オウム返しに聞いたジャニスに、ケリーは誇らしげに頷いた。
ヨウコが帽子世界を救い、あの世界の住人が外界に出た一件から少し経って、今日はそのお祝いのパーティが行われていた。あれから皆それぞれに世界中に散ったのだが、今日はデコイも月から来るとあってパーティ会場は大賑わいだ。桜の道を皆で歩いて、今度喫茶店を出すというオードリーのお茶をごちそうになって、飲んで食べて騒いで……少し落ち着いてきたころ。
ジャニスとケリーは酒のグラス片手に、テラスに涼みに出ていた。
春の夜風は涼しく、蕩けるように揺れる氷を明るく青白い月の光が照らしている。気持ちのいい夜だ。酒の力もあったのか、昔の事、今の事、あの世界から出る直前にやった決闘の事と、話はコロコロと転がって尽きることはない。
「今となっては、あの世界も楽しかったんだよな。」
片手を銃の形にして、ケリーは月を撃ち貫く。
「大剣両手に持って戦うなんて、こっちじゃほぼ無理だからな。」
笑って言うと、ケリーも軽く肩を竦めた。
「おとぎの世界、か。」
「あっちの時間も長かったから、未だに何か変な感じがするんだけどな。」
「違いない。私もそうだ。」
アルコールで潤んで悪戯っぽい瞳と瞳がぶつかって、二人で笑う。ゆったりした時間が流れるテラスに、夜の風が吹いた。からりと音を立てる氷が、時の流れを伝える。
「そして、夢から覚めたら現実が待っている、と。」
ふう、と息をついて大騒ぎの室内の方を振り返ると、中はまだまだ賑やかだった。デコイたちもはしゃいでいる。ケリーも同じように振り返って……そして、氷の溶けたグラスに口を付けた。
「これから、どうするつもりなんだ?」
少し赤い顔でケリーが問う。
「私は……まだちゃんと決められてないんだ。
ひとまずジャコウの所に世話になってるが、これからだな。」
少し情けないんだが。そう言うと、ケリーは少し慌てたようだった。
「そうか。すまない、変な事聞いたな。」
「いや、謝るような事じゃないさ。ケリーはどうなんだ?」
聞き返すと、ケリーはああ、と頷いた。
「私は警察官を目指そうと思ってる。」
さわさわと風が草を鳴らす。決意と似たほのかに青くみずみずしい匂いを連れて、涼やかな空気が辺りを撫でる。
「もともと帽子世界に行く前も警官目指してたんだ。だから、せっかく戻ってこれたからには、また目指したいと思ってな。」
しっかりした口振りは、完全に将来を見据えて動き出した人の言葉だった。
「そうか……ケリーはすごいな。」
感心していうと、ケリーは少し照れたように笑う。
「単純だというだけさ。ジャニスは、そういうのなかったのか?」
「私か?」
ぽん、と問われて聞き返す。そうだ、と頷かれて、ジャニスは苦く笑った。
「私は、帽子世界に行く前はライフセーバーをしてたんだ。」
「なんだ、お前らしいじゃないか。」
「ありがとう。仕事としても割と好きだったんだが……それでまあ殉職……生きてるから別に殉職でもないが、そんなわけでな。」
はは、と笑うと、ケリーはまた、済まない、と頭を下げた。
「また変な事を聞いたみたいだ。悪かった。」
「いいさ、事実は事実だし、私は今ここに居るんだからな。気にしないでいい。」
珍しく少し慌てたようなケリーがおかしくて笑いが漏れる。
「それで、ケリーは警察になるための勉強中なのか?」
私か? とケリーは聞き返す。頷いてみせると、ケリーの視線は少し外を見て、またこちらに戻ってきた。
「あー……、まあそうだな。
ただ、数年こっちの世界はご無沙汰だっただろう、勉強してた事と現実がちょっと離れてて苦戦中だよ。」
法律なんかも変わっているし、と苦笑いしているケリーに、それはそうだろうなと頷く。
「解る気がするよ。私も結構離れていたから、色々変わってて慣れるのに手間取ってる。
端末の使い方からジャコウに習ってるとこだ。」
持ちたてほやほやの端末を引っ張り出すと、ケリーが怪訝そうな顔になった。
「ジャニスお前、どれだけこっちを留守にしてたんだ?」
「十五年くらいか。妹のジャコウが私の年齢を追い越してしまったからな。」
言うと、ケリーは息をついて天を仰いだ。
「酒のせいにしたくはないが、今日は本当にろくでもない事ばかり聞いてしまっているな。すまない。」
「気にするな。そんな細かい事を気にするなんてお前らしくないぞ。……そうだ。」
グラスを脇に置いて、端末を顔の横に掲げる。
「良かったら連絡先を教えてくれないか。住むところが離れても、またお前と話せるように。」
言うと、ケリーは笑って頷いた。
「もちろんだ。ジャニス、お前はフィラデルフィアだっただろう? スキを見て会いに行くよ。」
グラスが脇に置かれる。端末を見せ合って、連絡先を交換する。
「ええと、友達に追加、と。」
まだ慣れない操作の後、まだあまりメンバーのいない連絡先に、ケリーの名前が表示された。
「友達、か。私たちは友達なのかな。」
言うと、ケリーは一瞬目を丸くして、くすくすと笑いだした。
「私はお前の事はずっとライバルだと思っていたぞ。」
「そうだったな。私もそう思っていた。」
言われてみればそうだ。素直に頷くと、ケリーは笑いながら聞き返す。
「本当か? 相手にする気がないのかと思っていたがな。」
一滴の拗ねを混じらせた言葉に首を振る。
「そんな事はないさ。最後の決闘だって私が言いだしただろう。私だってずっとやり合ってみたかったんだ。
それに、お前の実力は私が一番信頼していた自信あるぞ。」
ケリーは、そうか、と、少し赤くなった目元をほころばせた。
「そうだな。……私もそうだ。想いは同じだったな。」
機嫌のよさそうな声が月夜に解けて、ふうっと息をつく。
「なあジャニス。多分私たちは友だちだよ。あっちに居た頃からずっと。」
楽しそうに振り向くケリーの言葉に、そうか、と頷く。
「ずっと、か。それなら友達じゃないかもしれないな。」
笑って言うと、ケリーは怪訝そうな顔で聞き返す。
「なんだって?」
その顔がおかしくて、目元が勝手に緩んだ。
「マブダチとかいうやつじゃないのか?メル風に言うと。」
見開いた紫の目と紅い目がぴた、とあって、その瞬間ふたり同時に吹き出した。
「はは、違いない。ジャニス、お前もそう言う事言えるんだな。」
「まあ、多少はな。」
笑いながらグラスに残った酒を飲み干す。ほぼ水のようなそれは、乾いた喉に心地よかった。
「一旦戻るか?」
同じようにグラスを干して問うケリーにかぶりを振る。
「いや、もう少し涼んでいたい。ケリーはどうする?」
「それなら、私ももう少し涼むことにするよ。」
お前といる方が落ち着くんだ、とケリーは氷だけになったグラスをからりと鳴らした。
ふうわりとした月の光に照らされて、景色が青白く色を持つ。
「いい夜だな。」
「ああ、いい夜だ。」
柔らかな風がテラスを吹き抜けていった。
* * * * *
午後のうららかな光が差している。
ゆっくり広さのあるリビングで、ジャニスはノートパソコンを開いていた。
ジャニスの現在の住まいはジャコウの家である。一人で住むには十分過ぎる広さの家は、ジャコウが今まで頑張ってきた証左だろう。ジャコウは言わないが、多分に苦労もしたのだというのは察していた。
タブレットや何かもあるのだが、未だにあまり慣れなくてノートパソコンを開いてしまう。今日の調べ物は、ライフセーバー業界の現在について、だ。ケリーが言う様に五年で法律が随分変わってしまったというなら、十五年も離れていたらきっと業界も変わっているだろうとふと思いついたからだった。
赤と黄色のシンボルカラーは変わりない。だが、装備は随分変わったようだし、以前よりも事前に事故を防ぐ方向にかなり寄っている。もう少し深く探せたら、多分もっとあるだろう。さらっと触っただけでも随分違う。
知っているものとあまり様変わりしていない検索エンジンにもう一つワードを足すと、また違った話が出てきた。かつて自分がいた業界の話は懐かしくて、いくら見ても飽きない。夢中になって眺めていると、ふと背後に気配を感じた。
ジャコウだろうか。振り返ると、そこには思った通りの人物がいた。
「ジャコウ?」
ただし、その表情は凍り付いている。
「どうした、そんな顔して。」
「ジャニス。お前またその仕事をするつもりなのか?」
ジャコウの声はなぜか震えている。
「いや、別に決めたわけではないが」
「まだ懲りないのか?」
様子がおかしい。普段の冷静さが飛んでいる。
「どう」
「お前はまた死にたいのか!?」
耳元で怒鳴られて、思わず目を閉じる。ただ、怒鳴り声は今にも泣きそうな声だった。
「ジャコウ、落ち着け。」
キーンと耳鳴りがするのを無視して手を取ろうとするが、音を立てて払われてしまう。
「痛っ!」
払われた手はソファの角にガツンと音を立てて打ち付けられた。反射的にもう片方の手で覆うが、顔を上げるとジャコウは、最初に見たような辛そうな、恐ろしい物を見たような顔で固まっていた。
「ジャコウ?」
呼ぶと、ジャコウははたと気づいたように顔を動かして、ふい、と踵を返した。
「……外に出てくる。」
そのままばたばたと出て行ってしまう。
「おい?!」
パソコンを脇に置いて追いかけようとしたところで、玄関のドアが派手な音を立てて閉まるのが聞こえた。唖然としているうちに駆け足の音はあっという間に遠ざかって消えていく。
「あいつは一体どうしたんだ。」
足音が消えると、混乱交じりの緊張は解ける。だが、ジャニスはすぐに首を振って切り替えた。ジャコウの様子は明らかにおかしかった。だが、そうさせたのは自分だ。追わなくては。そしてちゃんと話さなければ。ほっといてはいけない。
ソファを飛び越えて走り出す。追う相手はもう大人のジャコウだというのに、なぜだか帽子世界に行く前に一緒に居た小さな女の子を追いかけているような、そんな心地がしていた。
エントランスを飛び出して辺りを見回すが、道を曲がってしまったのかジャコウの姿は見えなかった。まだ遠くには行っていないはずだが、右か左かどちらかわからない。とりあえず右に行ってみるが、ジャコウの姿はなかった。
「左か?」
慌てて引き返して左の方を行くも、やはり姿は見えない。どこに行ってしまったのだろうかと一つ一つ路地を確認しながら考えを巡らせる。ここから行けばすぐに線路だ。その先は川。逆側は市街地。ジャコウの性格ならどちらだろうか。
一瞬考えて川の方へ走り出した。普段ロードワークに使っている川辺の道は、街中よりは考え事に向いている。自分ならこちらに行くし、ジャコウも多分そうだと思ったのだ。
線路を抜けて川辺に出ると、夕方も近い川辺はロードワークにいそしむ者や子供と遊んでいる者などでそこそこにぎわっていた。思ったより人がいるな、と思いながら見回してジャコウの姿を探す。ロードワーク中の若者や賑やかな家族連れの間に目を凝らし、語らい合うカップルの方に目をやったところでジャコウの姿をみつけた。
川の近く、道沿いのベンチにぼんやりと座っている。
「ジャコウ!」
呼ぶと、ジャコウの顔があがった。
「ジャニス。」
ぼんやりと上がった顔に覇気はない。
「何しに来た。ほっといてくれ。」
「ほっとけるかバカ。お前が声を荒げる事なんてそうないだろう。」
近寄ると、ジャコウの眉が寄る。
「別にいいだろう。大したことない。子供じみた感傷だ。」
「大した事ないなら出て行かないだろう?」
ふい、とそらされた後髪に話しかける。返事はない。一つ息をついて、話を続けようとしたその時。
大きな水音と絹を裂くような悲鳴が川辺から上がった。
半狂乱で名前を呼ぶ声に緊急事態を察する。
「子どもが落ちた!!」
反射的に川辺によると、フェンスの隙間から小さい子が落ちたらしい。親とみられる人たちが慌てて川に入っていくがバタバタ暴れて川の中央に流されていく。
躊躇はなかった。フェンスを飛び越えて靴を蹴り飛ばし、思い切り地面を蹴る。
「ジャニ姉?!」
後からジャコウの悲鳴が聞こえたが、一瞬後には水音で聞こえなくなっていた。
ばしゃりと水中から顔を上げる。川幅は広いが、水の勢い、水温共に予想の範囲内だ。子供は数メートル上流から流されてきている。
「がんばれ!」
足のつかないところで少し水の流れに逆らう様に泳いで、子どもに当たるタイミングを計る。子どもが沈み始める前に何としても助けなければならない。
五、四、三。
息を吸って備える。
二。
子どもの後ろに回り込むように位置を調整。
一。
後ろから一息に子どもの腹を抱き捕まえる。反射的にしがみつこうとされるのは織り込み済みで、そのまま一度潜水して岸へ流れる。顔を上げて、子どもの息をつかせた。完全にパニックだがまだ反射的な息はできている。それだけ確認してもう一度水を蹴った。
子どもの力とは思えないほどに暴れる身体。水を浴びて息もつけない顔。しがみつかれて締まる首。背筋を這う嫌な感じを振り払う。飛び込んだ時点で勝算はあったのだ。気が遠くなりそうだがあともう少し。しっかり抱きかかえて岸へ向かう。あと少し。あと少し。
目の前に白い壁が見えた。護岸に手が届く。それと同時に大声が聞こえて身体が引っ張り上げられた。
荒い息で陸地を踏む。抱きしめたままの子供は命の音がした。まだ生きている。それに安堵した瞬間力が抜けた。
がく、と膝がコンクリートにつく。
「すごいぞ!!」
「ありがとう! よくやった!!」
声が聞こえる。
「水を飲んでるかもしれない……横にして、今すぐ、病院へ、連れて行ってやってくれ。今すぐだ。」
手を差し伸べ、涙ながらにありがとう、ありがとうと繰り返す女性……多分子供の母親だろう、その人に子供を渡す。
助けきれたのだ。
腕に抱いた重さが消えたとたん、本格的に力が抜けた。
手をついて荒く息をつく。そういえばこの仕事をしたのは久しぶりだった。体力的なキツさと、達成感、充実感がないまぜになった感覚。久しぶりなのに懐かしくて、嬉しくて、少し誇らしかった。
「大丈夫か!?」
降ってきたタオルに巻かれて頷く。
「大丈夫、だ。ありがとう。」
ぜえはあと息をつきながら顔をぬぐう。少し人心地ついて顔を上げると、タオルを掛けてくれたのはランナー風の人だったし、フェンスの向こうには人だかりができていた。
タオルを返して立ち上がると、暖かな拍手が沸き起こる。少し面はゆい。
だが、その感情は一瞬で冷えた。
その奥。現在地から上流側の方。
青ざめたまま立ち尽くすジャコウが見えたのだ。
「ジャコウ!」
あわててフェンスを越えて、ジャコウの元へ戻る。
ジャコウはこちらを見上げると、一瞬泣きそうな顔をした。
「馬鹿!」
叫び声と共に右ストレートが頬に決まる。
「ジャニ姉、死にたいのか!? なんでそんなに危ない事をする!?」
涙交じりの顔には怒りも悲しみも浮かんでいて、何も言えなくなる。
「またいなくなるのか!? また私を置いていくのか!?」
感情のままに胸に叩きつけられる拳。
昔は内気でこんなに怒鳴るようなことはなかった。帽子世界にいた頃も、どこか一歩引いた顔をしていた。
こんなに感情を表に出すジャコウは、もしかしたら初めて見るかもしれない。
そして、そうさせたのは自分だ。
「死なないし、置いていきもしないさ。」
悲鳴にも似た慟哭とたたきつける拳ごと、思い切り抱きしめる。
「お前がつないだ命だからな。」
心配かけて悪かった。そう言うと、胸元に暖かいものが染みてきた。
「ずっと待ってたんだ」
「そうだったな。」
涙としゃくりあげる音で言葉の大部分は言葉になっていない。ただ溢れている感情を受け止める。
自分にはその義務がある。
勝手に死んで、十五年もやきもきさせた挙句、戻ってきたと思ったら目の前でまた繰り返そうとした。調べものの時点であんなに取り乱すくらいだ。水の事故は、きっと自分よりもはるかにジャコウのトラウマになってしまったのだろう。
「もう無理だって、何回も」
「ありがとう。お前も頑張ってくれたんだよな。」
子どものようにわあわあ泣くジャコウを抱きしめて、ただ頭を撫でた。思えば一人で住むには広い家も、ジャコウの頑張りの成した事だ。でも、その頑張りのかなりの部分が自分の為だったのだと改めて自覚する。
この涙は、もしかしたら十五年、流されることなくずっと溜まっていた涙だったのかもしれない。そう思った。
どのくらいそうしていただろうか。ふるり、と身体が震えた。
春過ぎの風は暖かい。だが、全身濡れ鼠ではさすがに少し冷えてしまっていた。
それに気づいたのか、ジャコウがふっと顔を上げる。
泣きはらした目はただでさえ赤いのにさらに赤さを増していた。
「冷えたか?」
「……少しな。お前もびしょ濡れだろう。」
濡れた私にくっついていたからな、と言うと、ジャコウはバネでも仕込んでいたかのように飛びのいた。
「ジャニス、あのな」
「戻るか。シャワー掛かって着替えよう。」
これじゃどうしようもない、とTシャツの胸をつまむと、張り付いた布と肌の間に空気が入り込む。下着から何からびしょびしょだという事もそれで思い出した。
「おい姉さん。」
ふいに声を掛けられる。
「なんだ?」
振り返ると、先程タオルを貸してくれた男がメモを片手に笑っていた。
「さっきはかっこよかったぜ。それでな、あの子の両親がここに連絡入れてくれ、だそうだ。
すぐに病院に行かないといけないってんで、それだけ言付けられたんだよ。」
ほら、と渡されたメモには電話番号が書いてある。
「わかった。ありがとう。あとで掛けとくよ。」
メモを受け取ると、男はそれじゃな、と走って行った。
その背を見送って家の方へ歩き出す。
メモがにじみ切らないよう気を付けてつまんでいると、ジャコウが、ジャニス、と名を呼んだ。
「お前、あの仕事好きだったんだな。」
「……まあな。誇りには思っていたよ。」
素直に頷くと、ジャコウの声が少し固くなる。
「今でも?」
その問いにも頷くしかなかった。
「嫌いではないし誇らしい仕事だと思ってるさ。ただ避けようとは思ってる。」
「なんで」
少し驚いたようにこちらを見上げるジャコウに、ジャニスは苦笑し息をつく。
「死なない保証はないし、正直少し怖かったんだ。やっぱり前みたいにはいかない。
せっかくお前が頑張って繋いでくれた命だ。せめてもう少し安全なところで大事に使わせてもらうさ。」
「そうか。」
ジャコウはうつむき加減に頷いた。
「戻ろう。いつまでもこのカッコじゃどうしようもない」
徒歩数分の我が家へ。
「ああ」
帰る時は二人で並んで帰った。
昔みたいだな、と少し思ったが、顔が赤いままのジャコウには黙っておくことにした。
* * * * *
「お前は相変わらずだな。」
電話の向こうでケリーが笑っている。
「そうかな。」
言うと、そうとも、と力強く肯定された。
「まあ、話を聞く限り、ジャコウの方は随分丸くなったみたいだが。」
興味深げなものを見るような声に、思わず笑いが漏れる。
「本人に言うなよ、間違いなくへそ曲げるから。」
「言わんよ。私の中ではあの冷徹なプロバイダー様のまんまなんでな、意外だと思っただけだ。」
楽しそうに言うケリーこそ相変わらずだ。
「あれで昔はかわいかったんだけどな。」
「まあ子どもは誰だってかわいいもんだ。」
ふふ、と笑いながらケリーが言って、違いないと笑い合った。
あの一件から数日が経っていた。
夕飯後の緩やかな時間に呼び出し音と共に飛んできた近況報告は、そのままこちらの近況報告にもなっている。
あまり過ぎていないのに聞くこと話すことはいくらでもあった。フレデリカと偶然会った話、試験勉強漬けの日々。クリスとちょくちょく会っている事、久々に人命救助した事。
「そういえば、警察になるための勉強ってどんなもんなんだ?」
ふと気になって聞くと、ケリーは、ああ、と返事をした。
「一般常識とか体力テストとかだが。なんだ、ジャニスもこっち来るのか?」
歓迎するぞ、と言う声は楽しそうだ。
「ああ。まだちゃんと決めてはいないが……その方面もいいかと思って。」
「なんだ、進路が決まりつつあるのか?」
すっと真面目なトーンになったケリーに、そうだな、と頷く。
「人を助けられる仕事に就きたいんだ。
この間人命救助したと言っただろう。それでやっぱりあの方面が向いてる気がしてな。」
「なるほど。」
あの後、『あの仕事をしていたお前は自分の憧れだったんだ』とジャコウに言われたのは二人だけの秘密だ。
お前の職業選択にどうこう言う謂れはない、とジャコウは言っていたが、多分泣くだけ泣いたあっちが本音だろう。だが、人を助けられた高揚感と達成感、あとしっくりくる感じは何物にも代えがたいとも感じていた。
「それで具体的にパンフレットとか調べてるんだ。ケリーはどうしたのかな、と思って。」
「そういう事ならわかるだけ言うよ。友達……マブダチだからな。」
マブダチ、の響きがなんだかちょっと前の事だというのに懐かしい。
「同じ道に行けばライバルにもなれそうだな。」
そう言うと、ケリーは思いっきり笑った。
「それはいい!」
まあ焦って選ぶことはないが、と言い添えて、一つ一つ情報が聞こえてくる。メモと共に耳を傾けていると、やがてケリーは、こんなところかな、と息をついた。
「参考になるなら、いつでも聞いてくれ。」
「助かるよ。」
言うと、ケリーはこれくらいならお安い御用だ、と笑った。
「ジャニス、覚えておけ。お前がどんな道に行こうが、私はお前のマブダチでライバルだからな。」
「ああ、ありがとう。……本当にありがとう。」
心からの謝意。に、ふと思いついて言葉を続ける。
「今度は私から連絡するよ、私のマブダチ兼ライバルのケリー。」
二言目で電話の向こうの息遣いが一瞬止まり、それから思い切り明るい笑い声が聞こえてきた。
「解った。待ってるよ、親友。」
親友。いい響きだ。悪くない。
笑い合ううちに夜は更けていく。
「いい夜だな。」
「ああ、いい夜だ。」
いつかの夜のように、柔らかな風が夜の街を吹き抜けていった。
ジャニスの進路問題。でも、もともと仕事があってそれが原因で何年も繋がれてたこと考えると、たぶん水の事故に敏感なのは本人よりジャコウのほうかなというイメージはあります。本人は助けられたかどうかしかきっと考えてない気がする。