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旅に必要ないくつかの事

地が震えた。
人間の四、五倍はありそうな巨体が倒れたのだ。以前は竜王の島くらいにしか居なかったはずが、ここ最近は街道にまで出没する・・・マンティコア。
倒したのは、自分ではない。自分に背を向け、魔獣の間近に立っている女だった。
闘気に満ちているその姿は、一切の隙がなく、余人が近づくことを許さない。
その厳しい眼光は、倒れた魔獣へ向けられていた。しかし、魔獣がそれに気付くことは永劫ない。
息が絶えたのを確認し、女は、ふぅ、と一つ息をつく。

「終わりだ。大丈夫だったかい。」

ひょい、と振り向くその姿には、先ほどの近寄り難さは欠片も残っては居なかった。

「大丈夫も何も、姉ちゃん一人で倒しちゃったんじゃないか。」
槍と荷物を持ち、彼女の弟、チャカはそう言ってため息をつく。
「俺の出番も取っといてくれよな。アレじゃ手出せねえよ。」
同じように肩をすくめるのは、パーティメンバーのヴァンだ。
「シェナだけに容赦なし、ってか?」
「お、ヴァンいい事いうじゃん!」
「だろう?やっぱ俺様のダジャレはこの世で一番だな!」
あっはっはっは、と笑い合っているチャカとヴァンの感性にはついていける気がしなかった。
とりあえず目をそらし、シェナの方に向き直る。
「・・・お前の方は、大丈夫か?」
先ほど、何もできなかったのは自分も同じだった。
「うん、大丈夫だよ。」
元気よく頷く姿を見るのは、ほっとすると同時に複雑だ。
つい、今しがた。剣を抜き駆け出そうとした先、目に入ったのは、たった一人でマンティコアを圧倒しているシェナの姿だった。鮮やかと言っていいほどの動きと、その破壊力、何よりその迫力に気圧され・・・間抜けにも呆然とその背を見ていた自分が動く前に、勝負はついてしまっていたのだ。
「・・・そうか。」
感情を支配するのは、三割がたの呆れ。残りは自分に対する情けなさと敗北感その他。息をつきたくなるのをなんとかこらえる。
「レムオン?どうかしたかい?」
おーい、とこちらを覗き込むシェナに、なんでもない、と首を振る。
「・・・お前も強くなったな・・・。」
旅に出る直前、あのがむしゃらに剣を振り回していた姿はどこへやら。今では立派に拳闘士だ。
「そうかい?まあ、冒険者稼業も結構長いからねえ。」
そう言って笑う。ヴァンが横で頷いた。
「でも、シェナは強いぜ。俺が知ってる奴の中じゃ誰よりも」
「ぶっとい上腕筋の持ち主で」
チャカがそう言った刹那、疾風が駆けた。同時に鈍い衝撃音。チャカの姿が視界から消える。
「そうそう、たくましいよなあ・・・って何言わせんだチャカ!俺を巻き込むな!」
倒れたチャカに向かって文句を言うヴァンの後ろには、鬼が立っている。
「・・・誰の腕がなんだって?」
「シェナ、待ってくれ!さっきのはちょっとしたノリだったんだよ!信じろよ!」
「信じても許す気はないよ。」
闘気が膨れ上がる。犠牲者は増えるに違いない。
冷静にそこまで判断し、レムオンはシェナの襟をぐいと引いた。
「!」
「やめておけ。どうでもいいだろう、お前の二の腕が太かろうが」
全て言い終わる前に裏拳が飛んできた。咄嗟に受けた左手に痺れが走る。収まらぬ殺気を感じて後ろに飛ぶと、右ストレート、左アッパー、右ストレートと連続攻撃が来た。咄嗟の攻撃パターンは以前と余り変わっていないらしい。スピードも重さも乗っていたもののなんとか全部かわせた。・・・若干危くはあったのだが。もう一つ飛んで距離をとる。
「落ち着け!そこまで怒る事か!」
・・・逆鱗だったよな、アレ。そんな呟きが耳に入った。
気にしていた、らしい。・・・現物を見た記憶はないのだが、・・・相当なのかもしれない、と思う。
攻撃の手を休めたシェナの腕に、つい目が行った。ゆったりした袖に隠れて腕は見えないのだが。
「どこ見てるんだい馬鹿!!」
一瞬で距離を詰められた。次は・・・以前と同じパターンなら中段突き。
身を屈め、持てる力を全て防御に回す。予想通り飛んできた正拳は、構えた腕に突っ込んできた。手、腕、肩、そして全身に衝撃が走る。
拳が止まった。シェナは、そのままの格好でなぜか呆と固まっている。
「落ち着け。当たるな。怪我人を無駄に増やしてどうする。」
はた、と正気に返ったように、シェナがこちらを見上げた。
「・・・わかった。これくらいにしとく。」
小さく首を振って、ふい、と残り二人の方を向く。つられて視線をそちらに移すと、ぽかん、とした目と目が合った。あれだけの攻撃を受けておきながら、チャカはもういつもの様子だ。
「あんた達も、これ以上余計なことは言うんじゃないよ。わかったね。」
「・・・・・・おう。」
「・・・あ、うん。」
戻ってきた声は、呆然、という形容がよく似合う声だった。
「さ、行こうか。」
放り出していた荷物を肩に掛け、シェナはさっさと歩き出す。
荷物を取り、歩き出そうとすると、ヴァンとチャカが駆け寄ってきた。
「さっきはありがとよ。命拾いしたぜ。
 しかし・・・シェナの拳って、止められるもんだったんだな。」
「俺も久々に見た。姉ちゃんの拳止める奴。レムオンってすげぇんだな。」
向けられる妙な尊敬と驚きのまなざしは、痒くて慣れなくて、・・・扱いに困る。
「あいつの攻撃は読みやすいからな。」
それだけ言って、歩き出した。
「レムオン。腕は大丈夫かい?」
先に行っていたシェナがそう言って振り返る。
「・・・聞くくらいなら殴るな。」
「まさか受け止めるなんて思ってなかったからさ。加減もちょっと・・・その」
「大事無い。腕は折れていないから剣は使える。」
言い辛そうな文句をさえぎった。
少し歩いて追いつき、歩く速さをあわせる。
「大体、俺が受け止めなかったらお前は止まらなかっただろう。」
「・・・一発当たれば止まるつもりだったけど。」
「やめろ。お前の拳をまともに食らって立ち上がれるのはチャカくらいだ。」
あの時は風が疾ったと感じた。それ程の攻撃を食らって、何故ああも平然としていられるのか。まさにこの姉にしてあの弟有りである。
「そりゃあ、一応手加減はしてるからね。」
「・・・お前の手加減は手加減の内に入らん。一般人なら吹き飛ぶぞ。」
「一応人は見てるよ。」
シェナは少々不服そうだった。
「・・・でも、覚えとく。」
「そうしろ。」
ため息。そしてわずかな沈黙。
「さーて、夜は何にしようかねえ。」
全てを取り消すようにシェナが明るく切り出した一言で、話題はそれから夕食へと移って行ったのだった。

水場があると、食事は比較的豪華になる、らしい。
魚を獲ってくる、とチャカとヴァンは二人して川に走っていったし、携帯用の鍋には水が張られ、簡素なスープが準備されていた。
働かざる者食うべからずと、言いつけられた仕事は火と鍋の番をすること。言いつけた本人はといえば、今夜分の枝拾いで森の方に入っている。
まだ煮立つには程遠いスープ。
かき混ぜていると、自分は何故こんなことをしているのか、と思ってしまう。
先に繋がるかもしれない、などと言う希望は最初からありはしないのに、なぜここに居るのだろう、と。
今の自分の足場は酷く不安定だった。どこに居ても、何をしていても・・・いや、そんなものなど最初から無かったのだろうが。
ここに居て何か役に立っているかと考えても、否定するしかない。今日出てきた魔物は全て、シェナがあっという間に倒してしまい、自分は見ているだけだった。妹扱いしていた娘の背を見るだけだった情けなさは、さらに自分を落ち込ませる。どう考えても自分より小さいはずの背中が、やたら大きく感じられていた。
知っている。あれは、家を守る人間の背だ。常に背後に誰かを庇う事に慣れた人間のものだ。遠い昔に見たそれも、・・・それは決して戦ったりはしないものの、同じ強さを持っていた。
昔見たあの背と重なるということはつまり、・・・今日もずっと庇われていた、という事だ。何も出来ることの見つからないまま・・・気分は底なしに沈んでいく。
ぱちん、と音がして我に返った。火が爆ぜたのだろう。近くに置いていた枝を火にくべた。ぼんやりかき混ぜていた鍋は、何時の間にやら沸騰を始めている。
残り少ない枝を見て、森の方へ目をやる。シェナはまだ帰ってこない。・・・代わりに別の方向からにぎやかな声は聞こえてきた。
「このでっかいの、どう食べればいいんだろうな。」
「姉ちゃんが捌いてくれるだろ。焼いても煮ても旨そうだし、きっと喜ぶぜ。」
「くぅー!いいねえ!夕飯が楽しみだぜ!」
魚捕りの結果は上々だったらしい。ザカザカと音をさせて、チャカとヴァンが戻ってくる。
「ただいまー。おお、旨そうな匂い。」
「戻ったぜ!今日は豪華だな!」
「ああ、・・・戻ったのか。」
鍋を確認して、チャカ達に視線を移す。大きめの荷を抱えた二人は辺りに目をさまよわせていた。
「あれ?姉ちゃんは?」
「枯れ枝を拾うと森に入った。まだ戻ってきていない。」
かき混ぜていたスープに杓子をかけて、立ち上がる。
「もう焚き木も残り少ない。迎えに行ってくる。」
「あ、・・・わかった。」
「おう、早く戻って来いよ。」
見送りを背中で聞き流し、レムオンは森の中へ入っていったのだった。


どの辺りに行ったのだか。そう遠くへは行っていないはずなのだが、シェナの姿は見当たらない。
「シェナ!戻って来い!」
薄暗い森に自分の声が響いて、消えた。
「・・・・・!」
応じるように、なにか小さく声が聞こえる。
声のするほう・・・と思しき方に歩を進めると、何かの気配を感じた。
「シェナ!出て来い!」
もう一度呼びかける。
「グゥルゥウルルウゥウ・・・・!」
「来ちゃ駄目だ!!」
返事は、魔物のうなり声と同時だった。
声の来た方向へ駆ける。見えなかった大樹の陰にグリフォン二頭とシェナの姿があった。
「何やってる!!」
助走を付けて踏み切り、グリフォンの首目掛けて飛び上がる。首元を蹴りつけ、こちらに気付いたそれがこちらを向こうとすると同時、ありったけの力でその首を刈った。右手は下から、左手は上から、交差させた腕を開くように斬る。首が飛んだ。巨体から血と体液が噴出しこちらの身体までも朱に染める。構わず次の獲物を求める。着地。突撃してくるもう一頭に真っ直ぐ剣を向け、駆ける。胸元に片方の剣を突き、もう片方で斬りつけてその剣を抜く。血を撒き散らし暴れるそれは、地に堕ちた。低い位置にある首に剣を刺し貫く。
首はなおもこちらを向き暴れようとする。片手に残った剣を両手に持ち、真正面から斬り、断った。
息を整えながら、なお、それが動かないか観察する。
・・・それは動かない。そこまで確認し、首に突き立った剣を引き抜く。
一対の剣を勢いよく振ると、付着していた血と体液はある程度取れた。
「・・・大丈夫か。」
顔を流れる血を拭い、背後に居たシェナに声をかける。
「・・・あ、・・・うん。」
ぼうっとした答えが返ってきた。ただ、すぐに我に返りはしたらしい。
「・・・その、ありがとう。助かった。そっちは大丈夫かい?」
「ああ。
 ・・・全く、グリフォン二頭相手に『来るな』とは、大した自信だな。」
棘まみれの言葉が、口をついて出てきた。
身を硬くしたシェナは、少ししてからこちらを見上げる。
「・・・怒ってるのかい?」
「さあな。」
見上げてくる視線から目を逸らした。
怒りの感情は確かにある。だが、僻みや嫉妬に苛立ち、自信の無さ・・・他の余り認めたくない感情も混ざっていたのもまた事実だ。
・・・読み取られる訳には行かなかった。
「戻るぞ。焚き木が尽きかけていた。」
さっさと踵を返す。後ろで、あわてたように枝を拾い集める音がした。
「待って、来たなら手伝ってよ。」
ガサガサバラバラと音をさせながら、そんな声が掛かる。振り返ると同時に、枝を一束渡された。シェナは取り落した分と取り残した分をまとめたもう一束を抱える。
「ありがと。さ、行こうか。」
頷いて歩き出す。前はもう少し平和だったとか、魔物が強くなったことなど、思い出したかのように喋りだすのを聞き流すうち、森が開けてきた。
「ただいまー。」
シェナが野営地に声をかけた。
「おう、おかえ・・・」
こちらを振り向いたチャカが凍りつき、ヴァンが目を丸くする。
「・・・レムオン、大丈夫か!?」
その反応で、自分の今の姿を思い出す。
「ああ。返り血だ。」
自分ではよくわからないものの、頭から魔物の血を被っていたのだ。相当ひどい見てくれになっているに違いない。
とりあえず、持っていた焚き木を火の近くに置く。
「ありがとう。
 でも・・・服と身体と、一度洗った方が良さそうだね。」
同じように焚き木を置いたシェナが、少し顔をしかめた。
「気持ち悪いんじゃないかい?」
「それはな。・・・お前達はいつもそうしているのか?」
毎日のように血を浴びているだろうに、と、問えば、きっぱりした答えが返ってきた。
「うん。水場があるときは最大限活用させてもらってる。」
そういって、川の方向をびしりと指差した。
「身体流しておいで。夕食できたら呼びにいくから。今のアンタの格好、季節外れの怪談と変わらないよ。」
鏡でも見るかと問われ、遠慮する、と首を振る。
大人しく川へ向かおうとすると、後ろから声が掛かった。振り向くと同時、大振りのタオルが飛んでくる。
比較的汚れていない右手で受け止めると、投げたシェナは満足げに頷いた。
「いってらっしゃい。ごゆっくり。」
軽く手を振って踵を返す。向こうは、魚が大きい、ご馳走だ、何をやっていた、だのと騒がしい。
だが、それも少し歩くと大分静かになり、川につく頃にはかすかに聞こえる程度になっていた。
とりあえず脱いだ上着は、血の所為か妙に重く感じた。手に取ってみれば、金糸で飾られた肩口は真っ赤に染まっている。なるほど、季節外れの怪談とはよく言ったものだ。下に着ていたシャツも、見てみればムラだらけの赤に染まっていた。どうしたものかと考え、とりあえずまとめて川に浸してみることにする。
下を向くと髪が肩から落ちた。同じようにまだらにムラだらけに赤く染まっていて、自分の髪ながらなんとも気味が悪い。
ため息を一つ。水温を確かめ、靴を脱いで川に入る。鳥肌が立つと言うほどでもないが、流れる川はそれなりに温度が低かった。そこそこの深さのある川の中ほどまで進み、一思いに中に潜る。衣服を抱え、髪をゆすぐ様にして頭を揺らす。もう一度息をつきに水面に上がったときには、大分マシになっていた。血のこびりついたところを擦れば、とりあえず身体のほうはさっぱりする。手櫛で適当に血を取り、もう一度潜って洗い流す、繰り返し。
「おーいっ!飯できるってー!」
聞き覚えのある声に岸の方を見ると、ヴァンがこちらに向かって手を振っていた。
「着替え持ってきた。岸に置いてるからな!」
「わかった。すまない。」
応じて、岸へ戻る。
「シェナから聞いたぞ。グリフォン二頭瞬殺したんだってな。」
水から上がると、少々興奮気味に迎えられた。
「ああ、・・・別に瞬殺と言うわけでもないが・・・」
「瞬殺だって。シェナに手出しさせなかったんだろ?」
否定はあっさりさえぎられる。
「シェナは手ぇ早いからさ、手間取ってるとあっという間に横から殴り倒しちまうんだ。」
「あいつらしいな。
 あの強さがあれば、一人で十分やっていけそうなものだが。」
弟まではまだ解るが、なぜこうやって他の人間を連れ歩くのだろうか。今日一日で、その疑問が何度浮かんだか解らない。身体を拭いていると、どうにもため息が漏れる。
「一人は寂しすぎるだろ。やっぱヒーローには俺みたいな仲間が居なくちゃな!」
単純にそう言い切れるヴァンが、なんだかうらやましく感じた。
「ああ、シェナは女だからヒーローじゃなくて、ヒロインか。まあ、ヒロインだけに心もヒロインだからこれくらい大丈夫だよな。俺冴えまくり!」
自分で自分の寒い駄洒落に笑っている。・・・羨ましいというよりも何か、ここまで来ると全てがどうでもよくなってくるレベルだ。
持ってきてもらった服に着替え、濡らした服を適当に絞る。
「お、もう行けるんだな。」
「ああ。」
「じゃ、行こうぜ。飯が俺らを待ってる!」
シェナの飯は旨いとか、今日の魚は期待できそうだとか言いながら、ヴァンはさっさと踵を返す。
ついて歩きながら、何故自分はここに居るんだろう、とまた思う。・・・しかし、その問いに答えられそうな者は、ここにはいない。
晴れない気分のままで野営地まで戻ると、美味しそうな匂いに出迎えられた。
「おかえりー。ごはんできてるよ。」
慣れた手つきでスープをかき回しながらシェナが言う。しかし、機嫌の良さそうな笑顔はこちらを・・・正確にはレムオンの持っている服を見たとたん、消えた。
「レムオン。ちゃんと服洗った?」
何を言われているか考えるのに軽く一秒を要した。
「・・・一応はな。」
本当に、一応、である。何せ簡単に濯いで絞っただけだ。それ以外の方法は思い当たらなかった事でもあるのだが。
「・・・水に漬けただけ、に見えるんだけど。」
「他にあるのか?」
問うと、沈黙が返ってきた。
「・・・後でで良いから洗い直しな。せっかくいいものなんだからさ。」
深々とため息。チャカがシェナの肩をたたく。
「いや姉ちゃん、レムオンにそれはちょっと酷じゃねえ?」
「人として自分の服くらい洗えて当たり前だろ。」
「でも、お屋敷で自分の服とか洗わないと思うんだけどな。貴族だぞ?使用人沢山居るんだろうし。」
チャカがそう言うと、シェナはしばらくぽかんとチャカを見上げ・・・ややあって、ぽん、と一つ手を打った。
「・・・・・・・・・・・・・・。それもそうか。」
「気付いてなかったのか!?」
驚いたようにすっとんきょうな声をあげるチャカに、シェナは不機嫌そうに頬を膨らませた。
「うるさいね。ほら、ザギヴも普通にやってただろ?
 ・・・ああ、でもそう言えば、貧乏暮らし長かったって言ってたっけ・・・。」
そして、ため息を一つ、こちらに向き直る。
「・・・レムオン。ごめん、さっきの取り消し。夜ご飯終わったら一緒に川行こう。」
さっき出てきた名前は、現在行方不明中のディンガルの玄武将軍の名ではなかったか。何故面識があって、何故そんな事まで知っているのか。・・・そんな疑問をとりあえず押さえつけて頷く。
「じゃ、さっさと食べちゃおうか。こっちおいでよ。いつもよりは色々あるからさ。」
火の脇の方には、串に刺してあぶった魚の切り身も見えた。簡素ながら、旅疲れの身には魅惑的な香りを放っている。
火の傍に寄ると、すぐに小さな器に注ぎわけたスープが回ってきた。
「んじゃ、天の恵みに感謝して、いただきまっす。」
簡単に祈るだけ祈って、夕食は始まった。


夕食後。
「・・・すまない。」
すっかり暗くなった中、二人は川辺に来ていた。
「いや、気にしなさんなって。
 ・・・この辺でいいかな。あんまり痛まきゃいいんだけど。」
丸い石の多い所まで来て、シェナはそう言う。
「とりあえずシャツ貸して。」
言われるままに渡す。月明かりでも解る血痕に、シェナは深々とため息をついた。
「まあね・・・やったこと無いのにやれって方が無理なんだよね。
 基本的には石鹸こすり付けて、汚れたとこ擦り合わせて落とすんだけど。これ、布も頑丈みたいだし、全体に石鹸つけてひたすら揉んだ方がいいのかな。」
ばしゃ、と水につけて手際よく石鹸をこすり付けていく。
「汚れのひどいところはこう。後はこんな感じ。解らないことがあったら聞いてくれればいいからさ。はい、やって。」
擦りつけたり全体を揉んだりしてみせて、こちらにそれを返す。
「これは?」
上着を差し上げる。
「ああ、そっちは私がやるよ。」
シェナはひょい、とそれを受け取った。
しばらくそれを撫でたり引っ張ったりして、・・・結局同じようにばしゃ、と水につけ、同じように石鹸をこすり付ける。
「破れはしないだろうけど・・・縮まなきゃいいんだけどね。大丈夫って事にしておこうかね。」
水と石の際に丸い石を敷き詰め、その上に上着をおく。シェナは裸足になると、それをおもむろに踏みつけた。
「・・・何をやっている?」
「洗濯。大物とか量が多いときはこうやって洗うんだよ。」
足で器用にひっくり返したり踏みつけたり。擦り合わせてみたり、たまに飛び上がってみたり。見た感じは遊んでいるようにしか見えない。
「ずいぶん楽しそうだな。」
「いや、これ結構重労働なんだけど。ほら、手を動かす。」
ひょいひょいとステップを踏むように服をひっくり返す。また踏みつける、繰り返し。一抹の不安を抱えつつ、手を動かす。
「ねえレムオン。」
「何だ?」
「なんかずっと疲れてるみたいだけど、平気かい?」
手を止めて、シェナのほうを見上げる。シェナは相変わらず足を動かしていた。息をついて、視線を洗濯物に移す。
「別に疲れているわけではない。」
「いや、疲れてるよ。それじゃなかったら風邪でも引いたか。」
そう言いながら、散々踏みつけていた上着を手に取り、川に浸す。
「あんまり喋らないし。喋ったと思ったらいやに素直で気持ち悪いし。旅始めてから嫌味も皮肉も聞いてないし。
 なんかおかしいと思ってさ。・・・外れてた?」
ばしゃばしゃと濯ぎながら、こちらを振り返る。
「外れだ。・・・お前、今まで俺のことをいったいどういう目で見ていたんだ?」
「・・・どういうって・・・とりあえず嫌味で皮肉屋で口煩いよねえ。おまけに偉そうだし素直じゃないし。」
ぐしぐしぐしゃぐしゃ。洗う手にも無駄な力が入るのが解る。
「でも、優しくて、どうにも悪い人になれない人なんだと思ってる。」
その言葉に、手が止まった。今、こいつは何と言った?・・・耳を疑うようなことだ。だが、もう一度言ってみろとは口が裂けても言えはしない。
こちらの様子には構わず、シェナは上着を引き上げるとそれを勢いよく絞った。大量の水が滴り落ちる。
「ともかく。
 きついなら言って。旅とかあんまり慣れてないんだろ?今は急いでるけど、なるべく努力してみるから。」
「・・・気にする必要は無い。少し、考え事をしていただけだ。」
洗っていたシャツを広げる。月明かりで確認しただけでも、前よりは格段にマシになっていた。川につけ、先ほどシェナがやっていたようにがしゃがしゃと濯いでみる。
「考え事ねえ・・・悩み事の間違いじゃないのかい?」
「さあな。」
引っ張り上げて、一度絞る。
「ただ・・・一つ、聞かせてくれ。お前はどうして俺を連れて行こうと思った?」
今日一日頭を占めていた疑問も、元はと言えばその辺りに行き着く。
「え。・・・っと。・・・」
しばしの沈黙。やがて、上着をばんっと振る音がした。
「一緒に旅してみたかったから、かなあ。」
そう言いながら汚れを確認し、石鹸を塗りつけている。
「私の見てきた世界を見たいって言っただろ。それ聞いた時、一緒に旅するのも面白いかなって思ったんだ。」
「・・・何の役にも立っていないが。」
「そうかい?今日だって助けてくれたじゃないか。」
こちらには構わない。視線は洗濯物のみを注視している。
「私が来るなって言ってるのに飛び込んでくる奴が居るとは思わなかったけど。」
「・・・俺が来なければどうするつもりだった?」
どうせ一人で片付けられたのだろうに、というと、シェナは頭を振った。
「中央突破して逃げるつもりだった。倒せないことは無いけど、手数掛かれば危ないし。
 ・・・だから、助かったんだ。」
一つ、ため息。
「結構強くなった気で居たけど、どうも助けられてばかりだね。おまけに殴ろうとしても止められるし。」
ちょっと自信なくしそうだよ。
そう言って肩をすくめる。しかし、それは肯定できることではなかった。
「・・・お前の方が上だ。・・・お前と居ると、俺は何のためにここに居るのかわからなくなる。」
力を貸したい、と・・・守りたい、と思っていた。だが、ふたを開けてみれば、そんな必要はどう見ても無く、自分はむしろ常に庇われる側に立っている。せめて、肩を並べて戦えるくらいの力があれば、と思わざるをえない、この現実。
「力比べなら同等な気がするけど。・・・それに私は・・・」
ばしゃばしゃとまた川で濯ぎ始め、その後に小さく続いた言葉はほぼ聞こえなかった。
水音が収まる。
「そっちは終わった?」
ふいに言われて、今やっていたことを思い出す。
「あ、・・・ああ。これでいいのか?」
手に持っていたシャツを渡すと、すぐに、ばん、と広がる音がした。シェナはそれをしばし月明かりに透かして、一つ頷く。
「うん、上出来。こっちも絞ってくれるかい?」
上着を渡され、言われるままに絞ると、暗い中で表情がほころんだのが解った。
「ありがとう。」
上着を渡そうとする。
と、シェナはぽん、と手をたたいた。
「・・・そうだ。ここに居る理由がわからないって言うならさ、とりあえずもっと強くなってよ。破壊神も片手でひねれる位にさ。そしたら私、レムオンを目標にしてもっと強くなるから。」
思いついた!という向きの声はとても明るい。
だが、その言葉と内容を反芻すると、思考はぴたりと一時停止した。
・・・どう考えても無茶な話である。理論もどこか破綻している。大体それ以前に・・・冷静に考えなくてもこの発想はどう考えても。
「何を馬鹿な事を言っている。・・・お前、もしかして脳みそまで筋肉で出来ているのか?」
「!」
ジャッと小石が鳴り、思ったとおり目の前に拳が飛んでくる。ひねりも何もない。受けると見せかけ直前で身をかわすと、勢いを殺し損ねた身体はそのまま前につんのめった。襟首をぐいと引いて立ち直らせる。
「否定したいなら、手を出す前に言い返す位してみせろ。それでは自分の頭の出来を認めているようなものだろうが。」
「離せ!こらっ!」
言うことが耳に入った形跡も無くじたばたと暴れるその様子には、知性の欠片も見当たらなかった。思わずため息が漏れる。
記憶にあるシェナは、文句を言いながら宮廷でもそれなりに立ち回っていたし、邸に居たときも確かもう少しまともに見えていた。そもそも、反乱のリーダーをやっていた時のあの全てを飲んだ表情を見て、こいつは使えると思ったのだ。だから、今までの評価は、学はなくても道理はわかるし、頭もそれなりに回る奴、だったのだが。
背景にだまされていたのだろうか。自分の見る目が無かったのだろうか。
あれがフォローなのはなんとなくわかったのだが、それにしてもこれは。
「・・・全く、今の今までこれに気付かなかったとは・・・我ながら流石に落ち込むな。」
知り合ってから今までの言動を冷静に思い返すが、考えれば考えるほどにそれなりに回る頭の一部はどうも筋肉製のような気がしてならない。
人間的には申し分ないし、器は自分も認めるところだが、この思考回路で全てを決められてはたまらない、と思った。なんとなく先行きが不安になってしまう。
「人がフォローしてやってんのに、その言い草は無いんじゃないかい?!」
「フォロー?フォローの必要があるのはおまえの頭の方だろう。」
考えはすぐにまとまった。襟首を掴んでいた手を離す。
「・・・まあいい。お前と同等に戦うために力が必要ならば、俺は一先ずそれを求めることにしよう。」
「え?」
今にも食って掛かりそうだったシェナの表情から、一気に気が抜ける。
「お前に全てを任せる気はしない。だが、お前に庇われてばかりではそう偉そうな事も言えん。」
「それってどういう・・・」
「自分で考えろ。」
ひょい、とシェナからシャツを取り返し踵を返す。
「待って、・・・ああもう!」
ばたばたと追いかけてくる足音を聞きながら、歩く速度を緩める。
「偉そうな事いって、洗濯物の干し方もわからないくせに!」
追いついてきた悔し紛れと明らかにわかる言葉に、笑いが漏れた。
「解らなかったら聞けと言ったのはお前だったな。ならば、お前に聞くから問題ない。」
隣で悔しげにうなる声がまた可笑しい。少し余裕が持てた証だろうか。
少し前に同じ事を言われていたら、きっと違った感想を持っていただろう、とは思う。
しかし、あの馬鹿なフォロー一つで、もやもやした気分は少し落ち着きを見せ始めていた。もしもあれが計算づくなら、恐ろしい奴だと思うしかない。
だが、・・・今までの行動からすると、あれは間違いなく素だった。
「・・・すっかりいつものレムオンに戻ったね。・・・なんか釈然としないんだけど。」
ぶつぶつとつぶやくシェナの頭をぐしゃりとなでる。
「何、さし当たってすべき事が解っただけだ。」
道の先はまだ見えない。
それでも、冷たくなった手に、それは少し暖かく感じたのだった。



旅に必要ないくつかの事。
1.自分のことは自分で出来ること
2.自分に出来ることを解っておくこと
3.パーティで行動する場合、自分の立ち位置を確保しておくこと
以下続く・・・

・・・なんていうのは後から考え付いた事なんですが。
悩める義兄上がなんとか元の調子取り戻しかけるまで、て感じ。イメージとしては、猫屋敷で呼び出してエンシャントから出て一日目・・・ええと、旅に連れ出して2日目とかのイメージ。
仲間に入った後の義兄上って、事情が事情だから仕方ないんですが、弱気とヘタレと一人シリアスが前面に出たイメージがあります。でも、相談すれば、それなりに前と同じ偉そうな感じがしなくもないなあと思う。扉ED見てみれば、見事性格も見た目も元通りだし。じゃあ、なんでそんな態度取れるようになったのかな、とふと思ったんでした。
私の結論は「素がそう変わる訳ない」なのですが、こういう理由があってもいいかな、と。
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