ショコラは本日何度目かわからない寝返りをうった。
時刻はとうに日付を越している。明かりも二時間は前に消した。しかし、全く眠れない。むしろ目が冴え切っている。
いつもならとっくの昔に寝ている時間だった。シャワーを浴びて各自ばらばらに部屋に引き上げていって、ごろごろとベッドに転がって漫画を読んでいると、そのうちに眠くなってきて明かりを消すのがいつものパターンだったはずだ。
しかし今夜はそうはいかなかった。
目を閉じて羊をさんざん数えたが、それも飽きたし効き目もない。時計を見ると時刻は一時。恐らく宵っ張りのドーラやダリアも寝てしまった頃だろう。
目は冴え切っていて、眠くなる気が全くしない。
これはもう起きておくしかない。そう判断すると、ショコラはむくりと起き上がった。そっと足音を忍ばせて、リビングに向かう。そして、テレビの音量を聞こえるギリギリまで低くしてからゲームの電源を入れた。
いつものオンラインゲームを立ち上げると、そこはもうモンスターが跋扈する異世界だ。
が。
『ショコラ? いい子は寝てる時間じゃねえんですか?』
一ステージ掃討し終わったところで、ぴこん、とメッセージが飛んできた。プリムローズが居たらしい。ちょっと前にヴァイオレットとたまたまゲーム内で知り合って、そのままプリムローズともつながりができた。それからはたまに共闘していたりする。今は二人ともゲーム仲間というところだろうか。サンノゼに住んでいるプリムローズ達とは、時差もあり生活時間もずれているので、あまり長時間という訳ではないのだが。
『眠れないからこっちに来ちゃった。プリムだって遅いでしょ』
ちゃっちゃと返信すると、ぷくっと膨れたスタンプが送られてくる。
『日付変わってねえからセーフです。それにそろそろ落ちますし』
『ヴィオお姉ちゃんは?』
良く遊ぶ方の名前を出すと、返事はすぐ返ってきた。
『髪乾かしてますね。そっち何時だよ、って言ってます』
『一時だよ。ヴィオお姉ちゃんそこ居るの?』
『私の髪乾かしてんだから居るに決まってます』
という事は、プリムローズは髪を乾かしてもらいながらゲームをしていたのだろうか。光景を想像すると、なんだか妙に優雅だ。
『お姫様みたいだね』
『こんな口の悪いお姫様がいるか』
プリムのキャラクターがヴァイオレットの言葉をしゃべる。コントローラを横から取り上げたのだろう。本当に近くにいたらしい。
『いつも乾かしてあげてるの?』
プリムのキャラクターは間髪入れずに頷いた。
『ほっとくと濡れた髪でくっついてくるからな』
ぷんすかしているスタンプが飛んできて思わず笑ってしまう。
『仲良しだね』
ハートマークを送ると、またしてもぷんすかしたスタンプが返ってきた。
『他人のプライベートに首突っ込むなです』
立て続けにメッセージが飛んでくる。
『もう寝るです。ショコラもさっさと寝ろです。』
何か言う間もなく、おやすみ、とスタンプが送られてきてプリムローズはあっという間にログアウトしてしまった。
なんだか気が削がれてしまって、結局ゲームを終了させる。時間は二時過ぎだが、 不安を感じるレベルで眠くない。
ベッドに戻って布団にくるまったものの、眠れる気は全くしなかった。目を閉じても開けてもダメだ。時計の針は全然動かないし夜明けまでが長すぎる。
こういう時、夢の世界にいたころはメルにかまっていたりしたのだが、残念ながらメルはサンノゼどころかドイツ在住だ。時差の都合で昼下がりくらいしか連絡も取れない……と、そこまで考えたところで止まる。
ミュンヘンとの時差は六時間ほどだ。今の時間ならあちらは朝、もしかして起きているのではないだろうか。思い立ったところで自分の端末を手に取った。
『ねーメル、起きてる?』
メルのアドレスにメッセージを送ると、意外と早く返信が返ってきた。
『朝から連絡入れてくるなんて珍しいじゃねえか。おはようさん。
今日はどうした?』
『おはよーメル
いやーそれが眠れなくってさあ。』
今二時過ぎたとこ、と伝えると、アホだろお前、と返信が返ってきた。
『ガキはさっさと寝てろ。』
返信は荒くにべもない。文字列だけなのに短気な声が聞こえるようで、慌ててメッセージを送る。
『待って待って、本当に眠れないの。』
『どうせ昼寝しすぎたとかそんな話だろ。』
文字列なのにやっぱりめんどくさそうな声が聞こえるようだ。と思うと、無性に声が聴きたくなった。
『別にそんなことしてないんだけど……そっち朝だよね、通話できる?』
『ああ、いいけどよ』
返信を見ると同時に通話に切り替える。すぐにメルの声が聞こえてきた。
「おはようさん、まったく何なんだよ。」
あきれたような声が少しかすれている。
「おはようメル。声おかしくない?そういえば学校は?」
「この時間に家にいる時点で察しろ。今日は休みだよ。
正確には風邪引いてんじゃねえのかって休ませられた。相変わらず過保護なババアだ。」
はあ、とため息の音が聞こえた。
「え、寝てなくて平気なの?」
訊くと、何いってやがんだ、と言い返される。
「そりゃお前のことだろ。ショコラに心配されるまでもねえよ、そもそも大したことねえし現在地はベッドの上だ。」
「あ、じゃあショコラと一緒だね。」
「だからテメーはさっさと寝ろって。」
ぽんぽん返ってくる文句が心地よい。
「寝るまで話付き合ってよ。ショコラもうすっごい努力したんだよ、ヒツジは百匹は数えたしマンガ読んだしゲームしたし。」
「寝る気ゼロじゃねえか。」
「寝るためにやったの! でも全然眠れないんだ。」
そこ重要ポイントだよ、と言うと、面倒くさそうな声が聞こえてくる。
「昼間に何かやったんじゃねえの? 昼寝八時間とか。」
「そんなことしてないもん。」
「じゃなきゃなんか変なもん食ったとか。」
「今日の夕飯は普通のシチューだったけど。……あ、そういえばヘンなものは食べたね。」
ヘンなものに心当たりがある、と言うと、メルはマジかよ、と驚いたようだった。
「拾い食いでもしたのか?」
「そんなことしないって。あのね、今日うちのダイニングの明かりが壊れたんだけどね。」
「はあ?」
怪訝そうな声に、あのね、と話し出す。
そう、きっかけは、電気が壊れたことだった。
よりによって夕食時を狙ったかのように、ダイニングの電気が消えた。
「きゃあ!?」
「わあ?!」
隣室の電気はついてはいるものの、あたりは一気に暗くなる。
「電球が切れたのかな。」
ドーラが暗くなった明かりを見上げながら言うと、ダリアはそんなわけがないんだがな、と首を傾げた。
「まだそんな時期じゃないはずだ。……しかしちょっと暗いな。懐中電灯はどこにあったかね?」
「玄関の棚の上ですわ。今から修理しますの?」
ナタリーが言うと、ダリアは緩くかぶりを振る。
「いや、とりあえずは料理が冷える前に食べよう。でも暗いとうっかり間違えてナタリー君のデザートまで食べてしまうかもしれないからね。」
カラカラと笑いながらダリアはさっさと席を立っていった。
「確か替えの電球ありましたよね。」
取ってきましょうか、と立ちかけるラヴィをナタリーが静止する。
「今やったら埃を被ってしまいますわ。夕食を食べてからでも大丈夫ですわよ。」
「そーだよ。ごはんが優先だよ。せっかくのラヴィの手作りなのに。」
ショコラも言うと、ラヴィはぽてんと席に戻った。そのラヴィをスポットライトのような明かりが照らす。
「あったあった。」
ダリアが戻ってきたのだった。
「これをこうして。」
そのまま冷蔵庫から引っ張り出したミネラルウォーターの上に電灯をのせると、柔らかい光がテーブルの上を照らす。
手元が見えるようになると、皆からほっと息が漏れた。
「ちょっと暗いですけど、雰囲気出てますよね。」
手元のパンを千切りながらメシュレイアが言う。
「怪談とか雰囲気出そう。」
水に当たって細かく揺れる明かりを見ながらショコラが言うと、ラヴィがふふ、と微笑んだ。
「怪談のストックなら一杯ありますよ。」
「食事に向いた話題をお願いしますわ。」
ナタリーがフォークを片手に眉をひそめる。
「では、墓場町一丁目で昔」
「そういう意味じゃありませんわよ!」
朗らかに話を始めようとしたラヴィをナタリーが遮る。
「ふふ、冗談ですよ。冷めないうちに食べて下さいね。デザートまでありますから。」
コロコロと笑ってラヴィはシチューを口にする。もう、とナタリーが口を尖らせている。薄闇の中の夕食はいつもと同じような空気で過ぎていった。
「電球が切れただけじゃねえのか?」
それにしてもお前らのとこ本当賑やかそうだよな、というメルに、まあね、と返す。
「なんか内部だったらしいよ? でも、修理できそうだからって、ダリアの部屋の工具箱取りに行ったの。」
「はー。」
ダリアの部屋に入るとまず目に入るのは大きめの作業台だ。組みかけの何かが鎮座しているが、用途はよくわからない。その奥に机とパソコン、本棚を挟んで反対側にベッドとクローゼットとチェスト。空いた壁は棚で埋まっているが、謎の本とよくわからない機械が詰まっている。全体的に雑然と片付いた印象の部屋だった。もっとも、ショコラにとっては勝手知ったる他人の部屋だ。入り口付近を見回すと、工具箱と見える赤い缶はすぐに見つかった。中身を確認してよいしょ、と持ち上げる。
と、もう一つ赤い缶が見えた。
作業台の上にある。大きさはCDより一回り小さいくらいの円形で平べったく、携帯によさそうなサイズだ。しかし、何より目を引いたのは、その赤い缶に描かれていたチョコレートの欠片だった。
「しょか……こーら? なんか偽物っぽい名前。」
工具箱をそっと置いて、チョコレートの描かれた缶へ向かう。謎の商品名に首をかしげながら缶をあけると、中には数枚のチョコレートが入っていた。ピザのような切り分け方をされたチョコレートは一口大で、とてもとてもおいしそうに見える。
「ダリアってばこんなの隠し持ってたの? もー、ショコラが味見してあげなくっちゃ。」
適当な論理で一かけらを口に入れる。
しかし、味は予想に反して甘くなかった。苦めのチョコレートと濃いめのコーヒーを混ぜたような味がする。甘さはあるが、どうしても苦みが先だつ味だ。
「……ダリアってばこんなん食べてるの……?」
あまり良い好みじゃないよね、と思いながら、ひとまず口の中でかみ砕いて飲み下す。後味までコーヒーの苦みが引いたが、水を飲むしかないだろう。
気を取り直して工具箱を持ち直すとショコラはさっさとリビングに戻ることにした。
一通り聞いたメルがくすくすと笑う。
「やっぱり拾い食いじゃねえか。ていうかそれ本当に食いもんか?」
ダリアの部屋だぞ、本当は燃料だったりしねえか、とメルはいうが、そんなわけないでしょ、と抗議をする。
「大体違うもん、味見してあげただけだもん。あんなもの食べれるなんてちょっと信じられないけど、名前はチョコっぽかったよ。
たしか しょかこーら とかいう、赤白のコーラのパチモンっぽいパッケージの。」
思い出しながら商品名を言うと、驚いたことにメルは知っていたようだった。
「あー、あれか。」
「え、メル知ってるの?」
聞くと、ああ、と返答が返ってくる。
「こっちの菓子だからな。眠れねえ原因それじゃねえの?」
意外な言葉に目を瞬く。
「え、どういうこと?」
聞くと、メルは苦笑い混じりで言った。
「あれ、無茶苦茶カフェイン入ってるんだよ。自分も前食ったとき、めちゃくちゃ目が冴えたからな。」
あの苦すぎるチョコを食べたことがある事がまず意外過ぎた。メルも自分と同じでコーヒーや何か苦いものは苦手なはずなのだ。
「食べたことあるの!? あれすごく苦くなかった?」
「苦いよなあ、あれ。ショコラのパチモンっぽい名前なのにあんなに苦いとは思わなかったわ。」
くすくす笑う声に、むうと抗議する。
「ちょっと、ショコラを怪しげなチョコと一緒にしないでよ。」
「なんでだよ、しょ か こ お ら で完全にショコラじゃねえか。」
ショ・コ・ラの音にだけアクセントをつけて、メルがけらけらと笑う。
「まあショコラと違って苦かったけどな。」
「ショコラ別に苦くもないし甘くもないもん。」
「甘いじゃねえか。あまあまの甘ちゃんだろ? 眠れないーって通話してくるようなやつだぞ?」
「むむううう。」
言い返せない。言い返せなくてうなっていると、メルは楽し気に笑った。
「現実世界に出たところでお前は変わんねえよな。なんかほっとしちまうよ。」
それが少し寂しそうにも聞こえて聞き返す。
「メルは変わったの?」
「んー、少し背は伸びたかな。」
「他は?」
「んー、わかんねえや。」
はは、と笑う声は少しかすれていた。
「ならきっと、キホン変わってないんだよ。」
「そうかもな。」
そう、多分あまり変わってない、と思う。ショコラの中では、メルは元夢の世界の管理人で大事な人で、こんな時にも話に付き合ってくれる面倒見のいい友人だ。
そういえば夢の世界の管理人だったな、と思ったところで一つ思いつく。
「ねえ、あんまり変わってないメルにお願いなんだけど。」
「なんだよ?」
「子守歌歌ってよ。」
抗議はノータイムだった。
「はあああ!? 調子乗るのもいい加減にしとけやオラ誰がするかってんだ。」
「レベッカちゃんとか小さい子相手によくやってたじゃん。」
「お前はガキかよ?」
少し不機嫌程度ではめげないメンタルは、長年の同居生活によるものだ。
「今だけ小さい子なの。」
言うと、メルは深々と息をついた。
「あのなあ、お前んとこはセーラもドーラもなんならラヴィにナタリーにダリアだっているだろが。」
そっちにやってもらえよ、と、呆れたような声が続くが、それくらいで引き下がるような生活は送っていなかった。
「今はみんな寝てるって。」
「大体お前もやってただろ。」
「そりゃあね、やってたけどね。」
言われてみれば間違いない。ぐずる小さな子相手に子守歌を歌ったりするのは、ショコラだってやってはいた。夢の世界で暮らしていた時は、それこそ日常茶飯事だったのだ。
だが子守歌はあくまで歌ってもらうものであり、自分で歌って自分を寝かしつけるのは難しい。
しかし、元夢の世界の管理人はそういうところを考慮しないようだった。
「なら自分でやれ。そしてさっさと寝ろ。今何時だよ。」
「三時前だね。」
時計を見て答えると、うへえ、と声がする。
「ほんっと仕方ねえな。」
だが、このままでは多分メルの歌は聞けないだろう。そう判断して、ショコラは自分から誘うことにした。
「ねむれよい子よ 庭や牧場に」
目を閉じてひそやかに歌いかけると、答えるように歌声が返ってきた。
「鳥も羊も みんな眠れば」
月は窓から銀の光をそそぐこの夜
ねむれ よい子よ ねむれや
そういえばメルはなぜかこの歌だった。今ならわかる。もしかしなくても小さい時にビッグママが歌っていたのだろう。
いつも楽しい 幸せな子よ
おもちゃいろいろ うまいお菓子も
みんなそろって 朝を待つゆえ
少しかすれた声が心地よい。
囁くように歌うと、聞きなれた声が歌い返す。あの世界では、この声をずっと聴いていたのだ。
いつも荒っぽいメルが、手間がかかるとげんなりしながら歌っていた歌は、それでもいつだって優しかった。見た目相応の少し高い声がゆっくり響いて、ハタで聞いていた自分もなんとなく聞き入ってしまって、思わず寝そうになったのを覚えている。
夢にこよいよ
ねむれよい子よ ねむれや
ようやく眠気のしっぽが見えてきた。
「なんか眠くなってきた」
「お前ほんっとガキだな。おやすみ。自分もひと眠りするわ。」
ふわぁ、とメルの声が途切れる。
「おやすみ、お大事にね。」
言って通話を切る。少し明るい室内は見なかったことにして目を閉じると、ショコラは今度こそ懐かしい夢の世界に落ちていったのだった。
校正したときにちょっとプリヴィオのイチャイチャを足したりしましたが、ショコラは結構何でもよく見えてて、それなのに見えてる世界は割と明るくて平和な気がします。