オウム返したショコラの声が、か細く消えていった。
「仕方ねえだろ、喪服…ハインリヒとババアがミュンヘンで一緒に暮らすって言うんだから」
少しきまり悪そうなメルの声に、ショコラは顔を上げる。そして、ふうっと一つ息をついた。
「ううん、家族一緒に暮らせるようになって良かったと思ってるよ。メルもママと仲直り出来てショコラも安心だね。」
「別にショコラに心配されるいわれはねえが……ま、大迷惑は返上だな」
はは、と笑って見せるメルにも覇気はない。
「そうそう、それはいい事だよ。」
けどさ、とショコラは続ける。
「メルのおうち、ミュンヘンだったんだね。」
「そうらしいな。よく覚えてねえけどよ。」
二つのため息が夜空に消えた。
黒い手すりに二人分の手が置かれる。
手すりの向こうには海があった。潮の匂いは少し魚の匂いも交じり、遠くからは汽笛も聞こえてくる。静かな海だ。
空に目をやると、夜の始めの満月が浮かぶ。大きな月は海にも光の道を作っていた。
「私たち、ダリアとお姉ちゃんたちと、あとラヴィお姉ちゃんとナタリーお姉ちゃんと一緒にフィラデルフィアに行くことになったんだ。」
月に話しかけるように、ショコラは手すりにもたれる。
「そうらしいな。賑やかそうでいいじゃねえか。」
ユノー達からもババアからも聞いた、とメルは頷く。
「でもね、メルはいないんだよね」
一瞬だけ、メルが止まった。やがて、メルは首を振ってショコラから目をそらす。
「別に死に別れる訳じゃねえし、電話だってなんだってあるし、また会えんだろ。」
メルの瞳にも海に浮かぶ月が映る。
「なんかさ、今までずっと一緒に居たからさ。いなくなるのが変な感じって言うか。」
その感覚はメルも感じていた。きっと寂しいのだ。自分もショコラも。その事実を放り捨てるように声を張る。
「お前ドーラと喧嘩してうちに転がり込んできてから入り浸ってたからな。」
いつまでいるんだっつってんのに、知らないとかほざきやがるんだ。
笑って見せると、ショコラの方からも小さく笑った声が聞こえた。
「そう。そんで一日ゲームとかしてたよね。」
「パズルゲーの対戦成績はメル様の方が上だったな。」
「格ゲーはショコラが上だったもん。」
張り合った記憶はまだ生きている。きっとずっとなくならない、夢の世界の思い出だ。
「相手がいなくなるのはなんだかな……」
「ショコラも勝負するならメルと勝負したい」
零れた本音に息が震えた。
「寂しくなるね」
ショコラの声が震えている。
「……だな」
メルの声も、情けなくなるほどに震えていた。
「でも……いい事なんだよね」
ショコラの声にはもう涙が混じっている。
「バカ、泣くんじゃねえよ」
視界がぼやける。
「泣きたくて泣いてるわけじゃないもん。それにメルだって」
「うるせえ!これは目にゴミが入っただけだ」
間髪入れずに怒鳴りつけると、視界に入ったショコラは涙で顔をぐしゃぐしゃにしたまま、目を丸くしてこちらを見つめていた。
目と目があって、一秒。お互いの表情が緩む。
「また会えるよね」
「フィラデルフィアからミュンヘンなんてひとっとびだ。来たら相手してやんよ」
目に浮かぶ雫をぐいっとぬぐう。と、ショコラがぎゅうっと抱きついてきた。
「メルもこっちに遊びに来てね」
「……ま、気が向いたらな」
ショコラの背にまだ長さの足りない腕を回す。
涙なんて久しぶりだね。
だな。
小さなささやきが背中に回した手から感じられる。
その夜は、結局、二人で泣いて、なんとか笑って、それからおやすみなさいを言った。
*****
フィラデルフィアでの新生活は、夢の世界に入り浸っていた頃より数段にぎやかだ。
六人一緒に暮らしていると、朝は戦争のようなドタバタぶりだし、夜は夜で学校の課題や研究の話題やらに花が咲く。ゲームの相手も不自由しない。メシュレイアはともかくダリアは強すぎてあまり好きではないが。
新しい町の探索も楽しくて、面白いところは逐一メモしている。いつかメルが来た時につれて行けるように。その時に忘れてしまわない様にだ。
もちろん、結構な頻度でメルには連絡を取っている。メルも両親のいる新しい生活に慣れつつあるようだった。家族ごっこだと言って電話のたびにぶつぶつ言っているが、最近それも少しずつ穏やかになってきた、気がする。
そんな日々が続いたある日、ダリアがいつもより早く、ひと際爽やかな笑顔で家に戻ってきた。
「やあただいま諸君。今日はちょっとビッグニュースがあるぞ」
同居人一のトラブルメーカーの爽やかな笑顔に、家じゅうが警戒モードになる。ドーラだけは平然としていたが。
「何かあったの?」
聞くと、ダリアはとてもいい笑顔でショコラの方を見た。
「ああ。なんと私の海外出張が決まったのだよ。」
「まあ、それはおめでたいですわね。何年かかりますの?」
棘のあるナタリーの言葉に、むう、とダリアは言葉を止める。
「ナタリー君は相変わらず手厳しいな。何年って事じゃない、一週間ほどだよ。」
「あら、そうでしたの。」
「それはそれは、気を付けて行って来てくださいね」
ぽむ、と手を打つラヴィと、大した事ありませんでしたわね、と肩を竦めるナタリーの横をすうっと抜けて、ダリアがショコラの肩をつかんだ。
「え、何ダリア」
肩の手を外そうとしたが、外せない。トラブルを持ってくる時の笑顔でダリアはゆっくりと言葉をつづけた。
「出張は二週間後。行先はミュンヘンだ。」
「ミュンヘン」
同行者を一名募集しようと思ってね、とダリアの琥珀色の瞳が悪戯っぽくこちらを覗き込む。
「宿は自分で探してもらってもいい。行くかい?」
「行く!メルに電話しなきゃ!」
今度こそ肩の手を振り払うと、ショコラは電話のある所まで走り出す。
「ダリア、キミもいいとこあるよね」
「偶然だがね。引き裂かれた親友同士の涙の再会を眺めるのも乙じゃないかね」
「片方はメルだけどね」
後ろの方で聞こえてくる会話を頭からシャットアウトして、ショコラは電話を手に取った。数コールでメルが出る。
「はいよ、ショコラか。」
「メル!あのね!ダリアの出張がミュンヘンでそっちに行くよ!1週間!」
「へえ、ダリアが。」
「私もついて行くの!!」
「マジか!」
メルの声がぱあっと明るくなったのが分かった。
「二週間後にね、一週間だけなんだけどね!宿は自分で探せってダリアが言うから泊りに行っていいかな!」
「おう!あいつ……ママにも言っとく。……あ、パパ!ショコラが来るんだとよ!服買いに行くぞ!」
電話の向こうの声は明るい。はいはい、というハインリヒの声も聞こえてくる。
「ミュンヘンは寒い?」
「フィラデルフィアよりは寒いかもな。まあこっちに来たら、メル様が案内してやるよ。」
まあ悪くない街だ、とメルは言う。メルがそういう風に言うということは、きっと良い町なのだろう。
いつもの電話は気づけばミュンヘンの観光案内に成り代わっていく。
「楽しみにしてるね!」
「おう、二週間後な、首洗って待ってやがれ!」
電話を切ると、時計の長針は反対側を過ぎるまで回っていた。
ふと見ると、居間のカレンダーには既に2週間後にチェックが入っている。それにさらに花丸と月と星を足した。
自然口元が緩む。
「メル様への連絡は済みましたか?」
メシュレイアの声に顔を向ける。
「ばっちりだよ!」
ショコラは、ここ最近で一番の笑顔で頷いたのだった。
ショコメルが別々の場所に行くことと結構カラッとしてたことはちょっと実は意外だったんですよね。