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Moonlight Princess


 瞼にさす薄明かり。むず痒いその感覚で眠りから引きはがされる。
 意識が浮上すると、目の前に見えたのはパソコンのモニタだった。ぼんやりとした頭を抱えてそこに映ったものを眺める。変な体勢で寝ていたからか、身体が少し固まっているようだ。だが、身体は割と暖かい……と思ったら、ずる、と肩から何かが落ちた。少し冷えた空気が肩を撫でて、一気に目が覚める。
 ドーラが机に伏せていた身体を起こすと、現在地はダリアの部屋だった。気づいたらいつの間にやら共用の研究室のようになってしまったダリアの部屋の、いつも使っている机のいつもの場所。どうやら、パソコンで作業しながら寝落ちしていたらしい。
 部屋の照明は気を使ってくれたのか少し暗く、肩には毛布が掛けてあった。
「寝てたのか……」
 毛布を拾い上げてからぐっと背を伸ばす。
「ダリア、ありがとう」
 言いながらダリアの方を見ると、ダリアは先ほどの自分と同じような体勢で目を閉じていた。
「……珍し。」
 先程まで自分に掛かっていた毛布片手にそっとダリアに近寄る。毛布を掛けてやるか、と思ったところでダリアのパソコンが目に入った。スクリーンセーバーを設定していなかったのか、データが表示されたままになっている。
 そういえば何を見ていたのだろうか、と毛布を掛けながら覗き込む。
 表示されているのは何かのレポートのようだった。仕事のものだろうか、少なくとも最近作っていたロボットの設計書ではない。
 並んだデータに見える文字列を追う。日付と発電量と脳波と温度、そして仮名。並ぶ単語に、背中をぞくりとしたものが駆け上がった。本文の方を見ても、脳の状態と発電についてだ。長いレポートの最初、イントロダクションまで遡ると、嫌な予感は的中した。
「これは……帽子世界の論文……? ……なんで……」
 ぼろ、と言葉が零れ落ちる。
 あの世界には良い記憶も悪い記憶もたくさんあった。過ごした時間は数十年、あそこで出来た仲間もたくさんいるし、ここに居るのもその繋がりあっての事だ。
 意志の力で世界を作る、今から考えればおとぎ話のような世界だった。だが、もう一度戻りたいかと言われたら答えは否だ。欠陥まみれの滅びかけた世界で、常に死におびえていたあの時間。どう考えても地獄だと、何度も絶望に打ちのめされたあの時間は、二度と味わいたくないものとして自分の中に残っていた。
 ぞわぞわした気持ちの悪さとは裏腹に、指は関連ファイルを次々開いていくし、目は勝手に文字を追う。
 トップテン、刺激不足による停滞、発電力低下、帽子の仕組み、自分喰いの仕組み。自分たちが苦しんだあの世界での事物は、レポートだと外側から見た一つ一つの事象サンプルとして、吐き気がするほど冷静に記録してあった。最初の実験台、帽子の実験、うまくいった事案、そのまま死んで破棄となった事案。研究なんていうのは失敗の積み重ねと承知しているし、ある一定の冷静さが求められるのは理解しているが、それも吹き飛ぶほどに突きつけられる冷淡な記録。
 セーラと思しきサンプルの、自分喰いが発生した時の発電量レポートを読み進めたところで、ドーラは耐えきれずに目を伏せた。
「……なんで……」
「ドーラくん。何をしている?」
 視界の外から、抑えた声がした。体中の毛穴が総毛立つ。
 声の主はダリアだ。化け物ではない。わかっているのに、振り向こうにも身体が凍り付いたように動かない。
「どこまで見た?」
 続く声は、聞いたことがないくらい厳しく低かった。見てはいけないものを見たのだと悟る。
「……ダリア……」
 凍り付いた身体にぐ、と力をいれてダリアの方に向き直ると、いつもの椅子に座った、恐ろしく冷淡な表情のダリアがこちらを見ていた。
「やれやれ、ドーラくんには刺激が強すぎたんじゃないかね?」
 態度に圧があるのに言葉だけが軽い。これは何かを隠していると直感した。
「……見られて都合が悪かったの?」
「……あまり見せたいものではなかったね。」
 肩を竦めてしれっという言葉にも、何か不自然さが混じる。何が目的であんなものを見ていたのか。この態度と今の言葉、状況を重ねて、一つ出てきたのは、否定してほしい要素しかない答えだった。
「またアレを作りたいの?」
 恐る恐る口に出す。声が震えたのが自分でわかった。
 ダリアの瞳が凍り付いた色になる。どこか無機質で純粋に恐怖を覚えるほどの冷たい目。殺されそうな圧に思わず身構える。しかしその瞳はこちらを一瞥すると、ふ、と伏せられた。
「そんなに構えなくていい。同居人のいるキミに手は出さない。」
 ダリアは毛布を片手に立ち上がり、それで包むようにこちらの肩を抱く。
「質問についてはノーコメントだ。いい子はさっさと寝たまえ。」
耳元の囁き声は、声の小ささと裏腹に氷のように厳然としていた。こちらが茫然としている間にそのまま部屋の外に連れ出され、毛布ごと廊下に放り出される。
「お休み、今の事は忘れるんだ。」
 唖然としているうちに、ぱたんとドアが閉まった。足音が一歩二歩遠ざかり、内から漏れる明かりも一段暗くなる。その扉に背を預けるように、ドーラはずるずると崩れ落ちた。
 いつも楽し気なダリアが、知らない人のように冷淡で厳しくて、あの氷のような瞳と圧が頭から離れない。隠し事をするにしても、あんな態度を取るなんてなかった。
 怖かったのだ。ドーラはその事実を振り払うように部屋に戻ると、そのままベッドにもぐりこんだのだった。
 
 柔らかな光の中で目が覚めた。
 小鳥の声、早く起きた家人のささやかな物音、明るく涼やかな空気。そして、自分の意が身体の隅々まで行き渡る感覚。
 朝、それも飛び切り爽やかな目覚めだ。
「アイツは毎日これを味わってたのか」
 今まで目覚めから表に出た事はなかった。少しぼんやりした頭すら心地がいい。むくりと起き上がり、傍にあった服を着る。一つ伸びをすると、フィユティーヌは部屋の外へ向かった。
「おはよう、今日は早いのね」
 顔を洗って明るく日の差すキッチンに入ると、一番に声をかけてきたのはメシュレイア……ではなくてセーラだった。振り返った顔が、きょとんと目を丸くする。
「あら、フィユティーヌなの? おはよう、珍しいわね」
「………」
 無視して通り過ぎようとすると、少しキツい声が飛ぶ。
「挨拶位したらどうなの?」
「………フン」
「そんなんで誤魔化されないわよ」
 ぐ、と腕を掴まれる。振りほどこうにも上手くいかない。
「ほら、おはよう」
 がっちり目を合わせて、一文字ずつねじ込むように告げられる『おはよう』は、まるで犬のしつけのようだ。
「……おはよう」
 しかし逃げることはできそうにない。渋々言うと腕はあっさり解放された。
「よろしい。朝御飯作ってるとこだから、あなたも手伝いなさい。お皿並べて? 働かざる者食うべからずよ。」
「チッ」
 有無を言わさぬ態度に逆らえないのはなぜだろうか。渋々棚に向かうと後ろから声がした。
「あれ、フィユティーヌ? 珍しいね、おはよー」
「おはよう。ドーラにしては朝早いと思ったら。」
「フィユティーヌさん、おはようございます」
 口々に声を掛けられて、いちいち返事をするのも面倒で適当に会釈して皿を手に取る。
「会釈するだけ成長したかしら」
 セーラが笑う。
「うるさい」
 仏頂面で言うと、他からまで笑いが聞こえてきた。引っ込もうとするが、ドーラは寝ているのかなんなのか引っ込めない。居心地が悪くてふい、と背を向ける。
「朝御飯にしましょうか。ほら、フィユティーヌも」
 六人掛けのテーブルに皿を並べ終えたところで、引っ張られて席につかされる。気付いたら目の前にはパンとサラダと紅茶が並んでいた。
 いただきます、と食事が始まってすぐ。
「折角朝からフィユティーヌなら、服を買いに行きましょうか。」
 セーラが言い出して、パンを喉につめかける。お茶で流し込もうとする傍で、ショコラの目が輝いた。
「賛成! 可愛いの買おう!」
「ドーラと見た目一緒でしょうに」
 呆れたようなナタリーにセーラは首を振る。
「フィユティーヌは元々ひらひらした服着てたし。そもそもドーラだって昔は可愛い服を着てたのよ。」
 切実に引っ込みたい。そう思っていつものように引っ込もうとするが、ドーラは寝ているのか無視しているのかやはり引っ込めなかった。
「ドーラさんも、ですか?」
 興味津々といった顔のラヴィの声が弾む。
「ええ。写真は……クリス先生が持ってたかしら。私の手元には残ってないのよね。」
「今日ついでに借りてきちゃえば?」
 ショコラが要らないことを言いだすと、セーラもそうねえと頷いた。
「焼き増ししてもらおうかしら。一枚くらい持っておきたいものね。」
 ドーラ出てこいセーラを止めろ、と願ってもドーラの気配すら感じない。過る一抹の不安をかき消すようにサラダを口にする。だが、みずみずしい味も全然不安を消してはくれなかった。
「フィユティーヌはどんな色がいい? やっぱり黒とか赤とか紫とか?」
 のんきなショコラをギリッと見るが、ショコラは意にも介さない。
「私、白系統も似合うとずっと思ってたんですよね。」
 唐突に出てきたメシュレイアの言にショコラはそれだと手を打つ。
「メシュレイア良いこと言うじゃん。」
「……あと、カニグッズをぜひ身に着けてほしくて……」
 照れた顔でこちらを見上げるメシュレイアに顔が引きつる。ドーラ頼むから変わってくれと思っても、どうやっても引っ込めない。
 こんな事は初めてだ。
「可愛い服買いにいこうね!」
「楽しみにしてますね。」
 ショコラと一緒になってニコニコしているラヴィの隣で、ナタリーがふうとお茶を啜る。
「フィユティーヌ、今日は引っ込まないんですのね。いつもならそろそろ引っ込んでいる頃合いではなくて?」
「……うるさい。」
「そういえば確かに、いつもだったら逃げていくわよね。」
 ひゅん、と入れ替わったセーラがこちらを覗き込む。
「これも成長かしら?」
「うるさいっ!!」
 ガタン、と立ち上がろうとすると、両脇からぐい、と押さえつけられた。
「お行儀が悪いわよ。」
「ご飯残しちゃ勿体ないよ。」
 こんな時ばかり二人の息はぴったりだ。振りほどけなくて渋々また椅子に座る。
 残りの朝食をなんとか詰め込んで今度こそ立ち上がろうとすると、またぐいと引っ張られた。
「なんなんだよ!?」
「ごちそうさま、は?」
 微笑むセーラの目は本気だ。
「……ご・ち・そ・う・さ・まっ!」
 言うと、ぽんと解放されてバランスを崩しかけた。しかし、それには構わずキッチンを出る。後ろから聞こえてくるため息交じりの笑い声は聞こえない。反抗期なのよね、なんて聞こえていないし、大丈夫かしら、なんて声も聞こえてないのだ。
 バタンッと自室のドアを閉めてベッドに転がる。
 今日はもう自室にひきこもってやる。そう思ったのに現実は甘くないようだった。
「フィユティーヌ、今日は服買いに行くっていったでしょ」
「フィユティーヌ、早く行こうよー」
 雑なノックと共に部屋にバタバタと入ってきた乱入者が二人。完全にショッピングモードで少し気取った格好の二人は、その格好に似合わず強引だった。
「ちょ、やめろ」
「やめない」
 ショコラとセーラはベッドに転がる身体をぐいっと引き起こすと、無駄に息の合った連携で外に引きずり出す。
「たまには外の空気吸った方がいいわよ。」
「服変えたら気分も変わるよ。大体ドーラお姉ちゃんもフィユティーヌもひきこもりすぎ。」
 ほら、カーテンもちゃんと開けなきゃ、と勝手にカーテンが開き、明るい日の光が部屋に入り込んできた。
「確かにひきこもりの気はあるわよね」
 ついでに開けられた窓からは、ふんわりとした風が空気を読まずに入ってくる。
「どうだっていいだろそんな事!」
 ズルズルと引きずられて玄関を抜ける。ショコラとセーラは朗らかに家の中にいってきますと声を掛けているが、こちらの拘束は解かれていない。
「気を付けるんですのよー」
「フィユティーヌさん、楽しんできてくださいね」
 朗らかに見送っているラヴィとナタリーにはいったいどういう光景が見えているのだろうか。唖然としているうちにも家との距離は開いていった。
 

 そして。
「ほら、ピンクだって白だって似合うじゃない」
「お姉ちゃんいつも黒ばっかりだからさあ。もっと色あった方がいいと前から思ってたんだよねえ」
 現在地はファッションビル内、衣料品店である。
 家から数百メートルほど離れたところで抵抗は諦めた。あとは絶望のまま流されるままにずるずるとファッションビルに連れ込まれ、普段からショコラたちが買い物をしている衣料品店にひきずっていかれて着せ替え人形となっている。
 ああ、そういえばドーラの奴衣装合わせ結構楽しそうにやっていたな、なんて出来上がる前の事をふと思う。黒と赤を基調にしたあのドレスを着せた時のドーラは満足げだった。『フィユティーヌ、似合ってるよ』と笑いかけていたドーラの姿は、絶望と反抗の殻を幾重にも重ねた先に埋めたつもりが大事にしまい込んだ形になっていたらしく、忘れたくても消えてくれない記憶の一つだ。
 なお現在、当人はいくら引っ込もうとしても出てきてくれず、うんともすんとも言わない。こんなに長い事出てこないのは初めてだし、こんなに長い事自分が表に出ているのも初めてだ。正直落ち着かないし、何か怖い。
「フィユティーヌ、次はこれね」
 レース襟付きの刺繍の施された淡い紫のワンピースをひらめかせてセーラが笑顔で押し付けてきたのは、各所にフリルのついたパフスリーブの白いブラウスだった。
「フィユティーヌ、これも似合うと思うよー」
 淡いサーモンピンクのハイウエストのフレアスカートを押し付けてくるショコラは、白のフリルのブラウスにサロペット型のショート丈バルーンパンツを着て、薄い空色のパーカーを羽織っている。
 怒涛のパステルカラーとファンシー攻撃を受けている気分だ。だが逆らえない。逆らうのはもうすでに諦めた。試着室に立てこもろうと中にぐいぐい押し入ってくるから意味はないのだ。
 深々と本日何回目かわからないため息をついて、試着室のカーテンをぴしりと閉める。
「あのスカート可愛かったわね。良さそうな靴あったから持ってくるわ」
「じゃあ私フィユティーヌ見張ってるね」
 外側の会話はもちろん丸聞こえだ。げっそりとしながら、フィユティーヌは押し付けられたファンシーカラーの服を手に取った。
 ふわふわのフリルのブラウスにサーモンピンクのふんわりとした膝丈スカート。オーバースカート風に薄手の布が重なり、裾は白の刺繍で飾られている。全体的に少女趣味だ。ドーラでは絶対選ばないが自分でも絶対選ばないしクローゼットにはない類の服だ。しかし身に付ければ腹立たしい位体には合った。ただ、あまりにも明るくて自分ではないような気がする。
 きっと今日買った服はことごとく箪笥の肥やしになるのだろうな、なんてふと思うが、セーラとショコラの押しの強さからすると強制的に着せられる可能性はある。まあ、ドーラが自分の作品に着せる可能性もあるから無駄にはならないか、と思い直した。
「フィユティーヌ、もう着替えた? 開けるわよ」
 外からセーラの声がする。もう戻ってきたのか、とげっそりしながらフィユティーヌはカーテンを開けた。
「あら、似合うじゃない。ほら、ここに靴あるの、履いてみて」
「すっごーい。フィユティーヌもこういうの似合う似合う! やっぱりショコラの目に狂いはなかったね!」
 足元に置かれた華奢なミュールに足を通すと、ぱああっとセーラの目が輝いた。
「すごいすごい! 可愛いですフィユティーヌさん!」
 違う。これはセーラではない、メシュレイアだ。
「あ、メシュレイアもそう思う? 似合うよね、こういうのも」
「本当、これはもったいないですよ! もっと明るい色も着ないと!」
 可愛い可愛い、と浮かれ調子のメシュレイアの声がこそばゆい。
「じゃあこれにしちゃおうよ。着て帰ったら?」
「そうね、そうしましょう。」
 ひゅん、と出てきたセーラとショコラにさっと着ていた服を回収され、ガッチリと脇を固められる。
「この格好で歩くのか!?」
「そうだよ」
「可愛く行きましょう。今日はクリス先生のとこに行くんだし」
 ちゃっちゃと会計が済まされ、タグが切り取られていく。
「まだ行くのか」
「もちろん。写真を分けてもらいに行くって言ったでしょ。」
 ありがとうございましたー! と店員に見送られて店を出ると、外は明るく晴れ渡り、通りはキラキラと光に満ちていた。まぶしくて目を細めると、気づいたのかショコラが腕を緩める。ようやく自由になった手を日にかざしている間に少しだけ目が慣れる。
「懐かしいよね。昔はドーラお姉ちゃんもそんな感じの恰好してたの。」
 そのまま歩きながらショコラが言った。
「そうそう、いつからだったかしらね、気が付いたらボーイッシュな恰好が増えて、少し寂しかったのよね。」
 言ってる傍からそうなんだあ、というキラキラした瞳がこちらを覗き込む。メシュレイアとセーラは普段からポンポン入れ替わるのだが、たまにやられるこれはなかなか慣れない光景だ。
「それはドーラの話だろう。ボクは、もともと……それなりの格好してたし。」
 烏を思わせる漆黒に深い赤のドレス。実は割と気に入っていたのは絶対に言えない事だ。
「そういえばそうですよね。私の服もドーラ様が見立ててくださってたの覚えてます。」
 あ、お揃い?お揃いかもしれませんね、なんてメシュレイアはキラキラと浮かれている。
「ドーラお姉ちゃん、お人形はかわいいの作ってたもんね」
「と言う事は、フィユティーヌはその格好にはあまり抵抗ないのね?」
 ひょいっと出てきたセーラに、フィユティーヌは深々と息をついた。
「……色合いが落ち着かない。」
「元・闇の世界の管理人さんには厳しい色だったかしら。次は少し落ち着いた色でかわいいの買いましょう。」
「でも明るいの似合ってるし! しんきかいたくはだいじだよ! また着てね!」
 力強いショコラの言にはああと息をつく。もうどうでもよくなった。ふわふわひらひらと足にまとわりつくフレアスカートは、前に着ていた黒のドレスに比べれば軽やかだし動きにくいわけでもない。服は服だ。
「私、フィユティーヌさんがそういう格好してるのとても素敵だと思います。」
 メシュレイアも嬉しそうだし。
「あなた、メシュレイアには甘いのね」
「うるさい」
 心を読んだように言われてそっぽを向く。
 クリスのいる家はもう少し先だ。買い物の合間に連絡を入れていたのか、昼は一緒に過ごすことになるようだった。
 
 広い家の玄関で、いらっしゃい、と迎えてくれたクリスは気品ある老婦人で、いつ見ても帽子世界のあの姿とはとても同一人物とは思えない。
「ほかにもお客様が来てるのよ。と言っても知り合いだから大丈夫かしら。」
 そう言って案内された応接間には、既に三人の先客の姿があった。
「久しぶりだね三人とも!」
 ショコラが声を上げる。
「ああ、久しぶりだな。」
「姉妹で来てたのか。」
 ソファでお茶を飲んでいたのはジャニスとジャコウ。
「お客様ってあなたたちだったのね」
 その隣で優雅に立ち上がったのはユノーだった。
「同じ町に住んでるのにあんまり会わないんだよね。」
 ショコラが言うと、ジャニスはそうかな、と肩を竦める。
「一月くらいかな。まあそんなもんじゃないのか。」
 ほら、座れ、とソファに座らされる。ユノーはそのままクリスの手伝いに行ってしまった。
「お前らの所の同居人とは割とよく顔を合わせるんだがな。」
 ジャコウが言いながら茶を啜る。
「え、誰?話聞いたことないよ。」
 ショコラが目を丸くする。
「なんだ聞いてないのか。」
「初耳だぞ。」
 ジャニスまで身を乗り出してきた。
「聞いてないって事はダリアかしら。」
「正解だ、セーラ。よくうちに来てるよ。」
 ジャコウが頷くと、セーラはさもありなんと肩を竦めた。
「変なところで秘密主義なのよね。」
「ジャコウも言ってくれればいいのにな。」
「……話す事は他にもあるからな。」
 他人事のように聞き流しながら、話題の人を思い浮かべる。
 そういえば昨日、何を思ったのかろくでもない研究資料を見ていた。どこで入手したのかわからないが、もしかしたら入手先はここだったのかもしれない。そして、あれを見て部屋を追い出されて自室に逃げ込むように戻ってから、ドーラは一度も出てきていない。
「もしかしてドーラが出てこない原因はそれか? ジャコウ、お前か? ダリアにあのクソ忌々しい研究の資料を渡したのは。」
 聞くと、ジャコウは目を丸くした。
「お前ドーラじゃないのか?」
「なるほど、フィユティーヌさんなのですね」
 落ち着いた声が割り込んでくる。声の方を見ると、ユノーとクリスが揃って入ってきたところだった。
「ドーラにしては珍しい服を着ているなと思っていたのよ。お人形さんみたいで可愛いし。」
 三人分のお茶を並べながらユノーが笑いかける。
「好きで着てるわけじゃない。こいつらが勝手に」
「でも、ふわふわの服にはあまり抵抗ないんだよね?」
 ショコラに邪気なく言われてぐっと詰まる。
「まあまあ、ドーラさんも前はそんな感じだったんですよ。ほら、これが言っていた写真です。」
 差し出された写真を七人で覗き込む。
 写真の中には三人の幼い姉妹が並んでいた。左からセーラ、ショコラ、ドーラだ。玄関先と見える階段に腰掛けて笑っている。
 揃いのブラウスは白いレースにパフスリーブの、今日着せられたようなデザインのもの。
 そして、リボンがあしらわれたパステルカラーのジャンパースカートの下からはフリル一杯のドロワーズが覗いている。
「そうそう。これなんですよこれ。クリス先生本当にありがとうございます。」
「そうそう、こういう服着てたよねえ」
「懐かしいわね」
 幸せそうな姿。ドーラも笑っている。……と言う事は、前はこういう格好も嫌いではなかったのだろう。
「ドーラもこんな服着てた頃があったのねえ」
「へえ、なかなか似合ってるじゃないか。」
 ニヤっと笑うジャコウから目を背けると、ジャニスがにこにこ笑っていた。
「今日の服も似合ってるよ、フィユティーヌ。」
 邪気が無さ過ぎて言い返すことも逃げ出すこともできない。ぷい、と顔を背けると、ユノーがとてもいい笑顔で微笑んだ。
「あらあら照れちゃって。顔赤いわよフィユティーヌ。」
「……!」
 反射的に引っ込もうとしたが、ドーラは相変わらず出てきてはくれなかった。
「あまり虐めないであげて。今日はドーラが出てこないもんだから内心物凄く慌ててるのよ。」
 セーラが笑う。
「知った風なことを言うな!」
 反射的に噛みつくが、事実でしょう、と肩を竦められてしまう。
「あら、今日はずっとフィユティーヌさんの日なのね。」
 クリスは少し驚いたようにこちらを見た。
「そうなんだよね、なぜか。面白いから良いけど。」
「ボクは全然面白くない。」
 ぶう、とむくれて、ジャコウの方をもう一度見る。
「おい、ダリアにあのクソ忌々しい研究資料を渡したのはお前か?」
 再度問われたジャコウは、すうっと目を細め、冷たく言い放った。
「そんなものは知らん。」
「ジャコウ」
「ジャニスは黙ってろ。」
 言下に言うジャコウの隣で、ユノーがこちらを見る。
「何かあったの?」
「昨日、ダリアの奴が」
「フィユティーヌ。中身は知らんがそれはこいつらの前で言っても良い事か?」
 びし、とジャコウに割り込まれて言葉が止まる。セーラ、メシュレイア、ショコラ。あまり聞かせたい話ではないし自分もできるなら忘れたい、と思い直して息をつく。
「……胸糞悪い研究の資料を見てた。あいつ、それを見とがめたドーラを追い出して、……それからドーラが出てこない。お前らが何かやったんじゃないのか。」
 問うとユノーとジャコウはちらと目を見合わせて首を振った。
「私らは特に何もやってはいない。」
「期待に沿えず申し訳ないけどね。
 ただね、フィユティーヌ。もしもそれが私の想像しているものならば。あまり表立っては公表されていないけど、ダリアなら簡単にアクセスできると思うわよ。彼女ハインリヒには貸しがあるから。」
 ユノーの言い方からは、完全に中身の察しはついているように見えた。
「……伝手はいくらでもあるという事か。」
 ち、と舌打ちをする。
「あー、よく話が見えないんだがつまり」
「ジャニス、お前は知らないでいい。」
 口を開きかけたジャニスをジャコウがぴしりと制止する。
「ジャコウ、その言い方はどうかと思うぞ。」
 ぶうと文句を言うジャニスの向かいでショコラがこちらを見上げた。
「つまり、ドーラお姉ちゃん、ダリアと喧嘩して拗ねて出てきてないって事?」
 正確には喧嘩したというより、ダリアが怖くて逃げてきたようなものなのだが、あまり説明もしたくなくてそのまま頷く。
「……平たく言うとそうなる。」
「今朝からダリア様には会ってないはずなんですけど」
 いつの間に入れ替わったのかメシュレイアが困ったようにこちらを見るが、困っているのは自分の方だ。
「出てきた時間ならダリアはまだ寝てただろうしな。それでも、他に原因が思い当たらない。」
「仕方のない子ねえ。」
 ひょこんと入れ替わったセーラが肩を竦めた。それを見たジャニスがぎょっとしたようにセーラを眺めている。
「ふむ。ダリアの目的は聞いたんですか?」
 クリスが穏やかに入ってきた。
「聞いたがはぐらかされた。どうせろくでもない事に決まってる。」
「フィユティーヌ、ダリアとよく一緒にいる割には辛辣だよね。」
「一緒に居るのはドーラだ。ボクじゃない。」
 呆れたようなショコラの言葉を一言で切り捨てる。大体ドーラだって似たようなものだ。
「まあ、そんなに仏頂面をしないことだよ、ムーンライトプリンセス」
 老婦人から出てくる人を喰ったような……帽子世界にいた頃のようなしゃべり方に、少し面食らって目を見開く。
「なんだそれは。」
「ダリアがあなたの事そう言ってたの。彼女本当にロマンチストよね。」
 クリスはそう言ってコロコロと笑うが、自分始め、セーラもショコラも、ジャニスですら困惑を隠せないようだった。
「あー……凄まじく気障だな。」
 呆れたようにジャニスがつぶやく。
「今度ダリアの前でそれ言ってやろうかしら。」
 セーラが言うと、ショコラはふるりと首を横に振った。
「ショコラなら死んじゃうかも」
「言うなよ。」
 釘をさすと、セーラはにっこりとろくでもない笑顔でこちらを向いた。
「そうね、先にお姫様本人が倒れるわね。」
「言・う・な、と言ってる。」
 抗議の言葉もどこ吹く風だ。
「まあ怖い。せっかくお姫様みたいな恰好してるのに。」
「わざと言ってるだろうお前!」
 噛みつくと、まあまあ、と落ち着いた声に引き離された。
「ダリアとしてはあまり聞かせたくなかった話なのでしょう。あなたたちにはまだ時期尚早と判断したんじゃないかしら?」
 クリスはどうかしら、と首をかしげる。
「……確かにそんなことを言っていた。」
「彼女は根っからの研究者みたいですからね。自分が関わった事こそドライに分析したいと思ったのかもしれない。……そうね。もしかして、その研究資料が、私の思うものならば、だけど。」
 一つ息をついて、クリスはつづけた。
「多分時が来たら話してくれると思うわ。あれは犠牲も悲しみも副産物も多かったから、あなたたちは思うところも多いでしょうけど。」
「……お前は何を知ってる?」
「確定的な事は何も。」
 直接話されたわけではないから、と、クリスは小さく肩をすくめる。
「ただ、彼女はなかなかお喋りしてくれないお姫様の事を、随分気に掛けていたわ。」
 微笑むクリスの隣で、ユノーが息をつく。
「まあ、もう一度真正面から直接聞いてごらんなさい。ダリアって普段は飄々としてるけど、図星をつかれたら中々可愛い反応するわよ。」
「なんで知ってるのそんな事。」
 怖い、とショコラがユノーを見るが、ユノーは微笑んだだけだった。
「企業秘密。あなたたちも知ってるんでしょう?」
 ナタリーにズバズバ切り込まれてたじたじになっている姿はよく見るな、などとどうでもいいことが頭を過る。
 と、軽快なチャイムの音が場に響き渡った。
「あら、デリバリーが来たみたいね。お昼は食べていきなさいな。胃袋の分だけお昼を注文しておいたのよ。」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて。」
「お手伝いします。」
 パタパタとジャニスとクリスは玄関へ行ってしまった。
「さて、お皿を用意しなくちゃね。手伝いなさい、フィユティーヌ。考えすぎると食事が喉を通らないわよ。」
 何か言う間もなく、フィユティーヌもユノーに引きずられるようにキッチンに連れていかれたのだった。
 
 クリスの家でのランチは、家にいる時と変わらないくらい賑やかだった。
 近況や思い出、ここにいない者たちの話。情報の交換に熱心だったのは主にショコラとジャニスで、セーラやユノーが補足したりジャコウが話したりして漏れ聞こえる話から、帽子世界にいた他の者もそれぞれ過ごしている事を知る。
 自分は間違ってもそういうのは好きでない。だが、ほっといてくれないメシュレイアやクリスが絶え間なく話を振るし、逃げることもできない。極力食事に意識を振り向けてはみたが、今日一日でひと月分はコミュニケーションを取らされた気がする。
 そんなわけで、クリスの家から出た時にはフィユティーヌはへとへとになっていた。
「楽しかったね!」
 クリスの家を出てからもぱあっと明るいショコラの声が、今はキンキン響いて辛い。
「ええ本当に。皆さん元気そうでしたし。」
 メシュレイアも笑う。だが、ふと気づいたようにこちらを覗き込んだ。
「フィユティーヌさんはこういうの苦手みたいですね。」
「……。」
 返事をする気力もない。
 メシュレイアはショコラと目を見合わせて、小さく肩を竦めた。
「こういう時ってフィユティーヌ大体引っ込んでたもんね。」
「ドーラがいないと辛いかしら?」
 今度はセーラだ。
「……辛いというか、落ち着かない。」
 今日は何度も何度も入れ替わろうとして失敗している。途中からは半ばあきらめた。心の中の気配は元より読めるようでさっぱり分からない。
「……あいつ消えてないよな?」
 ぽろり、と不安が零れて口を押えた。
「ダリアと喧嘩して拗ねて引っ込んだって言ってたじゃん。」
「それはそうだが。」
「ならダリアに言い返す文句考えてるんじゃない?」
 ショコラはあっけらかんとしている。少しは心配してほしい、と心の中がつぶやいた。
「私もショコラと同意見だわ。まだそこまで心配しなくていいと思うわよ。」
 セーラも頷く。
「そうか……?」
「そうに決まってるわ。一つの事考えだすと他全部放り出しちゃうの、覚えがあるでしょ。」
 言われてしまうと、確かに覚えはある。むぅ、と唸っていると、セーラが、それと、と言葉をつなげた。
「あなたがクリスにいってた研究の件。あれ、帽子世界の研究資料ね?」
 するっと発された言葉に、ぎしりと身体が固まる。
「……」
 なんでわかるんだ、とセーラをにらみつけると、セーラはくるりと振り返ってにやりと笑った。
「解るわよ。クリス先生達の反応から十分推測できる範囲内だわ。
 ドーラが出てこない件について抗議するついでに、何に使うつもりだったのか思う存分問い詰めときなさい。」
「そう言うならお前がやれ」
 言うと、セーラはひょいっと肩を竦めた。
「伝聞だけで問い詰めるなんてできないわよ。どんなデータだったのかもわからないのに。
 出来るのは、そのデータを直接見たあなたとドーラだけよ。」
 やるならお前だ、の圧が強くて、反論ができなくなる。ぐぅ、と言葉を探していると、ショコラがはーっと息をついた。
「帽子世界のデータ、かあ。何に使うつもりだったんだろうね。」
 セーラも、本当に、と頷く。
「火遊びに使うべきものじゃないとは思うけどね。」
 帰りの停留所はすぐそこだ。少し重たい空気と共に三人は帰路に就く。
 ドーラは相変わらず出てこない。
 自分の事を気に掛けていたとはいうが、それならば自分達を苦しめたアレをあいつは何に使いたいのか。家のドアを開けるまで考えは何度もそこを横切った。しかし、思い付く答えは全てろくでもない上に、どれも決め手に欠けていたのだった。
 
「ただいまー」
 家の玄関には鍵は掛かっていなかった。バタバタとショコラが先に入っていく。
「あらおかえりなさい。クリスは元気でした?」
「うん!あのね、ジャニスとジャコウとユノーも来てたの。」
「それは賑やかでしたね。」
 居間の方にはラヴィとナタリーがいたらしい。すぐに賑やかな声が聞こえてきた。
 セーラも次いで居間へ入っていく。
「ただいま、写真貰ってきたわよ。あとね……」
 ぐい、と肩を掴まれ、どん、と前に出されてつんのめる。
「見てみて、フィユティーヌの服! 似合ってるでしょ!」
「おいっ!」
「ショコラとメシュレイアとセーラお姉ちゃんで見立てたんだよ!」
 傍でショコラも自慢げだ。
「わあ、明るい色も似合うんですね。かわいい!」
 ラヴィが歓声を上げる。
「そういう格好すると随分雰囲気変わりますのね。」
 似合ってますわよ、と言うナタリーも驚きを隠していない。
「……」
 どうすればいいのかわからなくて、反射的に引っ込もうとして……やはり引っ込めなかった。
 小さな舌打ちを聞きとがめたか、セーラがこちらを覗き込む。
「フィユティーヌさん。こういうときは、ありがとう、って言えばいいんですよ。」
 メシュレイアの方だった。
「……」
 メシュレイアとラヴィとナタリーをちらりと見る。仕方ないかな、という顔、がんばれ、という顔。それに共通する純粋で好意的な視線が辛い。
 ふい、と居間の方から顔をそらし、フィユティーヌは踵を返した。しかし、駆け出して二歩も行かないうちに、どん、と突き当たる。
「おや。どこのお姫様かと思ったぞ。」
 ぶつかった先には用事はあれどもあまり会いたくない奴が居た。
「ダリアか……」
「ふむ。フィユティーヌくんか。」
 少しだけかがんだダリアとぴたりと目が合う。
「その服、とても似合っているよ。本来のキミのかわいらしさを実によく引き立てている。」
 じっと見つめる視線が、ふわっと微笑んだ。
「だが、そんなに急いでどこに行くのかな、お姫様?」
 琥珀色の瞳に吸い込まれそうになって、身体が固まる。
「あら、ダリア。こっちにきたんですのね。」
 固まっている間に、ナタリーが声を掛けた。
「皆帰ってきたみたいだったからね。
 しかし随分可愛らしくなったな。このままイメチェンする気はないかね?」
 ふわりと手が髪に触れる。少し身体が痺れるようで、また固まりかけて……我に返った。
 こんな事で固まる前に、言う事がある。大量に。恨み節も含めて。
「ダリア。話がある。ちょっと来い。」
「可愛いキミからのお誘いなら大歓げ」
 全て言い終わる前に、腕をぐいっと掴んで居間と逆方向に引きずるようにつれて行く。
 行先は、ダリアの部屋。
 ばたん、と扉を閉めると、ダリアは流石に少し驚いたようだった。
「随分積極的だね、フィユティーヌくん?」
「冗談は後だ。お前には言いたいことが山ほどある。」
 いつも座っている椅子に腰かけて、じろりとダリアをにらみつける。
「愛の言葉ならいつでもウェルカ」
「昨日お前が見ていた資料。あれは何に使うつもりだった?」
 軽口をすべて言わせずに問うと、ダリアはす、と表情を硬くした。
「そのことか。……別に何に使うという話でもない。ただの調べものだよ。」
「嘘をつけ。それなら昨日ドーラを追い出す必要はなかったはずだ。」
 詰め寄ると、ダリアはふ、と息をついた。
「キミたちには刺激が強すぎると言っただろう。現に今まで引きずってる。」
 確かに引きずっている。だが、それはあのデータだけが原因ではない。ダリアの態度にもある。
 何をしている、と問うた時の態度。アレをもう一度作るのか、と聞いた時の態度。
 凍り付いた瞳から自分が読み取れたことはきっとドーラより少ない。だから、もう一度聞いた。
「お前、また新たにあの世界を作るとか考えているんじゃないだろうな。」
「あの世界を?」
 ダリアの目が険しくなる。
「そうだ。あれの……副産物の永久機関。お前は太陽に捨てたアレにまだ未練があるんじゃないのか?」
 その瞳は、一瞬のうちに傷つき反発し燃え上がり凍り付いて、すうっと潤んだ。
「……そうか。……そうだな。」
 ふっと瞼を伏せて、また琥珀の瞳がこちらを見つめる。
「まるきりないと言ったら嘘になるな。……あれはあれで完成なんだが、本当の永久機関ではないからね。」
「もう一度聞く。お前の目的は、永久機関じゃないのか。あの神如き力をまた手に入れたいんじゃないのか。」
 再度問うと、ダリアはまた平常通りの顔に戻っていた。
「完璧なものを作りたいというのはないわけじゃない。」
「この狂科学者が。 お前はアレがボクたちをどれだけ苦しめたのかもう忘れたのか。」
 腹立たしい位冷静に、ダリアはそうだな、と肯定する。
「苦しめた、か。確かに苦しい日々だったな。
 だがね、フィユティーヌくん。結果的に私たちは瀕死からよみがえることができた。
 あれはそもそも生命維持システムだ。その観点からすると、別に失敗というわけではないのだよ。」
 冷たく、どこか棄てたような声が響く。
「生命維持装置に千人も繋ぐことが出来た上、その全てを救えたんだ。目的は果たしている。
 おまけに副産物付きだ。脳力を使った発電は売電ができるほどだった。永久機関すら実現したことになっている。その力を利用して月まで改造ができてしまった。本来なら命なきデコイにも生を与えられた。他のスパコンも使っていたとはいえ、死にかけの脳みそを千個、研究がてら五年間繋いだだけでその結果だ。まさに夢のシステムだよ。」
 つらつらと並べる文句はどこか芝居がかっていて、何かに浮かされたようにも見える。本意ではない、気はした。だが、真意はつかめない。
「あれを肯定するのか。」
「私は事実を述べたまでだ。」
「だけど、それは偶然と奇跡と努力が幾重にも重なった結果だ。
 キミはそんなまぐれを当て込んで行動を起こすようなマネはしない。目的は別にあるはずだ。」
 ふいに体の支配権が奪われた。今日一日何をやっても出てきてくれなかったドーラが、唐突に出てきたのだ。
「……ドーラくんに代わったか。」
 ふ、と息をついて、ダリアはこちらを見る。
「フィユティーヌくんは頭から私を疑っているようだったが。」
「日ごろの行いが悪いからでしょ。ボクも一日疑ってたんだけどね。
 ダリア。キミ、ボクたちに対して物凄くおせっかいなことしようとしてない?」
 真っすぐにドーラの瞳がダリアの目を見る。ダリアの表情が、ふ、と笑う様に歪んだ。
「クリスやジャコウ、ユノーにもそれとなく相談してたんだよね? 三人とも余り驚いた風でもなければ否定的でもなかったから、多分フィユティーヌが言ってたような事じゃないと判断した。
 キミは真実を隠すように立ち回ることはあっても、あまり嘘をつく方ではないから、調べものというのも嘘ではないと思った。クリスたちも目的をはっきり聞いたわけじゃないって言ってたけど、フィユの事を気に掛けていたって聞いた。それなら、ボクたちに関する事なのは解る。」
 一呼吸おいて、ドーラが答えを口にする。
「キミが考えていたのは、おそらく、ボクたちを物理的に分離できないかどうか。フィユティーヌとボク、セーラ姉さんとメシュレイアが、同時に存在できるようにすること。」
 ダリアは黙ったままだ。ただ、氷のようだった目の光が少し柔らかく、優しくなっているのが分かった。少し嬉しそうにも見えて、ああ、これは当たりなんだ、と直感的に理解する。
「そのためにはまず、自我が分離した時のデータを調べる必要があった。それで帽子世界のデータを入手した。入手先はメルのパパ? ダリアなら伝手はどこでもあるだろうってクリスは言ってたけど。」
 どうだろうか、と無言が問う。ダリアは、深く息をついて微笑んだ。
「……大したもんだ。それっぽっちのヒントからよくわかったな。」
「キミがロマンチストだったからさ。
 ボクがいると出てこられない月の光のお姫様。ボクたちも聞いたことない呼び方をクリスが知ってるってことは何かそういう関係があるのかなって思ったんだ。もしかしたら月にボクやセーラ姉さんの身体をもう一つずつ保存してるのかも、とかね。
 それに、ボクは……どうしてもキミを信じたいと願ってしまうから。」
 ダリアの瞳に映るドーラは多分困ったような顔になっているだろう。だが、それを見ているダリアも困ったような、嬉しそうな、泣きそうな顔でこちらを見ていた。しかし、感情の色が浮かぶ瞳はすぐに伏せられてしまう。
 ああ、私はやはりキミに支えられているね。
 小さな呟きののち、ダリアは研究の時と同じ真顔でこちらを見据えた。
「そこまで解ったのなら、こちらからも話そう。
 まあ、キミが言う通りおせっかいだ。いつか必要になる日が来ないとも限らないからね。と言っても一朝一夕で出来る話じゃない。だから、とりあえず下調べであのデータを入手することにした。」
「なんでボクたちに何も言わなかったの?」
「分離可能かどうか、放置した場合今後どうなるのか全て未知だからね。そんな状態で期待を持たせるのも悩ませるのも嫌だったから言わなかった。あのデータを入手する時にクリス達に相談したから、あっちには少しだけ伝えてはいるんだがね。」
 クリス達が余り心配して居なさそうだったのはそう言う事らしい。
「月の光のお姫様に朝の光を見せてあげたい、とか そういうやつ?」
 聞くと、ダリアはきゅっと眉をしかめた。
「キミ見てたのかね。」
 それがおかしくてクスリと肩をそびやかす。
「言いそうなことだって思っただけさ。じゃあまだ下調べ段階なんだね?」
 聞くと、ダリアはそう言う事だ、と頷いた。
「まあ、あのデータは刺激が強い。しばらくは私に任せてくれたまえ。」
「いや、これはボクに関わる事だから、ボクが率先するのが」
「ダメだ。」
 言葉は途中でぴしゃりと遮られた。
「なんでだよ?!」
 ダリアは当たり前だ、という顔で言う。
「自分でやると、分かれたい・分かれたくないに関わらず、どうしても試してみたくなるだろう? 私はそうだし、キミもそのはずだ。あの世界で自分の魂を分割した実績もある。
 でも、それじゃダメだ。わかるな。」
「う……でも、それは……」
 もごもご言っていると、ダリアはとん、と近づいてきた。ぽん、と頭の上に手が載る。
「ドーラくん。キミは知ってるだけでいい。私がこのことについて調べてる事を。
 そして、いざとなったら止めてほしい。前に永久機関の起動を止めに来た時のように。」
「……どういう事。」
 見上げたダリアは、なぜだか泣きそうな顔で微笑んでいた。
「あのデータを見た時、キミはまたアレを作りたいのかと言っただろう。
 そんなつもりはない、つもりだったんだが、なぜか図星突かれたような気がしたんだよ。
 あの世界を再構築し、もう一度完全なる永久機関を作りたい、それを使って分離をできないか、と考えている自分は確かにいたんだ。未練はないつもりだったんだが、思い入れがある分、やはり未練は消せないみたいでね。」
 フィユティーヌくんは察しがいい、と自嘲するように笑う。
 それは手段と目的の逆転だ。だが、それが容易に起こり得ることは自分の身に照らしても身に染みて知っていた。
「わかった。」
 頭の上に載った手を取って、胸の前でぎゅっと握る。
「昨日、キミに追い出された時、ボクが知ってるキミじゃないみたいで本当はものすごく怖かった。一日ひきこもってしまうくらいに。でも」
 でも、怖い、と感じるほどの態度も、原因を知れば怖くはない。
「ボクはダリアがボク達やセーラ姉さん達の意に沿わない事をしようとしたら、止める。
 道を踏み外しそうになったら、また止める。それでいい?」
「ああ。ありがとう。」
「こちらこそ。」
 もう片方の腕が首の後ろに回る。そのままきゅっと抱きしめられた。
 キミがいてくれたことに感謝する
 そう、腕の中で確かに聞こえたような気がした。
 
「ドーラお姉ちゃん、出てきたんだ!?」
「よかった、ちょっと安心しました。」
 リビングに戻ると、ショコラとメシュレイアが驚いた顔で出迎えた。
「まあ、たまにはね。」
「それじゃあ、本当に一日引っ込んでたのかね。フィユティーヌくんの服を買いに行ったのは聞いていたが。」
 呆れたようなダリアに、そうだよ、と頷く。
「フィユティーヌは今日一日出ずっぱりで随分疲れたみたいだったけどね。」
「あのねえドーラお姉ちゃん、あんまり出てこないのはダメだよ。
 フィユティーヌ、ドーラお姉ちゃんが消えたんじゃないかって心配までしてたんだよ。」
 責めるようなショコラに、はあい、と肩を竦める。
「今も出てこれる、ハズなんだけど、出てくる気はなさそうだね。」
 言うと、ダリアは少し眉をしかめた。
「あんまりフィユティーヌくんをいじめるんじゃないぞ。半身だろう。」
「そうだね」
 言って、そういえば、と向きなおる。
「ねえダリア」
 なんだね、とこちらを向くダリアに、ドーラはとてもいい笑顔で続けた。
「『どこのお姫様かと思った』『ムーンライトプリンセス』」
 吹きだすショコラとナタリー、肩を震わせるメシュレイアとラヴィが見える。
「『その服、とても似合っているよ。本来のキミのかわいらしさを実によく引き立てている。』」
 その手前でダリアの表情がどんどん引きつっていくのが面白い。
「……て言ってたけどよくそんな台詞思いつくよね。」
 やがて引きつり切った顔を盛大なため息とともに伏せて、ダリアは額に手を当てた。
「そういうのを一々復唱しないでくれないかね。」
 ピアスのついた耳が少し赤い。照れている。怖くないダリアだ。
 おかしさに少しの安心が混じって、ふふ、と笑う。
 それが呼び水になったように、居間は六人分の笑い声で満たされたのだった。




フィユティーヌメイン回を書こうと思ったんだと思う。最初のドーラとダリアのやり取りから適当に話を広げたような記憶があるけど。そして別にファッションショーしようとは思ってなかったんだけど。
フィユちゃんはそっけないけど、ドーラがかなぐり捨てた少女趣味をしっかり受け継いでて、ファッション何かにも結構詳しいし、メシュレイアには弱いし、お人形には優しいし、ショコラたちの着せ替え人形にされがちだと思っています。
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