残り少ない為、監督のエリオットの特訓はとても厳しかった。ちゃんとできるまで帰さないからね!という脅しのような言葉は脅しでもなんでもなく確定事項だ。おまけにやたらにノリノリのクロウのせいで演出が増えたり振りが派手になったりと負担ばかりが増えていく。特訓のおかげで全員の上達スピードは結構なものだと思うが、その分を超える量の課題が後から後から増えていくのだ。
でも、全員で気を合わせて演奏するのは、悪くなかった。少しずつ上達していくのも達成感がないわけではないし、面倒だと思ってもあの熱気に当たると身体は勝手に動いてくれる。相方のミリアムは毎回トンデモな動きを絡めてくるおかげで、飽きも来ないし、これはこれで悪くないというのがフィーの評価だった。
くったりした体は、多分そのままベッドに転がればすぐにでも眠ってしまうだろう。
しかし、自分の身体は練習のおかげで変な汗でぐっしょりだ。シャワーも掛からずに寝るのはなあ、と思う程度にはフィーもこの生活に馴染んでいた。問題は、現在シャワーが誰か使用中らしく使えないという事だ。
しかしこのまま横になれば確実に寝てしまう。それはそれでいいのだが。
んー、と背を伸ばして音もなく立ち上がった。
自分の流儀には反するが、少し眠気覚ましでもしてこよう。それがフィーが出した結論だった。
色々面倒なので窓から飛び降りると、夜の少しだけ冷えた空気がずっと室内に居た身体を冷やした。
音もなく着地して、辺りを窺う。どこに行くかは決めていないが、最低限の武装は一応持ってきていた。街中の方と街道の方を眺めて一秒思案して、……そしてなんとなしに足を街道に向ける。室内はもう勘弁して欲しい気持ちだったのだ。それなら広い場所に行った方が気持ちがいいかな、となんとなく思ったからだった。
駅前をそっと突っ切り、ラジオ局の前を抜けると、夜の街道は結構な開放感だ。誰も居ないしと、月明かりの下でたんたんとステップを踏む。右、右、回転してキメて……
「……これじゃ学園祭の練習してるみたい。」
適当に踏んだステップが戦闘のそれでも体術のそれでもなく、学園祭のバックダンスだった事に気付いてむぅ、と止まる。どうやらここ最近毎日だったせいか、沁み込んでしまったらしい。
あーあ、と息をついて……ふと気配に気がついた。気配というか、声だろうか。あっちの木の方、街よりの茂みのほうに、……なんか居る。そこだけうっすらと明るいから多分間違いない。魔獣かな、とも思ったが何か全然違うような気がする。例えて言うなら人?のような。そして妙に覚えがあるような。
少し眉をひそめて、……そして茂みに向かって声を掛けてみた。
「……誰か居る?」
無害とは思っても、そっと銃を構えるのは猟兵時代からのクセのようなものだ。しかし、それが目に入ったのかなんなのか、茂みはがさごそと動きだした。
「……フィーか?」
怪訝そうな声と紙の擦れる音。間違いなく知った声に、構えていた銃を下ろす。
「……なんだ、マキアス?」
ああ、と声が聞えた。茂みのほうに向かうと、声の主は丁度茂みの間に座っていたらしい。
「なんでこんな所に居るんだ。夜の街道は危ないだろう。」
立ち上がったマキアスの若干怒ったような声に、少しむっとした。
「それはこっちの台詞。私よりマキアスの方がよっぽど危ない。」
「一応武装はしてきたぞ。」
マキアスの手には何かの紙束と灯り、そしてショットガンがある。でも、肝心の戦闘能力はイマイチ、というのは厳然たる事実なのだ。
「一人で何とかできると思った?」
「何か来たら、威嚇射撃して逃げるつもりだったんだがな。」
「それは甘いと思う。」
淡々と事実を指摘すると、マキアスはむぐっと詰まった。
「それは、その……」
もごもごと言いよどむところを見れば、多少後ろめたいとは思っているらしい。やれやれ、と肩をすくめる。
「で、何してたの?」
問うと、あー、とマキアスは気まずそうに紙束を見せた。
「……練習、だ。」
そのままぺたりとまた居たところに腰を下ろす。
マキアスの手にあるのは、確かに嫌になるほど見慣れた楽譜だった。
「こんなとこで?」
倣う様に隣に腰を下ろすと、さらに気まずそうな声が返事をする。
「……寮だと声が出せないだろ。」
「別に学校でも良かったんじゃ?」
首をかしげると、う、と嫌そうなうめき声が返ってきた。
「いや、学校は……なんと言うか……」
勘弁して欲しい、と書いてある顔には、大体自分と同じ理由が見える。
「行ったら問答無用で鬼と化したエリオットを思い出しそうでな……」
「……それは同感かも。」
げんなり、と思い起こす顔はきっと共通のものだ。はあ、とため息が漏れる。ややあってマキアスが口を開いた。
「フィーはなんでここに居るんだ?」
「私は……夜のお散歩?」
首をかしげて言うと、深い深いため息が返ってくる。
「町の外はどうかと思うぞ。」
「大丈夫、問題ない。」
ちゃっと武器を見せると、マキアスははあ、と息をついた。
「フィーも一応女の子だろう。そりゃあ君が強いのは知っているが。」
それでもやるべきではないな。
生真面目にそういうところは、どこまでもマキアスだなあと妙なところで感心する。
「まあ、そこはそれ、ここはこれ?」
「僕は真面目に」
「で、練習はできてたの?」
話題をひょいっと逸らすと、マキアスはむぐっとまた口をつぐむ。
「……悪意しか見当たらない位二人でタイミングを合わせる所が多くてな……」
「なら一緒にやればいいのに。」
「できるか!!」
うがあっと上がった声が闇夜に響いた。
「……マキアスうるさい。」
「うるさくさせてるのは誰だ!
とにかく!なんとしてでも!僕は!ユーシスの奴より先に上達してやりたいんだ!」
絶対に鼻をあかしてやる!!
ぜえはあ、と息を切らす位の力説はつまり、負けたくないから頑張る、という単純な理屈である。理知的な顔を気取っている割に、素はどうにも素直でどうにも子どものようだった。それが少し可笑しくて、くすっと笑いが漏れる。
「……何が可笑しい。」
「ん……大体全部?」
絶句しているマキアスにまた問いかける。
「で、はかどってる?」
「べ、別に!一人でだって音取りくらいはできる!」
つまりさしてはかどっていないというわけだ。ひょいとマキアスの手の中の紙をのぞきこむ。
「何だ?」
他人の楽譜にまでさして興味もなかったし、譜面を読むのは今だって苦手なのだが、流石にここ最近の特訓で随分読めるようになってきていた。つまり丸の位置で音の高さを表しているということである。まあ解らない分だって、ここ最近毎日のように聞いているから流石に覚えていたりはするのだが。
やっぱり自分のとは違う譜面には、二人分のパートと歌詞が記されていて、几帳面な字で細々と注意点が書かれてあった。息継ぎのタイミングだとか声の大きさだとか、本当に細かい筆跡は、間違いなく当人のものだ。
「……細かい。」
「書いておけばその分覚えるからな。」
ちなみに自分の譜面はといえばエリオットに書いてもらった分以外は今のところ真っ白なわけだが。
「マキアス、努力家だね。」
素直に感想を口にすると、少し口ごもる音が聞えた。
「……こ、これくらい当然だ!」
「あ、照れた。」
指摘すると、ふいっと顔が背けられる。
「フィー、からかいにきたならさっさと戻ってくれないか。気が散る。」
完全に照れ隠しの八つ当たりだ。
「別にそんなんじゃないんだけど。」
肩をすくめて譜面に目をやると、なんだか数箇所がしがしっとチェックの入ったところが目に入った。譜面はよくわからないものの、歌詞がわかればメロディは自分の担当曲でもないのに一致する程度には聞いている。
「……すーべてをー賭していーまー」
「ここにーたーつー」
そろっと口ずさんだ歌には、反射のように低い声が返ってきた。
「……あ。……これは。その。」
気まずそうなマキアスの顔からすると、完全に反射だったらしい。
「……随分印入ってるけど、大事なとこ?」
なんとなく聞くと、むぅう、と形容しがたい声が返事をした。
「……タイミングが合わない上、腹立たしい事にユーシスの声に釣られてしまうからな……」
「難しいトコ、か。」
「そういうことだ。」
はあ、とため息が返ってくる。
「なんとかしたいんだがな……ユーシスも腹立たしいがエリオットも怖いし。」
「……それは、わかるかも。」
すべてをとして いま ここにたつ。
口の中で小さく節をつけて口ずさむ。自分が聞き覚えているのは主旋律のユーシス担当分だったりするのだが、隣で譜面の上を指でなぞりながら口ずさんでいるマキアスのメロディはそれとは少し違って、なんだか低い。
「フィー、もう一度いいか?」
ふいに声を掛けられて、顔を上げた。
「え、何を?」
「その……ユーシスのパートを、だ。」
とても言いにくそうながら、はっきりした言葉には切実さが見て取れる。ただ、その切実な理由はユーシスもさることながらおそらくエリオットだろうと見て取れた。音楽が絡むと別人、というのはここ数日で嫌になるほど思い知ったところなのだ。
「……ん、わかった。」
だから素直に頷く。せえの、で歌い出すと、今度はうまく声が重なった。
ホッとしたような顔に、やったね、とお互いの拳を合わせる。
「……やれやれ、別に音は間違ってないんだがな……。」
はああ、と息をついて譜面を指がもう一度なぞる。
「間違ってないならもっと自信持てばいい。」
「そうは言うが、……まあ、それもそうか。」
ブツブツと口の中で呟くように口ずさむ、同じフレーズ。ややあって、マキアスはひょい、と立ち上がった。
「帰るの?」
「いいや。そろそろちゃんと声を出そうと思ってな。フィーの方こそ、そろそろ帰ったらどうなんだ。」
「もう少し見学していこうかな。」
マキアスを一人にしておくのは少し心配、というのもある。そう言うと、そんな心配は要らないんだがなあ、とマキアスは肩をすくめた。
「でも、居るなら何かあったとき心強い、か。」
ぼやくようにいって、すっと息を吸い込む。あー、と響く声は自分よりは随分低い男の人の声だ。
1、2、3、4とカウントを取り、歌が始まる。所々休みが入ったり自分が知っている音と違うのは、マキアスのパートがサブメインだからなのだろう。覚えている音を合わせて口ずさむと、少し驚いたような顔がこちらを向いた。それでも歌は止まらない。所々声が重なって、やがて重なった音のまま曲は終わりを迎えた。
「ありがとう、フィー。……なんというか、意外と覚えてるんだな」
「ん……毎日聞いてるから。」
マキアスだって女子パートの歌、なんとなくわかるんじゃないかと思う。そう言うと、マキアスはそうか?と少し首をかしげる。うん、と頷くと、もごもご、と低い声が女子の曲を少しなぞり、……やがて、納得したように頷いた。
「なるほど。」
「納得した?」
「ああ。」
息をつき、マキアスはくっと背を伸ばす。
「さて、後一回歌ったら戻るとするか。街の外に長居するのも何だしな。」
「ん、わかった。」
1、2、3、4とカウントを取って、また歌が始まった。さっきよりも大きくて、少し自信の付いた声が夜の闇に響いていく。隣で聞くような歌うような気持ちで音を合わせていたら、またいつの間にか声が重なっていた。よくわからないけどちょっとだけ楽しくて、少し声が上がる。
重なり合った声はやがて夜に溶けた。余韻も消えて、また街道に静寂が戻る。ふう、と息をついて脇を見ると、同じように息をついたマキアスが同じようにこちらを見たところだった。
「さて、帰るか。」
「ん。」
ひょこっと立ち上がって土をはたいていると、傍にあったショットガンと灯りが移動する。
「……そのなんだ、ありがとうな。」
遅くまでつきあってくれて、と、少し気まずそうな言葉に首を振る。
「……別に、お礼言われる事じゃないよ。」
こっちに来たのも付き合ったのもただの偶然だし。そう言うと、そうか、と声が降ってきた。
「あと一つ言っておくが。」
けほん、とわざとらしい咳払いに思わずそちらを見上げると、マキアスの顔がふいっとそっぽを向いた。
「今夜のことは、絶対に 絶ーっ対に他言するなよ。」
「……えー。」
わざと不服そうに声を上げると、ぎりっと睨まれる。
「いいか、絶対にだぞ!特に、ユーシスの奴にだけは、何があっても言うなよ!」
ガミッとした問答無用の言い方にむっとした。
「そんな風に言われると、言いたくなるような。」
「僕は面倒くさがり屋の君がわざわざ告げ口するような事はないと信じてるんだが。」
大体あっているが、それにしたって随分な言い草である。
「戻ったらユーシスの部屋に行ってみようかな。」
言うと、マキアスの言葉が止まった。
「……学食でジュース位なら奢ろう。」
少しの逡巡の後の言葉は明らかな買収だ。しかし、それなら黙っていても問題ないと判断した。
「……ケーキも追加で。」
足元見てるだろ、という視線はしれっと無視である。
「……アイスにまけろ。」
「……まあ、いっか。」
やがて小さな舌打ちとため息が返ってきた。
「……よし、交渉成立だ。いいか、絶対だぞ。約束だからな。」
「ラジャ。約束する。」
神妙に頷くと、マキアスはあーあ、と夜空を仰いだ。
「……全く、どこで覚えてきたんだ。」
「さあ?」
ひょこっと肩をすくめて歩き出すと、マキアスもすぐについてくる。
出ている月を見てみると、シャロンや寮の仲間に怪しまれない最終ラインは随分迫っているようだった。
「ちょっと急ごうか。」
「ああ、そうだな。」
遅くまでありがとう、の言葉に、ん、と頷く。そのときにちょっとだけ目があって、なぜだかちょっとだけ二人の目が笑った。
少し早歩きの先にはトリスタが見える。
明るい街の灯は、早く帰って来いと言っているように揺れていたのだった。
そして翌日。
相変わらずの練習は遅くまで続いた。その後は夕食。そしてお風呂……と思ったら、数メートル先でお風呂の扉が閉まったのを目撃してしまったのだ。
入っていった人影は明らかに背が高く、恐らく男子の誰かに見えた。女子ならともかく、ここでノックして割り込む気には流石になれない。
お風呂の時間はもう少し考えるべきかもしれない。そんな事を思いながら、結局二日連続の窓からダイビングを敢行することにした。ARCUSと双銃剣片手に、今夜も夜のお散歩だ。
行き先はやっぱり街道だ。但し、昨日とは逆方向に歩き出す。街を抜け出すと、人気も何もなくなって、茂みと木立の間に星空がぱっと広がった。ここを真っ直ぐ行くとケルディックだ。昨日は先の方が帝都だったせいかほんのり明るかったが、流石に向こうは何も見えない。少しだけ冷えた空気の中でうーん、と伸びをした。ふわりと吹く風もまた心地よくて、お散歩には丁度良い。さて、どこまで行こうかな、と前を見て……どこからか聞える歌声に気が付いた。
「……今日はこっちだったのかな。」
昨日と同じようにマキアスが練習しているのかと思ったのだが、何か違う。おまけに少し変な気配がするような気もする。不思議に思って辺りを見回すと、少し外れたところにぼんやりと灯りが見えた。声もそこから聞えてきているらしいが、……自分の耳を信じるなら、声の主は別人である。
似た者、という言葉が頭をよぎった。あの仲の悪さの半分くらいは同族嫌悪とかいう奴ではないのだろうか。
そっと気配を消し、そろそろと灯りに近寄る。木陰に身を隠し、そおっと窺うと、果たして予想通りの人物が木立の隙間のちょっとした広場で歌を歌っていた。
曲目は昨日聞いたのと同じ。ただし、譜面と思しき物は明かりを重石にして地面に置いてあり、当人……ユーシスは真剣に音と動きを辿っているようだった。思い切りのいい歌声は間違いなく誰も聞いてないと思っているからだろう。練習の時よりもはるかに伸び伸びとしている気がする。指定の振り通りに空を仰いで一曲終わると、ユーシスはふうっと息をついた。やれやれ、といった体で譜面を拾いに行こうとしているらしい。それを眺めていたら、ざわっと風が吹いた。
「?!」
その音に驚いたか、厳しい視線が一番音のしたこちらの方を向く。やばい、と一瞬思ったのが不味かったか、ユーシスはどうやら気配に気づいてしまったようだった。
「誰だ?出てこい!!」
片手には傍に置いてあった剣を携えている。怒った時の団の皆ほどではなくとも、声に迫力があった。物凄く怒っている声は聞いた事があったのだが、迫力がそれの上を行っている。
「……ん。」
両手を挙げ、降参と出て行くと、ユーシスは驚いたような顔で剣を下ろした。
「……フィー、……お前、なぜここにいる?」
「……散歩してたら声が聞えたから。」
正直に言うと、ユーシスは、フン、と鼻を鳴らす。
「……立ち聞きとは随分いい趣味だな。」
「……出て行ったら邪魔になるかなと思って。
あ、練習、続けていいよ。」
どうぞ、と促すと、雷が落ちた。
「出来るか!!」
思わず耳を塞ぐ。
「……そんなに怒鳴らなくても聞える。」
抗議の声に少し我に返ったか、声が落ちた。
「……全く。大体なんでこんなところまで散歩に出たんだ。ここがどこだかわかっているのか?」
街の外だぞ、と言う言葉には別の怒りも混じっている。その心配だかなんだかわからないものにとても覚えがあって、なんだか可笑しかった。
同じような声を昨夜も聞いたような気がする。そう喉元まで出かけて、ごくんと飲み下した。今日はお互い部活の用事でタイミングが合わず、まだジュースもアイスも奢ってもらっていないのだが、約束は約束だ。
「……別に心配する事ないよ。」
闇夜は得意。代わりにそう言って武器を見せると、今度こそユーシスは深々と息をついた。
「……ああ、そうだろうとも。
だが、必要もないのにこんなところまで出歩くな。一応お前も女だろう。」
続く文言まで何か聞き覚えがあって、なんとなく二人して同じもので出来てるんじゃないかという気になってくる。
「それはこっちの台詞。素人が夜に街の外に出るのは危ない。」
「素人、か。お前から見ればそうなのかもしれないが。
ここはさして街から離れてはいない。武装はしているし問題は無いだろう。」
ユーシスはそう言いながら下ろした剣にとんと触れた。確かにユーシスだって全く戦闘能力がないわけではない。が、正直甘いとも思った。
最初に気付いた変な気配。あれがなんだか近寄っているのだ。
「ユーシス。近くにに魔獣居るの、気付いてる?」
「なんだと……?!」
どうも魔獣らしいと気付いたのはユーシスの声が少し落ちたからなのだが。武器に手を掛けてしばしの沈黙。しかし、沈黙の間に、ぺたりべちゃりと嫌な音が草の上を這うのがはっきり聞えてきた。
「……ARCUSはあるな。」
「……ん、繋ごう。」
警戒したまま、リンクを繋ぐ。灯りは足元だけだ。剣を抜き、構えてユーシスの傍に移る。べちゃべちゃとした足音はじわじわと近づき、やがて目の前から何かトロトロしたものが姿を現した。
「……ドローメ。」
ただ、ありがたい事にどうやら一匹だけらしい。
「フン、こんな街近くまで来るとはな。」
ARCUSのおかげで相手のやりたい事は手に取るように解る。
「先に行く。」
だから一言だけ告げて前に出た。たぷんとたゆんだドローメめがけ、銃で牽制しながら踊りこむ。そうそう射撃は効かないのだが、そこからの斬撃は問題ない。途中の触手も気付いてしまえば避けるのは大した事ではなかった。手数に物を言わせて縦横に剣を走らせる。敵の視界を揺らすように左右に振れて切り込めば、魔獣は自分に掛かりっきりだ。
「フィー!!」
後ろからの声に、身体を思い切り跳躍させた。近くの木の枝に捉まった瞬間、足元を冷気の塊が走り抜けていく。その後を追うように、勢いをつけて着地する先は足元から凍結したドローメだ。頭の上から思い切り銃剣を突き刺すと流石にたまらなかったか凍結していない部分が思い切りもがいた。弾みをつけ、飛び上がるようにして剣を引き抜くと、その下をユーシスの剣が横薙ぎに切り裂く。シャーベット状の部分を一刀両断され、ドローメはどうやら倒れてくれたようだった。
「ん、うまく連携できたね。」
すたん、と着地し、コア部分を一応斬っておく。
「……フン、造作もない事だ。」
声のほうを見上げると、何か扱いかねるような目で見下ろされた。よくは解らないが、とりあえず今確認すべきを確認する。
「怪我はない?」
それで我に返ったか、ユーシスも、ふうと息をついた。
「……ああ。……お前は大丈夫か?」
「ん。問題ない。」
武器についた残滓を木の葉で拭い、元通り片付ける。
「まだ練習する?」
「……いや、戻ろう。お前ももう戻るだろう?」
剣を同じように仕舞いながら、ユーシスが深々とため息をついた。
「ん。じゃ、送ってこう。」
「…………。」
その台詞はどう考えてもおかしいだろう、とユーシスの顔は如実に言っているが、言葉にはならないらしい。まあここまで解りやすく顔に出ていれば流石の自分でも解るのだが。
「どうかした?」
「いや……行くぞ。」
楽譜と灯りを拾い上げ、ユーシスの足は街道の方へ向かう。気配を確認しつつ、そのすぐ傍をいく事にした。辺りは流石に静まっていて特に危ないものの気配は無い。あれは声か何かにつられて迷い込んできただけだったのだろうか。
ふうっと上を見上げると、綺麗な星空が目に映った。
「悪くないお散歩日和だったんだけどな。」
星空も悪くないし、風も気持ちがいいし、魔獣とユーシスがいなければもう少し歩いていても良かった気がする。しかし、どうやらユーシスの意見は違うようだった。
「時と場所を選べ。大体なんでこんな時間に街道に出てきた?」
若干どころでなく威圧感のある声に、思わずユーシスの方に目が行く。と、見事呆れと不服と不機嫌が入り混じったようなと目があってしまった。目を逸らそうとしたのに、さしたる理由もないはずなのにうっかり目が泳いでしまう。
しばしの沈黙ののち、負けたのはこちらだった。
「……実は、お風呂に入ろうと思ってたんだけど。」
「……?」
あちらの棘のような目線が少しだけ引いたのを感じながら、先を続ける。
「誰か入ってったのが見えたから、眠気覚ましに外に出たの。」
「そういうときは部屋で待っておけ。」
外に出てくるな。ばっさり切り捨てるような言葉に首を振る。
「それじゃ寝ちゃう。」
流石に少しアクシデントがあったおかげで、今はそこそこ目が冴えているのだが。
「まあ、おかげで目は覚めたから結果オーライ。」
「何が結果オーライだ。」
ぶすっとした声は、もう前ほどには怖くない。
「魔獣も撃退できたし。」
「あれくらい一人でも何とかなった。」
ただ、そのイラ立ちを滲ませた言葉には、思わず真顔になった。
「ユーシス。その考え方は、危ないよ。」
過信は己を滅ぼす。そう口酸っぱくして言われてきたし、実際に見ても来た。
「安全に片付くならそっちがいいに決まってる。」
命に代替はないのだから。
そんな事を言ってたのは誰だっただろう。団の仲間には違いないのだが、今はちゃんと思い出せない。
まあそのうち必要になれば思い出すだろうと、あまり気にせず先に進む。しかし、どうにも隣は沈黙のままだ。なんとなく気になってそちらを見上げると、驚いたような目がこちらを向いていた。
「どうかした?」
「……いや……。」
迷うようにゆらっと視線が外れる。
「……随分実感が篭っていると思っただけだ。」
……だが、当然といえば当然か。
ふ、とついた息と一緒に、そんな呟きが聞える。
「私が猟兵団に居たっていうの、やっぱり気に掛かるの?」
問うと、ユーシスはゆるりと頭を振った。
「いいや。ただ、たまに……お前は住んでいる世界が随分と違うような気がしてな。」
時々、遠く感じる。
自嘲も混じったその言葉は、自分が入学した時から皆に対して思っていた事と同じだ。
ただ、今は、……自分はそれに否を言えた。
「……遠くないし、別に違わないと思う。
私と、ユーシスは、くらすめいと、だし。もちろん、他の皆とも。」
間違いなく、同じ世界に生きているのだ。
見上げると、今度こそ水色の目が見開かれ、……そして、ふっと緩んだ。
「お前もそんな事が言えるようになったのか。」
小さく笑った顔は、面白がっているようで、どこか嬉しそうで、……なぜか妙に満足そうだった。
翌日の放課後。
いつもの分、最低限の花の手入れをしたフィーは、ふらりと購買に立ち寄っていた。
今日も今日とてこの後は練習だが、練習を始めたら、また遅くまでかかるのは目に見えている。それなら先にお腹に何か入れておこうと思ったのだ。
パンはまだ残ってるかな、などと思いながら棚に眼をやると、聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。
「フィー。今からいくのか?」
どうやら部活の用事を済ませて下りてきたところらしい。階段のほうからこちらに歩いてくるのはマキアスである。
「あ。マキアス。」
その姿を確認して、手を伸ばしかけていたパンから手を下ろした。
「もう少し時間あるから、少しお腹にいれとこうかと。」
そう言うと、ああ、そういうことか、とマキアスの目が棚の方に行く。どうやら考えはあまり大差ないらしい。
「でも、マキアスが来たなら丁度良かった。」
「え?」
振り向いた顔をひょいっと見上げる。
「ジュースとアイス。」
ぱちんとあった目は、一つ瞬きしてから意味を汲み取ったらしい。
「……ああ、そうだったな。」
なら食堂の方に行くか、と踵を返す背中に声を掛ける。
「利子でケーキとか。」
「そんなものがあるか。」
背中越しのきっぱりした即答は、それ以上食い下がるのを許す気はないらしい。
ちぇっと舌打ちしている間に、マキアスは注文を始めたようだった。
テーブルの上にはコーヒーとアイスとジュースにサンドイッチ。
「……いただきます。」
「ああ、どうぞ。」
全く抜け目のない、とぼやくように言いながらマキアスはコーヒーに口をつける。
「おかげで昨日は上出来だったから、結果オーライと言えばそうなんだが。」
やれやれ、とコーヒーを啜るマキアスを眺めていたら、昨夜の事をふと思い出した。
「そのせいだったのかな。昨日の夜はユーシスに会ったんだけど。」
もくもくとアイスを掬いながらそう言うと、怪訝な顔が聞き返す。
「ユーシスだって?」
「うん。昨日の夜、同じように散歩してたら」
「フィー!!」
唐突に全くの別所から声が掛けられて、思わず口を閉じた。
「ユーシス?」
思わず声のほうを振り向いたらしいマキアスが、その名を零す。
「どうかし」
同じようにそちらを向こうとしたときには、既に赤い制服はすぐ傍まで来ていて、そのまま口を押さえられてずるずると購買の裏手の方まで引きずられていた。
壁際にどんっと追い詰められ、ようやく口を押さえていた手が離れる。
「どういうこと。」
アイスとスプーンはかろうじて無事のはずだが。疑問と若干の不満を口に乗せると、ユーシスは深々と息をついた。
「……フィー、一つ聞く。」
「ん?」
顔を上げると、人を殺せそうなくらい真剣で強い眼差しがこちらを見つめている……というか睨んでいる。
「昨日の事は、誰かに言ったか。」
「今丁度話してたとこ。」
それ以外は特に言っていない。そう言うと、ユーシスは心なしか安心したように息をつき、そして、きっとこちらを睨み据えた。
「いいか、昨日の事は、一切他言無用だ。」
「……別に言ったところで、きっとみんな褒めてくれると思うんだけど。」
非常に強制的な言葉からそっと目を逸らす。
「そんなのはどうでもいい。絶対に言うな。特にレーグニッツには何があっても言うな。」
言ってる事はおとといのマキアスと大差ない。本当に何か同種のモノで出来てるんじゃないかという考えが頭をよぎる。
「おい、……何をやってるんだ?」
そのマキアスはといえば、何があったとこちらの方に来ているところのようだった。
「あ、マキアス。」
「何!?」
慌ててユーシスが手を離して振り向く。
「お前にしては随分乱暴だが。」
呆れと咎め半分の言葉に、ユーシスが決まり悪そうに舌打ちをする。
「別に何という事は無い。少し伝えておく事があっただけだ。」
「そうそう。昨日の」
言葉は途中で掌という名の力づくで遮られた。
「……フィー。ケーキでも食べるか?」
だから黙っておけ、という視線とケーキの文言に了解、と頷く。
「何があったんだ?」
「……フン、大した事では無い。」
ふいっとカウンターの方に行ったユーシスを確認し、自分もうん、と頷いた。
「ん、何もない事になった。」
「…………何か解せないんだが。」
「問題ない。戻ろ、アイス溶けちゃう。」
疑問顔のマキアスを引っ張って席に戻る。
「昨日からあいつと一体何があったんだ?」
問いは今度は答えられなかった。
まだ溶けては居ないアイスとジュースを堪能していると、目の前にどんっとチョコレートケーキが置かれる。
「……ありがと。」
「……ああ。」
紅茶片手にどかっと空いた席に腰掛けたユーシスを、マキアスは気味の悪いものでも見るような目で見る。
「……ユーシス。何か悪いものでも食べたのか?」
「……お前こそこいつと一緒とはどういう風の吹き回しだ?」
質問に質問で返されて、マキアスが解りやすく慌てた。
「べ、別にお前には関係ないだろう!?」
「ならお前にも関係あるまい。」
ついっとタイミングを合わせたように二人の目が背けられる。
「……ほんっと、似た者。」
『どこがだ!!』
二人の声が綺麗にハモッた。本当に息が合っている。当人達だけが認めていないのが正直笑える領域だった。
チョコレートケーキに手を伸ばすと、ユーシスの目がこちらを向く。
「食べるからには解っているだろうな。」
「もち。いただきます。」
甘いチョコレートケーキと裏腹に向けられる視線はとても厳しい。
「もしかしなくても、口止め料か?」
マキアスの問いに、ん、と頷く。
「マキアスと一緒。」
コーヒーを吹きかけたマキアスを、ユーシスがせせら笑う。
「ほう、それも口止め料だったのか。」
何をやらかしたのだかな、という視線に、マキアスがダンッとコーヒーを置いた。
「昨日の夜、フィーが君に会ったところまでは聞いていたんだが。」
チッという視線がこちらを向く。
「言うなって言われてなかったし。」
「……街道で歌の練習でもしていたのか?」
今度はユーシスが紅茶を吹きそうになる番だった。
「何で……!」
わかったんだ、という顔は見事語るに落ちた事にまだ気付いては居ないらしい。
「……なるほど。お前も随分と努力家だったわけか。」
フフンと勝ち誇った笑い方に、紅茶のカップが音を立てて置かれた。
「そんなに具体的に解るという事は、つまりお前も同じ事をやったという事か。」
「んなっ……!」
全力で顔に出ている以上、口止め料は完全に意味をなくしている。まあ自分では言ってないし、おごると言ったのは向こうだし、返却する道理もないから食べるだけなのだが。
「二人とも努力家。」
うんうん、と頷きながらアイスの最後の一口を平らげる。
『フィー!!!』
顔を真っ赤にしてにらんでくる二人はさておき、次はケーキで、ジュースも飲みつつで中々のおやつタイムだ。おまけに他人のおごりというのが素晴らしい。我関せずでひょいぱくと平らげていると、少し冷静になったか、ギリギリとした声が頭の上を行き交い始めた。
「……お前に頼み事をするのは気に食わんが、この件は絶対他言無用だぞ。」
「……無論、こんな事をわざわざ言う道理は無い。だが、お前も知ったからには言うなよ。」
ジュースを飲みながら目だけでそっと様子を窺うと、二人は完全にそっぽを向いたまま目を合わせずに会話をしていた。
これはこれで何かの漫才のようである。交互に目をやっていると、その間に手付かずのサンドイッチが置いてあるのがなんとなく目に付いた。
「もらっていい?」
小声で一応聞いたものの、聞えていないのか返事は無い。まあ了解という事にした。目線は二人とも明後日だし、どうせ気付きはしないだろう。そう判断してそろそろと所在無さげに置いてあったサンドイッチに手を伸ばす。しかし、なぜか両側からの手に払いのけられてしまった。
「ドサクサ紛れにくすねようとするな。行儀の悪い。」
「全くだが、これは僕のだぞ。」
こういうところは目ざとい上に息が合っているなと思いつつ諦めてケーキに掛かる。
「お前はお前で注文したらどうなんだ。」
「フン、礼を言われこそすれ、そんな言い方をされる筋合いは無いはずだが。」
目線は相変わらず明後日のほうを向いているのだが。
「こうも礼儀を知らん奴がうちの副委員長とはな。」
「何が礼儀知らずだ恩着せがましい。他人のサンドイッチに気を配る暇があるなら振付の一つでも覚えたらどうなんだ?」
「数日前までまともに音も取れていなかった奴に言われる筋合いは無いな。」
ぼそぼそと交わされる会話は続くが、嫌味と皮肉の応酬にどこか気遣いが混じっているのがこの二人の良い所なのだろうか。家を引き合いに出さなくなったところは多分進歩だと思うのだが。
おもしろい、と内心思いつつ、残りを平らげるのはあっという間だった。
壁にかかった時計を見れば、そろそろ練習時間も近づいている。
ふむ、と思って席を立つと、一気に視線がこっちを向いた。
「ごちそうさま。じゃ、練習いくね。」
またの機会があればよろしく。
言うだけ言って踵を返す。
後ろからはそんなものがあるか!!という声が綺麗に二重唱で聞えてきていたのだった。
その後二人の間に何があったかは知らない。
しかし、その日から、寮内で二人で打ち合わせをする姿が見られるようになったのは、……何かの進歩なのかもしれない。
リンクでトドメさしたときの、ユーシスがフィーをもてあましてる感じがなんか可笑しくてこの二人組ませると面白いなーと思ってたら、フィーってばマキアスとはずっと同じ班だし、マキアスおちょくるの結構楽しんでるような気がして、そういえばユーシスとマキアスってとても見てて面白いよね、と言う事を思い出した結果、そうだ三人組で書いたらきっと楽しいよ!と思いこんだ結果がこれです。男子二人は絶対似た者だと思いますが、平等にツッコミ入れられるフィーは結構得がたい才能を持っているのでは無いでしょうか。
実際二章でしか一緒にならないけど、あの話もあのメンバーもとても好きなんですよね。