目の前には赤い鎌。奥に見えるのは名前の通り真っ赤で、人の背の何倍もある赤ちゃんの姿。
「へえ、まだ耐えるのかよ?お前が最後だぞ?」
赤ちゃんを従えるようにしたメルは、見たことがないくらい顔をゆがめて笑っている。
「絶対負けないもん。」
今にも閉じそうな両の瞼を必死で持ち上げて、ショコラは声を出す。
出てきたのはへろへろで弱い小さな声。それでもメルに届いたらしい。メルはつまらなさそうな表情をして、ふっと表情を消した。
「そうか。」
赤い死神の鎌が振りかぶられる。
「それなら、本気を出すだけだ!」
鎌が振られて、ショコラの意識はあっけなく吹っ飛んだ。なすすべもなく閉じゆく瞼の向こう側で、メルの声がする。
「赤い靴で踊ってな。」
悪夢の中で、永遠に。
後の言葉は、赤ちゃんのひどい声にかき消されてもう聞こえない。
気が付くと、ショコラは知らない靴を履いていた。
少しヒールの付いた、丸いつま先の赤い靴。足首に絡みつくひらひらリボンもかわいらしい赤だ。なんとなく、姉が持っていた人形のものに似ている気がする。
「ショコラこんなの持ってなかった気がするけど……可愛いからいいか。」
とんとん、とつま先を蹴って一歩踏み出すと、足は翼が生えたかのように軽やかに動き出した。アンドゥトロワ、ターンしてジャンプしてスピンだってキメられる。
「おっもしろーい!」
くるくると回って遊んでいると、そのうちに目が回ってきた。だがしかし、ちょっと休憩、と足を止めようとしても勝手に足は動き続ける。ショコラの意志をよそに、スピンしてジャンプしてターンして脚を限界まで空に持ち上げる。
「ねえ、ちょっと、止まってよ。止まってよー!!」
叫んでも、無理やり止めようとしても足は言うことを聞かない。
パニックになりながら叫んでいると、ふと姉たちの姿が見えた。セーラとドーラ、なぜかメシュレイアもいる。
「ねえセーラお姉ちゃんドーラお姉ちゃん、助けて!!」
手を伸ばすと、姉たちはくるりと振り返った。
「あら、可愛いお人形さん。こんにちは。」
メシュレイアはにこ、と笑ってまた背を向ける。
「ちょっと、ショコラだよ!!お人形なんかじゃないよ!?」
叫んでもきっと声は届いていないのだろう。セーラは少し首をかしげてこちらを見る。
「まあまあね。」
「でもなんか脆そう」
ドーラもふうん、とこちらを見やる。
「関節も今にも外れそうだものね。つくりが甘いのかしら」
「セーラお姉ちゃん何言ってるの!?」
叫んだ瞬間、腕がぼろっと取れた。
ぎょっとして腕を見ると、いつの間にか球体関節になった腕から先が、細い糸でぶら下がっている。
「え、え、え!?」
慌てて取れた腕に手を伸ばすが、その腕もぼろ、と落ちていった。その間もひっきりなしに足は踊り続けている。視界には姉たちの姿はもうない。怖くて泣いても叫んでもわめいても、足は動き続け、体はパーツごとにぼろぼろと崩れていく。肩が崩れ、腰が壊れ、首も髪も引きちぎれて、それでも意識はある上に止まらない。
「いやあああああああ!!!」
心から叫んだ声は、喉も顎も口もないところからひゅる、と空気の音になっただけだった。
***
ギラリと光るジャガーノートがこちらを睨む。それを持つショコラの瞳は、敵意と怒りで彩られていた。
なんで歯向かってきているのかはわからない。ただ、売られた喧嘩は買うのがメルの流儀だ。
手にあったデスサイズをくるりと構えると、帽子の力が発現する。
「……は?」
思わず声が出た。特に願ったつもりはなかったのに、振り返った先には帽子の力の具現化した巨大な赤子がうなっている。
帽子の力を借りるつもりはなかった。ショコラが武器で挑んでくるなら自分も武器でぶっ飛ばすつもりだった。とにかく帽子の力を収めようとするが、魔法の力は勝手に発動して、悪夢へ誘う子守唄が響き渡る。
「なんでだよ?!」
ふらふらとショコラの斧が目の前を通過した。
「……絶対負けないもん」
「待て、ちょっと待て」
背後の赤子がひどい声で喚く。メルのソウルが勝手にオーバードライブする。発現しようとする魔法は、……夢遊サイコシンドローム。
「クソッ、なんで止まんねえんだよ!!」
せめて、と良き夢を願う。だが、願いとは裏腹に、一度崩れ落ちたショコラは狂ったように踊り始めた。
魔法、ジェム、回復の力はなかっただろうか。思いつく限りで回復魔法を使おうとするが、どれもこれも睡眠と攻撃に化けてしまう。
止めなくては。力ずくでも。
踊り狂うショコラにとびかかろうと地面をける。しかし、その体はあっさり地面に打ち付けられた。周囲に見えるのは、拘束用の魔法陣。なんでこんな時に、こんなところに出てくるのだろうか。
「クソが!!!!」
気合でぶっ飛ばせばいい。そう信じて、ありったけの心と力と気合で魔法陣の拘束へ負荷をかける。だが、帽子の力もあるはずなのに、魔法陣はびくともしない。その目の前で、ショコラは目を閉じ、微笑み、嗤い、泣き叫ぶようにして踊る。
「メル」
名前を呼ばれた、と思ったとたん、ぼろ、とショコラの腕が取れるのが見えた。
ひ、と息とも悲鳴ともつかない何かが漏れる。呆然としているうちに、髪も体もちぎれていく。
「や、やめ、やめて」
びちゃ、と鮮血が目の前を染めた。気が付くと自分の帽子の力が、真っ赤な胎児が、ショコラを食べている。
「メ……ル……」
ぐちゃ、ぼり、とひどい音が響く。
「うわああああああああ!!!!」
目の前は真っ暗になっていた。
「メル!!!」
がったん、とベッドから転げ落ちて目が覚めた。
「……ってえ…」
「メル、大丈夫?すっごいうなされてたけど。」
ベッドの上からショコラが顔を出す。
「ショコラ?……お前無事だったのか……」
「メルってば何言ってるの?」
少し眉をひそめたショコラは、よいしょ、とこちらに手を伸ばす。
「……なんでもねえ」
ショコラの手を取ると、ぐい、とベッドの上に引き上げられた。だが、まだ少し身体が震えているような気がする。
引き上げられたベッドはかなり広いキングサイズで、今ここにある唯一の家具だった。メルは汗ばんだ寝間着をぱたぱたとあおいで息をつく。
部屋は随分片付いてしまっていて、デコイたちの気配もしない。もうみんなここを……この帽子世界を引き払った後で、残っているのはこの夢の世界と自分、そして自分の帽子とショコラだけだった。
「最後の夜にうなされるなんてね」
「やかましい」
ぽふ、とひっくり返るショコラをむす、とにらむと、涙の跡が見える。
「お前もうなされてたのか?」
聞くと、ショコラはびっくりしたように目をこすり、そして困ったように頷いた。
「……多分メルにつられたんじゃないかな。ショコラが起きた時、メルすっごいうなされてたもん。」
「自分がショコラにつられた可能性もあるだろが」
間髪入れず突っ込むと、ショコラはむ、と一瞬むくれた。
「……夢から覚めたんだからいいんじゃない?」
「まあいいけどよ。」
ベッドの上でぐ、と伸びをする。朝には多分まだ遠い。そもそも夢の世界は基本的に夜の世界だ。それでも、すぐに寝る気にはなれなかった。それはどうやらショコラも同じだったらしい。きゅ、と背を伸ばして、ベッドから飛び降りる。
「ねーメル。ちょっとお散歩しない?」
「だな。」
メルもベッドから飛び降りた。枕元に置いていた帽子は一応被っておく。
昼にもこの世界は見て回っていた。最後だから、と二人で隅々まで歩いたのは数時間前の話だ。
明日の朝、寝て起きたら、二人は現実世界に出ることになっていた。
他の者達は皆、既に身体を得て現実世界に出ている。デコイたちも設計図になって一緒に出て行った。だが、メルとメルの帽子はこの帽子世界のベースになっているため、外に出るのは最後になる。
ところが、そこにショコラが割り込んできたのだ。
「メルが残るならぎりぎりまで一緒にいる」
「お前にゃセーラもドーラもいるだろが。」
「だって一人ぼっちはさみしいじゃん。だからショコラが一緒にいてあげる」
「余計なお世話だっつの」
やいのやいの言い合った結果、メルやビッグママが何を言おうがショコラが頑として譲らなかったため、今二人はここにいる。
……メルとしては、今は正直助かった、と思っていた。
帽子の負担を減らすため、デコイたちのいない空っぽの塔に、とりあえず寝れるだけの設備を置いて、今夜は文字通りこの世界の最後の夜だ。小さな明かりをつけると、塔の中はふわりと明るくなる。寝るのにちょうどいい薄明りの塔を、勝手知ったる足取りで、メルとショコラはてこてこと歩き出した。
一つ目の部屋、ふたつめの広間。夜景の一番きれいに見える場所。もう人のいないホテルや小学校。普通なら不気味に映りそうなものだが、ここはメルの世界だ。少し寂しいだけで恐怖はない。
「これくらいの明かりだと、60階の部屋が寝心地よくて好きだったなー。こう、ほんわかした空気と明かりに少しクッションの効いた床とふかふかのソファ!色合いも完璧だったよね。」
「何なんだそれは」
「うーん、寝室ソムリエ的な?あ、いいかも!お昼寝し放題じゃん。」
「お前なあ……」
馬鹿みたいな話を転がしながら、夜中の散歩は続く。
「あっちの広間、決闘場みたいな記憶しかねえな」
少し広い広間は、稽古をつけたり憂さ晴らしに暴れるのによく使っていた場所だった。
「ショコラはあの部屋はメルにぼっこぼこにされた思い出ばっかりだよ」
はあ、と肩をすくめるショコラにくく、と笑って聞く。
「勝てたことあったか?」
「この間勝ったじゃん。ほら、メルがヨウコ泣かせたとき」
「……あーそうだったな。」
ふんす、と少し得意げなのがちょっと悔しくて、何だかおかしかった。
「やるか?最後だし。」
言うと、ショコラは小さく眉をしかめる。
「帽子の力は控えるんでしょ?」
「使わなきゃ平気だろ。」
「武器どこから出すの?」
それは帽子の力だ。それとともに、さっきの夢が頭をよぎって身体がぞくっとした。
「……それもそうだな。」
納得したことにして引き下がる。
ショコラは心なしかホッとしたように、そうだ、と声を出した。
「ショコラ、行きたい部屋があったんだった。ほら、一番景色がきれいなところ。」
「65階か?」
聞くと、ショコラはかぶりを振る。
「ううん、塔の最上階っていうか屋上?」
「あーエレベーター登り切った先か。」
そういえば昼間は行かなかった気がする。
「行くか」
「おー」
寝間着の探検隊はまたぽてぽてと歩き出した。
エレベーターの最上階は66階。暗い部屋のそのまた奥にある部屋は昇降機付きで、さらに上へとつながっている。
「前に来た時にさ、どこまで上がるのかちょっと気になってたんだよね」
端っこにちょん、と座って外を眺めながらショコラが言う。
「自分もよく知らねえんだよな。気が付いたらなんか空の上通り越してんだ。」
隣に座り込んで外を眺める。景色はぐんぐん下に下に遠ざかり、夜景はやがて豆粒に、そしてよくわからないが何か広い世界が眼下に広がりだす。
「メルの世界って、ほわほわしてて寝心地いいけどさ、どっか突き抜けてるよね」
大気圏をぶちやぶり、月を通り過ぎて、前に広がる宇宙の光景。星の光を目に映し、ショコラはすごい、と息をつく。
「どいつの世界だって突き抜けてんだろ。」
帽子を得るには、確固たる価値観と世界観が必要だ。だからそれぞれの管理人の世界は大体どこも突き抜けたところがあった。
だが、ショコラは、うーん、と首をかしげる。
「それはそうなんだけど、メルのはなんかこう、ジャンルが違うって言うかー」
「なんだそりゃ」
よくわからない。
「とにかくなんか違うなってこと。 ほらメルみて、向こうになんか銀河が見える!」
きらめく星の原の向こう、巨大な渦巻きの光が斜めに上がってくる。幻想的というよりも迫力を感じる光景に、あっけに取られて息をつく。
「はー……自分もここまで来たのは初めてかもしんねえ」
「え、本当!?」
ショコラは驚いたようにこちらを振り向いた。
「ああ。昇降機の限界に挑戦なんて考えたことなかったしな」
素直に頷くと、ショコラの瞳がきらめく。
「ねえ、これ、宇宙の先まで行けるのかな。」
「知らねえ。そもそも宇宙に果てってあんのか?」
「あるのかなあ。」
上る銀河はまた遠のき、今見えているのは別の星雲や連星だ。
「あるとしたら、きっとすっごく素敵なところだよね。なんたって宇宙の先なんだもん。」
「すっげえ広い世界なんだろうな。こんな狭いゆりかごみたいな世界じゃなくてよ。」
この帽子世界の正体と、ビッグママの過干渉の理由、すべてが分かった時のなんとも言えない脱力感を思い出す。
知った時は、足元の世界が揺らいだ気がした。それでも、その時はこの苦しい世界から逃れられると解った喜びのほうが大きかった。
だが、この世界に愛着がないわけではない。物心つくかつかないかのうちに離れた現実の世界より、メルにとってはこちらの世界のほうが慣れ親しんだ場所だったのは確かなのだ。
「そうだね。きっといろいろありすぎてよくわかんないくらい盛りだくさんだよね。」
「だな。」
頷いてまた、外の景色を眺める。
星の海も大きな銀河の渦も遠くなって、太陽が爆発した光を暗闇が吸いこんで、不思議に光る星がちらちらと輝いている。
色合いも、なぜか少しずつ明るくなっていた。赤く青く、あるいは緑に、外はぼやぼやと不思議な色に染まっていく。色が合わさり、ミルクに絵の具を混ぜたような色合いの海のような景色は、メルも初めて見るものだった。曖昧な色の海の中からは、シャボン玉みたいなものが、ぽわ、ぽわ、と無数に浮かびあがってくる。近くに通るものには、ちらりと宇宙と銀河が見えるシャボン玉もあった。一つ一つに何かが息づいているのは、見えていなくてもなぜか感じられて不思議な感覚だ。
変な夢みたいな世界だな、とふと思って、あ、と納得した。
ここは夢の世界。きっとこの光景も夢……飛び切り変な夢の一つなのだ。
不思議、としか言いようのない変な空間には、シャボン玉に包まれたいろんな世界が浮いているように見える。もしかしたら、これは帽子世界のカタチだったのかもしれない、と思った。各々の宇宙と世界が独立して、ふわふわと漂っていて、基本的に世界はつながっていないし干渉もあまりない、なんとなくそんな世界のように見えたのだ。
視線の先ではまたぽわ、と新しいシャボン玉が浮かび上がっている。幻想的でなんとなく現実感のない光景を眺めていると、ショコラがこてん、とこちらに身体を寄せた。
「ねーメル。ここ、なんか世界のはじまりみたいだね。」
世界の始まり。
その言葉がなんだかおかしくて、ふ、と息が漏れた。今日は念願の、待ちに待っていた世界の終わりの日なのに。
でも、その表現はなんだかとてもしっくり来た気もする。
「世界の終わる日に、世界のはじまりを見る、か」
世界の終わる日に初めて来た場所。地下にあるはじまりの部屋じゃなくて、天空の先の先にあるはじまりの場所。
「世界の終わり、かあ。」
ショコラは一つ息をついて、こちらを見た。
「ショコラはこの世界、辛いこともあったけどさ、結構好きだったよ。いっぱい世界があって、とっても広くて。」
少し寂しそうな表情に、自分の気持ちまで映ったような気がする。
「……そうか。それならよかったよ。」
昇降機が、チン、と音を立てて止まった。
「ここから外に出たらどうなるんだろう」
ショコラは暗闇の前室を見やりながら言う。
「入り口はいつだって66階につながってる」
言いながら、なんだか紐をつけられてるみたいだな、と思った。
「ガラス割って出たことはねえけどよ」
それはとても魅力的に思える。大きな斧をひっぱりだして、ガラスをぶち壊して外に飛び出したら。
「やる?」
「やるか。」
どうせ最後だ。絶対に見れない光景を見てもいいだろう。
使わないつもりでいたが、ささやかに力を使い斧を二つ引っ張り出す。片方をショコラに渡して、ガラス窓の前で、一番力のこもる構えを取る。
「せえの…!」
しかし、二人で振りかぶった瞬間、昇降機が急降下しだした。
慌てて二人分の斧を石に返し、ぎゅっとショコラと手を繋いで伏せる。しかし、降下速度が速すぎて、体は勝手にふわりと浮き上がった。
「お、わ、わああ」
「ひゃあああ浮いてるうううう」
よくわからないが多分無重力とはこういうことだろう。長距離を降下していると、だんだんこの状況にも慣れてくる。
「……壊すなってことか」
「そうなのかも」
手をつないだまま、ふわふわする身体をよじって外を見る。窓に手をつくと、目の前を銀河がよぎり、星の海がキラキラと高速で過ぎ去っていく。流れ星の大群でも見ているようだ。
「すげえな」
ショコラも手をつないだままでもう片方の手を窓にぺたんとついた。
「すっごいね」
迫力に圧されるように外を見ていて、気が付くと、何か見知った大地が下のほうに見えてきた。
「ねーメル。これ、ちゃんと着地するのかな」
少し考えていたことを言われて、一瞬言葉に詰まる。だが、メルはよぎった不安をなかったことにして、もちろんだ、と頷いた。
「するさ、メル様の世界だからな。」
ふわふわの無重力はやがて緩やかに収まり、部屋の下降はだんだん穏やかになる。やがて、チン、と音がすると、窓の外は夢の世界の見慣れた夜景になっていた。
なんとなく、少しだけ遠回りして寝室に戻る。
少し布団が荒れたキングサイズのベッドは、起きた時のまま部屋にどんと鎮座していた。
「おやすみなさい、する?」
ぽふ、とベッドに腰かけて、ショコラはぐっと伸びをする。
「したくなさそうな顔してるな。」
「まあ、うん、そうだね。」
ふわわわ、と伸びながらもショコラは素直に頷いた。
「眠いんだけどさ、ベッド見たらさっき変な夢見たの思い出しちゃって」
「ガキだな」
鼻で笑うと、ショコラはむっとした顔でこちらを見た。
「メルだってそうじゃないの?」
言われて、脳裏をぐずぐずになったショコラの姿がよぎった。頭を振って、そのイメージを振り払う。
「いうな、忘れてたんだから」
言い返すと、ショコラはくく、とおなかで笑った。
「だからね、ぎりぎりまで夜更かしして何なら徹夜してもいいかなって……ふわぁ」
「言ってることに身体が付いてきてねえな……ふわ」
つられてあくびが出てしまう。
「メルだって眠いんじゃん。」
「ショコラだってさっきからあくびばっかじゃねえか。」
ふわふわしながらショコラはこてんと体を横にする。
「寝たくないけど眠いんだもん。」
「ガキかよ。」
それにしてもさすがにちょっと眠い。あまり寝たくはないが、せめて自分も転がろうと帽子を脱いで、……そして、ふと思いついた。
「ショコラ。横になったままでいい。ちょっと目ぇ閉じろ。」
「ん?何なに?」
素直に目を閉じるショコラの隣で、メルは帽子を抱きしめる。
……悪いが力を貸してくれ。……これが最後だ。
帽子の名前ではなく、パピィ、と小さく呼びかけると、帽子はふわりと弱い光を放つ。
「お休み、ショコラ。いい夢見ろよ。」
その力はメルの手元に集まり、やがてショコラに吸い込まれていった。
「え?あ……うん……」
ショコラは、お休み、ともごもご口の中で呟いて、そのまま眠りに落ちていく。すや、と深く眠ったのを確認して、メルは帽子の力を解いた。
夢の世界の管理人は、悪夢を見せる力も夢で操る力も備えている。
でもそれは、悪い夢に限ったことではない。望めば優しい夢も見せることはできるのだ。
「ありがとな。」
気だるげに瞳を閉じた帽子を、枕元に置く。そして、メルも目を閉じた。
目を閉じたあと、帽子が小さく光っていたことをメルは知らない。
仕方のないやつ、というように、帽子が目を少し開いて、そしてまた閉じていたことも。
すとん、と落ちた眠りの世界で、メルはショコラと同じ夢の中で、一緒に星の間を飛び回っていた。
それは、メルが帽子に望んだ最後の夢で、帽子がメルに望んだ最後の夢だった。
お題で、ショコラとメルと悪夢(状態異常)って話を書いたつもりが何かとても違うものになりました。世界の終わりのちょっとした小旅行、最初に書く予定だったものとは全然違うものができたけど、これはこれで気に入ってる話です。