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05:夜の見張り

 夜の見張りは数時間ずつの交代制になっている。
誰が決めたというわけでなく、なんだか自然にそうなっていた。
徹夜した後に歩きっぱなしは辛いから、という解りやすい理由もあり、夜を分割するようにして二人ずつ見張りをする事になっている。・・・とはいえ、割り当ての後半は寝ているという場合も多々あり、その時々に応じて違ってはいた。
中でも、深夜番の夜は長く静かな眠気との勝負となる。となると、当たった時は手を動かすなり何なりして強制的に目を覚ますのが常套手段だった。定番は武器の手入れや荷物の整理、余裕があれば例えばひたすらカードとか、メンバーによっては地味に飲み会をしている事もあるらしい。気ままに過ごしているといえばそう言うことなのだが。

そんなわけでその日の深夜、シェナの膝の上には繕い物が積み重なっていた。
就寝前に繕い物を出しておけと声を掛けた結果である。日中は歩いている事が多いからそうそうゆっくり縫い物などできない。そこに来ると深夜ならば火の傍に行けば灯りはあるし、静かだし、何より大してものを考えずに没頭できるというのがいい。そんなわけで、これは深夜の仕事にしているのだ。
膝の上の繕い物は、ボタンが取れたものに始まり、肘や肩膝の間接部分といった定番の擦り傷、裾の鉤裂き・・・と、まあ冒険者らしいラインナップだった。どうにもならなくなったボロ服をツギ当てに使いながら、手際よく針を動かしていく。
「・・・シェナ?」
声を掛けられ、うんー、と生返事を返した。視線は無論布と針に注ぎっぱなしである。
「手伝える事はあるか?」
「うーん・・・」
作業は目下継続中で、ようやく一つ上がるところだった。
一息ついて炎に向かって服を広げると、かぎ裂きの上着はまあそこそこ見られる程度に直っている。とりあえず一丁上がりという奴だ。
よし、と服をたたんで、そういえば、と声のあったほうを向く。
「えーと、何か言ってた?あれ?・・・レムオン?もうそんな時間?」
顔を上げてもさっきまでいたはずのチャカはいない。・・・代わりに、この時間の相方のレムオンが深々とため息をついた。
「チャカならさっき寝たぞ。」
「え。・・・あ、やっば。私おやすみって言ったっけ」
挨拶すらせずに見送ってしまったか。慌てて寝床の方を見ると、さらに呆れたような声が返ってくる。
「聞えていたが・・・覚えていないのか?」
「えと・・・あ、言ってたっけか。言ってたよね、うん・・・それならいいんだけど・・・。」
覚えていないのかといわれれば、まあ9割ぐらいは覚えていないのだがその辺は黙っておく事にした。
「随分集中するのだな。」
まあ呆れられようが何しようがやらなくてはならないには違いないし、集中したいのも変わりない。
「うん。裁縫ってこんな時にしかできないからね。」
「あまり集中していたら見張りの意味がないのではないか?」
「・・・そりゃそうだけど。」
至極ご尤もな言葉に、うぐと止まる。
「ほら、う、動けはするし。・・・そりゃ初動は不味いかもしんないけど・・・まあそっちはあんたに任せた。」
新たなる一枚を手に取り、修繕箇所を見極める。今度は簡単にボタンが取れただけ、らしい。
替えのボタンも服の裏にばっちり縫い付けられていたのを確認したので、これは楽が出来そうだった。よし、と小さく呟いて、針に新しい糸を通す。
「よく言う。」
レムオンは、ふ、と息をついたようだった。

ボタンをつけて、磨り減った間接部に継ぎを当てて、伸びきった袖を直して。
集中して針を動かし続けた結果、どうやら今夜の仕事も片付きそうだ。
ラスト一枚を確認し、背を伸ばして息をつく。ふとレムオンが居た方を見ると、どうやら剣の手入れをしているようだった。自分に負けず劣らず集中しているらしく、視線は刀身に落とされたまま、此方の視線に気付きもしない。
まあ邪魔するのもなんだ。そう思って最後の仕事を手にしたその時。
ぴんっと周りの空気が張った。何かの気配を感じる。場所は正面の藪の向こう側。何かが此方を見ているのは解るのだが、パーティメンバーが起きてきたとかそんな話ではないのだけは確かだ。
「シェナ。」
声が掛かって、うん、と頷く。
「・・・何か居るね。」
視線は藪に置いたまま、傍らに置いていた武器をそっと身につける。
立ち上がると、がさ、という足音に続き、ぐるぅ、と少し高めの唸り声がした。
狼だろうか。その割には唸り声にドスが効いていない。怪訝に思って身構えた瞬間、それは藪から一飛びにこちらに向かって飛び掛ってきた。
が、何か、思っていたより小さい。サイズとしては多分一抱えも無いだろう。
ひとまずガード、と腕を立てて防ぐ事にする。狼らしきものは狙い違わずシェナの首をめがけて飛び掛り、そのまま小手に噛み付いた。噛まれた腕をそのままぶんっと前に振ると、それが地に落ちる。
勢いよく地面に叩きつけられたのは、狼・・・の子どものようだった。
「なんだ、随分小さいねえ。」
拍子抜けして息をつくと、すぐに声が飛んでくる。
「警戒を緩めるな。小さくても狼だろう。」
「うん、多分。」
言われて気をつめなおす。しかし、子狼は気を失ったままひくひく動いているだけだ。
「おかしいな。こいつの他にこの辺りに何か居る様子は無いぞ。」
あたりの様子を窺っていたレムオンが首をかしげる。
「一匹・・・?
 この小さいのに一人で乗り込んでくるなんて相当だねえ。」
膝をついて狼の様子を見れば、まあ見事にやせ細っていた。飢えのせいだろうか。
「しかし一直線にお前のほうに来たな。」
「うーん・・・あ。」
そうか、と思いあたる。
そういえば・・・ポケットの中に、おやつ用の干し肉が少し入っていた。
「これのせいかな。」
ポケットの中から小さな袋を引っ張り出す。
中からは、案の定親指を薄くスライスしたようなサイズの干し肉がいくらか出てきた。
「どうだかな。」
レムオンはそう言うが、ほかに自分たちに差異など見当たらない。
そんなやり取りをしているうちに、狼が薄く目を開けた。どうやら気付いたらしい。
「ほれ、食べる?」
ほい、と口元に干し肉を放ると、狼は反射的にそれを咥え、すぐに噛みだした。
「いいのか?」
「よくわかんないけど、私らを齧られるよりはマシじゃないかな。それにこの子は食べ物にならないし。」
言いながら、自分の口にも干し肉を持っていく。
「レムオンも食べるかい?」
「いや、俺はいい。」
「そう。」
自分の口ももぐもぐさせながら、もう一枚干し肉を狼に放ってやる。狼はそれもいい勢いで食べだした。もう一枚、もう一枚。ほいほいっと放り投げているとあまり分量のなかった袋の中はあっという間に空っぽである。
口に入る干し肉がなくなったところで狼が此方を見上げた。しかし無い袖は振れないのだから仕方が無い。ジッと食欲に塗れたままのその目を見据える。
「もうおしまい。どうする?私を食べてみるかい?」
「おい!」
子狼からの返事は無かった。レムオンの声は無かった事にして、先を続ける。
「でも、最初ほどの勢いはなさそうだね。
 いい?今すぐ行くのなら殺しはしない。でも」
そして、あらん限りの力と気を込めて、拳を狼の目の前に叩きつけた。
地が鳴り、武器の力と衝撃波で少し凹みを作る。
「向かってくるなら殺す。」
風の音すら止まったような沈黙は一秒。
狼は風のように逃げていった。
「やれやれ。」
ふう、と息をつく。
少し集中して周りの気配を探るが、もう残るは無害な者たちだけらしい。
「もう大丈夫そうだね。」
言うと、レムオンも頷いた。
「ああ。
 しかし・・・追い払うつもりなら最初から肉など与えなくて良かっただろうに。」
言われて首を横に振る。
「違うよ、追い払う為に肉やったんだ。
 飢えてる時は誰だって破れかぶれで襲ってくる。殺さないと止まらない。でも、少しお腹が膨らんでいれば頭も働くだろ?」
「知恵をつけて人を襲うようになったらどうする気だ?」
「だから最後一杯見得切って追っ払ったんじゃないか。」
言いながらラスト一枚残った服の傍に腰を下ろす。針はどうやら行方不明にはならなかったようで、ちゃんと服に刺したままになっていた。
レムオンも何か言いたげに、それでも元の居場所に腰を下ろす。
「甘いと思うかい?」
服を確かめながら言うと、ああ、と声が返ってくる。
「甘すぎて有害の域だな。あれが成長して人を襲うところが想像付かんのか?」
「殺しとけっての?」
よいせ、と糸を通して、ほつれた部分を縫い直しに掛かる。
「もしかしたら、あの子が大きくなってもさっきの覚えてて、人を襲わない子になるかもしんないだろ?
 それが積み重なったら、もしかしたら狼に襲われることも減るとか、ないかな。」
「それはどんな夢物語だ。」
刀身を研ぐ音がする。どうやら向こうも作業に入ったらしい。
「夢にしか聞えないかもしれないけど、ティラの娘相手にそれを実践した人が居たのさ。
 だから、私も出来るところは見習いたいんだ。」
一息に言って、ふっと息をつく。
「それにアンタが殺せっていうと変な感じだよ。」
「そうか?俺の手はお前など想像もつかぬくらい血まみれだぞ。」
答えは目線のあわぬところから飛んできた。即答できるほどに当然で、吐き捨てる事も出来ないほどに苦い言葉だ。
でも、否定する場所はどこにでもあった。
「追い詰められて刃向かった私らを殺さずに居たのはアンタだよ。
 ボルボラを倒すって餌やって、私らを止めて追い払った結果が今だ。」
一箇所玉止めにしてレムオンの方に向く。
「もしもあの時アンタが村の皆を殺していたら、私はアンタを地の果てまでも追いかけて殺したよ。
 私を殺していても、多分結果は大差なかったさ。多分また反乱が起こってただろうね。」
視線がかち合う。真紅の瞳は、色は違えど知り合ったときと同じように冷静で、冷徹だった。
「お前は自分達を狼と同じだと言うのか?」
「追い詰められた奴なんて人間も獣も変わりはしないさ。じゃなきゃなんであんな無謀な真似しなきゃなんないんだ。」
揺らぎもせず瞳と瞳がぶつかり合う。
「・・・でもね、私はアンタが例えどんな奴だったとしても、あの時助けてもらった恩は忘れないよ。」
また沈黙が落ちた。
ややあって、すっと力が緩む。
「・・・わかった、一応納得してやろう。
 だが、甘さは時と場所に関わらず、いつでも命取りだ。それだけは覚えておけ。」
「肝に銘じとくよ。・・・ありがとう、わかってくれて。」
そして視線は分かたれた。
そのまま、一息ついて作業再開する。
納得したというより、理解できなくもない、という声だった。
ただ、その中にどこか優しさが透けていて、なんだかホッとする。
どんなに手を汚してきていても、どんなに冷徹でいたとしても、根の優しさが消えないのだ。
ああやってレムオンは甘さは命取りと言うが、レムオン自身も大概には甘いというのがシェナの評価だった。冷血な政治家でいるために、相当無理をしていたのではないだろうか・・・とは、聞きはしないが今でも思うことだ。
思いを巡らせつつ、するすると針糸を動かして二つ目の玉止めを作る。
針を刺したままで、ぱんっと開いて出来を確認。まあなんとかなったところだろうか。
糸を噛み切ろうと口をつけたところで、視線に気がついた。
糸を噛んだまま目線を上げればその先にはレムオンが居る。
「・・・んあん・・・っと。」
噛みっぱなしでしゃべろうとした事に気付いて、とりあえず糸を切る。
「何?」
「いや・・・音がしたから何かと思っただけだ。」
「ああ。出来の確認してたんだよ。これで今日の仕事はおしまいさ。」
裁縫道具をちゃっちゃと仕舞って、積まれた修繕済みの服に手を掛ける。後は荷物に入る程度に畳んで寝床に配っておけばいい。
「さてっと」
てきぱきと畳んで立ち上がる。
「ちょっと置いてくるね。」
「ああ。そのまま寝てしまって構わんぞ。」
「何言ってんだい、そんな事できないってば。私にはアンギルダンのじいちゃんを起こすという大事な仕事が残ってるんだから。」
自分と交代で見張りにつくメンバーを起こすまでが見張りなのだ。無論今日は、次に交代するアンギルダンを起こすまでは起きていなければならない。
もう、と言いながら寝床へ向かう。起こさないようにそっと、枕元に服を置いていくのだ。
草の音にすら気を遣ってしのび足で戻ると、レムオンは丁度剣を仕舞ったところだった。
「あ、レムオンも終わったの?」
傍らに腰を下ろすと、レムオンはいいや、と首を振った。
「後一本ある。」
「ああ、そうか。二刀だもんね。」
「そう言うことだ。」
言いながら、もう片方の剣を取り出す。
見慣れた手入れの場面だった。錆と刃零れを確かめながらざっと刀身を拭いて、錆に鑢を掛けたり、刀身を研いだりして手入れをしていく。
その様子をシェナは黙って眺めていた。見慣れた光景が、自然と心を落ち着かせてくれる。
少し落ち着いてみると、自分の状態にも意識が向く。とりあえずは少し目が疲れているのはわかった。さっきまで薄暗がりで針仕事をしていたせいだろう。静かに息をついて、ゆっくりと一度目を閉じる。また目を開いて、静かな光景を確認して、目を閉じる。目だって命を守る大事な獲物なのだ。必要な事とはいえ、こんな日常の事で悪くするわけにはいかなかった。だからと言って完全に目を閉じれば確実に寝てしまうのは目に見えている。
だから、ゆっくり目蓋を開いては閉じるのを繰り返す事にした。動かしていれば眠気は来ないだろうとも思ったからだった。



ごと、と腕に重さが当たって、レムオンは剣を拭く手を止めた。
見れば、シェナがくったりと寝息を立てている。さっきまで針仕事に集中していたと思ったらもうこれだ。切り替えが早いのか何なのかわかりはしないが、とにかく疲れていたのは間違いないらしい。
傍らを横目に見て空を仰ぐと、見上げた月の位置は交代時間が近い事を示していた。
起こす事は無い。しかし身じろぎでもしようものなら起きてしまいそうな気もする。
ふむ、と考えて、そのまま手入れを再開する。そのまま暫く放置して、完全に落ちたのを確認してから抱き上げた。
筋肉主体の力の抜けた身体は、重みはあるがそれでも適度に柔らかい。年頃の娘には違いないのだったか、と内心で肩をすくめる。裁縫だ料理だと女らしい事をやっている事も多いのに、普段の様子はどちらかと言わなくても男らしいに分類されるのだ。間近で見る寝顔の美しさ・・・から派手に遠ざかった緊張感のない間抜けさも、その評価に拍車を掛けていた。
「お前さん、ワシの孫に何しとるんじゃ?」
寝床に運び込んで下ろしたところで不意に声を掛けられた。一瞬ぎょっとしたものの、声は知っている声だ。ひざまずいたまま振り返れば、想像通りの人物が此方を面白そうに眺めていた。
「・・・アンギルダン殿、起きておられたのか。」
「ああ、今しがたな。もうそろそろじゃろ?・・・いや、その様子では今からか。」
たった今寝かせたシェナを見て、アンギルダンはそう言いなおす。
「・・・ええ、その、・・・休まれるのならまだ休まれて結構ですが。」
「遠慮するな。目も覚ませたしもう起きるぞ。
 しかしまあ、よく熟睡しとるなあ。珍しいくらい警戒心の欠片もないわ。」
いわれて視線を下に落とす。完全に熟睡した顔は、綺麗というより無邪気とか間抜けとか子供の様だとかいった表現の方が似合っていた。
「・・・確かに。」
さっき、確か、出会った当時の自分の事を飢えた狼と変わらないと評していたはずなのだが、獣が他人の前でこんなに無防備に寝るわけがないだろうと内心思う。警戒も遠慮もどこに行ったのだかわかりはしない。
「見張り中に寝てしまうなど、疲れていたにしても警戒心が無さ過ぎる。」
「まあ、それだけ安心しとるんじゃろ。
 以前は寝ているときですら張り詰めて見えたんじゃがな。見張り中に寝るような事も無かったし。」
言いながら、アンギルダンは苦笑いで肩をすくめる。
「お前さんが来てから、じゃな。少しずつ張り詰めていた力が抜けて来とる。
 シェナの奴、なんだかんだでお前さんには懐いとるらしい。」
「懐いている、・・・ですか。」
「甘えとるとも言うな。わしが相手ではこうはならんよ。
 表向きは平等に接しておるのがわかるんじゃが、こうなると差は歴然じゃな。」
カラカラと笑いながら、アンギルダンは先に火の方へ向かってしまった。
しかし、全く実感はわかない。担がれているような気すらする。
もう一度、間抜け・・・あどけない寝顔を眺めてみた。
この狼はどうやら餌をやった人間に懐いていたらしい。ただし、此方にはわからないように。
「懐いてくれている、のか・・・?」
子供のような寝顔は無論それには答えてはくれない。ただ、もしもアンギルダンの言うとおり、自分に懐いているというのなら。
「・・・お前は、とんだ意地っ張りだ。」
懐いている事も甘えている事も、ここまで無意識にならないと表に出てこない。単に意地を張っているにしては気合が入りすぎている。もしかしなくても誇りに掛けてそんな姿は見せられないと、そう思っていたのかもしれない・・・が、真実は間抜けな寝顔の中だ。
「・・・おやすみ。」
立ち上がり、そっと声を掛けた。
「・・・おや・・・す・・・み・・・」
もごもごとシェナの口が動いて、挨拶のような寝言はまた寝息に変わる。
寝ているときですら律儀なその様子に思わず吹きだした。
出会った頃は、挨拶もなしに本題に入る事も少なくなかったのだ。
それを窘めて、口酸っぱく言って矯正したのが、変なところでちゃんと効いていたらしい。これは恐らく・・・いや、間違いなく自分の影響だろう。
何か、意味も無く可笑しかった。
平和に寝こけている娘には、少しだけ自分の色がうつっている。
それなら、その分だけは信じてもいい気がした。
彼女が自分に懐いているという事を。


シェナが幾度目かに目を開けたとき、辺りはなぜか明るかった。
そして場所はなぜか寝床だった。
なぜか自分は毛布をしっかりかぶって寝ていたらしい。
ぎょっとして飛び起きる。
「あ、姉ちゃんおはよー。」
「おう、シェナ、起きたか。」
火の方からはアンギルダンとチャカが出迎えた。
「おはよ、じいちゃんごめんっ!私どうも寝てたみたいで」
「構わんよ、何事もなかったようじゃからな。」
アンギルダンはそう言ってカラカラと笑った。
「ええっと運んでくれたのってじいちゃん?」
「いいや。」
ということは、見張り途中で寝てしまったと言う経緯上、運んだのは火の傍から見えていなかったもう一人だ。
ええっと、と目で探そうとすると、チャカがさくっと答えを言った。
「川の方に行ってる。」
「あ、そうか・・・ありがと。・・・早いトコ謝っとかなきゃ。」
がしがしっと頭をかいて、頭がイマイチ回ってない事にようやく気がつく。
「あー、私も顔洗ってくるよ。」
荷物から引っ張り出した布と櫛片手に立ち上がると、気をつけてーと火の方から声が上がった。
「寝ぼけて足を滑らさんようになー」
「川に落ちないようにするんだぜー」
「私はそこまでドジじゃないよ!」
間髪居れずに文句を言っても、ガハハと豪快な笑い声とケラケラと面白がっているのが解る笑い声しか戻ってこない。おまけにアンギルダンが一緒ではチャカも殴るに殴れない。
「もうっ」
抗議の意だけは示す事にして、踵を返し川へ向かう事にした。
朝の空気はひんやりと涼しくて気持ちが良い。
欠伸をしつつ、伸びをしつつで川に到達。目線を動かすと、少し離れた所に最近ようやく見慣れた銀の髪が目に入った。
「あ、レムオン。おっはよー。」
大きく手を振って駆け寄りながら声を掛けると、気付いたのだろう、レムオンもこちらを向く。
「昨日は悪かったね、見張り途中でおやすみも言わずに寝ちゃって。」
「構わん。お前も疲れていたんだろう?」
「うーん・・・そうでもないはずなんだけどねえ。
 オマケに運んでもらっちゃってごめんよ。重かったんじゃないかい?」
「お前くらいなら大した事はない。気にするな。」
くすりと笑って首を横に振る。
迷惑と非礼の合わせ技にも怒っては居ないようで、それだけでもなんだかホッとした。これが以前なら嫌味とお説教の一つや二つは間違いなく喰らっていたところだ。
川岸に座り込んでばしゃばしゃと顔を洗うと、少しずつ目が冴えてきた。
「ふぅ。」
「目は覚めたか?」
拭き布片手に顔を上げると、そんな言葉が上から降ってくる。
「うん。」
もう戻るのかと問うと、肯定の返事が返って来た。それなら、と、さっさと髪に櫛を入れて歩き出す。
「そういえば言い忘れていた。」
歩き出してすぐにレムオンが口を開いた。
「ん、何かあった?」
「いいや。・・・おはよう、と。」
挨拶無しをを気にしているようだったからな、と、しれっと言われて思わず吹き出してしまった。
挨拶は基本とはいえ、実を言わなくてもそこまで気にする方ではなかった。一般的な範囲内で拘りも無く、できるときはする、でいいと思っていたし、今でもそのつもりだ。
でも、無意識にでも気にしているように見えるとしたら。・・・それは確実に今隣を歩いているやたら礼儀にうるさい人間のせい以外にありえない。
妙なところで影響されているという事実がなんだか可笑しかった。
「・・・うん、おはよ。」
笑いながら頷く。
世界は朝の光に満ちていて、なんだか必要以上に輝いて見えていた。


「追い詰められたらどんな無謀な事でもやってしまう」というのは狼や畑主だけじゃなくて、義兄上にも言える事なのですが、それにちゃんと気付いてる描写入れようとして入らなかったと言う。・・・まあ気付いてると思います。頭まわる人だし。
二人してツンデレ期間とか意地っ張り期間が長すぎて、好意があるかどうかも自信がないような、そんな感じの旅道中だと思うのです。義兄上の「モテるのに奥手」設定は大笑いした後に物凄く納得しましたが、まあそんな感じで。
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