「うぅ・・・ああ・・・おにーちゃん・・・父さん・・・!」
眠ったはずの娘がいつになく騒がしい。誰が見ても明らかにうなされている。
放置しておくのも気が乗らなかった。大方、悪い夢でも見ているのだろうが・・・そして、その夢の内容もなんとなく思い当たるのだが・・・ため息をついて近寄る。
「・・・おい」
「っ!!
・・・いやああああああ!」
声にならない声と共に目を開けた娘は、こちらを見るなり傍らの剣を掴み、引き抜こうとした。さすがにぎょっとする。
「おい!」
剣を持つ手を握りしめると、怯えたような目と目が合う。一番最初に見たときと同じ目。ただ、それは手に付いた雪が溶けるように普段のものに戻っていく。
「・・・あ・・・ええと?・・・。」
ぽかん、とこちらを見上げる娘に、苦い声は隠せなかった。
「とりあえず剣を収めろ。」
それで気がついたか、あわてて娘は剣を納める。
「何の夢を見ていたかは知らんが、寝るなら大人しく寝ろ。うるさい。」
「・・・あ・・・ええと・・・うん、ごめん。」
ぼおっとした表情のまま、娘は頷いた。
剣を脇に置き再度横になるのを見てから、セラは元居たほうに戻る。
「なんかね、変な夢みたの。」
と、娘が転がったほうから声がした。
「へんなかぼちゃが大挙して襲ってくるの。おかしをくれなきゃいたずらするぞーって。」
死ぬほどくだらなかった。
「寝ろ。明日もあるのだぞ。」
しかし、それを無視して娘は話を進める。
「私、お菓子持ってなくて、それで逃げてたら、かぼちゃがまた立ちふさがって、おしおきだーっていうから」
早口。声が上滑りしている。まくし立てるような言葉にため息をつく。
「剣を抜くような事か?」
記憶に引っかかる事項もあった。とりあえず、今娘の言っていることは嘘だというのは間違いない。
「とっても怖かったんだもん。」
「好物だと聞いていたのだがな。」
言ったとたん、声が止まった。
「料理も、かぼちゃ料理だけはうまく作ると。」
ややあって、探るように声が戻ってくる。
「・・・誰から聞いたの?」
「ロイだ。他に誰がいる。」
また、沈黙。
「よくそんな些細なこと覚えてられたわね。」
「聞きもしないのに何度も聞かされたからな。嫌でも覚える。」
食事で出てくるたびに聞かされる話は、得意料理やら小さな癖やら、本当にもうどうでもいいことばかりだった。そして、その惚気話を聞き流しているつもりだったのに結局覚えてしまっている自分が少々歯痒い。
「他にどんなことを聞いたの?」
「お前の剣は元はロイのものだったと聞いている。」
「正解。旅に出る前、昔使ってた奴をもらったの。・・・そっか、兄さんはそんな事まで話してたんだ。」
好物から性格や数々のエピソード、そして、大部分を占める惚気話。
「ロイは、お前のことは事あるごとに話していた。話題がそれしかないのかと思うほどにな。」
今思わなくても、とんでもなく妹想いだった。
その妹は、転がったままで笑っている。
「そうなの?・・・まったくもう、兄さんてば・・・」
呆れたような声の終わりは、震えていた。
「・・・なんで、いなくなるの。」
もう笑い声は聞こえない。小さな言葉は、くしゃと潰れる。
「知らん。それは、見つけ出してからロイに問いただせばいい。」
返事が返ってくるまでには間があった。
「・・・・・・そう、だ・・・ね。」
そして、また静かになる。
「ねえ、セラ。」
少しして、また声がかかった。
「・・・何だ。」
「一応信じるよ。あなたが、兄さんの友達だってこと。」
おやすみ。
早口な挨拶と共に、娘が包まった毛布がまた丸くなる。
うなされていたのを見たのは、その一度きりだった。
それから二年以上が経つ。
「生意気なド下等生物のことよ!」
その日。部屋に戻ると、どなり声に迎えられた。部屋に姿は見当たらないが、間違いなくあの高飛車エルフだ。
落ち着いて、と苦笑い交じりに応じているのはルシェの声である。
「わかんないじゃないけど・・・どの辺が駄目なの?」
「全部よ!」
いい勢いの即答だった。
あの高飛車エルフには関わり合いになるだけ馬鹿である。うるさい、騒がしい、その上ヒステリックだ。無関係と言う事にしてセラはとりあえず自分の場所を確保する。
「あー・・・ええとほら、一番駄目なとこは?」
ルシェはまだあのエルフ・・・フェティに付き合うようだった。
「あのすかした態度がイヤなのよ!」
もっとも、聞くつもりは無くてもこれだけうるさければ耳には入ってくる。
「ええと?」
「自分は強いのだ、自分は美形なのだ、って自信ありありなのがイヤなの!そーよ、美形美形って、顔だってあの性格悪い魔人アーギルシャイアにそっくりなんじゃないのー!そーんなの、自慢にもならなくてよー!それなのに、あのすかした態度は何?」
まくし立てる文句の中に、引っかかる言葉が混じっていた。
「否定はしないけど。ほら、そのうち慣れ」
「もうイヤ、もうイヤ!もぉうイヤ!!
・・・こら!高貴なエルフであるアタクシの言うことをちゃんと聞きなさいよー!」
立ち上がろうとすると、ルシェが盛大にため息をつきながらテラスから戻ってきた。顔を上げたところで目が合うと、ルシェはぎょっとしたようにこちらを見る。
「・・・おかえり。聞いてた?」
答える前に、テラスからまた煩いのが入ってきた。
「信じられない! 信じられないわ!!お待ちなさい!ルシェ!」
フェティは、立ち止まったままのルシェにぶつかって止まる。
「もう、何をしてるのよ!」
ルシェに文句を言いかけ、こちらの存在に気がついたらしい。フェティも目を見開く。
「・・・何の話をしていた?」
問うと、すぐに片方は怒りに、片方は苦笑いに染まった。
「立ち聞きなんて、やっぱりなってなくてよー!これだからこのド下等生物はっ!!」
「アレだけ煩くしていれば嫌でも聞こえる。喚き散らすしか能の無い貴様に言われる筋合いは無い。」
言うと、フェティはさらに顔を赤くした。
「な、なんですってー!?
高貴なエルフであるこのアタクシに向かって、よくも、よくも・・・!」
「不服なら出て行け。まったく、なんでこんな奴を仲間に入れたんだ。」
「セラ!」
咎める様なルシェの声は誰も聞いては居ない。
「アンタみたいなド下等生物の言う事、聞いてやる筋合いなんてなくてよ!出て行きたければ貴方が出て行きなさいよ!」
「フェティ!」
呼ばれたフェティは、きっとルシェをにらみつけた。
「ルシェ!あなたもあなたよ!なんでどうしてこんな奴と旅なんてしてるわけ!?」
フェティが息を切らせ、おかげで少しだけ部屋が静かになる。ルシェは深々とため息をついた。
「・・・二人とも落ち着いて。私はどっちもパーティから外す気無いよ。」
そう言って、フェティに向き直る。
「フェティ。確かにセラって性格に問題あるし言い方棘あるし男版アーギルシャイアみたいにしてるけど、兄さんの友達だから悪い人じゃないの。だから私は一緒に旅してる。」
ルシェもルシェでいちいち引っかかる言い方をする。
「・・・おい。」
掛けた言葉は、わかりやすく無視された。
「都合の悪い事は聞き流して、少し耐えてくれないかな。私たちより何年も長く生きてる高貴なエルフなら、それくらい軽いでしょ。」
「そ、そりゃあ、このアタクシに出来ない事なんてなくてよ?」
精一杯に虚勢を張るフェティに、ルシェは満足げに頷く。
「うん、そうだよね。フェティなら余裕よね。ほら、私もセラに話つけとくから、ね。」
ひょい、とこちらを見る。その目は、言葉とは裏腹に、頼むからもう少し待ってほしいと訴えていた。舌打ちひとつ。それを一応了承してやる。
「フン・・・ま、まあ、わかったわ。」
フェティがそう言うと、ルシェはにっこりと笑った。
「じゃ、そんなフェティ様に一番風呂プレゼント。どうぞ行ってらっしゃいな。」
そう言って、タオルを渡す。とても露骨かつわかりやすく、それは席をはずせの合図だった。
「・・・そ、そんなのに引っかかると思ってるの!?」
「それなら私が行くけど。」
タオルを引き、荷物のほうへ向かおうとする。フェティが慌てて制止する。
「お、お待ちなさい!ま、まあ、行ってきてあげてもよくてよ!」
「あ、そう?じゃあ、ごゆっくりどうぞ。」
タオルを引ったくり、他の道具を掴むと、フェティは部屋の外に姿を消した。
見送ると、ルシェはひとつ息をつきこちらに向き直る。
「ええと、・・・」
「何の話をしていた?」
再度問うと、ため息が返事をした。
「フェティはセラに不満があるって。態度悪いし性格悪いし顔はアーギルシャイアそっくりだし、という話。」
「他人の悪口か。いい趣味だな。」
嫌味のつもりの言葉も、ルシェはあっさり首を横に振って流す。
「いや、あれは愚痴ね。否定するとこどこにも無いし。セラも、もうちょっと愛想良くマシな態度取ればいいのに。」
「余計な世話だ。あいつらと馴れ合う気は無い。」
ルシェは深々とため息をつく。
「態度変えられないなら、せめて黙っててよ。セラが何か言うたびに私のほうに文句が来るんだから。」
口ぶりからすると、今日が初めてではないようだった。
「直接言う事もできないのか。」
「直接言ったらさっきみたいな事になるでしょ。みんなあれで気を使ってるのよ。」
大体喧嘩の仕方だってもうちょっとやりようがあるでしょう、だの。
そもそも忍耐力が無いのよね、だの。
「お前に言われる筋合いだけはない。」
つらつらと流れる文句をさえぎる。
昔、ロイに言われた事はあった気がしなくも無いのだが、こいつに言われる筋合いだけは絶対にない。忍耐力が無いのも、無駄に喧嘩して戻ってくるのも、ルシェの方がはるかに上だ。
「兄さんが居れば兄さんに任せるわよ。でも、兄さんまだ見つかってないんだもの。」
私が言わなきゃ誰が言うの。そう言ってルシェは頬を膨らませる。
「みんなにも慣れるように言ってる。セラも慣れてよ。兄さんの友達ならそれくらい軽いでしょ。」
言い方は、さきほどフェティに言ったものと同じだった。
「俺が、ロイの友だという事とそれがどう関係あるんだ。」
「だって、兄さんの友達ならきっと良い人で、落ち着いてて、かっこよくて、頼りになって、とってもさわやかなはずだもん。きっと誰とでも仲良く出来て、みんなに好かれて、優しくて・・・」
指折り言う言葉は、ルシェに都合のいい妄想以外の何物でもない。
「勝手な妄想を押し付けるな。大体そんな奴が」
「兄さんはそんな人よ。」
自信満々にルシェは言い切った。
その自信満々ぶりに、言いたかった事全てが脱力して消えていく。言動が、明らかに一般的な兄想いを超えていた。自分もロイの事は認めている。高く買っている自覚もある。しかし、それはあくまでも常識の範囲内で、である。
ルシェの頭の中では、きっとロイは理想的な何か人間離れしたもの、なのに違いない。
「まあ、兄さんほどとはいかなくても、もうちょっと他のみんなと馴染んでよ。
セラは兄さんの友達だから、きっと私が言った事の半分くらいは聞いてくれる・・・と思ってるんだけど。」
どうかなあ?とこちらを見上げる視線は、困ったようで・・・それで居て真剣だった。扱いに困る、といえばそれまでなのだが。
「・・・勝手に」
「うん、勝手に思ってる。セラは良い人だから。」
最後のつもりで言いかけた言葉はさえぎられた。それはもう力強く。その力強さに比例するようにして、こちらの脱力感も増す。方便だと言うならまだわかるが、あの力強さは間違いなく本気だ。
しかし、言い返す言葉も見つからないし、こうなってくると相手にするのも面倒だった。
舌打ち一つ。話を切り上げ、ルシェに背を向ける。
自分の場所に戻ると、背後から深々とため息が聞こえ、それと共に、ベッドに倒れこむような音が聞こえてきた。
『セラは良い人だから。』
どこからそんな評価が出たのかは不明だ。
そもそも一番最初に顔をあわせたとき、ルシェの目に映っていたのは怯えと恐怖、そして敵意だった。
ロイが行方不明になり、探しに行くと告げたときも、ルシェは「お前なんか信用できない」と突っぱねた。どうにも放っておけず、「兄」で釣って引きずるような形で旅に連れ出したものの、その目線はふとした時にこちらに注がれていた記憶がある。それは警戒心と言うには強すぎる・・・敵意、もっと言えば殺意に近かった。
しかし、いつからかあの敵意の目線は消えてなくなっている。
旅に出てかなり経っていた。しかし、まだ姉の手がかりも、ロイの手がかりも見つかってはいない。それなのに、なぜかルシェは自分のことを良い人だと言う。普段の言動からしても、こちらに対する信用は確かなものだ。
だから、わからない。
自分が同じ立場に置かれたなら、間違いなく第一に疑ってかかるのだが。
警戒心が弱すぎるのか、と言えば、多分それはない。兄に似てお人よし過ぎるのかとも思うが、どう考えても兄ほどではない。余計にわからない。あいつは一体何を考えている。
片付かない頭の中の疑問符をわきに押しやっていると、ドアが開く音がした。
「ただいまー。遅くなっちゃった。」
声の主はエステルだった。声につられるようにして、ドアに目線を向ける前に、騒がしく足音が鳴る。
「お帰りエステルー!!」
「うわぁっ!?」
ドアのほうを向いたときには、盛大な音と共に、ルシェがエステルを押し倒していた。
「どうしたのルシェ?!」
身を起すエステルに、ルシェはぴったりとしがみついている。
「聞いてよエステル!セラとフェティが仲悪いの!間に挟まったらもう胃が痛すぎて死ぬかと思ったぁぁ!なんでみんな言う事聞いてくれないのよー!」
エステルは、驚いたようにルシェを抱きとめると、小さく息をついた。
「あー・・・はいはい、怖かったねー。いつもの事だけどねー。」
よしよし、と頭をなでるエステルにルシェはしがみつく様に抱きついている。
「エステルぅ・・・。」
「・・・・・・。」
深く考えるだけ無駄だ。
横目に見えるその光景は、はっきりとそうセラに告げていたのだった。
じゃあ、どこでセラを信用する気になったのかな、とかいうのが実は本題。月光だけじゃ信じないよ!
というわけで、一番最初のシーンだけしか考えてなかったので、無理やり引き伸ばした感じが本当にもうひしひしと。
ロイ兄さんは、妹に対してとても激愛ですが。セラさんも行き過ぎな位姉に対してとても激愛です。
どっちがどっちに影響されたかは知らないけど、修行時代の二人の会話は素敵に惚気話ばかりだったに違いない。
で、多分、二人とも双方の姉と妹の事を、会ったことも無いのに色々知ってたりするんだろうと思います。趣味特技好きな物や嫌いなものまでがっつりエピソードつきで。
問題は、双方共にフィルター掛けて会話してるってことで。
ロイ兄さんはきっと、シェスターさんのことを才色兼備で大和撫子で優しくて美人で理想的な女の人だと思ってただろうし。
セラさんはきっと、ミイス娘の事を、理想的に可愛らしい女の子だと思ったに違いない。
ロイ兄さんは事情が事情だからアレですが、セラさんは多分ロイ兄さんのフィルターの凄まじさを、本物に出会ってすぐに思い知ったんじゃないかと勝手に思ってます。話が違うぞロイ!!・・・と、内心思ったんじゃないかなーとか。