淡い色の髪をわしゃわしゃとかき混ぜると、変な悲鳴が上がった。細くて猫の毛のように柔らかい髪をなおも撫でると、ドーラの手ががっちりとダリアの手を掴む。ダリアの方を向いた顔には今書いたばかりの不機嫌が大書してある。
「何するんだよ、もう!」
「いたっ」
ぐい、と手をひねられると、たまらずダリアは手を引っ込めた。
今夜のダリアの部屋にはドーラが来ていた。
製図データが浮かんだPCと向かい合って、真剣なまなざしでキーボードをたたいている。よくある光景だ。
ドーラがダリアの隣のデスクを使うことが多いのは、そこに環境があるからで他の意味はない。それは解っている。
だが。
「近くにいると何となく撫でたくなる瞬間というのが出てくるのだよ。」
言った途端、キーボードと椅子が50pほど離れて行った。
「つれないなあ」
「邪魔しないで。キミだって邪魔されたら不機嫌になるだろ。」
それはまあその通りだ。
「だが、せっかくドーラくんが傍にいるんだ。撫でられる時に撫でておきたいじゃないか。」
「何なのそれ。」
気持ち悪、という顔も、少々悲しいが折りこみ済みだった。それにこちらだってそれなりに理由はある。
「そんな嫌な顔をしないでくれたまえ。これには深い深い理由があるのだよ。」
「不快な理由の間違いじゃないの?とにかく!邪魔しないで。」
ぷい、とPCに顔を向けると、ドーラはまた、すうっと集中してしまった。
仕方ないな、と肩をすくめて、手の届かない距離に移動したドーラをちらっと見やる。
まだ怒り混じりながらも手際よくキーボードをたたく姿は、生き生きとしていて元気がいい。
「それに、悲壮感もない、か」
純粋に楽しみのために頭を使っている。それは前とは違うところだ。
「何か言った?」
「いや別に。」
ダリアもくるりと自分のPCに向かう。
しかし、目の前の光景とは裏腹に、頭は流れるように昔の事を思いだしていた。
あれは体感では10年少し…実際は1年少し前の話だ。
当時の自分は、実験の失敗でラジオの身体に甘んじていた。
史上最高の管理人、なんて言われたのも今は昔。身動きできず、喋る事くらいしかできない不便な身体に詰め込まれ、出てくる声も嫌な記憶の男の声ときたら、どんなに慣れても気分は常に最悪だ。
だが、機械の知識がなくなったわけではなかったし、思考能力は健在だった。有り余る時間は実験の失敗の総括と見直し、新しい方策を考える事に費やしていた。
そんな自分でも頼ってくる者はたまに居た。その中でもよく質問をしてきたのがドーラだった。
人造人間を作りたい、と言っていた。人が減り続けるこの世界、人を人工的に作れば解決になるのではないか、と。
世界は全て作り物、彼女の価値観と自分の価値観は似ている事もあり、自分もできるところはそれなりに協力することにしていた。
「ねえ、ダリア。この素材をこれとこれで作るためにこんな装置を作ろうと思うんだけど、おかしなことない?」
設計図片手の質問もいつもの事。
「図面が良く見えないからもうちょっと近づけてくれないか?」
「はいはい。あ、そうだ」
ひょい、と身体が抱えあげられると、すぐにドーラと一緒にソファの上に着地する。そしてドーラはダリアをそのまま自分の膝の上に置いた。
「こうすれば一緒に見れる。」
「そうだな」
「それで、ここの話なんだけど……」
膝の上のこの感じは、絵本でも読み聞かせるようだなとふと思った。見せられているのは機械の設計図なのだが。
「それは問題ない。ただ、材料としてこれは熱に弱いんじゃないかね。ここで発熱するが耐えられるか?」
「あーそうか。じゃあここはこっちにこうやって」
膝の上で図面を見せるドーラは生き生きとしている。もともと研究熱心なのだ。こういう事が好きなのだろう。
ただ、どこかいつも、ドーラからは度を超えた必死さが見え隠れしていた。
「ねえダリア。ここはこんな感じで動かすんだけどさ……」
「ねえダリア。これってどういう意味になるんだろう?」
「ねえダリア。計算式が出てこない状態でやれる実験って何かあるかな」
「ねえダリア」
時間を忘れるように続く質問。足がしびれたんじゃないかと言っても、平気だよとダリアを降ろそうとしない。
「そんな事よりねえ、ダリア」
「少し休んだらどうかね」
「そんな気になれないよ。それでね、ダリア」
自分も研究となれば時間は忘れるタイプだったが、言われれば認識はしていた。だがドーラは、言われても頑として無視する構えらしい。
付き合えるだけ付き合おうとは思っているが、やはり必死過ぎる。鬼気迫る、というか、無理を重ねているのだ。
「ねえ、ダリア……」
質問の声が少しずつよれてくる。
「なんだね」
なるべくゆっくり、落ち着かせるような声音で囁くように答える。
「あのね、……」
言葉は言葉になり切れず、図面は目の前ではらりと落ちた。力の抜けた腕が、とん、とラジオにもたれかかる。
気を失ったか寝てしまったか、ここからではわからない。
しばらく大人しくしていると、やがて呼吸が寝息混じりになってきた。
電池が切れたようだな、などと思いながら、低い声で子守歌をささやいていると、やがてドーラの呼吸は完全に寝息に変わる。
やはり疲れていたのだろうな、と思っていると、抱きつかれるように抱えられた上から、小さな声がした。
「……ねえ……ダリア……」
「やれやれ、夢の中でも研究してるのか」
半ば呆れて呟くと、身体の上でドーラが少し身を動かした。
「セーラ姉さん……戻って……どうすれば……」
嗚咽のような息遣い。きっと涙の帽子が無ければ泣いていたに違いない。
そう思っている間にそのまま寝息は深くなった。どうやら完全に寝てしまったらしい。
ドーラがここまで必死な理由の一端が見えた気がして、内心でため息をついた。起きているときは絶対に言わない認めない奥底の理由はその辺りなのだろう。
もしも、自分の実験が成功して居たら、こんな事にはならなかっただろうか、と考える。だが、たとえ実験が成功していても、自分の計画ではセーラが戻ってくるなんてことはあり得ない。
「ねえ、……ダリア……」
かすかな声に上の様子をうかがうが、言葉はもう聞こえない。ただ深い寝息が聞こえるだけだ。
身体の上で眠り込んでいるドーラを、撫でて抱きしめてやりたかった。
疲れ切った身体を起こさないように抱えて、ベッドに寝かしつけてやりたかった。
だが、今のラジオの身体では全て無理な事だった。
そしてすったもんだの末今がある。
セーラは変則的とはいえ戻ってきたし、自分の身体も元に戻った。
嫌な記憶が戻ってくるのと引き換えに、あの呪われた世界からも脱出が出来た。
魔法は使えないが涙は戻ってきたし、今はこのフィラデルフィアで、ドーラたち姉妹3人にラヴィとナタリーをくわえて6人で賑やかにやっている。
「なあドーラくん。」
「何」
若干うざったそうに声だけが返事をした。
「今、幸せかね?」
「はあ?」
何言ってるの、と言う顔がこちらを向く。やがて、ドーラの眉はすっと顰められ、またぷいとPCの方に向いた。
「ダリアが邪魔しなければもっと幸せだね。」
言葉はとても雑だ。それに、あの頃のような必死さは特にない。
「そうか。」
それはつまり平和と言う事だ。
椅子から立ち上がって、二歩。もぎゅ、とドーラを抱きしめる。
「うわ!?」
そしてそのまま、また思い切りドーラの頭をかきまぜた。
「ちょ、もう、何するんだよ!?」
「そういう気分だったんでね。いいじゃないかたまには。」
ホールドしたまま、わしゃわしゃと猫のように柔らかな髪をかき回す。あの時の分までしっかり念入りに思い切り。
「後にして!」
「でっ!」
脛を思い切り蹴り飛ばされて思わず腕を離すと、頭がわしゃわしゃになったドーラがじろっとにらみつけてきた。
「大体なんでそんなに撫でるの。なんか事あるごとにくるよね?」
「ラジオだった約20年分を取り返したくてね。」
もう一度頭に手を伸ばしながら言うと、その手をぺしんと叩き落とされた。
「取り返さなくていいから今はほっといて。」
態度はそっけなく言葉は冷たい。
「ドーラ君が冷たい……」
「はいはい」
だが、それはいつもの事で、いつだって一時の事だ。
今は、いつでも、手を伸ばせば思い切り抱きしめる事も頭を撫でてやる事もできる。
ドーラは嫌がる事も多いが、何はともあれ出来るということが大事なのだ。
損ねた機嫌はまた直せばいい。その時間だって今はたっぷりある。
「なあドーラくん」
「何」
顔は向かないが返事は返ってきた。
「私は今の生活、結構幸せだと思ってるよ」
いうと、キーボードを操る手がふと止まる。
ややあって。
「あっそう。」
やっぱり返事はそっけなかった。
まさに日常そのものだ。
それでいい。以前の自分なら否定していたかもしれないが、それでいいのだ。
「全て世は事もなし、か。」
呟いて自分のPCに向きなおる。
いつの間にか、PCのディスプレイには楽し気なスクリーンセーバーが浮かび上がっていたのだった。
身体がラジオになってしまうのは、お笑いみたいだけど本人も周りもそこそこきつかった筈なので、身体が戻ったことをぜひ謳歌してほしい。
でも、「ダリアはラジオのままの方がよかったんじゃ」みたいな顔しがちなドーラって言うのがまたどこか冷静で面白いんですよね。