風で揺れたカーテンが光を揺らしたらしい。何時だろうかと作業部屋の時計を見ると、丁度お茶の時間を過ぎた頃だった。
デスクでのPC作業もはかどり今日も平和極まりない。ぐいっと背を伸ばしてお茶でも調達しようかと立ち上がると、入れ替わりにダリアがパタパタと入ってきた。
「おや、居たね。」
「お帰りダリア。お茶淹れてくるけど要る?」
「いいね。ありがたく頂くよ。」
そのまますれ違ってぱたんと扉を閉める。扉の向こうでは、ダリアが引き出しを開けたり閉めたりしているような音が聞こえていた。
コーヒーと近くにあったチョコレート片手にドーラが部屋に戻ると、部屋の中ではまだガサゴソしている音がしていた。
「お待たせ、コーヒー淹れて来たよ。」
扉を開けると、ダリアが首をかしげながら引き出しの中を漁っている。作業机の上には既に確保したのであろう空の部品ケースや布やオイル、ピンセットに時計見などが転がっていた。
「ああ、ありがとうドーラくん。」
道具類から少し離してブラックのコーヒーとチョコを一つ。
自分の方にはミルク入りのコーヒーとチョコを三つ。
それぞれ置いて自分のマグに手を付けると、横からすっと手が伸びてきてチョコを一つ取っていった。
「ダリア、それボクの」
「ドーラくんが分け損ねていたようだったんでね。」
言いながらダリアは包みを開けると、ぽいっとチョコを自分の口に放り込んだ。
「……まあいいけどさ。何か探し物?」
半分くらい予想はできていたことだ。小さく肩を竦めてミルクコーヒーに口を付ける。
「ああ、精密ドライバーが見つからなくてね。引き出しに入れてたんだがな。」
「ああ、それならボクの部屋だよ。」
心当たりどころか昨日も使っていたところだ。素直に答えると、ダリアは眉をしかめてこちらを見た。
「他人のものを勝手に持って行かないでくれないかね。」
「ボク三日くらい前にちゃんと聞いたし、ダリアだっていいっていったじゃん。」
別作業中に聞いたから生返事だったけど、という事実は伏せて言うと、ダリアはそうだったかね?と首を傾げた。
「あまり記憶にないんだが。」
「忘れてるだけでしょ。取ってくるから待ってて」
マグを置いて立ち上がると、ダリアも同時に立ち上がった。
「待ちたまえ、一緒に行こう。」
「なんで?ボクの部屋だよ?」
多分怪訝な顔になっていただろう。だが、ダリアは淡々と言葉をつなげた。
「他の工具もそっちにお邪魔してるような気がするんでね。
丸ニッパーにサンドペーパーと研磨フィルム、普通のドライバーは赤いマイナスのと緑のプラスのと大型の黒いので三本。心当たり、あるだろう?」
ダリアの挙げたものは現在借りている工具一式と合致していた。確かに部屋の中にある。
「確かに借りてるね。どれも許可は取ったはずだけど。」
「そうだね。私が作業に集中しているときに取ったんだろうが。」
「よくわかんないけどさ。」
やはり察しがいい。舌打ちしそうになるのが表情に出ないよう努めて部屋に足を向けた。
自分の部屋は同じ階にある。中はちょっとしたアトリエのような使い方をしていた。普通の勉強用の本や道具もあるが、それより幅を利かせているのは人形作りの素材と道具、それと作りかけや作成済みの人形たち。人形作りは帽子世界にいた頃からの趣味なのだが、趣味は現実世界に出たからといって変わるものではなかった。
なお作業部屋ことダリアの部屋は、組み込むプログラムやらデータをいじったり、細かい設計をするのに使っている。必要な機材と環境が揃っている上高性能なのだ。それに、作業するにしても誰かいたほうが張り合いがある、なんて時もあるので、そこそこ入り浸っていた。
「さあて、家探しさせてもらおうかな。何が出てくるか楽しみだ。」
ニコニコしながら引き出しを開けようとするダリアをぐい、と押し止めて、棚の上に纏めて置いていた借り物の道具を引っ張り出す。
「そんなことしなくても返すよ。」
ほら、と渡すと、心なしか残念、という顔がこちらを向いた。
「他にあるんじゃないかな、とか」
「ないのはダリアが一番知ってるだろ。ほら戻ろう。作業するんでしょ。」
「ちぇ。」
不服そうな舌打ちに肩を竦める。
「ちぇ、ってなんだよ。
ああ、道具ありがとう。精密ドライバーもう少し使いたいからまた貸してね。」
「了解だ。まあそんなにはかからないだろうがね。」
大した事はないし、というダリアを引っ張るようにして、二人は作業部屋に戻ったのだった。
「何するつもりだったの?」
机にもどって、ミルクコーヒー片手に聞くとダリアはああ、とポケットをごそごそやりだした。
「ナタリーくんから頼まれてね。ほらこれだ。」
出てきたのはまだ新品にもみえる腕時計だ。
「時計?」
見た感じ何の変哲もない。ただし、針は動いていなかった。
「止まったと言っていたから、ちょっと見ようかと引き受けてきたんだ。」
とん、と時計を優しく机に置いて、ダリアもコーヒーに口を付けた。
「時計の修理なんて出来……出来たね。」
「あっちでの知識がなくなったわけじゃないからな。」
「でも、ナタリーなら普通に交換なり出しそうなのに。」
チョコレートをかじりながら言うと、ダリアもチョコを開けながら肩を竦めた。
「あまり交換したくない理由があったんだろうな。まあ詮索する事じゃないし、こうやって頼ってくれたのは嬉しいからね。
腕によりをかけて当たらせてもらうとも。」
コーヒーを飲み干すと、今度はどん、とマグを置く。そしてダリアはタブレットを起動すると、精密ドライバー片手に裏蓋を開けに掛かった。
作業に戻る体でそっとダリアの方を伺う。
片目には時計見。スタンドに置いたタブレットに映るのはメーカーの設計図だろう。手際よく外れていく部品は一糸の乱れなくケースの中に整然と置かれていく。
精密ドライバーもピンセットも扱いが自然過ぎてもはや自分の手のようだ。小さな時計を分解していく姿は恐ろしく真剣でどこか楽しそうで、つい目で追ってしまう。
ちらちらとタブレットを確認しながら取り外される歯車やネジ。一つ一つ確認していたダリアが、ふとこちらを見た。
片目に時計見をはめた目と目があって、一瞬固まってしまう。
「なんだね、そんなに見つめられると照れるじゃないかね。」
図星を突かれたようでドキリとするが、ドーラは努めて冷静に視線をPCの方に向けた。
「……別にそんなんじゃないよ。器用だなあって思っただけ。」
「そうかね?キミだって十分器用だと思うがね。」
ちらりと見たダリアは時計見を外して目をぎゅっと閉じたり明けたりしている。
「そりゃどうも。まだかかるよね?」
「そうだな。今日頑張るつもりなら運が悪ければ徹夜だな。今の所不具合がないから、原因は奥にあるようだし。」
まあ、ナタリーくんにはニ、三日かかると言っているんだがね、とダリアはまた時計見を目に嵌めた。
「壊れてた場合部品はあるの?」
「このサイズの物ならある程度揃えているから大丈夫だろう、多分。
折角ナタリーくんが頼ってくれたからにはかっこいい所を見せたいからね。」
さてやるぞ、とドライバー片手に分解作業を再開する。片手にピンセット、もう片方にドライバー。ダリアはすぐに集中に入ってしまったのか、すうっと静かになった。
その姿を見るともなしに見て、またPCに目をやって作業を再開……しながらも、つい隣を伺ってしまう。
真剣な顔で工具を操っている姿。帽子世界にいた時、ふとした時に目撃してしまったその姿がカッコいいと思ってしまったのを今でも覚えていた。浮名を流し派手な行動の多かったダリアだが、機械と相対する時は真剣で、その姿は綺麗でカッコよくて、いつしかその気持ちは憧れまじりの尊敬になっていたのだ。
伏せ気味の長い睫毛が昼の光にちらりと光る。黙ってこういう顔してれば美人なのにな、なんて、どうでもいいことが頭を過って消えていった。
夕飯できたよー、とショコラの声が聞こえてきた。背を伸ばし、データを保存して立ち上がる。
「夕飯だって」
時計と取っ組んでいるダリアに声を掛けると、ダリアは顔も上げずに答えた。
「今席を外すとわからなくなりそうだから後で食べると伝えてくれ。」
机の上は小さな部品が整然と並んでいるが、現在一つ一つ研磨やらチェックやらしているらしい。どこまでやったかわからなくなる、と言う事だろう。
「冷めるよ。」
「愛が冷めることはないさ。」
処置なしだ。ほっといてもいいだろう、と、ドーラはダイニングに向かうことにした。
「今手が離せないから後で食べるってさ。」
「お料理冷めますよ?」
「愛が冷めることはない、だって。」
聞いたラヴィはナタリーと顔を見合わせて肩を竦めた。
とはいえ、初めての事でもない。食事の時間はいつも通りに流れていく。ショコラが噂話を持ってきたり、テレビドラマの話を聞いたり。
そんな中でハンバーグを口に運んでいると、ふとちらちらとした光が目に入った。光の元はラヴィだ。手首につけた腕時計が反射していたらしい。控えめなピンクゴールドのフレームに華奢なメタルベルトの上品な時計は、見た感じまだ新品だ。
だが、その時計にはとても見覚えがあった。
今ダリアの机の上に分解されているものと同じものだ。恐らく、ナタリーと一緒に買ったのだろう。それで、ナタリーは交換できるのに交換に消極的だったのかもしれない。
なるほど、と思いながらスープを飲み干していると、視線に気づいたのか、ラヴィがこちらを見た。
「どうしました?」
「いや、腕時計がきれいだなって。」
素直に言うと、ラヴィは嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ、これまだナタリーと一緒に買ったばかりなんですよ。」
大方予想通りの答えが返ってきた。
「そうだったんだ。ラヴィの趣味?」
「いえ、二人で決めたんです。ファンシーなのより良い物を選ぼうって。」
「ある程度実用的なデザインの方がいいでしょう?どこにでも着けていけますもの」
さらっというナタリーの腕には当然ながら時計はついていない。ラヴィもそれに気づいたのか、一瞬少し寂しそうな顔でナタリーを見た。しかし、その表情はすぐに微笑みに変わる。
「そうですね。いつでもどこでもナタリーと一緒です。そう思うと少し安心感がありますね。」
真正面から言われてナタリーは困ったような顔で頬を染めた。
「もう、恥ずかしい言い方しないで。」
「なんでですか、事実でしょう?」
「それはそうですけど、……ええと。」
ナタリーはもごもごと口ごもる。
「今日も仲良しだね」
横からショコラがささやいた。
「そうだね」
いつもの事だけど、と肩を竦める。
「そのうちあてられちゃいそうです」
こそこそというメシュレイアに、ボクはもう既にあてられてる気がするよ、と頷いた。
「こら、何してますの?」
ナタリーがこちらを向く。
「何でもないよ。」
ふふ、と笑ってショコラが言った。
「そうそう、何でもない。」
言って最後のハンバーグの切れ端を口に運ぶ。いつの間にか、食事の時間は終わりに差し掛かっていた。
結局、食事が終わってもダリアは食べに来なかった。
いくらかの家事を分担して片づけ、洗濯物をランドリーに放り込み、一息ついてもダリアが動く気配はない。
シャワー浴びて寝るね、とショコラが引き上げても、縫物片手にテレビを見ていたセーラが裁縫道具を仕舞い始めても食べに来ず、時刻は既に夜遅くなってしまっていた。覆いをかけたハンバーグは当然既に冷たくなってしまっている。
「よっぽど集中してるんですね。」
「寝る前に様子を見てみましょうか。」
「心配するようなことじゃないと思うけど。」
ボクもそろそろ上がるね、と踵を返す。
おやすみなさい、と言い合って、ドーラは自分の部屋に引き上げるのではなく、そのままダリアの部屋に向かった。自分だって作業はまだあるのだ。
適当にノックだけして返事も聞かずに部屋に入ると、ダリアは時計見を外して首を回しているところだった。
「ダリア、ひと段落ついたの?」
隣の椅子についてPCを立ち上げる。机の上は出て来た時よりは片付いて、整然と並んでいたパーツは時計の形に戻っていた。
「おや、ドーラくん。戻ってきたのか。」
「寝る前にもうひと作業したくて。ハンバーグ冷えちゃったよ。明日食べるならそれでもいいけどさ。」
もう夜中だし、と部屋に掛かった時計を指さす。
「もうそんな時間だったか。」
「集中してると時間忘れちゃうの、何とかした方がよくない?」
「それをキミが言うのかね。」
呆れたように肩を竦めてダリアは息をついた。
「まあおかげ様で修理は完了だ。部品の噛み合わせに難があったみたいでね。」
きっちり磨いて油入れたからこれで大丈夫だろう、と手に取っている時計は現在時刻とはかなりズレた時間のまま動いている。
「まだ時間合わせてないの?」
「今本体が出来上がったところなんでね。あとは外部も少し拭くくらいはしたいし。」
もう一度背を伸ばし、ダリアがクロスを手に取ったところで、ノックの音がした。
「ダリア?」
ナタリーの声だ。
「ああ、入りたまえ。丁度出来たところだよ。」
「お邪魔しますわね……あら、ドーラも居ましたの。」
開いた扉の向こうには、ナタリーとラヴィが連れ立って立っていた。
「まあね。」
失礼しますね、とラヴィも入ってくる。
「根を詰めすぎてるんじゃないかって、様子を見に来たんです。」
「ああ、心配してくれてありがとうラヴィくん。大丈夫、無理をしているわけではないからね。」
機嫌よくクロスできゅきゅっと外面を拭いてから、ダリアは腕時計をナタリーに見せた。
「あ、これは……」
ラヴィは驚いたように目を見開いて腕時計を見る。どうやら修理の件をナタリーはラヴィに言っていなかったらしい。
「修理は終わったよ。あとは時計を合わせるだけなんだ。ちょっと待ってくれるかね?」
「遅くまでありがとうございます、ダリア。それくらいでしたら自分でできますわ。」
ナタリーが腕時計に手を伸ばすと、ダリアは、そうか、とそのままナタリーに渡した。
「あ、時計ありますよ。」
ラヴィが片手を掲げる。その手にはさっきの、そしてナタリーに返した腕時計と同じものがかかっていた。
ナタリーは少し驚いたようにそれを見て、ふふ、と頬をほころばせた。
「じゃあ、ラヴィの時計に合わせましょうか。」
「はい。今が十一時四分だから……」
タイミングを見計らい、3、2、1、と二人でカウントして、二つの腕時計が同じ時を刻みだす。
「あの時計たちは同じ時を刻むんだな。」
頭の中を読まれたような言葉に少しぎょっとしてダリアの方を見ると、ダリアは少しまぶしいような顔でラヴィとナタリーを眺めていた。
「本当にありがとうございました、こんなに遅くまで。」
ナタリーの手首には、修理したての時計がきらめいている。
「何、早く片付いた方だよ。また何かあったら言ってくれたまえ。」
「ダリア、本当にありがとうございました。」
ラヴィもナタリーと一緒に礼を言う。
「夕飯は冷蔵庫です。スープだけでも飲むなら温めてくださいね。」
「ああ、そうさせてもらうよ。集中が切れたら途端にお腹がすいてきたところだ。」
くすくす笑ってダリアは手を振る。
「お休み二人とも、良い夢を。」
「おやすみなさい。あまり夜更かししちゃだめですよ。」
「今日はありがとう。おやすみなさい。」
二人はそれじゃあ、と踵を返す。
そして扉が静かに閉まると、そのまま部屋に引き上げる足音と囁く声だけが遠のいていった。
扉の方を向いていたダリアの椅子が、くるりとこちらに向く。
「同じ時を歩みたい、か。」
はあ、と息をついてダリアは肩を竦めた。
「そんなに重たい話じゃないと思うけど。」
友人同士でお揃いのものを買うなんてよくある事だし、と言うと、ダリアはそうだろうか、と中空を見上げた。
「ペアウォッチだったから、簡単に交換に出したくなかったんだと思うぞあれは。」
「そりゃまあ、それはあるかもしれないけど。」
「結構造りも良かったし。」
「二人ともいい所のお嬢様だったんでしょ?」
良くは知らないけど、と言い添えると、そうなんだろうがな、とダリアは息をついた。
「何か気になる事でもあるの?」
「いいや?あえて言うならあてられた、かな。」
それはメシュレイアも言っていたし自分も感じていたことだ。ただ、ダリアの態度はそれとは少し違うような気がした。
よくわからないが、全体的に何か、寂しそうというか、残念そうというか。
「そう。なんかあてられたっていうより、ダリアの態度みてると妬いてるって感じするけどね。」
言うと、ダリアは今度こそ目を見開いた。
「嫉妬?そんなバカな。私は二人の幸せをいつだって見守っていたいと思ってるさ。」
はは、と鼻で笑って、言葉を続ける。
「まあな、ナタリーくんにカッコいいところを見せたいと思ったのはそうだとも。彼女の時計に私が手を入れているというのがちょっと面白かったのも認めるよ。」
余裕のある話し方の間に、ふっと目線が伏せられる。
「ただ、私を頼ってきた理由がな……確かに一番ありそうな理由だったんだが、完全に失念しててね。それがちょっと悔しいのかもしれない。」
はああ、と息をついてるその様子は、なんだか面白いようであまり面白くない。
「なるほど、ナタリーに珍しく頼られたんで舞い上がってたんだ。」
身も蓋もなく言えばつまりこういう事だろう。その通りだったらしくダリアは眉をしかめてこちらを見た。
「……ドーラくん。私の心はガラスのようにピュアで繊細なんだ。言葉は選んでくれたまえ。」
「良く言うよ。」
言いながら、作業中のファイルを立ち上げる。
「そうだね。お腹が空いてるから悲しくなるんじゃない?だから少しお腹に何か入れたら元気になるよ。
多分ショコラならそう言うね。」
「実に物理的なアドバイスありがとう。そうさせてもらうよ。」
言いながらぐいっと背を伸ばす。
「あーあ、お揃いか。」
「何、羨ましかったの?」
次の作業の手順を確認しながら言うと、ダリアは少し芝居がかった口調でいった。
「揃いの時計を選んで、一緒の時を過ごそうだなんて、まさに青春って感じがするじゃないかね。」
「どこの世界の青春だよ。」
「ドーラくんはそういうのに憧れたりしないのかね。」
「憧れる要素が見当たらないけど……」
アホらし、と呆れながらも、ふと思う。例えばダリアとお揃いで何か欲しい物があっただろうか。ないと思う。
……いや、待て。
「ダリアとお揃いなら、ボクその精密ドライバーのセットは欲しいかも。」
向き直って言うと、全力で寄りかかられていた椅子が、ぎし、と元に戻った。
「……ドライバー?これは消耗品だぞ。」
机の上のドライバーを手にダリアが怪訝な顔をする。
「それ使いやすいんだよね。」
ただし、ドライバーとしては少々値が張る上に自分でダリアと同じものを買うのはなんだか気乗りがしない。それで自分で買う決心がつかずにちょいちょい借りているのだが。
「そういうんじゃなくてだな……」
ダリアは何か言いたげだったが、まあいいか、というように息をついてこちらに向きなおった。
「……これが気に入ったんだったら、今度一緒に買いに行くかね?」
目を見開くのはこちらの番だった。
「え、買ってくれるの?あ、それなら通販でよくない?」
うっかり口走った言葉に、ダリアは余裕たっぷりのいつもの顔で笑った。
「現物を見て選ぶからいい所もあるのさ。いい店があるから紹介するよ。」
「そう?ありがとう。嬉しい。」
「何、良いって事さ。」
くるりとドライバーが指先で回って、そのままドライバー入れに収まる。
「さあて、悲しい気持ちを埋めるために、少し腹を満たすとするか。」
声も態度も言葉とは裏腹に元に戻っている。
「はーい、行ってらっしゃい。」
ぱたぱたと手を振ると、ダリアはとん、と立ち上がって、そのまま扉の方に向かった。
かすかに扉の開く音、そして閉まる音。ついで軽快な足音がとんとんと遠ざかっていく。
音が十分に遠くなったのを確認して、ドーラはふう、と息をついた。
棚ボタラッキーとはこういうことだろうか。それともこれは傷心につけこんだことになるのだろうか。
ただ、これで使いやすい精密ドライバーが手に入るのは確からしい。それはとてもラッキーな事だ。
ダリアが自分の手のように扱っていたものと同じ物が自分のものとして手に入るのだと思うと、なんだか少しくすぐったいような気がした。あんな風に操れているわけではないが、あれを自分のものとして扱えるというだけで少し心がウキウキする。
なんだか帽子世界にいた頃のようだった。それもずっと前、ダリアに素直に憧れていたあの頃と同じような気持ち。あの人に少しでも近づける、なんて高揚感。完全に忘れていた感覚だ。
ふふ、と小さく笑って隣の机を見やる。
目線の先は、揃って箱に仕舞われている小さなドライバーセット。
それは、主の帰りを待っているように鈍く光っていた。
多分ダリアさんはラヴィとナタリーに関してはLoveよりのLikeだと思ってるし、ドーラは弟子とか同志とか研究仲間とかそっち側じゃないかなと思っている。