「ただいまー・・・」
答えを返すものは誰も居ない。本日の一番乗りはどうやら自分のようだった。
とはいえ、もうすぐしたら皆帰って来るだろう。今日は夕食を一緒に食べに行く予定だ。ここの酒場はどちらも料理が美味く、立地のせいか故郷の味に近い。懐かしい味が食べられるという話をしていたら、それなら皆で一緒に行こうということになったのだ。
お茶を調達して、すすりながら他のメンバーを待つ。
と、ほどなくしてドタドタと廊下を走る音がした。その走り方になんとなく見当をつける。
「帰ったぜ!って誰もい・・・っと、お前が先に戻ってたのか。俺が一番乗りかと思ってたぜ。」
想像通り、部屋に飛び込んできたのはヴァンだった。
「おう、お帰り。まだ誰も帰ってきてないぜ。」
そう言って迎えると、ヴァンは、ばんっとベッドに荷物を放り投げた。
「ま、すぐに帰ってくるだろ。ナッジは今俺が追い抜いてきたからな。・・・ナッジって。」
「はっははは!それならすぐだな。」
いつもながらのギャグは楽しい。どこからこのセンスが出ているのかと、たまに思ってしまうくらいには。
「となると、問題は姉ちゃんか。戻ってくるとは言ってたけど、大丈夫かなあ。」
「シェナはお屋敷だろ?・・・まあ、今までもなんとかなってるんだし、大丈夫じゃねえか?」
あっけらかんとヴァンは言ってくれるが、不安材料はやはりある。
「姉ちゃんから財布預かってんだよ。万一戻れなかったら置いてっていいからって。」
切実そうなあの表情は、なんとも不安を誘うものだった。おまけに、姉には前科がある。帰りが遅くなるを通り越して、宿に戻らないと知らせが入った事も一度二度ではないのだ。
そして、そういう時は大体帰ってきたときの機嫌がすこぶる悪い。不安材料はむしろそちらだったりもする。
しかし、ヴァンは冷静だった。
「・・・万一ってとこに自信が見えるな。」
「・・・それは・・・。・・・そうだな。」
少し落ち着く。
「・・・そうだよな。少し待ってれば戻ってくるかな、今回は。」
・・・うん、大丈夫だろう、多分。まあ、戻ってこなかったところで・・・大丈夫、翌朝には戻ってくる。それならば、言われたとおり三人で羽目をはずせばいいことだ。
思考をさえぎる、軽いノックの音。
どうぞ、と異口同音に応えると、ただいま、とナッジが入ってきた。
「おう、遅かったな。」
「遅かったな、じゃないよ。もう、ヴァンってば声掛けるだけ掛けておいてっちゃうんだからなあ。」
やれやれ、と息をついて、ナッジもベッドに腰掛ける。
「シェナは、まだ戻ってきてないの?」
「姉ちゃんはまだだ。時間まで待ってから、こなかったら先に行ってろってさ。」
肩をすくめて財布を見せると、ナッジも苦笑いで応えた。
「やれやれ、大変だね。」
それを言われると、とても辛かった。姉が不本意な貴族の立場を強いられているのは、反乱の事をほぼ全て一人で被ってしまったからだ。不機嫌になりながら屋敷へ向かう姉を見ていると、申し訳ないという気持ちはどうしてもぬぐえない。
「チャカ、君が気にする事ないんじゃないかな。」
覗き込まれて顔を上げると、ナッジが小さく笑っていた。
「大体、シェナもお屋敷に行くの、そんなに嫌がってないみたいだし。」
そう、こちらを落ち着かせるように言う。しかし、その考えにはどうも賛同できなかった。
「・・・あれ、嫌がってるようにしか見えないけどな。」
無駄に律儀な姉は、いつからだったかロストールに着くと、毎度お屋敷に向かうようになっている。しかし、その表情は常に仏頂面だった。
「どうかな?本当に嫌だったら、シェナはきっとロストール自体寄り付かないと思うよ。」
「・・・そうかなあ。」
ギルドでカレンダーを見ながら、もうそろそろロストール行くか、とため息をつく。そんな姿を何度も見てきた。
お屋敷で何をしているのか、姉はそんな事は一切言わない。だから、こちらにも詳しい事はさっぱりわからなかった。ただ、貴族のイメージがほとほと悪いだけに、浮かぶ想像はどれもあまり楽しくない。
「でも、いつも気乗りしてないし、・・・どんな目にあってるのかわからないってのもな。」
「チャカ、お前心配性すぎだぞ。あいつは、自分が嫌な事は絶対にやらない。相手が貴族でもそれは一緒だろ。」
べしっと頭をはたかれた。
「・・・うん、まあ・・・な。そだよな。」
気分を変えようと、ポットに手を伸ばす。と、空のカップがまとめて二つ差し出された。
「俺たちも頼むぜ!」
「ごめんね。」
当然!という顔でカップを二人分差し出すヴァン。ナッジは、苦笑いでそれを見ている。この二人はいつだってそんな感じだった。親友といっていたが、受ける印象は正反対。・・・しかしどちらも、今では自分の友人だ。
「へいへい。」
カップに注ぎ分けて、一口のどに流し込むと、はあああ、と吐息が漏れた。自分だけではない。同時に三つ。妙な可笑しさに、部屋に笑いが広がる。
「これが本当の息ぴったりって奴か?」
「おう、お前でもなかなかいいこと言えるんじゃねえか。だが、まだまだだな。」
「チャカ、ダジャレに関してはヴァンを見習うべきじゃないと思う。」
「どういう意味だよそれは!」
笑い混じりに他愛もない話をしていると、また少し時が経った。
各々のカップが空になったあたりで時刻を見ると、もういい時間だ。西日はすっかり勢いを弱め、窓の外は夜の帳が下りている。
「もうそろそろ時間だな。場所はあいつ知ってるのか?」
ヴァンがカップを置いて言った。
「ああ、それは大丈夫だ。」
答えて、少し止まる。自分は姉に関して心配性過ぎるだろうか・・・そんな疑問を振り払うように、明るく声を出した。
「もう行くか。待ってて席無くなるのも馬鹿馬鹿しいしな。」
「大丈夫、すぐに追いついてくるよ。」
財布を持ち、ナッジと一緒に立ち上がる。
「んじゃ、出発進行、ナスのおしんこ!・・・なんつってな、ププッ」
「いくらなんでも無理がありすぎるよ、ヴァン。」
扉を開けて、鍵を閉めようとすると、どたどたとまた宿に飛び込んでくる音がした。
「ふわあああ、よかった、間に合ったあ!!」
「姉ちゃん!」
振り向けば、今まで待っていた人物が息を切らせて走ってきていた。
「ただいま!遅くなってごめんよ。
今から行くんだよね?ごめん、荷物だけ入れさせて。」
ぜえはあと、随分慌ててきたらしい。
閉めかけた鍵を抜くと、姉は扉を開け、狙い違わず空いたベッドに荷物を着地させた。
「財布はあるね?」
「おう。」
財布を渡すと、姉は中身を確認してから一息ついた。
「じゃあ、行こうか。」
「おう、さっさと行かないと席がなくなっちまうぜ!」
ナッジとヴァンに促され、一緒になって歩き出す。
「今日はぱーっと行こうぜ!」
「こらこらあんたたち、節度は守るんだよ。・・・ま、ナッジも一緒だし大丈夫か。」
そう言って、姉は楽しそうに笑った。その笑顔は、まだノーブルが平和だったときと全く変わってはいない。
背後で鍵を掛ける音。すぐに、にぎやかに追いついてくる足音。
「さ、出発しゅっぱーつ!」
ばん、と後ろから飛び掛られる。
「うは!」
「わっ!?」
片方の腕は自分の肩に、もう片方はヴァンの肩に。自分の肩に掛かった手は、そのまま頭をかき混ぜる。
「もう、やめてくれよ姉ちゃん!」
「却下!」
退けようとしても、執拗に手は動く。
「重いんだってっ!また横に増えたんだろー!?」
一瞬の後、頭に衝撃があり、なぜか視界に床が見えた。衝撃が去ってから身を起すと、友人たちと共に姉は先に行ってしまっている。
「・・・待ってくれよ、もう!」
三人が振り返った。追いついて、またじゃれ合いながら宿を出る。
街は、いつもと変わらない。目の前の光景も、いつもと変わらない。皆で笑っている、これも変わらない。
お屋敷で何があったとしても、ここでは姉は心から笑ってくれるのだ。
ふと見上げると、いつもと変わらない空が見えた。
それならば、それでいい。そう言っているようだった。
さらに、ヴァンがとてもいい奴であってほしい。三人そろえば、なんとなくナッジが保護者っぷりを発揮してほしい。ていうか、三人そろえば姉ちゃん居なくてもやっていけてほしい。
チャカとヴァンが仲良しって言うのを知ってから、畑組とテラネ組が切り離せないです。
ぶちぶち言いながらお屋敷に行く姉ちゃんを、チャカはどういう風に見てたのかな、とちょっと思ったので。
嬉々としてお屋敷に行ってたらチャカ置いてけぼりに見えてそれはそれで切ないけど、ぶちぶち言いながら行っても、罪悪感煽るだけのような気がしてならん。難しいなあ。