中間期末のような大々的なものでは無いにしても、今日言われたからには間違いなくテストである。一時間使うと言っていたのだから感覚的には定期テストと変わらない。
そして、自分は数学が苦手である。どう考えても文系科目の半分もわかっているかどうか自信がない。
もちろん範囲は聞いていた。それならばその範囲を徹底的に勉強すればいいのだ。そんな事は解っている。解っているのだが。
エリオットは今晩十数回目の欠伸をした。
目の前には教科書と数学のノート。そしてミミズがのたくったような文字の躍る計算用紙。眠くて仕方ないが、範囲までさっぱり進まないのだからやるしかないのである。
「……頑張らなきゃ……」
声に出して、少し気合を入れてみる。そしてまた数式を頭に詰め込む作業を再開する。
しかし、集中はそう続かなかった。
こんな数式一体人生のいつ使う機会があるのだろう。そんな事をぼんやり考える。一般常識というけれど、一般の会話で指数関数だの対数関数だのなんて使わないと思う、普通は。趣味でも使うかどうか怪しい世界だ。バイオリンの響きに何か関係あるのだろうか、そういえば積分の記号はバイオリンのf字孔に似てるけどあれはfだし、やっぱり良くわからないけど。
一度の青春、こんな事に使ってていいんだろうか、と思考はどんどん脱線していく。
そもそもこれは青春に入るんだろうか。青春とは何なのか。なんで青いのに春なんだろうか。春の代名詞のライノの花は白いし、空は夏の方が青い。というか誰なのだろうか、こんな言葉考えたのは。どこをどうやったら春が青くなるのか、大体青春はなんで春なのか。というかそもそも厳密にはどういう意味なんだ、なんでこんなに曖昧なんだ。ぐるぐる回る思考の果て、ノートに頭突きしそうになっているのに気が付いて目が覚めた。
幸いノートは汚していないが、計算用紙にはミミズののたくったような字でせいしゅんなんて書いてある。時計を見れば、とっくにテストの日になっていた。
早いところ公式を頭に入れなくては。ぼやけて寝ぼけた頭に詰め込む方法なんて全く考え付かないが、もうこの際どうでもいいのだ。計算用紙に公式をひたすら写して覚えたつもりになるだけでも違うと思い込む事にした。
外は既に薄明るさが見えるようでぎょっとする。寝ておかないと不味いのも解っていた。テスト中に寝てしまう失態だけは防がなくてはならない。
時計と残りページを見比べる。残りの公式はあといくつなのか。
「ろぐえーぶんのいちえっくすいこーるまいなすろぐえーえっくす……」
暗唱できたところで少しだけ落ち着きはしたがこれは基本だ。
もうどうとでもなれである。
二時間目だし、明日マキアスを捕まえて何とかしてもらおう。持つべきものは数学の得意な友人だ。
文具を片付けて数学の教科書とノートを鞄に放り込むと、エリオットはそのまま倒れこむようにベッドに転がり込んだのだった。
翌朝。
「おはよー。」
眠い目を擦りながら教室に入ると、既にガイウスとリィンとユーシスは教室に入って雑談中だった。
「ああ、おはよう。」
「随分眠そうだな。」
「どうしたんだ?」
口々に振り返る三人に、ふわふわとした生返事で鞄を置く。
「……青春って、なんだろうね。」
寝ぼけた頭はそんな適当な文言を声にしてしまい、向こうの三人は明らかにびっくりしたようだった。
「……朝から随分哲学的なんだな。」
「……エリオット、本当にどうしたんだ?」
「うん、実はね……」
説明しようとしたら、その前に大きな欠伸が出てしまう。椅子に座ったらそのまま眠ってしまいそうだが、ここで寝るのもどうかと思ってなんとか身体を起こす。
「数学のテスト勉強…結構遅くまでやってたんだけどさっぱりで。」
「ああ、二時間目か。」
「必死で公式頭に詰め込んでたんだけど、青春って何なんだろうってふと思ったらなんかそのままぐるぐるしちゃって。」
なんで春なのに青いのかなあ?
昨日……いや、今日未明からの疑問を口に乗せると、リィンたちは顔を見合わせた。
「……春になると黒い大地から青い芽が出てくるから、か?」
首をかしげてガイウスが言う。
「……でも、青く茂るのは夏の草だよな?」
さらに首をかしげてリィンが言う。
「……慣用的に若い事を青いと言うからではないのか?」
青二才とか青臭いとか。
ユーシスが言えば、そうか、そうだよなあ、となんとなく納得してしまう。
「……でも、なんで春なんだろ?」
首をかしげたところで、がら、と扉が開いた。
「おはよう。」
鞄片手に入ってきたのはマキアスである。
「……君たちは、朝から揃いも揃って一体何を考え込んでるんだ?」
ガイウスはああ、と軽く頷いた。
「……青春について考えてたんだが。」
「……」
……マキアスは常日頃頭の回転は速い方である。
が、この一瞬は確かに頭が回っていなかったようだった。
「……はあ?」
間を置いて、気の抜けた声が返ってくる。
「その、青春って何なのかなって。」.
「すまない。意味がよく解らないんだが。」
「これだから理解力のない奴は。」
全く、という口調に、マキアスが一瞬口をあけて、また閉じた。
「青春の意味かあ。」
リィンがため息をつく。
「人生の春ということか?」
ガイウスが首をかしげる。
「季節が春から始まるのなら、春は子ども時代な気がするけど。」
同じように首をかしげると、ユーシスが、何か聞いた気がするな、と何かを思い出すように目を空に向けた。
「『青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。』」
詩のような言葉がするすると出てくる。
「『優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。』……とか言うのがあったような。」
「……随分勇猛な文言だな。何かの詩か?」
驚いたようなガイウスと一緒になってうんうんとうなづく。
「良く覚えてるねえ。」
「暗記させられた中にあったんだろう。貴族としての単なる教養だ。」
「……まあ、俺は覚えてないんだけどな。」
その陰でリィンがひょこっと肩をすくめた。
「環境によるという奴だ。気にする事では無かろう?」
「まあ、そうなんだろうけど。」
苦笑いするリィンとユーシスを交互に見ていたマキアスが、はあっと息をついた。
「意味が解らないなら、記憶の底から気取った詩をひっぱりだすよりも辞書を引けばいい話だろう?」
鞄をどん、と机に置くと、マキアスは中から小型の辞書を引っ張り出した。
「せいじ……せいしゅ……青春、と。
若く元気な時代。人生の春にたとえられる時期。青年時代。
あとは、東方では春は青いらしいから春の事だな。 」
ほら、とあっさり辞書を引いてどん、と置いてみせる。その指先に全員の視線が集まった。
「若く元気だから……春。」
「人生の春、か。随分簡単に纏めてあるんだな。」
「物事の機微を全く解さない四角四面のお前らしい回答だ。」
はん、と揶揄するような笑いに、マキアスが今度こそ声を荒げた。
「どうでもいい事をやたらに飾り立てようとするのは実に貴族らしいとは思うがな。」
「この場合表現は豊かな方がいいと思うが?数学や暗記科目の問題ではないからな。」
数学、の言葉でハタと気が付く。
「そうだ、数学!!」
いきなり声を上げたのにびっくりしたのかその場の視線がこちらを向いた。
「……数学がどうかしたのか?」
怪訝そうなマキアスに、うんうん、と思い切り頷く。
「二時間目のテスト、範囲ちゃんと終わらなかったんだよ。助けて!」
「助けてといわれても……何を助ければいいんだ?」
「本当に気の回らん奴だなお前は。」
困惑半分のマキアスに、呆れたような顔でユーシスが言う。
「やかましい。
エリオット。何がわからないんだ。今から何とかなる事なら協力するぞ。」
辞書が引っ込んで、教科書がとんと出てくる。
「87ページから先がさっぱり復習できなかったんだ。なんとかする方法とか」
「ないな。そもそも数学ってのは一夜漬けに向く科目じゃないし。」
言いながらも指は87ページをめくっている。
「ここから先は大体応用だな。」
ふむ、とユーシスが息をついた。
「……まあこれ以降の範囲なら力技で解けなくもないか。」
先を範囲のところまでめくりながら、マキアスも息をつく。
「美しくないが、まあ妥当なところだな。」
「部分点がどうなるかはわからんが、解けるのが最優先だろう。」
良くわからないところでなぜか二人は一致したらしい。
「エリオット、この辺の公式と使い道は無論覚えているな。」
言外に覚えてなかったらどうしようもないぞ、がにじみ出ていてあわてて頷く。
「うん、それは大丈夫だけど。」
「ぱっと見解き難い問題が出てきたら、これと、こっちの公式、あとこれだな。一回ずつ試して解けそうな奴から解くんだ。」
最後まで整数で片付きそうならそれが当たりなのだという。
「……ヤマはってるみたいだな。」
言いながらリィンも身を乗り出してきた。上のほうをちらりとみたら、ガイウスも真剣に教科書を覗き込んでいる。
「……ヤマといえばヤマなんだが、これ以降の式は大体この辺のバリエーションだからな。」
これはこれをひっくり返した奴だし、これはこれの変形だし、と言いながらマキアスは先の式を指差していく。その脇でユーシスがまあそうだな、と頷いた。
「あとは条件確認を頭に置いておく事だ。」
「だな。教官の事だ、確実に出してくると思うぞ。」
「そんな傾向までわかるのか。」
驚いたようなガイウスに、マキアスはああ、と頷いた。
「なんとなくだけどな。あと、解いてしまったら妙に数字が綺麗になるから少し目安にしている。」
「あ、それはなんか解るよ。解けたときって最後は綺麗な数字が出るもんな。」
うんうん、とリィンも頷く。
「こっち側のはなくても大丈夫ってこと?」
「……あった方がいいにはいいんだろうが。」
ガイウスが頬を引っかく。マキアスも少し考えたようだった。
「どうしても必要になるパターンもあるにはあるが……この形とかこの形とか。
でも時間もあんまりないからな。もしも出てきたら自分の記憶力を信じるしかないさ。一度は習ったんだし。」
「記憶力との勝負……」
げそっとしたのが声に出たのか、マキアスは慌てたように先を続けた。
「まあ、大丈夫だと思うぞ。教官はサラ教官みたいなサディストじゃないし。」
「それはいえているな。」
ユーシスが肩をすくめる。それを見るにどうやらそこまで心配しなくてもいいらしい。
「そっか、そうだよね。」
少しホッとした。
「二時間目前に一度復習しておくか。そろそろホームルームだし。」
「うん、助かるよー。ありが……」
顔を上げ、言おうとした言葉が途中で止まる。
上げた顔の先、教室の入り口に何かいた。
具体的には、このタイミングで居てはいけない、人が。
「エリオット?」
固まっていると、ガイウスとマキアスが怪訝そうな顔でこちらを見て、その先を見て、ぴたりと制止した。
「マキアス。ユーシス、エリオットも。誰がサディストですって?」
丁度話題にしていたサラ教官がにっこりと凄絶な微笑みでこちらを眺めていたのである。
「え、と。それはその言葉の綾で!?」
あわあわと言い訳をしようとするマキアスの後ろから周りを見ると、いつの間にやら女子も全員揃っていて、遠巻きな瞳でこちらを眺めていた。
「そう、言葉の綾。
……使い方、少し間違ってるんじゃないかしら。」
「……珍しく早くきたとおもったら、どこから聞いてたんだ……」
ユーシスの苦虫を噛み潰したような声に、サラ教官はついさっきからよ、と笑顔を見せた。
そしてそれは一瞬で、怒りを塗りこめた真顔に変化する。
「三時間目、楽しみにしてなさいね。」
本日三時間目は、まあ……実技訓練である。
「ええええ?!」
「勘弁してくださいよ……!」
「なんでも私はサディストだそうだしね?それなら、期待には応えてあげるのが教官の義務よね。」
ぷいっとサラ教官がそっぽを向いたところで、ホームルームの鐘が鳴ったのだった。
「サラ教官が来てたなら教えてくれればよかったのに……」
ホームルーム終了後。遠巻きに見ていた女子のほうにこぼすと、四人は一様にすっと目を逸らした。
「全くだ。というか、居たなら声くらい掛けてくれてよかったんだぞ。」
マキアスがそう言って頭を抱えると、隣の席のエマはあはははは、と苦く笑った。
「その、皆さんがあんまり真剣に議論してらっしゃったので、気が引けて……」
「そんな遠慮するような間柄でもないだろうに。」
深々とため息をつくリィンに、アリサが目を逸らしながら言葉をこぼす。
「なんというか、こっちから遠慮したいというか……」
ねえ?といわれたラウラの方は、困ったような顔で曖昧に頷いた。
「まあ……高尚すぎて理解の範疇を超えたから遠慮したというか……」
いい難そうな言葉の先のフィーは、眉をひそめると、はあ、と面倒そうにため息をついた。
「ぶっちゃけドン引き。」
「それはどういう意味だ?」
ガイウスの素直な疑問の言葉に、アリサがあのね、と息をついた。
「朝教室に入ったら、クラスの男子全員で青春について真剣に語り合ってた。」
改めて言われると、結構な破壊力の言葉だった。
「……言葉だけで既にシュール。」
ぼそっと呟かれるフィーの言葉は呆れだけでなく恥かしさまで滲んでいて、こちらもぐっと恥かしくなる。
「それこそ言葉の綾だと思っていたんだが、まさか実践する者がこんな身近に居るとは思わなくて少し驚いただけというか。」
「……まあ、議論する事はいい事ですよ。」
困ったような、それでもあえてフォローしようとする二人の言葉に今更ながら恥かしさがこみ上げてきた。
「……それは、その。」
顔を抑えたところで、数十分前の行いは消えない。回りも大体似たような感じだった。
ただし、疑問の主のガイウスだけはきょとん、としている。
「そうか、恥かしい事なのか。」
ふむ、と首をかしげるガイウスに、クラス全員のため息が応えた。
「……わからないなら、それもお前の美点だろう。
だが、たとえ悪気がなくとも、くれぐれも他所で言ったりはしないで欲しい。」
重々しいユーシスの言葉に、お前がそういうのなら、とガイウスは頷く。
「……よくは解らないが。」
「うん、そこは個人の問題だと思う。
ただ、僕達は割りと恥ずかしくて今ちょっと後悔してるって事だけ覚えといてくれれば。」
「……そうか。」
わかったと了解した顔に、ありがとうと頷いたところで、ちょうど扉が開いた。
「はーい、皆さんおはようございます。」
二時間目の数学と三時間目の実技の陰に隠れていたが、一時間目は文学。丁度トマス教官が入ってきたのだ。それと同時にガタガタ、と皆の意識が教卓に向かう。
慌てて教科書を引っ張り出す前で、トマス教官はのんびりと持ってきた教科書を教卓に置いた。
「今日は古典詩の纏めでしたね。それじゃあまずは号令からお願いします。」
その後。
「サラ教官ー。Z組の生徒の事でちょっと気になったんですけど。」
教官室にてトマス教官はサラ教官にそう声を掛けたらしい。
「はい、うちの生徒が何か?」
怪訝かつ若干の心配を滲ませてサラ教官が聞き返すと、トマス教官はいつもと同じ緩い感じで笑って首を振った。
「いえいえ、大した事じゃないんですよー。
今日はZ組に詩作をさせたんです。そしたら、男子生徒の題目が全員揃って『青春』になっててー。」
「あの子達が、ですか……?」
サラ教官が目を見開いたのにも構わず、トマス教官は緩く頷いたらしい。
「ええ。ずいぶん青春されてるみたいですが、何か指導されたんですかー?」
「いえ、そんな事は。……しかし……はー……青春、ですか……」
その後、職員室には堪えきれなくなったサラ教官の爆笑と、ハインリッヒ教頭の怒声が響き渡ったのだという。
「で、実際何があったの?ううん、言いたくないなら言わなくてもいいんだけど気になるというか!」
たまたま職員室に居たという無邪気なミントの問いに、エリオットはもごもごと口ごもった。
「え、その何もないよ……?」
言いながらも、今日は厄日か、と内心は頭を抱えてのた打ち回っている。
二時間目のテストは、なんとか潜り抜けていた。マキアス達のアドバイスが意外なほど活きて、何とか酷い点数を取る事は回避できたはずである。
しかし三時間目は、朝のやり取りをしっかり根にもっていたサラ教官のおかげで酷い目にあったのだ。おかげで四時間目五時間目と随分辛かった。
部活でリフレッシュして今日はさっさと寝よう。そんな事を思っていた矢先、こんなところで朝のダメージが掘り起こされるなんて思っても居なかったのだ。
こんなことになるのなら。
心は頭を抱えながら叫んでいた。
青春なんて、本当に、心底、どうでもいい!
茶太さんの「たぶん青春」てCDを久々に発掘したら「一夜漬け」って曲がとってもとっても好きだった事を思い出したついでに似合いそうな人に実演してもらいました。良く考えたら軌跡だとまともに青春できるのって貴重だよ!同い年位のクラスメイトとどうでもいい話とかテストが授業がーって叫べるのって実は貴重なんだよ!もうここは全力で青春してもらうしかないじゃないか!……と思い込んだせいです。
曲の中に「二人の行く場所が別々になっても 言葉を交わせなくなっても 信じているから 君を」て歌詞があって、Z組の子たちも割とそうだよねえとおもったらちょっと切なくなったので、せめて閃の時くらいはわきゃわきゃしてて欲しいなと。