荷物を担いで塔に現れたショコラは、ホームに入ってくるなりそう宣言した。
「何言ってんだお前?」
メルが聞き返すと、ショコラはびしっと言い放つ。
「ここに住むって言ってるの。あっちの部屋空いてたよね?」
そう言うと、勝手知ったる他人の家とばかりに空いた部屋へと向かっていく。確かにこの夢の世界は、寝室、ベッド、クッションの数はどこの世界よりも多いし、よく眠れるからと眠りに来る奴もいるくらいだ。空き部屋もそこそこある。
「そりゃ確かに空いてるが、お前ドーラはどうした。」
ただ、ショコラは少し前に一番上の姉を亡くして、今は二番目の姉と二人で居たはずだった。しかし、もう一人の姉の名前を出した途端ショコラの顔色が変わる。
「あんな人知らないもん。」
「はー……喧嘩したのか。」
「喧嘩じゃないもん。ショコラあんなのとは縁を切るの!」
この剣幕はショコラにしてはおかしい。何よりつい最近までショコラは二人の姉にべったりだったはずだ。
「なあ、ドーラには」
「関係ない。あの人の名前言わないで。」
これはかなり重症だ。
「何かあったのか?」
「別に。しつこいよメル」
ぎっとこちらを睨んで、ショコラはぷいと空き部屋に入っていく。ショコラらしからぬ様子に肩を竦めると、メルはつい先日出来たばかりの玩具の世界に飛ぶことにした。
「おいドーラ!出てきやがれ!テメェの妹がうちに押しかけてるんだが!」
ホームと思しき場所に立って声を掛けるが当人は留守なのか返事はない。
出来たばかりの玩具の世界は、まだあちこち作成中で、遊園地らしきものは工事中だし店と思しきものも稼働している様子はなかった。今居る工場と思しきものだけは稼働しているが、当人がいないのでは意味がない。
「くそ、どこに居るんだ?」
舌打ちで今度は遊園地の方へ向かう。しかし、無人で工事中の遊園地には当然のごとくデコイの一つも居なかった。
今度は店の方だ。しかし、大きなビルの中もおもちゃが中途半端に並んでいるだけで、特に誰かいる様子はない。こちらも空振りだ。
メルは工場に戻ると、そこに居るデコイたちを見回した。
作ったばかりの世界、作られたばかりのデコイ。すべてが新品だ。だが、ドーラには今すぐ出てきてもらわなくてはならない。
「悪いが、少し付き合ってもらうぞ」
一息つくと、メルは片っ端からデコイに攻撃を始めた。
「誰だい、ボクの世界を荒らしているのは?」
攻撃を始めて余りたたないうちに、ドーラが現れた。
「お、やっと出てきたか、ドーラ。どこに居るかわからなかったんでな、呼び出させてもらった。」
「メル……呼び鈴代わりに他人の世界を荒らさないでくれる?」
眉をしかめてドーラは息をつく。
「それならさっさと出てくるか呼び鈴でも作っとけ。」
「ああそうだね。話はそれだけ?」
かなり苛立っているらしい。当然と言えば当然だが、自分だって用事もないのにそんなことはしない。
「んなわけあるかよ。
ショコラがうちに家出してきてんだ。お前何やった?」
ドーラが少し目を見開いた。
「ショコラが?そういえば姿を見ないね。今はメルの所に居るの?」
「ああ。凄ぇ剣幕だったが。」
言うと、ドーラはうーん、と目を伏せた。
「……特に心当たりはないんだけど。何か誤解があったのかな。ちょっとつれて行ってくれる?」
「あぁ?お前にゃお前の帽子があんだろが。待っててやるから自分で来い。」
まだ帽子と管理人業になれていないと思しきドーラを置いて、メルは一足先に自分のホームに戻ったのだった。
「ショコラ。なんでそんなに怒ってるの」
「ショコラ?メルにも悪いだろう?」
「ショコラ、ボクたち二人だけになってしまったのに」
「ショコラってば。」
ドーラが来たとたん開かずの間と化した部屋の前でドーラは声を掛ける。
だが、中にショコラがいるのは解るのに、応答は一つもなかった。それどころか、閉じられたままの扉からは怒りすら伝わってくる。
「おいショコラ、だんまりじゃ何にも」
「うるさいっ!!」
部屋からの応答はその一言だった。取りつくしまもない。
ドーラが小さく肩を竦める。そして、メルの袖をそっと引いた。
別の場所に行こう。その意を組んでそっと外に飛ぶ。
「こうなったショコラは何言っても聞かないな。もう少し頭が冷えてから迎えに来るよ。」
はあ、と息をついてドーラは踵を返そうとする。
「あのショコラがあんな怒り方するなんて、お前本当になにもやってないのか?」
「困ったことに全然心当たりがないんだ。最近はショコラのおやつ間違えて食べちゃうなんてこともなかったし。
そもそもボク、最近帽子持ったばかりでしょ。自分の世界でいっぱいいっぱいでさ。」
「まだ帽子の使い方も慣れてねえみたいだしな。」
言うと、そうなんだよね、とドーラは苦く笑う。
「できる事増えた分振り回されてるよ。
……でもこれでやりたい事に手が付けられる。」
呟いた声には決意がにじむ。
「そりゃ殊勝なこ……」
言いながらドーラを見上げて、声が止まった。
ドーラの琥珀の瞳には、今までのドーラには見られなかったものが宿っていた。
見たことはある。腹立たしい位身近なあいつ……ビッグママの瞳だ。ろくでもない研究に手を染め、妄信し、全てをなげうってしまう狂気の色。その瞳を持つ奴は周囲の想いには気づかない。ただ独りよがりな善を行おうとするだけだ。
「ん、どうしたの?」
きょとんと振り向くドーラの瞳には、もうその色はなかった。
まだ染まり切ってはいない、のだと思う。だが、もしかしたら妙なところで鋭いショコラはその気配を見抜いたのかもしれない。
「……お前がショコラに嫌われた理由が分かった気がするよ。」
ため息とともに言葉が零れる。ドーラの目が丸くなった。
「え、どういうこと。」
「はっきりはわかんねえよ。だが、……あいつとあいつの気持ちにも目を向けてやるこった。」
研究もいいけどな、と言うと、ドーラは困ったように眉を寄せた。
「そんな言い方されても解らないよ。」
「わからねえなら感じろ。感覚こそが世界の全て、うちの世界のルールだ。」
「なるほどメルらしいや。
……そうだね、確かにボクはちょっとショコラを構ってなかったかもしれない。」
そう言うと、ドーラは少しここで待ってて、と踵を返す。
「なんだよ?」
「ちょっと持ってくるものを思いついたんだ。今ショコラを構いに行くのはきっと逆効果だから。」
そう言ってドーラはふいっと消えた。
消えた虚空を見上げ、はあと息をつく。
あの一瞬見えた、ビッグママに似た狂気を秘めた瞳が頭から離れなかった。
確かにここの所、帽子世界には研究熱心な奴が増えた。
原因も解っている。帽子が化け物に変貌し、持ち主を食う、通称自分喰いだ。目を覆い耳を覆いたくなるような咀嚼ののち、そいつは世界ごと消えてなくなる。プロバイダーが何をやってもどうしようもなく、最後まで戦っても勝てたことはない。絶望という言葉があそこまでぴったりくる相手もないだろう。
おまけに一人目の犠牲者が出てから今の所年数人ペースでそいつは現れる。ドーラとショコラの姉であるセーラも犠牲者の一人だ。そして明日は我が身でもある。
このままでは管理人と言う管理人が食われ、世界が滅ぶ。それで、対策を探しているのだ。
あるものは術で、あるものは機械で、また別の方法で。
それでも、ビッグママのような独善と狂気が混じるような域を見せる奴はそういない。
……ただ、ドーラが秘めているのは何かそれとは少し違うような気もしていた。それを追えるほどの事情はわからないのだが。
「泣き虫ドーラが随分様変わりしちまったもんだな。」
心の中でそうつぶやく。
「お待たせ。」
思考は不意に現れたドーラによって中断された。
「早かったな。」
「うん。これを取って来ただけだったから。」
はい、と渡されたのは、ゲーム機だった。
「これどうした?」
「新開発のゲームだよ。クリスタルから直接作った。ソフトもいくらか入れてる。ショコラこういうの好きだから。」
ここテレビにつなげるようにしてるんだよね、コントローラーはこれとこれで…と説明しているドーラを見上げる。
「ショコラに渡せばいいんだな。」
「うーん……メルも一緒に遊んでくれたらうれしいな。渡しただけだと今の剣幕だったら壊されちゃうかもしれないし、それは少し悲しいからさ。」
「わかった。」
じゃあ、とドーラは踵を返した。
「ショコラをお願い。」
「ああ、さっさと仲直りしてくれ。」
「善処するよ。」
後ろ手に手をひらっと振ると、ドーラはまたふわっと消えてしまう。何度目かの虚空を眺めると、メルもホームへと飛んだのだった。
「おい、帰ったぞ」
開かずの間はまだ開かない。ただ気配が動いたのは解った。
ため息を一つ。先ほど渡されたゲーム機を、説明された通りにテレビにつなげる。そしてスイッチを押すと、軽快な音とともにゲームの選択画面が出てきた。なんとなく目についた格闘らしき何かを選択すると、すぐに格闘画面に変わった。勇ましい音楽と共にチュートリアルが始まる。
と、開かずの間の方から視線を感じた。
「ショコラ、やるか?」
「……あいつは?」
「ドーラなら帰った。」
言うと、ショコラはずずっとこちらの方に移動してきた。片側空いたコントローラーを手に取り、チュートリアルの画面とコントローラーを見比べている。
「準備OKだよ。」
「やるか。」
キャラクターを選んでスタートする。メルの黒服とショコラの白服が画面の中で向かい合う。
GET READY GO!
画面に文字が躍る。先ほど見ていたチュートリアルのようにがちゃがちゃとコントローラーを動かすと、自分の操る黒服は画面の中で華麗に技を繰り出した。
「メルの攻撃、当たらないね。」
「うっせえ。」
スカスカと外す攻撃の間を抜けて、ショコラの白服が攻撃を仕掛けてくる。一発、二発と攻撃が当たる。黒服は防戦一方だ。
「やるな。」
「ショコラ、こういうのは得意なんだ。」
ショコラの声は震えていた。ちら、と見やると、ショコラの目からは涙があふれている。
「泣いてるのか?」
気付かないふりで言うと、白服は華麗にコンボをキメだした。
「これは……メルをゲームでぼこぼこにできて、うれしいから 泣いてるの」
かなり無理のある設定に、肩を竦める。
「そうか」
黒服を操りコンボから脱出する。だが、白服はすぐに追いかけてきて、また攻撃を仕掛けてきた。
耐えきれず黒服が倒れる。
PLAYER 2 WIN の文字が躍った。
そのまま二戦目になだれ込む。今度はうって変わってメル優勢に進んだ。しかし、なんとか勝って隣を見ても、ショコラはやっぱり泣いている。
「泣いてるのか。」
「負けて悔しいだけだもん。」
画面に向きなおると嗚咽混じりの声が聞こえてきた。そのショコラを見ない様にして、三戦目をスタートさせる。
「これ、ドーラからもらったんだが。」
「わかるよそれくらい。元の奴はセーラお姉ちゃんとダリアで作ってた。人体のシミュレーションがどうのこうのって……ショコラもテストプレイしてたもん。」
ぐすぐすした声が返ってきた。画面の中の白服はぐちゃぐちゃに攻撃を仕掛けてくる。
「そうか。」
「ゲームにしたいって言いだしたのはドーラお姉ちゃんだよ。格闘がいいって言ったのはショコラなの。」
「そうか。」
黒服で受け止めながら、涙声をきく。
「セーラお姉ちゃん居なくなってから、変わっちゃったんだ」
「…そうか。」
なんとなく気持ちがわかるような気がして、少し苦しい。人の言う事に聞く耳をもたなくなっている、独善的な誰かの事を思い出してしまう。普段は怒りに転嫁する感情が、今日は悲しい。
「ゲームで気持ちが伝わるかななんて、そんな話じゃないんだよ。なのに、……あいつ何もわかってない……」
「そうだな。」
軽快な音楽とぐすぐすとした嗚咽が混ざる。
ややあって勝敗は決し、画面に PLAYER 2 WIN!の表示が躍った。
「……ここに居たいなら気が済むまで居ればいい。」
「メル?」
ショコラの視線がこちらを向いた。
「二度は言わねえ。今日からお前はメルさまの下僕一号だ。」
「ショコラ下僕は嫌だよ」
「うるせえ。居候に文句は言わせねえ。」
不服そうな声をはねのけて、ショコラのほうを見る。
ショコラの顔は涙の痕でぐしゃぐしゃだったが、それでも涙は止まったらしい。
「涙拭いとけ。さっそく仕事だ。サツ入れに行くぞ」
「さつ?」
聞き返すショコラに向きなおる。
「ドーラが帽子持っただろ。それで何人か目覚めそうだったからな、挨拶に行ってやるんだよ。
今日からてめえらはメルさまの下僕だってな。」
「それは挨拶じゃないよ。目が覚めた時の挨拶はおはよう、だよ。」
「いちいち細けえな。」
細かくないよ!普通だもん!そんな抗議の言葉は流してショコラに手を伸ばす。
「ならそいつはショコラに任せる。いくぞ。」
「うん!」
手を取ったショコラを連れて世界を渡った。
行先は始まりの部屋。
中でごそごそ気配がする。眠り姫もどうやらそろそろお目覚めらしい。
おはよう、とショコラの声が響いた。
新しい日々が、始まる。
ショコラとメルと過去話。大喧嘩してメルの所に転がり込んだのは分かるし、ドーラが何もわかってないのも、やることなすこと神経逆撫でてるのもすごくわかるんですよね。そして多分、喧嘩の原因について肝心なこと多分ドーラにもメルにも言ってないんだよねショコラ……死んでほしくないから帽子なんて得ないでほしかったって、伝えられてたんだろうか。多分やってないつか通じてないよなあ……。