相手は知れているので黙殺する。
「おーい、ティオすけー。いい加減機嫌直してくれよー」
少しすると、部屋の外から若干情けない声が聞えてきた。本日何回目だっただろうか、そんなことをふと思う。
しかし、結局は黙殺した。
ため息、そして去っていく足音。それが階段を下りていく所まで聞いて、ティオは緊張を緩めた。
原因は昨夜にさかのぼる。
夜も更けた頃だった。空は夜景に霞んで、ささやかに星が見えていた・・・そんないつもどおりの夜。
自分はやはりいつもどおり、ツァイトを片側に抱いて端末を弄っていた。
「ツァイト、私はもう寝ます。おやすみなさい。」
もう寝ようかな、と、そんな時間。自分はそう言ってツァイトを撫でた。
「ヴォゥ。」
ツァイトが応えて、のそりと立ち上がる。
「また明日。今日はありがとう。」
最後にぎゅっと、白くてもふもふの毛皮を抱きしめる。ツァイトはこちらに頬を寄せ、部屋の外に出て行った。
ぱたん、と戸を閉めて一つ伸びをする。あとは着替えて寝るだけだ。
箪笥から寝巻きを引っ張り出してベッドに放り投げた。一つ伸びをして、ばさばさと服を脱いでいく。
その時、唐突に部屋の戸がばたんと開いた。
「うー、飲みすぎちまったかね。」
声も同時。
「え。」
ぎょっとして振り返った先には、ランディの姿があった。
「あ。」
彼は、ぽかん、と間抜けな顔でこちらを見ていた。わけのわからない沈黙が、たっぷり十秒間はあったと思う。
「悪ぃ、間違えたわ。」
こちらが動けずに居るうちに、扉はぱたんと閉まって、足音がそそくさと遠ざかる。
自分もまた、半自動で寝巻きに着替えて、・・・そして、我に返った。
「っ!!!!!」
立てておいた魔導杖を掴み、ドアを開け放った。
そのままずかずかと階下に降りる。行き先は、ランディの部屋。
ダンッと足音をさせて部屋の前に立つと、部屋の中でびくりとおびえたような気配がした。
「ランディさん。開けていいですか?」
さっきのような事があっても何だ。即飛び込みたいのを堪えて一言聞いてみた。
「あー・・・ティオすけか?夜のお誘いは嬉しいんだが、俺もう寝るから明日じゃダメか?」
すると、なにやら歯切れの悪い声が返ってきた。中の感じを探るに、別に着替え中というわけでもないようだ。それなら躊躇う道理はない。
「あけます。」
ばたん。開いたところに、ソファにもたれた上半身裸の男が居た。
「よ、よお。なんだ、怒ってるのか?」
こちらの顔を見たランディの頬が引きつる。それと同時に魔導杖が光を孕む。
「当たり前です・・・!」
エネルギーはシステムの許す限りの速度で充填され、そして放たれた。狙い違わずランディめがけて。
「待っ・・・!」
ぼん、と衝撃音が響く。
「女の子の着替え中に踏み込むなんて、最っ低です。」
そのまま反省してろ、とばかりに、ばんと扉を閉める。
「ティオ!?どうしたんだ!?」
音に驚いたのか、隣の部屋からロイドがばたばたと出てきた。
「何があったの?!」
「おいおい、随分にぎやかだなぁ。」
上からはエリィが、廊下奥からは課長が顔を出す。
「・・・大したことではありません。おやすみなさい。」
その場をつっきって部屋へ戻った。
後ろではランディの無事を確認するような声が聞えて、少しだけやり過ぎたかとの思いも過ぎる。
しかし、寝る前に少し階下に聞き耳を立ててみたところによれば、ランディの部屋はランディとソファが若干焦げた、程度だったらしい。まあそんなものだろう。一応常識の範囲内で加減はしたのだから。当のランディも、大したことではないと言い張ったようで、騒ぎが大きくなるような事も、こちらに誰かが来る事もなかった。
そして今朝。
「・・・着替え中に踏み込んだ、ですって!?」
「うっかり1階間違えてな。」
「・・・うっかりって・・・」
朝食の席に下りると、そんな話をしていた三人の顔がこちらを向いた。
「おはよーございます。」
声を掛けると、口々に挨拶が返ってくる。
「ああ、おはよう。」
「おはよう、ティオちゃん。」
「おはよーさん。」
何事もなかったようなランディの態度が少し当たって、顔を背けた。
「おーい、ティオすけー?まだ怒ってんのか?」
肩を叩こうとしたその大きな手を払う。
「あてっ。」
「・・・そりゃあ怒ってるでしょう・・・。災難だったわね、ティオちゃん。」
エリィがこちらに寄り添った。それに頷いて、息をつく。
「全くです。うっかり間違ったからって許されることじゃないです。」
「俺も反省したって。大丈夫だティオすけ、俺は別に何も見てない。」
あまりのいいように、思わずランディのほうを見上げる。
「あんまり覚えてないし、あれなら見たうちに入らない、そ」
そのままさっさと背を向け、テーブルの用意に掛かる。もう、相手をする気すら綺麗さっぱりなくなっていた。
「おい、ティオすけ!?」
慌てた風な声がなんだか当たる。
「・・・完全に怒らせたな。」
後ろから三人の会話が聞えてきた。
「当たり前でしょう。ちゃんと謝るのよ。」
「へいへい。」
面倒そうなため息。例え謝られたって許してやる気にはもうなれなかった。
そして、それからランディとは一言も口を利いていない。
仕事中も業務に差しさわりのない範囲で、可能な限り避けた。
食事中に声をかけられても総無視を貫いた。今日は早々に部屋に引き上げて引き篭もった。
少し前にランディが戸の外に居たようだが、今は居ない。だから傍に人はいない。いるのは、ツァイトとコッペ。それとみっしぃのぬいぐるみ。もふもふである。
何をするでもなく端末を弄っていると、ツァイトが小さく唸った。
『あれしきの事で、まだ怒っているのか。』
意味はわかる。
「普通の女の子なら怒るものです。」
そもそも、最初の部屋を間違った件に関しては、まだ事故と思えなくもなかった。お仕置きも済んでいた事でもあったし、朝には許すつもりでもあったのだ。
しかし。
『あんまり覚えていない、あれなら見たうちに入らない』とは一体どういう意味なのか。理由は・・・実は自分でもあまりはっきりはしない。ただ、あの言葉に瞬間的に怒りを感じたのは動かしようのない事実。
・・・まだ、といわれると、少し揺らぎはするのだが。そんな自分を見ながら、ツァイトはまた唸る。
『ただ意地になっているだけだろう。』
「・・・そうかもしれません。」
正直に白状した。ツァイトに嘘をついたところで意味は無い。
『引っ込みつかず、か。子どもだな。』
手厳しい感想に、少しだけむっとする。しかし、結局それはため息に化けた。
「その通りですよ。・・・いいんです、大人じゃありませんから。」
『しかし、いつまでもそうしているわけにも行くまい。』
答える代わりに、ツァイトの背を抱く。そんなことは、ツァイトに言われる間でもなくわかっていた。
ツァイトが低く唸る。
『・・・来たな。』
言われてドアの外の気配を探る。足音・・・ランディだ。また上がってきたらしい。
『全く、忍耐強い事だ。』
興味なさ気にツァイトはごろりと寝そべった。
「・・・。」
自分でやるべきことはわかっているんだろうと。そう言われているような気がした。
外からはまた同じように戸を叩く音と声が聞えてくる。
「ティオすけー。悪かった。俺が悪かったって。謝るから、せめて口くらい利いてくれねぇか?」
もう、何回目だろう。ふぅ、と息をつく。
すると、今度は壁のほうから、壁を叩く音がした。窓近く、エリィの部屋のほうからだ。
こんこん、と叩き返す。
「ティオちゃん?」
窓のほうから、声がした。
「エリィさん。」
窓をそっと開けて、エリィの部屋のほうを見る。エリィも窓辺から顔を出した。夜の明かりに映されたその表情は、優しくて少し苦い笑顔だ。
「・・・そろそろ、頃合いでいいんじゃないかしら?」
意味はわかった。
「言いにくいなら、私も手伝うわよ。」
こそこそと、そんな言葉も飛んでくる。しかし、それには首を横に振った。
「・・・大丈夫です。自分で何とか・・・しますから。」
「大丈夫?」
少し心配そうな問いに頷く。
「・・・大丈夫です、もう子どもってわけでもありませんから。」
後ろでツァイトの耳がぴくりと動いたようだった。
そっと窓を閉める。
扉の前に気配はまだあった。ただ、それは参ったなぁだのなんだのつぶやきながら、また階段のほうに向かっていく。結局どうしようか考えているうちに、足音は去ってしまった。
気配がなくなってから、小さく息をつく。
ツァイトは先ほどと同じく寝そべったままで、こちらに何か言うつもりはないらしい。コッペは遊んでいたクッションの上からこちらを見上げている。空気の動きに反応したらしい。
「寒かったですか?」
尋ねると、コッペは首を傾げて、するりとこちらに寄ってきた。足元にまつわりつく黒い毛皮を見ながら、思案を少し。
そして、決めた。
「・・・コッペ、少し協力してくれますか?」
「にゃぁ?」
なあに?と、コッペは首をかしげた。
『許してあげます。』
いい文章が思い浮かばなくて、紙に一言だけ書いてみた。名前はもういいだろうし、とコッペに渡そうとして考え直す。そして、もう一言書き込んだ。
『私もやりすぎました、ごめんなさい。』
見返すとなんだか痒い。しかし、直接言うのもそれはそれで気まずい。だから、これでいいのだと思うことにして、コッペにくくりつけた。
「これ、ランディさんに渡してきてください。」
頼んで、部屋の外にコッペを出す。コッペは、了解した、と言うように階段を下りて行った。
ランディはどんな反応をするだろう。これで顔をあわせるのはなんだかやっぱり気まずかった。もう少し時間が欲しい。
先ほど叩かれた壁側を見る。気配を探ると、エリィは部屋にいるらしい。
こんこん、と壁を叩いてみる。
少しして、こんこん、と返事が返ってきた。
窓をそっと開ける。ほぼ同じくらいに、エリィの方の窓も開く。
「どうしたの?」
こちらを見るエリィの表情はセシルにも勝るとも劣らないくらいに優しくて、少しだけ心が落ち着いた。
「・・・すみません、そちらの部屋に行っていいですか?」
エリィは少し驚いたらしい。目を見開いて、・・・それから、何も聞かずに一つ頷いた。
「いいわよ。鍵開けておくわね。」
「ありがとうございます。」
ぱたん、と窓を閉める。そして、可能な限り速やかに、気配を殺し音を殺して、エリィの部屋に入りこんだ。そっと扉を閉めて、ようやく一息つく。
「いらっしゃい。どうしたのかしら?」
出迎えるエリィに、おじゃましますと頭を下げる。
「すみません。少しだけ、・・・その、かくまってください。」
「?」
エリィが首をかしげる。言葉を継ごうとしたところで、外からまた足音が聞えてきた。本日何度目だろうか。
「あら、また・・・」
「しっ!お願いです静かに・・・!」
小声で言って、口に手を当てる。エリィはそれで理解したのか、無言で頷いた。
外からは隣室のドアを叩く音。そして、また声が聞える。
「おーい、ティオすけ?」
どきどきしながら息を殺す。
「居ないのか?・・・ティオすけ、入るぞ?」
がちゃ、と隣が空く音。今いるのはツァイトだけのはずだ。
「・・・やっぱ居ないか。ツァイト、お前ティオすけがどこに行ったか知らねぇか?」
ツァイトが低くうなった。「さあな」と。・・・しかし、これならきっとランディには通じてはいないだろう。
「・・・参ったな、俺じゃわからねぇし。・・・まぁいいや、ティオすけによろしく言っといてくれよ。メモ見たって。」
「ヴォウ。」
わかった、と。そう言っているようだった。隣室のドアが閉まる。そして足音が前を通り、階段を下りていく。
足音が聞えなくなって、初めて息をついた。
「・・・すみません、エリィさん。ありがとうございました。」
小声で言うとエリィは小さく苦笑する。
「良かったの?」
「・・・大丈夫です、一応伝えました。だから顔をあわせるのは明日の朝でも遅くは無いはずです。」
今すぐ顔をあわせると言うのは、一日無視していた手前ちょっと。
そう言うと、また小さな笑いが返ってきた。
「そう。なんなら、今日はこっちに泊まる?」
「・・・あ・・・。」
一瞬甘えてしまおうかという考えがよぎる。しかし、あわてて首を振った。
「いえ、結構です、大丈夫です。・・・お邪魔しました。」
「はいはい、おやすみなさい。」
エリィはそっとドアを開けると、誰も居ないのを確認してからティオを外に出した。
礼をして速やかに部屋に引き上げる。そして、ぱたんと自室をしめきった。
『・・・あいつ、妙に浮かれていたな。メモを見たと言っていた。』
ツァイトがぼそりと唸る。
「・・・そうですか。」
出てきたのは間抜けな相槌だけだった。ただコッペにそっと感謝して、ふぅ、と息をつく。
「ツァイト、私はもう寝ます。おやすみなさい。」
そして、お決まりの言葉でツァイトに抱きついた。
『鍵はかけておくんだな。全く、下らん事だ。』
小さく唸ったツァイトはのったりと立ち上がる。そしてティオがドアを開けると、のそりと部屋から出て行ったのだった。
翌朝。
「おはよーございます。」
1階のテーブルに降りると、そこにはロイドしか居なかった。いや、エリィがキッチンにいるのだろう、いい音と匂いが流れてくる。
「ああ、おはよう、ティオ。」
「お皿は後いくつ出せばいいですか?」
ひとまず、ひょいひょいと配膳していくロイドに声を掛ける。
「大きいのをあと一つ頼む。それと小さいのを5つだな。」
「わかりました。」
応えてキッチンに入ろうとすると、後ろから声が追いかけてきた。
「・・・ところでティオ、ランディとは」
振り返ろうとすると、足音が聞えてきて体が止まる。
「よお、おはよーさん。」
ランディだ。
「ああ、おはよう。ランディ、・・・ティオとは」
「おう、大丈夫だぜ。」
足音は止まらずに自分のほうに近づく。そして、ぎう、と後ろから抱きつかれた。
「・・・!!」
「俺たち仲直りしたんだもんなー。」
うりうりと。頭を撫でられる慣れない感触に体がこわばった。
「・・・そうなのか、ティオ?」
ロイドに訪ねられて、一瞬言葉に詰まる。しかし、ロイドの少し困ったような表情に、なぜだか少しだけ緊張が解けた。
「・・・そういうことみたいですね。」
出てきた声は、ありがたいことに思ったよりも平静だ。
「冷たいぜティオすけ。」
「ランディさんは暑苦しいです。くっつかないでください。」
ぐい、と抵抗すると、腕はすぐに解けた。放ってキッチンに入ろうとする。と、エリィが中から出てきた。
「おはよう、二人とも。仲直りできたみたいで良かったわね。」
服の上にはエプロン、片手にはフライパン。今日は目玉焼きらしい。
「おうよ。おはよーさん、お嬢。」
「おはようございます。昨日は済みませんでした。」
一緒になって挨拶すると、エリィはまた楽しそうに笑った。
「ふふふ、いいのよ。
さて、配膳手伝って頂戴ね。」
エプロンが翻ってキッチンへ戻っていく。はい、と返事をしてそのあとを追いかけた。
「じゃ、俺は会議に行って来る。後はお前らで決めとけ。」
朝食後、そんな事を言い置いて、課長はタバコをふかしながら出て行った。
全く、なんで朝っぱらから会議なんだよだのなんだのと、ぼやく課長をお疲れ様ですと肩をすくめて見送る。
その後は、ロイドが資料を見ながら仕事の内容を伝え、配置を決めていくのだ。
「だから、今日の仕事は・・・俺と・・・」
説明が終わり、配置の段になったところで、ロイドの声が止まり、すこし眉が寄った。
「あー、ティオ、大丈夫だな?」
大体の流れで事情はわかる。自分だってそこまで子どもではない。
「大丈夫です。」
大人の対応で頷くと、ロイドもほっとしたように頷いた。
「じゃあ、俺とエリィ、ティオとランディで行く。ランディ、ティオをよろしくな。」
ランディがおうよ、と頷いた。
一つ息をついて、傍にある荷物を取る。頭を撫でようとする手を軽くあしらい、連れ立って戸口に出た。
朝の光の中、二人で一つ背を伸ばす。
「いくぜ、ティオすけ!」
そんな言葉と一緒に、ばん、と肩を叩かれた。
「・・・痛いです。」
顔をしかめて見上げる。
「ははは、悪い悪い。」
久しぶりにまともに見た相手の顔はなんとも明るくて、なんだか力が抜けていくのがわかった。
「全く・・・。」
怒っていた自分が馬鹿みたいだ。
・・・ただ、少しだけ気持ちは晴れていた。
「今日はよろしくお願いしますね。」
「おうよ。さっさとやっつけちまおうぜ。」
そう声を掛け合って、階段を上る。
それは、一日ぶりの『いつもの朝』だった。
サビからシメまではその時に思いついてたんですが原因が思いつかなくて・・・。
風呂トイレ台所冷蔵庫共同の自炊寮に住んでたことがあるので、あの特務支援課の雰囲気もなんとなく感じわかるんですが。
2F3Fの部屋間違い(配置は同じ)とかは割とあるあるです。鍵が開かなくてなんでだと思ってプレート見たら1F上だったとかしょっちゅうでした。そして周りの人(いつもと違うメンバー)から不思議そうな目で見られるとか。
壁をたたきあって会話してたのも、大学時代よくやってた。アパート住まいで両隣が友人だったので、壁叩いて呼び出すの。あるあるです。