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My Car, Our Car

 特に興味はない、と思っていたものも、近しい人間が気にしていると何となく気になってくるのは人のサガである。


 ドーラはミルクコーヒー片手にソファでだらりと足を延ばしていた。
 片手にはカタログ、膝の上にはタブレット。リビングのソファを独り占めして、休日だらだらスタイルでカタログにチェックを入れていると、カタログと自分の間にひょこっとショコラの顔が割り込んできた。
 「ドーラお姉ちゃん、そんな真剣に何見てんの?……車?」
 カタログの方に目をやったショコラが怪訝そうにまたこちらを見る。
 「そ、車。」
 身体を少し起こしてショコラのスペースを開けると、ショコラはソファにとんと乗ってきた。
 「ドーラお姉ちゃん免許もってたっけ?」
 「ボクじゃないよ。ダリアがさ、最近車探してるみたいだったからちょっと気になって。」
 片手のカタログは当然ダリアの部屋からちょっと無断で借りてきたものである。
 「ふーん。じゃあ、うちのガレージにも車が来たりするのかな。」
 「そうじゃない?」
 開き癖のついたページをめくると、色とりどりの車が並んだページが現れた。
 「で、ダリアはどんなの探してるの?かっこいい奴?可愛い奴?」
 「どうだろ……あ、これチェックついてるな」
 付箋のついた車を指さすと、ショコラはどれどれ、と覗き込んだ。
 「スポーツカー?二人乗りの?」
 「かっこいい系みたいだね。」
 齧った知識で見るカタログスペックはそれなりにバランスの取れたものらしいが、実用性はほとんどない。
 「ふーん。他は?」
 「ん−、どうだろ。」
 開き癖のついたページをたどると、チェックされているものは他にもいくつかあった。
 「全部スポーツカーだね。」
 見事に全部かっこいい系じゃん、とショコラは息をつく。
 「一人でドライブでも行くつもりなのかな。なんかズルくない?」
 「まあ決めつける事じゃないと思うけど。」
 分解するつもりかもしれないし、といいながらページをめくると、がたがたと玄関の方から音がした。
 「ただいま!ごめんなさい、誰か手伝ってー!」
 セーラの声だ。ドーラはショコラと顔を見合わせると、すぐに玄関に向かった。
 「おかえりセーラ姉さん。どうしたの、すごい荷物。」
 どさどさと荷物を置いているセーラは、少し赤い顔で息を切らしている。
 「夕飯の買い物のついでに資材買ってたら大荷物になっちゃって。持って帰るの大変だったわ。」
 これとこれは私の部屋に、こっちは台所ね、と言いながらセーラは深々と息をついた。
 「セーラお姉ちゃん、これどう見ても夕飯メインじゃなくて資材メインになってない?」
 布の束と大きなクッションベースを眺めながら、ショコラは夕飯の材料を抱える。
 「だってこの布可愛かったんだもの……それにしても重かったわ。こういう時車あったら楽なんだろうけど。」
 セーラはそう言いながら大物を抱えた。ドーラが残りの資材を抱えていると、先に行っていたショコラがひょいと振り返る。
 「ダリアが車買う予定みたいだよ。」
 「あら、本当? 買うなら荷物積める奴にしてほしいわね。」
 よいしょっと、と声を出しながら、セーラは階段を登って行った。

 「見事にスポーツカーばっかりじゃない。デート用?」
 放り出していたカタログを見たセーラは呆れたように声を上げた。
 「しょーじきショコラその発想はなかったね。」
 「分解のほうが可能性あるんじゃない?」
 「車買って即分解ってかなり勿体ないわよ?……可能性はなくもないけど。」
 三人でカタログを覗き込む。開き癖のないページを開けてみると、スポーツとは若干離れたファミリーカーもちゃんとラインナップされていた。
 「これだったらみんなでドライブ行けそうだね。すごい、全部平べったくなっちゃうんだ。」
 ショコラが言いながら指さす大型車には、8人乗り、と書いてある。
 「荷物も積みやすそうね。あら、こっちも収納大きいわ。」
 セーラが指さしているのは7人乗りのバンだ。
 「これならBBQ道具とかキャンプ道具だって積めそうだね。」
 工具箱もPCやプリンターみたいな大型機器もこれなら楽にいけそうだな、なんて思いながらページをめくる。次のページに並ぶ仕様は、齧った知識で見たってなかなかいい感じだった。
 「こっちにしとけばいいのに」
 近くにあったペンでそっと印をつけておく。
 「色はこっちが可愛いよね」
 ショコラは可愛らしい水色のカラーに印をつけた。
 「大型車なのに水色なんてあるのね。あ、このオプション欲しいわね。」
 電源の増設にそっと〇をつけて、セーラは次をめくる。次のページもまた大型の車がメインだった。
 「8人くらい乗れたら、メルが来てもドライブいけるよね。」
 座席数と室内レイアウトを眺めながら、ショコラが一つずつ小さくチェックを入れていく。
 「もうすぐ来るって言ってたわよね。パーティの材料も積めそう。」
 こっちも大事なポイントよね、と言いながら、セーラが指さしていくのは、ドアの開閉システムだ。
 「うん、今月の真ん中くらいだからあと2週間?」
 「さすがに今買っても間に合わないとは思うけど……ま、次もあるか。」
 エンジンの性能は走りというよりパワーに配分しているのかな、などと思いながら、ドーラも小さく比較用のチェックを入れていると、また玄関の方からがたがたと音がした。
 「あ、帰ってきたのかな」
 言っているうちに、ただいま、と声がして、ひょこりとナタリーが顔を出した。
 「あら、皆リビングに居たんですのね。」
 「ただいま戻りました……何を見てらっしゃったんですか?」
 次いでラヴィも一緒にリビングに入ってくる。
 「ただいま、なんだ、全員居るなら鍵を閉めるよ。」
 ダリアの声がして、すぐにダリアもこちらに顔を出した。
 「皆お揃いで何……」
 ダリアは普段の余裕な表情でこちらを見る。しかし、ドーラの手元のカタログを見るなり顔色を変えて歩み寄ってきた。
 「他人のものを勝手に持ち出すんじゃない。」
 問答無用でカタログは取り上げられてしまう。
 「ちょっと、まだ見てたのに。」
 「ダリア、車買うなら私たちにも相談してくれていいんじゃない?」
 ショコラと二人で抗議するが、ダリアは表情を凍り付かせたまま、無言で踵を返した。
 「あら、車を買うんですの?」
 ナタリーの問いに、ダリアはばつの悪そうな風情で振り返る。
 「いや、別にそうと決めているわけでは」
 「買うなら荷物が積めるものをお願いしたいですわ。買い物が結構大変ですもの。」
 ナタリーの言葉に、ダリアは明らかに驚いたようだった。
 「ああ、確かに。植木も積めたらうれしいですね。」
 ぽむ、と手を打つラヴィにも目を向ける余裕がないくらいに驚いている。
 「あ、……ああ。そうだね……。」
 「みんなでドライブとか行けそうなやつがいいなって話してたんだよー。」
 ショコラが言うと、ラヴィもにこにこと微笑んだ。
 「楽しそうですね。」
 「やっぱり二人乗りのスポーツカーより大型の奴がいいなって。ね、ダリア。」
 半ば固まったままのダリアに声をかけると、ダリアは我に返ったようにこちらを見て、ぷい、と踵を返した。
 「キミたちには関係のない事だろう。」
 言い捨てるように言葉を放り投げて、ダリアはそのままリビングを出て行ってしまう。
 足音は急ぎ足で離れて、階段の上のダリアの部屋に消えていった。
 「……何あれ。」
 「……明らかにおかしかったわね。」
 「また隠し事?ダリアってば今も昔も隠し事多すぎじゃない?」
 はー、とため息をつくショコラに、そうですわね、とナタリーが息をついた。
 「……半分くらいは心当たりがありますの。ちょっと行ってきますわ。」
 「あ、私も」
 ラヴィがナタリーに寄り添おうとすると、ナタリーは、そっと片手で押しとどめた。
 「いえ、一人で行きます。大したことではないんですけど、ダリアが気にすると面倒ですわ。
  それにこういうのは理論武装を思いつく前に攻めたほうがいいんですの。」
 控えめな声は恐らく上には届かないだろう。ナタリーはそのまま踵を返し、よどみない所作で部屋を出て行く。
 扱い方を熟知しているなあ、と感心しながら見送る背中は、なんだか凛としていて、少しカッコよく感じた。


 「ダリア、入りますわよ。」
 問答無用でナタリーが部屋に入ると、部屋の主は車のカタログごと自分の身体もベッドに放り出していた。
 「ナタリーくん?」
 むく、と起き上がるダリアに、ナタリーは深々とため息をついてドアを閉める。
 「まず先に言っておきます。あなたがどこで知ったのかはこの際聞かないでおきますけど、……私、車は平気ですわよ。」
 きっぱりと言い切ると、ダリアは深々とため息をついた。
 「気を回して下さった気持ちはありがたいですけど、そんな事言ってたら暮らせませんもの。」
 続けると、ダリアはふ、と笑って顔を上げる。
 「そうか。それならいいんだ。ま、相応にデリケートな話題だったからね。」
 「そうですわね。あなたにとって、それが相応にデリケートな話題だったのは察しますわ。」
 言うと、少し微笑んだ表情がぴしりと凍り付いた。
 「詮索はしませんわ。相応にデリケートなんでしょう。
  それに、あの世界にいくきっかけになった事は、大なり小なり、皆影響を受けていたのは否めません。
  私だって一見して雑な運転をしていると分かる車は今でも怖いですわ。でもそれだけです。」
 ナタリーはつかつかとベッドに近寄ると、少し腰を低くしてダリアと目線を合わせた。少し驚いたままのダリアの鼻の頭に、つん、と指をのせる。
 「ただ、そうやって気を遣えるのは、あなたの数少ない美徳だと思いますわ。」
 ありがとう。そう言って指を離すと、ダリアは面白いように固まって……ハタと気が付いたように動き出した。
 「……その、なんだ……わかった。」
 少し顔が赤いあたりは、まだ可愛げが残っていたという事だろうか。
 「ではもう一つ。あなた車をどうするつもりでしたの?」
 「そのうちには持ちたいとは思っていたけどね、まあまだそこまでちゃんと決めてるわけじゃない。」
 高いし、と肩をすくめて見せるダリアに、ナタリーは、そうですの、と頷いた。
 「二人乗りのスポーツカーを選ぼうとしたのはなぜ?」
 問うと、ダリアがもご、と口をつぐんだ。
 「……まあ、カッコいいじゃないかね。」
 「そうですわね。
  気を遣うタイプのあなたが、現状顧みずスポーツカーを探すというのも不思議な感じがいたしますけど。」
 ダリアはゆっくり瞬きをすると、微笑んでナタリーを見つめた。
 「買いかぶりすぎだよ、ナタリーくん。
  私はこう見えて結構エゴイストなんでね。星空の中をスポーツカーで走ってみたい、なんて思ったりもするのさ。」
 キミのようなひとと二人きりでね。
 つん、と指で唇をつつかれて、反射的に一歩飛びすさる。
 「悪ふざけはやめなさい!」
 頬が赤くなる。ぎろ、と睨みつけた琥珀色の瞳は、ゆるく、心を悟らせずに揺らめいていた。
 これはもう絶対に口を割らないだろう。
 「……言いたくないのは理解しましたわ。ここまでにしておきます。」
 未だに熱を持つ頬を抑え、深々と息をつく。冷静に冷静に、ナタリーは言い聞かせながらくるりと踵を返した。
 「……悪ふざけのつもりは無かったんだがね。」
 ぱたりと閉じた扉の向こうでかすかに聞こえた呟きは、無かったことにした。


 ナタリーが階段を下りていく音を聞きながら、ダリアはまたベッドに身体を投げ出した。
 手の位置に転がる車のカタログは、数日前に半ば現実逃避で取り寄せたものだ。ここの所個人的に調査している件について、手詰まりが見えてきた時に丁度良く……見られていたかのようなタイミングで協力の申し出があって、それに言い返すことが出来なくて……それで取り寄せたのがこのカタログだった。
 調査していたのはセーラとメシュレイア、ドーラとフィユティーヌの精神と身体が二重になっている問題について。
 協力を申し出てきたのは、ミュンヘンのオフターディンゲン総合病院。ハインリヒからだった。
 少し気にしている事は帽子世界のデータを分けてもらった時に伝えていたのだが、あちらもそれなりに思うところがあったのだろう。データを貰った後、数か月も経たないうちにミュンヘンに来たらどうかと打診が来たのだ。
 返答は保留したままだが、本当はすぐにでも了承した方がいいのは解っている。調査対象の彼女たちにも早く伝えてやるのが一番なのだと分かっているのに、それができないのは完全なエゴだ。
 少しずつ慣れてきたこの暮らしをまだ手放せなかった。長くて数年続かないかりそめの暮らしだが、それを今手放せと言われてあっさり手放せるほど自分はドライになりきれなくて、……それで、彼女たちが居なくなった後の楽しみにしようかな、とか言い訳を付けて取り寄せたのだ。
 新たに開き癖のがっちりついたページをめくると、大型のファミリーカーのページだった。
 勝手につけられた印のついた車はしっかり8人乗りで、エンジンもパワー系。それでいて色は可愛らしく水色が希望らしい。
 『みんなでドライブとか行けそうなやつがいいなって』
 『やっぱり二人乗りのスポーツカーより大型の奴がいいなって』
 リビングに入った時、3人は無邪気にカタログを眺めていた。隣に交通事故の被害者だったナタリーが居た事もあって、慌てて取り上げてしまったが、きっと自分たちが帰ってくるまでの間、あの三姉妹はソファでこのカタログを眺めながらああでもないこうでもないと話していたのだろう。
 本当は、一番見せたくない相手だった。
 当然ドーラにも隠すようにしていたのだが、よくこの部屋に出入りしている彼女のこと、些細な事にも気づくその眼を甘く見ていたというしかない。
 「……キミたちが乗ることはないのにな」
 ぱたん、とカタログを閉じる。
 ハインリヒは二週間後にはメルと一緒にこちらに来る予定だった。多分それが返答のタイムリミットだろう。
 楽しい時間の終わりは、もうすぐそこに来ていて、その先には新たなる出発とやらが待っているのだ。多分。
 既に見えている結末から目を背けるように、ダリアは目を閉じるとごろんとうつ伏せに転がった。

 「おい、夕飯できたぞ。」
 浮遊しかけていた意識を引き戻したのは、乱暴なノックと今にも舌打ちをしそうな声だった。
 珍しく、フィユティーヌの方がこちらに来たらしい。
 「お前が何をやってるか知ったこっちゃないが、冷める前に降りて来い。」
 ボクは一応言ったんだからな、という態度でドスドスと足音が遠ざかろうとする。慌ててドアを開けると、階段に足をかけようとしたフィユティーヌがこちらを振り返った。
 「……知らせてくれてありがとう。フィユティーヌくんが来てくれるのは予想外だったよ。」
 追いつきながら言うと、フィユティーヌはフン、と鼻を鳴らした。
 「ボクも予定外だ。だが、お前どうせ今夜はドーラの奴を部屋に入れる気ないんだろう。それなら確かにボクが出たほうが合理的だ。」
 ぷい、とそっぽを向いてフィユティーヌは階段を下りていく。
 「キミたち、結構うまくやってるんだな。」
 「別にそんなわけじゃない。ただ慣れたというだけだ。」
 フン、と一つ息をつくと、フィユティーヌはじろ、とこちらを見上げた。
 「あんまり面倒を掛けるな。とばっちりを喰らうのはボクなんだ。」
 不機嫌を前面に出しているが、その不機嫌の元はドーラへの心配なのだろう。何となく声色ににじんでいる。
 ダリアはそうだな、と頷いた。
 「わかってる。
  そうだね、車に関してはしばらくは忘れててくれないか。結構高いものだし。」
 「お前、ボクたちをバカにするのもいい加減にしろよ。」
 「……じゃあ、お願いだ。」
 また荒れそうな声を往なすように言うと、フィユティーヌはまたぷいっとそっぽを向いた。
 「……ボクはそもそもどうでもいい。ドーラがどう思うかは知らないけど。」
 小さく鼻を鳴らして、たんたんと階下へ降りていく。その後をついて行くと、次第にいい香りが漂ってきた。
 「ああフィユティーヌさん、呼んできてくれたんですね。」
 鍋をかき混ぜながらメシュレイアが振り返る。
 「ダリア、お皿並べる位は手伝ってよね。」
 声をかけてぱたぱたと食器を抱えていくのはショコラだ。少し席を外したのが功を奏したか場もおちついているらしい。……違う、多分少し気を遣わせてしまったのだろう。
 「了解だ。今日は深皿がよさそうだね。」
 だが、それには乗せてもらうことにして、ダリアは深皿六枚を片手にダイニングへ足を向けたのだった。

 それから二週間。
 表面上は平和に時が過ぎた。
 パーティの準備でバタバタしたり、観光に行きたいと言うメルの希望に合わせて観光ルートを皆で考えてみたり。
 パーティに来れそうな客も、当初はメルたちだけだったのだが、いつの間にやらほうぼうに伝わり、そこそこ規模の大きいパーティになるらしい。ショコラはあと何日、と指折り数えるようにテンションが上がっていく。久しぶりの友人との再会だ。楽しみでないわけはない。……そしてきっとこの後はもっと、ずっと一緒に居られるようになるのだ。話を知ったら、きっと彼女は喜ぶだろう。
 ただ、ダリアの気持ちはそれと反比例するように、奥底でずしりずしりと重たくなっていく。
 そしてパーティ当日。
 「まだ言ってなかったのかね?てっきり言ったのかと思っていたよ。」
 声をかけられたのはパーティもそろそろお開きかと片づけものを抱えていた時。
 手に持った食器を取り落とすところだった。
 「彼女たちに話したのか。」
 何でもないように問うと、ハインリヒは、ああとあっさり頷いた。
 「少しだけだがね。」
 持とうか、と差し出される手を首を振って断る。
 「まあ、後で言っておくさ。」
 「私たちがいる間にお願いするよ。」
 「解ってる。」
 タイムリミットだな、と思った。
 ただ、ハインリヒは何も言っていなかったが、言われた本人の反応はどうだったのだろう。
 思考がそう動いて、何か腑に落ちた。
 ……ああ、そうだったのか。
 片づけものを流しに放り込み、手を洗ったところで確信する。
 自分は、この暮らしを手放したくなかった、というよりも。
 彼女たちにあっさりミュンヘン行を承諾されてしまう事の方が怖かったのだ。
 「……とんだエゴイストだな、私は。」
 小さく呟いて蛇口を閉める。
 翌日、ダリアはセーラとドーラ、ショコラのミュンヘン行を提案したのだった。


 ドーラがダリアの部屋を訪れる事は、ほぼ日常だ。
 休日、夜間、主が居ようが居まいがするっと入り込んで、パワーのある方のメインパソコンに陣取って、設計していたりレポートを纏めていたりする。主が寝ているときは流石に遠慮しているようだが。
 だから、ドーラがノックをして入ってくるのは大抵あまり良い事がある時ではなかった。
 「ボクは確かにキミに任せるって言ったけど、タイムリミット付きでいきなり答えを用意して押し付けてくるのはあんまりだよ。」
 ミュンヘン行を提案してから丸一日。ドーラは一人でダリアの部屋を訪れていた。
 いつもの夜と同じ椅子で、相対して座る二人の間には、いつもと違ってピリピリと重い空気が居座っている。
 「話ってのはいきなり来るもんだろう?良い事があるのなら早く知らせるのは理にかなってると思うがね。」
 しれっと言ってのけるが、ドーラはすっと立ち上がると、不機嫌な表情でダリアの顎を捕らえる。
 「いきなり?嘘だよね?
  キミ、今日もミュンヘンに行けって言ってたけど、あの説明だと事前に状態はわかっていたんだろう。
  研究が手詰まりになりつつあるのも、わかってたんだよね?」
 じっと見つめる琥珀の瞳から目を伏せて、ダリアはそっと顎を掴む手を外す。
 「……専用の機械とキミたちの協力なしではそろそろ難しいかなとは思っていたがね。
  ハインリヒの申し出はまあ渡りに船だったということさ。そんなわけだ。さっさと荷造りに掛かりたまえ。」
 ぽい、と手を放り投げるが、ドーラはそれくらいであきらめてはくれなかった。
 「昨日ボクたちにミュンヘン行を提案した時は、まだ少し迷いが見えたけど。今はかなり乗り気だよね?
  みんな乗り気じゃないのに、なんで?」
 「乗り気とかそういう問題じゃないよ。予防接種は嫌でもやらなきゃいけないだろう。それだけの話だ。」
 「そうじゃない。態度が切り替わった感じがする。」
 ヘンなところで勘が鋭い。
 「気のせいだよ。
  まあ、予想外に反発されたから、ちゃんと説明をしなくてはとは思ったが。」
 昨日の夜は、ショコラがメルと一緒に家出してしまう騒ぎまで起きた。挙句二人はがっちりと手を握り合ったまま「ミュンヘンには行かない」と宣言したのだ。少し混乱させることまでは予想していたが、一番この件を喜びそうなショコラがここまでやらかしたのは流石に予想外だった。
 ……ホッとしたのと、少しだけ嬉しかったのは、心の奥底に沈めている。
 「予想外?……キミにとっては反発が予想外だったの?」
 「いい話だからね。」
 言い終わるか終わらないかのうちに、頬に衝撃が走った。
 頬を引っぱたかれたのだと気づく前に、ぐい、と胸元を掴まれる。
 「ボクたちを何だと思ってるの?」
 ドーラの声は震えていた。
 「ボク、……ボクたちは、ここを選んだのに」
 ……違う、泣いている。
 「……行くところがないから、って言ってただろう?」
 言ったとたん、今度はまた殴られた。よろめいた視線の先、ドーラの目は潤んでかすんでしまっている。
 「馬鹿!!どこでもいいんだったらどこでも行けたよ!!条件だけだったらミュンヘンだって良かったんだ !
  ボクは、キミと……」
 嗚咽にかき消されてしまった言葉の末に心臓が大きく鳴った。
 「ドーラくん……」
 今度こそ本当の予想外だった。
 だが、だからこそ、この話は押し進めなくては、とも思う。彼女と彼女の姉妹、その未来の為に。
 「いや、キミはキミの問題を何とかするべきだよ。
  キミだけの問題じゃない。メシュレイアくんとセーラくんも同様の問題を抱えてる。
  全てが解決してから、また会えばいい。いや、ちょくちょく会えるだろう?一生ずっと会えないわけじゃないんだ。」
 立ち上がり、うつむいたドーラの肩に、諭すように手をやる。
 しかし、その手は、肩に触れたとたん手荒にはねのけられた。
 「っ……!」
 「……この件に関して、ボクは、キミになら任せられるって言った。」
 途切れがちな涙声は、それでも少しずつ芯を取り戻していく。
 「それは間違ってもメルの家に丸投げすることじゃない。
  そして、ボクたちがキミの指示に全て従うって事でもない。」
 誤魔化そうとするな、逃げるなと、腫れぼったくなってしまった瞳が圧力を掛ける。
 「一刻を争う、なんて事態でもない。
  キミに関わる気がないのなら、メルの家に丸投げされるくらいなら、自力で何とかした方がマシだ。
  ……ボクたちを追い出したいなら、話は別だけど。」
 じわ、と潤んだ瞳に目が行った。
 ここで、追い出したい、と言えば多分彼女たちはミュンヘンに行くだろう。何となくそんな予感がした。
 それは最善だ。多分今考えられる限り一番良いのだろう。
 ……ただ。ドーラは傷つく。そして一生二度と会う事は叶わなくなる。それは確信だ。
 ドーラの琥珀色の瞳から、ぽろ、と涙が零れた。
 体は反射で動いた。
 少し熱を持ってしまったドーラの目尻に指を添えて、零れ落ちる雫をぬぐう。
 ドーラは驚いたようにこちらを見上げた。自分と同色の瞳が見開かれる。赤くなった目と、涙の痕が見える頬。それを見た時、決意も何もかもすべては崩れ落ちた。
 あちらの世界にいた頃から、よく懐いてくれていた。自分がラジオになっても、頼りにしてきてくれた。永久機関を起動させようとしたときは、体調も万全ではないのに飛んできて止めにきた。成り行きで同居を始めたら、部屋に入り浸って、一緒に色々作って遊んで……そして今、目の前で昔のような泣き虫に戻ってしまった、可愛い後輩。
 一生手放すなんて選択はできなかった。
 「負けたよ。」
 頭ごと抱きしめてそうつぶやく。
 「……もう少し考えよう。ここを拠点にしたうえで何とかできないか。」
 最善、最良、彼女たちの未来。それよりも優先させたのは、自分のエゴだ。
 「ボクも、一緒に考えるから。」
 胸の中でくぐもった声が聞こえる。
 「頼りにしてるよ。」
 腕の力を緩めると、泣いた後の少し赤くなった目がこちらを見上げた。
 「キミよりましな答えを出してみせるよ。」
 泣き笑いのような顔がそう言った。
 ああ、と頷いて腕を離す。
 「難題だぞ。」
 「大丈夫さ。夜は長いし時間はまだある。……希望だってまだあるさ。」
 ぽん、と腕を叩かれて釣られるように表情を崩す。
 ここ数週間の気の重さはいつの間にか随分軽くなっていた。
 心配はまだあるが、それでも、肚をくくってしまえたのだろう。
 共にいるために、希望を捨てない。
 自分はとんでもないエゴイストだな、とダリアは小さく肩をすくめたのだった。


 そして3週間が経った。
 ショコラがリビングを覗き込むと、どさどさと積み上げられた資料の奥のソファで、ダリアがゴロゴロと転がっている。
 「あれ?ダリア車買うことにしたの?」
 リビングテーブルにどさどさと積み上げられているのは、車のカタログだった。
 「ああ。まあ先日のパーティの時に私も思ったのだよ。荷物を積める車が欲しいと……。」
 「やっぱり懲りたんだね……わかる、わかるよ、荷物すっごい重たかったもん。」
 ショコラがソファに近寄ると、ダリアは身を起こして場所を開ける。
 「ショコラは8人くらい乗れて荷物が一杯乗る可愛い車がいいなー」
 「まあその辺が妥当かなとは思っているよ。ほら、この辺はどうだろうか。」
 ダリアが付箋のついたページを開くと、そこには家族向けの大型車が並んでいた。
 「あ、可愛い!黄色とかあるんだね。この色も可愛いなー。」
 「見た目重視ならこっちのメーカー、性能重視ならこちらだろうかね。値段との折り合いも考えたいところだが。」
 「あとバランスね。」
 ソファの上からひょこっとドーラが顔を出す。
 「うわドーラお姉ちゃん居たの。」
 「今来たとこ。ボクとしては、こっちの車ベースにこの辺カスタムしたらどうかなーって思うんだけど。」
 よいせ、と開き癖のあるページが開かれる。指さされた箇所を見るなりダリアは小さく眉を寄せた。
 「エンジン回りを弄れと?」
 「出来るでしょ?安く上がるよ?」
 「そりゃあ出来はするがね。……考え方としてはなくはないか。」
 小さな付箋がぺたりと貼られる。
 「ほかのめーかー?のも見ていい?」
 「ああ、いいよ。気になるのがあったら付箋でもつけといてくれ。検討するから。」
 言いながら、ダリアは別のメーカーのカタログを手に取った。ドーラも、ソファの裏からころりとこちら側に出てきてぽてんと場所を確保する。
 「確かセーラお姉ちゃんは荷物が乗るやつがいいって言ってた。」
 「姉さん買い物いくたびトルソーずっと見てたしなあ。」
 普段の荷物だけじゃなかったのか、と思いながらページを繰っていくと、室内が高めにレイアウトされた車が目に入った。
 「ラヴィが確か植木が乗るやつがいいって言ってたよね。こんな感じならどうなんだろう。」
 「これなら乗りそうだね。」
 ぺたん、とまた付箋が増える。
 「あ、これって外車ってやつ?すっごいかっこいい。あ、こっちはなんか黒塗りの高級車っぽい!」
 わいわいとはしゃいでいると、ダリアから呆れたように声が掛かった。
 「おーいキミたち。誰が買うと思ってるんだね?」
 「ダリア。」
 ドーラが即答すると、はああとダリアはため息をついた。
 「でも乗るのは私たちも、でしょ。」
 気になる車に付箋をつけて、ダリアの方を見上げる。
 「これ、みんなの車になるんだよね?」
 ダリアは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして、そして、くしゃっと困ったように笑って頷いた。
 「ああ、その通りだよ。」

 セーラやラヴィ、ナタリー、フィユティーヌとメシュレイアたち、家族全員の意見を反映した少し大きな車がこの家にやってきたのは、それから少ししてからだった。


本を出した時に書き下ろしで書いてた話の裏話。
本編は、ダリアさんの一存により家を出てミュンヘンに行けって言われたショコラたちがキレて家出する話だったわけですが、それの裏面ダリア&ドーラ編。(本編はショコメルだった)
本はゆるーくつながった…?って感じで話書いてたので、これだけ単品で見るとちょっと何が何だかわからないかもですが、基本的にどの話も世界観は同じなのでうっすらフィーリングで感じてください。
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