依頼を受けて入ったダンジョンに見知った顔がいた、それだけ・・・のはずだった。
「あれ?シェナじゃないか。偶然だね。」
湖の中の島。集団で歩くこちらに気づいたのだろう、身なりのいい青年が声を上げる。
「エストさんじゃないか。こんなところで・・・また研究かい?」
ぱたぱたと駆け寄ると、エストは頷いて小さく笑う。
「そんな他人行儀に呼ばないでよ。僕達一応兄妹だろ?」
「ああ・・・エスト兄さん、・・・なんか変な感じだけど・・・あ、そういえば久しぶりだね。」
言葉の違和感になんとなく話をそらすと、それすらも見通していたかのようにエストはまた笑った。
「うん、久しぶり、何ヶ月ぶりだっけ?」
「んー、冒険者になって以来じゃないかな。・・・なら半年ちょっとか。随分短く感じるけど。」
指折り数えると、エストの表情が少し曇った。
「半年か・・・。シェナ、兄さんに会った?」
「いや?冒険者になってから一度も会ってないけど。」
ロストールには幾度となく行ったのだが、館というより貴族街には近寄ってすら居ない。避けている、と言っても特に外れてはいなかった。よっぽどの用事がないと行きづらいことこの上ないのだ。心情的にも立地的にも。
「うーん・・・」
エストはますます表情を曇らせる。
「何、どうかしたの?」
「何といえばいいのかな・・・僕もそれくらい帰ってないから、いい加減・・・んー・・・。」
中空を見上げ、少しもごもごと呟いて、エストはシェナに向きなおった。
「そうだ、シェナの用事が終わったらでいいから、ロストールまで護衛してよ。」
依頼としては少々・・・かなり意外である。しかし、断る理由もなく、シェナはあっさり頷いた。
「そりゃ構わないけど。ああ、エンシャントのギルドに寄らせてもらうけど、いい?」
「うん大丈夫、助かるよ。そうか、今帰りだったのかい?」
「まあね。エストさ・・・兄さんは、もう出発できる?」
言い直すと、エストはまた笑って頷いた。
「待ってて、すぐ荷物片付けるから。」
パーティの了解も半ば事後ながら快く下りた。チャカは元より歯向かうつもりは無いようだったし、一緒に居たルルアンタもユーリスも異議は無いようだった。『兄さん』なるものが居た事には少々驚かれたようだったが、まあ仕方ない。エストに対して棘にならないように当たり障りのないところを説明すると、なんとか半分くらいは納得してもらえたようだった・・・と言うことにしておいた。ルルアンタにはロストールに居たことがあったらしく不思議そうな顔をされるし、ユーリスの方は「まだ何かありそう」という顔をしているのだが、・・・まあ、誤差の範囲内だ。
エンシャントのギルドに汽水の入った瓶を届けて、次の目的地はロストールである。ロストール宛の郵便物もついでに引き受けるのは今となっては習慣のようなもので、シェナはチャカ達と分担して大量に荷物を抱えていた。しかし、この間ユーリスが覚えたと言うインビジブルの魔法が、荷物の多い旅も敵無しの快適な旅にしてくれる。
旅すること一週間と少し。一行は平和にロストールに到着したのだった。
「ついでにうちに寄っておいでよ。きっと兄さんも喜ぶよ。」
ギルドに大量の荷物を引渡したところで、エストはそう切り出した。
「あっはっは、まさか・・・」
シェナは軽く笑ってやり過ごそうとして、エストの妙に真剣な表情にそれを止めた。
「いや、私はいいよ。」
苦笑いして首を横に振る。どうもあそこは行き難いから、と言うと、エストは少し考えて口を開いた。
「んー・・・頼みたいことがあったんだけど。」
「何だい?」
「・・・実はね、僕が家に封じてる魔人が居るんだ。」
「魔人!?」
突拍子もない単語に、シェナが素っ頓狂な声を上げると、エストは神妙な表情で頷いた。
「うん、その魔人についてちょっとお願いがあるんだよ。
僕はその魔人・・・ガミラを家に封じてるんだけど、僕も無闇に能力が高いわけじゃないから、大体半年毎くらいに封印を掛け直さないと出てきちゃうんだ。」
「なんでそんな危険なものをほっといたんだい?」
「本当、研究に夢中になってすっかり忘れててさ。というわけで、封印の手伝いをして欲しいんだけど。」
そう、さらりととんでもないことを言い出す。
「あっさり言うけど、御屋敷の人たちが危ないんじゃないのかい?
断るわけには行かないけれど・・・ああでも、危なそうだから他のメンバーにも聞かないと」
「あ、・・・シェナだけで大丈夫だよ。」
エストはあわてて手を振る。
「お願い、ちょっと付き合って。時間は・・・遅くなるようだったら泊まって行けばいいし。ね?」
「うん、分かった。」
なんとなくエストの態度のどこかに不自然さを感じつつも、放っておける事ではない。シェナはそう判断すると、ためらわずに頷いたのだった。
リューガ邸は、貴族街の奥にある。立地としては、平民には行きづらいことこの上ない場所だった。おまけにそこの当主は、シェナの居たノーブルの領主、エリエナイ公である。ボルボラを派遣してきた事、反乱が起こるまで悪政を放置していたこと、その他諸々あってあまり好きな相手ではなく、したがって好んで会いたい相手でもない。
だが、それで起こした反乱でノーブルに戻れなくなったシェナを離れ業を使って引き取り、一応の帰還場所を作ったのもその人だった。旅に出る時、『ここはお前の家だ、いつでも帰って来い』といわれたことも覚えている。うっかり少し嬉しかったことまで。
ただ、それに素直に甘える気にはなれなかった。いくら恩があっても、所詮相手は貴族なのだ。高慢で平民をゴミのように扱って何の感情も持たない、貴族という生き物。そんなものに寄りたいとは思わない・・・思ってはいけないとも思う。
・・・だが、ここに来るまで何度となく助けてもらっているし、本能は彼を悪い人間だとは感じていない。それに、ここの住人のエストを見ていても悪感情を持てないというあたりで、どう振舞えばいいのやら分からなくなっていて、・・・それがここを避ける理由の一つにもなっていた。
無事だろうか、でももしも顔をあわせたら、どんな顔して会ったものだろうか、・・・などとうだうだ考えているうちに、気がつけば屋敷は目の前だ。
お帰りなさいませ、と門衛に出迎えられて少々居心地の悪さを感じつつ、エストに引っ張られるようにしてシェナは中に入っていった。
館の扉が開く前に、エストがぼそりという。
「気をつけてね、気を強く持つんだ。」
「うん。」
改まった声に、シェナも神妙に頷く。
「もしも捕まったら・・・」
「捕まったら?」
息を飲み込むシェナに、エストは神妙な顔を作って言った。
「ひたすらガミガミお説教。」
「・・・・は?」
聞き間違いかとエストの方を見れば、エストはしれっと答える。
「さっき見たら二人とも居るみたいだったからね。
僕、これで二回目だから・・・二人になるかシェナのおかげで一人で済むか、難しいとこだけど。でもシェナが居るならきっと軽減されると思うから。」
そう言えば、確かにさっきの門衛は変わったところはないようだった。ここまで来て、やっと自分の考えの浅さに気づく。
「待って、魔人ガミラってのはもしかして・・・」
言う傍から開く扉。
エスト言うところの「魔人ガミラ」が何なのかは、中に居た人物を見れば嫌でも理解できた。
「お帰りなさいませ、エスト様、シェナ様。」
ここの執事のセバスチャンだ。
礼儀正しい笑顔が、妙に迫力を帯びている。正直に言わなくても怖い。
「ただいま、セバスチャン。」
「・・・こんにちは、おじゃまします。」
ぺこりと頭を下げると、セバスチャンはにっこり笑って言った。
「エスト様、シェナ様、レムオン様がお待ちですよ。」
エストの表情が引きつった。なるほど、二人目のガミラはレムオンというわけだ。その表情から、これは大変そうだと目をそらす。
「お久しぶりでしょうから、積もる話はゆっくりと奥でなさってください。」
有無を言わさず丁寧に、道を示される。二人一緒に。
「じゃあ行こうか、シェナ。」
エストにそう声をかけられて、やっと思い至ったのは自分の立場。
お説教の対象には自分も入っている。・・・他人事ではないのだ。
果たして。
「久しぶりだな、二人とも。まずは半年以上も家に戻らなかった理由を聞かせてもらおうか。」
妙に迫力のある・・・そしてなんだか活き活きしているようにも見える・・・もう一人の兄ことレムオンの前に引っ立てられた二人は、今度こそ盛大にガミガミとお説教されるハメになったのだった。
仕事があるから、と二人が一時開放されたのは、体感・・・二時間だか三時間だか経ってからだった。とにかく長く感じたのは間違いなく、レムオンの姿が消えた瞬間、その場にはソファに二人分の体重を預ける音と二人分のため息が響く。
「なるほど、魔人ガミラ・・・」
ネーミングはともかく、納得は嫌でもせざるを得なかった。
「納得した?」
苦笑いにげっそりと頷く。
「・・・・うん。でも、最初から言ってくれればよかったんじゃないか。なんでそういう言い方をしたんだい?」
盛大に騙されたのは、自分が単純だったせいか・・・いや、そもそも騙す方が悪い。責めるように言うと、エストは一つ息をついた。
「だって、普通に言ったら絶対にシェナはこっちに来なかったでしょ。
シェナに会ったのに連れてこなかったなんて知られたら、僕はさらに怒られる事になるし。それに、シェナだって、あれ以上顔見せてなかったら、きっと偶然にでも屋敷の人達と顔あわせたときに大変なことになったんじゃないかな。」
連れ戻されてお説教、というのはなんとなく読めた。
「そんなことになったら、反論して・・・いざとなれば力ずくでも逃げ出すだけだよ。」
「そうだね。でも、できると思う?」
素で聞かれて、う、と止まる。出来るなら今やっていたに違いない。しかし、現実はこの通りだ。
「・・・きつそうだね。」
「でしょ。」
一番痛いのは、顔を見せなかったこちらにも非があると言う事実。ほぼ正論で固められたレムオンの言い分に太刀打ちするのもまた厳しい。
勝てない理由は他にもある。
「だって、まさかあんなに心配されてるとは・・・私なんて成り行きで妹って事になってるだけなのに。」
それなのに、とてもそれを盾に言い逃れが出来るような状態ではなかったのだ。ここまで普通に身内扱いされるとは思っておらず、面食らったというのが正直なところで、そのせいか、関係ない言いがかりみたいなお説教だし・・・と聞き流すことも出来ず、ひたすら畏まるしかなかった。つい数分前まで。
はあ、と息をつくと、エストは小さく笑って言った。
「最初に言っただろ、兄さんってそういうところは本当に優しいからさ。」
「・・・・・・本当、びっくりしたよ。」
そもそもお説教の中身を振り返れば、レムオンは心配しているなどとは一言も言ってはいなかった。ただ、ガミガミと怒るその態度の中に心配の二文字が見え隠れしていたわけで、・・・こうなってくるとシェナとしては言い返すのは至難の業を通り越して不可能の域に入る。色んな意味で完敗だ。
「・・・まあ、心配性すぎるとは思うけど。」
エストはそう言うが、いくらこちらで仕事が、研究がと言ってみても、心配して待つ側にとっての半年は長いのだろう。その気持ちもわからなくはなく、結局何も言えなくなる。ぐったりとため息をつくと、エストは身を起こして言った。
「でも、コレくらいで済んでよかったって思ってよ。ね。」
「・・・・なんか、言いくるめられてる気がするんだけど・・・まあ、仕方ないか。」
隣に一緒に怒られる相手が居るだけでも、確かに孤立無援よりはマシだ。それは正直思う。
エストは、うんうん、と頷いてこそりと囁いた。
「参考までに覚えておくといいよ。大体半年がリミットなんだ。3,4ヶ月位なら大目に見てくれる。だけど、本当のところはなるべく顔出した方が安全で。」
こそこそと言うその言葉は、どうにもそこらの悪ガキを髣髴とさせる。
「随分と手馴れてるね。まるで門限の破り方でも聞いてるみたいだ。」
おかしさ半分呆れ半分で苦笑いしたところで、ノックの音が響いた。続くのはセバスチャンの声。エストが応じると、セバスチャンが中に入ってきた。飲み物を用意してくれたらしく、高級そうなカップがお盆の上に並んでいる。
「どうぞ、エスト様、シェナ様。」
「あ、ありがとう・・・。」
二人がカップを受け取ると、セバスチャンは穏やかな口調で切り出した。
「門限の破り方の相談でもなさっていたのですか?」
口をつけた紅茶を吹きそうになり、シェナは慌てて息を止める。
エストは深々とため息をついた。
「聞いてたのか・・・。」
「いえ、ただの勘です。しかし、私を魔人とお呼びになるだけならまだしも、レムオン様まで魔人扱いするのは如何なものかと存じますが。」
つらつらと、流れるような言葉には、非難の響きも混じる。どうやら、聞かれては不味いことを悉く聞かれていたらしい。
「それだけ心配なさっておられるのですよ。お分かりでしょう。」
口調は穏やかに、ただし毅然として言い訳を許さない。
・・・そういえば、この家の最高権力者はセバスチャンだと、当主であるはずのレムオンが言っていた、様な気がする。あれは冗談ではなく本気だったのだと言う事を半年以上経った今悟るハメになろうとは。
シェナがつい過去を思い返している間に、エストは早々と白旗をあげた。
「解ってる。今度からは気をつける。ちゃんと戻るようにするから。ね、シェナ。」
「え、あ、」
いきなり振られて答えに窮するシェナに、二人の視線がまっすぐ刺さる。
「うん、なるべく戻るようにする・・・」
こくり、頷く。他に選択肢はなかった。
「では、ロストールに戻られた際は必ずこちらにもお立ち寄りくださいますよう、お願いいたします。」
穏やかで腰も低く礼儀正しく・・・なのに有無を言わせぬその態度。それはちょっと、と言いたいのに言えない。言葉に詰まっている間に、エストもこくこくと頷く。
「そうだね、僕の分もよろしく頼むよ。」
「エスト様、貴方様もあまり家を空け続けるのは好ましくありませんよ。私からその理由を説明してもいいのですが、如何いたしますか?」
間髪入れずに入った言葉に、エストはうぐ、と言葉に詰まる。
「・・・悪かった、そんなに怒らないでよ。ちゃんと戻るから。」
エストの態度に満足げに頷くと、セバスチャンはこちらにも向き直った。
「シェナ様も、約束していただけますね。」
「・・・わかった。」
完敗である。そして、この約束は絶対だ。・・・そんな気も心のどこかでしていた。
最初に助けてくれたこと、今、予想を遥かに超えて心配されていたことや気遣われていたこと。これに背くことはもはやできない。恩返しとは言わずとも、せめて不義理はしないようにしないと、と思う。
それに、相手は所詮憎き貴族の一味・・・と単純に思うことは、こうなってくると心情的にもいい加減無理だと悟るしかなかったのだ。
後日。
「ちょっと御屋敷に顔出してくる。今回大丈夫だといいけど・・・」
そう、言うだけ言ってばたばたと出て行くシェナを、パーティの中の一人は冷静に評した。
『まるで、点呼の時だけ慌てて出て行く学生のようですわね』と。
件の御屋敷の方はと言えば、その『学生』について、次のような評価が下っている。
すなわち、『顔だけでも出すだけ進歩したものだ』と。
『不義理をせぬように』・・・というより『魔人ガミラを目覚めさせぬために』ロストールの町を走り抜ける当の本人がその評価を知ることは・・・今のところはなさそうであった。
あと、ノーブル伯なりたての頃って、リューガ邸って普通に考えてすごく行きづらいんじゃないかなあと思う。畑の子なんかは、恩と恨みとごちゃまぜでとてもとても、な感じが。・・・で、それをなんとかリューガ邸通いできるようにするには、と考えたらこんなことに。
・・・ていうか、「魔人ガミラ」て単語がおりて来たら話が勝手に膨らんだんですが。なんかもうすごい心配してガミガミ言うお母さんなイメージが勝手に(・・・)