ここは戦の世界、バトルコロシアム。
戦の世界の中でも一番世界観を体現したこの場所は、今、残り少ないここでの時間を楽しもうとする人間でにぎわっていた。
ヨウコたちとマリスレーゼを倒してこちらの時間で2日ほどが経っていた。
この世界を脱出し、現実の世界に戻れる目途は立ったものの、さすがにその場で魔法のようにいっぺんに戻る……なんてことはなく、現在は体や何かを準備中ということで、皆それぞれにこの世界との別れを惜しんでいるところである。
特に、現実世界に出たらまず無理であろう戦闘は人気が高く、普段そこまで興味がなさそうにしている者まで、戦の世界で戦闘に興じていた。おまけに現在は帽子コンピュータなるものを繋げた影響で、どこの世界でも誰の帽子の力でも最大限引き出せるとあって、管理人たちの激しい戦いは入れ代わり立ち代わり、いつ終わるともなく続いている。バトルコロシアムは巨大なお祭り会場のようになっていた。
「ダリアも久々に出てみなーい?」
観客席を祭り見物気分で歩いているドーラの耳に、ふとそんな言葉が耳に入った。声の方に目をやると、目を見張るような真っ赤な髪の女性が二人。片方はダリア、もう片方はジャスミンだ。放送席から降りてきていたらしい。
「私がかね?」
「腐っても元最強でしょー?絶対盛り上がるしー?」
「腐っても、は余計だぞ。」
ぴしっとツッコミを入れて、ダリアは小さく息をつく。
「まあそうだな、最後だし悪くはないか。
しかし相手が居るかな?ジャニスくんもケリーくんも出てきていないだろう?」
「ダリアとやり合ってみたい子は多いんじゃなーいー?私が適当に探しとくからさ、史上最強の復活を見せてやりなよー。」
ねー、いいでしょ?と、少し間延びしつつもジャスミンの声は押しが強い。ダリアが、ふふ、と口角を上げる。
「キミがそこまで言うのなら、期待に応えないわけにはいかないな。」
楽しそうで余裕もあるのに、どこか決意のようなものを感じさせる声。昔からよく聞いていた話し方だ。
ダリアに頼みごとをした時、彼女は大体そんな話し方をして、任せたまえと頷いて、そして数日と経たずに解決してくれていた。
「そう来なくっちゃ!受付はあっちだからねー!待ってるからね!」
「はっはっは、任せたまえ!」
ダリアは片手を上げると受付の方へ悠々と歩いて行く。かつてよく見ていた光景だ。
だが、なぜか心がぴりっと引き攣れた。
「ドーラ!」
ダリアの方を目で追っていると、ジャスミンの声が耳元で響く。
「ジャスミン、いつの間に」
「うふふふー。今の話も聞いてたんでしょー?ダリアがバトルマッチ出るって言うからー気になってたんじゃなーいー?」
気付かれていないつもりだったが見られていたのだろう。なんだか気マズくて目をそらす。
「まあまあ、そんな顔しないの。ドーラも出ない?せっかくだからダリアと最後にやり合っていいと思うんだけどなー?」
「なんでボクが。」
関係ないでしょ、と首を振るが、ジャスミンはなおも食い下がる。
「師弟対決なんて盛り上がるじゃない?」
「あんな師匠もった覚えはないよ。」
「じゃあドーラに銃を教えてくれたのはだーれ?」
それは確かにダリアだ。言い返せなくて口をつぐむと、ジャスミンはにこにこ笑って肩を叩く。
「今のドーラなら勝てると思うんだけどなー。魔トリョーシカ……フィユティーヌだったっけ?一緒なんでしょう?」
「……まあ、そうだけど。」
それによって実力が増しているのもまた事実だ。
「きっとこれが最後になるからねー。スカッとブッ飛ばして気持ちよくこの世界から出て行きたくなーい?」
言いたい事、いっぱいあるんでしょう?という視線に、否はない。
「今だったらイケるって。」
一言ごとに心が動いていく。
「ダリアにサシで勝ったことないでしょ?」
元々そういう事に興味も関心も薄かったから、戦闘訓練めいたこともあまりやった記憶がない。そして、数少ないそれも、当時は実力差がありすぎて、ひたすら憧れるしかできなかった事を覚えている。
『キミの手は細工向きなんだよ』
銃を弾かれたドーラの右手を包んでそんなことを言っていた。
『まあこういう荒事は私の方が得意だろう?』
したり顔で笑うダリアの顔もセットで思い出す。
『任せたまえ。なんたって私は史上最高で最強の管理人だからね』
なぜだろうか。思い出したら急に腹立たしくなってきた。
「……そうだね。わかった。出るよ。」
頷くと、ジャスミンはぐっとこぶしを握り締めた。
「そう来なくっちゃ!これはいいカードになるわねー!受付はあっちだから早くいこー!」
足取りの軽いジャスミンにがっちり腕を取られ、半ば引きずられるようにして受付へ向かう。
あっという間に対戦カードは組みあがり、気が付けばコロシアムにはでかでかとオッズ表が貼られていた。
「賭けの対象なの!?」
「こういうのって勝手にわいてきちゃうのよねー。まあこの期に及べば特に意味はないし良いんじゃなーい?」
盛り上がるし。
拮抗しているオッズ表を眺めながらジャスミンはうんうんと頷く。
「ほらほら、さっさと控室にいきなよ。」
ひょいっと控室に送られると、ジャスミンはそのまま放送席に戻ってしまったらしい。
「さー盛り上がってまいりました!次のカードは注目のこの二人!!」
ノリノリのアナウンスと共に控室の扉が開いた。
「ドーラくんが出てくるのはちょっと予想外だったな。」
コロシアムの向かい側で、ゆるく武器を持ったダリアが笑う。
「成り行きでね。」
そっけなく言うと、ダリアはほう、と口角を上げた。
「キミが成り行きで行動するタイプなら、未来はもう少し変わっていたと思うがね。」
言葉が意地悪い雰囲気を帯びる。ダリアの誘いを断ったことは、未だに根にもたれていたらしい。
「これ以上良くはならなかったでしょ。」
鼻を鳴らして武器を構える。
「違いない。」
自嘲するように笑って小さく肩を竦める。だが次に向き合った瞳に笑みはなかった。
「始めるとしようか。」
ぞくりと背筋を冷えたものが走る。
ダリアは、すっと武器を構えると、ドーラの視線の先から外れるように方向をずらして突っ込んできた。
走る先を見越して弾を撃つが、読まれていたのか巧みに進路を変えられて当たらない。
「こんの!」
タン、と軽やかに跳ね上がったダリアの身体を狙うが、逆光で狙いが一瞬遅れる。
「遅い。」
頭上から、全方向への衝撃波と銃弾が雨あられと降り注ぎ、ドーラの意識は体と一緒に一瞬はじけ飛んだ。
ダンッ、と酷く地面に身体を打ち付けられ、もう一度跳ね上がったところで我に返る。着地したばかりのダリアから距離を取ると、意識と力がまた戻ってきたのを感じた。リザレクションとリカバリーのジェムが助けてくれたらしい。
「1アウト、といったところか。」
「そうだね。」
手段を選んでたら勝てない、と言うのだけは解った。
意識をダリアに集中させながら自分のソウルを手繰り寄せる。自分の中のフィユティーヌが目覚めるような感覚に任せて魔法を発現させる。
『デスオール』
フィユティーヌと一緒に唱えたスペルは、しかし唱え終わる前に明らかに邪魔された感覚でそのまま途切れた。
「ジャミングか!!」
意表をつかれ声が出た一瞬、ダリアの姿を見失う。慌てて防御態勢に入るが、上からはまたしても衝撃波と銃弾の雨が降り注いだ。急所を外せるようにするだけでギリギリだ。転げまわって闘技場全体に繰り出される攻撃からなんとか逃れる。
今度は意識は飛ばなかった。体力もまた戻って少し息をついた刹那、目の前に影が差し、真正面から鉄板のような大剣で叩き飛ばされる。
何が起こったのかわからないまま、十字に衝撃を受けてまたしても意識が飛んだ。
「2アウト。」
意識が戻るとそんな声が聞こえた。ぎり、と奥歯を噛んで声の方をにらみつける。
ダリアは冷徹な表情でこちらを見下ろしていた。その圧に圧倒されそうになりながらも、ぐい、と身体に力を入れて立ち上がる。
魔法は期待できそうになかった。フィユの力でジャミングを消したところでさっきの二の舞だ。それに上手くいったとしてもさっきのように途中で連撃でも喰らおうものならひとたまりもない。だが、力は自分の方がある、はずだ。フィユと二人になった分だけ、総合的に力は上がっているのは感じていた。だから今ならダリアに勝てるかもしれない、と思ったのだ。
いや、勝ちたい。
目線の先のダリアがまた攻撃体勢に入る。
その体が動き出すと同時、ドーラは足先に弾丸を打ち込んだ。早撃ちの牽制でダリアの身体が揺らぐ。揺らぐ身体めがけてもう一発。今度は読まれていたのか鉄板のような剣に弾かれた。
攻撃から防御モードのダリアに一跳びで距離を詰め、近距離から弾の尽きるまで銃弾を浴びせる。キンキンギンギンと酷い音を立てて銃弾がそこら中に跳ね散らす。
装填分を撃ち尽くしたところで、ダリアが剣を振り払った。その一瞬の防御が解けた瞬間、ドーラはダリアの懐に飛び込む。同時に帽子の力を開放し、一瞬ひるんだダリアの顎に銃のグリップを叩きつけた。
「ぐあっ!」
たまらず後方に崩れたダリアに今度こそ銃弾を雨あられと撃ちまくる。リロードと共に一歩飛び離れ、今度も銃弾の尽きるまで。
意識が飛んだのだろう。受け身を取る様子もなく、ダリアは試合場に転がった。
「……1アウト、だね。」
銃口はダリアに向けたまま、息をついて態勢を整える。だが自分の息はとても荒く感じた。
「……なるほど、強くなったな。」
目線の先では、ダリアがもぞりと立ち上がりつつある。どうやら息を整える時間など与えてはくれないらしい。口端の血をぬぐいながらギロリとこちらを睨むダリアの瞳は、黄金色に冷たく輝いていた。片手に構えた銃は既にドーラを照準に捕らえていて、迂闊に飛び出したら最後銃弾が情け容赦なく飛んでくるのは確実だ。
向かい合った銃口の間に火花が散る。
銃声は同時だった。
銃弾は翻るジャケットと帽子をかすめる。構わず突っ込んでくるダリアを、横っ飛びに避け、もう一度銃を連射する。ガチガチッと鈍く金属質な音が響く。ダリアが剣で弾丸を弾いた瞬間、ドーラはダリアの視界を避けて思い切り飛び上がった。身体を伸ばして宙返り、ダリアの死角、背後に飛び降りる。一瞬こちらを見失ったのか、こちらを見れていないダリアにまた銃弾をお見舞いした。防御が遅れた剣を持つ手を弾き、銃を持つ手に狙いを定め、あとは力の限り撃ちまくる。帽子の力まで得た弾丸は衝撃波を帯び、ダリアをその体ごと吹っ飛ばした。
重たい音を立てて剣が転がり、ダリアが転がる。
「これで同点……ッ!」
意識を飛ばしてなお銃を離さない左手に狙いを定める。
しかし、照準の先の左手は、いきなりくるりと動いて、こちらに向けて引鉄を引いた。
耳の横を銃弾がかすめ、衝撃波で耳の中を音が踊り狂う。そちらに気を取られているうちに、頭の反対側にも弾が飛んでくる。思わず目を閉じた瞬間、とんでもない力が目の前ではじけたのを感じた。
目を開けた時に見えたのは、吸い込まれそうな黄金色に光る瞳。機械仕掛けの神様の姿。そして、目の前に迫った大きな剣。
動かない体を無理やり逸らして剣の直撃を避ける。だが次に待っていたのは衝撃波を纏い地面を抉り取らんばかりの銃弾の雨だった。大口径なだけではない、解放された帽子の力とダリアの力のなせる業だろう。
なぜだろう。怖いというよりも、強くて……綺麗だ。
そう思ったのを最後に意識が飛んだ。身体が地面に叩きつけられても、もはや痛みは感じない。
暗転した意識はジェムの力で無理やりたたき起こされ、傷もふさがる。明瞭になった意識と視界には、次の攻撃に掛かろうとするダリアの姿が映し出される。間違いなくこちらに向いた銃口。機械仕掛けの神は紅い涙を流したまま冷徹にこちらを見下ろしていた。
次はない、と宣告するような光景に敗北の二文字が頭をよぎる。
その途端、身体が勝手に横に跳ね上がった。
バネのように体全体がしなるのを感じる。飛び上がりながら銃が構えられた。目線の先にはダリアの心臓。
引鉄を引くのも、着地した瞬間ダリアの頭めがけて飛び蹴りの体勢にはいるのも、懐に飛び込んだとたんに頬に思い切り肘うちを喰らわせるのも、全てがオートマチックだ。ダリアの反撃によって肩や腕をかすりながらも、よくできた人形のように飛び上がり、銃弾を撃ち続ける。
リロードついでに距離を取ったところで、口が開いた。
「勝つんじゃなかったのか、ドーラ!」
自らの怒鳴り声に身体の主導権を奪われていたとようやく悟る。フィユティーヌだ。
「選手交代か。」
銃口をこちらに向けたまま、ダリアが口を開く。
「そうまでして私に勝ちたい理由とは何だ?」
「今なら勝てるからだ!」
フィユが声を上げると、ダリアは少し驚いたように目を見開いた。だが、その眼はまたすっと眇められる。
「なるほど?
……だが違うな。それくらいの事でドーラくんはこんなところに出てこない。」
一歩ずつ、ダリアがこちらに歩みを進める。
「成り行きというのも嘘だろう。」
一言ずつが明瞭に聞こえて落ち着かない。
「嘘だろうが何だろうが」
フィユティーヌは、たん、と軽やかに飛び上がり、後方へふわりと距離を取った。
「お前に勝てればボクは何だって良い!そのクソムカつくしたり顔を歪ませてやる!」
両手を掲げ、ひらひらと踊るようにステップを踏む。
表情を変えたダリアが一気に突っ込んできたが、フィユティーヌは構わずひらりひらりとステップを踏みながら距離を取った。踊る傍から湧き上がり、闘技場を包み込むのは紛れもなくフィユティーヌの力だ。
闇の舞踏で場を変容させてしまうと、フィユティーヌは急ターンでダリアの元に飛び込んだ。
「さあ、絶望を教えようか」
構えた銃を乱れ撃ちしながらフィユティーヌが酷薄に笑う。対するダリアは剣で弾丸を跳ね返しながら、フィユティーヌの方へと一気に距離を詰めた。頬や肩を掠める弾丸も構わず、ただフィユティーヌを凍えるような瞳で見据え、剣の脇から銃口を向ける。
銃を撃つ右の肩に重たく衝撃が襲い掛かり、身体は地面に転がった。
低く激しく通る音。たった一発の弾丸なのに、込められた力と圧が人知を超えている。
「とうの昔に経験済みだ」
紅い涙を流す機械の神を従え、低く言い捨てたダリアの表情は逆光になってよく見えない。だが、その姿に隙はなく、次の攻撃までに時間が無い事は明白だった。
素早く体勢を立て直そうとするが、その身体は途中で崩れる。
「クソッ!」
思ったよりもダメージが来ていたのだ。膝が震えて力が入らない。
ダリアは何も言わず、ただ狙い定めて追撃に入った。銃弾が肩を掠め、むき出しの肩に痛みが走る。
フィユティーヌは盛大に舌打ちすると、腕の力だけでゴロゴロと転がり、その勢いで体を無理やり立て直した。
銃を持っていた右腕は直撃を喰らっただけの事はあり、痛みどころか感覚まで失われたようで全く動く気がしない。フィユティーヌが左手に銃を持ち直す。
「ドーラ、代われ!」
身体の主導権が差し出される感覚。
「お前は左で銃を使えるだろう!ガンカ」
フィユティーヌがろくでもないことを言い出す前に、慌てて体の主導権を奪う。
絶対に勝てよ、と普段は滅多に分からないフィユティーヌの意志を感じた。
「……勝つよ。」
フィユティーヌがそんなにムキになる理由はよくわからないが、自分にはムキになりたい理由がある。それは今、フィユが頑張った分だけ増えた所だ。
「もう圧倒されたりしない。ボクにはボクなりに勝ちたいって気持ちがあるんだから。」
左手一本で銃を構え、ダリアに狙いを定める。その腕のすぐ横を銃弾が掠めた。
「……利き手なしで勝つ気でいるのか?」
ダリアは、ちらりとドーラの足元に目をやり、そしてまたこちらの目を見る。その瞳に光はなく、優しさも軽薄さもない。
「諦めが悪いのは美点かもしれないが……」
そして一息に距離を詰めてきた。
まだ本調子に戻らない震える足を叱咤して身体をひるがえすが、ダリアはそれすらも読んでいたように踏み込んで剣を薙ぐ。シャープな動きの割にその力は踏みとどまれるほどに甘くはなく、ドーラはその場でバランスを崩してたたらを踏んだ。
すかさず足元に銃弾がめり込む。たたらを踏む脚がなんとかしりもちをつかずに堪え切った一瞬、止まった脚めがけて衝撃が破裂した。
「くあああっ!!」
「舐めないでもらおうか。」
重たすぎる銃弾が直撃したのだ。たまらずその場に転がると、ダリアはドーラの身体に馬乗りになり、ぐ、とドーラの鳩尾に膝を入れた。もう片足は左手へ。銃をもつ手も力が入らなくなる。
「ぐっ……」
横隔膜を抑えられて呼吸が苦しい。目の前には鉄板のような剣。腹と左腕は重みで押さえつけられ、胸元には熱い感覚があった。つんと香るのは硝煙の匂いだ。弾丸を撃ったばかりの銃が心臓に突きつけられている。
「降参は?」
機械仕掛けの神が見下ろしている。最終宣告のような冷徹な声。
「……しな……い」
鳩尾に掛かる重みが増す。苦しくなる呼吸にも負けずにダリアを睨み返す。
「ボクはキミに……勝つ。キミに勝って、……キミを変えて……やりたい。」
言いながらフィユの力を引っ張り出し、動かない右手の先に力を集める。
ダリアはかすかに目を見開き、一つ目を閉じて息をついた。
「ならば仕方ない。」
ぐ、と胸元の銃が押し付けられる。
「私にもプライドってものがある。」
胸元の引鉄が引かれるのがスローモーションのように見えた。力が集まるまであと刹那。
「デスオー……!!」
最後の一音は銃声にかき消され、ドーラの意識は暗転した。
遠くで歓声が聞こえる。熱の入った実況も。
目が覚めると、石造りの天井が見えた。
さっきまでダリアとやり合っていたはずだが、自分がここにいるという事は、自分が負けたのだろうか。
身体を起こそうとすると、ひょい、と紅い髪の毛が目に入った。
「起きたかね?」
ベッドに頬杖をつくようにして、ダリアがこちらを覗き込んでいる。
「……うん。」
これはもしかしなくても負けたのかもしれない。目を瞬いて体を起こす。
「ボクは……負けたの?」
ぼんやりと言うと、ダリアはゆるりと首を振った。
「いいや」
一気に思考が覚醒する。
「じゃあ勝てたんだね!?」
やったね、フィユ、と語り掛けようとしたが、ダリアは、あのな、と息をついた。
「私がキミに負ける訳ないだろう。」
その言い方にムっときて言い返す。
「じゃあ何なの」
「引き分けだそうだ。」
ダリアはひょい、と肩を竦めて自分もベッドに腰掛けた。ぽふんとベッドが揺れる。
「フィユティーヌくんも含め、キミにあそこまで食い下がられるとは思ってなかったよ。」
強くなったな、としなやかな手が頭を撫でる。
「いつまでもキミが最強なわけじゃないからね。」
「ほう」
「勝てるうちに勝っておきたかったんだけど」
頭を撫でる手にギリギリと力が籠った。
「そういう台詞は私を負かしてからいいたまえ。」
痛くて眉を寄せると、ぺちん、と頭を軽くはたいてダリアの手が離れていく。
「全く。」
少々機嫌を損ねた風の顔が、少し膨らんでそっぽを向く。
「ねえ、ダリア。」
「何だね。」
「ダリアって意外と『最強』にこだわってたんだね。」
そっぽを向いていた顔は、困ったように眉を寄せてこちらを振り向いた。
「別にこだわっちゃいないさ。ただの結果だからな。」
積み重ねた失敗と成功と、努力と才能。それに付随して付いてきた結果、の多分おまけなのだろう。
小さく肩を竦める姿には、それでも当然にある『最強』の自負が見える。
「でもボクに負けるのは嫌なんでしょ。」
「勝利と敗北なら勝利の方が得られる期待値が大きいからね。」
片手をひらりとひらめかせたジェスチャーは、どこかの先生のようだ。だが、余裕のある表情の後ろに隠せていない感情が見える。
勝ちは譲らない、という確固たる意志……というか意地というか執着のようなものを声音に感じて、なんとなく腑に落ちた。
「負けず嫌いか。」
手を打って言うと、ダリアは露骨に嫌そうな顔をする。
「話聞いてたかね?」
「言い方変えただけでしょ?」
むっとした顔からさらに眉が寄った。
「キミはそうかもしれないがね。」
「ボクはそんなにこだわってないよ。でも、勝てそうだから挑むんだし、挑んだからには勝ちたいのは当然でしょ。
負けるために勝負する人は相当変わってると思うけど?」
はあ、とダリアは息をつく。
「まあそれはそうだな。フィユティーヌくんに至っては、勝てれば何でもいいとまで言っていたし」
「フィユは……まあ思うところあったんじゃない?」
シンプルに嫌っている可能性もなくはないが、それは言わないことにした。ダリアはそうだね、と小さく呟く。
「思うところ、か。
キミは……キミも私に勝って私を変えたいと言ってたね。」
戦いの中で、そう言えば口走った。ダリアはじっとこちらを見つめる。琥珀の瞳は不機嫌さも消えて、水を打ったように静かだ。
「どういう意味だか教えてくれるかな?」
呑まれそうな言葉に、一つつばを飲み込んで、むりやり声を絞り出す。
「……いやだ」
ダリアの口角がにい、と意地悪く上がった。何か都合の悪いことを悟られた予感がする。しかし、逃げたほうがいいのでは、と思った時には時すでに遅く、頬にダリアの手が添えられていた。
ぴた、とくっ付いた掌は何だか大きくて暖かくて、逃げるな、という圧を感じる。
ダリアはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「他人を変えることができると思っている辺りは傲慢極まりないんだが……ドーラくんは私に勝てば私が変わるという勝算があったのだろう?」
少し揺れた金色の瞳は、自分の視線をとらえて離さない。
ジャスミンと話しているのを聞いた時にピリッとひっかかった感情。任せたまえ、と言うダリアに感じるかすかな苦さと周囲への苛立ち……心の底に沈めている本当の気持ちまで見透かされている気がする。
「どんな私がご所望だったのかな?」
どんな難しいお願いでも叶えようとする、最高で最強の管理人らしい言い方だ。でも、それは自分が一番望まない事でもあった。
ドーラは小さく首を振る。
「別にそんなんじゃないよ。……ただ……」
「ただ?」
実直に促す瞳を真正面から見てしまって、理由もなく目が潤む。
「……キミはいつだってちょっとだけ無理してるんじゃないかって思ってた。」
一言いうと、息が震える。
「手ひどい失敗だって無理を重ねた結果だろう?」
ラジオになってしまったのだって、ダメージが大きかったのは間違いない。今でこそ笑い話のように扱うが、それが実際のダメージを覆い隠せてしまっていたのは、ダリアと、自分も含めた周りのせいだ。飄々とした態度の下の想いも苦しみも辛さも全部、知らないことにして責任や重荷を押し付けたままにしていた。
「ボクらはみんな、それに気づいて見ないフリしてた。ずっとキミに甘えてた。
最高で最強の管理人はきっと期待に応えてくれるって。……きっとキミもそう思ってたんだろう?」
ずっとどこかで感じていたうしろめたさと後悔は、ダリアが自己無限増殖装置を再度起動させた時に、また表に出てきた感情だった。ラジオのままの方が無害だったのでは、と思う一方で、ダリアをそうさせたのは自分たちなのだと突きつけられた気がしたのだ。
「だから、ボクが勝てば、そんな事思わなくなるかなって。もう無理も無茶もしなくなるんじゃないかなって……思ったんだ。」
少しにじんだ視界の先で、ダリアが目を見開いた。
頬に添えられていた手が奥に滑って、ぎゅっと抱きしめられる。オイルの匂いに、硝煙と少しの汗の匂いがした。ダリアの匂いだ。
キミは優しいね、とくぐもった声が耳元で聞こえた。
瞬きをしている間に、ダリアはドーラの肩に手を置いたまま、身体を離す。
「だがね、私にも意地もあればプライドもある。
だから、キミに負けた程度でそんな簡単に折れはしないし、そんな簡単に変わりもしない。」
正確には、変わる意志がない、だろう。言葉にきっぱりとした意志と決意すら感じる。
「そうだね……あんなにこっぴどい失敗をしてもなお、有能であると讃えてくれる人が居るなら」
ダリアは一つ息を吐き、こちらをじっと見つめる。
「その期待に応えるのが私のプライドだ。」
意志の固い瞳は金色に輝いて、……すっと優しくなった。
多少無理や無茶をしてでもね。そうつぶやくダリアの目は少し細まって穏やかで、……やっぱり頑固だ。
「いじっぱり。」
素直に感想を言うと、ふふ、と瞳が笑う。
「キミにはあまり言われたくない台詞だね。」
「かっこばっかりつけてさ。ボクだって前よりずっとやれるようになったのに、なんでも一人でやっちゃってさ。そんなだからラジオなんかになっちゃうんだ。」
ぶつぶつ呟く文句は、心底からの本音だった。
本当にダリアの言動に関しては、引っかかる部分もあれば腹立たしい部分もあるし、いじっぱりだと思う部分もある。悪感情と良感情を天秤にかけたらどちらに傾くか自分でもわからない。
でも。
「そこに憧れたんだろう?」
にや、と笑ったダリアの顔面に音速で拳を叩き込んだのは、自分だったかフィユティーヌだったか分からない。
「調子に乗らないで。」
だが、二人の気持ちが一致していたのは間違いのない事なのだった。
あの世界、リザレクションとリカバリがあるから、普通に3アウト制になるので、ゆったり戦わせられて楽しかった記憶。フィユの即死技なんかも出せてよかったなあと。
ダリアはガンカタ・全サポ・・リザレクション、ドーラはガンアーツ・絶望・リザレクション・リカバリ、のつもりで書いてたんじゃなかったかな。