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球体人間がみてる

 あれは、自分が帽子を得てすぐの頃。

 「やあ、とうとう管理人になったんだな」
 出来立ての玩具の世界に現れたダリアは、軽やかに着地するとドーラに向かって歩いてきた。
 そこにあるのはまだまだ余白のある広い大地、青い空の広がる世界に、玩具工場、こじんまりした玩具店、そして玩具たちが遊ぶためのリゾートのような遊園地が立ち並ぶ。ただしまだ、全て作りかけで、組みかけのブロックパズルのような様相だ。
「ダリア。ようこそボクの世界へ」
 ガタンガタンと組み音が響く広場で、出迎えようとドーラが一歩踏み出すと、ダリアは手でそれを制止した。
「待ちたまえ」
「何?」
 止まっている間に、とんとん、とダリアが近寄ってくる。そして、ほい、と帽子の後ろに手を掛けた。
 唐突に近づきすぎた距離に思わず目を見開く。
「帽子が絡まってる。」
 長い後ろ部分が解けると、バランスが少し変わって均衡が取れた。
「身だしなみには気を配りたまえ。いつだって帽子が見ているからね。」
 整った顔が至近距離に見える。薄い唇が、キミにはもう意味が分かるだろう、と動いて思わず頷く。だが、流されるまま頷いて、ハタと気づいた。
「別に言ってくれたら自分でやったのに。」
 一歩引いて肩を竦めると、ダリアはふふ、と笑った。
「なあに、後何度こういうことが出来るかわからないからな。」
「もう二度とないと思うんだけど?」
「寂しいことを言わないでくれたまえ。なかなか可愛い帽子なのに。」
 伸びてきた手をぺん、と払うと、ダリアは肩をすくめて先程解いた後ろ部分を手に取った。
「キミは一体何を願われたんだろうね。ドーラくんをよろしく頼むよ。」
 止める間もなく、ちゅ、と口づける。
 その瞬間、感情などあるはずのない帽子が、なんだか微妙に嫌な顔をしたような気がした。
「ボクの帽子に何やってるの。」
 帽子を取り返すと、ダリアは首をかしげる。
「おや、キミにも必要だったかね?」
「要らないよ。」
 いつものようなセリフにため息で返すと、ダリアはひょいと肩を竦めた。
「それは残念。
  さて、それじゃあそろそろ本題だ。キミの世界を案内してくれるかな?」
 ニコッと笑って手を差し出す。
 開いて差し出された手をじっと眺め、ドーラはダリアの顔を見上げた。
「引きずっていけってこと?」
「手に手を取って、とかやり方はあるだろう?私は文字通りここの事は右も左もわからないんでね。」
 それもそうかもしれない。とりあえず手を取ると、手はぎゅっと掴み返される。
「じゃあ、まずはボクのホームに案内するよ。まだまだ未完成なんだけど。」
「未完成状態を見れるっていうのがいいんじゃないか。よろしく頼むよ。」
 頷く。そして手を取ったまま、……一つ息をついた。
 自力で瞬間移動は可能になったものの、実はまだ慣れてはいない。帽子の力は未知で、全てを理解するのも使いこなすのもまだまだだし、上手く飛べるかも今はまだ不安が勝る。
 他方、手を握っているダリアは、自分が目覚めた時には既に管理人をやっていた。ベテランと言えばベテランで、今はそれが少しだけ心強い。
 こんな時ばかり何も言わず待っているダリアの手を取ったまま、一つ床を蹴る。
 一つ数える間もなく、周囲の景色は変わっていた。
 ピンク色とモノトーンを基調にした、とりあえず暮らせる程度のシンプルな部屋の中。遊園地のリゾートホテル風の一角にあるホームの窓からは、作りかけの遊園地が良く見えた。
 転移成功だ。ようやく慣れてきた部屋で息をつく。そしてダリアの方を見上げた。
「ようこそ、ボクのホームへ」
 言うと、ダリアはにっと笑みを深める。そして、繋がれた手を顔の前に差し上げた。
「ようこそ、管理人(こちらがわ)の世界へ。転移もすぐ慣れるから安心するといい。」
 見透かされているようで少し面白くない。ダリアはそれを認めたか小さく笑った。
「まあそうむくれる事はない。いいホームじゃないか。」
 きっと良い世界になるんだろうな、と。少しまぶしいような笑顔がなぜだか印象に残っていた。
 
 
 ダリアが永久機関起動実験に失敗し、身体を失ったのは、それからほどなくしてだった。

 最初に見た時は、変わり果てた姿に言葉が出なかった。
 これがダリアだ、と言われた「もの」は白く殺風景な部屋のテーブルの上に、安置されるように置いてあった。人ではない、モノだ。右から見ても左から見てもステレオのラジオで、そこにはあのダリアの面影なんてどこにもなかった。
 何でこんな事に、なんて多分当人が一番思っているであろうことが、口をついて出そうになった。
「なんで、と言う顔をしているね。私もそう思ってるとも。」
 情けないものだろう、と自嘲する声が男の声で、もう一つ驚いた。ただ、息遣いや喋り方は確かにダリアだ。これはダリアなのだ、と改めて認識する。
「実験は失敗した。私の世界はデコイに埋め尽くされて価値観も何もかも壊れてしまった。
 期待に沿えなくて申し訳ないが、また最初から……これじゃ、もうやり直すこともできないがね。」
 いつも余裕たっぷりで飄々としているダリアからは考えられないくらい沈んだ声。
 その後ろに小さく呟かれた言葉に、ドーラは思わず息をのんだ。
 確かに、死んだほうがマシだった、と聞こえた。
 沈んだ、ではない。これは絶望だ。
「情けない話だ。もう涙も出やしない。」
「ボクらの世界に涙なんてもうないよ。悲しみは全てサラが集めて閉じ込めているから。」
「ああ……そうだったな。」
 とてもどうでもいい事のように言い捨てると、ダリアはノイズ混じりの男の声で言った。
「済まないが、もう外してくれないか。あまりこんな姿をキミに見られたくない。」
「……ダリア。」
 何か言わなくては。絶望の淵に居るこの人に何か希望を与えなくては。最悪の場合自分が自殺を手伝わされる可能性だってある。そんなろくでもない考えを振り切って、必死で頭を回転させる。
「あの、頭は大丈夫なんだよね?」
「は?」
 あまりにも間の抜けた質問に、ラジオに描かれた目がぱちくりと瞬いた。
「その、機械知識とか、今回の実験の手順とか機械の設計とかはまだキミの中に残ってるんだよね?」
「ああ、そういう事ならはっきり残って」
「それならさ、今は気が向いた時だけでいいからボクを助けてくれない?前みたいに。」
 ダリアが言い終わる前に食いつくように先を続ける。
「ボクは今、人造人間を作るための研究を続けてる。人が減り続けるこの世界だけど人工的に人を増やせたらいいんじゃないかって。」
「デコイか人形の話か?」
「違う。」
 冷えた言葉になおも言い募る。
「ちゃんと世界を動けて意志を持って、もしかしたら管理人にだってなれる、人間を作りたい。
 だからキミの力を、知識を貸してほしいんだ。」
「私はこの体たらくだが。」
 自嘲を続けるラジオを問答無用で抱きかかえると、おい、とノイズの混じった不服そうな音がした。
「頭が無事ならダリアほど機械知識がある人は居ないよ。今からうちに来てよ。いいよね?」
 若干強引かもしれない、と思ったが、今は押し通すところだ。
 難色を示したかったところだろうが、身動きができないラジオのダリアはややあって、ざざ、とノイズを鳴らした。
「……飛べるのかなこれは。」
「飛べるさ、ダリアだもん。」
 若干心配そうなダリアを抱いて、とん、と床を蹴ると、次の瞬間には慣れ親しんだ自分のラボに到着していた。工場の地下、コンピューターとデータの映るモニターが並ぶ場所。片隅には研究資料とファイル棚とデスクと休憩用のソファ。間違いなく自分の場所だ。
 そして腕の中にはちゃんとラジオがある。
「ほら飛べた。」
「ふむ……。」
「じゃあさっそくなんだけど。ええと、まずあの機械の設計なんだけどね」
 ダリアをとりあえず机の上に置く。そして、いつかダリアに聞こうとため込んでいたファイルを引っ張り出すと、ダリアはまたかすかにノイズを鳴らした。
「随分準備がいいんだな。」
「ダリア、ここの所実験準備で忙しくしてたでしょ。だから聞きたい事が溜まってたんだ。」
 手が空いたら聞こうと思ってファイルしていた。解決済みのものもあれば、自分では答えにたどり着けなかったものもある。
「ダリアが生きててくれてよかったよ。」
 そう言うと、ラジオのダリアが息をのむような音がした。
「……そうか。」
 自嘲と諦めの混じった声。ただ、絶望の色は薄れたような気がする。
「まあ、微力を尽くさせてもらうとするよ。」
「ありがと、ダリア。それでね、まずここなんだけど」
 ファイルを開いて中身を見せると、ふむ、と小さくノイズが走った。
「部分だとわかりにくいな。先に全体図を見せてくれ。」
「了解」
 全体図の入ったファイルを引っ張り出しにかかろうと背を向ける。
 棚を検めようとすると、また声がかかった。
「ああ、ドーラくん」
「何?」
 首をかしげてラジオの方を見ると、ラジオのダリアは落ち着いた声で言う。
「帽子の後ろ、絡まってるよ。」
「ん、ああ……」
 言われて手を後ろに伸ばすと、確かにまた重なって絡まっていた。後の長くてゆらゆら揺れる部分は今も昔も絡まりやすい。
「本当なら私が解いてあげたかったんだがね。」
「自分でやります」
 くく、と笑う声にぴしりと言い返すと、ダリアは自嘲するように言った。
「相変わらずつれないな。まあ、もうそれも叶わないんだが。」
「……」
 言葉が先に進まない。頭の中がいつかの出来事を勝手に思い出す。
 
 『身だしなみには気を配りたまえ。いつだって帽子が見ているからね。』
 
 『なあに、後何度こういうことが出来るかわからないからな。』
 
 そう言えばあの時も帽子が絡んだのを直してくれたのだった。まさかこうなるなんてその時は夢にも思っていなかった。
 時間と結果は予想や思いをはるかに超えて残酷だ。それでも、今引っ張られるわけにはいかない。ファイル片手にダリアの方に向き直る。
「ボクの帽子で遊ぶよりもやってもらう事はいっぱいあるよ。ダリアはラジオになったってダリアなんだから。」
 そう言って、どさ、と全体図の入ったファイルをラジオの前に置いた。
「全体図はこっちだね。ここからこうなってる。わかる?」
 有無を言わさず指さしていくと、ダリアはざざ、とノイズをふるわせた。
「やれやれ、キミは相変わらずなんだな。」
「進歩がないって?」
 間髪入れずにまぜっかえすと、ダリアはふふ、と笑った。
「そうじゃないよ。……ドーラくん。」
 ラジオの声が名前を呼ぶ。
「何?」
 設計図から顔を上げると、ラジオはざざ、と音を出した。
「ありがとう」
「……よくわかんないけど、どういたしまして?なの?」
 首をかしげて聞くと、ラジオの声は小さく笑った。
「ああ。元の身体があればキミを抱きしめていたところだよ。」
「ん、それは要らない。」
 言うと、心なしかしょんぼりしたフリの声がラジオから聞こえてきた。
「つれないな」
 まあ、ドーラくんらしいか。
 少し元気になったのだろうか。わざとらしくしょげる声にも少し余裕が見えてきた。
「つれなくて結構。じゃあ始めよう。まずここから」
 説明を始めると、ラジオのダリアは大人しく説明を聞き始める。
 途中質問を差し挟みながら過ぎていく時間は、ダリアの声がおかしい以外は、身体があった頃とあまり変わらない。
 思いがけず熱の入った検討会は、その日の深夜まで続いたのだった。
 
 
 
「ドーラくん?どうした、私の顔にでも見惚れているのかね。」
 声を掛けられて我に返ると、目の前にはダリアの整った顔が首をかしげていた。
「そんなわけないでしょ。」
 言ってふい、と顔を背ける。
 なんとなく昔の事を思いだしてしまったのは確かだった。
 だが、ぼんやりしていた時間は思っていたほど長くはなかったらしく、それだけは内心ほっとしている。
 それを知ってか知らずか、ダリアはふむ、と帽子のしっぽを手に取った。
 
 『待ちたまえ』
 先程ダリアに後ろから呼び止められたのだ。
 何事かと思って振り向くと、ひょいひょい、とダリアは近寄ってきた。
 『帽子の後ろが絡まっているよ。』
 そう言われて、あれ、と思った。
 前も同じようなやり取りをした、と、覚えていた。
 それで反応が遅れて、気づいたらダリアが帽子の後ろを解いていたのだった。
 
「キミの帽子、本当によく絡んでるな。」
 前にも同じことをやった気がする、と言われて、何か見透かされたような気がした。
「その顔だと覚えているようだね。」
「……」
 素直に認めるのもしゃくで沈黙を返すと、ダリアは手に取った帽子のしっぽを差し上げた。
「もう二度とないと思っていたが、運命とは不思議なものだ。……でも、きっとこれが最後だな。」
 ふふ、と笑って、帽子に、ちゅ、と口づける。
「そうだね。」
 帽子の子が若干引くのを何となく感じて、ドーラは帽子のしっぽを取り返した。
 
 
 あれから長い時が経っていた。
 ダリアは紆余曲折の末ラジオの姿を脱却し、今は元の姿に戻っている。
 自分は人造人間の研究の結果、メシュレイアを作成することに成功、現在は二体目だったフィユティーヌが自分と共にある。
 色々な事があった。悲しい事も辛い事も、嬉しい事も楽しい事も。
 そして今、自分たちはここにいる。
 あの魔法のような帽子世界から、現実の……外の世界に戻るために、身体が出来るのを待っている。
 箱舟の頂点。ダリアが命がけで作った、永久機関の前で。

「なあドーラくん」
 ダリアはいつもの調子で語り掛ける。
「何?」
 雑に見上げると、ダリアは、ふっとまぶしそうな顔で微笑んだ。
「もしよければ、なんだが……」
 
 その先は、自分たちと帽子だけが知っている。

マリア様がみてる の冒頭って、マリア様の像の前でお姉さまと出くわしたヒロインが「ネクタイが曲がっていてよ」「身だしなみはちゃんとしなさい、マリア様がご覧になっているわ」みたいなこと言われるのが始まりなんですよね……というのを調べた記念に書いた気がする。
最初の頃のういういしくダリアを慕ってたであろうドーラと、今のクールなドーラの間には、ラジオ見て動揺してたドーラがいるのかなあと思っています。
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