校舎の正面に備え付けられた時計は15時前を指していた。五分前には、聞いていた通り少し早い下校の時間を知らせるチャイムが鳴っていたから、丁度いい時間に来れたのだろう。
少しだけ伸びた髪を、秋の少し冷たい風が揺らす。仰木にある高校の門の前。ツバメはそこからそっと門の中を伺った。
三々五々に帰っていく生徒たち。今がちょうどラッシュなのだろうか。目当ての人の姿を探して視線をさまよわせていると、奥の方から、少し早足で歩いてくる姿が見えた。
茶色っぽい髪の毛、制服の白いセーター。鞄についた小さなぬいぐるみは、先日自分が贈ったものだとすぐに気づいた。すっと背筋をのばして歩いてくる姿は、時の世界にいた時よりもずっとしゃんとしていて、かっこよく見える。
だが、視線の先にいるシキは、こちらと目線が合うなり走りだした。数秒で校門に到着すると、シキははあ、と息をつく。
「ツバメってば、先にいってていいって言ったのに。ごめん、待たせた?」
走って少し乱れた髪をかき上げるシキに、いいえ、と首を横に振る。
「ちょうど通りかかったらシキ先輩が言ってた時間だったので、一緒に行こうと思ったんです。」
先輩、の言葉はまだ少し慣れないし、なんだかこそばゆい。
「そう?それならいいんだけどさ。」
シキはそう言うと、ふふ、と相好を崩した。
今日は帰りにヨウコと待ち合わせの予定だ。ただし、早めに授業が終わったシキと自分は、ヨウコと会うまでには少し間がある。それで、待ち時間はいつもの甘味処に行こうか、となったのが今朝の話だった。
「じゃあ行こっか。」
「はい!」
並んで歩きだす。以前は少し後ろをついて行っていたな、なんて、何となく思い出した。
話しにくいから隣に来なさい、と言われて、気が付いたら隣が定位置になっていて、それから随分経った気がする。
「あんみつのつもりだったけど、ちょっと寒いね。」
ちょっと浸っているうちに、左側を歩くシキが少し肩を震わせた。
「あのお店、ぜんざいもありましたよね。」
「ああ、そういえばもうそろそろ出てる頃か。」
良い案だわ、とシキは小さく頷く。
「あそこぜんざいもイケるのよね。」
「あんこ全般美味しいですよね。」
ほかほかであっさり味のぜんざいを思い出すと、早々とあったまるような気がした。
「抹茶ぜんざいも美味しいよ。」
「あ、それは食べた事ないです。試してみようかな。」
「味は保証するわ。」
ひゅうっと冷たい風が吹いて、少し足早になる。
「それにしても本当いきなり寒くなったわね……」
「気温差で風邪ひかない様にしてくださいね、シキ様。眠る時はお布団掛けてください。」
そこら辺ですやりと眠っていた姿を思い出しながら言うと、シキは少し眉を寄せた。
「もう、ツバメってば様付け禁止!それに、今の私はそんなそこら辺で寝たりしてないし。」
キビキビ歩くし、予習復習もちゃんとやってるんだから、なんてぶつぶつ言っているのが、恐縮する前に何だかかわいく感じる。
「ふふ、失礼しました。」
「全くもう」
拗ねたように眉を寄せる。だが、直ぐにその表情は困ったようで楽しそうな笑顔に変わっていたのだった。
笑ってしゃべって歩を進めれば、目的地の甘味処までもあっという間だった。
お店のおじさんのいらっしゃいの声。店内でひと際暖かそうな窓際のひだまりの席に着くと、シキはとん、と鞄を降ろした。倣って自分も脇に鞄を置く。
「ぜんざい……抹茶も栗も美味しそう……」
メニューを眺めながらシキはうーんと少し考えるような面持ちになった。
「うーん、今日の気分は栗ね。」
「私は抹茶にチャレンジしてみます。」
「了解。
注文おねがいしまーす」
シキが手を挙げると、お店のおばさんがすぐに注文を取りに来た。注文を復唱して厨房に戻っていく背中を眺めて、ほおっと二人で息をつく。
軽く体を伸ばして、シキは腕時計に目をやった。
「ヨウコとの待ち合わせまでにはまだ……時間あるね。」
腕時計を眺めるシキの赤褐色の瞳に、白い時計がちらりと映ったのが見えて息をのんだ。
「ちょっとゆっくり出来そう……ツバメ?」
「あ、ええと、そうですね。」
慌てて取り繕うが、シキは少し眉を寄せてこちらを見つめた。
「ツバメってば、私に何かついてた?」
「いえ……」
ただ、瞳に映る時計に見覚えがあった、それだけの事だった。だが、それは容易にツバメの心を揺らす。
「なんでもないです。」
帽子世界にいた時、時の世界の管理人だったシキの瞳には時計が刻み込まれていた。その時計は、普段は沈んだ色をしていたが、帽子の力を使う時には白く輝いていて、……帽子の力を使うことが自分喰いの出現を早める事を知ってからは、見るたびに命が削られるような気がしていたのだ。
「なんでもないって顔じゃないでしょ。」
シキは困ったように肩を竦める。頬杖をついて、じっとこちらを見つめる瞳には、もう時計の影はない。
「大丈夫ですよ。」
えへへ、と笑って息をつく。
「まだ心配事があるの?」
「いえ、そんな事は。」
ゆるくかぶりをふる。
「そう?」
優しいけれど読めない表情で、シキは小さく息をついた。
「あっちの世界での事考えてたんじゃないの?」
驚いて目を見開くと、シキは少し困ったように微笑む。
「やっぱり。外の世界の事、私に隠してた時と同じ顔してたからね。」
「シキ様……」
敵わない、と改めて思った。
「何でもわかっちゃうんですね。」
「付き合いも長いからね。」
ツバメが一番苦しんでいたことには気づけなかったけど。
小さく苦笑いして頬杖をつく。少し傾いた頬に一筋の髪が落ちた。
「あのね、ツバメ。もうそんな顔する必要はないんだよ。事件のことも帽子世界でのことも何もかも、気に病む必要はないの。」
「そう、ですよね。そうなんですけど……。」
目にするたびに心をえぐられたような記憶はなかなか消えない。
シキがずっと、身体が戻ればツバメの心も救われると信じて動いてきたことは一番知っている。それでも、自分のせいでシキを殺してしまったという罪悪感と、自分の前で帽子に食われるかもしれないという恐怖は、全てが片付いた今でも心の奥底に跡を残していた。
「……つい。」
なんとか、あはは、と笑ったところでぜんざいが到着した。抹茶椀ほどのお椀に、ほかほかと湯気を立て泡立った抹茶。その上に白玉が浮かんで、甘くてあたたかい香りが広がる。
シキの方にも同じくらいのサイズのお椀につややかなあんで出来たぜんざいが供された。白玉の他に黄色くつやっとした栗がほっこりと湯気を立てている。
「いい匂いね。」
「本当に。」
いただきます、と二人で手を合わせる。
シキはさじで大きな栗をすくうと、自分が食べる前に、そうだ、とツバメの方に差し出した。
「ほら、どうぞ」
「え、でも……」
目の前に運ばれた栗とシキの表情を見比べる。
「いい?ツバメ。
あの世界は確かに問題も多かったけど、悪い事ばかりじゃなかった。
事件だって酷い話だったんだけど、……あれのおかげで、私たちは出会えたんだからさ。」
シキは、ふふ、と笑って匙を差し出した。
「これは、その記念?って言うのもあれね。確認ってことで。」
ほら、口あけなさい。
あーん、と言われて、釣られて口を開けると、その中に匙と大きな栗が入ってきた。少し冷めていて、それでもほっこり暖かい。
でも何より、至近距離のその手と顔と……匙だって本来シキの口に入るはずだったのだという事実が顔に血を上らせる。
永い事一緒にいたが、こんな事はついぞなかった。
もごもごと大きな栗を咀嚼する。美味しいはずの栗は、甘くて美味しいはずなのに、全く味が入ってこなかった。
目を白黒させているこちらを眺めながら、シキは目を細めて微笑んでいる。その表情があまりにも優しくて、綺麗で、ずっと見ていたくて、胸がいっぱいになる。
「ふふ、可愛いじゃない。リスみたい。」
頬をさしてシキが笑う。
「もう、シキさ……シキ先輩ったら……」
ようよう栗を飲み込み、紅いままの頬を抑えて抗議すると、シキはくすくすと笑って匙を自分の器に戻した。
「色々考えこんでたこと、全部飛んだんじゃない?」
言いながらマイペースに栗ぜんざいを口に運ぶ。その匙がついさっきまで自分の口の中に入っていたことを思い出して、さらに顔に血が上った。
言われるまでもなく、考え事なんて全部飛んでいる。
「もう……!!」
うつむくと、泡立った抹茶に浮かぶ白玉がこちらを見ていた。
まだ頬は紅いし、混乱している自覚もある。
でも、さっきのはシキの優しさだというのも解っていた。シキはあまりそういう事をする人ではないから、多分自分はよっぽど酷い顔をしてしまっていたのだろう。多分かなり気を遣わせてしまったのだ。
シキが言う通り、事件のことも帽子世界でのことも何もかも、全ては丸く収まった。シキの想いも解っている。だから、過去の事を思って辛い気持ちになるのを止めることはできなくても……前を向いて、傷跡を薄める努力はしたいと思った。
「……シキ先輩。」
「ん、なに?」
息を吐いて、そして深く吸い込んで、自分の匙に、抹茶と白玉をすくう。
「あーんしてください。」
雫を少し落としてからシキの口元に匙を運ぶと、シキは今度こそぎょっとした顔をした。
「いいよ。お返しのつもり?」
「それもあります。でも」
これは決意表明だ。
辛かった過去を乗り越えて、ようやくつかんだ幸せな世界。それを真っすぐに受け止める、という決意。
「シキ様も食べたいかなって思って。前も良くやってましたよね。」
だが、笑って口にするのは別の言葉だ。辛い過去の中にあった、優しくて手放したくないひと時の記憶を言葉に乗せる。
……自分の決意は自分だけが知っていればいいのだから。
「……もう。」
シキは眉を少し寄せると、甘んじて口を開けた。
「ん、やっぱり格別ね。」
ほくほくと白玉と抹茶を味わっているのだろう、シキが満足げに笑う。
「もう一口いりますか?」
「いいよ、熱いうちにツバメも食べなよ。」
ほらほら、美味しいんだから。
そんな声に押されて、ツバメはさっきまでシキの口元にあった匙を自分の口元へ運んだ。
いまだに少し照れくさくて、少し緊張して、また頬が赤くなる気がする。ばれていないだろうか、なんて思う瞬間すら何だか愛おしい。以前もやっていたのに、この感情は何時だって新鮮だ。
……願わくば、この幸せな瞬間が続きますように。
そしてその先にある未来を、この人と過ごせますように。
心中のつぶやきは願いであり、祈りだ。
少し苦い抹茶のぜんざいは、優しく甘く口の中に溶けていった。
ED後、シキ先輩の学校が終わるのを校門で待ってるツバメちゃんは絶対にいるし、制服デートの帰り道とかもあると思うしヨウコさんは居たりいなかったりすると思う、そんな話。書いてた時はヨウコさんが窓に張り付いてたりするのかなあラスト、とか思ったけど空気を壊すのもアレなので書かなかった記憶。