アリオスはシズクを抱きかかえる。そして、少しの辞去の挨拶と共に去っていった。
「じゃ、俺たちも帰るか。」
見送った後、そう言ってキーアを振り返る。しかし、ぶつかったのは期待だかなんだかわからないものに満ちた瞳。
「えーと?」
「キー坊?」
瞬きしたところで、同じようにランディが振り返った。しかし、ランディのほうは何か察したのか、ひょい、とその場に身を屈める。
「よし、キー坊、抱き上げるぞ。」
言った瞬間、キーアの表情が目に見えて輝いた。
「やったぁっ!」
声と同時に駆け寄るその様子は、ほぼタックルだ。
「おう、キー坊は元気だなぁ。ほれ。」
「わーい!」
ランディが軽々と抱き上げると、明るく歓声が上がった。
最初は、先ほどのシズクのように横抱きに。そして、上へと高く差し上げる。
「高い高いー!」
「だろー。ほい。」
ランディはキーアをしっかり抱きとめたまま、肩に載せた。
「おー。ロイドの頭が見えるー。」
肩車されたキーアの視線は、どうやら自分のつむじのほうに行っている、らしい。ランディが笑う。
「ああ、今のロイドはキー坊よりちっせえからなー。」
「おーい」
適当な事言うなよ、と続く言葉は、キーアの声にかき消された。
「えー!?キーア、ロイドよりおっきくなっちゃったの!?」
「そうだぞー。」
「そっかー。」
ノリの無駄にいい会話は、こちらのことなどお構い無しだ。
「だからな、自分より小っせぇ奴にはこーしてやれー。」
「うわ!?」
いきなり、がっしりとした手が頭を掴んだ。
「おおー。」
その手はぐしゃぐしゃと・・・所々ぐりぐりと頭を撫でてくる。若干痛い。
「いつもロイドがやるみたいによ。いい子いい子ーってな。」
「なんだよそれは」
抗議は二人の耳には届かなかったらしい。
「わかった、キーアもやるー!」
「おう。やってやれー。」
ランディの手が離れる。かわりに載ってきたのは、キーアの小さい手だった。
「いい子いい子ー。」
ふわふわとした感触が心地よくて思わず顔がほころぶ。さっきとは偉い違いだ。
「はは、くすぐったいな。」
「そーお?」
なでなで。手はまだ離れない。
「ああ。でも、気持ちいいよ。」
「そっかぁ。キーアもね、ロイドたちになでられると嬉しいよ。」
「そっか。」
なでなでなでなで。いつまででもこのままでいいんだけどなあ、と思った瞬間、手が離れた。
「もー終わりなの?」
疑問の声はランディ行きだ。見れば、頭を撫でていた手はランディが取り上げてしまっていた。ランディは神妙な表情で頷く。
「ああ。あんまり撫でると、ハゲちまうかもしれねーだろ?ビミョーなお年ごろだからな。」
「誰が微妙なお年頃だっ!」
間髪いれずに突っ込むと、ランディはひょいと避けるように後ろに一歩下がった。
「おっと。あんまり怒るとハゲるぞー。つるつるになっちまうぞー。」
キーアの眉が寄る。
「つるつるー!?ロイド、つるつるになっちゃうの!?」
「ならないから。」
心配を宥めるように言った。しかし、キーアの下で、ランディは沈痛な表情をしている。
「ああ言ってるけどなー、本当は」
「ランディっ!!」
みなまで言わせず一歩踏み出す。と、ランディはまたひょいっと飛び退った。
「おおっと。悪い、キー坊逃げるぞ、つかまれー!」
「わ、うん、わかったー!!」
肩車のキーアが、ランディの頭にしがみ付く。ランディはそれを確認すると、すぐさま病院の外へ向かって駆け出した。
「こら待て!危ないだろ!!」
慌てて追いかけると、軽い笑い声が返ってくる。
「大丈夫だってー、俺を誰だと思ってんだー!」
「速い速ーい!」
ひょいひょいと。肩の上にキーアを載せているのに、ランディは身軽に先を駆けていく。それを追って、駆ける。
しかし。
「おーい、君たち。」
声が、身体を止めた。振り向いた先には守衛さんが半ば呆れ顔で立っている。
「ここは外だけど、一応病院の敷地内だから、静かにしてくれないか。」
穏やかにとがめる言葉は、一分の隙も無く間違っていなかった。
『すみませんでした・・・。』
二人して、神妙に頭を下げる。守衛さんは、元気なのはいいことだが、と苦笑いで見送ってくれた。
「時間見とくか。」
門を後にし、ひとまず目の前の停留所へ向かう。
「ん、キー坊、どうした?」
と、ランディの声が聞えてきて振り返った。
見れば、ランディの肩の上に載っていたキーアが、ランディの頭に抱きついている。
「ランディ、守衛さんに怒られてしょんぼりしてたから。」
「う。」
詰まったような声。その笑い損ねたような表情に、思わず噴出す。ランディは肩をすくめ、こちらを見、そして力が抜けたように笑った。
「・・・そうか。ありがとな。」
キーアは少しだけ得意げだ。
「いいえー。ロイドもおいでよ。」
「ははは、キーア、ありがとうな。」
自然、笑みがこぼれた。
確認した時刻は、丁度今の時刻だ。
「バスはすぐに来るみたいだな。」
街道のほうを覗くと、乗合バスの姿が既に見えていた。
「ただいまー!」
「戻ったぜー。」
支援課のビルに入ると、既に美味しい匂いが漂ってきていた。
「んー、おいしそうな匂いー。」
「お帰りなさい、ご飯できてるわよ。」
エリィがテーブルからこちらを向いて声を掛ける。
「ああ、ありがとう。」
ばたばたとテーブルにつくと、ティオも料理を持って現れた。夕食の準備はこれで終わりだったらしく、エリィも席につく。
「お帰りなさい、キーア。」
「ティオ、ただいま!」
そんなキーアの明るい声と笑顔はまぶしい。
「ふふふ。今日はどうでしたか?」
ティオはテーブルに料理を置くと、即キーアに手を伸ばした。手の行く先は頭の上だ。そしておもむろにふわふわの頭を撫でようとする。それがいつもの光景だった。
しかし。
「だめ。キーア、ハゲてつるつるになっちゃうから。」
悪意のない拒絶の言葉に、ティオの手が止まった。エリィもそちらを向いて絶句している。
「これくらいでハゲたりしませんよ。何処で聞いてきたんですか?」
「ランディが言ってた。」
部屋の気温が少し下がった。・・・ような気がした。
「ランディさんですか。まったく余計な事を・・・。」
そして何事もなかったように、はあ、と息をつく。
「大丈夫ですよ、キーア。微妙なお年頃の男性ならともかく、女の子はこれくらいでハゲるなんてありえません。」
微妙なお年頃の男性、には冷たいアクセント。
「そうなの?」
「そうです。だから、キーアはいっぱい撫でられても大丈夫なんですよ。」
しかし、キーアへの言葉は優しかった。キーアの表情が目に見えて明るくなる。
「よかったぁ。キーア、撫でられるの好きだから、ちょっと寂しかったの。」
「ふふふ、キーアは可愛いです。じゃあ、撫でさせてくださいね。」
「うんー!」
ティオの手は、予定通りキーアのふかふかの頭の上を撫で始めた。その横で、エリィが眉をひそめる。
「ランディ、あなたキーアちゃんに一体何を吹き込んだの?」
「いや・・・冗談のつもりだったんだがな?その、言葉の綾と言うか。」
きつい視線にさらされて、ランディも少し引き気味だ。
「キーアは素直な子なんです。余計な事を吹き込まないでください。・・・ねえ、キーア。」
最後の言葉はキーアに向けたものだった。キーアは撫でられながら、首をかしげる。
「えっと、ランディが言ってたことは間違ってたの?」
ランディがニヤリと笑った。
「いやー、間違ってないぜ?これは実は世界の秘密でだな」
「ランディさん。」
ティオの声は、零下の響き。
「ランディ。」
同時に発せられたエリィの声も重々しく厳しい。
「・・・すみませんでした。」
結局女性二人の圧力には耐えられなかったようだった。苦笑いで見守っていると、エリィがこちらを向く。
「ロイドも。ちゃんと監督してなきゃダメじゃない。」
「え。」
こちらにまで飛び火したらしい。ティオも頷く。
「全くです。キーアがランディさんみたいになったらどうするんですか。」
「その、それは・・・。」
言葉に詰まっているうちに、ランディの方が復活したらしい。
「酷い言いようだぜ。俺もこんなにキー坊のことを思ってるってのに。」
しゅん、と言ってみせるその台詞に、誰よりも先にキーアが反応した。
「キーアもランディのこと好きだよー?」
ぱたぱたとティオの手の下をすり抜けてランディの下へ。そして、手を一杯に伸ばす。
「おお、そうかー。」
ランディはそこに屈みこむと、またひょいとキーアを抱き上げた。キーアはまた一杯に手を伸ばして、ランディの赤い髪を触る。
「悲しいんだったら、キーアが撫でてあげる。」
「ありがとうなあ、キーア。」
しかし。
「ダメですよ、キーア。」
ティオが冷静にさえぎった。
「ランディさんはビミョーなお年頃の男性なので、本当にハゲかねません。」
「おい!」
「えー!?」
キーアの手が止まる。
「そうなの?そういえばロイドも同じくらいだよね?」
見上げる瞳は間近で澄んでいたに違いない。
「いやいや、俺にはそんなこと気にする必要はねぇぞ。」
ロイドはともかく、と余計な一言に、キーアがこちらを向いた。
「キーア、俺はまだそんなトシじゃないって。」
何か言う前にひとまず否定する。と、その横でティオが口を開いた。
「そういえば、男性の薄毛には男性ホルモンが関連しているらしいですよ。なんでもそれが強い方がよりハゲやすいのだとか。」
つらつらと並ぶその言葉は、辞書の音読のような響きで、うまく意味が取れない。
「えーっと、どういう意味ー?」
ランディの腕の中からのキーアの問いに、ティオがこほんと咳払いをする。
「まあ、男らしい人ほど危険というか、女好きな方ほど危険というか、ハゲやすいってことですね。」
さらりとした解説に、エリィが表情を曇らせた。
「まあ・・・それは心配ね。二人とも気をつけないと。」
こちらに向き直った表情は真顔。
「なんでエリィまでそんな目で見るんだよ。」
出てきた言葉は、自分でも判るくらい焦っていた。ティオが沈痛な表情で頷く。
「この場合仕方ないかと。」
「どこがどう仕方ないんだよ!」
「日ごろの行いを見てるとね。」
エリィも頷いた。ランディまでもがそれに頷く。
「俺はともかく、ロイドは厳しいだろうなあ。」
「どっちもどっちでしょう。」
ティオがぼそりと突っ込み、そして息をついた。
「形あるものはいつかは無くなる。諸行無常です。」
「気を落とさないようにね。」
合掌。
「だから!なんでそーなるんだよ!?」
うっかり声を上げたところで、課長室のドアが開いた。
「何を騒いで・・・ん、いい匂いだな。」
セルゲイが、頭をがしがしとかきながら顔を出す。
「あ、かちょー!」
「課長。お疲れ様です。」
そう、軽く頭を下げていると、キーアが明るく声を上げた。
「ねえねえ、かちょーもハゲるの?」
キーアを除く部屋の空気が凍りつく。
怪訝な表情になりかけて固まったままの顔で、セルゲイがゆっくりと口を開いた。
「・・・お前ら一体何の話してたんだ?」
呆れ声が言葉を詰まらせる。
「いや、その・・・。」
「まあ、なんというか、じゃれてたというか・・・。」
これをまともに説明するのは無理難題である。もごもごとなっていると、セルゲイは深々とため息をつき、そしてキーアに向き直った。
「いいか、キーア。男の前で髪の話はすんなよ。気にしてる奴は意外に多いもんだからな。」
ぽかん、としていたキーアに、セルゲイはにやりと笑って近づく。
「頭に血が上る奴もいたりするんだ。怖いぞ。」
怪談のような言い振りに、キーアもこくこくと慌てて頷いた。
「わかった。もうしない!」
そして元気に宣言する。セルゲイが、ふ、と息をついた。
「よーし、いい子だ。」
キーアの頭を撫でて、姿勢を元に戻す。同時に、場の空気が緩んだ。
「決着も付いたところで、課長もメシにしませんかね。」
キーアを抱いたままでランディが言う。
「原因が何言ってるんですか。全く。」
ティオがいつものようにため息をついた。
その夜、・・・歯ブラシをくわえて洗面台の前に居る時間。
「よお、お前もいたのか。」
しゃこしゃこと歯を磨いていると、声をかけられた。ランディだ。
「ん。」
口の中のものを吐き出し、水で流しながら少しだけ場所を譲る。そして歯磨き作業再開。ランディも同じように歯ブラシをくわえた。
鏡には自分の茶色の頭と、ランディの赤毛の頭が並んでいる。
ブラシの動く音と沈黙がしばし。やがて、水音と共に口の中の物を吐き出したランディがぼそりとつぶやいた。
「・・・お前、視線が頭に行ってんぞ。」
「!?」
思わず飲み込みかけて、慌てて口の中のものを吐き出す。
「まさかそんなに気にしてたとは思わなかったぜ。悪かったな。」
声は落ち着いている。ふざけるでもなく、茶化すでもない素の言葉だという事実に、固まった。
固まっている間に、ランディはそのままマイペースに口を濯ぐ。そして、お休みとだけ言い残し、その場からいなくなった。
洗面所に、一人残される。
ふと、自分の顔・・・というか頭・・・というか髪に目が行った。癖のあまり無い髪だが、少しずつ跳ねて強さを主張している。別段気にする事でもないし、あまり気にした事もない。
今も別に気にしてはいないはずだ。
そこまできて、鏡越しに自分の頭を凝視していたことに気づいた。
慌てて口を濯いで、頭を振る。そんなことを気にしてどうするのだ。
「・・・寝よう。」
そう、言葉に出した。
きっと寝て起きて明日になったら、こんなことは忘れているに違いないと、そう思ったからだった。
書く前はウルスラ病院ではしゃぐ3人、くらいまでしか考えてなかったんですが、なんか妙な事になってしまいました。
でも、馬鹿馬鹿しいことできゃいきゃい言ってるのもそれはそれでいいなあって思うのです。支援課可愛い。