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願い星

「もう下がっていいってば。着替えぐらい自分でできるよ。……おやすみ。」
 なんとか世話係を扉で追い払うと、ユーシスは扉のこちら側で息を殺してため息をついた。
 この屋敷に引き取られて、そろそろ二月。いや、まだ二月だ。母親が死んでからそれだけしか経っていないのに、引き取られてからの時間は随分長く感じる。
 以前から逢った事など殆どなかった父親は、引き取られてからも顔を合わす度に冷ややかだった。話しかけてもかけなくても、居ても居なくても同じ、石ころが屋敷の中に転がっているだけ……そんな扱いだ。この家の主である父親がそんな態度を取っているため、屋敷の他の者からの扱いもそれに準じていた。慇懃無礼とまでは行かなくとも、全てが丁寧ながら義務的で、一定の距離を取って接してくる。その状態で朝から晩まで傅かれる日々は、同時に見世物にされているような目線と陰口をひたすら感じ続ける日々でもあった。どこに出ても感じる。以前から好意的なものは余りなかったが、今感じるのは哀れみと陰湿なものばかりだ。
 ……でも、それでも逃げるわけには行かなかった。
 自分への評価は即ち亡くなった母への評価だ。自分が逃げたら、母は、死んでまで辱めを受ける事になるだろう。それだけは許してはならないのだ。勉学も武術も作法も手落ちがあってはならない。これだから妾の子は、と言われてはならない。全てを完璧に遣り遂げる事が、自分に出来るただ一つの事。
 それに、全てを完璧に遣り遂げるような人間になれば、あの父親も振り向いてくれるかもしれない、という思いもあった。
 扉の向こうの気配をじっと読み、人気のないのを見計らって小さく呟く。
 「……しっかりしないと。」
 既に準備されていた寝巻きに着替えてベッドに向かう。灯りを消してベッドに入ると、後は目を瞑るだけだ。
 だが、その時、ふと窓の方に目が行った。窓辺はなぜか薄明るく見えている。カーテンの隙間から、何か灯りが差し込んでいる気もする。
 なんとなく気になって、むくりと起き上がった。そっと足音を殺して窓に近づく。カーテンの隙間から辺りを窺い、人影が見えないのを確認してから、そろそろとカーテンを持ち上げる。
 薄明かりに見えたのは、満天の星空だった。夜中で辺りの灯りが少ないせいだろうか、一際輝いて見える。窓の桟に隠れている部分がもどかしい。音がしないように気を遣って窓を開けると、造りの良い窓は軋む事もなく静かに外に開いてくれた。
 夜の空気が顔を撫で、満天の星空が目の前に広がる。澱みなく感じる空気を思い切り吸って、ゆっくりと吐き出すと少し気持ちが安らいだ。目線を上げると明るい星も見える。あの星は獅子の心臓だろう。その向こうは双子の星たち。以前母親が話してくれた物語にあった、名前も由来も知っている星だ。立場も住むところも随分変わったのに、仰ぐ星空は母親と一緒に見たものと変わらない。
 あの星、その星、と知っている星を探して見上げる先で、星が一つ流れた。
 あ、と小さく声が出る。
 でも、流れ星が見えたよ、と報告する相手はここには居なかった。
 ……母さん。
 声なく呟いても、何かが起きるわけではない。その現実はわかりきっているのに、なんだか泣きそうになってしまう。
 それでも、泣くわけにはいかない。
 ……大丈夫だよね。
 代わりに、星の向こう、女神の御許に向かってそう呟いた。
 母親は強い人だったのだと、今ならわかる。生きている間、ずっと堂々と胸をはって、自分をずっと守ってくれていたのだと。それがどれだけ大変な事だったのかは、この二月で身に沁みた。
 今度は自分が強くなって、母親を守る番なのだ。
 ……大丈夫だよね。
 もう一度、星空を仰ぐ。
 自分がちゃんとできれば、きっと事態は好転する。いつかはきっと、父親も振り向いてくれる。
 そう、信じたのだ。
 
 
 薄く隙間の開いたカーテンを眺めながら、ふとそんな事を思い出す。
 知識と技術を身につけ、事態は少しだけ好転したが、状況はあれから数年経った今も大差ない。ただ自分が処世の術を覚えただけだ。そして父は相変わらずあの態度のまま……いや、もしかしたらもっと酷いかもしれない。
 そんな数年後の事を、引き取られた当時の自分に言ったら絶望するだろうか。それでも変わらず信じ続けられるのだろうか。
 息を殺して、ふ、とため息をついた。
 扉の外にはご丁寧にも見張りがついている。こちらが居るのはわかっているだろうが、せめて内部状況はなるべくわからないようにしておきたかった。
 ここはバリアハート、アルバレア公爵邸の自室だ。士官学院の実習とやらでたまたま戻ってきていたのだが、主目的は同じクラスの者たちと共にこの街で実習課題を片付ける事で、ここに来る予定はないはずだった。
 だが、そんな中、父親に呼ばれたのだ。自分を待っていると、そんな事を真に受けて、うかうかと屋敷に戻ったのが間違いだった。
 現状は右から見ても左から見ても軟禁状態という奴である。あの時、淡い期待を一瞬でも抱いた自分は甘すぎたのだ。
 ぎり、と歯噛みしても状況は変わらない。まずは……まずは、出来うる限りでの状況の確認。そして対応だ。
 足音を殺し、窓辺に近づく。そして以前と同じように、窓に陰が出来ないよう注意を払いながら、カーテンの隙間から辺りを窺った。どうやら見える範囲には人は居ないらしい。そっとカーテンを揺らすように隙間を広げても、特に人が居る気配は無かった。布の音すら気を遣い静かにカーテンを持ち上げる。外の景色は見慣れたものだが、どうやら自分を警戒するものは居ないらしい。音をさせぬように気を遣い、じわりと窓を開くと、ようやく外の音も聞えてくるようになった。
 きっとあいつらはまだ何も知らない。伝える術があるのなら、バリアハートを避けて逃げろと言いたいところだが、そんな術はなかった。
 狭量で意固地で偏見で凝り固まっていて強情で、お目出度い域で凄まじく単純で、負けん気が強過ぎて煩わしいことこの上ないアレが、オーロックス砦侵入の容疑他治安を乱しただのなんだのの容疑で逮捕されることになっているらしい。そんな真似をしていない事は無論知っている。もちろんその事を訴えもした。が、父からの指示を受けたという家人は全く聞く耳なく、自分にまで謹慎を言いつけてきたのである。
 
 『貴族なんて、みんな同じだ!!』
 
 全力の貴族不信の怒声が脳裏を掠める。
 初対面で真正面から噛み付いてきた時は少々面白いとも思ったが、度を過ぎると煩いし不快でいい事など一つもないのもまた然り、だった。
 ……貴族など皆同じ、か。
 あの時は、言われた瞬間、一緒にするなと思ったが、今は悪い方向に同じ事を思う。
 一緒にするな。公爵家の威光は多少の事実は簡単に捻じ曲げられる。
 一緒にするな。もしも貴族が皆同じなら、こんなことにはなり得ない。
 外の音に耳を澄ます。どうやら動きがあったと見えて、辺りは少しずつ騒がしくなってきていた。どうやら予定通り逮捕されてしまった、で間違いは無いらしい。
 ダメだったか、と小さく舌打ちするが、その辺りは予測も付いていたことだ。それならば動くしかない、と気持ちは驚くほどにあっさり決まった。
 幸いARCSまでは取られなかった。そして剣があるところは予想が付く。いざとなれば適当に武器庫から取ってくる算段で脱出経路を脳裏に描く。目的地は詰所地下。……公爵家の地下入り口から行けば気づかれないだろう。入り口の場所、そこからの経路は頭の中に叩き込んである。そこまで到達すれば逃がす事は出来る。家人には悪いが、目に付いたところから倒れてもらうしかない。
 
 父親の意向に背くのか。チラリと頭をよぎる声は振り切った。
 兄上も、母上も、間違った事をしたとは思うまい。ならばいいのだ。
 大体彼らを逃がしたところで自分は公爵家の人間だ。どうあがいても未来永劫この家から逃げられはしない。その内また話す機会もあるだろう。大体、妾腹とはいえ息子を級友もろとも騙し討ちにしてくれた父との関係が、これ以上悪化するなどありえない。唯々諾々と意向に従ってこのザマだ。それならせめて一矢報いるくらいはしてやりたかった。
 それに、これを見過ごしたら、ここで引き下がったら。
 
 『貴族なんて皆同じだ!!』
 
 一緒にするな。脳裏の声に向かって言い返す。
 同じでは無いと、あの単純馬鹿に証明してやるのだ。自分の誇りにかけて。
 徒手の時のお守り程度にはなるかと、ペーパーウェイトをポケットに放り込み、辺りの動きに気を配る。大丈夫だ、見張りも自分が外の動きに気付いた事には気付いていない。
 行動を起こすなら今だ。
 足音を忍ばせ、出来うる限り気配を消して、扉の前でアーツを駆動させた。そしてエネルギーが流れ出す瞬間、扉を開ける。
 「実習に戻らせてもらう。」
 そう言い置き、驚いた顔の見張りにアーツを叩き込んだ。
 そのまま一直線に廊下を駆け出す。後は上手くやるしかなかった。
 賽は投げられたのだ。
 
 *******
 
 数時間ぶりに頭上に広がる空は、既に星に彩られていた。夜の空気が顔を撫で、星空が頭上に広がる。
 途中で合流できた仲間や、危ないところで助けに入ってくれた兄と教官のお陰もあり、当初の目的は達せていた。軍用犬に追い回され、領邦軍には取り囲まれと散々だった上、兄が自分の学校の理事をしているなど想像だにしていなかった話まで出てきたが、あの単純馬鹿が唖然としている顔も拝めたし、地味な懸案事項だった戦術リンクの問題も解決した。父親との仲を除けば、戦果は上々と言った所だろうか。
 疲れきった体を運びながら、空を仰ぐ。体だけではない、精神的にもなんだか随分疲れた気がした。それでいて、何か吹っ切れたような、妙に諦めの付いたような気もする。すっきりしたようで何か空虚さを感じるような。
 ……原因はわからなくもないのだが。
 澱みなく感じる空気を思い切り吸って、ゆっくりと吐き出すと少し気持ちが和らいだ。目線をあげると明るい星も見える。あの星は獅子の心臓だろう。その向こうにあるのは双子の星。今夜と変わらない星空を、昔、気づかれぬようにあの窓を開けて見上げていた。見上げて何が変わるわけでもないのは解っているのに、何度も何度も……縋った、と言うほうが近い。
 そして今も、空虚を抱えたまま、また縋ろうとしている。母親の話してくれた星の伝承とその思い出に。
 「やれやれだな。」
 ふいにすぐ近くで声がして、飛び掛けた思考が呼び戻された。努めて何もないようにそちらを向けば、げんなりした顔で空を見上げるあの馬鹿が居る。そして同じ困難を潜り抜けた同班の……仲間たちもだ。
 「本当に、大変だったよなあ。」
 やれやれ、と苦笑いでリィンも頷いた。
 「結果オーライだけど。」
 「さすがに疲れました……ね。」
 皆が吐くため息は、それでも決して重くは無い。何かをやり遂げた充足感と、胸のつかえが取れたような開放感を併せ持っている。
 その気持ちもわからなくもない。
 「……まあ、同感だ。」
 そう応じてまた空を見上げた。
 「今夜の星空はなんだか一段と綺麗に見えるな。」
 「一仕事終えたから?」
 「まあそんなところか。」
 のんびりと話している仲間たちも同じように空を見上げているらしい。
 見上げる先、星が一つ流れた。
 
 『……大丈夫だよね。』
 
 ふと、幼い自分の記憶が蘇る。
 一人で星空を見上げ、それに縋るしかなかった、そんな日々の記憶。
 今は変わったかと言われると、ここでは余り変わらない。
 だが、自分は……きっと変わった。
 父の顔色よりも優先した思いがある。真っ向から刃向かってでも、やり遂げた事がある。
 道徳的に間違っていないならいいのだと、振り切れた事がある。
 『仲間』とやらの為ならば、自分でもそんな事が出来ると知った。
 ……そして、そこまでしてもまだ父親を信じたい自分も知っている。
 『……ああ、大丈夫だ。』
 不安げに見上げるだけの、記憶の中の自分にそう応えた。
 空虚感はまだ抱いたままだ。だが、なんとかなると信じる強さを、自分はもう持っている。
 それは、胸の中にすとんと落ちてくるように確信できた。
 『……大丈夫だ。』
 心の中で繰り返す。
 今は同じ空を見上げている仲間が居る。一人でないと言うのは、煩わしいのも居るには居ても案外悪くないものだ。
 「星、流れたね。」
 「願い事が叶うって事でしょうか。」
 笑っている女性陣の声が、心を現実に引き戻す。
 その一瞬、子どもの自分の表情が、安心したように緩んだ気がした。



   
先にマキアスの話を書いていて、対になる話書こうかなって思ったのが発端です。閃2次第ではお蔵入りかなと思ってたんですが、意外にイケそうだったのでUP。閃U見たら、ユーシスは悲しい位強い人だと思いました。あれだけの仕打ち受けても信じようとするあの姿勢は偉い。
脳内BGMは「Little Prayer」wacさんのアレ。「流星に背を向けた 祈る指も人知れず解いた」てあたりもですがなんか全体的に、ああこれはユーシスだと勝手に思いこんだ結果こんな事になりました。
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