寝ぼけ眼で階下に降りる。
「おはよーさん、ティオすけ。」
キッチンから飛んできた声は、今日の朝食当番のランディのものだった。
「今日は早いな。まだキー坊も起きて来てないぜ。」
「そうですか。大体目覚ましどおりに起きたんですけど。……何か手伝う事は?」
伸びをしながらキッチンに入る。
「そっちの目玉焼き持っていってくれ。あとはトーストとコーヒーだから大した手間じゃねえし。」
「了解です。」
言われるまま、食器を運び、料理を運ぶ。といっても二往復程度だ。すぐに手は空き、キッチンに戻ることになる。
「あとは何か?」
「んー。」
目線はまだ沸く気配のないヤカンに行ってまた戻ってきた。
「特にないな。よし。」
言いながらランディはすたすたとこちらに向かってくる。
「?」
なにがよしなのかはさっぱりわからない。しかし、その展開は予想してしかるべきものだった。
「ちっとモフらせろ。」
言い終わるかどうかで、むぎゅ、と真正面から抱きしめられる。
「はぃ!?」
正面からなら避けられたはずなのに、これは不覚だった。しかし、後悔は先に立たない。ぎゅうぎゅうと、ランディの腕は好き勝手にティオの身体を抱きしめる。
「……毎度飽きませんね……暑苦しいんですけど。」
「そう言うなって。」
まふまふなでなで。折角解いた髪も若干荒れてしまった。
「ぬいぐるみ、お貸ししますよ。」
「いや、ティオすけの方がいいかなあ。」
腕も身体も離れる様子はこの期に及んでこれっぽちもない。
「あのですね、ランディさん。あなたは、何を抱きしめてるかわかってるんですか。」
「ティオすけだろ?」
「他人の感情まで読み取ってしまう、教団の実験体の生き残りですよ。」
「そういう言い方はすんじゃねぇ。」
ぴしゃりとさえぎられて、口を結ぶ。それでも、内心の感情は揺れっぱなしだった。
自分の過去は、一度完全に白日の下にさらされた。何が起こったのかも、自分がどういう存在なのかも、仲間たちは全てを知っている。それなのに、流れ込んでくる感情も態度も以前と全く変わらない。それは嬉しいけれど、どうしてもどこか不安になってしまうのだ。
「どんな過去を持っていようが、どんな力を持っていようが、ティオすけはティオすけだ。
生き残った事を引け目に思う必要なんてない。前も聞いただろう。」
ぎゅう、と力が強くなって、さらに息苦しくなった。
「俺は……俺達は、ティオの話を全部聞いたって、気味が悪いなんて思わねぇよ。わかってんだろうが。」
「……はい。」
正直に答えた。ここに見える感情にはやましさも疑いもためらいのひとかけらの曇りもない。
「いい返事だ。わかったんなら、もうちょいモフらせろ。」
そう、やましさも全くないのだ。それはもう腹立たしいくらいに、である。
「ランディさん、私のことぬいぐるみか何かと勘違いしていませんか?」
「んなこたねぇよ?まあ、もしぬいぐるみだとしたら、特上もんだなー。手放せねぇや。」
ここまでくれば、腹立たしいを通り越していっそ清清しい。いや、だから抱かれていられるというところもありはするのだが、……なんとなくもやりとする。
と、ぱたぱたと二つの足音が階段を駆け下りてくるのが聞えた。
「ロイドさんとキーアですね。」
「今日はお嬢が最後か。珍しい事もあるもんだ。」
ランディが言うと同時に、キッチンの入り口にロイドとキーアの姿が現れた。
「おはよー!!」
元気一杯に挨拶をするキーアにこちらの表情も緩む。
「おはようございます、ロイドさん、キーア。」
「ロイド、キー坊、おはよーさん。」
挨拶を返すと、ロイドはやや固まりかかっていたらしい言葉を引っ張り出した。
「おはよう、ティオ、ランディ。で……一体何やってたんだ?」
言われて顔を見合わせる。
そこそこ至近距離にはランディの顔があって、相変わらず自分は抱きすくめられたままなのだが、……まあこれは日常茶飯事のことで、特になにかあったわけでもなく。
「ティオすけをモフってたんだが。」
「モフられてたんですが。」
何か?と首をかしげると、ロイドは、いや、と首をふり、やがてもごもごと口をひらいた。
「あー……今日はエニグマなかったんだな。」
「え?……いえ、エニグマは持ってますけど。」
一瞬何かわからなかったのだが、ランディは即気付いたらしい。
「あ。待てティオすけ。今更エニグマはなしだぞ。」
「……ああ。」
言われてようやく気がついた。つまりこの期に及んで抵抗を気にしたらしい。力では勝てない自分の最終抵抗手段はエニグマなのだが、そういえば今日はまだ引っ張り出していなかった。
……まあ、今日はそんな気分でもない。
「そうですね、今日はモフられてあげます。」
言うと、おお、とランディから声が上がる。
「ただし、ヤカンのお湯が沸くまでですね。朝ごはん、そろそろでしょう。」
「おう。やっと懐いてくれたかー、お兄さん嬉しいぜ。」
「……別に、気分です。」
ぷい、と背けた視線の先で、ヤカンがシュウシュウカタカタと自己主張を始めていた。
うざくて面倒だけどなんとなく馴染んでしまったというか、気分によってはまあいいかーみたいなユルーい感じだといいなあというお話。翌朝同じ事をしたら今度はゆるくエニグマが起動するかなあと、それくらいのノリ。
構ってくる相手に対しては、ティオの妥協はこれくらいかなあと思ってます。