにかく行くぞ!」
乱暴に腕が掴まれる。ロストールの方へ引きずられながら、シェナは慌てて聞いた。
「行くって、付き合ってくれるのかい?」
「お前に任せておけるか!」
即答で怒鳴られた。
……エスト兄さん、私つく嘘間違ったよ……
後悔先に立たず。
よくよく考えれば確かに、血相変えるのも無理は無い。おまけに、見た目に寄らずレムオンは情が深い。家人を危険にさらしたと言うなら、きつい怒りももっともである。手を上げなかったのは、まだぎりぎりで理性が残っていたからだろう。そうとしか考えられない。
そもそもの目的は、レムオンをリューガ邸に連れて行くことだった。これはできるだろう。しかし、その後を想像すると、どうだろうか。シェナは暗澹たる気分にならざるを得ないのだった。

考えられる限りの最高速で二人はリューガ邸前に到着していた。
門衛がダルケニス姿のままのレムオンを見て一瞬固まり、シェナのほうを見て居住まいを正す。
「お帰りなさいませ、シェナ様。あの、」
「俺を見忘れたか?」
怒りと焦りによって凄みのある低い声。しかし、その声だけは以前と変わらない。門衛が上ずった声で礼をする。
「お帰りなさいませ、レムオン様!」
門が開く。開き切る前にレムオンは邸内に踏み入っていた。シェナの腕は掴んだまま、引きずるように館へ急ぐ。何かを確認するかのように目線を配って……そして、歩く速度が緩んだ。
「特に異常は無いようだな。」
硬い声の中に、少しだけ安心が混ざる。
「そうみたいだね。うん、よかったよ。」
言った瞬間、腕を掴む力が一気に強くなった。それとともに頭の上から怒鳴られる。
「よかった、ではないだろう!なぜそんなものを封印したんだ!しかも家に!」
「前にね、うちにいる魔人は半年で封印が解けるって聞いたんだよ。」
館まではあともう少しだ。もうそろそろ種明かしをしてもいい頃合だろう。そう判断して心を決める。
「そんなことを誰が?」
「私はエスト兄さんから聞いた。でもね、その魔人の本名はセバスチャン。」
「!?」
「もし捕まったらガミガミお説教の刑。でも、大体玄関先で出迎えてくれるから逃げられないって。」
扉まで、あとは数段の階段を残すのみ。
「それに、今は多分エスト兄さんも心配してる。」
そして、扉が開く。
「お帰りなさいませ、レムオン様、シェナ様。」
妙に迫力を帯びた、礼儀正しい笑顔。セバスチャンのその表情に、レムオンが一瞬ひるんだ。その背中を軽く叩いて前に出す。
「エスト様もお待ちです。」
そして、どうぞ、と促される。まるで数年前の再現だ。
「まあ、思い切り怒られてくるんだね。」
そう囁いて、シェナは一歩下がった。しかしすぐ、肩に大きな手が被さる。
「俺を謀ったのか、竜殺しの勇者シェナ。」
声量は低いのに、底から響くような迫力のある声。めったに言われない称号にレムオンの底知れぬ怒りを感じながらも、シェナは平然と嘯いた。
「私は、ただ家庭の平穏を願ってるだけだよ。」
「…………・・あとで覚えていろ。」
「あいにく、記憶力には自信なくてね。」
ぎり、と肩が締め付けられた。
「ほう。まだそういうことが言えたのか。よくよく厚顔なようだな。」
「レムオン様。女性に暴力をふるうものではありませんよ。それに、シェナ様も一緒にいらしてください。」
肩から手が離れた。なるほど、最高権力者はやはりセバスチャンらしい。しかしこれは、……後がやはり怖そうな気がする。
二人一緒に廊下を進む。促されて着いた先はエストの部屋だった。
部屋に入ると、主が深々と息をついて出迎えた。セバスチャンも主の傍に控える。
「久しぶりだね、兄さん、シェナ。
 言いたいことと聞きたいことがたくさんあるんだけど、時間はもちろん大丈夫だよね。」
「エスト様、今お二人は身軽な冒険者の身。間違いなく時間はおありになるはずです。」
タイミングよく入ったセバスチャンの言葉に「二人掛り」という言葉が頭をよぎる。
そうですよね、と詰め寄られたら、無言で頷くしかできなかった。
これは長くなるだろう。エストは、一つ頷いて続ける。
「じゃあ、まずはここ半年何をしていたのか聞かせてくれる?
 僕は研究もできずにずっとここに居なきゃならなかったわけだけど……」
快活に言う言葉には、静かな怒りに加え、恨み節まで含まれている。先は長いだけではなく、重く厳しくなりそうだった。

長い時間が経った。昼過ぎにここに来た気がしたのに、既に陽は橙色だ。
あの後エストは、忙しいんだから兄さんも働いてよ、と、レムオンを執務室に連行していった。
一人部屋に通され、シェナはやれやれ、と息をつく。肩も腕も痛い。手加減などする人間ではなかったわけだ。……まあ、あの剣幕ならそんな余裕はなかったと思うが。
腕を確認したところ、案の定赤くなっていた。肩の方は、と軽く首から中を覗いていると、ノックの音がする。
「はい?」
「僕だよ。入っていい?」
エストだ。どうぞ、と声をかけると、扉が開いてエストが入ってきた。
「お疲れ様。仕事は?大丈夫だったのかい?」
「うん、さっき兄さんに押し付けてきたから。それにセバスチャンも居るし。」
さすがに実務早いよねえ、兄さんって。そういってエストは笑いながらソファに腰掛けた。
「兄さんはともかく、シェナの方は大丈夫なの?」
「急いでる事はある。だけど、今日はどっちみち装備整えてロストールに泊まる予定だったからね。」
それに、他のメンバーはチャカにアイリーンだ。勝手知ったる街のことだし、きっとなんとかしているだろう。主にアイリーンが。
まあ、大丈夫じゃないかい、というと、エストはほっとしたように息をついた。
「でも、よく兄さんをここに連れてこれたよね。絶対避けるじゃないか、普通。」
「うん。やっぱり戻るつもりはなかったんじゃないかな。
 でも、エスト兄さん見習って魔人の封印の話持ち出したら、逆にここまで引きずってこられちゃったよ。」
エストが吹き出した。
「魔人って、半年で封印解けるアレ?」
「そうそう、アレ。魔人ガミラ。」
その、リアリティが無いようであるような言葉に、二人は笑いあう。
「レムオンでもあんなのにひっかかるんだねえ。お人よしというか、優しすぎると言うか。」
「まあねえ。
 ……魔人役っていうのも一度やってみたいと思ってたんだけどさ、まさかこんなに早く機会が来るとは思わなかったなあ。」
「サマになってたよ。……ごめん、あんまり顔出せなくて。」
苦笑いで謝ると、エストは軽く首を横に振った。
「いいよ、夢中になるのは悪いことじゃないし、僕も人のことは言えない。それに、シェナの噂はずっと聞こえてたから。
 それでも、待ってたら半年はやっぱり長いね。兄さんとセバスチャンが怒るわけだ。」
肩をすくめるエストと一緒にまた、笑いあう。
ややあって、エストは一つ息をついた。
「でさ、シェナに頼みがあるんだけど。……兄さんを、ここに置いていってくれないかな。」
なんとなく、来そうな言葉だな、と思ってはいた。シェナも一つ息をつく。
「やっぱり大変なんだね。」
「それもある。兄さんって仕事速いし、正確だし、僕もかなり助かる。アトレイア姫も拘らない方だから、きっと喜んでくれると思う。
 だけど、それ以上に、やっぱりここに居てくれた方が嬉しいんだ。本当は君もなんだけど。」
シェナはゆっくり首を振った。
「私は無理だよ。やらなきゃいけない事がまだあるからね。レムオンのほうは……本人に言ってくれないかい。私が勝手に決めることはできないからね。」
そう答えながらも、レムオンはこちらに残った方が世のためではないか、とは思う。あの処理能力は、確かに今のロストールに必要なものだ。
「そうか。そうだよね。」
こちらの考えを知ってか知らずか、ふぅ、と息をついて、エストはソファに身体を預ける。
「……やれやれ、骨が折れそうだ。シェナが言うことなら聞いてくれるかと思ったんだけどなあ。」
「私も言ってはみるよ。でも、今言ったところであんまり聞いてくれるような気はしないんだよね。一緒に旅に出てから怒られてばっかりだし、顔あわせたらまたこっぴどく怒られる予定だし。」
「何かやったの?」
「……レムオンてば、魔人の話を本気で信じてたし本気で怒ってたからさ。
 全貌が分かった以上、お怒りは避けられないんじゃないかなあ、と。……後で覚えてろって、正直怖いくらいでさ。」
見てよこれ、と苦笑いで見せる腕と肩のかすかな跡。
「あーあ。だめだよ、つく嘘は選ばなきゃ。」
冷やすの持ってくる?と問うエストに、シェナは首を横に振る。
「あながち嘘でもないと思うけどねえ。それに、まさかあんな、普通に信じるなんて思ってなくて。」
「だって、シェナだって信じたじゃない。」
「エスト兄さんが言ったら信じるしかないじゃないか。考古学者だし実際闇の神器持ってたし、魔人くらい封印してそうだったし。」
くすりと笑うエストに反論すると、エストは軽く肩をすくめた。
「僕もさすがに家に封じようとは思わないよ。」
「私だって他人の家に封じようとは思わないさ。」
「いや、お前達ならやりかねんな。」
扉の開く音とともに、冷たい声が入ってきた。
片手に抱えた書類の束。銀の髪は邪魔だったのか後ろにまとめてある。
「レムオン!」
「兄さん、……どこから聞いてたの?」
レムオンは半眼でこちらを見下ろす。
「……吐く嘘は選べ、あたりからだ。何を話していたのか大体想像は付くがな。」
信用も何もあったものではない。レムオンは一息ついて先を続けた。
「エスト。途中から報告が来てない件がいくつかあった。他にも、予算の配分と人員の配分をどう出したのか聞きたい所があるのだが。」
つらつらと書類を抜き出すレムオンに、エストは深々とため息をつく。
「……兄さん、やっぱりここに残らない?居てくれると本当に助かるんだけど。」
レムオンはあっさりと首を横に振った。その仕草に、シェナは小さく息を吐く。
「今は駄目だ。信じたくは無いが、よりによってシェナに世界の命運が掛かっているようだからな。」
「よりによってって何なんだい?」
強調されたその言葉にシェナが噛み付くと、頭に大きな手が被さってきた。
「お前のような猪突猛進で抜けた奴に世界が掛かっているんだ。これをよりによってと言わずに何という?どう考えてもその吐く嘘も選べん欠けた脳みそのフォロー役が必要だろう。違うか?」
ぐ、と詰まる。それでも言葉に侮辱のようなものを感じるだけ反論はしたかった。
「……魔人の話は謝るよ、悪かった。でも、……別に、今までだってちゃんとやってきたじゃないか」
「ほう。体力も状況も考えずに依頼を受けたり、勝ち目のなさそうな敵に挑んでいたりしたが、あれは自分だけで何とかなったと言う訳か。この間も怪しい商人に騙されて妙なものを買わされかけていたが、あれも自分で何とかなったと。そう言うのだな。」
ぎぎ、と頭が締め付けられる。
「何とかなってるから今まで生きてこれたんだろ。」
「危なっかしいと言っているんだ。少しは反省しろ。大体お前、常に綱渡りしている自覚はあるのか?」
ぎぎぎぎぎ。力はさらに増す。
「痛いって!ちょっと!私の頭を割る気かい!?」
「中身が入っていればそう簡単には割れん。お前の場合は知らん。確実に平均より強度は落ちているだろうがな。」
その言葉に、どこかで何かが、ぷつりと切れた音がした。
「…………馬鹿にするな!べつに私はアンタなんか居なくたって大丈夫だよ!」
怒鳴りつけると、手から力が抜ける。シェナは振り払って、レムオンを睨みつけた。
「ここで!大人しく今までやった事の責任とって仕事に埋もれてな!アンタにはそっちが似合ってる!」
ダンッ、と立ち上がり、振り返りもせず扉へ向かう。盛大に音をさせて扉を閉めて、勝手知ったる他人の家を大股で歩いていく。目的地は、屋敷の外。
あっけに取られる門衛の傍をすり抜けて、シェナは夜の街へ消えたのだった。

誰か居るだろう、と思っていた宿には、なぜだか誰も部屋を取っていなかった。
どこに行ったのか、とギルドに行くと、アイリーンとチャカからの言付けが渡される。
いわく、リューガ邸に泊まるのだろうから、今日はアイリーンの実家にいる、と。
アイリーンの家は、数年前まで弟のような子が居たと聞いていた。ベッドは確かに一つ余っていたはずだし、アイリーンもチャカのことを自分の弟のように扱っていたから特に問題は無いのだろう。それに、自分で言うのも何だが、チャカはあれで結構出来た子だ。少し心配ではあるが、……特に迷惑をかける様な事はないだろう、と思う。
言付けを手に、はあ、とため息。今夜は宿に一人、というわけだ。
夕食を軽く済ませると、宿屋に戻って一人分でチェックイン。そして部屋に入ると同時、ベッドに寝っころがった。
『だらしの無い奴』
そんな声が聞こえた気がして辺りを見回す。誰も居ない。ため息をついて、再度身を投げ出す。
部屋は無駄に静まり返っていた。ベッドも無駄に広く感じる。寂しくて、なんとも孤独だ。何時も誰かしら居ただけに、いきなり一人になると何をすればいいのか、時間のすごし方すら思い出せない。
風呂を済まし、再びベッドに身を投げ出し、天井を見上げる。何度も泊まったはずなのに、全然落ち着かない宿の天井。
明日は出発だし、今日は寝よう。
そう、言い聞かせる。これだけ静かなのは珍しい。きっと休むためなのだ。
いつもなら、チャカとじゃれていたり、アイリーンと一緒になって笑いあったりしているのに。そんなことを思っていたら、賑やかな部屋の中、少し離れたところでやれやれという風に笑っている……レムオンの顔が思い出された。彼は、……どうするのだろう。屋敷に戻る方がいいとは思うのだが、考えるとどうも気が重い。いや、居ないのが当たり前で、ここ半年が何かのまぐれだったのだと、そう考えることも可能なはずなのだ。でも、どうしてもそう割り切れない何かがある。ただ、それは本当にこちらの個人的な都合で、レムオンには何の関係も無いこと。
……何勝手なこと考えてるんだろう。
どうにも調子が悪い。むくり、と身体を起こして、ため息。
気持ちを切り替えたつもりで、頭の中で寝る前にやることを探す。とりあえずは準備。しかし荷物は御屋敷に置いてきてしまったから、なんとか後で取りに行くしかないだろう。明日あたり。……やはりやることがない。
今頃みんな何しているのだろう、と思う。チャカとアイリーンは、家で騒いでいる頃か。レムオンはきっと、エストの手伝いで書類に埋もれているに違いない。なんだかその光景は、ずっと続いていくかのようにあまりにも違和感無く想像できてしまう。
……寝よう。
ゆっくりと瞬きをして、気持ちを切り替えることにした。
ころり、とシーツの中にもぐる。ああ、明かりも消さないといけなかったな、と枕元の灯に手をかける。
と、扉を叩く音がした。
「……・はーい?」
ぺたぺたと扉へ向かう。扉は向こう側から開いた。
「邪魔するぞ。」
見慣れたその姿に、驚きが半分。そしてなぜか妙な安心が半分。
「……レムオン。何だ、エスト兄さんの手伝いをしてたんじゃなかったのかい?」
平静を装って聞くと、レムオンは片手に持った荷物を軽く持ち上げた。
「忘れ物だ。」
ほい、と放られた荷物を両手で捕まえる。
「それは助かるよ。」
中身を確認していると、レムオンは不思議そうに部屋を眺めた。
「一人部屋とは聞いていたが……チャカやアイリーンはどうしたんだ?」
「今日はアイリーンの家に泊まるって。私がお屋敷に泊まるんだったら、って思ったみたいでさ。」
「そうか。
 ……あー……さっきはすまなかった。言い過ぎた。」
言いづらそうなその言葉に、軽く首を振る。
「いい、もう気にしてない。アンタより頭悪いのは事実だし。私も変な嘘吐いて悪かったよ。」
そう言いながら、荷物を置いてレムオンに向き直る。
「で、お屋敷に戻るのかい?」
「今夜はな。……なぜ、そんな事を聞く?」
表情は変わらない。ただ、声が少し硬くなる。
「またエスト兄さんから改めて言われたんじゃないのかい?残れって。」
「……ああ。そうだな。」
答えは、少し歯切れが悪かった。
「なら、このままお屋敷に残るのかなと思ってさ。」
「………………。」
沈黙は、迷いと肯定と否定、どれにでも取れそうだった。それなら、ここは背中を押すところだ。そう判断する。
「エスト兄さんに、アンタを置いていって欲しいと言われてるんだ。
 私も、私の御守りしてるよりそっち方が何倍も人のためになると思ってる。もしも残れるなら、残った方がいい。少し抵抗あるかもしれないけど、アンタは今のロストールに必要な人だ。
 それに、エスト兄さんも姫さんもきっと喜ぶ。」
だから頑張りな。明るく言って、ぽん、と腕を叩いた。
「……本気で言っているんだな。」
降って来た表情の無い声にも、力強く頷く。
冗談のつもりは無い。そっちが誰にとってもいいはずだ。
「私はいつだって」
本気だよ。そう続けようとすると、声がなぜだか詰まった。うつむき、咳をしてごまかす。
「こっちのことは心配要らない。私も冒険者生活長いからね。」
自分の本心と少し違うだけ。……それくらいの自覚はあるから、あえて明るい声を出す。
しかし、言い終わるか終わらないかのうちに、ばふ、と手が頭にかぶさった。
「人を安心させたいなら、そういうセリフは顔を見て言え。」
ゆっくりと撫でられて、思わず上を向く。
少し寂しそうな……それでいてやっぱり優しい、レムオンの表情が見えた。視界がぼやけて、慌てて顔をうつむける。
このままでは、言わない方が良いことまで言ってしまうだろう。そう、理性が警告する。
「なぜお前が泣く?」
「別に、泣いて……ない。」
自分で言っていて、本当に説得力の無い声だった。
「そういう事にしてやってもいいがな。」
ちいさくため息が混じったレムオンの声に反発するように、口を開く。
「どう考えたって、レムオンは……残らないと……今、こっちで必要って言われてるんだし、別に、……今別れたからって一生会えないわけじゃないし、外だって結構見れたはず……。……戻るなら今だって……」
声が途切れそうになる。このままではいけない、と歯を食いしばる。
「……・それに、家って、戻れる時に戻らないと……戻れなくなっちゃうから、……アレ、結構辛いから」
「……そうか。」
上げられなかった頭の上にあった手が、肩と背に回る。きゅ、と抱きしめられると、止めていた感情は簡単に決壊してしまった。
「……でも………………・ごめん、でもね、……御屋敷、戻るって、……ここでお別れって、……考えたらキツくって……御屋敷、戻らないでって、……思っちゃってさ。」
小さく正直な言葉が、涙が、溢れる。
「……戻っちゃ嫌だ。」
溢れた言葉は、言うべきことではないのに止まらない。
「一緒に居てよ!
 今から、いっぱい危ないんだよ……死ぬかも……しれないし、どうなるかわからない、だけど、だから一緒に来てよ……!」
支離滅裂なこれはただの我侭。そんなこと解っているのに、止められない。
「この旅が終わるまででいい、少しでいいから。でも、今は、……レムオンじゃないと、私……」
あとは言葉にできなかった。すがり付いて嗚咽を漏らすだけだ。
……背中で、軽く手のひらが弾む。落ち着かせるように、それは一定のリズムを刻む。
「……だから、放っておけないんだ。」
少しほっとしたような、穏やかな声。
その声に、少しだけ、心が落ち着きを取り戻す。少しすると息も落ち着いてきた。
「……ごめん。めちゃくちゃ言ったね。忘れて。」
そう言って、身体を離そうとする。
「……難しい事を平気で言うな、お前は。」
しかし、離そうとした身体はまた腕の中に納まった。
「……まだ、お前に必要とされているようで安心した。」
「…………。」
少しだけ、腕の力が緩む。
「俺の事もエストの事も気遣いは無用だ。
 大体、エストもいい加減政務に忙殺されることを覚えていい頃だろう。国の事ならなんとかなる。エストはあれでかなり有能だ。
 それに、……家にはいつだって帰れる。お前がそうしてくれた。違うか?」
問われ、見上げて、その表情をみると、また視界が曇りだした。うつむいて鼻をすすり、涙まみれの目をこする。
「……お前のおかげで、俺もまた国に帰る事ができそうだ。
 だが、今はお前と旅をしていたい。せめて、この旅が終わるまでは見届けたい。だから、仲間で居させてくれ。」
正面からの申し出に、かすれた声で問いかける。
「……死ぬかもしれないよ。」
「構わん。いざとなれば守ってやる。」
「いっぱい扱使うよ。」
「覚悟しておこう。」
「無駄に甘えるよ。」
「それは光栄なことだな。」
すべての問いは即答。小さく笑われ、余裕の態度に抵抗は無意味と知る。
「……ばか。ありがとう。」
きゅっと抱きしめる。相手は思ったよりもずっとずっと、暖かかった。


暖かい腕の中で、どれくらいそうしていたのだろうか。
「落ち着いたか?」
上から声が降ってきた。
「うん。」
頷いて、抱きしめていた腕を離す。シェナを包んでいた腕も自然に離れた。
「・・あーあ、こんなのチャカには見せられないねえ。」
自嘲するように呟いて、シェナは涙の跡をこする。
甘やかされることと甘えることを、いつの間にか覚えてしまったのだと……そう、思う。我侭な言葉も涙も表に出るようになって、前より少し、弱くなった。
本当にもう、見苦しいとしか言いようが無い。
「だが、この場にチャカが居たら、……いや、他の奴らがいたら、お前は俺をパーティから追い出していただろう?」
そう問われると、否定する材料はどこにもなかった。きっとこんな事にはならない。言うべきだけ言って、冷静にレムオンを御屋敷に置いていく自分は簡単に想像が付く。
「そうだね。そんな気がする。」
そして後々後悔に潰されるのだろう。現実味をもってそれも想像できた。
「そうならなくてよかった。」
「うん。」
こてり、と身体を預ける。
「こんな、我侭ばっかりなのに、見苦しいとか情けないとか思わないのかい?」
「たまにはそういう事もあるだろう。大体お前はいつも気を張りすぎているからな。」
ぽん、と頭に手が載る。気持ちがふわり、と落ち着く。
「そう言われるとほっとする。
 ……散々恥ずかしいとこ見せた。ごめん。」
呟くように言うと、小さな笑いが返ってきた。
「気にするな。この世に完璧な人間など居ない。」
レムオンはそういって手を離す。
「もう行く?」
見上げて聞くと、レムオンは頷いた。
「ああ。お前の言ったとおり、あの仕事の半分は俺の責任もある事だ。せめて今夜くらいはエストに付き合ってやらんとな。
 全く、セバスチャンならともかくエストに説教される事になるとは・・・何があるかわからんものだ。」
ふぅ、とため息。しかし、それは暗くはない。
「だから面白いんだよ。
 じゃ、明日朝、御屋敷まで迎えに行くから。」
小さく笑ってそういうと、レムオンも安心したように微笑んだ。
「わかった。待っている。……ではな。」
お休み。
言葉とともに扉が開き、扉が閉まる。
また、部屋は独りになった。一抹の寂しさがよぎる。
しかし、気持ちを切り替える力は貯まっていた。
「さあ、寝ないとね。」
明るく声に出して、ベッドに転がり込む。
明日になれば、また皆で出発するのだ。なら、特に何も悪いことはないではないか。
自分に正直になるのは……正直恥ずかしい真似をした、と思うしかないが、……おかげで少しすっきりしたのもまた事実だ。
当初の予定通り明かりを消して、目を閉じる。しん、と静まった室内に、風の音がかすかに聞こえてくる。
……今夜は、落ち着いて眠れそうだった。


言い訳・・・書いたの2009年秋。精神的に参ってるときだったからラブラブ書きたかったんだ!!
とはいえ、これで済めば苦労は無いし、ここまで義兄依存症の畑主人公もいかがなもんかと思う。
ただ、これくらい上手くいかないと、扉EDで復帰は難しいかもしれない。
実は大分推敲もしたし、何気に気に入ってる話だったりはするんですが。やっぱりこれはご都合主義すぎるだろうと思ってこちらに。
とはいえ、義兄はなんというか、明るく引っ張られる中にちょいと頼られるくらいの方が立ち直りは早そうな気はします。
一人で物事ばしばし片付けてしまう姉御と一緒だと、逆に辛そうな気がする。それに甘んじられるほどにプライド低くなさそうで苦しみそう。
だからといってこれは・・・というのが正直なところですが。・・・書いてて楽しかった。ものすごく。
Zill O'll TOP