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私と、彼と、時々……

幸運な日、というのはあるものだ。
その日、散歩の途中で物盗りに襲われていた商人を助けたら、自分には必要ないからと練剛石を貰った。
なんとなく幸せな気分で闘技場にチャレンジしてみたら、調子よくいいところまで勝ち抜けてしまった。賞金額もなかなかのもので、一人で稼いだものとしては、おそらく過去最高額である。
一人ほくほくの帰り道。懐は暖かく、気分は上々だ。
さあどうするか、やはりこのまま鍛冶屋へ・・・と思ったところで、足が止まった。

・・・このあいだ、散々迷惑かけたし。

というのは、数日前の事だ。
やっと戻ってきた兄に構ってもらえず・・・ノロケ話にもついていけず、拗ねて荒れて自暴自棄まで起こして、結果的にセラにこっぴどく怒られたのは記憶に新しく、生々しい。
・・・あの時のセラは、本当に怖かった。怒られること自体は旅に出てからここ数年日常茶飯事で慣れっこなのだが、あれはレベルが違った、と、思う。身が竦んで動けなかった。酒が入っていた事もあり詳細は覚えていないのだが、怖いという感覚だけは色濃く残っている。
ただ、その後・・・宿まで引っ張って行く手の暖かさも同時に残っていた。
ちなみに宿に戻ってからの記憶は無い。まともな礼も謝罪もまだだったりする。翌朝、セラは何も言わなかったし、兄もいつもと変わらずすぐ出発したものだから、言うタイミングをすっかり逃してしまったのだ。
・・・これはちょうどいいかもしれない。
何せ、今日の収穫は全て自分の稼ぎなのだから。
くるり、出口へ向かう。
行き先は宿。材料を渡して貴方の剣を鍛えてよ、と言ったら、彼はどんな顔をするだろうか。
・・・なんとなく、「貴様の情けなぞ受けん」だのなんだの言われて素気無く断られそうな気がした。
それなら、鍛冶屋に連れて行って、その場で「彼の分を鍛えて」なんて言ってみたりして。それはそれで面白いかもしれない。
・・・よし、採用。
口元が緩んだ。
何か文句を言われる様な気はしている。でも、なんだかんだ言われても、最終的に喜んでくれればそれでいいのだ。素直に満面の笑みで「ありがとう!」なんて、エステルのように感動されたらそれは彼ではない。・・・見てみたい気はするのだが、それは怖いもの見たさと言うものだ。
さあ、戻ってからどう切り出そうか。
足取りは、羽よりも軽かった。


「断る。」
返事は即答。とても端的で他の意味には取れそうも無かった。
「何でよ。」
「街でまで馴れ合わんと言ったはずだ。鍛冶屋くらい一人で行って来い。」
にべもない。セラはすぐに背を向けてしまう。
「いいじゃない、ちょっとくらい。」
まとう空気がさらに剣呑になった。
「お前がそれを言う時はろくな事にならん。」
「どういう意味?」
問いかけても、振り向きもしない。
「そういう意味だ。今までの行いを振り返ってみろ。それで解らなければお前はただの馬鹿だ。」
「なっ・・・」
声に宿るのは冷たさばかり。温度は常よりさらに低い。
「とにかく、俺は行かないからな。」
言葉に詰まっている間に、セラはさっさと結論だけ言ってしまう。
後は、ルシェが何を言っても応じてはくれなかった。以降無視、である。
20分は粘った。肩をゆすろうとしたら、無言で手をはたかれる。返事をする気がない事を確認しただけになった。
ずっとこのままだったらと、ふとよぎる。すぐに、ぽつん、と一人残されたような感覚が戻ってきた。
旅の始まりに重なるその感覚。背筋が徐々に冷えてくる。じわりと泣きたくなるのをぐっとこらえた。こういうときは、気分を変えるに限るのだ。
着替えとタオルを手に取り、廊下に出る。向かう先は風呂場だ。
シャワーで簡単に一風呂浴びると、少し気分も落ち着いた。セラが冷たいのはいつもの事なのに、何で悲しむ必要があるのか、と。あれはああいう生き物じゃなかったのか、と。湯に打たれながら、そう自分に言ってみる。
と・・・落ち着くと同時に、悲しみよりも怒りが顔を出してきた。
何で。明日鍛冶屋に付き合ってと言っただけなのにここまでされなければならないのか。
たらい片手に部屋に戻る。
「セラー、お風呂上がったよー。」
返事は無い。相変わらず振り向きもしない。
「寝てるの?」
やはり返事は無い。地図に目を落としたまま・・・無視を決め込むつもりらしい。
その気ならばやり甲斐もある。
「セラ?」
手に持ったたらいをそれとなく勢いをつけて放り投げると、それは見事にセラの頭に命中した。ごいーん、と鈍い音が部屋に響く。
「危ないよ?」
「・・・・っ・・・!」
ガランガランといい音をさせてタライが転がった。その音を背景に、セラは頭を抱えている。
1秒経過。あれほど振り向いてくれなかったというのに、鬼のような形相で振り向かれた。
「何のつもりだ!」
振り返るだけではない、いい勢いでこちらに向かってくる。
「無視は止めてよ。」
「それは投げる前に言え!」
頭の上から見下ろされるのを、負けずに睨み返す。
「何度も言った!聞こえてなかったの!?」
「ああ、聞こえんな。聞かせたければ聞くに足る話をして見せろ!」
「んなっ・・・」
開き直りもここまでくれば芸術級だ。
「ずっと言ってるでしょ、明日鍛冶屋に付き合ってって!」
「くだらん。断ったはずだ。」
返事は変わらず、・・・なんかやっぱり腹立たしい。
「こんなに頼んでるのに」
「それが物を頼む態度か!」
「じゃあどう頼めってのよ!」
声のトーンは苛立ちと怒りに比例して大きくなる。
「少しは他人の意見を聞きなさい!明日」
「断る!いい加減しつこいぞ。」
「・・・で、今日は何で喧嘩してるんじゃ?」
呆れたような別の声。それは、穏やかながらとても通っていた。
振り返ると、案の定イオンズだった。
「おかえり、イオンズさん。
 あのね、セラが」
「お前があんなもの投げつけてくるか」
言葉は同時だった。セラの方を振り向くと、当たり前のように不機嫌な目と目があう。
「セラが無視するから」
「お前がしつこいから」
「その辺にしておけ。」
同時に言いかけた言葉に、さらにもう一つ別の声が重なった。有無を言わせない、強くそれでいて穏やかな声。兄・・・ロイだ。
「お帰り兄さん。」
「ロイか。」
振り返れば、兄がため息をついていた。
「宿中に響いていたぞ。せめてドアを閉めてからやればよかったのに、全くお前達ときたら。」
ばたん。部屋の中に今の仲間が全員集まる。
「で、今日は・・・セラ、そのタライはどうしたんだ?」
結構な大きさがあるので目に付いたのだろうか、ロイの視線はセラの背後に転がったタライに行った。
「お前の妹から投げつけられた。お前一体妹にどういう躾をしてたんだ。」
視線がこちらに集中する。
「ルシェ?」
責めるわけではない。どうしたんだい、と優しく問うように、名を呼ばれる。
兄はいつだって最初は中立の場所から物を見る。そういう所が好きなのだが、この場合言い返すも何もできなくなってしまうので、むしろ厳しい。結局黙る羽目になる。
「黙ると言うことは、非を認めたと言うことか。」
ふん、と鼻で笑うセラに、かっと血が上った。
「だ・・・誰が!」
転がったタライを拾い上げ、思い切り振り回した。
「あなたが無視するからでしょ!」
ガイン、と音がして、今度は綺麗に受け止められる。
「同じ話を何回もするからだ!」
振り払われたタライが、床の上でまた派手な音を立てた。
肩からぐい、と後ろに引っ張られる。
「ルシェ、すぐ力に訴えるのはわしは好かんぞ。」
イオンズだった。
「セラ、無視は感心しない。」
ロイはセラの方に声をかけている。
「ほれ、さっさと謝って仲直りするんじゃ。旅の先はまだ長いぞ。」
ポンポン、と頭をなでられ、促されてセラを見る。あちらの方は・・・ロイがなにやら説得しているようだが。
視線に気がついたのか、セラがこちらを振り向いた。目と目が合う。
「なんだ、謝る気になったのか。」
その一言で、一瞬にして謝る気が消えた。ふい、とそっぽを向き、とりあえずタライを拾い上げる。
「ルシェ。」
嗜める様に、イオンズが静止する。それに頷く。別に振り回す気は無い。
「戻してくるね。」
持ってきたときより多少へこんだそれを肩から持つと、ルシェはそのまま部屋を出たのだった。


「大分苦労を掛けてたんだな。」
部屋の前まで戻ると、中から話し声がしていた。
普段なら構わず入るのだが、ふと気になって聞き耳を立てる。
「ああ。・・・いい加減慣れたが、やはりあれは救いようの無い甘ったれだ。」
あの棘だらけの言い方は確実にセラだ。話題は自分のことなんだろうか。気配を殺し、壁にくっついてみる。
「だがな、セラ。そう思うなら、そのルシェと同レベルで言い合いをするのは大人気ないんじゃないのか。」
兄の言い分が、ぐさりと胸に刺さった。確かに年は下だが、今まで旅の仲間として関係くらいは対等を目指してきたつもりだったのだ。だが、口調からするに、兄達から見れば当然の話なのだろう。・・・それがまた現実を思い知らせてくれる。
声が途切れ、少しして、穏やかな声が入ってきた。
「普通に接しとる分には、しっかりした気立てのいい娘じゃよ。もう十分一人前じゃ。
 だから、あんな態度を取らせるお主にも問題があるとわしは思うぞ。」
少しだけ、荒れた気持ちが落ち着く。いいぞ、もっと言ってやれ。とイオンズの声を心の中で応援する。
「ふん。少なくとも気立てのいい娘がこういう事をするとは思えんがな。」
いきなりドアが開いた。開いたほうに思わず目を向けると、セラとばっちり目が合う。
「!?」
気配は消していた、はずだ。何故ばれた。
視線に射すくめられ、混乱のまま腕を引っ張られる。
「立ち聞きか。」
いつもの冷たい声はともかく、部屋の中の残り二人の驚いた視線がなんとも居心地悪い。
なんで。どうしてこうも見透かされているのか。とりあえず舌打ちしたいのはこらえた。ここには兄もイオンズも居るのだ。
「苦労掛けっぱなしの救いようのない甘ったれですからね。」
むくれて、ベッドの上に飛び乗る。
「話の続きをするならどうぞ。」
枕を抱きかかえてそう言うと、兄とイオンズからため息が同時に漏れた。
「ルシェ、そう拗ねるでない。片方ずつ言い分を聞かねば収まるものも収まるまい?」
「・・・・・・。」
やさしく肩をたたかれて、心のどこかが少し緩む。
「ほれ、お主の言い分はどうなんじゃ。なんでこうなったのか、聞かせてくれんか。」
穏やかにそう言われ、また、心が解けた。
「・・・明日、鍛冶屋行くから付き合ってっていったの。」
呟くように、口を開く。
「ほう。それでどうしたんじゃ。」
「断られた。でも、ろくな理由も言わなかったから、食い下がったの。そしたら、それからずっと無視された。」
心の中で、怒りに塗り替えられていた悲しみがまた顔を出す。一つ息をついて振り払い、先を続ける。
「・・・で、悔しかったからなんとか振り向かせようとしたところだったの。」
「それで、タライが転がってたんじゃな。・・・まあ、大体は解った。」
小さく笑って、イオンズは頷く。そして、ロイの方を向いた。
「・・・ロイよ、どう見る?」
兄から漏れたのは、苦笑い交じりのため息だった。
「・・・私達は、酒場にでも行ってくるよ。
 戻ってくるまでには、せめて停戦しててくれ。夜だから、怒鳴るのと暴力は無しで頼む。」
各々財布だけ持って、二人はあっさり部屋を出て行こうとする。
「おい!」
セラが呼び止める。ロイは、苦笑い交じりに振り返った。
「ちゃんと謝るんだぞ。ルシェも。解ったな。」
「え」
ばたん。一方的にドアが閉じて、部屋の中は二人になった。
足音が遠のき、沈黙が部屋を支配する。
兄の言葉を反芻する。・・・それなら、タライの件に関しては。確かに少しやりすぎたかと、今なら思えた。兄とイオンズに言われたという事が大きいのは、そうなのだが。
ちらりとセラの方に目をやると、彼は扉を睨んだままだった。視線を枕に落とす。小さな舌打ちの音がした。そしてゴソゴソと何か探るような音。また視線を上げると、セラが部屋を出て行くところだった。
「どこ行くの?」
声をかけると、ちらりと視線がこちらを向く。
しかし、それは結局無言のままそらされ、セラは扉の向こうに消えた。
ばたんと荒く音がする。その音に心がささくれ立つのがわかった。
かすかにあった謝る気が、綺麗さっぱり消えうせる。
ばんっ、と音をさせて枕をベッドに投げつけると、ルシェは明かりを乱暴に消した。頭から布団にもぐり、枕をきつく抱く。
セラがああいう態度を取るのは、いつものことだ。そう、いつものことなのだ。だから普段はルシェも、仕方ないなあ、と軽く流している。
しかし、こちらが苛立っている時にそれをやられると、軽く流すのは至難の業だった。元がロイやイオンズのように人格者というのならともかく、・・・少なくとも自分には無理だと思う。
・・・絶対謝ってやるものか。
ふくれっ面で抱きしめた枕に顔をうずめ、目を閉じる。
今は夜。イライラを爆発させるわけにいかないのなら、寝るくらいしか選択肢が浮かばなかった。
・・・人は、それを不貞寝と言うのだが。


夜早く寝ると、朝は早く目覚める。
暗い部屋で目を覚ますと、他の三人はどうやら眠っているようだった。
兄達を起こさないよう、そっとベッドから降り、カーテンの隙間から外を見る。
夜明け、・・・にはもう少し、といったところか。白み始める気はあるような空。二度寝も選択肢には入るのだが、そんな気にはなれなかった。妙に目が冴えてしまっている。
振り返ると、丁度セラの寝顔が見えた。心に少し影が差す。・・・未だに。
旅を続ける以上、嫌でも顔をあわせるのは解っていた。わだかまりは消した方がいい、それだってわかっている。しかし、解っていることと出来ることは違う。
周りを起こさないように、自分の場所に戻った。そっとそっと身支度をして、昨日持ち歩いていた分の荷物を取る。
ぼんやりと同じ部屋に居たところで、また色々考えてしまって苛立つだけだ。夜明けの街でも散歩すれば、もしかしたら気が晴れて、苛立ちが飛んで行ってくれるかもしれない、と思った。そうなれば、いつもと同じような顔で接することもできるだろう。
音をさせないよう、ベッドを降り・・・そこで、ふと気付く。
サイドテーブルの上の、簡素な絵筆。置き忘れたのだろうか、恐らくイオンズの物だ。筆はまだ乾ききっていない。水筒から少し水を出し一滴二滴含ませてみると、それは十分役に立ちそうだった。
ちらりとセラの方を見る。規則正しい肩の動きからするに、間違いなく熟睡中だ。
ニヤリ、と自分の表情が変わるのが解った。それとなくそれとなく、細心の注意を払って気配と感情を殺す。表情を消す。
大丈夫、害意さえ気取らせなければ目を覚ますことは無い。
ここは街の宿。警戒レベルも普段よりは確実に落ちているのだから。

三分後。
ルシェは足音をしのばせ、爽快な笑顔で部屋を後にしたのだった。


夜明け前。その空気は少し冷たい。すっと息を吸うと、身体が完全に覚めた。
街の東へ向かって歩き出す。白み始めた東の空は、紫と桃、青と群青と金の混じった不思議な色をしていた。外れにつく頃には夜が明けてしまっているかもしれない。
・・・まあ、それでもいいかな。
のんびりと、歩き出す。刻一刻、緩やかに動く雲と共に色模様を変える空は、それだけでも十分に楽しい。群青と紺と黒が支配していた空が、赤やオレンジに塗り替えられていく。今日は間違いなく快晴だ。
少しずつ明るくなる街を縫い、街外れの原っぱまで来ると、太陽はもう雲間から顔を出していた。身体いっぱいに日を浴びて、そのまま草原に倒れこむ。
朝露で少しぬれたが、気にしない。草の香りとお日様の匂いを吸い込んで深呼吸。3回もしているうちに、気分がすっと透き通ってきた。早朝の散歩というのは、やはりいいものだ。
ぼおっと、今後の予定を考える。
兄は戻ってきたが、やる事はまだあった。
リベルダムが陥落後、帝国で引き続き動きがありそうだという話を聞いていた。傭兵を募集しているとも言うし、あちらで別れたアンギルダンの事も気になる。今はとりあえずアキュリュースに行ってみよう、というのが当面の予定だった。ただ、それから後はどうなるのか解らない。アキュリュースに行くならまた戦うのだろうが・・・戦争はどうにも気が進まなかった。別に帝国に刃向かった訳でもないアキュリュースを攻めに行くと言うのがさらに気を重くする。
ただ、その一方でアンギルダンにはついて行きたい、と思っていた。どんなに手を血に染めようと、彼の目に曇りは無い。彼がついて行きたいと言うのなら、あのよくわからないネメアも少なくとも悪人ではないのだと思うし、孫のようだ、と言ってくれたあの赤い将軍のためなら、気が進まない戦でも出て行こうと思える。
あの不思議な魅力が、きっと人徳とかそういうものなのだろう。イオンズが心酔しているのもよくわかる。自分だって大して変わらない気持ちでいるのだから。
アキュリュースのその後は、また解らない。
ただ、やりたい事としてはエステルに兄を紹介したい、と思っていた。エステルは兄が戻ってくる直前、またラドラスに行くと言ってパーティを抜けたきりだ。それでもずっと心配してくれていた事であったし、目的達成を知らせたかった。
こんな事を思っているとき、いきなり草原を駆け上がってくる音がして「ただいま!」・・・なんて何時ものように元気いっぱい言われたら嬉しいのに、と思う。そうしたら、とりあえず一杯抱きしめて、また一緒に旅をするのだが。
・・・まあ、世の中そんなに都合よくは出来ていない。エステルが帰ってくるには、いつものペースならあともう少し掛かるだろう。早く帰ってこないかな・・・とは思うが、族長として巫女として必要とされているエステルを止めることはできない。
帰ってきたら、また一緒に買い物して・・・そして、お菓子を買い込んでお茶を淹れて一杯お喋りするのだ。ラドラスの話や、今までの話をたくさん聞いて、たくさん喋るのだ。パーティを抜けてしまうのはいつものことなのだが、その度に帰りが待ち遠しくて仕方ない。想いはすぐに砂漠の遺産に飛んでいく。
チュン、チチチチッ。
小鳥の声がして、我に返った。日はすっかり昇りきっている。
時刻はどれくらいだろう。多分、いつもの活動時間にはなっているはずなのだが。
我に返ると同時に、空腹を感じた。もう食堂は開いているだろうか。街に戻っていけば、開店時間になっていそうな気もする。ゆっくり食事を取れば、そのうち街の施設も開きだすだろう。
身を起こして荷物を手に取ると、鞄は少しずっしりとしていた。錬剛石入りだと言うことを思い出す。鍛冶屋は・・・どうしたものだろうか。
・・・ま、いいや。
勢いよく立ち上がって、荷物を肩にかける。鍛冶屋の事は、食事しながら考えればいい話だ。そういうことにした。


いつも行くところとは別の、街外れの食堂。
ぐだぐだまったりと食後のお茶を三杯ほどお替りして、ようやく勘定まで行き着く。外に出ると、すっかり朝の活気に満ちた街が広がっていた。
足は自然と鍛冶屋に向かう。無心で朝食を取っていたため、結局結論は出せなかったのだが・・・まあ、店まで行って決めてもいい。
「おはようございまーす。」
店のドアを開ける。相変わらず、多種多様な武具が店内には並んでいた。奥のほうを見ると店の親爺さんの背中が見える。
「おう、いらっしゃい。今日はどうしたんだ。」
「うん、ちょっと武具を見にきたの。」
そう言って笑ってみせた。
「そんなに良い物を持っているのに、買い替えかい?」
親爺さんの視線は腰に佩いた剣に行く。
「いや、そうじゃないの。次どう鍛えるかって、武具見ながらの方が思いつくかなあと思って。」
そう言うと、親爺さんは納得したように頷いた。
「なるほどな。それなら、気の済むまで見て行くといい。注文はいつでも受け付けるからな。」
「うん、ありがとう。」
親爺さんはまた店の奥に戻っていく。
自分の剣に目をやる。貴重な錬剛石だが、自分のために使ったところで特に問題は無い。ただ、・・・当初の思いつきは、その気が薄れたとは言っても忘れたわけではなかった。昨日そのことを思いついたときは幸せな気分で一杯だったのだが、ずいぶん遠い事のようだ。
目をさまよわせていると、細身の片手剣が目に入った。よく見知ったアレとは雰囲気から何から違うのに、なんだかそれを思い出す。どうやら自分は、まだ昨日のあの思いつきに未練があるようだった。
ふるふる、と頭を振って気を変える。
「親爺さん。」
店の奥に声をかける。
「はいよ。」
返事が返ってくると同時、店の扉が開いた。

「・・・やはり、ここに居たか。」

息せき切ったような表情。そこに立っていたのは、セラだった。

『昨日は悪かったね。今日はどうして鍛冶屋なんかに行きたいといっていたんだい?』
さわやかな笑顔に、小さく微笑んで答える。
『うふふ、それはあなたにこの錬剛石を使って欲しかったからよ。』
『あはは、それは嬉しいな。ありがとう。』
そして笑いあう二人。

・・・なんて事があるわけがない。
一瞬よぎったそんな想像は、恐怖が見せた現実逃避の幻覚だ。
かなり質が悪い。ありえない。それだけは、天地がひっくり返っても、絶対にない。
何せ、目の前に居るセラは、どこからどう見ても怒っていたのだから。
わかっている。怒っている原因は、きっと今朝のアレだ。綺麗に取れているところを見れば、気付いて顔を洗ったのだろう。当たり前だが。
「おはよう、セラ。」
固まりかけた声帯を震わせる。
「鍛冶屋に」
「今朝のあれはお前だな。」
聞いていない。口調も完全に断定だ。
しらばっくれるのと、受けるのと、どちらが被害が少ないだろう。
考えた瞬間、うっかり視線が泳いだ。それを肯定と捉えたのか、セラはずかずかとこちらに向かってきた。あわてて後退りするが、数歩で鎧にぶつかる。
「あ、の、ええっと、・・・その、」
「言いたいことがあるなら言ってみろ。」
怒りに染まった低い声。感情を一応抑えているらしい表情。それはどんな大型の魔物より迫力があった。なんと言えばいいのか、色々麻痺していてもはや解らない。
「・・・似合ってたよ?」
やっとのことで口を開いた瞬間、襟首が掴まれた。
「ふざけるなっ!」
耳元で炸裂する怒声。言葉の選択を失敗したのは間違いない。
だが、恐怖の絶頂は元の恐怖を吹き飛ばした。
「み・・・耳元で怒鳴らないでよ!離せっ!」
襟を掴んだ手を、ぐい、と捻ると、手はあっさり外れる。
「ちょっとラクガキしたくらい、実害なんてないでしょ。子供の悪戯にいちいち怒ってるんじゃないわよ!」
「子供の悪戯をお前がやるな!」
「シャレになんない悪戯の方がよかったの?それは思いつかなかったわね!
 あなたみたいに陰険じゃありませんからっ!」
「なんだと?」
さらに怒ったのがわかった。が、もうそれくらいでは恐怖は感じない。
「嫌味に皮肉に無視って、陰険以外の」
「それくらいにしときな!」
言葉の途中、セラとは違うさらに大きな声で怒鳴られて声を引っ込める。
声の方向を振り向くと、鍛冶屋の親爺さんが立っていた。
「喧嘩は外でやんな。」
そこには店主の威厳があった。そして、明らかに非はこちらにある。
「・・・ごめんなさい。」
「・・・。」
素直に頭を下げる。親爺さんは、ふうと息をついた。
「わかればいい。で、どんな注文だったんだい?」
ほんの少し前の事だったのに、セラの登場ですっかり忘れていた。
「あ、ええと。ちょっと待って。」
荷物の中から、錬剛石とお金を取り出す。どさどさとカウンターに置いて一息。
・・・まだ、当初の目的を忘れきったわけではなかった。
どうしたものか。ちらりと振り返れば、セラは、相変わらずの仏頂面でそこに立っている。
どうしようか。舌の根も乾かぬ内とはいえ、和解は早い方がいいのは間違いない。
ならば、どうとでもなれだ。息を吸い込み、覚悟を決めて親爺さんに向き直る。
「あの剣、鍛えてください。」
びし、と月光を指差す。指先のむこう、セラが目を見開いたのが見えた。
「なっ・・・」
「こないだの夜の迷惑料。ついでに今回の反省代。あとは、私の気持ち。あ、パーティのお金と石には手つけてないよ。」
セラの方に向き直り、何か言おうとする前に頭を下げた。
「いつもごめん、ありがとう。」
顔を上げた先、セラのしかめっ面と目が合う。
「・・・そういうことなら、先に言え。」
「最初から言ったら断られると思って。」
言うと、セラはふん、と鼻を鳴らした。
「今断ることも出来るぞ。」
「いいや、それはさせられねえ。」
親爺さんの声に、振り向く。
「代金も材料も貰ったからな。さあ、その剣を渡しな。アンタだってその姉さんの気持ちくらい受け取れるだろう。」
思わぬ援護射撃に、少し頬が緩む。
「いいでしょ?」
「ふん・・・仕方ないと言うことにしておいてやる。」
ガチャ、と、剣帯を外す音。セラが月光を鞘ごとカウンターに置くと、親爺さんは驚いたように剣を取り上げた。
「こりゃぁ、豪い業物だな。腕が鳴る。」
「・・・この剣は、俺の全てだ。預けるからには相応の仕事をしろ。」
その態度にも、親爺さんは豪快に笑う。
「はっはっは。おう、任せとけ。少し時間取るが、いいな。」
「ああ、わかっている。ルシェ、行くぞ。」
呼びかけられ、頷く。
「うん。親爺さん、ありがとう。」
礼だけして、セラについて店を出た。
足取りは軽い。目的が片付いたお陰で、不機嫌は綺麗さっぱり消え失せていた。
「・・・驚いた?」
少し浮上した機嫌のまま、そう聞いてみる。と、意外なことに答えが返ってきた。
「・・・ああ。未だに信じられん。」
なんとも失礼な話だ。だが、・・・仕方ないのかもしれない、と思わなくも無い。セラからすれば、きっと自分は聞き分けない甘ったれのお子様にしか見えていないのだから。
ふう、と息をつく。
「私だって、それなりに反省くらいするよ。この間、結局ごめんなさいも何も言った記憶なかったし、その。臨時収入もあったし、丁度いいかなって思って。」
「・・・ふん。」
ばふ、と頭に感触があった。いつもの様にはたかれた訳ではない。・・・もっと、優しい。
「・・・まあ、お前にしては上出来だ。」
そのまま、軽く撫でられる。
大きな手の感触が不思議で、少し嬉しかった。
ただ、同時に胸の辺りの苦しさも感じる。
子ども扱いされているのが悔しいから・・・ではない事にした。もう一つ浮かんだ馬鹿げた考えも、・・・考えればまた苦しくなりそうな、そんな気がする。
だから、気にしないことにした。
「・・・ほめ言葉って事にしとく。」
つん、と。それだけ言葉にした。
空気が少し揺れて、セラがかすかに笑ったのがわかる。
それがわかる距離に居ることが、何か、どこか・・・心地よかった。
快晴の空を二人、歩く。気分は上々。
・・・今日は、いい日になりそうだった。


私と、彼と、時々タライ。
セラはおそらく、「初任給でプレゼントもらった親の気持ち」を味わってたんじゃないかと思います。
ああ、あのはねっかえりの甘ったれのひよっこのお子ちゃまがこんな事までできるようになって(ほろり)みたいな。
恋愛遠い。笑えるほどに遠い。きっと、ぎりぎりまで気付かないというか気付けないと思う。保護者役染み付いてて。で、巣立ちを迎えた瞬間に気付くとかそんな感じじゃないかなあ。
だから、もしも色恋沙汰行くならば意識したのは主人公が先かなーと。でも、主人公も最初からあきらめ半分なような、そんなイメージ。
石+お金って、プレゼントにしちゃかなり高額なんですが、月光は強度2スタートだから、うげってなるほどお金は掛からなかった・・・はず。まあ、初任給でプレゼントしたくらいの金額イメージです。
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