その朝もティオは、半寝ぼけの目をこすりつつ、階下に降りていた。
降りた先からは、朝食のいい匂いがしてきている。
まずは目に付いたところで、朝食準備中のロイドに挨拶して、キッチンのエリィとおはようと言い合う。それから、軽く首を回したりしながら、自分も朝食の準備に参加するのだ。
「よお、おはようさん。俺が最後か?」
と、気の抜けた声が背を向けた階段の方から聞えてきた。
「ああ、起きたのか。おはよう。ランディで最後だよ。」
どうやらラスト一人が起きてきたらしい。振り返ろうとすると、そのまま後ろから抱きつかれた。
「おはよーさん、ティオすけー」
もうすぐ準備できるから、と頭越しに声を掛け、ロイドはキッチンに引っ込んでしまう。ほどほどにしとけよー、という言葉はもう既に日常のものと化していた。
ため息を一つ。ひとまず動けない。間違っても心因的なものではなく、物理的にだ。気が抜けた格好で寄りかかるように来られては、足だって動かしにくくて仕方なかった。重たい。
「・・・おはようございます。動けないので離れてください。」
何せ、身長、体重、腕力の全てにおいて圧倒的に負けているのだ。まあ、勝ちたくもないが。
「んー、どうすっかなー。」
まふまふと撫でられてもさほど嬉しくない辺りで、くっつかれている恩恵は自分には無いと断定できる。
「ティオすけ、ちょうどいいんだもんなー。」
おまけに主導権を握った風な余裕の言葉がなんとも面白くない。
「何がですか。」
「んー、色々?」
「・・・・・・。」
自分の肘から先を持ち上げて、ひとまず腕を剥がしに掛かってみる。・・・まあこの体勢で力が入るわけも無く、離す気がない相手には通じていない。
「なんだどうした?」
「離して欲しいんですが。」
「ふむ、そうかー。」
返事だけ、だった。離す気配はどこにもない。肘から先をそっと下ろす。そしてその手をなんとかポケットに突っ込んだ。
ストラップを指に引っ掛け、引っ張り出したのはエニグマである。
ぱか、と開いてクオーツを確認。ひとまず入ってはいた。つまり、アーツは使える。
「ランディさん、朝から氷付けになる覚悟はありますか?」
「ん?」
アーツを駆動させると、腕はすぐに離れた。体が一気に軽くなる。
「おいおいおい、穏やかじゃねえなあ。」
「離して欲しいと言ったはずです。それに、力ではランディさんに勝てませんし。」
エニグマの駆動を停め、ぱたんと閉じてポケットに入れた。
「邪魔してないで、朝食準備手伝いますよ。」
振り返りもせずキッチンに向かう。
「ちぇ、つれねぇなあ。」
「いちいち付き合ってられないです。」
背中から追いかけてきた声を切り捨てて、ティオは今度こそキッチンに入ったのだった。
ここのところほぼ毎日この調子である。
朝方、どちらが先に起きていてもだ。ほぼ恒例に見えているのか、ロイドもエリィも課長も、もはや干渉してこない。
どうしてこうなったかと言われても、そんなものは知らない。
・・・ただ、初回の対応を間違ったのではないか、とそんな気はうっすらとしていた。
しかし、言い訳をするわけではないが、あの時は別にこうなるなんて思っていなかったのだ。
魔獣事件の捜査の時だった。
慣れない徒歩での遠出。それに加えて、捜査に戦闘。支援課に戻ってきた時はホッとして見事に気が抜けていたのだ。
最低限のミーティングとご飯の後、早々に部屋に引き上げようとした時だった。
「今日はお疲れさん。」
通りすがりに、ぽんと肩を叩かれたのだ。
あまり他人に触れられることが無かったので、びっくりして立ち止まった。
見上げれば、へらっとした顔がこちらを見下ろしている。
「・・・ええと。」
どう反応していいのか良くわからなかった。
「ん?」
「いえ、・・・あの。」
よくわからないので、とりあえず返す言葉を考える。
「・・・ランディさんこそ、お疲れ様でした。おやすみなさい。」
なんとか言葉が出てきた。
「おう、お休み。」
返事の代わりに、ぺこんと頭を下げる。
と、頭の上にぽんっと何かが乗った。
「今日は頑張ったな。ゆっくり休むんだぞ。」
もふっと撫でられて、慣れない・・・それなのに覚えのある感触に肩が飛び上がった。
『今日も頑張ったな。ゆっくり休むんだぞ。』
思い出すのは別の人の声。
前に同じような事を言って頭を撫でてくれたその人は、茶色い髪でちょっと豪快な背の高い人だった。わしゃわしゃと頭を撫でてくれたあの感触は、今でもはっきり覚えている。少し荒っぽいのに、とても安心感のある人。
顔を上げると、どうしたんだ?と・・・その人ではなく、赤毛の同僚がこちらを見ていた。
・・・居るわけが無い。三年前に亡くなったのだから。解っているのになんとなく残念だった。
「はい・・・では、失礼します。」
適当に言うだけ言って、今度こそ引き上げる。
なんとなくダブってしまったのは、あの頃のガイと年頃が似ていたからだろう。見た目は・・・当然ながら、弟のロイドの方が似ているのだし。
日中の疲れに絡め取られて、見事に熟睡して翌朝。
「おはよーございます。」
「よお、おはよーさん。」
起きて階下に降りると、ランディが先に起きてきていた。
キッチンの方からも声がする。どうやら今日は最下位だったらしい。
「ああ、ティオ。おはよう。」
「おはよう、ティオちゃん。」
運んでいた食器をテーブルに並べるのを横で手伝いながら、キッチン方面にも声を掛ける。一通り並べ終わり、料理を取りに行こうとすると、また頭の上に何か載った。
「昨日はちゃんと眠れたか?」
・・・頭の上に載ってくるがっしりとした腕の感触は、やっぱり覚えがあるものだった。
『おはようさん、昨日はちゃんと眠れたか?』
また、ダブった。大事な思い出と。昨晩のように。・・・不本意である。
しかし、この腕はさほど紳士では無かった。なぜならば、あの人の腕のようにすぐに退いてはくれなかったからだ。むしろなんだかどんどん重くなってくる。
「・・・おかげさまで。」
差異があるのはこの際ありがたいが、とりあえず現状は迷惑だった。
「・・・ところで、腕退かしてくれませんか?重たいです。」
「ほう。」
頭の上の腕をひとまず上げに掛かる。しかし、どうやら退かす気はないらしく、ちっとも動いてくれない。
「背が縮みそうです。」
「ふむ。」
しかし状況は全く改善していなかった。面白がっているのかふざけているのか。恐らく両方だろう。
「聞いてますか?」
「聞いてるぜ。んならこれでどうだ。」
頭の上が不意に軽くなった。ホッとした次の瞬間、自分の身体に他人の腕が回る。
驚きすぎて、真っ白になった。
「これなら背が縮む事もねえだろ?」
まふっと撫でられる。ふざけているのは解っている。しかし反応できなくて、結果はされるがままだ。
「・・・そうですね。」
自動送信の返事は他人の声のようだった。
「おーい、こっち運んでくれー」
「お。」
キッチンから声が聞えてくる。それと同時に力が緩んだらしい。
「わかりました。」
だから、自動で返事をしてキッチンへ向かった。
今にして思えば、多分物凄く無反応だったのだ、自分は。
朝食のオムレツを口に運びながら、そんなことを思い返す。
あの無反応がまずかったのか、必死で抵抗しなかったのがまずかったのか、事あるごとに頭に腕が載ってきたり、じゃれ付くように抱きつかれたりされるようになったのはそれからだ。
ロイドにしたって普通に撫でられたり羽交い絞めにされていたりする辺り、ランディは基本的にスキンシップ過多な人である。素でじゃれてくるのもふざけているのも解っている。
自分も最初は毎度固まっていたのだが、ここ最近は流石に慣れたので、エニグマ片手に対処する事も増えた。何せ連日だ。ロイドもエリィも半ば呆れ顔で流すほどの日常風景になってしまっている。
無論、ガイと重なっていたという事実も早々に無かったことにした。でないと、大事な想い出が台無しである。
それにしても。
・・・この人、毎日何を撫でてるのか解ってるんだろうか。
ちらりと目をやってみる。しかし、隣は全く気付かず平和に朝食に掛かっているだけだった。
絶対解っていない。きっと、自分が何者か知れば、こんな事もなくなるだろうに。・・・あまり触れられたい話ではないし、そんな話をしたいとも思わないが。
そこまで考えてふっと息をついた。
すると。
「なんだティオすけ、食欲ねえのか?」
そんならお兄さんが、と伸びてくるフォークをひとまず自分のフォークでガードする。油断も隙もない。
「勝手に決め付けないでください。」
抗議と共に、ぐぐ、と押し返す。しかし、フォークは力を加減しているのか動いてくれなかった。
「こら、何やってんだ。」
流石に向かいから声が掛かる。
「行儀悪いわよ。」
「へーい。」
とがめるようなエリィの声に、フォークがすごすごと引き下がっていった。
「全く。」
そこまで確認して、食事を再開する。本当に油断も隙も無いが、そういえば今日は遠出予定だったと思い出してなんとなく納得した。統計を取っているわけではないが、体力勝負な予定でこちらがげんなりしている時に限ってしつこいのだ。逆にあちらが凹んでいると思しき時はあっさりしている事もある。
・・・が、結論から言えばどっちにしろ面倒くさかった。戦闘結果に直結するので、それはそれで気に掛かってしまうのだ。
蓄積の足りない経験則に照らし合わせれば、今日の彼は通常営業より若干調子が良いらしい。
クオーツ配置は攻撃補助と攻撃で揃えて大丈夫だろう。新しいアーツの試用もいいかもしれない。
・・・ふむ。
黙々とパンを頬張りつつ、そんな算段をしている自分にふと気付く。
・・・どうやら自分は、思っていたより随分とお人よしらしい。
ティオとしては、くっ付かれるのは正直ウザいけど、怒るだけでなくて、ちゃっかり有効活用してそうなイメージです。