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くじらの心臓

 暗闇の中で、ぎし、と音が鳴る。反射的に飛び上がりそうになったのをぐっと堪えて、そっと息をついた。
 古い我が家は普段から一足ごとにぎしぎし賑やかだ。でも、それは現在とても恨めしかった。まだ部屋を出たばかりなのだ。ここでフイにするわけにはいかない。荷物の音もならないようにぎゅっと抱きしめてなんとか廊下を抜けると、今度は階段だ。真ん中を通るのは愚の骨頂と知っていた。この日のためにこっそり練習した結論としては、できるだけ端にそっとそっと体重を掛けるのが正解なのである。
 水筒の水音もさせないように気を配って、一足一足そろそろと足を運ぶ。ここまでまだ誰にも気づかれた形跡は無い。物音がしなくなってから行動を開始したのだから、父親も既に寝ているはずだ。
 ようやく階下にたどり着き、ふうっと息をつく。暗い中、玄関まであと少し。前を見据えて足を踏み出す。

 「……何をしてるのかしら、マキアス?」
 「どぇ……ね、姉さんっ?!」

 いきなり明るくなった室内とまさかの声に思わず声をあげた。
 片手には懐中電灯、肩に掛けた鞄には地図と水筒、もう片手には星見盤。若干よれた服は一度寝巻きに着替えて大人しく寝た事にしておいて、ベッドの中でごそごそと着替えた結果。・・・そんな姿が明かりにさらされる。
 真夜中の公園に行こうと思って、少し前からこっそり準備をしていたところだった。教えてもらって調べたばかりの知識を確認するためだ。もちろんバレたら怒られるかなとは思ったが、その時はその時だと開き直れる程度には夜の公園は魅力的だった。ごちゃごちゃした下町からでは良く見えない星も、あの開けた公園からならきっと綺麗に見える。明かりの少ない深夜なら尚の事だ。もちろん道順はしっかりおぼえたし、いざというときのために地図だって持っている。
 そう、計画はばんぜんをきしていたつもりだし、頭の中ではちゃんとシミュレーションだってやっていた。かんぺきなはずだったのだ。
 だから行く前にバレるとは思っていなかった。何よりなんでこんな時間に従姉がいるのだ。一度帰ったんじゃなかったのか。
 「何でここにいるの?!」
 「マキアスってば、今日ずっとそわそわしてたでしょ?絶対今日あたり何かあるっておじ様と話してた所だったのよ。」
 「え。父さん寝てるんじゃ。」
 さっき出てきた時もかなり気を遣って抜けてきたのだ。父親は間違いなく就寝中のはず、なのだが。その考えは後ろから降りてきた足音で完全に否定された。
 「……マキアス。こんな夜中にどこに行くつもりだったんだ?」
 チェックメイト。そんな単語が頭をよぎった。振り返った先の父親は、寝巻きのはずがラフな外出着になっている。
 「……そ、その、……マーテル公園に……」
 「……子ども一人でオスト地区を夜中に抜けて?マーテル公園まで行くのはいいかもしれないが、帰りは歩くつもりだったのか?」
 「それはその。」
 その通りなのだが、頷いたらカミナリが落ちそうな気がして口ごもる。
 「なるほど、大冒険ね。」
 くすくすと笑う従姉の声がとっても気まずかった。
 「まあここよりは見えるだろうが。」
 父親の目線が星見盤に行っている事に気付き、うぐ、と固まる。
 「だが、流石に子ども一人で夜中の散歩を許可するわけにはいかないな。」
 「……うぅ。」
 間違いないのは本日の計画が全てだめになった事くらいだ。
 「だから、私が付いていくわ。」
 しかし、聞えてきたのは意外すぎる一言だった。
 「え。」
 顔を上げると、父親も一緒になって肩をすくめる。
 「もちろん、年頃の娘に夜歩きをさせるわけには行かないから、父さんもついていくが。」
 「……え、いいの……?」
 目を見開くと、父親は悪戯っぽい目でこちらを見た。
 「最初からそのつもりだったからな。」
 お前が一週間以上前から準備していたのは知っていた、と言って笑う。なんと言うことはない、最初から掌の上だったのだ。
 嬉しいけれどどこか残念で、それ以上にあっけに取られすぎて、どんな顔をしたらいいのかさっぱりわからなかった。


 公園は思ったとおりオスト地区より空が広くて、思ったとおり星を探すのに丁度良かった。真夜中は街の灯りも少なくて、いつもよりも空が綺麗に見える。
 「最近夢中だったものね。」
 「なるほどなあ。
  それにしても、夜空を見るというのは久しくやっていなかったな。」
 夜遅く帰る事は多いんだが。芝生の上に腰を下ろし、父と従姉はそんな話をしながら空を見上げている。
 「父さん、それは勿体無いよ。僕なんて夜中は出歩けないんだから」
 「なるほど、そういう考え方もあるか。」
 笑いながら空を見上げる父親と、同じように空を見上げた。手元に星見盤はあるものの、今日の星空は時刻と一緒にしっかり頭の中に入っている。首が痛くなるくらいの真上に輝く星は白鳥の尾羽。その傍、流れるような星の河に向かい合っているのは鷲の心臓と竪琴の弦。そこから少し視線を移すと、北の星が見える。真上の白鳥の星と北の星を繋いだ先が真北。
 視線を移そうとしたら、星は見つかっているかとのんびりした声が聞いてきた。
 「良かったら星見盤を見せてくれないか。」
 「うん、いいよ。」
 懐中電灯と一緒に渡すと、父親と従姉は揃って星見盤を覗き込んだ。
 「随分詳しいのね。」
 「でも、全部の星がのってるわけじゃないんだ。」
 言いながらまた目を空に向ける。
 東の方に目をやると、細々した星に混じって一際明るく輝く星が見えた。東屋の横、かなり低い位置に見えるのが黄星。そこから視線を西に移動させたら鉤爪の七つ星。そして鉤爪を伸ばすと、また北の星に戻ってくるのだ。
 次は南側。
 「ねえマキアス。あの赤いのは?」
 声が掛かって、従姉の方を向いた。従姉が指を差した先は南側である。
 「んっと、この時期の赤いのは……赤い星座、かな。」
 指を差されたほう、星の河に沿って南西、人口の崖の端に赤い星が見えていた。蠍の心臓はもう沈みかけだ。
 「あの崖の端っこのは蠍の心臓っていうんだよ。」
 「蠍の心臓、かあ。……随分ロマンのある名前なのねえ。」
 「星の名前って、何か動物の名前が多いんだ。ほら、そこの赤い星から少し上。ちょっと明るい星が固まってるの、わかる?」
 幅の広くなった星の河を指差して東に渡っていくと、少し明るい星が固まっているところまで指先が行く。
 「ええ、見えるわね。一、二……十個くらいかしら。」
 「うん、それ。あれは天空の射手って言うんだ。
  それからまた東に行くと、青白く輝く星が見えるよ。凄く派手だけど……ええっと、トラム乗り場の少し上から右行った所。」
 ええと、と探しているようだった従姉は、ああ、と頷いた。
 「あれは解るわね。」
 「あれは老人星。」
 言うと、へえ、と感心したような声が返ってくる。
 「……おじいちゃんなのかしら、おばあちゃんなのかしら。」
 「それは良くわからないけど。調べたら解るかな。」
 老人星、なんて誰が付けたんだろう……と思うが、夏は夜中にしか見えないこの星が見てみたかったからこの時間を狙ったのだ。南の一つ星は気まぐれな老人のように真夜中に少しだけ現れて、またすぐに居なくなってしまう。
 「それからずっと東、えっと、トラム乗り場から数えて三本目の木の上、小さい星に混じってちょっと明るい星が見えてるでしょ。あれがくじらの尻尾の星。」
 「くじら……か。本当に動物が多いんだなあ。」
 父親まで感心したように夜空を眺めている。
 くじら、は、海にいる馬鹿でかい魚みたいなものだというけれど、その姿は絵で見たって全く想像がつかなかった。
 「五本目の大きな木の横にもあるわね。あれは?」
 「五本目……大きな木の横にあるのは、くじらの心臓だよ。
  すごいや姉さん。あれ、見えたり見えなかったりする不思議な星なんだよ。」
 本では見えたり見えなかったりすると書いてあったが、従姉が見つけてくれた星は確かにくじらの心臓で、今日ははっきり見えていた。
 「へえ、面白いな。」
 「で、そこから真上にある大きな四角になってる星。あれが天馬。」
 星の世界は実在するものしないもの混ぜて動物ばかりだ。
 「マキアス、随分詳しいのね。凄いわ。」
 「そ、そうかな。」
 素直に褒められて、ちょっと、かなり嬉しかった。
 「ああ、大したものだと思うぞ。」
 父親からの言葉もとても嬉しいもので、えへへ、と笑い声が漏れる。
 「今日は運が良かったと思うよ。くじらの心臓も見えたし。」
 五本目の木の方へ指を差すと、その上に白い手が重なる。
 「私もちゃんと見つけられたわよ?」
 くすくすと自慢げな顔と、その柔らかい手に思わずどぎまぎして……そして気が付いた。
 「あれ、姉さん手が随分冷たいね。」
 「……そうね、夜だから冷えちゃったのかも。」
 苦笑いの顔も妙に青白くてぎょっとする。
 「本当に、大丈夫?」
 「大丈夫よ。でも、ちょっと動けなくなっちゃったかもしれないわ。」
 囁く声が聞えて、え、となっているうちに、白い手は氷のように冷えて、固まっていく。
 「姉さん?!」
 気が付いたら、なぜか寝台の上に従姉が横たわっていた。真っ白な顔の目蓋は閉じられたままで、手に残った感触は氷と似て氷より冷たくて固い、死の感触。
 覚えのありすぎるその状況に、背すじが凍るのが解る。
 『姉さん!姉さん!!!』
 あの時感じた怒りと悲しみと憎しみ、全ての感情が渦巻いて、心臓が凍りついていった。がんじがらめの気持ちの果て、自分の体も動かなくなって、そのまま奈落に落ちていく。


 「…………!!!!」
 目を開けると、見慣れたぼやけ具合の天井が見えた。
 トールズ士官学院、第三学生寮、自室。薄明るい感じからすると、どうやら朝だ。先ほどのあれは夢、だったらしい。息を吐いてもぞもぞと寝返りを打つと、少しだけ現実に戻ってきたような気がした。眼鏡を片手にげんなりと身を起こす。
 今日は、……今日から、三日間帝都で特別実習の予定だった。久々に帝都に行く事になるからこんな夢を見たのだろうか。そういえば、昔一緒に星を見に行ったのはこんな時期だったような気がする。あの時見つけたくじらの心臓は、あれ以来見えた試しがないのだが……どの道あまり夢見がいい気はしない。
 夢に意識を引っ張られながら着替えて洗面所に行くと、朝っぱらから金髪が目に入った。なんで朝からこいつの顔を見なければならないんだと思いつつ礼儀のみの挨拶を交わすと、流石に現実を思い出す。そして階下に降りて実習班の顔ぶれを見ると、もうそこには現実しかなかった。
 ……三日間、大丈夫だろうか。
 A班女子に向けられているA班男子共通の思いが頭を占める。それは即ち、この二人の長期にわたる冷戦が何とかならないだろうか、という三日間を共にするに当たって相当切実なものなのだった。


 自分の父親は自分が行っている学校の理事であるという。
 帝都に着くや否やの衝撃発言に自分が出来た事は頭を抱えるくらいだった。長年一緒に暮らしていて、今となっては唯一の家族で、進路を決める時だってトールズに行くと知っていたはずなのになんで今まで隠し通していたのか良くわからない。そういえばそんな人だったのは間違いのないところなのだが。
 とにもかくにも実習は始まっていた。
 まずはエリオットの家から、今回の宿泊先である元遊撃士協会へ。そして実習課題に沿って街中を動き回る。担当地区である帝都の東側には、大通りや歓楽街もあるが、実家のある下町も含まれていた。
 ホームグラウンドだが、数ヶ月とはいえ一度離れて見た町は、懐かしさよりもあの日からの自分の気持ちを否応なく突きつけてくる。リィンとラウラが共にいる、たったそれだけでも何か後ろめたい気がした。
 ここは、姉さんが生きて、姉さんが死んだ町だ。あの冷たい手を思い出してしまうと、貴族なんて滅べばいいのにと、今でも感情は叫ぼうとする。だが、リィンやラウラにそんな事を思うのは無理だった。貴族として、誇りを持って、真っ直ぐに歩む彼らを尊敬する気持ちはあるし、アイツとは違うと理性も感情も納得してしまう。でも、この町に残った気持ちは、そんな事を許さない。
 ここで自分が貴族を認めてしまったら。
 今までの自分の思いは、生き方はなんだったのか。目標としてきた事は、どうなってしまうのか。
 ……姉さんが死んだのは、なんで、なんのためだったのか。
 あの日の自分は、容赦なく今の自分を問い詰める。ぎり、と奥歯を噛んだところで、体のバランスががたっと崩れた。 案内する傍らで考え込んでしまったのが不味かったのだろう、石畳に引っかかったらしい。
 「マキアス、大丈夫?」
 エリオットに言われて、慌てて考え事を中断した。
 「ああ、大丈夫だ。」
 実習に集中しなくては、と思いなおす。チラリとみた女子の方は相変わらず冷戦状態のようだし、自分までぼうっとしているわけにはいかないのだ。よし、と頭を振って前を見ると、見知った顔がこちらを見ていた。
 「お、お前、マキアスじゃねえか!」
 驚いたような顔が二つ。パティリーとカルゴである。
 「チッ、帰ってやがったとはな。久しぶりじゃねえか、マキアスよう。」
 今となっては女子とはとても思えない言葉。ここ最近、お嬢様言葉は随分聞いた気がしていたがこの感じは実に久々だった。男らしい言葉の女子といえば隣に居るラウラもそうだが、あれはあれでかなり品があるからまた別だ。
 「君達か……。」
 よく解らないが何だか無駄に懐かしい感じがした。だが、懐かしいなりに相変わらずらしい。思わず流れるようにお説教が口をつく。
 「いい加減不良まがいの素行は卒業して、真面目に勉強したらどうなんだ?」
 「うるっせ!お前のそういう態度が!気にいらねえんだよ!!」
 慌てるように即噛み付かれた。どうしようもないなと思うのも、やはり相変わらずだ。
 アイツをビビらせてやってくださいよーなんて、頭の悪い言葉すらも何か相変わらずだ。やれやれ、何を言われるんだか、と肩をすくめると、パティリーはこちらを見て、少し止まってから大仰に見栄を切った。
 「マキアス……てめぇ、……またちょっと目ぇ悪くなったんじゃねえのか?!あぁ!?」
 「へ?」
 以前より随分とキレのない拍子抜けする言葉の隣で、やーいガリ勉ーとはやし立てる声。 周囲というか主に実習メンバーの視線が地味に居心地悪い。いや、前からこのレベルだったのだろうか。トールズに入学してからは随分ハイレベルな嫌味を毎日のように聞かされているため、感覚が麻痺してしまったのかもしれない。でも何か変な感じもする。
 「……変わった知り合いだな。」
 リィンの言葉がさらに居心地の悪さを加速させた。
 「……別に知り合いたくて知り合ったわけじゃないんだが……」
 幼馴染は選べない。つまりはそういうことなのだ。
 「頭いいからって自慢してんじゃねえぞオラ。こんどやったらシメっからな!」
 そんな捨て台詞すらもなんだか懐かしいのだが、実際のところシメられた記憶は……まあ、なかった。日曜学校に通っていた頃に勉強を教えたことなら、あったのだが。
 やれやれ、と踵を返す後ろからなんとなく視線を感じて振り返る。
 「な、何見てんだよ!さっさと行けよ!!」
 「あー、はいはい。」
 今度こそ踵を返す。だが、路地の階段を下りていく途中、後ろでぼそっとパティリーの声が聞えてきた。
 「……ったく、調子狂うぜ。あいつ、随分丸くなったんじゃねえか。」
 どういうことだろう。だが、振り向いたところで答えが出るわけもない。
 疑問を抱えたままで階段を下りると、どこよりも見知った場所に出た。数ヶ月ぶりの我が家だ。少し立ち止まってしまったのに気づかれたか、ラウラがふとこちらを向く。
 「ここは?」
 「……ここは、一応僕の実家になる。」
 へえ、と上がったクラスメイトの言葉がなんだか痒かった。
 「帝都知事閣下とこんなところで暮らしてたんだね。」
 エリオットの言葉の向こうの意味もまあ、解る。『帝都知事閣下』の響きとこのお世辞にも大きいとはいえない家は、どう考えたって結びつくわけがないからだ。
 「早速顔を出していくか?」
 だが、そう聞いてくるリィンには首を振った。
 「その必要は無い。父さんは官舎で暮らしているし、ここには誰も住んでいないからな。」
 先に行こう、と促すと、4人は、ああ、うん、と少し不思議そうに付いてきた。
 必要は無い。それは事実だ。
 だけどそれ以上に、この家にクラスメイトを案内できる気がしなかった。
 姉さんの思い出の残る家には、幸せな記憶と思い出すだけで苦しくなる記憶が同居している。数ヶ月前まで住んでいた家だが、貴族を憎む気持ちと、貴族制度を壊し見返してやると思って随分勉強したのと、そんな自分の思いも残っているような気がして、扉を開けるのすらどこか気が引けた。
 リィンは尊敬するに足る人物だし、ラウラだってそうだ。貴族ってものがあれはあれで大変なのは流石の自分も理解したし、あの立場に誇りを持ち、義務を果たそうとする人だって居ないわけではない。頭から全てを否定する気持ちは、もうなくなっているというのが正直なところだ。
 ……でも、この家で、それを認める事が出来るかといわれると、わからなかった。
 自分の思いも、姉さんの死も、何のためだったのかわからなくなりそうで、……怖かったのだ。


 実習一日目も、あと一時間足らずで終わる。
 今日、依頼の途中で本物のヴィータ・クロチルダに逢えたのは、一生分の幸せを使い果たしたんじゃないかと思ったのだが、どうやら本当にそうだったらしい。暗い夜道でげんなりとため息を付く。既にトラムの最終便はなくなっていて、ここから歩いてアルト通りまで帰らなければならないのは間違いのないところだった。ただし、日付が変わる前に戻れるかどうかは怪しい。
 夕方からの出来事を思い出す。夕食をエリオットの家でご馳走になったのは良かった。その後、エリオットの話を聞けたのも、よい時間を過ごせたと、思う。
 問題は、その後だった。わがA班の女子がやった事を一言で言うなら、夜中の公園で決闘した、である。その結果ギクシャクした空気は消え去って強固な友情が築かれたらしいが、戦術リンクの試し撃ちで二人と戦う事になった挙句の果てに、騒ぎで駆けつけた巡回憲兵に二時間こってり絞られるという嬉しくないオマケが付いたのだった。無論、女子二人には黒星を喫している。どう考えても不条理だ。途中から明らかにとばっちりを喰らっているだけのような気がするのは、断じて自分の気のせいではないはずだ。
 「流石に疲れたな……」
 「……まあ、よかったんだろうけどな……。」
 若干疲れ気味のリィンとため息をつくものの、前を行く女子二人はお説教を二時間喰らった割にはすっきりした顔でいるようだった。わだかまりが解けてホッとしたのだろう。公園を通る帰り道、二人で空を見上げているらしい。
 「夜中の星というのも綺麗なものだな。」
 「帝都でもこれだけみえるのは、夜中だからかも。」
 何もないところで見る星空はもっと凄いよ、とフィーが言う。いつか見てみたいな、とラウラが笑う。今までの自分たちの気苦労は一体なんだったのかと思える程度の打ち解けぶりだ。
 「鉤爪の七つ星が見えるから、あれが北の星だね。」
 背を伸ばしたフィーが、天空の北のほうを指差す。
 「団でも星を見たりしていたのか。」
 「うん。方角知るのに知ってると便利。」
 だから、必要な分だけは知ってる。そういいながら、フィーはくるりと南の方に振りかえる。
 「夜中だからかな、南の一つ星も見えるね。トラム乗り場の右上……あれの名前、思い出せないけど。」
 「老人星か?」
 時期的にはそんなところだろう、と思って声をかけると、フィーがこちらを向いた。
 「……そう、それ。」
 「マキアスもよく知ってるな。」
 リィンとラウラまでこちらを振り返る。
 「……昔、好きだったんだよ。今はすっかり目が悪くなってしまってあまりよく見えないんだけどな。」
 以前は、父親や従姉と共に星を見に来た事もあった。そういえばそれはここだったはずだ。
 「今の時期でこの時間なら、公園の東側にくじらの星が見えるはずだ。トラム乗り場から数えて三本目くらいの木の上に、明るいのがあるんじゃないか。」
 「凄いな、確かに明るいのがある。」
 リィンは驚いたようにこちらを見る。
 「見てないのにわかるものなのか。」
 「前に、見に来た記憶があってね。
  随分視力も落ちたから、あんまりはっきり見えないだろうけど。」
 上を見上げても、明るい星があるのは理解できてもイマイチ判別が出来ていない自分に気づくだけだ。それでもさすがに北の星くらい明るければわかるのだが。
 「ねえ、マキアス。」
 くい、と引っ張られて、ん、と引っ張ったフィーの方を見る。
 「五本目の木の横も明るいけど、あれは何か解る?」
 「場所的には……」
 くじらの心臓。その言葉が頭をよぎって、思考が一旦停止した。

 『五本目の大きな木の横にもあるわね。あれは?』

 『すごいや姉さん。あれ、見えたり見えなかったりする不思議な星なんだよ。』

 あの星を見たのは、あれが最後だった。
 姉さんが死んでから、星を見上げる事自体がなくなっていたから。そして、気づいたら、自分の視力ではもうあの星を探す事すら出来なくなっていたからだ。
 「くじらの心臓、だろう。」
 「解ってても見ないんだね。」
 フィーは、ほら、あっち、と空を指差す。
 「さっき言っただろ。目が悪くてあんまり小さい星って見えないんだ。」
 それに、従姉が死んで以来一度も見えた事のないあの星だ。フィーには見えても視力の落ちた自分には見えない可能性は高い。……それは、なんだか怖かった。
 「でもアレ結構明るいよ。北の星と同じ位。」
 「……そうなのか?」
 そんなに明るいのなら見えるだろうか。
 言われるままに指を差したほうを確認すると、確かに北の星と同等には明るい星が見える。回りの星の配置を確認しても、やっぱりあれは、くじらの心臓だった。
 「……本当だ、見える。
 凄いな、フィー。 あれは変光星だから、見えるときと見えない時があるんだが。」
 数年ぶりに見たくじらの心臓は、あの日よりも明るく輝いて見える。いや、実際そうなのだろう。自分の視力でもちゃんと見える事がその証拠だ。
 「ね。見てみなきゃ解らない。」
 若干得意げな声が下から聞えてきて肩をすくめる。
 「やれやれ、フィーにそんな事を言われるなんてな。」
 「マキアスは、頭で考えすぎ。」
 「君達みたいに、夜の公園で決闘する趣味はないからな。」
 「ちゃんと向き合って、ぶつからなきゃ解らない事だってある。」
 ラウラがそう教えてくれた。
 照れたようにそう言って、それでも心底嬉しそうにフィーは夜空を見上げた。
 「ちゃんと向き合う、か。」
 息をついて、言葉を小さく繰り返す。
 彼女たちは『ちゃんと向き合った』のだろう。理解できないと思い込んでいた相手と、世界が違うと思っていた相手と。その結果が今の晴れ晴れした顔なのだと思う。
 それなら、自分もちゃんと向き合うべきなのだろうか。
 見えないと思い込んでいた星と、その思い出と。

 エリオットが言っていた。
 音楽院を諦めた時、自分の思いはそんなものだったのかと思ったと。それでも、士官学院に入った事を後悔しては居ないと。漠然と音楽院に進むよりきっと広い視野を持って先に進めるから、と。
 そのエリオットは、カッコ悪いよねえなんて自分で言いながら、しっかり前を見据えていた。むしろあの場で誰より強かったと思う。

 ラウラも言っていた。
 心では信用できると知っていたのに、頭では理解できないと思い込んでいたと。そのせいでギクシャクしていたのだと。
 今は、そのフィーとやりきった顔で夜空を見上げている。

 『いい加減にしろ。』 
 頭の中にあの時の声がよぎった。
 『そりが合わないとはいえ、同じクラスで学ぶ仲間。その者があらぬ容疑を掛けられ、政争の道具に使われるなど…… このユーシス・アルバレア、見過ごせるとでも思ったか!?』
 このタイミングで思い出したくないのに、その声は確かな怒りを持って頭の中に響く。
 もしも彼が級友たちと同じようなタイプだったら、少なくとも従姉が自ら命を絶つ事はなかっただろう。
 ……解ってる。『貴族』が悪いのではなくて、結局は人なのだ。
 ……そう、解っているのだ。
 ただ、今更それを認めるのが怖かっただけだと。

 「僕も、そろそろ前を向くべきなんだろうな。」
 くじらの心臓を仰いで、そうひとりごちる。
 「?」
 その声が聞えたか、フィーがこちらを向いた。
 「ああ、……なんでもない。」
 言うと、フィーはちょこんと首を傾げる。
 「そう?」
 「少し考え事をしてただけだ。」
 大した事じゃない、というと、フィーは、そっか、とあっさり引き下がった。
 そのままぱたぱたとラウラの方に駆けて行く。その背を見送って息をついた。
 従姉の事も貴族が嫌いだったのも個人的な事情だ。でも、そのせいで入学当初から随分迷惑を掛けてしまった。貴族であるリィンたちは特に釈然としないものを感じただろうと思う。だから今までのお詫びも兼ねて、リィンとラウラには話しておきたいと思った。幸いあまり話を聞かせたくないもう一人は居ないし、きっとこれが潮時なのだ。 
 例え生き方を変えても、あの痛みは、忘れる事も消えることも無い。目標や想いが変わっても、……きっと大丈夫だと、今なら思えた。
 姉さんが居たから、幸せだった。
 姉さんが居なくなったから、なりふり構わず頑張った。
 その結果、前を向くきっかけをくれる人とも出会えた。
 全ての想いのはじまりには、間違いなく彼女がいるのだ。

 姉さんがあの夜見つけてくれた星が、なんだか自分の背を押してくれているように感じる。
 もう一度見上げたその光は、あの日と同じ場所で、あの日と同じように瞬いていたのだった。


   
くじら座のミラは変光星。くじらの心臓ともいうらしい。
小さい頃のマキアスって多分とても可愛かったんだと思います。利発でそこそこ面倒見よくて知的好奇心も強くてお姉ちゃんにべったりで。
丁度バンプのライブに行く事になってRAYを聞きまくってた頃に、ああこれはマキアスだと勝手に思いこんだ結果がこれです。「お別れしたのはなんで 何のためだったのかな」てのがなんか本当そうだよねえ、って思ったら止まらなくてですね。原曲は見事なお別れソングだけどそこはそれ、言葉尻だけ捉えて思い込むのは得意です。昔を引きずりつつも、現実も前も見ようとする感じは、丁度4章くらいのマキアスと重なるかな、と。

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