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03:風邪っぴき

旅の途中に困る事、というのは旅に出ないと解らない。
軽微な事で行けば服についた返り血は水場を見つけるまでそのままだし、身体を洗いたくても洗えない場面というのも多い。
よくある事でいけば、雨の日の野宿というものがある。なんとか屋根と床を作り、身体だけは濡れないように皮や毛布に包まってみても、翌朝はもれなく辺りは水浸しだ。そこから濡れそぼった毛布と皮をたたんで、降り続く雨を見上げれば、流石にげんなりしてしまう。
そして、それよりも困るもの。
それは、今目の前に転がっていた。

「参ったね、あと一日でロストールなのに。」
しとしとと降る雨の中、木の梢に屋根を借りて、どうにか濡れていない場所に寝ているのはチャカである。ただし、ぐったりと荒い息で、だ。
うっかり毒を受けた後解毒までは何とかなったのだが、それで弱っているところに雨の野宿が続いたのが原因らしい。数日前から調子が悪そうにしていたのだが、昨日今日でこの有様だ。一応常備の薬は飲ませていたのだが、どうも効いた様子はないようだった。
「多分、風邪だと思うんだけど・・・ちょっと熱が高いんだよね。」
それが心配、と表情を曇らせるのはナッジ。
「捨てていけ。元気になったらそのうち追いついてくるだろう。」
全く、と冷たいのはセラだ。
「まあ、お前には無理だろうがな。」
後の一言の辺りが多分彼流の情とか言う奴だろう。
「わかってるじゃないか。
 まあ、街まで運ぶしかないさ。かなりの荷物になるけど、なあに、一日の辛抱だ。」
旅の荷物に手を掛けてそう言う。
「チャカは私が連れて行こう。申し訳ないけど、荷物は二人で分担してくれるかい?」
「いいの?重いだろうに。僕でもチャカくらいならなんとか」
「構わない。ナッジにはインビジブル掛けてもらうってお仕事があるからね。なーに、いい鍛錬さ。」
ナッジに向かって頷くと、ナッジも、それなら、と荷物を取る。
「セラ、いいね?」
「ああ。全く手間の掛かる奴だ。」
ふん、と鼻を鳴らしてセラも荷物に手を掛けた。
「チャカ、起きれるかい?」
言いながらチャカの背を起こす。
「う・・・ん。姉ちゃん?出発すんのか?」
意識までもぼんやりしているらしい。
「ああ。さっさと背中に乗りな。アンタが歩くの待ってたら一日が二日になるからね。」
「ごめんな、姉ちゃん。」
「ナッジとセラにも言うんだよ。まあ後でしっかり借りは返してもらうさ。」
乗ってくるチャカをなんとか背負う。しっかりした重みは少し熱くて、少し辛い。ただ、以前より力がついたのか、重さ自体はそこまで苦ではないのだけが幸いだった。
皮のマントを上から掛けて、ひとまずの雨避けにすると、とりあえずは出発の準備は整った。
「じゃあ、悪いけど、後一日頑張ろう。」
呼びかけて、歩き出す。
道行は雨と病人連れだ。思うより長く掛かるだろう、とは誰も言わないが、誰もが予想するところだった。



途中の休憩も普段より多くとった上、チャカを運ぶ役は結局ナッジもセラも少しずつ交代してくれたおかげで、思ったより大分楽に道は進んだ。
しかし、足が遅くなるのはどうしようもない。結局ロストールに着いたのは、大方の予想通り夜になってからだった。
宿を取って、チャカを着替えさせて転がしてしまうととりあえず一息である。
しかし、環境はマシになったとはいえ、チャカの容態は朝よりさらに悪化していた。朧に意識があるのかなんなのか、高熱に浮かされているのは背負っていれば流石にわかる。
冷えたタオルでチャカの汗を拭いていると、シャワーに行っていたナッジとセラが部屋に戻ってきた。
「おまたせ。シェナ、チャカが気になるのはわかるけど、さっさとシャワー浴びた方が良いよ。
 君まで風邪を引いちゃったら元も子もない。チャカは僕らが見てるから。」
そうだろ、と言うナッジに、そうだね、と頷く。
「宿の主人に言って、薬貰ってくるよ。熱さましになりそうなのがあればいいんだけど。」
そう言って立ち上がると、今度はセラに服の後ろ襟をつかまれた。
「・・・人の話を聞かない奴だな。お前まで倒れたら面倒だと言っている。」
「わかってる。ありがとう。」
ゆっくりと掴んでいる手を離す。
「でも今はこっちが優先なんだ。」
たんっと手をすり抜けて大またでドアへ。そして、シェナはそのまま階下に向かった。
ところが。
「・・・悪い、どうも切らしちまってるようだ。」
宿の主人は、すまない、と頭を下げる。
「いや、いいよこっちこそ。急に言って悪かったね。」
頭を下げ返した。ふっと息をつく間にも、思考は次を考える。
明日の朝薬屋に駆け込めばいいだろうか。しかし、あの状態のチャカをそのままにしておくのは恐ろしかった。それならば、と考える。幸いここはロストール。心当たりは後一つ残っていた。
気は乗らないが、背に腹は変えられない。
「少し出てくるよ。私の連れに聞かれたら、お屋敷に行ったと伝えて欲しいんだけど、お願いして良いかい。」
「構わんが、それで解るのか?」
「ああ、大丈夫。頼んだよ。」
「ああ、解った。」
主人が頷くのを見て踵を返す。そして雨の降る街へ駆け出した。
行き先は、通称『お屋敷』。別名、リューガ邸である。


門衛に言って門を開けてもらった後は、普段ではありえない速さで雨夜のお屋敷を駆けた。玄関を叩くと、同時に内側から扉が開く。
「お帰りなさいませシェナ様。」
セバスチャンはいつものように一礼してからタオルを手渡した。
「こんな雨です、門までお迎えに参りましたのに。」
「そんなのいいよ。こっちこそ夜にごめん。
 セバスチャン、お願いがあるんだ。本当はこんな事頼めた義理じゃないんだけど。」
「どうかなさいましたか?」
「薬を少しでいい、分けてくれないか?もちろん、御代は払うから。」
一息に用件を言い、がばっと頭を下げる。
「シェナ様、顔を上げてください。そして顔をお拭きになってください。」
話はそれからです。
ピシッと言われて、水滴が床に滴り落ちているのに気がついた。
慌ててばさばさっと拭いて、とりあえず視界を開ける。
「ごめんね、タオルありがとう。」
「いえ。それで、何の薬がご入用なのでしょうか?」
タオルを引き取りながらセバスチャンが尋ねた。
「熱さましの薬。強めのが欲しいんだけど。」
「はい、ございます。差し支えなければどなたにお渡しされるのか聞かせていただけますか。」
え、と思ったものの、分量が変わりますから、といわれてああそうかと頷く。
「チャカだよ。今、熱出して寝込んでてさ。」
「それは心配でしょう。かしこまりました。
 準備をしてまいりますので、その間にお湯を使われてください。服も着替えるべきです。」
「ありがとう。けど、その辺はいいよ。急いでるからここで待って」
「何だお前、帰って来ていたのか。」
面倒な声が上から聞えてきて、思わず顔をしかめた。
「酷い格好だな。溝鼠でももう少しマシな格好をしているのではないのか?」
しかし、ここでレムオンの相手をしている暇は無い。
「気にしないで。すぐに出て」
「セバスチャン、いつまでシェナを濡れたまま放っておく気だ?」
高飛車な声は、こちらの言い分なぞ聞いてはいないようだった。すぐにセバスチャンがかしこまる。
「はっ、申し訳ありません。 そう言うことですからシェナ様。」
その言葉と同時に、ちら、とセバスチャンが目配せしたのが見えた。次の瞬間、傍に控えていたメイドのおば様方に脇を抱えられ、身動きが取れなくなる。
「ちょ、待っ、待ってっ・・・!!」
返事は無い。ずるるるる、と引きずっていかれる廊下には、水跡と届かない抗議の余韻だけが残されたのだった。


バスルームに放り込まれてしまうと、流石にもう観念するしかない。
着替えを持ってまいりますから、ゆっくりお湯を遣われて下さい・・・と、外から聞えてきてさらにため息をついた。
まあ確かにびしょ濡れだ。宿に着いたときに一応着替えたのだが、雨夜の街中を疾走したものだから結局服はぐちゃぐちゃになっていた。へくしっ、とくしゃみが出て、そういえば身体が冷えている事にも思い当たる。これで自分まで風邪を引いたら、ただのバカだ。
ばしゃべしゃと服を脱ぎ、勢いよくお湯を出す。想像以上に熱く感じた湯は、冷え切った身体に滲みていくようだった。
ただ、着替えが来たらすぐにでも出なければ、と気は焦る。薬の到着は待たれているのだ。ここでグダグダしているわけには行かない。シャワーを浴びながら、外の音に耳をすませる。
「お着替えはこちらに置いておきます。ごゆっくりなさってください。
 着替えが終わりましたら、居間のほうにいらっしゃいますようにと。」
幸い、待ち望んでいた声はすぐに掛かった。
「ありがとう、助かるよ。」
声だけ掛けて、戸が閉まると同時に脱衣所に出る。用意されているのは乾いたタオルに下着。それと服・・・ではない。
思わず頭を抱えた。
泊まっていけ、との事だろう、置いてあったのは寝巻きだ。自前でないのは仕方ないが、これで外に出るのはかなり厳しい。おまけにこの薄い布地で雨に濡れた日には軽くストリップショーだ。しかし、タオルと下着で出るのはさらにマズい。
それでも他に選択肢はない。後で服を出してもらうかな、などと思いつつ袖を通す。何とか廊下に出られる格好になると、シェナは居間に向かって走り出した。
ばんっと居間のドアを開けると、中に居た二人の視線がこちらを向く。
「ノックくらいしろ、はしたな」
「お風呂と着替えありがと!ごめん、早速だけど薬は?」
文句を言うレムオンはひとまず置いてセバスチャンに走りよる。
「用意できております。しかし、少しお待ちになられてはいかがでしょ」
「ありがとう、恩に着るよ。でもごめん、ちょっと今は急がせて。」
「おい、シェナ」
外野の声は知らない事にして、セバスチャンをお願い、と拝み倒す。
と、背後にぬっと気配がした。ぎょっとして反射的に拳を構える。
「人の話を聞け!」
しかし、頭上から怒鳴られてびっくりしている間に、その拳はあっさり取り上げられてしまった。
「今、宿に迎えをやった。医者も呼んでいる。だから少し落ち着け馬鹿者が。」
「え。」
宿、に、迎え。医者。意外すぎる言葉に身体が止まった瞬間、ぐい、と片手をひねり上げられ、思わずその場にへたり込んでしまった。
「・・・どういうこと。」
「まだ理解できんのか?」
文字通り上からの目線をあっけに取られて見返す。
「お前の弟はこちらに運ばせている。医者も呼んだ。ありがたく思えと言っている。」
繰り返される言葉が、自分の足場にひびを入れていくような気がした。
今まで、貴族は憎むべき敵と思ってここまで来たはずだった。それなのに今、自分はその貴族に頼り、憐れみと施しを受けようとしている。
確かに、その行為も言葉も、理性で考えればとてもありがたい。願っても無い事だ。
しかし。
「・・・ありがたい、けど。」
悔しかった。
「・・・そこまで世話になるわけにはいかない。」
正確には、そこまで世話になりたくない、である。これ以上の借りは作りたくないし、冒険の上での事は自分たちで処理してしまいたいという思いもあった。
何より、忌むべき貴族の力に縋ったような格好になるのが悔しすぎる。
「・・・これは私らの問題だ。」
「それならば、なぜここに来た?」
間髪いれずに突かれたところは、自明なくせに痛い所だった。夜に駆け込みで薬を分けてもらえそうな場所、で真っ先に思い当たったからだが、薬屋をたたき起こした方がマシだったかもしれない、と今は思う。けど後の祭りだ。言い返したくても言葉は出ない。
ぎり、と奥歯が鳴った。
「どうやら、俺の手を借りるのが相当気に食わんようだが。」
まさに考えていた事を突かれて、ぎょっとする。
「図星か。」
ぐい、と掴まれた手が上がり、引きずられるように身体が引っ張り上げられた。
「お前につまらん意地と弟の身体が天秤にかけられるのか?」
声音は冷徹だ。しかし、この問いには逆らえなかった。事実無理だ。
舌打ちが漏れる。
それを事実上の降伏と解したか、腕を掴んでいた手が離れた。
「わかったなら、大人しくしていろ。」
言葉と共に離れていくレムオンの手を掴む。
「なんだ?」
「礼くらい言わせな。」
意地を張っていた手前かなり決まりが悪いが、言わないでいるのは人間として失格だ。
「ここは宿より病人に優しい環境だ。正直助かる。」
悔しさに塗りつぶされそうな言葉を引っ張り出す。
「世話かける。・・・ありがとう。」
しかし、それは紛れも無い本音でもあった。
ややあって、レムオンが口を開く。
「・・・お前に素直に礼を言われても不気味なだけだな。」
「そりゃ悪かったね。」
鼻を鳴らしてそっぽを向いたところで、玄関のあたりが騒がしくなってきた。
どうやら、チャカが到着したようだった。



『肺炎になりかかっていますな。暫くは安静にして下さい。』
薬は置いておきますから、と、帰途に着く医者を丁重に見送り、チャカの傍に戻る。
診断は予想よりも少し重たかった。
「チャカ、起きてる?薬飲んだ?」
セバスチャンが気を利かせてくれたのか、今は部屋に二人だけだ。
「・・・うん。流石にな。」
だからだろうか、呼びかけにはあっさり返事が返って来た。
「何がなんだか・・・わかんないけど。姉ちゃんが俺呼んだの?」
「ううん、違う。私もさっぱりさ。でも、今はとりあえず休むんだ。考えるのは後でいいから。
 大丈夫、何もレムオンだって私らを取って食いやしないよ。」
ここは安全だ。
額に置いていた冷やした布を取り替えながら言うと、流石に疲れていたのだろう、チャカも素直に頷いた。
「・・・わかった。おやすみ。」
「ああ、おやすみ。」
目を閉じた紅い顔は依然苦しげに歪んでいる。
・・・無理させてごめん。
ふ、と息をついた。
本来ならばついて看病してやりたいところだが、チャカまで連れてこられた以上、一度仲間に説明した方がいいだろう。ロストールに暫く滞在する事も知らせなくてはなるまい。
立ち上がり、ドアの前に立つ。
もう一度チャカを見ると、やはり苦しそうに目を閉じていた。
・・・ごめん。すぐに戻るから。
ぱちん、と自分の両頬を張ってドアを開ける。少し冷えた廊下に立つと背筋が伸びた。
まだだ。まだ、やる事は一杯あるのだ。



居間に戻ってみると、まだ二人とも残ったままだった。
「部屋貸してくれてありがとう。おかげで医者にも診て貰えて助かった。」
深く、気持ちの分はもっと深いが、まずは礼を言う。
「顔を上げてください、当然の事です。チャカ様は大丈夫でしたか?」
セバスチャンに促されて顔を上げる。
「ちょっと厳しいみたい。肺炎なりかかってたってさ。」
一応の経過だけ報告すると、少しセバスチャンの表情が曇った。
「それはいけませんね。
 治るまで、しばらくこちらにいらしてはいかがでしょうか。」
「ありがとう。でも、さすがにそこまで迷惑は」
「大人しく言うとおりにしろ。」
仏頂面のレムオンにざくっとさえぎられて口を閉ざす。と、セバスチャンがそっと囁いた。
「ああ言っておられますが、心配していらっしゃるのですよ。」
「セバスチャン!」
すぐにレムオンの制止が飛んでくる。
「失礼いたしました。」
しれっと謝るセバスチャンと仏頂面のレムオンの取り合わせが、なんだか可笑しくて思わず笑いが漏れた。
「・・・じゃあ、お言葉に甘えて・・・暫く滞在させてください。
 本当にごめん。ありがとう。」
深く頭を下げて、用件を切り出す。
「けど、ひとまず宿に一度戻りたい。すぐ帰るつもりで出てきちゃったから、一応事情説明しときたいんだ。
 乾いてなくていいからさっきの服出してもらえないかな。」
セバスチャンに向かってそう言う。
しかし、セバスチャンは案の定あまりいい顔はしなかった。
「明日になさってはいかがですか。まさか今夜発たれるということはありますまい。」
「うん、それはないと思う。だけど、これは信用と誠意の問題だから。」
しかし、そんな説得も鼻で笑われた。
「信用があるなら、今夜一晩くらい泊まったところで信頼関係は崩れはすまい。」
「それは、その・・・」
言い返す言葉は出てこない。その様子を見ていたレムオンが、ふっと嘆息した。
「・・・シェナ、今日のお前は万事焦りすぎだ。少し頭を冷やしたらどうだ?」
上からの嫌味成分の多分に含まれた言葉が、なんだか当たる。
「どういう意味だい、それは。」
「そう言う意味に決まっている。ともかく、その状態で夜歩きなど持っての外だ。」
しかし、呆れたようなその態度に何か別の色が見えて、気持ちは発火する前に落ち着いていった。
覚えがある。この感覚は、多分・・・初めて出逢った時と同じ。
「大人しく弟についていてやれ。」
上からの命令口調は相変わらずだ。だけど言っている事は尤もと思えてしまうと、もう言い返せない。
「・・・うん。
 ・・・ごめん。申し訳ないけれど、お世話になります。」
素直に頭を下げると、また息をつかれた。
「いちいち謝るな。ここはお前の家だろう。」
「けど」
つかつかと近づいてきていたレムオンが、がし、と頭を掴む。
「仮にも俺の妹なら、俺を利用する程度の才覚くらい持っておけ。」
ぐい、と仰け反らせられた。黒の瞳が二対、相対する。
相変わらずの上から目線で、視線は常と同じく冷徹だ。それなのに、なぜか・・・暖かさを感じた。
「・・・こういう時は頼れ。」
端的な言葉は、張り詰めた気持ちを勝手に溶かす。
目がかすんだ。
頬を伝い落ちる水気に、慌ててレムオンの手を振り払い、距離を取る。
「・・・ありがと。」
嗚咽も漏らさず、涙も誤魔化すには、そこまで言うのが限界だった。
意地で息と一緒に嗚咽も止めて、ぐっと涙を拭う。心の中で三つ数えて、息をつく。
顔を上げた時には通常営業に戻れていただろうか、自信は無い。
「わがままばっかり言って悪かったね。チャカのとこに戻るよ。おやすみなさい。」
だから、返事も聞かず逃げるように居間を後にした。
涙一粒だって、人前で泣くなんて一生の不覚だ。
だから、なかった事になるように、目をこすった。
こちらはもう手遅れだとしても、せめてチャカに気取られないように。
それは、譲れない意地だった。


とはいえ、高熱で唸っているチャカに気取られる事は当然ながらなかった。
そしてこちらも、やる事だけはたっぷりある看病に専念していれば、あっという間に夜明けである。
割と頑丈なチャカがここまでこじらせたのは珍しいが、医者に診てもらえた上に薬もあり、暖かくて柔らかい寝床もありと、環境が整っている分だけいつもより気が楽だった。薬が効いているのか、思ったよりは眠れているらしいのも少し気が楽な理由である。
「少しは熱下がってればいいけど」
一人ごちながら、ぺたん、と眠っているチャカの額に手をあてる。しかし、まだ熱い。
「まだ無理か。」
まあ、薬があったとしてそう簡単に下がるものでもないとはわかっていた。出来る事はといえば、根気よく看病するくらいのものだ。
「さましゴケ、もうちょい持っとくべきだったかね。次はエルズ行きの仕事でも探すか。」
ふわぁ、と背伸びして外を見ると、そろそろ朝の空気は動き出しているようだった。ナッジたちも起きた頃だろうか。そろそろ活動開始してもいいような気がする。
着替え・・・がない事に気付いて、やれやれと立ち上がった。
「チャカ、起きてる?・・・わけないか。」
触れても気付かないあたりで起きていよう筈が無い。
「ちょっと行ってくるね。」
届かない声を掛けて扉を開けると、ちょうど扉の前に立っていたセバスチャンと鉢合わせた。
「うわ!?」
「おはようございます。御召しかえをお持ちいたしました。
 チャカ様のご容態はいかがですか?」
びっくりして見上げていると、セバスチャンは礼儀正しく一礼する。だからあわてて呼吸を整えた。
「おはよう、セバスチャン。昨日は本当にありがとう。
 チャカはまだ熱下がってないけど、昨日よりは幾分マシになったみたいだよ。」
助かった、と礼をすると、いえいえ、と微笑まれる。
「お礼をされるなら、レムオン様にされてください。医者を呼ぶように言われたのはレムオン様なのですから。」
「・・・そうだったんだ。」
「はい。」
意外だった。・・・しかし、そこまで意外でもないか、と思いもする。セバスチャンの一存でここまで強引な手に出るとはあまり思えない。
「・・・うん、そうだね。あとで会ったら言っておくよ。」
着替えありがとう、と服を受け取る。
「シェナ様、看病でしたら私どもが代わります。少し休まれてはいかがでしょうか。」
「ありがとう。でも、部屋貸して貰ってるだけで十分だってのに、そこまでやってもらうわけにはいかないよ。
 大体、そこそこ休んでるから大丈夫。」
平気だよ、ありがとう。ひらひら手を振って踵を返すが、セバスチャンは納得していないようだった。
「シェナ様。失礼ながら、目の下に隈ができておりますよ。徹夜されたのではありませんか?」
ぎょっとして足を止める。思わず目に手をやりそうになって、慌てて押さえた。薮蛇にも程がある。
「まさか。チャカごときにそんな、やるわけないじゃないか。」
ひょいっと振り返って笑って見せた。大丈夫何もない何もない、と自分に言い聞かせる。
徹夜したのは事実なのだが、気取らせたら面倒そうだ、と頭が警告していた。物腰は柔らかいが、セバスチャンはどう考えたってレムオンよりやり手なのだ。
「じゃ、ありがとう、また後で。」
扉に手を掛けてそう言うと、セバスチャンは、はい、と一歩下がって言った。
「シェナ様、くれぐれもちゃんと休まれてください。」
「大丈夫って。もう、心配性だね。」
「昨日夜を徹していらっしゃったのは存じております。
 失礼ながら、誤魔化し方がレムオン様そっくりです。」
その言葉にたっぷり3秒は頭が固まった。
「失礼いたします。」
固まっているうちに、セバスチャンはするりと一礼する。
「・・・ありがとう。じゃあ、またあとで。」
自動応答で会釈をして、扉を閉めた。若干力が入って扉が酷い音を立てたのは気にしてはいけないポイントだ。
「・・・何だ・・・ここは・・・?」
その音でチャカが目を覚ましたらしい。もごっとした声さらにぎょっとした。
「チャカ?目ぇ覚めた?」
「・・・あ、姉ちゃん。・・・なんか、すっごい音したけど」
「大丈夫、何もない。身体はどう?まだ辛い?」
疑問は挟ませず、身体を起こそうとするチャカを枕に押し付ける。
「・・・まだちょっときつい、けど、大丈夫だよ。」
「そう、よかった。でも、まだ無理はするんじゃないよ。」
大人しく寝てろ、というと、流石にまだきついのかチャカは素直に頷いた。
枕に頭を落としたのを見てから、それとなく死角に回る。
「昨日、どうやってここに来たんだい?」
ばさばさっと着替えながら聞くと、細かい事は覚えてないけど、と返事が返って来た。
「馬車だよ。宿に、お屋敷から姉ちゃんが呼んでるからって迎えが来て、そこから先あっという間。
 けど、姉ちゃん何もやってないんだよな?」
「ああ。」
確認の言葉に頷くと、なぜだかチャカは少し安心したようだった。
「ここまでする気はなかったんだけど。ナッジたちは何か言ってた?」
「ううん。宿の人が姉ちゃんがお屋敷行ったって言ってたから、ナッジがそれで了解しちゃったんだ。
 セラの方はわかんないや。もしかしたら置いて行ってるかもな。」
「あーそうか。・・・セラには言ってなかったもんね。」
しっかり乾いた上着兼用のクロースを着ればいつもどおりだ。
「チャカ、一応セバスチャンには言っとくから、大人しく寝てるんだよ。水はそこのサイドテーブルにあるから。」
「姉ちゃん、どっかいくの?もしかして俺置いて冒険とか」
不安そうな顔にひらひらと手を振る。
「しないしない。ナッジとセラに一応事情話しに行ってくるってだけさ。
 昨日すぐ戻るつもりで何も言わないで出てきちゃったからね。」
そしてチャカまでこっちに連れてこられていては何がなんだかわからないだろう。そう言うと、チャカも苦笑いで頷いた。
「そりゃそうだよな。・・・わかった。」
「ん、なるべくすぐ戻るからね。」
ぺたん、と熱い額に手を当てて、財布をひっぱりだす。そして、シェナは再び扉に手を掛けた。


「で、今頃戻ってきたわけか。」
宿の一室。
大体の事情を話終えると、部屋には深い深いため息が滲んだ。
「・・・ごめん、こんなつもりじゃなかったんだけど。」
「とにかく、二人が無事ならいいんだけどね。」
いきなり居なくなった件について、言いたい事の山ほどありそうなセラと、心配したんだよ、というナッジにごめんなさいと素直に謝る。
宿には幸い二人ともまだ残っていたのだが、どう話したものか、というのは中々の問題だった。
「でも、シェナがお屋敷頼るなんて珍しいよね。」
「・・・心当たりがとっさにそれしか思い当たらなくてさ。」
ナッジに応えると、セラがふんと鼻を鳴らす。
「よく貴族などに頼ろうと思いついたものだ。なりふり構わぬにも程がある。」
「・・・耳が痛くて千切れそうだよ。」
おまけに痛いところを的確に突いてくる。・・・まあ仕方ない。身から出た錆だ。
「セラ、私らの事どこまで聞いた?」
「貴族に伝があるとだけ聞いた。お前達、一体何者だ?」
どうやらセラはナッジからある程度聞いたらしい。・・・が、そのせいだろうか、余計に不審が滲み出ていた。
ええと、と説明文を思い出す。
「・・・誰にも言わないで欲しいんだけどさ。チャカは、農家出の冒険者で私の弟だ。それは変わんないよ。
 私も農家育ちなんだけど、つい最近エリエナイ公の腹違いの妹って事がわかって今はノーブル伯ってことになってる。リューガのお屋敷にはたまに顔出さないと怒られるからちょくちょくロストールに通ってるんだ。」
盾はお屋敷に置きっぱなしだけど。そう説明はしたものの、さらに不審を募らせたようだった。ナッジにもここまで話した事はなかったのだが、同じく驚きと疑問が顔に滲み出ている。
「信用も納得もできないかもしれない、けど。」
無理がある、というのは自分でもよくよく判るのだが、これ以上に答えようがない。いっそ全部話して楽になりたいとも思うが、貴族を騙った咎で処刑、チャカも無事ではすまない・・・というフレーズはかなりの抑止力を持っていた。
「ただ、これだけは信じて欲しい。私たちは冒険者として生きてる。お屋敷も基本的に無関係だ。
 決して仲間に害を与えようなんて思ってないし、家の事で迷惑をかけるつもりもない。」
ごめん、お願い、と頭を下げる。
「シェナ。顔上げて。」
ナッジの声に顔を上げると、ナッジは少し苦く微笑んだ。
「大丈夫、僕は怒ってないし、君を信じてる。
 誰にだって言えない事の一つや二つあるよ。ね?」
申し訳なさとありがたさで、少しつんと来た。
「・・・ごめんね、ありがとう。」
ややあってセラも息をつく。
「お前が嘘をついている事はわかった。」
直球の言葉はやはり胸に突き刺さる。
「だが、害にならないという事だけは信用してやっていい。どの道、俺の目的には関係のない事だ。」
しかし、声は比較的・・・少しは柔らかく続いた。とりあえず、この場は納めてくれるらしい。
「・・・解った。それでも御の字だ。」
「わかったなら、さっさと弟の所に戻れ。」
ぺいっと追い払うように手が動く。思わず目を瞬いた。
「え。」
「ただし三日だ。それ以上は待たん。
 ここは大都市だ。それ位なら情報収集でも構わんだろう。」
もう一度瞬きをして、ナッジの方を見てみると、ナッジも驚いたようだった・・・が、まあ、と頷いた。
「そうだね、僕も情報は欲しいところだから。何ヶ月もは無理だけど、チャカが回復する程度だったら待てるよ。」
だから行っておいで。
温かい言葉が心にしみた。
「ありがとう。
 パーティのお金は置いていくよ。あんまり額ないけど、常識の範囲内で自由に使ってもらって構わない。」
はいよ、と渡すと、ナッジはわかったよ、とそれを引き取った。
「なるべく節約する方向でいくよ。」
「うん、頼んだ。」
これでこちらの用件も終了、だ。ふっと肩の力が抜けると、ふわっと暖かくなった。
「・・・全く、いい仲間に恵まれて私は幸せだよ。」
本当に、ありがとう。そう言うと、セラが鼻を鳴らした。
「言い過ぎだ。
 それにお前の気持ちもわからんではない。俺にも姉が居たからな。」
「え、そうなんだ!?・・・どんな人だったの?」
初耳の事実に思わず目を見開く。
「・・・そのうち、気が向いたら話してやる。」
だから今はさっさと戻れ。
にべもない、が、その態度がなんだか可笑しかった。
「・・・わかった。はは、そりゃセラのお姉さんにも感謝しないとだね。」

ありがとう、じゃあいくね。
うん、いってらっしゃい。
そんなやり取りは、笑いと共に交わされる。
そのせいもあってか、お屋敷への道は、行きより少し気が軽かった。
なんだかんだ皆協力も理解もしてくれるし、世話もしてくれる。
今までは、一人で何とかしないと、と思っていた。チャカを守れるのは自分だけだと。
だけれど、これはどういうことだろう。
もしかしたら、と考える。
・・・世界は思ったよりも自分に優しいのかもしれない、と。


畑のお姉ちゃんは、基本的に貴族が嫌いで、開拓農民には農民の誇りがあるし、貴族に頼ったら負けだと思って居そう。そして、なんとなく基本的に一人で頑張らなきゃ、て思ってしまうタイプな気がするのですが、案外周りから気に掛けてもらってる事に気付いたらいいなとかそんな感じ。
書いてみたら、優しさの表し方とかそんなのも結構違いがあるのなあ、と思いました。
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